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+紅蓮の艶貌リリヴィス 「おい、早くしろ!グズグズしてっと置いていくぞ」 山道を歩いている盗賊の親分は、後ろを振り向いて新入りに向かい大きな声を上げていた。 「おやっさん…少し待って下さいよ…この箱重たすぎて…」 汗だくになった新入りは、何も運んでいない親分の背中を見つめながら、両手に抱えた盗んだ金品の入った箱を地面へと降ろした。 「まったく…最近の若造は根性がねぇな!ダラダラしてると日が暮れちまう!“夜の鍵”が出たらどうすんだ!?」 「ははは…おやっさん…流石に俺でも、そんな子ども騙しは通じないっすよ」 この大陸に住むものならば一度はその名を耳にした事がある。 どこから出た噂なのか、実際に見た者もいない都市伝説のような組織。 “夜の鍵” 世の中で起こる、説明することができない事件。 神隠し、密室の殺人、謎の突然死。 これらが起こると、必ずその名が噂として囁かれていた。 「バカ野郎…本当にいるんだよ…あいつらは…!仲間が何人もいなくなってる…!次はお前かもしれねぇぞ!」 突然、生ぬるい風が山道を吹き抜ける。 直後、どこからとも無く、怪しい女性の声が聞こえてくる。 (もしくは、あなたかもしれないわねぇ~?) 「だ、誰だ!?」 新入りはとっさに辺りを見渡す。 後ろを振り返るも、歩いてきた山道が続いているだけで、特に変わった事はなかった。 「なんだよ……気持ち悪ぃな……すんませんおやっさん、早く…」 前に向き直ると、さっきまでそこにいた親分の姿がない。 「あれ…おやっさん…どこ?ちょっと…おやっさん!?」 いつの間にか生ぬるい風は止んでおり、一人残された新入りは盗んだ箱を捨てて逃げ出した。 急いでアジトに戻った新入りは、自分の身に起こった事を兄貴分に報告しようとドアを開ける。 「みんな大変だ!!おやっさんが……」 アジトの中には、火が掛けられた鍋がコトコトと湯気を出している。 しかし、人の姿はどこにもない。 新入りは目の前に飛び込んできた光景に戦慄する。 「よ…夜の鍵…本当に…あぁああああ!!!」 アジトから飛び出した新入りは全力疾走で駆け抜ける。 どこに向かっているかなんて分からない。 しかし、今はこの場から逃げなければ、自分も殺される。 何の証拠も根拠もないが、それだけは間違いない。 突然、新入りは足を止めた。 目の前が何も見えない。 自分の身に何が起きているのかは分からない。 しかし、確実にやばい事だけは確信できた。 「うわああああああああ!!!!!」 「リリヴィス。アジトへの案内が終わったのならさっさと消せばいいのに、何故逃がすの?」 銀髪の少女は、発生させた闇の中に冷徹な目を向けたまま話しかけている。 リリヴィスは少女に笑いかけると、頬に手をあてて口を開く。 「だってぇ…怖がってる子ってかわいいじゃない?そ・れ・に、メアリちゃんの手柄も少しは残してあげようと思ってね」 メアリと呼ばれる少女は表情を変えずに、手に持った弓をゆっくりと下ろして続ける。 「同意し兼ねるわ。早く目的のモノを回収しましょう」 「もう…連れない子ねぇ…でも仕事にストイックなのは評価してあげるわ」 2人は盗賊のアジトに入り物色する。 地下室の片隅に鍵の掛かった箱を発見してこじ開ける。 「この魔石ね。さぁ戻りましょう」 メアリはただの石ころに見える黒い塊を手に取ると、リリヴィスに渡した。 アジトを出ると、2人は闇の中へ消えていく。 ――黒の森 誰も立ち入らない筈の、闇に包まれた森の中を歩くリリヴィスとメアリ。 ふと心地の良い闇の気配を感じると、すぐさまその場にひれ伏した。 「ご苦労だったな。リリヴィス、メアリ。目的の物は?」 暗闇から聞こえてくる声に一切顔を向けず、地を見続ける。 リリヴィスは頭を下げたまま両手を前に出し、奪ってきた魔石を差し出した。 「こちらです。団長」 黒いコートの裾がリリヴィスの目に入る。 手に乗っていた魔石の重みが無くなるのを感じた。 「2人共よくやってくれた」 リリヴィスは手を下ろす。 「勿体無いお言葉。全ては御心のままに」 メアリがその後に続く。 「御心のままに」 暗黒組織「夜の鍵」はここに存在していた。 しかし、組織の規模や目的はリリヴィスやメアリさえ知る事はない。 団長から下る命を実行する。 それが、団長が団員に求める全てだった。 「次の指令は少し長期間になるかもしれない。良く聞くのだ」 ――イエルへの街道 リリヴィスとメアリは団長の命に従い、商業都市イエルへと足を運んでいた。 帝国を潰すための準備。 確かに帝国は王国を攻め落とす程の力を蓄えた。 それが何故、夜の鍵の敵となるのかはリリヴィス達にはわからない。 街道を南に進みながら、頭の片隅でそんな事を考えているリリヴィスとメアリの目が合う。 考えても仕方のない事だと頭を振ってから、リリヴィスは口を開く。 「そういえば、メアリはどんな経緯でこの組織に入ったの?」 組織に長く属しているリリヴィスだが、メアリの事は殆ど何も知らない。 魔石調達の任務で初めて顔を合わせた少女は何者なのか、気にならないと言えば嘘になる。 その第一印象は、あどけない少女のようだが、とても生者とは思えない青白い顔と、闇を司る力を振るう姿から、到底普通の人間には見えない。 ほとんど変わらない冷徹な表情を見る限り、心の深い闇を感じ取る事ができた。 「死ぬ筈だった私を団長は救ってくれた。私に自由をくれた。だから、あの人が求める物ならなんでも差し出すわ。たとえそれが、私の命であっても」 眉一つ動かさずに淡々と話すメアリから出たのは、12、3歳の少女から出てくる言葉ではなかった。 「それは頼もしいわね。あの方に尽くせる想いがあるなら、私とも仲良くできそうだわ。でも…あの方がそれを望むとは思えないけど……。」 「そう…。あなたは何故組織に?」 「そうね…あなたと同じようなものかしら。あの方は私を人として扱ってくれただけじゃなくて、私に自由を与えてくれた、2人目の人だったから」 「2人目?もう一人は?」 少し遠くの空を見つめるリリヴィス。 随分前のような、ついさっきまで隣にいたような、その人物に想いを馳せる。 「もう、彼はこの世にはいないわ」 そう、レンは私が殺した…。 ― ―― ―――― 獣境の村ヴィレス。 コウモリのガルムの母の元に生まれた私は、幼い頃からレンと一緒に遊んでいた。 レンはヴィレスの篝火と言われる狐の家系の次男。 篝火としての修行を抜けだしては、私の手を引いて森の中の秘密基地に走っていく。 いつもの光景だった。 「リリヴィス!こっちこっち!!」 いつになく楽しそうにしているレンを不思議に思っていると、大樹が堂々と根を貼る広場へと到着した。 レンの指差す方を見ると、大樹の枝に実った黄色の実がゆらゆらと風に揺れていた。 スルスルと木によじ登ると、一つ、二つと実をもいでは器用に枝の隙間を抜けていく。 「ほら!これ食べて!すごい美味しいから!」 満面の笑みを浮かべながら、両手いっぱいに抱えた果物を一つリリヴィスに渡すレン。 私はレンとこうしている時間がとても好きだった。 「あのさレン、篝火の修行はそんなにさぼっても大丈夫なの?」 レンは甘い果実を頬張りながら笑顔で話す。 「僕よりも姉ちゃんの方が優秀だし、僕は期待すらされてないから大丈夫大丈夫!」 木の枝に座って足をぶらぶらとさせながら、ニコっと笑いかけてくる。 そんなレンの笑顔を見ていると、私まで笑顔になってしまう。 「あのさ、今度さ、夜に抜け出して湖までいってみない?綺麗なホタルが沢山いるんだって!見てみたくない!?」 そう……私がこの時に断れば、あんな事にはならなかった。 レンの好奇心を否定したくなくて、もっとレンと一緒にいたいっていう気持ちを優先した。 その日は『真紫月(しんしづき)』が空に浮かぶ幻想的な夜だった。 予め部屋の中に用意していた靴を窓の前で履くと、できるだけ音を立てないように外に出る。 約束した村の外れの大岩の下に僅かな明かりが見える。 レンはその手に炎を灯して私を待っていた。 「ごめんね、待たせた?」 レンはニコっと笑ってから私の手を引き、森の中を慎重に進んでいく。 左手で私の手を取り、右手の手の平を上に向けて炎を出して道を照らした。 目的の湖まで辿り着いた私達は、目の前の光景に目を疑った。 紫の月が照らす湖上の水面には、蛍光緑の光が絨毯のように敷き詰められている。 「すごい!すごいよ!レン!こんなの初めて見た!」 「そうだね……来て……良かった…」 想像していたレンの反応とは違う事に気が付いて顔を向けると、レンは真っ青な顔をしているように見える。 「どうしたの?レン…?具合が悪いの?」 声を掛けると、その場に倒れこんでしまうレン。 「どうしたの!?ねぇレン!レン!」 レンの身体を観察すると、足に無数の擦り傷がある。 その傷口は真紫になっていて、足全体が異常な色となっている。 「これってどういう事!?もしかして…毒草で足を切ったの!?」 聞いた事があった。 真紫月の夜に、普段はなんて事のない綺麗な草花が毒草になるという話。 毒をどうにかしなくてはいけないが、解毒剤をどうやって作るかなんて想像もできない。 「そうだ…傷口から…毒を吸い出せば…」 顔を傷口に近づけた瞬間に、頭をレンに抑えられる。 「だめだよ…リリヴィス……君は、人の血は…いけないって…」 たしかに、リリヴィスは小さい頃から親に口酸っぱく言われていた。 『決して自分以外の人の血を口に含んではいけない』 理由なんて聞いた事はなかった。 今までそんなシチュエーションに出会った事もなかった。 だが、今は行動しなければレンが死んでしまう。 現に、こうしている間にも紫色になっていく肌の面積は増え続けている。 「それでも、私はレンを助けたいから!黙ってて!!」 言葉が届いたかどうか分からないタイミングで、レンは意識を失い倒れこんだ。 レンを助けたい一心で、彼の足の傷口に口を当てて思いっきり吸い込む。 口の中には色んな味が混ざりあう。 地面に吐き捨てると、真っ赤な血が飛び散った。 無我夢中で吸い続けると、レンの足は元の色に戻っていく。 しかし、レンは意識を取り戻さない。 「お願い!!レン!!起きてよ!!!」 身体を擦っていると、レンはゆっくりと目を開けた。 「あれ……リリヴィス……?」 「レン!!大丈夫!?レン…レンーー……!!!」 レンに抱きつくと、彼の胸の中で泣けるだけ泣いた。 私の頭を撫でてくれるレンは、急にその手を止めて起き上がる。 「リリヴィス…その口……」 「えっ…?」 手で口を拭うと、レンの血が大量についている。 「その…レンが死んじゃうくらいならって…!ほら!私は平気だから!」 両手を広げてレンにアピールする。 レンは複雑そうな表情をして私の顔を見る。 「本当に大丈夫だから!でも…パパとママには内緒ね!」 私は嘘をついた。 口の中に広がる血の味は、脳を直接刺激するような感覚が続いている。 こんな高揚感は味わった事がない。 少し休んでいると歩けるようにまで回復したレンに肩を貸して、村までゆっくりと戻った。 しかしその日から、あの味が忘れられない。 いくら水を飲んでも、どれだけ食べても、身体があの味を欲し続ける。 どうにかしたいという思いから、母に今までしなかった質問をしてみる事にした。 「ママ、私達は人の血を口に含んではいけないんだよね?」 「えぇ、そうよ。どうしたの急に?」 私は必死に笑顔を作り続ける。 「それってなんでなのかなって気になってさ~」 母は真剣な表情になり、私の肩に手をかける。 「そうねぇ。もうそういう年頃ね。なんでなのかっていうのは、掟でそうなってるから…としかママも知しらないわ」 腕を組んで片手を顎につけ、考えるような素振りを見せる。 「血を口にしたコウモリの一族はね、不幸になってしまうっていう言い伝えがあるのよ。本当はどうなのかなんて誰にも分からない。リリヴィスが不幸になりたくないなら、掟を守っていたほうがいいわ。その方がママも安心だしね」 まだ幼い私はその母の言葉で血の気が引くのを感じた。 不幸になる…その言葉に恐怖を感じる。 私はずっと我慢をしていた。 誰にもバレないように。 しかし、喉の渇きは日に日に大きくなり、精神がおかしくなりそうになる。 身悶え苦しむ中、レンが訪ねてきた。 「リリヴィス…大丈夫?君のママに具合が悪いから寝てるって聞いてきたんだけど…」 私は、レンに顔を合わせられなかった。 顔を見たら、きっとあの味を思い出してしまうと考える。 でも、頭の中でそれを考えれば考える程、喉の渇きは強くなる。 明らかに異常な私の状態を見てママも心配していた。 このままでは血を口にした事がバレてしまうと、意を決する。 レンと目が合うのは、真紫月の夜以来だった。 「レン……お願いがあるの……。少しだけでいいから…あなたの…血をくれない?」 驚くかと思っていたけど、レンは少しだけ笑ってから首筋をリリヴィスに晒す。 「そっか。ごめんね。きっと僕のせいなんだ。あの日の事は誰にも言ってないよ。ここからがいいかな?」 レンの反応に心がキュッとなるのを感じる。 きっと、レンは自分を責めている。 今考えれば、その罪悪感に…私はつけ込んでいただけなのかもしれない。 「ごめんね…」 私は彼の首筋に刃を立てた。 少しだけビクっとしたレンだったが、その後は私の背中を擦りながら抱きしめてくれた。 口の中に広がるレンの血の味は、この世の全てがどうでも良くなるほどの幸福感を覚えさせてくれる。 レンがフラっとした瞬間我に返り、慌ててその口を首筋から離した。 「大丈夫?ごめんね…」 レンは笑顔を見せる。 「ううん。大丈夫だよ。僕の方こそ、ごめんね…」 それからは一週間に一度の頻度で、レンに血を分けて貰う生活が始まった。 レンは…どんな気持ちだったんだろう…。 今となってはそれを確かめる術もない…。 普通の生活を送るにはレンの血が必要。 それならば、このままレンとずっと一緒にいればいい。 レンさえ良ければ、レンと一生を添い遂げたい。 幼いとはいえ、なんて呑気で自己中心的な考えをしていたのだろう。 そんな夢のような未来を想像しなければ… 数ヶ月後の“真紫月の夜”に起こる事も、もしかしたら変わっていたのかもしれない…。 その日は唐突にやってきた。 夕焼けと共に家に帰った私は、両親と食卓を囲んでいた。 「今日は真紫月の夜か。1年っていうのはなんでこんなに早いのかな~。ん?リリヴィスどうした?」 父が話している内容がまったく頭に入ってこない程の急激な飢えを覚えていた。 喉が焼けるように熱く、血を欲している。 3日前にレンに血を分けて貰ったばかりだというのに、こんな渇きがくるはずがない。 「ちょっと具合が悪いから、部屋に戻るね…」 テーブルの上に並んだ食事にほとんど手を付ける事もなくその場を後にして、部屋に閉じこもる。 夜が更けるに連れて、渇きは一層大きくなっていく。 我慢する事なんてとても出来そうにない。 私は窓を抜けて、レンの元に向かう。 レンの家に着くと、レンの部屋がある2階に石を投げる。 思ったより大きな音がして、ドキドキとしていたが、頭はこの渇きをどうにかしたいという気持ちで埋め尽くされていた。 窓に影が映り、カーテンが開くとレンの顔が見えた。 私の事を見つけたレンは、驚いた表情をして、窓から縄を垂らして降りてくる。 「リリヴィス…どうしたの?すごい汗だけど…」 「喉が乾いて仕方ないの…お願い…レン…助けて……」 レンは私の手を引いて、いつも血を吸わせて貰っている空き家に入り、首筋を差し出した。 「どうぞ」 いつも通りの笑顔を見せるレンの首元に私は飛びついた。 血の味が口いっぱいに広がる。 しかし、何かおかしい。 普段は少し味わえばすぐに喉の渇きは癒やされるのに、この日は口を離す事が出来ない。 もっと欲しい…もっと欲しい…もっと欲しい…。 どれくらいの時間そうしていたかは分からない。 私は自分をコントロールできる状態ではなかった。 レンの力がどんどんと抜けていくのを感じる。 その事にハッと、気が付いて無理矢理身体を離した。 「レン…ごめん…大丈夫…?」 顔を見る事ができず、下を向いたままレンに語りかける。 「リリヴィス…今日はどうしたの?まだ喉が乾いているなら、好きなだけ吸っていいんだよ?」 レンの表情は分からないが、その優しい口調からきっとまだ笑っているのだろう。 「ダメ…これ以上は…!!レンが死んじゃうから!!!」 私は床に向かって叫んでいた。 窓の外から紫の光が差し込む。 後頭部に、レンの手の感触がある。 そのままレンは自分の首元に私の口を押さえつけた。 「いいんだ…リリヴィス。君に助けて貰わなかったら、きっと僕はあの場所で死んでいた。君のしたいようにしてくれればいい。ごめんね。こんな事しかできなくて…」 私は泣きながらも、口元から漂ってくる血の匂いに理性が効かない。 月から放たれる強い紫の光が熱い。 身体中が熱くなっていく。 比例するように、レンの身体は冷たくなっていった。 それでも止める事ができない自分を、私は強く恨んだ。 私の腕の中で―――― ―――― ―― ― 少し遠くの空を見つめるリリヴィス。 「もう、彼はこの世にはいないわ」 メアリは事情を深く聞く事はせず、前を向いて口を開く。 「親しい人の死は辛いわね」 「子どもなのに気の利いた事を言えるのね~?」 未だにレンの事を思い出すと、心の奥に黒い影ができるような感覚に見舞われる。 それでも、今は団長の為に前を向きたい。 そんな事は悟られないように平然を装う。 私も随分、大人になってしまったのかもしれない。 メアリはほんの少し間を置いてから、ポツリと口を零す。 「本心よ。私も両親を亡くしてるから、少し分かるだけ」 「あら、悪かったわね」 「いいのよ。気にしてないわ」 12、3歳の少女から出る言葉とはやはり思えない。 私がこの子くらいの歳の時には、レンの事はまだまだ引きずっていた。 メアリは続ける。 「あの人達が死んだお陰で、団長から力を頂けたようなものだし」 「団長に力を頂いた!?あの方に…直接!?」 メアリは団長に特別なモノを貰っている。 その事実は受け入れ難い。 「そうよ」 目の前の少女が妬ましい。 あの団長に力を与えられているなんて、そんな事があって良い訳がない。 「あなたもその炎の力を頂いたのではないの?」 リリヴィスの気持ちを知ってか知らずか、少女は素朴な疑問を投げる。 取り乱したリリヴィスは、その言葉で平静を取り戻した。 炎の力…今の私の力は… 少し間を置いた。 「…私に力をくれたのは、団長じゃないわ」 この力は…レンのものだから…。 ― ―― ―――― 紫の光が差し込む窓辺で、動かない少年に縋り付く少女。 私はレンの冷たい身体に身体を寄せて泣きじゃくっていた。 悲しみと憎しみが爆発して、自分なんかいなければ良かったと思いながら、泣き喚いていた。 身体に燃えるような熱を感じる。 次の瞬間、辺りが急に明るくなった気がした。 驚いて顔をあげると、小さな部屋が燃えている。 床から天井まで炎が上がり、黒い煙が辺りを包む。 レンの姿はもう見えず、ただ赤々とした炎だけが渦巻いていた。 目を覚ますと、見慣れた天井が私を出迎えた。 顔を横に向けると母が心配そうな顔でこちらを見ている。 「リリヴィス!大丈夫!?良かった…良かった…!!」 母は泣いていた。 全部夢だったのかと頭の隅で考えていた…。 「ママ……レンは…?」 答えは帰ってこなかった。 数日後のレンの葬儀に出席する事も許されなかった私は父から、あの夜に何があったかを問い詰められた。 私は、今まで起きた事を全て父に話す。 自分の手から炎を出して証拠を見せる。 あの日から、力を込めると炎を操れるようになっていた。 この力は…きっとレンの、篝火の力。 これを見ればきっと父も信じてくれるだろう。 きっと怒られる…そう思っていた…いや、怒られる事を願っていた。 しかし、父は私の頭を撫でる。 「可哀想なリリヴィス…。辛かったね…。この事は誰にも言わないでおくれ」 私には意味が分からなかった。 そんな父の言葉は聞きたくなかった。 このまま何も咎められる事なく、生活ができるのだろうか? そんな生活を、私は求めていなかった。 今考えれば、父は自分の身と私の身が無事ならばどうでも良かったのだろう。 殺人犯の私と、その父に科せられる処罰は重たい。 良くて強制労働、悪ければ極刑だろう。 その相手が篝火の一族であれば尚更だ。 そして、また渇きがやってくる。 あれだけレンの血を飲み干したというのに、数週間も経たないうちに血を求める。 その辺りに生息している魔物を狩ってその血を飲んでみるが、渇きが満たされる事はなかった。 「血を口にしたコウモリの一族はね、不幸になってしまうっていう言い伝えがあるのよ」 母の言葉が頭をよぎる。 きっと私はもう不幸の中にいるのだろう。 虚無感に襲われ、どんなに泣こうとも喉の渇きを抑える事はできない。 私は村を出る事にした。 この村で血を分けてなんて事は言えない。 口に出して、協力者が現れたとしても、また同じ事を繰り返してしまうと思った。 誰にも何も言わずに、私はヴィレスを後にした。 外の生活に困る事はなかった。 商業都市イエルまで足を運んだのは、多種多様な人種が入り乱れるこの街ならば羽の生えた私の姿が悪目立ちする事もなく、ヴィレスの人間にまで噂が流れる危険性がなかったからだ。 傭兵の仕事につき、盗賊の討伐など、人をターゲットとした依頼を受けては血を啜った。 そしてまた、真紫月がやってくる。 私は傭兵の集まる酒場で人間をターゲットとした仕事を待っていた。 しかし、その日に限って魔物の討伐依頼ばかりが入ってくる。 傭兵仲間が一人、また一人と魔物の討伐へ向かい、残された傭兵は数える程度だった。 そこに、妖精が持ち込んできたのがコレーズ村付近に現れた巨人と言われる魔物の討伐依頼。 「そんな魔物……2,3人でどうにかできるのか…?」 聞こえてくる声は、重々しい雰囲気だ。 酒場にいた傭兵仲間は皆武器を取り、出陣の準備を整える。 一人の男が私に話しかけてきた。 「あんた、いつも一人で仕事をしているよな?先月の盗賊団の討伐は度肝を抜かれたよ!まさか一人でやりきってくるとは皆思ってもなかった。腕は立つんだろう?頼む、一緒に来てくれないか?」 巨人と言われるくらいだったら…もしかしたら喉の渇きを凌げるかもしれない。 そう考えた私は縦に首を振った。 イエルを出てコレーズ村に辿り着く頃には、夕焼けが一行の影を長く伸ばしていた。 どんどん強くなっていく渇きを耐えながら、早く目的の巨人を見つけようと必死になっていると、傭兵の一人が巨大な足跡を見つけた。 まだ新しい足跡に、期待を込めて足早に追いかけると、遠くに大きな身体が見えてきた。 「なんてデカさだ…!よし、作戦を立てるから…」 男の言葉など聞いている余裕はなかった。 きっと傭兵達には、愚直な行動に見えていただろう。 それでも私は、これ以上耐える事ができる状態ではない。 羽を広げて背後から飛び込むと、一瞬で巨人の正面へ回り込み挑発をする。 巨人はそのまま私を敵とみなして全力で襲いかかってきた。 槍を構えて、敵の行動を注視する。 巨人が頭上に振り上げた腕を地面に振り下ろし、叩き潰そうとしてくるのを後ろに交わし、灼熱の炎を巨人に見舞う。 たいしたダメージはないのだろうか…そのまま一直線に向かってくる巨人に一瞬の隙を作ってしまった。 そのまま突進を受けて吹き飛ばされる。 傭兵達はやっと追いついたようで、弓や大剣で後ろからリリヴィスを援護する。 リリヴィスは岩に叩きつけられてゲホっと血を吐く。 傭兵達の援護攻撃を物ともせず、リリヴィスに向かって一直線に近付いてくる巨人に、恐怖を覚えた。 その時、リリヴィスの眼に紫の光が指す。 気が付くと、巨人は倒れており、その頭にはリリヴィスの槍が突き刺さっていた。 目の前の光景に疑問を持つ前に、巨人の首元に噛み付いてみる。 しかし、いくら吸い付いても求める結果は返ってこない。 「あんた…大丈夫か…?どうしたんだ…?何を…している…」 男の声に反応したリリヴィスは、ゆっくりと顔をあげる。 周りを見渡すと、大きな岩がゴロゴロとしている岩場が見える。 自分達以外に人の影があるわけがないだろう。 リリヴィスは男に向き直って、一言だけ口にした。 「ごめんなさい。私、もう我慢できそうにないわ」 5人の傭兵達に武器を取る時間は与えなかった。 後方に回りこむと槍で突き刺し、その喉元を貪る。 身体が満たされていくのを感じて、高揚感を覚える。 紫色に満たされた岩場に、リリヴィスが血を食らう物音だけが響いていた。 その時背後に人の気配を感じたリリヴィスは、臨戦態勢を取る。 確かに感じた気配は細心の注意を払っても、再び感じる事ができない。 しかし、何か嫌な空気が流れているのを風が告げていた。 「素晴らしい力を持っているね」 真後ろから聞こえた男の声に、リリヴィスは身動きが取れない。 これだけ気を張っていたというのに、背後…それも1メートルもない所にその男は立っていた。 振り向く事を許されない状態に、リリヴィスは前を向いたまま口を開く。 「誰…?私に用……?」 男は笑う。 「私はお前の力を求めてやってきた者だ」 「私の力?」 「そう、炎の力を得たコウモリの一族…リリヴィス。お前の力だ」 リリヴィスは前方に飛び出して振り返り、低い姿勢で男に槍を向ける。 「どうしてその名を!!?」 ヴィレスを出てからは名を名乗った事はなかった。 この男は“何か”を知っている。 「そう怖がらなくてもいい。仕事をしないか?」 黒の帽子を深く被った男の顔は見えない。 リリヴィスは様々な可能性を頭の中で思い描くが、男の素性に思い当たる節はなかった。 「私の何を知っているの!?」 男は帽子に手を掛けたまま微動だにせず、真紫月を背に黒い影を落としている。 「大体の事は知っているよ。お前がヴィレスから来た事も、篝火の力を持っている事も、盗賊達を亡き者にしている事も」 「……っ!!」 「お前に悪いようにはしない」 リリヴィスは考える。 この男が信じられる訳がない。 今ここで断れば、自分の素性を言い触らされるかもしれない。 もし外に漏れたら、殺人犯として追われる身となってしまう。 ならば、この男を今消せばいい。 瞬間的に力を入れて炎を操る。 この夜の私ならば、負ける事なんてあり得ない。 空中に飛んで槍を投げ大爆発を発生させた。 まだ見える影に向かって全力で突っ込む。 「っ……!!!?」 リリヴィスは後ろから男に抱きしめられていた。 この攻撃を避けて…更に裏に回りこんだとでも言うのか…。 「すまない。警戒させてしまった。もし私と一緒に来てくれるならば、お前の欲する血を安全に与えよう。なんなら、私の血を今啜っても良い」 リリヴィスは動く事が出来ない。 「お前は強いが、とても弱い。私は弱いものの味方だ。私の組織がお前の全てを受け入れる家となろう。その力を私の為に使ってはくれないか」 そして、夜の鍵が私の家となった。 顔も分からない団長からの命を受けては任務を遂行する日々。 団長は私に暗殺の仕事を優先して与え、殺した人間は好きにして良いと言ってくれた。 優しくされる事にはやはり慣れない。 生きるために、ただ日々を過ごしている感覚だった。 ある日、言い渡された任務はとある行商人が運んでいる地図の回収だった。 簡単に終わる筈だった。 街道を走る荷馬車に乗った行商人を見つけ、普段通り後を追い、どこかに停泊するのを待った。 しかし荷馬車は休む事を知らずに、そのまま氷塞都市コルキドの門をくぐってしまう。 このままでは任務の遂行ができなくなってしまうと焦るリリヴィスは強行手段を取る。 街中の建物を狙って槍を投げつけ、地面から噴き出る炎に街の人達は大混乱を起こした。 その最中に荷馬車へと走り、目的の物を奪おうとする。 しかし、荷馬車の中には大量の藁しか積まれておらず、リリヴィスは愕然とする。 荷馬車の周りを兵士が取り囲むと、武器を構えた。 「出てこい!この辺りを荒らしている賊めが!」 罠にはめられた…。 そう確信したリリヴィスは、この状況を乗り越える策を考える。 次の瞬間に、荷馬車の天井をぶち抜いて羽を広げ、空路で逃げる事に成功する。 兵士達は必死に追ってくるが、リリヴィスに追いつくことはできず諦める他なかった。 命からがら逃げ帰ったリリヴィスは団長に合わせる顔がない。 だが、この組織から逃げる事もできない。 あの団長であれば、優しく許しを貰えるかもしれない。 淡い期待を持ちつつも、団長の元に跪いた。 「団長…申し訳ございません。任務は失敗に終わりました…。」 事の顛末を説明し終わると、団長は深くため息をついた。 次の瞬間、リリヴィスは耳を疑う。 「何をやっている!!!!」 団長が声を張り上げた事など、それまで一度もなかった。 「申し訳ございません!すぐに失敗を取り返しますので、もう一度だけチャンスを…」 団長は言葉を遮る。 「誰がそんな事を言っているのだ?そんな怪しい荷馬車の動きを察知した上で、何故撤退をしなかった?」 「……撤退をすれば、目的のものが……」 「何故自分の身を案じない?少し勘違いをしているようだな」 「………?」 リリヴィスには団長が何を考えているのかまったく分からない。 「私にはお前の力が必要だと言った筈だ。それは今も、これからも変わらない。私はお前を失ってでも欲する物などない」 涙が流れる。 初めて怒る団長の言葉が胸に突き刺さった。 父や母がしてくれなかった…自分の事を真剣に心配してくれる人が目の前にいる。 その事が嬉しくて仕方がなかった。 「次からは、気をつけろ。それと、危険な任務を与えてしまったようだ。すまなかった」 団長の力になりたい。 心からそう思えたリリヴィスは頭を下げたまま、大粒の涙を流し続ける。 「とんでもございません…………」 「くれぐれも、無茶をするな。いいな?」 団長の目標の為に…できることならなんでもする。 そう心に強く誓った。 「御心のままに……」 ―――― ―― ― メアリは思い出に更けているリリヴィスを横目に、歩き続ける。 何を考えているのかはメアリには分からなかったが、リリヴィスは何かを再確認するようにウンウンと頷いた。 「私に力をくれたのは別の人。団長は私を認めてくれた人なの」 メアリは少し不思議そうな顔をしている。 「認める?」 「そう。あの人は私の全てを知った上で受け入れてくれた。生きる意味を与えてくれたあの人には本当に感謝しているわ」 メアリにまた疑問が沸く。 「あなたは団長とどんな関係なの?恋仲なの?」 リリヴィスは急に話しかけてきたメアリにドキリとした表情を返す。 「違うわよ!そうねぇ~言うならば、私の片想いかしら。なぜそんな事を聞くの?」 メアリは落ち着いたトーンのままだったが、少しだけ笑ったように見えた。 「私は私を助けてくれた団長に心を寄せているわ。だからこうしているのだし。私は団長の妻になりたいの」 いきなりのカミングアウトにリリヴィスは笑うしかなかった。 まだ毛も生え揃ってないような小娘が妻に? 冗談がきつい。 「あはは…あなたみたいなお子様が?10年早いんじゃない?」 冗談交じりに茶化してみるが、メアリは真剣な表情のまま話し続ける。 「あなたになんと言われようと構わないわ。私に先を越されないようにすることね」 リリヴィスは生意気なメアリをどうしてやろうかと想像を膨らませていたが、目の前に見える景色に落ち着きを取り戻す。 「この話はあとでゆっくりしましょう。目的を忘れないで。ほら、イエルの街が見えてきたわ」 +孤高の白牙ガルディス 「貴様ぁ!ガルムの分際で我々に手を出すなど、正気かぁ!?」 「人間風情が偉そうに吠えてんじゃねぇぞ!死にてぇ奴から前に出な!!」 獣境の村『ヴィレス』から北に二里ほど進んだところで、十人ばかりの帝国兵士を前に、仁王立ちする男。 白銀の毛に蒼瞳。 青いマントをはためかせながら、どっしりと腰を据えて槍を構えるは虎のガルム。 「待てぃ!何事か!!」 「っち……次から次へと……しつけぇんだよ!!」 背後から駆け寄る声に、手にした槍を突き出して答える。 しかし、動きの取りにくい馬上にも関わらず、その切っ先をいとも簡単に躱した声の主は、逆に斧を突き付けてきた。 「寸止めだぁ!?てめぇ……舐めてんのか!!」 「待て!儂(わし)は敵ではない!!」 「邪魔すんな!ぶっ殺すぞ!!」 威風堂々たる鎧。 金色の鬣(たてがみ)の上に王の証である冠。 真っ赤なマントをなびかせるその姿からは圧倒的強者の気配が否応なく漂う。 「ライオンのガルム……てめぇ、まさか――」 「今はそれどころではあるまい!ひとまず退くぞ!!」 「あぁ!?ふざけんな!いきなり現れといて、何勝手なこと言ってやがる!逃げるなら一人で逃げな!俺にはやらなきゃなんねぇことがあんだよ!」 「なに……?」 二人の視線が揃って帝国兵へと向けられる。 その瞬間、文字通り獲物が睨まれたようにビクッと体を震わせる帝国兵達。 白い虎にライオン。 強大な雄二頭が自分達を見据えているのだ。 それも無理からぬことだろう。 「こ、こいつも奴の仲間か!?」 「わからん……が、なんとしても荷は守るぞ!」 「荷だと……?」 帝国兵達が身を挺して守ろうとする荷馬車に、ライオンのガルムが視線を向けると、その荷台には拘束され、縄で繋がれている3人の子供達の姿。 「小僧、まさかあの子供達を救うために……?」 「てめぇには関係ねぇだろ!」 「なんとも向こう見ずな男だ……だが!」 「ぬぉ!?て、てめぇ!!」 不意に首根っこを掴まれ、馬の上へと引っ張り上げられたかと思えば、そのまま逃走するように走り出したライオンのガルム。 「お前に話がある。今は大人しくしてもらうぞ!」 「おい!このままじゃ……おい!!」 ぽかんと立ち尽くしたままの帝国兵達の姿がどんどん遠くなっていく。 その後ろの荷台では、不安そうな顔をこちらに向ける子供達の顔。 「こ……の!!」 「ぬ!?仕方ない……許せ!!」 ――ガンッ! 「がっ!?」 なんとか馬から飛び降りようと槍を突き立てようとした途端、鈍い音が頭に響き、そのまま意識が遠ざかっていった…… ………… …… 「……はっ!?てめぇ!!」 意識を取り戻し、すぐさま立ち上がる。 辺りを見回すと、どうやら森の中に連れ込まれたようだ。 「まだ一刻も経っておらぬというのにもう目覚めたのか。呆れた頑丈さだな」 横で焚火に薪をくべながら、やれやれといった表情で答えるライオンのガルム。 改めてその姿をまじまじと見て確信する。 「間違いねぇ……てめぇ、ガレオスだな?」 「ほぅ……儂を知っておるのか」 「ヴィレスの王を知らねぇガルムなんざいるわけねぇだろ……!」 獣王ガレオスによる統治の元、多くのガルム族が故郷とし、暮らすこの村。 獣境の村『ヴィレス』 先代国王が引退し、その実の息子であるガレオスが王に即位してというもの、かつては小さな集落に過ぎなかったヴィレスの村は、王政の元に広い領土と数多の臣民を抱え、一つの国家として大陸に名を知らしめる程に成長した。 かつては他種族からの迫害対象となっていたガルム族がこれほどの繁栄を築き、他種族とも対等な関係を保つ今に至ったのは彼らの功績あってのもの。 「何でてめぇがこんなとこにいやがる?それも護衛も付けず、たった一人でだ!大体ヴィレスは今、王位継承戦の真っ最中じゃねぇのか!?」 「やはりお前も王位継承戦に参加するためにヴィレスに向かっていたところであったか……」 ヴィレスの王位にガレオスが就いて三十余年。 高齢を迎え、次なる世代へ希望を託さんとガレオス自ら参加者を募り、開いた次代王位継承戦。 何を隠そう、己もまたその大会に参加するためにコルキドの地を発ったというのに、なぜこの男が目の前にいる。 「ヴィレスでは今も間違いなく継承戦が行われている最中だ。その途中、白い虎のガルムが何やら騒動を起こしているとの知らせを聞いてな。大会は大臣達に任せ、様子を見に来たというだけの話だ」 「答えになってねぇぞ、じじぃ!それだけの話でてめぇが単身ヴィレスを飛び出すわけがねぇ!」 「ただの気まぐれだ。継承戦には多くの参加者が集まってくれはしたが、その中に儂が納得できるだけの者はいなかった。既に希望のない結果を待ち続けるより、帝国兵相手に大立ち回りを演じる者を直接見たくなったというだけの話だ」 「で?近衛兵も付けずに一人で来たってのか?」 「帝国の者達に儂がヴィレス王だと知れれば、村に揉め事を持ち込むことになり兼ねん。わざわざ臣下達を連れ歩いて目立つ危険を避けただけの話よ」 「…………」 もっともらしい理由を並べてはいるが、ただそれだけの理由でそんなことをするだろうか。 言っていることは嘘ではないようだが、まだ何か真意を隠しているような気がする。 だが、今はこれ以上ここで時間を良否している場合ではない。 「そうかよ……じゃあ、俺は行くぜ」 「先ほどの帝国兵を追うつもりか?」 「だったら何だ!?てめぇが邪魔しなけりゃアイツらを助けてやれたんだ……!」 「あの荷馬車に乗せられていたのは人間の奴隷のようだった。なぜ助ける?お前はヴィレスの王になる為にここまで来たのだろう?」 「うるせぇ!!俺は必ず王になってやる!どんなことしてもだ!!でもなぁ……アイツらの目は俺に助けてくれって言ってたんだ!無視できねぇだろ!!」 「王になることを諦めてもか?」 「王になるのは虐げられるヤツら皆を守ってやるためだ!そんな国を作るんだよ!!」 「その物言い。やはり白虎一族の者か……」 「そうだ!白虎一族族長ガルオンの長子ガルディス!親父に代わり一族の無念を晴らす!」 ガレオスがヴィレスの王となって数年のうち、ある一つの事件が村を騒がせた。 彼の盟友であり、兄貴分でもあったガルオンの率いる白虎一族が、王都の荷を強奪したのだ。 だが、それは当時ガルム族を良く思わなかった者達が仕掛けた策略で、ガレオスの失墜を狙ってのものだった。 当のガレオスは臣下の罪をただ罰するのみで、ガルオンを白虎一族ごと永久追放し、王都からの体面を守ったという。 ヴィレスを追放され、遠くコルキドの地まで追いやられた白虎一族のそれからというもの、慣れぬ気候、不足する食料、見知らぬ文化に日々悩まされ、辛い日々を過ごすこととなった。 今、ヴィレスに住む若者達は、その平和が築かれる過程の中で、自分達のように存在を奪われてきた者達がいることを知らない。 それを知っても尚、心から王を信頼ことができるだろうか……。 「小僧……お前、ガルオン殿の子だったのか……?」 「そうだ!なぜ親父達を助けなかった!?親父達がハメられたことはてめぇにもわかってたはずだ!」 「……それについて許しを乞うつもりはない。あれは、儂の弱さが招いた悲劇だ」 「そうだ!俺は私利私欲のために友を売ったてめぇとは違う!俺は真の王に相応しい器を示して、正しい国を作るだけだ!俺達のような存在を二度と生まないためにな!」 「ならば、やはり何を置いてもヴィレスに向かうべきではなかったのか?もう継承戦は始まっておる。今から向かったとしてもおぬしが王になる機会はすでに残されておらんぞ?」 「……あぁ、熱くなると目先の事しか見えなくなるのは俺の悪い癖だ。だから、せめてあのガキ共だけでも助けにいくのさ。王の事はまた考えりゃいい」 「不器用だな……引き留めはせぬが、今お前があの子らを助けても意味はないぞ」 「……何だと?」 「仮にあの子達を助けられたとして、その後はどうする?子供達だけではない。お前もまた帝国に楯突いたお尋ね者になり、ずっと追われ続ける人生だ」 「なら放っておいた方がアイツらも幸せだってのか!?」 「違いするな。儂は間違っておるとは言っておらん。ただ、やり方が何というか……直情的過ぎる」 「……さっきからくどくどと……わかりやすく話しやがれ!!」 「お前は正しいと思ったことをすれば良い。儂が知恵と力でそれを助けてやろう」 「馬鹿にしてんのか!?こっちはぶっ殺してやりてぇ程にてめぇを恨んでんだぜ!?そんな奴の手なんざ借りるわけねぇだろ!!」 「ならばお前があの子達を抱えながら一人逃げ続けるのか?本当にそんなことができると思うのか?小僧」 「……今回だけだ……それ以上、じじぃの道楽に付き合ってられるか……!!」 「それで良い」 こうして一時的に手を組み、帝国軍から奴隷を解放すべく動き出したガルディスとガレオス。 まずは先ほどの場所へと戻り、その足取りを追う。 「轍(わだち)は王都の方へ続いておるな……」 「じじぃ。俺はこの付近のことは知らねぇが、こういうことはよくあることなのか?」 「そうだな……全てを把握しておる訳ではないが、王都陥落以後、働き口として多くの奴隷が王都に連れてこられているという話は聞いたことがある」 「反吐が出るぜ……帝国のヤツら……!」 「物事とは見方によってその性質を変えるものだ」 「あぁん?」 「奴隷制度自体は帝国が王都を占領する前から存在していた。金銭を対価に働き口を得る。奴隷もまた飢えを凌ぐことができ、雇い主によってはそれまでよりも良い暮らしができるようになるだろう」 「人間が人間を飼うのが正しいってか?」 「その様な実例も少なからずあるということだ。もっとも、帝国のやり方については良い噂を聞かぬがな」 「まぁいい。今回、頭を使うのはてめぇの役目だ。ひとまず荷馬車を追うぜ?」 「良かろう。どちらにせよ王都に入られてしまっては手が出せなくなる」 再び馬を走らせること約一刻。 間も無く王都が見えてこようというところで、目標の荷馬車の背を捕らえた。 「止まるな!このまま突っ込むぜ!!」 「無鉄砲なのも良いが、策はあるのだろうな?」 「無論!蹴散らすまで!!」 「やれやれ……」 さらに速度を上げ、追い込みをかける一行。 荷馬車を警護する帝国兵が、後方から響いてくるその馬の足音に気が付いた。 「ん?あれは……さっきのガルムだ!!戻ってきやがった!!」 「馬車を急がせろ!他はヤツらの足止めだ!」 「ありがてぇ……わざわざ隊を二つに分けやがった。おいじじぃ!てめぇが前だ!!」 「待て、小僧!わざわざ一人で十人を相手にするつもりか?」 「どのみち後ろを引き付けねぇとだろうが!」 「儂が手本を見せてやる……おぬしは子供たちを助け出せ!」 「おい!てめぇ!勝手に――」 手綱を手放し、武器を構える兵士達の前へ飛び降りたガレオス。 自分も続こうと鐙(あぶみ)を踏む足に力を込めたが、ここで馬を止めては荷馬車に逃げられてしまう。 「ちっ……!勝手に犬死すんじゃねぇぞ!」 「あっ!?ま、待て!!その馬を止めろ!!」 「行かせぬよ!馬を追いたければ儂を超えていくことだ!」 「くそ……さっさとコイツを片付けろ!!」 そんなガレオスを尻目に、荷馬車を猛追するガルディス。 荷台からひょっこり頭を出した子供達が、こちらを心配そうな目で見つめる。 「ガキ共ぉ!頭を下げてろぉ!!」 咆哮のような声を聴き、慌てて頭を抱えてうずくまる子供達。 その様子を確認したガルディスは、携えた槍を逆手に構え、荷馬車に向けて投げつけた。 「な、なんだと!?」 槍は見事に荷台の車輪に命中し、バランスを崩した荷馬車はそのまま地を滑りながら横転する。 操手は慌てて立ち上がって剣に手をかけたが、ガルディスがその前に喉元に槍を突き付け、戦意を奪い去る。 「手錠の鍵を出しな……見ての通り、俺は我慢強くねぇぜ?」 「わ……わかった……!これだ!!」 「よし……てめぇは用済みだ」 「ひ……!?」 ガルディスが槍に力を入れた瞬間、雄叫びのようなガレオスの声が飛んでくる。 「止めぬか!!」 「あぁ!?」 兵士を相手取りながら、様子を伺っていたガレオス。 「目的を見失うな!早く子供達を連れていけ!!」 「荷馬車はもう使えねぇ!全員は馬には乗れねぇぞ!?」 「考えなしに行動するからだ!儂を置いて早く行け!!」 「全員やっちまえばいいだけだろうが!!」 「愚か者が!勝つことが目的ではない!!余計な危険を生むだけだと分からぬのか!!」 「……偉そうに!」 「おじちゃん……?」 荷馬車から這い出て、ガルディスに近づいてきた子供達が心配そうに声をあげる。 「ぐ……くそっ!!」 頭を切り替えたガルディスは、鍵で子供達の手錠を外し、肩に一人、脇に抱えるようにして一人、膝で挟むようにして一人、計三人の子供を馬へ乗せると、そのまま元来た道を引き返すように馬を走らせた。 「戻っては来るな!さっきの場所で落ち合うぞ!」 「あぁ!心配なんてしてねぇよ!!」 再びガルディスの背を守るように立ちはだかるガレオス。 帝国兵たちはその間、一人として倒れることこそしていなかったが、完全にガレオスに抑え込まれ、身動き一つ取れない状態のまま馬を見送ることしかできなかった。 「虎のおじちゃん……ライオンのおじちゃん大丈夫だよね?」 「口を閉じてねぇと舌噛むぜ?アイツなら心配ねぇよ。すぐに会えるさ」 陽は完全に沈み、子供達が寝静まる時間になってもガレオスが戻ってくることはなかった。 焚火に薪をくべながらガルディスは考える。 明日の朝まで待っても彼が戻らない時はここを離れよう。 「ん……むにゃ…………」 自分のマントを布団代わりにして、すやすやと静かな寝息を立てて眠る子供達。 もしも、あの時自分が戦うことに固執していたら、この寝顔を見ることはできなかったかもしれない。 もしも、自分が荷馬車を破壊せず、もっとうまい方法で子供達を助け出せていたなら、今頃全員揃ってヴィレスに向かっていたのかもしれない。 「クソじじぃが……」 「酷い言われようだな……」 「じじぃ!?」 突然の背後からガレオスの声が聞こえ、身構えるように振り返る。 「大きな声を出すでない。子供達が目を覚ましてしまう」 「てめぇ……無事だったのか……」 「行方を掴めぬよう陽が落ちるまで奴らを撹乱した後ここに向かったので遅くなってしまった。正直、もうここにはいないのではないかとも思ったぞ?」 「けっ……借りを作ったまま放っておけるわけねぇだろ」 「やはり、お前は優しいな……」 「あぁ!?なんでそうなる――」 ガレオスは自分の口の前に人差し指を立て、ガルディスの言葉を制する。 「ぐ……ぬぅ……!」 「良いか、小僧。目的のためには常に何が最善で、どうすれば最も高い可能性を得られるかを考えて動かねばならん。それは自分を信じてくれる者達に対する義務だ」 「さっきのことを言ってんだろ?けっ!それぐらい自分で理解してんだよ……」 「そしてそれは、信じてくれるものが増えれば増えるほどに難しくなるものだ。責任と重圧はどんどん重くなり、自分という個が許される隙は失われていく……」 「また、王たるものはなんちゃらってお説教か?俺はてめぇみたいにはならねぇよ」 「そうだな……儂もあの時、自分を貫くことのできる強い意志があればと……そう思うことが何度もある。選択に悩み、疲れ、挫折しそうになることもな……」 「今度は愚痴かよ……ヴィレスの王ともあろう男が情けねぇ……」 「儂とて冠を外せばただの一人のガルム。なにより、今の儂は王としてここにおるわけでもないしな」 「だったら何だよ?」 「おぬしより長い人生を歩んできただけの老いぼれだ。だが、先人の言葉は聞いておいても損はないぞ?」 「けっ……いいからさっさと寝やがれってんだ」 「ふふ……まぁ、今日はこの辺にしておいてやるか。さて、明日はどこへ向かう?」 「……ヴィレスだ」 「それは構わぬが――」 「親ならいねぇってよ。寝る前に聞いた。こいつら、孤児ってやつみてぇだ」 「……そうか。なら、親元の心配は無用というわけだ」 「……いいのかよ?」 「何がだ?」 「ヴィレスに厄介事を持ち込むことになるかもしれねぇんだぞ?」 「ふ……ははっ!まさかおぬしに心配されるとはな。安心しろ。もしもの時のことは考えておる」 「ふんっ……てめぇが変にしょんぼりしなきゃそんな心配しねぇんだよ……」 ――翌朝 「おい。そろそろ起きろよガキ共!」 「ん……おはよ……」 「ねぇねぇ、虎のおじちゃん」 「あん?」 「ライオンのおじちゃんがまだ寝てる」 人間にはガルディスとガレオスが同じくらいの歳に見えるのだろうか。 軽く三回りは離れているというのに、子どもというのは残酷なものだ。 舌打ちをしてから、ガレオスを叩き起こす。 「何でてめぇがまだ寝てやがんだよ!!」 「ぬ!?お、おぉ……すまんな。昔から朝が弱いのだけは治らんのだ……」 「けっ……城でぬくぬく暮らしてっから体が鈍るんだろうが」 予定通りヴィレスへと足を向ける一行。 馬が足りないため、徒歩での移動となったが、後ろから追いかけてくる者もいないようでひとまずは問題なさそうだ。 これもガレオスが単身敵を撹乱してくれたおかげか。 あの時、自分がガレオスの立場なら、ある程度兵士の相手をした後、真っ直ぐ森を目指したはずだ。 そうなれば恐らく今頃は追っ手がかかっていたことだろう。 「ちっ……」 「ん?どうした小僧?」 「なんでもねぇよ、じじぃ!」 「ねぇねぇ、虎のおじちゃん?」 「なんだ?」 「今から行くとこには、おじちゃんみたいな人たちがいっぱいいるの?」 「らしいな。俺も行ったことはねぇから知らねぇんだ。この爺さんに聞いてみな」 「ねぇ、ライオンのおじちゃん?」 「そうだな……狼、ゴリラ、熊、キツツキ、犬、猫、白鳥、鼠、狐、ヤマアラシ、蝙蝠……」 「わぁ!すごぉい!!」 「あまり多くはないが、人間も住んでおるぞ」 「わたし、猫さんの人に会ってみたい!」 「そうだな……儂が良い猫の娘を紹介してやろう。間違っても自分から探しに行ったりするでないぞ?危ないからな」 「んん?」 「おい。そろそろ見えて――あん!?」 「む!?」 ヴィレスが視界に入った辺りで、子供達を抱えて傍の茂みへと飛び込む二人。 「おい、じじぃ……!」 「うむ……どこかに潜んでおるな……」 辺りに微かに漂う不穏な気配。 まだ距離があるためか、位置までは正確に掴むことができない。 恐らくヴィレスの出入り口を監視しているのだろう。 「まぁ、普通に考えりゃ帝国の奴らだろうな。てめぇの正体がバレたんじゃねえのか?」 「いや、それはなかろう。儂は帝国軍の者と外交の場で直接会ったことはないからな」 「風貌だけ知ってりゃなんとなくわかるだろうがよ!」 「それは否定できんが、ライオンのガルムというだけでは奴らも動きはせんだろう。その証拠に、今もヴィレスに入る者を確認しておるだけに過ぎん。証拠を掴もうとしておるのだな」 「ただの奴隷のガキ三人にそこまですんのか?」 「奴らは今や大陸中から反感を買っておる。少しでも弱みを見せれば、反乱の火種にも成り兼ねんからな」 「アイツらも必死って事か……仕方ねぇ……」 「何をする気だ?」 「俺が奴らの目を引く。その隙にガキ共を連れて村へ入れ」 「……おぬしが犠牲になって我らを救おうというのか?」 「ヴィレスの奴らじゃねぇ。ガキ共のためだ。それに、てめぇには借りがあるからな……」 「ならぬ!!」 「ひっ……!」 急に吠えるように大声を上げたガレオス。 驚いた子供達も委縮してしまっている。 「何熱くなってやがる?奴らに気付かれるだろうが」 「……す、すまぬ。とにかくだ、そんな真似は許さぬ」 「だったらどうするってんだよ!?」 「夜まで待ち、闇夜に紛れれば……」 「このままここから動かずにか?下手すりゃ奴らに見つかっちまうぞ!水や食料だってねぇんだ!」 「ならば、儂が囮になろう」 「ふざけんな!てめぇがいなくなったら村でのガキ共の暮らしを誰が保証すんだよ!」 「儂の名前を出せば――」 「余所者の俺らが王の名前を出したとこで信用されるかよ」 「む、むぅ……」 一体何だというのだ。 ガルディスが囮になることを名乗り出た途端、明らかにガレオスの様子が変わった。 いつもの冷静さや思慮深さは見る影も無い。 「いいか?ガキ共にとってこれが一番の選択なんだ。『目的のためには常に何が最善で、どうすれば最も高い可能性を得られるかを考えて動く。それは自分を信じてくれる者達に対する義務』これはてめぇの言葉だぜ」 「……儂は……また」 「ガキ共は明るい未来を信じてんだ。てめぇにはそれを叶える義務があるんだろう?」 「……また繰り返すのか?」 「じゃあな、ガキ共!達者で暮らしやがれ!!」 「おじちゃん……」 そう言葉を残し、茂みを単身飛び出したガルディス。 わざと帝国軍の目を引くように、吠えながら街道を駆け抜ける。 「うぉおおおおおおおおおお!!」 「いたぞ!白い虎のガルムだ!!」 「ライオンとガキ達はどうした!?」 「とにかく追うぞ!!」 「へっ!単純で助かるぜ!」 ガルディスの姿を見た途端、それを追いかけるように姿を現した五人の帝国兵士。 「五人だぁ?気配ではもっと多かったはずだ……まだその辺に隠れてやがんのか……くそっ!!」 どうする。 考えれば気付きそうなものだが、この展開は考えていなかった。 このまま敵を倒して、全ての兵士を炙り出すか。 ダメだ。 今の目的は囮に徹する事。 しかし、どうすれば…… 「うぉおおおおおおおお!!」 「ラ、ライオンのガルムが出たぞ!!」 「なんだとぉ!?」 ガルディスとは反対側へ走るようにして姿を晒したガレオス。 慌てた様子で新たに三人の兵士が姿を現した。 「追え!逃がすな!!」 周囲の気配を探る。 どうやら他に伏兵はいないようだ。 「何考えてんだクソじじぃ!!」 「ふっはははは!儂にもおぬしの無鉄砲さがうつったようだ!!」 そのまま大きく円を描くようにして合流した二人。 「ガキ共は!?」 「儂らが去った後、村へ逃げ込むように言い含めた。儂の鬣(たてがみ)とマントの切れ端を持たせてある。それを臣下の者に渡せとな!」 「そんなんで大丈夫なのかよ!?もし信用されなかったら――」 「大丈夫だ!村にもおぬしのような無鉄砲な二人組がおる。あやつらなら儂の意図を察してくれるだろう!」 「何の保証もねぇだろ!」 「なんだ、小僧?おぬしらしくもない」 「俺にもてめぇの堅物さがうつったんだよ!!」 「ふははは!それは良いぞ!!」 暫らく走り続け、ヴィレスから監視の目が完全に外れたことを確信すると、その場で足を止め、帝国兵と向かい合うように武器を構える二人。 「さて、これからのことだが……」 「とりあえずこいつらをぶっ飛ばせばいいんだろうが!!」 「うむ。安心せよ。最後の策は考えておると言ったはずだ」 「今となっちゃそれも信用できねぇ話だ!」 「はぁ……はぁ……貴様ら!もう逃がしはせんぞ!!」 「ガキはどうした!?」 「ガキだぁ?何の事かわかんねぇな」 「まったくだ。誰かと間違えているのではないか?」 「ふざけやがってぇ!コイツらを捕らえろ!!」 ――数刻後 ヴィレスから再び数里離れた街道。 そこに、ゆっくりと歩く二人の後姿があった。 「で、どうするって?」 「おぬし、革命軍とやらの話を聞いたことはあるか?何やら帝国軍と戦うために同志を集い、反撃の隙を伺っている組織との話だ」 「ほぅ……そんな物好きな連中がいるのか」 「恐らく、今回のような子供達はまだ他にもいることだろう。ここまできて、そんな彼らを放っておくわけにもいかんであろう?」 「おいおい……全員助け出そうってのかよ……で、どこにいるんだよ?その革命軍とやらは」 「知らぬ」 「あぁ!?」 「儂も噂程度の話しか聞いておらんでな」 「おい、じじぃ!とうとうボケちまったんじゃねぇだろうな!?」 「はは……儂の跡を継ぐ者がしっかりと成長するまでは、そういうわけにはいかぬな」 「はんっ!どこの馬の骨とも知らねぇやつに奪われてたまるかよ。次の王は俺がなるって決めてんだよ!!」 「ほう……なら、精進せねばならんな」 「そういや、じじぃ。継承戦はどうなってんだよ?」 「いかん。大臣達に任せきりであった……」 「てめぇ……ホントにもうボケてんじゃねぇか!?」 +魔蝶と共に舞いし者アリル 思えばなんと不憫な出生であったことだろうか。 祝福されるはずだった新たなる命。 それは、対となって生まれ落ちるという数奇な運命を背負ったことにより、望まれざるものへと変容することとなる。 風車の街『エムル』は、その日も恵み溢れる温かな風の恩恵を噛み締めていた。 街のいたるところに設置された風車は、喜びを表すように力強く回り、住人達の暮らしを支える。 その風の出処は、街の外れに位置する『魔蝶の森』。 この森に住まうとされ、エムルのシンボルとなっている魔蝶。 魔蝶が大陸中へ送り出すこの風は、万物にその恵みを与えるとされる。 しかし、森に近づくにつれ、風の中に異物が紛れ込んでいることに気付く。 いつも静かな風の音を奏でている森から聞こえてくるのは、小さな二つの産声の他、困窮した様子の声だった。 「ま、まさか……双子とは……!」 「いかがいたしましょう……?」 小さな体を見下ろす面々は、困惑、悲哀、憎悪と、様々な表情を浮かべているが、そのどれもが決して明るいものではなかった。 彼らは、遥か昔より守護の役目を授かりしエルフ。 エムルの民達が守り神と崇める『魔蝶』が住まう森を守護し、平和と秩序を保つために遣わされた一族。 一族の者は皆『護り手』とされ、その中に魔蝶の『守護者』と呼ばれる存在があった。 守護者は代々、己の実子へとその役目を託す、一子相伝の慣わしにより引き継がれてきたもの。 しかし、現守護者である母体から生まれた次代の担い手は、その歴史上、未だ例のない双子であった。 守護者候補が二人になる珍事に、一族の老君達は頭を悩ませる。 そして、それから十数年の月日は流れ、守護者となるべくして生まれた双子の姉妹にとって、最大の試練が間も無く訪れようとしていた…… 「なんということか!未だに、眷属達との意思疎通すらも叶わぬとは……!!」 「申し訳ありません……ドロウス様……」 「…………」 護り手の一族の中で、最も高齢であり、守護者に次ぐ発言力と影響力を持つドロウス。 新たな守護者となるはずの双子の教育にあたる彼は、毎日のように二人に辛辣な言葉を浴びせていた。 「立派に守護者の務めも果たせず、貴様らを生んだ母に申し訳ないとは思わぬのか!?」 「いずれ……いずれ、必ずや守護者の御力を賜れるよう邁進して参ります!」 守護者は、他の護り手とは異なる特別な力を有する。 それは、同じく魔蝶の眷属である蝶達と意思を通わせ、力を借りることにより、強大な力を行使することができるというもの。 通例ならば、先代の力を受け継いで生まれる子は、自意識が芽生えると同時にある程度の素質が見て取れるものだが、齢十四となる双子の姉妹は、依然としてその素質を見出すことができずにいる。 「やはり双子などという悲運な生まれでは、御力を授かることはできなかったということか……!」 「そのようなことは……必ず!必ずや――」 「黙れぃ!もうよいわ!一体、これまでに何度この問答をしてきたことか!!さっさと出て行けぃ!!」 「はい……失礼します」 「失礼します……」 項垂れながら、ドロウスの部屋を後にする姉妹。 今日もまた叱り飛ばされ、自室へとトボトボと帰っていく。 「アリル……」 「大丈夫よ、ルリア!!私がなんとかしてみせるからっ!!」 姉のアリル。 少々自由奔放すぎるところがあるも、活発で明るく、社交性に優れた少女。 その人柄の良さは折り紙付きで、一族の子供達によく慕われ、中には「お姉ちゃん」と呼ぶ子すらもいるほどだ。 「ドロウス様ってば、もう少し大目にみてくれてもいいのねー!」 「あの方は……一番、一族の誇りを重んじてる人だから……」 妹のルリア。 姉と比べ、物静かで内気ながらも、虫や植物をも友人同様に想いやる優しさを持つ。 また、文武両者において、その資質は歴代守護者の中でも一二を争うと目されるほどの天才でもある。 「それはすっごく伝わってくるけどねー……でも、さすがにこう毎日毎日だと疲れちゃうよ」 「それに関しては……同意……」 一見したところよくできた娘達に思えるが、やはりその立場において、最も必要なモノは守護者たる資質に他ならない。 技術ではなく、血の結びつきがもたらす異能ともいえるそれは、努力だけで開花させられるほど生易しいものではなかった。 むしろ、努力の必要なくとも自然と芽吹いていくはずの力。 だが、二人にその兆候は全く見られず、そんな姉妹に対する周囲からの扱いは、当然良いものであるはずもない。 上辺では優しく接しているように見えても、軽蔑の目、陰口、そんな蔑みを常に浴び続ける日々。 ドロウスのように、直接言葉にしてもらった方が幾分マシとさえ感じられる。 遊び友達であった同世代の子達は、親に叱られると徐々に双子の姉妹から離れていき、遂には両親さえも心労から体を壊す始末。 もはや、二人にとって心安らぐ場など、集落の中には存在しないとさえ言えた。 「アリル……大丈夫……?」 「うん!ルリアは心配しなくてもいいの!!」 「いつもゴメン……私のせいで……」 「だから気にしなくていいんだってば!同じ使命を背負った、たった一人の妹だもん!絶対に守ってあげるから!」 「うん……ありがとう……」 自室の隅に並んで座り、肩を抱き合いながら目を閉じる。 励まし合う言葉と、お互いの体温が心にしみる。 いつからか、こうして耐えることを覚え、唯一の心の支えとなりつつあった。 しかし、この時すでに、アリルの精神的な負担は限界を超えようというところまで進行していた…… 「やはりダメか……このまま守護者の名が貴様らの代で潰えでもしてみよ!?ご先祖様方へなんと報告すればよいのじゃ!?」 今日も繰り返されるドロウスからの叱責。 最近、ますますその怒声が激しくなっているような気がする。 「貴様らも間もなく十五を迎えるが……これは人間が成人と認められる年齢だ!にもかかわらず、貴様らときたら!これっぽっちも成長せん、赤子以下じゃ!!」 「お待ちください!他種族のことは私達には――」 「黙れいっ!誇りある守護者がこの有様……。エムルの民の目にどう映ることか……くぅううう!!」 姉アリルに比べ、気弱なルリア。 そんな妹を姉として守ろうと、率先して矢面に立ってきたアリルは、守護者候補という同じ立場にありながら、妹に比べてより大きく苦しい負担を背負ってきた。 「ですから――」 (なにそれ……体裁がそんなに大事なの……?) 「一族の恥さらしめが!わしらの顔にまで泥を塗りよって!!」 「そんな……私達は……」 (私達だって……好きで守護者の娘に生まれたわけじゃ……) 「えぇい!ルリア!!貴様は話を聞いているのか!!」 「は、はい!ごめんなさい……」 「……ルリア」 (ダメだ……妹は、私が守らないと……) 「アリル……?」 「……あの……その…………」 (助けないと……私が……) 「ド、ドロウス様。もう……今日のところは……どうか……」 「なにを――ぬ!?ぬぅ…………」 ルリアの怯えた目にたっぷりと浮かんだ涙。 それを見て、さすがに気が引けたのか、ドロウスは姉妹に部屋を下がるよう言い渡した。 「アリル……大丈夫……?」 「うん……平気だよ……」 「アリル……」 自室に戻ると、何を言われるまでも無く、部屋の隅へとチョコンと座るルリア。 そして、ポツリと一言。 「もう……私に構わないでいいから……」 「え?」 (……どういう意味?) 「もう……守ってくれなくていいから……」 「それって……どういう……」 (諦めたってこと?守護者のことも、母さんたちの期待も……?) 「…………」 部屋の入口で、立ち尽くすアリル。 ルリアは姉の姿を見ようとはせず、膝を抱えたまま俯いている。 「なんでよ!?ルリア!」 (ダメ……!) 「え、私……」 「またそうやって!私だって苦しいのに!!私だって!!!!」 (言っちゃダメだ……!) 「ご、ごめん……もう……大丈夫だから……」 「こんなに苦しいなら守護者なんてもうどうでもいい!私も何にも考えずにいられたらどんなに楽か!!」 (あぁ……止められない……!) 「うん……」 「双子なんかに生まれたくなかったよ!ルリアのバカぁ!もう知らないから!!」 思ったとしても、決して口にはしてこなかった言葉。 積み上げられてきた重圧に押しつぶされ、とうとうあげられた悲鳴。 「…………」 「え!?」 静まり返った部屋で我に返ったアリルの目には、予想だにしていなかった妹の笑顔。 きっと泣くだろうと思っていた。 しかし、予想に反した優しい笑顔。 まるで、何かを見透かされたような、そんな気がした。 「私……ご、ごめん……!!」 居た堪れなくなった彼女は、その場を逃げ出した。 一人、部屋を飛び出し、行く当てのない散歩にふけるアリル。 夜空に浮かぶ星を眺めながら、森を流れる風を感じる。 「どうしよう……」 風の涼やかさが、熱くなった彼女の頭を冷やしていく。 とてつもなく重い運命を背負いながら生きてきた二人。 自分と同じ境遇のたった一人の姉妹。 唯一の心の拠り所。 勝手に余裕がなくなって……勝手に怒鳴って…… 「いいわけない!ルリア……!!」 謝罪の言葉など後で考えればいい。 今はとにかく、妹のいる部屋へと走る。 「ルリア!?その……ゴメン!っ……!?」 部屋を出てからそう時間は経っていないはず。 しかし、ルリアがいたはずの場所にその姿はない。 こんな夜更けに用事があるわけもない。 「ルリア!?」 再び部屋を飛び出したアリル。 今まで唯一の味方だと思っていたはずの私が、裏切るような事を言ったのだ。 悪い想像が頭の中を駆け巡る。 「ルリア!?どこなの!?!?」 心当たりのある場所を片っ端から探して回るが、妹の姿は無い。 「まさか……森の中へ……?」 ただでさえ木々が生い茂る森の中。 夜という闇が視界を奪えば、たった一人の人間を見つけ出すことは極めて難しいだろう。 ――もしかして、二度と会えない…… 想像は更に悪い方向にエスカレートし、ルリアの思考は絶望の淵へと追いやられていく。 「お願い……帰ってきて……ルリア…………!」 その時だった。 「……え?」 何かが聞こえる。 小さすぎて全てを聞き取ることはできなかったが、確かに声が。 ――コッチダヨ 「……森の方から?」 魔蝶の森の中から囁くように、微かに聞こえてくる声。 「ルリア?ルリアなの!?」 声の元へと駆け寄るようにして、森の奥へと踏み入っていく。 ――アリル、コッチ、コッチ 「も、もしかして……!」 森の奥に広がっていたのは輝く蝶達。 魔蝶の眷属である彼らの真の姿を初めて目にした彼女。 先代の守護者である母から聞いた話では、力を持つ者には、眷属である蝶の姿が輝いて見え、意思と言葉を交わすことができるという。 「私……守護者の力が……」 無能の烙印を押されていたはずの自分の目に映る現実。 守護者の力の発現は、技術的なものではなく、遺伝による資質でのみ開花するという。 ということは、やはり自分には守護者たる資格が備わっているということ。 しかし、なぜ今になって力が目覚めたのだろうか。 ――アリル、コッチダヨ 点々と浮かぶ蝶の輝きは、道標のように森の奥へと続いている。 「そっちにルリアがいるのね!?」 考えている暇など無い。 今はただ愛する妹を見つけることだけに集中しなければ。 ――コッチ、コッチ、コッチ 導かれながら、森のさらに奥へと突き進むことおおよそ半刻。 とある巨木の根元に、数匹の眷属が集まっているのが見えた。 「ルリア!?いるの!?!?」 「え……?アリル!?」 声に反応し、根元の影から妹ルリアが姿を現す。 「ルリアーーーー!!」 駆けた足を止めず、そのまま妹へと飛び付くアリル。 力いっぱいその体を抱きしめ、最悪の事態を回避できたことを喜ぶ。 「なんで……ここが……?」 「そう!聞いてよ、ルリア!実は――」 そこまで口にして、ふと気が付く。 今まで見えていた蝶の輝きが消えている。 まだ守護者としての力がうまく扱えてないということだろう。 しかし、守護者の資質が自分にあることはわかったが、妹はまだ力に目覚めていない。 もし、もしも自分だけが力に目覚めたと一族の者達が知れば、自分は『守護者』と認められるだろう。 だが、そうなった時、ルリアは一体どうなるのだろうか…… 「もうここしかないと思って、とにかく森の中をずっと駆け回ってたの。そしたら、ここに蝶が集まってるのが見えたから、もしかしたらと思って!」 今はまだダメ。 事実はまだ秘密にしなければ。 「会えて良かったよぉ……ルリア……ゴメンね!あんなこと言ってゴメンねぇ……!」 「私も勝手なことして……ゴメン……もう……逃げないから……」 「うん……!これからも一緒に頑張ろう!私も頑張るから!」 「うん……もう……アリルだけに無理させないから……」 「見つけられて本当に良かった……!もう二度と会えないかと思ったよぉ……」 「本当にごめん……もう絶対にこんなことしないから……」 「約束だからね!こんなとこで一体何してたのよ!これからどうするつもりだったの!?」 「あ……えっと……か、考えてなかった……」 「もう!本当に馬鹿なんだから!私より勉強はできる癖に!」 「それは、考えなしに森を走り回るアリルも同類……」 「う……ま、まあね!あはははは!」 「ふふ……」 「そうだ!ルリア!!私と一緒に修行しない!?」 「修行……?」 「うん!今まではさ、お母さんやドロウス様の言いつけで、いろんな訓練はしてたけど、やっぱり守護者の力に目覚めなかった。だから、今度は自分達でいろいろ考えながら修行してみない?」 「……うん。それ……すごく良い……」 思ったよりすんなりと受け入れてくれた。 守護者の力が発現したのはまだ自分だけだとしても、双子のルリアなら、同じように資質をもっているはず。 それを絶対に目覚めさせて、二人で一緒に守護者になる。 確信なんてあるはずもない。 それでも、初めて掴んだ希望を決して無駄にはしたくない。 「明日から早速始めるからね!」 「わかった……頑張ろ、アリル」 その翌日から開始された、守護者となるための修行。 「アリル……起きてる?」 「もちろん……行こっか……」 一族の者の目に触れると、また無駄な事をと蔑まれるかもしれない。 そのため、修行は皆が寝静まった夜更けに行われた。 二人揃って、守護者たる資格を示せるようになってから皆には打ち明けるという約束。 今日も二人は森の中に作った修行場へと忍んで向かう。 しかし、この修業は難航する。 一度、魔蝶の眷属とのリンクを経験したアリルだが、再び力を行使することはできず、ルリアにもその気配は感じられない。 あの時のことは、偶発的に起こった奇跡のようなものだったのだろうか。 「ルリア。そろそろ行くよ!」 「うん……今日も頑張ろう……!」 二人は小さな手掛かりさえ掴めなかったが、それでも懸命に修行に明け暮れた。 修行を開始して一週間が経とうとしていた頃。 姉妹が抜け出した後の集落で、事態が動こうとしていた。 「ドロウス様。二人は今日も森の中へと向かいました」 「うむ……調べはついておるのか?」 「はい。やはりドロウス様の睨んだ通り、守護者としての力を発現させるべく、何やら修練を積んでいる模様です」 「そうか……」 「これで結果が出れば良いのですが……」 「んん?あぁ……そうじゃな…………」 二人の動向を知ったドロウス。 その時、彼は姉妹に憤ることなく、眉をしかめたまま夜空を眺めていた。 ――翌日 前夜にそんなことがあったことは露程も知らぬ二人。 日没、ドロウスからの指導が終わり、今日も修行に備えて、早めに床に就こうとしていた姉妹の元に、一人の男が訪ねてきた。 「アリル。ドロウス様が、お部屋まで来るようにとのことだ」 「え?私一人ですか?」 「ああ。急げよ……」 めんどくさいと言わんばかりの表情で、用件だけ伝えた男は、足早に姉妹の部屋を後にする。 「アリル……」 「何の話かわからないけど、たぶん大丈夫よ!もし遅くなっちゃったら、先に行ってて!」 「うん……わかった……」 心配そうな表情を浮かべるルリアを落ち着かせ、ドロウスの部屋まで向かうアリル。 心当たりといえば、やはり修行の件だろうか。 どこで感付かれたのかはわからないが、それ自体は悪い事ではないはずだ。 彼女は、何を言われても堂々と話を聞こうと意気込んだ後、部屋のドアをノックした。 「アリルです。遣いの者から、お呼びとの知らせを受けて参りました」 「うむ。入れ……」 「はい。失礼します」 少し緊張しながら、静かに入口の扉を開くと、立派な椅子に座ったまま窓の外を眺めるドロウスの姿があった。 「すまんな。こんな時間に呼びつけてしまって……」 「いえ。お気になさらずに……」 毎日、自分達を叱りつけてきた相手とは思えぬ優しさの感じられる声。 そういえば、今日はいつもと違い、指導中も怒りを露わにすることがなかったような…… 「お前たち……近頃、森の奥で隠れて修行の真似事をしておるようじゃな……」 「……はい!」 予想した通り、やはり修行の件。 しかし、ルリアは強い意志で堂々とそれを肯定する。 「む?慌てふためくかと思っておったが、なかなかどうして……良い顔になったではないか」 「…………」 ここで初めて、背にしていたままのドロウスが顔をこちらに向けた。 その顔は、いつになく穏やかだ。 守護者となる為に、人目を盗んでまで鍛錬に励んでいる姿勢を認めているのだろうか。 「まあよい。無駄な詮索はせぬ。本題から話すとしようか……」 「……本題、ですか?」 修行の件が本題でないとすると、それ以上の何かがあるということ。 必死に思考を巡らせるが、見当も付かない。 「お前たちの『守護者』としての力を確実に覚醒させられる方法がある……」 「え!?」 思いもしていなかった言葉に、装っていた無表情は崩れ去る。 「これは本来、守護者がその力を高めるために用いられる手段なのじゃが……恐らく、力に目覚めていない者でも、守護者の血を引いた者であれば、力を強制的に呼び覚ますことも可能じゃろう……」 「そんな方法、聞いたことも……」 「秘法とされるものじゃ。これを知る者は、一族の中でもわしを含めて、数人しかおらぬ。それに、実際に言い伝えは聞いているが、試した事もない……」 「…………」 ただ聞き入っていた。 その秘法とは、魔蝶の力を最大まで吸収した、ある木の実を口にすること。 魔蝶の力が最も高まる『真紫月(しんしづき)』の夜、その鱗粉を乗せた風は、ありとあらゆる生命に奇跡の恵みをもたらす。 とある木の実には、眠った守護者の力を強く引き出す恩恵が宿るという。 確かにそれが事実なら、妹の守護者の力を呼び覚ますことができるかもしれない。 「熟した実のみが授かる恩恵じゃ。木の寿命や、実の熟成時期も考えれば、数十年に一度の好機ともいえるじゃろう」 「真紫月……そういえば……今夜は……!」 「そう。今夜は、その好機となる晩。今宵、条件を満たしそうな実を発見したとの報告を受けておる」 思わぬところから転がってきた幸運。 しかし、一つの疑問が残る。 「なぜ……私にその話を?ルリアを同席させなかったことと関係があるのでしょうか?」 「……うむ。実はな……この方法が使えるのは、一度の機会につき一人と限られておるのだ」 「な、なぜです!?」 「条件を満たした木の実は一つしか実らぬからじゃ……。当然、奇跡のような偶然が重なれば、二つ、三つと叶う機会はあるかもしれぬが……今回、発見できた実は一つだけじゃからの」 「それで……その一人に私をご指名してくださると?」 「ふっふっふ……信用できぬか?これまでの仕打ちを考えれば当然の事じゃろう」 「い、いえ……そのようなことは……」 「じゃがな!わしとて一族の者としての誇りがある!護り手の一人として、立派な守護者を排出することは何よりも大切な使命じゃ!故に、これまでのお前たちに対することを謝罪はせぬ!!」 「仰る通りです……」 これに関してはぐうの音も出なかった。 自分たち姉妹が、守護者としての使命を果たすために修行しているのと同様に、この人にもまた違う使命がある。 厳しく指導され続けたことについて、内心では憤りを覚えることもあったが、怒りこそあれ、恨みはしなかった。 「それにのぉ……いつの間にか、わしもここでは最も老いぼれの身となってしまった……次の世代を繋ぐ守護者の姿を、しかとこの目に焼き付けてから逝きたい……」 「そのようなこと……!」 「これはわしにとっては、いや、お前にとっても酷な選択じゃ。実を口にし、守護者となった片割れは良し。なれなかった片割れは、一生日の目を見ない人生を送る事となるやもしれぬ。それでも……それでもこの秘法を伝えたわしの気持ちを……どうか汲んではもらえぬだろうか……!」 「ドロウス様……」 「辞退するも自由じゃ。なれば、ルリアにも同じ話をしよう。じゃが、まず姉のお前にだけ話したのは、二人揃ってこれを聞かせることがあまりにも残酷である事。そして、自分の身を盾とし、妹を庇い続けたお前の労に対する温情じゃと思えば良い」 「……もう少し、詳しくお話をお聞かせくださいますか?」 「よかろう……」 結果、アリルはドロウスの話を信じ、実を手に入れることを決心した。 話を聞き終えて自室へと戻ると、気配を感じたのか、ルリアが目を覚ました。 「おかえりなさい……何のお話だった……?」 「ただいま。うん……実は、最近修行してることがバレちゃってたみたいなの」 「また……怒られた……?」 「ううん。むしろ褒めてくれたよ!そのうちホントに守護者の力が目覚めるかもって!でも、夜中に森の奥まで行くのは危ないからって注意されちゃった。しばらく修行はやめておいた方がいいかも」 「そっか……じゃあ今日の修行は無し……?」 「そうだね。明日、また新しい修行方法を考えよ!」 「うん……わかった」 「じゃあ、今日のところは寝ようか。久しぶりにゆっくり寝られるね!」 「いつもぎりぎりまでお寝坊してるくせに……」 「あはは!じゃあ、おやすみ!」 「おやすみなさい……」 ――数時間後 二人が眠りについたはずの部屋から、ゆっくりと抜け出す一つの人影。 影が部屋を出た途端、真紫月の薄気味悪い紫色の明かりがその正体を照らし出す。 「……ゴメンね。ルリア」 愛する妹に対し、またしても事実を伝えず、一人で実を取りにいくことに決めていた。 忍び込むように森の奥へと踏み入ると、真っ直ぐにドロウスから聞かされた場所を目指す。 木の実は一つしか実らない。 その話を聞いた時、アリルは一人で実を手に入れ、それをルリアに食べさせることを真っ先に考えた。 恐らくルリアがこの話を知れば、実をアリルに食べさせようとして譲らないだろう。 彼女の優しい性格を考えれば、簡単にその光景が目に浮かぶ。 しかし、アリルが既に守護者に目覚めつつあることをルリアは知らず、実を食べることで妹にもその力が発現すれば、姉妹揃って守護者になるという目標へ大きく近づくことができる。 気付かれずに食べさせること自体は簡単だ。 昼食にでも混ぜてしまえば違和感を与えることも無い。 残る課題は、実を見つけることだけ…… 「さて、ど・こ・か・な~?」 ドロウスの話によると、木の群生地はこの辺り。 早速、周囲の木を手当たり次第に調べていく。 「こいつは……まだ小さい。こいつは……熟れすぎて腐っちゃってる……」 ――ガサッ 「ん?」 背後の茂みが揺れた。 夜行性の魔物だろうか。 彼女は音の正体を確かめるため、月明かりを頼りに目を凝らす。 「な……!?」 真っ直ぐこちらへ飛んでくる矢を目が捉える。 寸でのところでなんとか盾で防ぐが、バランスを崩し木の下へと転がり落ちてしまうアリル。 「よく受けたな、お嬢さん」 「油断しすぎだ……殺気が漏れているぞ」 それをきっかけに周囲から続々と姿を現す男達。 目立たないよう、偽装を施したクロークで身を覆い、手にはボウガンやナイフが握られている。 一族の者とも、エムルの人間とも違う……? 「なんだお前たち!?」 「自己紹介はしない主義だ……。悪いが、死んでもらう」 リーダー格と思わしき男の言葉。 それをきっかけに、周囲の男達が武器を構え直す。 「この森で悪事を働くヤツは私が討つ!」 魔蝶の森の護り手として、戦闘修練も多分に積んできたアリル。 とはいえ、守護者の力を抜きにしても、戦士として未熟と言わざるを得ない。 相手取る人数を考えれば、その戦力差は明白だが…… 「はぁっ!!」 「おっと!?これは、なかなか……!」 敵は全部で四人。 とにかく敵の数を減らすしかない。 周囲を目線で牽制しつつ、ボウガンを持つ男に槍を向けるが、ひらりと後ろに躱されてしまう。 「なんだコイツら……うわっ!?このっ!!」 背後の死角からナイフで突かれるも、それを盾でいなし、返す勢いで槍を突き立てる。 「ほう……良い勘をしているな!」 しかしアリルの攻撃は当たらない。 決して深くは踏み込んで来ようとはせず、どうやら時間を掛けて徐々に追い込むつもりのようだ。 こちらから仕掛けようにも、こうも消極的な動きを取られてしまうと、なかなか決定打を与えることができない。 「卑怯者っ!正々堂々と戦え!!」 「我々は別に決闘がしたいわけではないのでな」 「ただ、標的を狩る事だけに専念するさ……」 襲う瞬間にだけ微かに発せられる殺気。 素早く動きつつも、獲物を決して逃がさぬよう包囲し続ける精錬された動き。 誰にでも出来る芸当ではない。 「だいぶ疲れてきたか?そろそろ終わりだな」 「くっ!」 包囲網を破ろうと無理に動こうとすれば、行く手を阻むように飛んでくる矢。 次々と襲い掛かるナイフは、アリルを徐々に追い詰める。 諦めず抵抗し続ける彼女だが、休む隙など与えてもらえるはずも無く、その身体は疲弊し、消耗していく。 「はぁ……はぁ…………!!」 「予定よりも手こずったな……あの世で誇るといいぞ、娘」 巨木を背に、ついに逃げ場を失ったアリル。 ボウガンの矢の切っ先が彼女の胸元に狙いを定める。 「くそっ……!」 (ゴメンね……ルリア。あなたを一人にしちゃうけど、ずっとずっと見守ってるから。負けずに頑張るんだよ!!) 死を覚悟し、目を閉じると浮かぶのは妹の顔。 妹に何も残してやれないことを悔やみながらも、彼女の将来に幸あらんと切に願う。 「祈りは済んだか?では、さらばだ……」 ボウガンのトリガーにかけられた指に力が込められ、放たれた矢がアリルの胸元に走る。 ――アリル!! 目を閉じた視界に広がる闇の中。 そこに突如として浮かびあがった光。 それは妹の形を成したと思いきや、自分の名を呼びながらこちらに手を差し伸べた。 「ルリア!?」 とっさにその手を掴んだアリル。 「なんだ……これは!?」 アリルが静かに目を開くと、世界に溢れる光の瞬き。 自分の胸に突き刺さるはずだった矢は、蝶達が包み込むようにして受け止めてくれている。 周囲にヒラヒラと舞う無数の眷属達。 まるで異世界を思わせるその光景の一端を目撃した男達は、状況が理解できずに呆気に取られている。 ――アリル……私達…… うん。わかるよ―― 至る覚醒の時。 言葉を介さずとも、想うだけで流れ込んでくる様々な声と意思。 ルリアが何を想うのか、魔蝶が何を望むのか、眷属達を通して全てを理解した。 「森を穢す者達よ……『守護者』の名において命ず。直ちにここより立ち去り、二度とこの地に足を踏み入れぬと誓え……」 「こんな情報は……おのれ……!!」 一瞬、怯んだように見えたが、すぐに気迫で立て直し、こちらに武器を向ける男達。 「愚かな……」 アリルに降りかかる無数の攻撃。 しかし、先ほどまで受け流す事が精一杯だった矢やナイフが遅く見える。 隙なんてないと思っていた動きに穴が見える。 これなら、勝てる。 「何だ!?くそっ!どうなってやがる!!」 それでもなお、退こうとはしない男達に対し、守護者は裁きの鉄槌をかざす。 ――二つを一つに…… ――我ら、魔蝶を守護する番(つがい)の風。森を汚せし蛮族を、粛正する 二人の口上に呼応し、アリルの槍は風を纏い、その存在を高めていく。 それを見た途端、リーダーの男が号令を発す。 「これは……ちっ、引くぞ!!」 決して背を向けず、警戒を厳にしたまま、号令に従い後退していく男達。 「覚えておけ……我ら番の守護者がいる限り、エムルに吹く穏やかな風は決して止むことは無い……」 逃げ去っていく男達の群れめがけ、放たれた絶槍。 その凄まじい威力の前に、男達は一瞬のうちに霧散した。 「おのれぇええええええ……――」 再び夜の静寂を取り戻した森の中。 なんとか力を鎮め、ぺたんとその場に腰を落としたままアリルは動けずにいた。 「……や、やった」 「アリルぅうう!」 「うわぁ!?ル、ルリア!!」 呆けていたところに、突然背後から抱きつかれたアリル。 その正体が愛する妹であることを知ると、自然と涙があふれてきた。 「ルリアぁああ!恐かったよぉおおおお!!」 「アリル……無事で良かった!本当に良かった……!!」 その場で抱き合いながら泣き崩れる姉妹。 ふと気が付くと、二人を心配するようにして魔蝶の眷属達が周りに集まってきた。 ――ルリア、アリル、ナイテル ――イタイ?ヘーキ? 頭の中に響いてくるのは、いつか聞いたあの声。 「うん!平気だよ。やっぱり眷属さん達だったんだね!」 「また、お話しできた……助けてくれてありがとう。眷属さん」 ルリアのその一言に引っかかった。 「また?」 「あ……うん。実はね――」 姉妹は手を繋ぎながら集落へと帰った。 二人はその間、今まであった事を洗いざらい話し、真実を知ることとなる。 「え!?ルリアも眷属さんとお話したことがあるの!?」 「うん……その時は言えなかったけど……」 ルリアも同じだった…… 自分がそうしたように、ルリアも私の事を考えて言えなかったのだろう。 お互いが、お互いの為を想って、口にしなかった真実。 「そっか。私も……同じ。あーあ……最初から全部話してれば、こんなことにならなかったかもしれないのに」 自分の頭をポコポコと叩くアリル。 「でも、そしたら『守護者』にはなれなかったかも……」 ルリアは後悔をしていない。 むしろ、今を喜んでいるようにすら見える。 「そうかもね……あはは」 ルリアは微笑んでいる。 そう、私達は二人で一つ。 「私、今回のことで気が付いたんだけどさ……たぶん守護者になるためのきっかけって、誰かを強く想うことなんじゃないかなって」 「私たちが同時にお互いのことを想ったから?」 「そう。お母さんが昔、言ってたんだ。護りたいものを強く愛する人になりなさいって」 「あ……私も覚えてる……」 「その時はよくわかんなかったけど、今ならわかる気がするよ」 「うん……」 心の中がスッキリしたような気がする。 「じゃあ、行くよ」 ルリアは頷く。 「ドロウス様のところ……」 「いろいろ聞かなきゃいけないことがあるからね」 夜が明ける頃、集落へと帰り着いた二人は、真っ直ぐにドロウスの部屋へと向かう。 部屋の入口の番をしている男がいたが、何やらルリアの顔を見て怯えている様子だった。 「ドロウス様。お話があります……」 「な!?き、貴様ら……!?」 ノックもせずに部屋へと入り、相変わらず椅子で踏ん反り返っているドロウスに声をかけると、目の前の光景を信じることができない様子。 「あの話は、私を罠にかけるための策謀だったとルリアから聞きました」 「ドロウス様……今一度、どのようなお考えあっての行動だったのか、どうかお聞かせください……」 「ま、待て!貴様ら……二人で……たった二人で、あの者達を退けたのか!?」 「あなたが差し向けた刺客でしたら、眷属の力を借り、撃退しました」 「眷属の力だと!?馬鹿なことを言うでない!守護者でもないお前たちに、そんなことできるわけがなかろう!!」 「信じられませんか……?」 姉妹は静かに顔を見合わせると、そのまま目を閉じ、再び守護者の力を発現させる。 「こ……これは……!?」 ドロウスの眼前に広がる眷属の煌き。 瑠璃色になった瞳は、守護者の証そのもの。 そして、彼女達が放つ蝶の加護の力は、歴代の守護者をも遥かに超える圧倒的なものだった。 「……そんな…………まさか…………」 『我らを魔蝶の守護者と認めよ……』 意識がシンクロした二人。 そこから出る言葉はまさしく魔蝶の意志である。 こうしてドロウスは罪を償う為に、その余生を使う事となった。 自分たち姉妹に守護者を継ぐ資格はないとし、存在を消すことで新たな有資格者を立てようとしたことを自ら一族に告白。 その行為が如何に愚かな過ちであったことを悔い、許しを乞うていた。 『私達は……あなたを恨んでいません……』 「な、何故じゃ……?わしはお前たちを殺そうと……」 『それは許しがたい事。しかし、今回の件で守護者として私達が目覚めたのもまた事実です。ですから……これからも私達と、この集落をお願いします……』 「…………あぁ……勿論だとも……!この命枯れ果てるまで、お仕え致しますぞ!」 守護者としての力を示すことで、ドロウスに認められたアリルとルリア。 後日、彼は一族の者たちを集め、正式に姉妹を守護者と定めることを決定。 守護者が単独ではないという、初めての試みだったため、最初は戸惑いを隠せずにいた皆だが、ドロウスによる懸命な説得により、最終的には全員が首を縦に振ってくれた。 こうして二人は、名実共に新たな『守護者』となったのである。 さらに数日後、守護者として、二人が最初の務めを授かる日が訪れた。 「うわぁ……!」 「アリル……挨拶……」 「え?あぁ!そうだね!え、えっと……お初にお目にかかります。魔蝶様」 「この度、守護者のお役目を賜りました……ルリアと申します」 「アリルと申します」 新たな守護者として、魔蝶にお目通りする通例の儀。 森の奥深くにひっそりとそびえ立つ大樹に、魔蝶の住処は存在した。 魔蝶の眷属である蝶とは日頃会話することにも慣れ始めていた彼女たちだったが、彼らの主たる魔蝶。 その神々しくも雄々しき姿に息を呑む。 巨大な帆船を彷彿とさせる巨大な羽。 高名な画家が手掛けたような美しい模様。 あまりに幻想的な景色に、ついつい口が半開きになっていた。 ――新たなる守護者の子らよ。そう臆することはありません。此度の件、さぞや大変だったことでしょう。 片言のような眷属の蝶の言葉とは違い、ハッキリと、そして深く頭に響き渡る声。 「め、滅相もありません!」 ――我が眷属達の目を通し、全てを見ていました。只今、この時より、そなたらもまた我が眷属として迎えましょう。 「光栄の至りです……」 ――アリル、そしてルリアよ。我が盾であり、眷属であり、盟友であり、そして子である娘達よ。此処に最初の命を授けます。 「「はっ!」」 ――眷属らと共に世界を巡りながら、所縁ある地を繋ぎ、我らが領域を築きなさい。 「……領域?」 ――我らは遠く離れた地においても、眷属同士で意思を交わし、その地の事柄を知ることができます。 「あちこちの森に眷属さんを連れて行って、それを結びつけることで、警戒網を作る……」 「おぉ!そういうことか!!ルリア、やっぱり頭いいね……!」 ――不穏な輩を事前に察知することで、今回のような悲劇も未然に防ぐことができることでしょう。 「でも、私たち……森の外の事は何も知らない……」 「エムルにすら行ったことないもんね……」 ――これはそなたらが成長するための試練でもあるのです。世界を知り、見聞を深め、守護者としても、人としても立派になって帰ることを願っています。 「世界かぁ……」 ――さあ、行きなさい。その旅路に幸運あらんことを。恵みの風はどこまでもそなたらの姿を見守っています。 「「はい!」」 「行くよ、ルリア!」 「うん。アリル……!」 微かな不安を感じつつも、それ以上の期待に胸を膨らませる姉妹は駆け出した。 森から吹く風に背中を押されながら、その境界線を越え、新たな旅への第一歩を今踏み出す……
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+幻影の燈火ララノア 「そっちへ行ったぞ!追え!!」 夜蛍の都ミールの郊外にある森の中に帝国兵の声が響く。 人里から離れ、滅多に人が立ち入る事のない黒の森と呼ばれる森の隅にわざわざ足を運んだ理由は、ミールの村人から聞いた噂話にあった。 『森の中には、人に幻影を見せる魔物が住んでいる』 帝国の支配下に置いたミールの村だったが、村人達は帝国に不信感を持っているようだった。 村人の信頼を得る為にその魔物を討伐してきてやると小隊を率いて森の中に入ったは良いが、目的の魔物の情報は少なく、薄暗い森をただ進む事しかできない。 そんな中で見つけた一軒の山小屋。 煙突からは煙が出ており、どうやら人が生活しているようだ。 しかし、この森は地元の人間でも近付く事のない危険な森だという。 そんな森に建造物があり、ましてや人が住んでいるとなると、何か怪しい空気を感じずにはいられない。 一つ喉を鳴らしてから、ドアをノックする。 「すまない。中に誰かいるか?」 数秒後、ドアが開き出てきたのは、小さな少女だった。 「子ども……?」 「おじさんたちはだれ……?何の用……?」 まだ4,5歳と見られる少女は不安そうに見上げている。 「我々は帝国の者だ。この辺りにいると噂の“幻影の魔物”の討伐にきた。何か知っているか?」 少女の顔が曇る。 すると後ろから少女の母親らしき女性が顔を出した。 「ララノア!どいて!!」 少女がドアの前から姿を消したかと思うと、女性は手に持った鍋を投げ付けてきた。 「うおぉあ!!」 とっさにドアを閉めて飛び退いた帝国兵。 ドアに鍋がぶつかる音がしたかと思うと、下の隙間から湯気を出したスープのようなものが流れてくる。 直撃していたら大火傷を負っていただろう。 「なんだってんだ!!」 ドアノブに手を掛けるが、内側から鍵を掛けられたのかドアは開かない。 「くそっ……!お前ら!ドアをぶち破れ!!」 帝国兵は数人でドアに肩をぶつけて激しい音を立てた。 ミシミシと軋むドアは次の一撃で大きな音を立てて壊れ、帝国兵は山小屋の中に雪崩れ込む。 家の中に土足で踏み入るが人影はない。 「帝国を敵に回したくなければ出てこい!!」 聞き耳を立てるが、返事も物音もなく、家の中は静まり返っている。 「隊長!裏口がありました!ここから逃げたと思われます!」 「子どもを連れた女の足だ。そう遠くには行けないだろう」 隊長の命令を受けて、部下達は森の中を捜索する。 薄暗い森の中といえど、2人の足跡を見つけるのはそう難しい事ではなかった。 「いたぞ!あそこだ!!」 十数分後、女性と少女の背中を見つけた兵士は指を指す。 少女の手を引いて必死に走る女性だったが、男達の足に追いつかれるのは時間の問題だった。 「さぁ、鬼ごっこは終わりだ。知ってる事を話して貰おうか」 女性と少女を囲んだ小隊は、剣を突きつける。 明らかに何かを隠している2人に手荒な真似はする気はないが、抵抗するのであればやむを得ない。 「……」 少女を抱えて沈黙を守る女性。 「そんなに話したくないなら、仕方ねぇな!」 そう言うと、隊長は女性を取り押さえて少女をその腕から取り上げる。 「やめてっ!!!」 少女を抱きかかえた帝国兵に手を伸ばす女性に剣を向けた。 「俺達だって話してくれたら危害を加えるつもりはねぇんだ。幻影の魔物の事を何か知っているのだろう?」 「……」 女性は隊長を睨みつけている。 次の瞬間だった。 女性は少女を抱えた隊長に体当たりをして押し倒す。 「何をっ!!」 隊長の手から少女を取り上げると地面に少女を下ろし、隊長の手から離れた剣を拾った。 「ララノア……あなただけでも逃げて……」 女性は手を震わせながら剣を構える。 少女はどうしていいのか分らないのだろうか、おどおどとしている。 「早く!!」 女性の言葉を聞くと、少女は目に涙を浮かべている。 「この女!!ふざけやがって!!」 立ち上がった隊長は、女性を思いっきり殴りつけた。 「きゃぁああ!!」 「調子に乗りやがって!帝国を敵に回すとどうなるか教えてやろうじゃねぇか!」 女性の肩口から胸にかけて長剣を振り抜いた。 飛び散る鮮血。 「おらぁっ!死にたくなければさっさと話せ!!」 「ララ…ノア……早く……逃げて……」 血を流しながらも尚、少女の事を庇うように帝国兵に立ち向かおうとする女性。 「あなた達には……この子を渡さない!!」 絶対に子を守らんとする母の眼。 ビリビリと威圧する女性からは、何か恐怖すら感じる。 「うぉおおおお!!!」 気付けば、剣を振っていた。 (仕方のない事だ!この女が悪いんだ!俺は何度も話せって言ったのに、抵抗ばっかりしてきやがった!この女が悪いんだ!) 血を流し、倒れこむ女性。 もう助かる事もないだろう。 それだけの感触が手にあった。 「おかぁさん!!!!!やめてよ……やめてよ!!!!!!」 少女の悲痛な声が暗い森に響き渡る。 帝国兵の目に入ってきたものは、信じられるものではなかった。 「なんだっ……!?これは……」 巨大な翼を持った魔物……いや、魔獣と言うべきだろうか。 見たこともないその魔獣からは、圧倒的な力の差を感じる。 (この少女が魔物を召喚したとでも言うのか!?なんなんだ!?) 「うわあああああ!!!」 突然足元にドサっと何かが倒れたと思うと、部下が血を流している。 胸には、斬撃の跡がある。 「どうした!?おい!!」 次の瞬間、部下の一人が剣を振り上げて襲いかかってくる。 「化物めぇええええ!!」 「おい!何してるんだ!?」 剣をなんとか弾くが、何が起きているか分らない。 次の瞬間、目の前の部下の後方で魔獣が真っ赤に燃え上がる。 「畜生!!」 すぐに構えて、部下の後ろに回り込むように踏み込むと、魔獣に向けて全力で剣を突き刺す。 「ぐわああああ!!」 目の前から聞こえたのは、部下の叫び声。 魔獣はフッと消えたかと思うと、自分の剣が部下の胸を貫いていた。 「……っ!!!」 力なく倒れていく部下。 (これは……一体……) 辺りを見渡すと、魔獣が1体…2体…3体……。 その奥に、涙を流す少女が見えた。 ある魔獣は、その姿を禍々しい死神に変えていく。 ある魔獣は、凍てつくドラゴンへと変貌した。 そして、一斉に隊長に向かい襲いかかる。 (まさか……このガキが……幻影の……魔物……) 森の中に、少女の泣き声が虚しく響いた。 ――数年後 商業都市イエルに辿り着いた少女。 少女はあの優しかった母をこの世に復活させる為に、旅をしてこの街に辿り着いた。 様々な人種が集まるこの街ならば、母の読んでくれた絵本に出てきた『魔神の心臓』に纏わる情報が手に入るかもしれない。 “幻影の魔物”と呼ばれ、忌み嫌われた自分に、唯一優しさをくれた母。 あの日、母を失った少女は、母を取り戻す事だけを考えていた。 目を閉じれば、今でも鮮明に母との思い出が蘇る。 ――いい?ララノア。あなたは素晴らしい才能を持っているの。あなたの魔法は、傷ついた人を助ける事ができるのよ。決して、悪いことではないの。周りの人達がなんと言っても、絶対に気にしちゃダメよ? 生まれつき高い魔力を有していたララノア。 その治癒能力は非常に高く、一般的な術士が3日かけて治癒するような重体患者でも、半日程で完治させてしまう程の魔法を使いこなしていた。 しかし、強力すぎるその魔法をかけられた者は、副作用として幻覚症状が現れてしまう。 症状が出た者はララノアに怯え、街の人々はララノアの家族を虐げるようになっていった。 “幻影の魔物” いつしかそんな呼ばれ方をするようになる。 母はララノアの安全を考え、街を出て森の中で過ごす事を決め、あの山小屋でララノアとの生活を始めた。 街から離れて不自由はあったものの、母との幸せな生活。 母は毎晩絵本を読んでくれた。 その中の一つに『失った宝石』という絵本があった。 主人公は幼なじみと共に、宝石を探しに仲間と旅へ出る。 しかし、道中で橋が落ちて幼なじみを失ってしまった。 宝石よりも、大切なものを取り戻すために火山に住む魔神から、“魔神の心臓”を手に入れる。 死者を生き返す事のできる“魔神の心臓”で幼なじみを生き返らせ、失った宝石を取り戻すというストーリー。 母を取り戻す為の唯一の手がかり。 絵本の話が本当の事かどうかは分らない。 それでも、母を生き返らせる事ができる可能性がわずかでもあるならば、それに賭けるしかなかった。 ふと、路地の奥から賑やかな声が聞こえてきた。 導かれるように、騒がしい建物へと入ると、そこには小さなテーブルが並び、酒を飲み交わす男達の姿があった。 突然店に現れたこの場に似つかわしくない少女に、酒場の男達の視線が注がれる。 「どうした?迷子かい?」 男の一人が声を掛けてくる。 「違う……。私は、知りたい事があるの……」 「ほぅ、何が知りたいんだ?俺で知ってる事なら答えてやるぜ。おい!席をひとつ空けてくれ。あと、この子にジュースを」 声を掛けてきた男の仲間であろう強面の男性は、酒を飲みながら煙たそうにララノアを見る。 「おい、ヤンギ……。おめぇそうやって何でもかんでも首突っ込むのやめろよ」 「まぁまぁ!かてぇ事言うなよ!困ったときはお互い様だろ」 「んな事言ってもよ!今だってお前が持ち込んだ面倒事の計画を立ててる最中だろうが!“魔物の巣”を叩くなんて……命が危ねぇかもしれねぇんだぞ!」 同じ席に座っている小柄な男が口を挟む。 「まぁまぁ……あんただってヤンギが助けてくれなかったら、あの時魔物に食われてただろう。そういう奴なんだよ。あいつは」 「ちっ……仕方ねぇな……」 男はつまらなそうに天井を見て貧乏揺すりをしている。 用意された席にララノアを案内するヤンギ。 「で、何が聞きたいんだ?」 ララノアは運ばれてきたジュースに目もくれずに口を開く。 「火山に住む魔神がどこにいるのか知りたいの……」 「わははははは!!」 突然男が笑い出す。 「『失った宝石』に出てくる魔神の事か?そりゃまたすげぇもんを探してるな!」 「まぁまぁ、茶化すのはやめようぜ」 酒を飲みながら大笑いをする男をヤンギが止める。 「お嬢ちゃん名前は?」 「……ララノア」 「そうか、良い名だ。ララノアはもしかして、大切な人を亡くしちまったのか?」 「……」 ララノアの頭に母の顔が浮かぶ。 「まぁ、なんだ。あの話は全部が全部作り話じゃねぇって噂を聞いた事があるぞ」 「ほんと…!?」 「確かに……俺も聞いた事がある。イオの魔神だったか……」 「そうそう、それだ。イオの火山には炎の魔神が住んでるっていう話」 酒場の一角に置かれたテーブルでは、他の者が聞いたら笑われるであろう話が続けられる。 「おいおい、お前らマジなのか?まったく……俺はお伽話には興味がねぇ。“ララノアちゃん”の話が終わったら呼んでくれ。俺は明日の作戦の話をしにきたんだ」 そういうと強面の男は席を立って酒場のカウンターの方へと歩いていった。 「でも噂では、魔神の心臓を取りに行こうとした奴は、それができなかったとか……」 「あぁ、魔神は魂のみで生きてるから実体がねぇって話だよな」 「なんでも……人間にその魂を憑依させなきゃいけないとか…」 「その話はホントかどうか怪しいな……。実際に憑依させた成功例はないんだろ?」 「まず魔神を憑依させる為に、具現化してる幻に勝たないといけないらしいが……兵団が滅ぼされたとか聞いた事があるな…魔神に勝てるような人間じゃなきゃ無理だとかなんだとか……」 「そうだそうだ。まぁ、噂話だからどこまで本当かわからねぇけどな」 ララノアは男達の話をジッと聞いていた。 その話が本当かどうか分からなくても、それが本当ならば、母を生き返す事ができる。 他にあてはない……だからこそ、どんなに小さな情報でもララノアにとっては貴重な情報だった。 ヤンギは笑いながらララノアを見る。 「まぁ、なんだ……世の中にはよ、噂話は沢山ある。暗黒組織“夜の鍵”の存在だろ?800年間名前の変わらないマーニルの魔法学校の学長。コルキドに眠る忘れられた三種の神器。血を求め、奪った魂を使用者に宿すヴァンパイアの魔剣。魔の海域デビルズガーデンから出てきた幽霊船なんてのもあったな」 「ははは!どれが本当で、何が嘘かは分らないけどな」 「だが、俺は全部あると信じてるぜ!だってよ!本当にあるって方が夢があるだろ!?」 「そりゃそうだ!!」 ララノアは、ヤンギ達の話を聞き終えると席を立つ。 「……色々ありがとう」 一つ小さなお辞儀をすると、背を向けて酒場を後にする。 「おい、もういっちまうのか?今晩の宿はあるのか?」 少女はその声に反応する事なく酒場の扉を開き、姿を消した。 この数年で除々に魔力の制御を覚えたララノアは、魔力の強弱や質で魔法を掛けた相手に見せる幻影をある程度コントロール出来るようになっていた。 これにより、資金の調達に苦労はない。 幻影を見せて驚かせば、簡単に財布を奪う事ができる。 それが悪である事を知ってはいたが、目的の為には仕方のない事と割り切り、罪悪感を覚えながら幻影を見せて旅を続けた。 ―――おかぁさん…… イエルを出ようとしていた行商人に幻影を見せて馬車を走らせること数日。 遠くに、山頂が赤々と燃え上がる山が見えた。 その火山の麓(ふもと)に、明かりがポツポツと光る光景。 イオの街に辿り着いた事を少女は確信した。 あの火山に、母を取り戻す為の鍵である魔神がいる。 ララノアは灼熱の火山を登っていく。 険しい山道を登るにつれて体感温度は上がり続け、額には汗がにじみ出る。 それでも母の為に、ゴロゴロと岩が転がる道を必死に登り続けた。 辿り着いた火口では、マグマがゴボゴボと音を立てている。 「……魔神は……いない……?」 マグマを見つめるララノアの表情に不安がよぎる。 その時、マグマが揺れたかと思うと、中央に渦が現れた。 ――ゴゴゴゴゴゴ 渦はその大きさを増したかと思うと、中心から何かが現れる。 「魔……神……」 聞いた噂通り、炎を身に纏い、強大な力を持った魔神。 その巨大で圧倒的な姿に恐怖を覚える。 魔神は少女を見下ろすと咆哮する。 ――グォオオオオオオオ!!!! ララノアは走った。 魔神から一刻も早く逃げなければいけない。 ここで命を失えば、今までの努力が水の泡だ。 その表情は使命感で溢れる。 イオの街まで降りてきたララノアは、早くも次の行動に移る。 (魔神の魂に耐えられる強靭な人間でなければいけないとか……) 強靭な人間……つまりは、大柄で強い人間でなければいけない。 もし失敗すればその人間は死んでしまい、“魔神の心臓”を手に入れる事も出来ないだろう。 だからこそ、この人間の選定にミスは許されない。 イオの街に入ると、まずは宿を探す。 宿屋の主人は、見慣れない少女が一人で宿泊する事に多少の疑問を持っているようだった。 「お嬢ちゃん一人かい?パパやママと待ち合わせかい?」 「お父さんはいない……。おかぁさんに会う為に、ここに泊まらなければいけないの……」 何か訳ありだと感じ取った主人は、怪しみながらも宿泊帳簿を少女に渡す。 「ここに名前を書いてくれるかい」 行商人から手に入れた財布から宿代を払いながら、質問をしてみる。 「この街で、一番力持ちで、強い人をおじさんは知ってる?」 宿屋の主人は不思議そうな顔をした後答える。 「力持ちで強い人……ねぇ……。そうだな。そりゃ、ガルさんしかいないだろうな」 「ガルさん?」 「あぁ、鍛冶屋街で5本の指に入る腕の鍛冶師だ。あの人よりも力持ちっていったら、大陸の中に何人もいないんじゃないか?」 「そうなの……ありがとう……」 「なんでそんな事を知りたいんだ?」 「その人に用事があるから……」 ――翌日 ララノアは早速、鍛冶屋街に足を運ぶ。 宿屋の主人が言っていた通りに道を進むと、他の鍛冶屋と比べると少し小汚い工房が見えてきた。 中からはハンマーで鉄を叩く音が響いてくる。 工房を覗き込むと、大きな背中が見えた。 その背中についたゴツゴツとした筋肉は、強靭な人間という言葉がしっくりくる。 大きなハンマーを振り下ろし、鉄の塊の形を整えているようだ。 ララノアは手に魔力を集める。 あの男に幻影を見せて、火山へ連れて行く。 そして魔神をあの男に憑依させれば、魔神の心臓が手に入るだろう。 幻影さえ見せてしまえば、腰に隠したナイフで心臓をえぐり取る事も容易い…… それが、自分に出来るかどうか…… 人の命…… しかし母を取り戻す為には…… 「おや、お嬢ちゃん見ない顔だな。どうしたんだい?」 ふと掛けられた声で我に返った。 工房の中にいた男がこちらを見ている。 何か心配そうな表情で近付いてくるこの男が「ガルさん」に違いない。 この男を……殺せるかどうかだ。 母の為に……死なせる事ができるかどうか…… 「……おじさんはわたしを助けてくれる?」 「なんだ?ママとはぐれちまったのかい?どっから来たんだ?」 「ママは……いない……。だから……会いたい……」 本心が漏れる。 母の顔を浮かべて心を決める。 「お嬢ちゃん、名前は?」 「私はララノア」 手に魔力を込めて男に放出する。 「おじさんは……もう……私の……」 ―――――幻影の中。 男は頭を抱える。 確実に、ララノアの術にハマっている。 何かをつぶやきながら、工房の外に出て行く男。 男の後を追いながら魔法をかけ続け、火山の方面へと誘導する。 「おう!ガルさん!お出かけかい?」 街の人が手をあげて男に話しかけている。 しかし、男にその声は届かない。 「早く……もっと早く歩いて……」 少し強く魔法をかける。 男は辺りを見渡してから走り出す。 街中を抜けて、火山の山道へと入る。 山頂へ向かい、必死に走る男。 (これでいいの……もうすぐ……おかぁさんが……) 山頂の火口に辿り着いた男は、ボソボソと何かを言いながら頭を抱えている。 ララノアは、火口の近くでマグマを見つめる。 「さぁ……おいで……炎の……魔神……」 あの時と同じように、マグマに渦が発生すると魔神がその姿を表した。 男への魔法はもうかけていない。 そろそろ意識を取り戻す筈だ。 「魔神よ……あの人に憑依して……」 魔神に言葉が伝わっているのだろうか。 ララノアを見つめ続ける魔神。 「どうして……早く……」 その時、太い声が飛んでくる。 「ララノア!逃げろ!!!」 振り向くと、意識を取り戻した男がこちらを見ている。 (何故……逃げなければいけないの……) 次の瞬間、男は走り出し、魔神に向かって跳びかかった。 「グォオオオオオオオ!!!!」 怯む魔神。 (何故この人は、魔神と戦おうとしているの……?) 「貴様の好きにはさせない!この街は俺が守る!ララノアにも指一本触れさせはしない!このガルスタークが相手をしてやる!!」 男は鼻息を荒くしながら、魔神を睨みつける。 (なんで……私が……守られるの……?) 魔神と戦い続ける男。 攻撃を繰り返し、魔神と互角に渡り合っている。 (私は……あなたを……利用しようとしているのに……) 「ぐあっ!畜生………なんの…これしき!!」 (私の事なんて……何も知らないのに……) 「させるかぁあああああ!!!」 気がつけば、ララノアに向かっていた魔神の攻撃。 男は、赤々と燃える魔神を素手で殴りつけた。 (どうして……そこまでするの……?) ――あなた達には……この子を渡さない!! 母の声が頭の中に響く。 (なんで……おかぁさんと……同じように……私を……守ってくれるの?) 「これで終わりだ!!あるべき場所に帰れ!!」 魔神の盾を取り上げた男は、渾身の力で魔神を殴りつける。 「グォオオオオオオオ!!!!」 火口に倒れていった魔神は、マグマの中で暴れているようだ。 そして男はその様子を見下ろす。 (なんで……私を守ってくれるの……) 辺りには不気味なマグマの音だけが響き、戦いが終わった事を知らせていた。 こちらに振り向いて駆け寄る男。 「怪我はないか?ララノア…」 息を切らしながら、ララノアの両肩に優しく手を置く。 その手は、魔神と戦った痕跡だろうか…焼けただれてボロボロになっていた。 いつの間にか、ララノアの頬には涙が溢れていた。 自分の事を守ってくれた。 その姿が母と重なった。 (私は……こんなに優しい人を……殺めようと……) 大粒の涙がボタボタと地面に落ちる。 「なんでそこまで……。今…私が…治して…あげるから……」 怪我を治そうと手に魔力を込めた瞬間、辺りが明るくなったような気がした。 (え……?) 目の前の火口から、炎が吹き出したかと思うと、ララノアとガルスタークに向かって襲いかかる。 (なに……これ……) 「危ない!伏せろ!!」 炎に向かい盾を構えてララノアを守る男。 しかし、襲い来る炎を防ぎきる事はできず、盾の裏へ回り込むようにして男の身体を炎が包み込み、そのまま身体の中へと流れ込んだ。 バタリと倒れこむ男。 ララノアは、泣きながら回復魔法をかけ続ける。 男の皮膚は焼け、助かる見込みは少ないかもしれない。 それでも、必死に治癒を続けた。 自分の罪は消えないだろう……だからこそ、この男を救いたい。 半日ほど魔力を注ぎ続け、男の傷はある程度塞ぐことができた。 しかし、男の身体の様子がおかしい。 赤々と燃えるような色の皮膚は人間とは思えない高熱を発している。 (とりあえず、街に戻らないと……) ララノアは、羽織っていたマントを地面に敷くと、男をその上に乗せて引き摺るように下山する。 マントの端を持ち下り坂をズルズルと引きずっているとはいえ、自分の何倍もある大男を運ぶのは想像以上に難しかった。 それでも、この男をなんとか助けようと、必死に進み続ける。 街の近くまで運ぶと、イオの住人がララノアを見つける。 ガルスタークの異変に気が付いた住人は、彼を運ぶのを手伝い、ララノアと一緒に男の工房まで連れてきた。 住人は、人を呼んでくると言って工房を出て行く。 ララノアは、その間も工房の中で寝かされた男が意識を取り戻すように、回復魔法をかけ続けた。 ――数時間後 「ん……んん……」 祈り続けたララノアの願いが届く。 「気がついた……?」 男の目が開いたのを確認して、嬉しさがこみ上げる。 「ララ…ノア…無事……だった…か……」 この状況でも、自分の心配をしているガルスタークに、また涙が溢れる。 「ごめんね……私のせいで……」 「ララノ…アの…せいでは…ない……泣くな…」 男は何も知らない。 「違うの……私が…」 自分が今回の事を引き起こした。 ララノアはこれまでにない罪悪感で押し潰されそうになる。 全てを話そう。 何もかも…… (きっとこの人は怒るよね……それでも、言わなきゃいけない……話さなきゃいけない……) 「私が――」 「貴様ら…誰だ…!」 男の声でララノアの言葉は遮られる。 後ろを振り向くと、数人の兵士だろうか……鎧を着込んだ男達が工房の入り口に立っていた。 「あなた達は……」 その鎧は見覚えがあった。 あの日、森の中の山小屋にやってきた、母を殺した帝国の鎧…。 「こいつだな……。連れて行け」 兵士は少女の事を担ぎ上げる。 「やめて……!!離して……!!」 「大人しくしろ!!」 そのまま工房の外に連れ出されるララノア。 ガルスタークは、まだ苦しそうにしている。 彼を一人でこんな所に置いて行くわけにはいかない……。 (この兵士達に幻影を見せれば……) しかし、ガルスタークに殆ど1日中魔力を注ぎ込んだララノアには、もはや残っている力はなかった。 もう疲労も限界に達し、腕を上げることもままならない。 (今まで私がしてきた……報いなのかな……それでも……彼は悪く無いのに……) 「よく報告してくれたな。下がっていいぞ」 「はい……」 頭を上げると、イオの宿屋の主人がララノアを見ていた。 「確かに……ミールから報告があったガキにそっくりだ。この街にも張り紙をしておいて良かった」 帝国兵の一人の言葉を最後に、ララノアは疲労から意識を失う。 ――数日後 目を覚ましたララノアは、牢の中に入れられていた。 手枷が付けられて、殆ど身動きがとれない。 時々、帝国兵だろうか、声が聞こえてくるものの、その内容は殆ど聞き取れない。 陽も当たらない部屋で、何日も過ごすことになる。 ――さらに数日後 水や僅かな食料は与えられているが、ララノアの精神は限界に達しようとしていた。 手枷のせいで魔法を放つ事も出来ず、ただただ時間が過ぎるのを待つ。 いっその事、舌を噛み切ろうかとも考える…… が、あの男の顔が脳裏に過る。 (こんな所で死ねない……彼を……治さないと……) その思いだけが彼女をこの世に留める。 ――さらに数週間後 どれくらいの時が経ったのか、もう分からなくなった時だった。 牢の鍵が開けられて、数人の兵士が中へと入ってくる。 「ようやくお前の移送先が決まった。本当に幻影の魔物と言われる程危ない存在なのかは知らんが……生きていられるといいな。よし連れて行け」 男がそう言うと、周りの兵士が目隠しをしてから手枷を外し、ララノアを乱暴に運ぶ。 抵抗する事も出来ず、どこかに降ろされた。 「よし、それじゃあ頼んだぞ」 「はっ!」 馬の鳴き声が聞こえた。 身体が揺れる……きっと馬車に乗せられたのだろう。 どこに連れて行かれるのか、ララノアには見当も付かない。 今が朝なのか、夜なのか……それすらも分らない。 ただ、今はジッと耐え凌ぐ事しかできない。 ――馬車に乗せられてから数日が経った 馬車は揺れ続ける。 時々立ち止まると、兵士の声が聞こえ、また揺れる。 この先どうなるのか、考えても分かる訳がない。 それよりも、あの男の事を考えた。 生きているだろうか…… もし死んでいたら……償う事もできない…… もし、彼が生きていて、再会する事ができたら、今度こそ全てを話そう。 そして、彼が許してくれるならば……彼の身体が元に戻る方法を探そう。 きっと……母ならばそれを許してくれる。 あれだけ優しい母なのだ。 自分のする事を信じて見守ってくれるだろう……。 「おい!なんだアイツは!?馬車を止めろ!!」 突然、帝国兵の慌ただしい声が聞こえた。 急停車する馬車。 剣を抜く音。 「貴様何者だ!?何故道を塞ぐ!!」 どうやら誰かが馬車の前に立ちはだかっているようだ。 誰かは分らない…… しかし、次に聞こえてきた言葉で、ララノアの心は晴れ渡る。 「貴様等……ダナ……」 確かに聞こえたその声は、あの男ガルスタークの声だ。 生きていた…… 彼は生きている…… 想いが天に届いたような、そんな気分だった。 「うわあああああああ!!!」 次の瞬間、大きな衝撃が走ったかと思うと、ララノアは馬車の外に放り出された。 地面に投げ出された衝撃で、手枷は外れ、目隠しが取れる。 突然差し込んだ光に目を細めると、真っ赤に燃えるガルスタークの姿が移った。 何か、様子がおかしい。 自分が乗っていたであろう馬車は横に倒れて燃えている 「なんで……燃えてるの……」 その姿は、あの火山で見た魔神を彷彿させる。 (まさか……魔神が……憑依……して……) 嫌な予感がララノアを包み込む。 イエルで聞いたあの噂。 ヤンギという男達の会話を思い出す。 (嘘……うそだよね……) 「見ツケタ…………貴様……」 男は真っ直ぐララノアに向かって歩を進める。 「嫌……いや……ごめんなさい……ごめんなさい!!」 ララノアは手を前に出して魔法を放つ。 どうにかしてこの状況をなんとかしなければ、命はないだろう。 まず、この男に幻影を見せる。 それから何か……次の手を考えれば…… 「ララノア……?」 彼の声に耳を疑った。 それまでとは一転して、優しさに溢れたあの声…… 「ララノア……何を……ここはどこだ?」 「私が……わかるの……?」 男は、胸に手を当てて何かを確かめている。 「魔神から……肉体を取り戻したのか……?」 「ど……どういう事……?」 男は話し始めた。 あの後、工房で意識を失った事。 次に目を覚ました時には炎の魔神に身体を乗っ取られていた事。 魔神が身体を動かしている中、精神のみでもがいていた事。 そして、魔神はララノアを探し、帝国兵を次々と襲っていた事。 「こんな事……信じろと言われても……無理かもしれないが……」 ララノアは彼の言葉を黙って聞いていた。 そんな事があったなんて、自分はどれだけの事をしてしまったのかと、更に自分を責めようとした。 しかし、今は彼が目の前にいる。 ケジメをつけなければいけない。 「全部信じるよ……おじさんの言う事……全部……」 「ララノア……」 「だから、私の言う事も……信じて貰えるかな……?」 今まで自分がしてきた事。 しようとしていた事。 全て……包み隠さず…… きっと彼は怒るだろう。 自分のせいで、そんな身体になってしまったのだ。 怒らない方が不思議だろう。 それでも、言わずにはいられなかった。 少女は涙を流しながら、少しずつ、少しずつ、伝えていく。 「だから……私は……うっ……うっ……おじさんを……」 「もういい……ララノア」 ガルスタークは泣き続ける少女の前に座った。 「今まで、一人でよく頑張ったじゃないか……」 「…………えっ……?」 男は笑っているように見える。 「もういいんだ……」 「私のせいでおじさんはそんな身体になっちゃったんだよ……!?いいわけないよ……」 「鍛冶屋は……廃業かもしれないな。ははは…こんな身体じゃ客がおっかながって逃げちまう」 怒っている様子ではない。 本当に、心の底から、ララノアを励まそうとしているように見える。 「まぁ、こうなったのも俺の運命なんだろう!ガハハ!」 (なぜ……?) 「なぁに悪い事ばかりじゃない!俺の周りは夜だって明るいぞ!」 (どうして……?) 「だからそんな悲しそうな顔するな!なっ?」 (そんなに優しくするの……?) 「ほら、顔をあげてくれ……俺は怒ってなんかいない!」 「なんでそんなに優しくするの!!」 自然と叫んでいた。 「……俺は――」 一つ間をおいて何かを考える男。 「そうだな……俺は、人が悲しんでるのを見るのが嫌いなんだ」 少女に笑いかけるガルスターク。 この時感じた温かさは、彼の身体から出る炎のせいではない。 ララノアの心をそっと包み込んだのは、ガルスタークの純粋な優しさだった。 数週間後―― 「ララノア……あんまり走ると転ぶぞ……」 前を走る少女を心配する炎の男。 「早く“燃え太郎”の身体を元に戻したいの!」 楽しそうにする少女。 「その呼び方はもう揺るがないのだな……」 ある日、“おじさん”と呼ぶのは嫌だと言い出したララノア。 好きに呼んでいいと話すと、何を思ったのかそう言い出した。 元の名前を呼ぶのは、身体が元に戻ってからと言い張り、それ以降この調子だ。 「ほら!燃え太郎も早くきて!あっちに洞窟があるよ!今日はあそこで寝れるかな?」 ガルスタークの見た目では、普通の宿に泊まる事ができない。 ララノアだけでも暖かいベッドで寝て欲しいと打診をしたガルスタークだったが、ララノアは首を縦に振らなかった。 仕方なく、洞窟や廃墟で寝泊まりする生活。 この旅がいつまで続くのかも分らない。 しかし、ララノアに不安はなかった。 「はい、燃え太郎。少しジッとしててね」 洞窟に入ると、手を前に出して魔法を発動するララノア。 ガルスタークの中にいる魔神の精神を抑えこむ。 定期的にこの魔法をかけなければ、ガルスタークの中の魔神の精神はどんどんと大きくなり、やがて身体を乗っ取ってしまう事が分かった。 元の身体にする為の方法を見つけるまでは、一緒に行動をしなければならない。 それはララノアがガルスタークの元を離れてはいけない理由にもなっていた。 「はい、終わったよ!燃え太郎!」 「いつも……すまないな……」 「いいの!今度は私が燃え太郎を守ってあげるんだから!」 ララノアは、明るい笑顔を返す。 その笑顔は母を失って以来、初めて人に見せる笑顔だった。 「やっと…笑えたな……」 ガルスタークも少女に釣られて楽しそうに笑っていた。 +巨亀の巫女ルルーテ 巨大な甲羅を持った亀のような魔物、“アスピドケロン”。 そのあまりに巨大な姿に、魔物だと認知できる者は少ない。 大きな街が甲羅に建設されているのだから無理もないだろう。 外部の人からは、この街が「海獣都市」と言われている事に疑問を持たなければ、その事実にたどり着く事も難しかった。 もちろん、アスピドケロンを操舵するための巫女の存在も、街の住人しか知らない。 その昔から、代々アスピドケロンを操舵し続ける巫女。 強大な水の魔素を身体に宿した巫女は、その生涯を“巫女の間”で過ごす。 巫女の候補として街中から15歳以下の子どもが集められ、体内に宿した水の魔素を測定される。 水の魔素の高い順から、7人の少女が巫女の見習い、“見習い巫女”として選出される。 見習い巫女は、巫女と一部の関係者しか入る事が許されない“巫女の神殿”に通い、更に水の魔素を増強する修行が行われた。 週に一度、修行の成果を見る為に水の魔素の測定が行われ、その度に7人の少女は序列をつけられる。 当代の巫女がいなくなった際に、序列1位の見習い巫女が正式な巫女として任命される。 何故、巫女がいなくなるのか―― 見習い巫女達は知る由もない。 それは幼い少女、ルルーテも同じだった。 「おつかれ様!今回も1位なんてすごいね!わたしなんか全然だめ。なんか憧れちゃうなぁ!」 ルルーテは序列1位の見習い巫女に明るく話しかける。 しかし、返事はいつもと同じように冷たいものだった。 「気安く話しかけないで!…何を狙ってるか知らないけど、私達はライバルなのよ?友達みたいに接するのはやめて」 鋭い目つきでルルーテを睨むと、彼女はそのまま歩いていってしまう。 表情が曇るルルーテの肩にポンポンと手が置かれる。 振り向くと、見習い巫女で唯一仲の良いリナの姿があった。 「ルルーテ、やめときなって。みんなピリピリしてるんだよ。あの子はずっと1位だけど、いつ2位になるか分からないし…それにあんな噂もあるしね……」 あんな噂。 本当かどうか分からない、信じたくもない昔からある噂。 “見習い巫女狩り” 巫女となった少女の家族は、街から莫大な富を与えられ、その後3代は安泰だと言われている。 その為、他の候補の見習い巫女を蹴落とす為に、見習い巫女が殺されることは珍しくないらしい。 見習い巫女は、普段口に出したりはしないが、常に「見習い巫女狩り」の危険に晒されている事になる。 一番危険なのは序列1位だというのは誰でも簡単に想像はついた。 「でも、わたしはみんなとお友達になりたいよ。どうせみんなで修行するなら、楽しいほうがいいもん!」 ルルーテは当たり前のように返す。 その様子にリナはため息を吐く。 「はぁ……あんたに言ったアタシがバカだったわ。まぁ、あんたは万年最下位だし、そんな心配はないんだろうけどさ!」 茶化すように額に手の平をつけながら話すリナに、ルルーテは頬を膨らます。 「むぅ~!リナちゃん!なんかバカにしてない!?」 「あっはっは!大丈夫だよ。ルルーテにはそのまま明るく生きて欲しい!巫女になれなかったとしてもね!」 リナは他の見習い巫女と違いルルーテに笑顔で接してくれる。 ルルーテにとっては見習い巫女の中で唯一の友達。 自分が巫女になることは無理だと諦めていたルルーテだが、どうせならリナに巫女になって欲しいと思っていた。 巫女の神殿での訓練を終えると、ルルーテはいつもお気に入りの場所に向かう。 アスピドケロンの顔に一番近い祭壇で海を眺めながら、アスピドケロンに話しかけるのがルルーテの日課だった。 自分の何百倍もあるアスピドケロンだが、ルルーテからすればペットのような存在なのだ。 「ねぇねぇ!今日ね、リナちゃんが初めて序列2位になったんだよ~!すごいでしょ~!?リナちゃんが巫女になったら、きっとケロンちゃんも楽しいと思うんだよね~。あ、ケロンちゃんは誰に巫女になって欲しいの?」 今日もいつも通りアスピドケロンからの返事はないが、ルルーテはニコニコしながら海を眺める。 水平線に夕日が落ちて、街がオレンジ色に染まる。 祭壇の海に面した柵に座り、足をブラブラさせながら夕日を見つめていた。 「お腹すいてきたな~。あ、ケロンちゃんは何食べるの?ずっと泳いでたら疲れちゃうよね?わたしだったら絶対むりだよー。尊敬しちゃうなー」 その時、どこからか聞いた事のない言葉が響いてくる。 (毎日毎日、頭の上でギャーギャーうるさいんじゃ!!少し静かにしてくれんか!?) 「え!?誰?どこにいるの!?」 ルルーテは辺りを見渡すが、周囲には人の姿はなかった。 「ケロンちゃん…なの?ねぇ、そうなの!?そうだよね!?」 ルルーテは嬉しさでいっぱいになる。 不思議と疑う事を止め、アスピドケロンに話しかけ続ける。 「ねぇ、答えてよ!!もっとお話しようよ!」 さっきよりも大きな声が頭の中に響きわたる。 (誰がケロンちゃんだ!ワシをなんだと思うとる!) 「アスピドケロンだから、ケロンちゃん!かわいいでしょ?」 (かわいい?じゃかぁしいわ!!) ルルーテは頬を膨らませる。 「何よそれ!せっかくお話できたのに!!そんな言い方しなくたっていいじゃん!!」 それ以上何を言っても返事は来なかった。 しかし家までの帰り道のルルーテは、ドキドキと胸を高鳴らせていた。 アスピドケロンと会話をした。 その事がなによりも嬉しかった。 翌日、巫女の神殿でリナと顔を合わせるやいなや、ルルーテは昨日の話をする。 「リナ!聞いて聞いて!ケロンちゃんとお話したんだよ!!」 リナは不思議そうにしている。 「ケロンちゃんって…誰?」 「ケロンちゃんはケロンちゃん!アスピドケロンだよ!」 リナはルルーテの顔を見ずに茶化すように話す。 「え?アスピドケロンと話したの?」 「そうだよ!ケロンちゃんが頭の中に話しかけてくれたの!」 「おお……そうかそうか……そりゃすごいなー!」 「もう!ホントなんだよ!?まだ…仲良くはなってないけど…本当に喋ったんだよ!?」 「あははは!ルルーテ、あんたは本当に面白いね!」 全く信じる様子のないリナは、そのまま話を切り上げてどこかに歩いていってしまった。 ルルーテは絶対に信じさせたい、見返してやろうという思いで燃え上がる。 その日の午後も祭壇へ向かいアスピドケロンへ話しかけ続ける。 「ケロンちゃんは何が好きなの?なんか欲しいものあったら持ってきてあげるから、わたしとお話しようよー!あ、お母さんが焼いたクッキーはすごく美味しいんだよ?食べたい?食べたいでしょ!?」 頭の中にあの声が響いてくる。 (あー!お前はなんでそんなにうるさいのじゃ!!そんなもんいらんわい!) 「あ、喋った!わたしはお前じゃないよ!ルルーテだよ!わたし、ケロンちゃんとお友達になりたいの!」 (友達?わざわざワシじゃなくても、そこらへんにいる人間に頼めば良いじゃろう…。人間の友達も作れないような奴と、どうして友達にならなきゃならんのじゃ) 「わたしはリナちゃんっていうお友達がいるよ!ケロンちゃんはお友達いるの?」 アスピドケロンは少し不機嫌そうに応える。 (友達などいらん…。今までワシと話した人間などおらんしな。こんなにうるさい奴はお前が初めてじゃ) 「お前じゃなくて、わたしはルルーテだってば!!お友達がいないなら、わたしがケロンちゃんのお友達になってあげるよ!」 (はぁ…、物好きにも程があるな…。じゃあ一つだけ頼みを聞いてくれぬか?) 「なぁに?なんでもするよ!何が欲しいの!?」 (ワシの頭の上でバカみたいにでかい声を出さないでくれ。うるさくて敵わん) ルルーテの顔がパァっと晴れ渡る。 「うん!!!わかったよ!!!!ケロンちゃん!!!」 (それをやめろと言っているのじゃ!!) それからも毎日祭壇に足を運び、アスピドケロンと除々に信頼関係を結んでいくルルーテ。 誰に話しても信じて貰えなかったが、今までずっと話しかけていたアスピドケロンと会話が出来るという事に、ルルーテは幸せを感じていた。 「ねぇ、ケロンちゃん!今日は前に話してたリナちゃんを連れてきたよ!」 リナは苦笑いをしながら楽しそうなルルーテを見る。 「あのさ…ルルーテを疑ってる訳じゃないんだけど…なんか…ちょっと…怖い…かも…」 ルルーテは明るくリナの手を握る。 「大丈夫だよ!ケロンちゃんは全然怖くないから!ちょっと口は悪いかもしれないけど、すごく良い子なの!」 握った手の感触に違和感を覚えたルルーテは、手元を確認する。 リナの右手には包帯が巻かれていた。 「あれ?リナ、その手どうしたの?」 一瞬、リナの顔が曇ったように見えたが、すぐに笑顔に戻り、頭を掻きながら照れくさそうに見せる。 「いやぁ、昨日ちょっと転んじゃってさぁ…アタシってドジっ子属性あったんだね~あっはっは~」 ルルーテは包帯の巻かれた手を握りながら、心配そうにもう片方の手で優しく擦る。 「もう、気をつけなきゃダメだよ?リナは巫女になれそうなんだから!」 序列2位となったリナは、その後も水の魔素を増やし続け、1位の少女を抜くのは時間の問題だと言われていた。 ルルーテはリナを誇りに思い、自分の事のように喜んでいる。 「あはは…そんなに心配しなくても大丈夫だって…。あぁ、でもママがちょっと心配しちゃってたから、今日はそろそろ帰るわ!」 「えっ?もう帰っちゃうの?まだ、ケロンちゃんとお話出来てないよ?」 「ごめんごめん、今度また来るからさ!じゃあね!あ、アスピドケロン…じゃなくて…ケロンちゃん??もバイバイー!」 リナは手を振りながら、祭壇から去っていく。 残されたルルーテはポカンとしながら手を振り、リナの影が見えなくなると海の方に向き直る。 「もう!ケロンちゃん!なんでリナちゃんとはお話してくれないの?」 (大事な友達なのだろう?そんな子をいきなり連れてきて…怖がらせるなんて、どういうつもりじゃ……) 「ケロンちゃんがお話してくれたら、リナちゃんだって信じてくれると思ったのに!」 (ワシは人間などと話をする気はない。大体、信じさせた所でどうするのじゃ?) 「わたしと話してるじゃん!ケロンちゃんのお友達が増えればいいなって…わたしの友達を紹介したいって思って何がダメなの!?」 (はぁ…これ以上うるさい奴が増えたら困るわい。お前さんだけでもこんなに疲れるというのに…) 「もう!!ケロンちゃん!お前さんじゃなくて、ルルーテだって何度言ったら分かるの!!!」 また「うるさい」と怒鳴られるかと思い、とっさに口を抑えたルルーテだったが、頭の中に響く声はボソボソと小さいものだった。 (…今の見習い巫女…何を……隠して……) ルルーテは突然の話に驚く。 「ん?なーに?今なんて言ったの??」 (いや……なんでもないわい。日が落ちてしもうたぞ?明日も早いのだろう、さっさと家に帰るのじゃ) ルルーテは薄く月の出た空を見る。 「あれ…ホントだ。明日ちゃんと教えてね!」 ――翌日 いつものように巫女の神殿に向かうルルーテ。 リナにしっかり説明すれば、次こそは3人で話せるのではないかと期待に胸を踊らせていた。 神殿の近くまで辿り着くと、人だかりが出来ている。 何か……胸騒ぎがした。 人をかき分けて、その中心に辿り着くと…… 血溜まりの中にリナがいた。 腹部から大量の血が出ていいて、遠目からでも分かるくらい青白い顔は、とても生きているようには見えない。 横にはリナの母親が涙を流している。 「リナ……どうしたの……?」 ピクリとも動かないリナに近づこうとした時、母親が鬼の形相でこちらを見る。 「お前が……お前がやったのか!!!!?」 あまりの剣幕に、身体が凍りつく。 後ずさりしたルルーテは首を横に振りながら必死に訴えた。 「わたしじゃない……わたしじゃない!!!」 母親は身体を起こして、ルルーテに向かってくる。 「じゃあ誰が…リナをこんな目に合わせたの…?誰が!!」 ルルーテは恐怖で足がうまく動かせずに、尻もちをつく。 それでも向かってくる母親を、近くにいた神官が止める。 「落ち着いて下さい…。この様子では、この子は何も知らないでしょう。今はリナちゃんの側にいてあげてください」 見習い巫女を束ねている神官は、ルルーテから見ると厳しく恐ろしい存在だったが、この時ばかりはとても優しい人間に見えた。 母親は神官にもたれ掛かり、泣き崩れてその場に座り込む。 神官は母親の肩を抑えながらルルーテの方を向く。 「今日の修行は中止にします。家に帰りなさい」 ルルーテはその場に座りこみ、動かないリナを見ていた。 神官は更に続ける。 「聞こえないのですか!?早く帰りなさい!」 ビクっとしたルルーテは、なんとか立ち上がってその場を後にする。 「リナが……リナが……」 気がつくと祭壇で泣いていた。 どれだけ流しても、大粒の涙は止まらない。 昨日、ここで笑顔を見せたリナと、もう話す事もできない。 リナが巫女になる事もない。 「リナァああああああ…リナァああああああ…」 頭の中に、声が響く。 (なんじゃ…今日は一段と騒がしいのぉ…) 「ケロンちゃん…だって…だって…リナがぁあああ…」 地面に膝を付き、祭壇の柵にもたれ掛かったまま、泣き続けるルルーテ。 止まる事のない涙を止めたのは、アスピドケロンの言葉だった。 (人間はいつか死ぬ……遅かれ早かれな。お前さんの友達はそれが少し早かっただけじゃ。…確かにひどい最後となってしまったかもしれぬが、きっと天からお前さんを見ているじゃろう) ルルーテはその言葉に違和感を覚える。 「ケロンちゃん……なんでリナが死んじゃったって知ってるの?」 (っ……!?) 「ケロンちゃん……なんでひどい最後だったって知ってるの?」 (ワシは何も……) 「ケロンちゃん!知ってるなら教えて!リナに何があったの!?」 アスピドケロンは、歯切れ悪く応える。 (お前さんの…様子を見れば…なんじゃ…想像もつくじゃろう……) ルルーテは立ち上がる。 「嘘!!昨日だってなんか変な事言ってた!!知ってること全部教えてよ!お願いだから!!」 沈黙が流れ、やがてアスピドケロンの声が響く。 いつもと比べて、とても重たい声。 (お前さんの友達は、見習い巫女狩りにあったのじゃ…) 「っ……!?」 “見習い巫女狩り” あの噂が現実で起こった事に、ルルーテは動揺を隠せない。 (これが初めてではない。お前さんに助けを求めなかったのは、お前さんを巻き込みたくなかったのであろうな) ルルーテの心臓がドクンと音を立てる。 (あの子は怪我をしていたじゃろう。転んだと言っておったが…以前にも襲われていたようじゃ) 「誰……?誰がそんな事したの!?」 (犯人……。それを知ってどうするのじゃ?) 「わからない!わからないけど、このままにしておけないよ!!」 (………。) アスピドケロンは少し間を置いてから、真実を口にした。 ――翌日 ルルーテはいつもより早く巫女の神殿へと向かう。 リナの事を殺した人間を待ち伏せする為に。 神殿の門を潜り、その人物が現れるのを待った。 その時が訪れる。 「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」 ルルーテは震える手を握りしめる。 「ルルーテ……。こんな朝からなんの用?」 序列1位の少女は、ルルーテの顔を見て不機嫌そうな顔をする。 「リナの事だけど…」 ルルーテが口ずさむと、少女は、口元に笑みをこぼす。 「あぁ、あの子…。良かったわね。ライバルが減って…。あんたも7位から6位に昇格したのよ?もっと喜んだら?まぁ、それでも最下位には変わらないのだけど……」 ルルーテは奥歯を噛みしめる。 こんなに大きな怒りを感じたのは生まれて初めてだった。 「リナを殺しといて…何を言っているの!!?」 彼女はフッと笑って言葉を返す。 「あら?どこにそんな証拠があるの?私が1位なのがそんなに妬ましいの?濡れ衣を着せるにも程があるわね」 ルルーテの目に涙が浮かぶが、溢れるのを必死で我慢する。 「あなたが……リナを階段から突き落としたのも…リナを刺したのも…わたしが知っていても、同じ事が言えるの!?」 「っ――!?」 彼女は明らかに動揺していた。 ルルーテは泣きながらも彼女を睨みつける。 しかし、彼女は笑顔に戻る。 「そう……。見てたの…。それならリナが死ぬ前に私を売っておくべきだったわね」 「何言ってるの!?なんでリナを殺したの!?」 「あの子なんか急に成長してきて…邪魔だったのよね。あの子が1位になる前に殺しちゃえば、1位の私には疑いがかかりにくいでしょ?」 「なにそれ……。抜かれないように頑張ればいいだけじゃん!なんでリナが殺されなきゃいけないの!?」 「はぁ……。まぁ、いいわ。」 そう言うと、鞄から血がついたナイフを取り出した。 少女は厳しい表情になり、ルルーテに向かってくる。 「随分仲も良さそうだったし……同じ場所に連れていってあげるわ!!」 ルルーテは構えるが、自分に向かってくる鋭利なナイフが目の前にきても、自分にこの状況をどうにかできるとは思えなかった。 とっさにギュっと目を閉じ、想像すら出来ないこれから起きる何かに備えると、瞳に溜まっていた涙が零れた。 身体にドンッという衝撃が走る。 足がグラつき、立っている事さえ出来ない。 尻もちをつくと、物凄い音が聞こえる。 何か変だと気が付くまでに時間がかかった。 どこにも痛みは感じず、地面は微かに揺れている。 恐る恐る目を開けると、目の前は石の壁で覆われていた。 少女がいた場所に、身体の何倍もある石の柱が倒れたようだ。 「なにこれ……??」 目の前の光景を理解する事も出来ずに、その場で気を失った。 ルルーテ……ルルーテ―― 目を開けると、どこか寝かされているようだった。 見慣れた天井は、巫女の神殿。 (全部夢だったの?) 周りを見渡すと、神官がルルーテを心配そうに見つめていた。 「神官様……」 ルルーテは起き上がり、頭に手を当てる。 神官は静かに言葉を吐く。 「ルルーテ。平気なようですね。よかった。立て続けに見習い巫女が死ぬと、私も困るのですよ。さぁ、修行の準備をしなさい」 ルルーテには何が起こっているのかわからなかった。 「神官様…えっと…さっき…」 「聞こえなかったのですか?さっさと修行の準備をしなさい!」 怒っているようにも見える神官に、それ以上話を続けるのは難しいと察し、言われた通り準備をして修行場へと向かった。 修行の間には少女がルルーテを含めて5人。 その中に序列1位の少女はいない。 「ねぇ、リナちゃんと、あの1位の子は……」 ルルーテは不安を抱え、他の少女に話しかけるが誰も返事をせずに無視されてしまう。 夢であって欲しいと願い続けた。 その日の修行が終わり、祭壇へ行こうとすると神官に呼び止められる。 横には鎧を着た男が5人並んでいる。 「今日から、お前たち見習い巫女に、私の従者をつける事にしました。この者達と家と神殿の往復をするように」 ルルーテは従者に連れられて神殿を出た。 ふと目に入ったのは、門の横の壊れた柱だった。 夢じゃなかった……。 リナも序列1位だった少女も、もうこの世にはいない。 見習い巫女にこれ以上危険が及ばないように、見習い巫女全員に従者がつけられた事をルルーテは理解する。 アスピドケロンと話がしたかった。 従者に思い切って切り出してみたが、寄り道は許されないと、真っ直ぐに家に帰る事を余儀なくされた。 それからは、退屈な日々が始まった。 あの日から、アスピドケロンと話ができていない。 従者は毎日送り迎えし、ルルーテに自由はなかった。 両親もルルーテには神殿に行く以外の外出を禁止され、毎日ただ修行を続ける日々が続く。 仕方がない事だと自分に言い聞かせたが、頭の片隅ではアスピドケロンの事を考えていた。 ――数日後 見習い巫女が一人いなくなった。 従者と共に神殿から帰っていた見習い巫女が、街の古い桟橋を歩いていたら桟橋が倒壊したらしい。 見習い巫女狩りなのか、それともただの事故なのか確かめる術はなかった。 ――更に数日後 見習い巫女がまた一人いなくなった。 今度は街の中に流れる川が大雨で増水して、流されてしまったと聞いた。 街の中に見習い巫女狩りの噂が立つ。 ルルーテを含む残り3人の見習い巫女が疑われたが、人間に出来る殺し方ではなかった。 街の人達は事故が重なっただけだと判断している中、ルルーテは何か引っかかる。 (人間にできない殺し方……ケロンちゃんなら……それができるの?) しかし、本人に確かめる事も出来なければ、アスピドケロンがそんな事をする動機も思い浮かばず、ルルーテはモヤモヤとした状態で過ごしていた。 ――更に数日後 ルルーテは真面目に修行を行っていたが、相変わらず序列は最下位だった。 ある日、巫女の神殿に向かっていると、神殿の方から大きな音が聞こえた。 神官の従者は警戒し、慎重に神殿へと歩を進める。 神殿に着くと、神殿の門が倒れており、下には人が見えた。 急いで助けようと、回復魔法をかけに行こうとするが、従者に止められる。 見習い巫女はルルーテ一人となった。 門の下敷きになった序列1位と2位の見習い巫女は、助からずに死亡した。 ルルーテは神官から尋問を受けるが、どうやってもルルーテが見習い巫女狩りの犯人だとは思える状況ではなかった。 従者からルルーテは問題を起こしていないと報告もあり、神官は不満そうな顔をしていたが不問とされた。 ただ一人の見習い巫女となったルルーテは、当代の巫女がいなくなった時、巫女となる事が決定した。 ルルーテの心境は複雑だった。 万年最下位だった自分が、何故巫女になるのか。 今までに起こった見習い巫女狩りは、リナの事件以外は犯人も捕まっていない。 それどころか、人が起こす事が不可能。 そんな事が出来るのは、アスピドケロン以外考えられなかった。 ルルーテは意を決する。 両親が寝静まった後、窓から家を抜け出し、祭壇へ向かった。 「ケロンちゃん…久し振り…。お話があるの」 月明かりの下、漆黒の海が広がる。 (こんな時間になんの用じゃ?) ルルーテは真っ直ぐと、海を見つめながら話す。 「リナちゃん以外の見習い巫女狩りをしたのは…あなたなんでしょう?ケロンちゃん」 (……だとしたら、どうするのじゃ?) 「なんでそんな事をしたのか聞きたいの。ケロンちゃんはそんな事をする子じゃないもん!」 頭の中に響いてくる声に彼女は緊張する。 (ルルーテを…守る為だ…) 「どういう事!?」 (最初は、お前さんの友達を殺した見習い巫女。お前さんはもう少しで殺されていた) 「それは…そうかもしれないけど!なにも殺す事はないでしょ!」 感情的にならないようにしようと決めていたルルーテだったが、抑えきる事はできなかった。 (お前さんの友達は一度助かったが、次の日に殺された。お前さんを一度助けた所で、何度でも殺そうとしてきただろう) 「っ……!それは……」 反論できずに言葉を詰まらす。 (その後は連鎖じゃな…。他の見習い巫女は皆、お前さんの事を怖がった。お前さんに殺されるのではないかと、ビクビクしていた。だから、お前さんを殺そうと企んでいたのじゃ…) 「そんな……!嘘だよね!?」 (残念ながら本当の事じゃ) ルルーテの目に涙が浮かぶ。 「もしそうでも、わたしが死ねば良かったじゃん!みんなが死ぬ事なんてなかったでしょ!?」 (………すまない) 沈黙が続いた。 波の音だけが聞こえる。 ルルーテは大粒の涙を流し続ける。 今までに見習い巫女に起こっていた事は、アスピドケロンがルルーテを想うが故の犯行だった。 その事実を受け止めたルルーテは、それ以上アスピドケロンを責める事ができない。 (いつかワシに聞いたな。見習い巫女の中で、誰に巫女になって欲しいかと) 色んな事がありすぎて、随分前の話の気がした。 「言ったかもしれない…」 (ワシは、ルルーテ。お前さんは、先代の巫女の誰よりも巫女に相応しいと思うのだ) 「なんで!?わたしはずっと最下位で…わたしよりも、ずっとずっと巫女に相応しい人が…」 (ワシと意志疎通が出来る人間など、長い歴史の中で、お前さん以外おらんのじゃよ) 空が明るくなりかけ、朝日が登ろうとしていた。 (すまないルルーテ。お前さんを悲しませるつもりはなかったんじゃが) ルルーテは首を横に振る。 「もういいの。わたしみんなの分も巫女頑張るから…」 顔を上げたルルーテは笑顔に戻っていた。 「リナにいつも言われてたの。ルルーテにはそのまま明るく生きて欲しいって!」 涙を拭って、ルルーテは伸びをする。 「まだまだ、見習い巫女だけど、素敵な巫女になれるように修行頑張るから!ケロンちゃんも応援してね!」 (………。) 「ケロンちゃん?」 アスピドケロンの様子がおかしい事に気がつくルルーテ。 何か、不穏な空気を感じる。 直後、地面が揺れ、海が荒れる。 「どうしたのケロンちゃん!!?」 返事は返ってこない。 立っている事も出来ずに、その場で頭を抑える。 『グォオオオオオオオオオ』 耳を裂くような轟音。 「……ケロンちゃんの声なの?どうしたの!?ケロンちゃん!!」 街は巨大な地震が続く。 一部の建物は崩れ、道が割れ、川からは水が溢れだした。 一向に収まる事のない天災の中、一番近くの頑丈な建物である巫女の神殿へと向かった。 神殿に入り、揺れが収まるのをジッと待つ。 数時間後、段々と揺れが小さくなり、やがて収まった。 耳が痛くなる程の静けさの中、外に出ようとすると、いつもルルーテを迎えにきていた従者が声をかけた。 「無事だったか。神官様からお前を連れて来いと命があった」 神官の元まで連れていかれ、話をされる。 「ルルーテ。早かったな。当代の巫女がアスピドケロンの暴走によりいなくなった。今日から、お前が巫女となる。早速だが、巫女の任命式を執り行う。すぐに準備なさい」 ルルーテは神官に詰め寄った。 「神官様!アスピドケロンの暴走ってなに!?」 「それは後に教示する。今は早く準備をしなさい」 神官は冷たく言うと、その場を立ち去った。 ――では今日より、ルルーテをアスピドケロンの巫女とする。 巫女の就任式が終わり、巫女の衣装を身にまとったルルーテは、神殿の最上部にある“巫女の間”に連れてこられた。 巫女の間は外から鍵が掛けられ、勝手に出る事は許されない。 これからの事を考えて深呼吸をする。 巫女の間の中心にある羅針盤に、水の魔素を流し込むとアスピドケロンを自由に動かす事が出来る。 進路は、巫女に仕える神官から指示があり、方向の調整をする事が巫女の勤め。 ふと目に入ったのは、眼下にある祭壇。 アスピドケロンの頭も少しだけ見える。 もしかしたら、ここなら声が届くのではないかと考え、ルルーテは声を出す。 「ケロンちゃん…聞こえるかな?」 祭壇で聞くよりも小さかったが、確かに頭の中にアスピドケロンの声が響く。 (ルルーテ……ワシはどうしたのだ?) 「え?」 あの後の事を話すが、アスピドケロンは暴走の事を何も覚えていなかった。 本当に暴走していたアスピドケロンをルルーテは心配する。 「身体は大丈夫なの?どこかおかしくない?」 (あちこち痛くて、食欲もないが…慣れたもんじゃの!) 「慣れた?前にも同じような事があったの?」 (そうじゃな…数年から数十年に一度、こんな事があるのじゃ) アスピドケロンは今までに何度も暴走している。 ルルーテは暴走の原因を考えるが、想像も出来なかった。 それからルルーテは巫女として、10年間アスピドケロンを操舵し続けた。 巫女の間での生活は、神官以外の人間との接触は出来ずに、今までの巫女はきっと孤独であっただろう。 しかし、ルルーテにはアスピドケロンがいた。 一日中アスピドケロンと会話する生活は、見習い巫女の時よりもずっと楽しい。 両親に会えない事には胸が傷んだが、それでもルルーテは明るく過ごしていた。 ――その日は唐突にやってきた 普段と同じように目覚め、その日の航海予定を神官から聞き終わったルルーテは、朝食を取っていた。 あの日と同じ、何か、不穏な空気を感じ取る。 カタカタと食器がぶつかる音がしたかと思うと、部屋全体が大きく揺れた。 外を見ると海が荒れ、白く濁った波が渦を巻いているように見える。 「ケロンちゃん!!ダメ!!意識をしっかり持って!!」 その祈りも虚しく、あの日が繰り返される。 『グォオオオオオオオオオ』 ルルーテは羅針盤に水の魔素を送り込むが、まったく効果が得られずに、ただ見ている事しかできない。 「あの時は…どうやってこの暴走を止めたの?巫女は確か…いなくなったって言ってた…」 突然、戸の鍵が開けられ、神官が入ってきた。 「巫女!アスピドケロンが暴走している!こちらに来なさい!」 神官に連れられて地面が揺れる中、外へと出た。 幼い頃、アスピドケロンと話をしていた、あの祭壇まで来ると神官が魔法を詠唱する。 祭壇が光り、突如海に向かって光の道が伸びた。 神官と共に、その道を歩いていく。 海に迫り出した光の道の終点は円形になっており、周囲には荒れた海が広がる。 光の円の中心に辿り着くと、神官が声を出す。 「アスピドケロンよ!只今より巫女喰み(みこはみ)の儀を行う!どうか鎮まりたまえ!」 “巫女喰みの儀” 聞いたことのない単語だった。 「神官様…わたしは何をすれば良いの?」 「アスピドケロンが暴走した時、その身を生け贄として捧げるのが、代々巫女の勤めなのだ」 神官はニヤリと笑い、続けた。 「お前達巫女の最後の役目だ。アスピドケロンにその身体を捧げよ!」 神官は魔法を詠唱すると、ルルーテが水の球体に包まれる。 「なにこれ!?出して!出してよ!」 ルルーテの声は神官に届かずに、水の球体は浮き上がる。 「アスピドケロンよ!鎮まりたまえ!」 水の球体は叩いてもビクともせずに、ルルーテを包んだまま荒れる海面に落とされる。 ルルーテは海中で初めてアスピドケロンの巨大な顔を見る。 しかし、ルルーテは不思議と怖いとは思わなかった。 (ケロンちゃん…巫女ってこんな最後なの?今までの巫女達は、みんなケロンちゃんの暴走を止める為に死んでいったの?) ルルーテはこれまでの事を思い返す。 (確かケロンちゃんが前に暴走した直後に、食欲がないって言ってた…。ケロンちゃんは巫女を食べて生きてるの?なんで巫女じゃないとだめなんだろう…。もしかしてケロンちゃんが食べてるのは、人間じゃなくて…水の魔素?) そうだとしたら…。 (ケロンちゃんは、ただお腹が空いてるだけなんだよね?ずっとわたし達巫女に操舵されてるから、お腹が空いても食べ物を探す事も許されなかったのに……そんなの、ひどすぎるよ…) アスピドケロンが口を開けたのを見て、瞳を閉じるルルーテ。 (でも、ケロンちゃんに食べられるなら、わたし、それでも良いのかな…。それでお父さんやお母さん…街の人達が救われるなら…それでも…) 水の球体が消え、自由に動けるようになったルルーテだったが、すぐ目の前までアスピドケロンの口が迫っていた。 (お父さん…お母さん…リナちゃん…ケロンちゃん…ごめんね…) ルルーテがすべてを諦めかけたその時―― 大きな錨が目の前に現れる。 (船の…錨…?) 遠くから声が聞こえた気がした。 「早く掴まってぇええ!」 言われた通り無我夢中で錨を掴むと、すごい速さで引っ張られる。 離してしまいそうになるが、必死でしがみついた。 船の底が見えると、網ですくわれて船の上に放り出される。 「ぷはぁっ…ハァ…ハァ…」 グラグラと揺れる甲板にルルーテは横たわる。 「生きてるー!?生きてたら寝てないで手伝ってー!せっかく助けたんだから!」 船の持ち主である少女は、その大きな狼の耳をピョコピョコさせながら、ルルーテに帆を閉じるのを手伝わせようとしている。 「なんで私の船が横を通ったタイミングでアスピドケロンに暴れられなきゃならないのぉおお!!」 不満そうに文句を言っている狼耳の少女は、太い縄で帆を縛る。 ルルーテはその少女に向かい叫んだ。 「あの!ごめんなさい!助けてくれたんだろうけど…わたしが食べられなきゃ暴走は止まらないの!」 狼耳の少女は、ルルーテを見下ろすと、嫌そうな顔をする。 「ダメダメ!きみは私が助けたんだから、勝手に死んじゃダメ~~!!」 「でも、そうしないとアスピドケロンの暴走を止められないの!」 必死に言うルルーテの元に飛び降りてきた狼耳の少女は、ルルーテの目の前に顔を近付ける。 「お腹空いてるなら他のものあげればいいでしょ!?何食べるのあいつ!?」 荒れる海のグラグラと揺れる船の上で、必死に立ちながらルルーテは答える。 「多分…水の魔素を含んだモノなんだけど…」 狼耳の少女はニタっと笑う。 「じゃあアレでどう!?さっき引き上げたお宝!!水の魔素の塊みたいなものでしょ!?これを、アスピドケロンに食べさせれば、暴れるのやめるんだよね!?」 狼耳の少女が人差し指で指す方向に目をやると、巨大な真珠が船にある生け簀のような場所からはみ出していた。 ルルーテはキョトンとしながら答える。 「多分…それが本当なら大丈夫だと思うけど…」 「わかった!!た・だ・し!!これは、すごーーくレアなお宝なの!だから、きみが今日から私の下で働く事が条件だよ!」 そう言うと狼耳の少女は、木の板を巨大な真珠の下に設置した。 真珠に挟まった木の板は、生簀の淵を支点にして、斜め上に伸びる。 そして、狼耳の少女は巨大な斧で木の板の先端を思いっきり叩いた。 「いっけぇえええええ!!」 真珠はテコの原理で生簀から飛び出し、アスピドケロンに向かって飛んでいく。 アスピドケロンの頭に当たるか当たらないかのギリギリで、アスピドケロンが口を開ける。 瞬間、大波が船を襲い、船は波に飲み込まれた。 ……… …… … バシャっと顔にバケツの水を掛けられてルルーテは目を覚ます。 青い空とドクロマークのついた船の帆、狼耳が映り込んだ。 「おっ!生きてるね!怪我はない?」 ルルーテは身体を起こし辺りを見渡す。 海は穏やかになっており、少し離れた場所にアスピドケロンが見えた。 「ここは……?」 狼耳の少女は元気に答える。 「ここは私の船の上だよ。私は船長レイナだよ!お姉ちゃんと呼びなさい!」 「レイナ…お姉ちゃん……?」 目をパチクリさせながら、ルルーテは何をしていたのか思い出す。 「……そうだ……!!アスピドケロンは!?どうなったの!?」 レイナは頭の上にクエスチョンマークを出しながら首を傾ける。 「ん?あぁ、きみが言った通り、お宝を食べたら大人しくなったよ!作戦大成功だね!」 ルルーテは起き上がり、レイナに近付く。 「街を、アスピドケロンを助けてくれたのね!ありがとう!!」 「変な玉に入っていきなり上から海に落ちてくるんだもん。びっくりしたよ!私が助けなかったら、きみは今頃あの亀のお腹の中だったね!セーフセーフ!」 両手を横に広げて笑うレイナ。 ルルーテはアスピドケロンの事を考える。 「そうだ…ケロンちゃんとお話を…。あの、一つお願いがあるんだけど…」 「ん~?お願い?聞くだけ聞いてもいいよ!聞くだけね!」 「ケロンちゃんの…アスピドケロンの頭の近くに船を近づけて欲しいの!お願い!」 「えぇー大丈夫!?もうあいつ暴れたりしないの!?」 ルルーテはアスピドケロンを眺める。 「大丈夫だと思う。もう暴走は止まってるみたいだし」 「じゃあ条件!まず名前を教える事。それと、私の海賊船で働くこと!きみのせいで大事なお宝がなくなっちゃったんだ。少なくともその分はしっかり働いて貰うよ!」 ルルーテは満面の笑みを浮かべる。 「わたし、ルルーテ!海賊でもなんでもするから、あなたの言う通りにするから、お願い!」 「“あなた”じゃなくて、レイナお姉ちゃん!」 頬を膨らますレイナに、ルルーテは再度笑ってみせる。 「わかった!おねぇちゃんね!」 レイナは満足気な表情をしてから、ルルーテに手を差し伸べる。 「よし!今日からルルーテは、私の海賊団の一員として、しっかり働いて貰うからね!初仕事は、アスピドケロンに向けて船を動かす事!」 「りょうかい!おねぇちゃん!!」 アスピドケロンの頭の前に海賊船が停泊する。 ルルーテはアスピドケロンに、暴走の原因や、自分がどのようにして今の状況になっているか説明した。 「ごめんねアスピドケロン。わたし、新しいお友達のレイナちゃんと約束して、海賊になることにしたの!だから巫女にはもうなれないし、街にもなかなか戻ってこれないと思う。でも、水の魔素を手に入れたら時々持ってくるよ!ケロンちゃん食べたいでしょ?あんまり会えなくなるけど、寂しがっちゃだめだからね!」 ルルーテは巫女喰みの儀の事はアスピドケロンに言わなかった。 きっと今まで巫女を食べていた事を知ったら、アスピドケロンは悲しむだろう。 アスピドケロンは涙を流しているように見えた。 (ルルーテ……すまない。随分と迷惑をかけたようじゃ…) 「気にしないで!わたし生きてるし!たまには会いに来るから!街の人達をよろしくね!」 船は出港し、アスピドケロンの声は聞こえなくなった。 それでもルルーテは笑顔のまま、明るく生きていく事を心に誓った。 +流転の語り部ギルバート 楽都アルモニア― 音楽の都と呼ばれる美しい街。 アルモニアでは様々な楽器から音楽が絶えず鳴り響き、人々は歌をこよなく愛する。 アルモニアの市街地から郊外へ足を伸ばすと、大きな森へとたどり着く。 そこには小鳥のさえずりがオーケストラの如く響き渡る大自然があった。 森はおよそ人の手が入っておらず幻想的な世界を醸し出す。 木々をかき分け、リュートを片手に鼻歌交じりの軽快なリズムで歩む男。 その男の後ろでは、少し荒い息遣いをしながらも、遅れまいと後をついて行く美しい女性の姿があった。 「あなた…本当によかったの?」 「ん?なんでだい?ここは空気も綺麗だし、水も美味しい。何よりも詩を歌い、曲を奏でるには最高の環境だよ。あっ!あれかい?力仕事かい?自信はないけど…キミとボクとの新しい生活の為さ!頑張るよっ!」 男はリュートを片手で携えながらも、ドンっ!と胸を叩き、にっこりと笑顔を見せる。 「ん、んもうっ!照れるじゃない…バカ。私が言いたいのは、ここにはあなたの好きな街娘もいないし、どんなにいい歌でも、聞いてくれる人はいないのよ?それでもいいの?って事!」 少し顔を赤らめながらも、女は決心したかのように言葉を放つ。 男は吟遊詩人であった。 街から街へと渡り歩き、各地を放浪して詩を歌う。 その中でも吟遊詩人の歌う愛の歌は、行く先々で女性達を魅了していた。 軟派師…ナンパリスト…世で見られている吟遊詩人のイメージである。 女の言葉は、そんな吟遊詩人たる男へ覚悟はあるのか?と問い確かめているようであった。 男は怪訝そうに、一拍おいて少し考えながら言った。 「キミが…キミがいるじゃないか?ボクの曲も歌もキミが全部聞いてくれる!」 「あなた…」 そこで二人の会話は終わった。 寄り添いながらも、二人は足早に森へと入って行き、森では小鳥達のさえずりが二人を祝福するかのように鳴り響いていた。 そして数年後―― 森に新たな命が生まれた。 「ほんぎゃぁっ!ふぇええーんっ!!」 静かな森の中では力強く、激しい泣き声が小屋から森中に響き渡る。 あの時の仲睦まじい二人は子供を授かり、小屋の中では赤ん坊の名前を名付ける親の姿があった。 「あなた、この子の名前を…」 「ああ!もう考えてあるさっ!アレク…アレクサンダーなんてどうだい!?ボクの故郷に伝わる英雄の名前をこの子につけようと思うんだ!」 「アレクサンダー…力強くていい名前ね。でも、この子は優しい子に育って欲しいの。わたしも考えたんだけど、ねぇ…ギルバートはどうかしら?」 「ギルバート…かぁ。うん!いいね!キミが考えたのなら最高の名前だよ!よーし、この子は今日からギルバートだ!」 「ふんむぅ……きゃっ!きゃっ!」 森では小鳥達のさえずりが新たな命を祝福するかのように鳴り響いていた。 更に数年後―― 時は経ち、ギルバートは優しい両親の元でのびのびと育つ。 母親譲りの端麗な顔立ち、父親譲りの美しい歌声、吟遊詩人に必要な資質をギルバートは兼ね備えていた。 今日、ギルバートは父と共に森の中へ来ている。 まだ幼いながらも、吟遊詩人としての類まれなる資質を我が子から感じとった父は、リュートの修行をつけようとやってきていた。 「ほら、このリュートはこうやって音をだすんだよ。面白いだろ?今から父さんが曲を奏でながら歌うから、ギルバートも後に続いて歌ってみるんだよ」 「うん!わかった!」 森中に響く音楽と歌声は、心地よくも素敵な空間を生み出す。 父の後に続いて歌っているギルバートは、何のために曲を奏で歌うのか分からなかったが、一度聞いた父親の詩が頭から離れなかった。 ギルバートは父親の美しい演奏、そして詩に憧れ、いつからか父親に追いつくことが目標となり必死に練習をした。 そんなある日、森でリュートの練習をしていたギルバートの元に父がやってきた。 「ギルバート、頑張っているようだね」 「とうさん!うん!ぼくねぇ…このきょくもひけるようになったんだよ!」 「おお!すごいじゃないか!ギルバートはやっぱり才能があるな。そうだ、今日は吟遊詩人の話をしようじゃないか。お前も父さんも吟遊詩人の一族だから、吟遊詩人とはどういうものなのかを知っておかないとね」 それからギルバートの父は懇々と、まだ幼いギルバートが理解しやすいように言葉を選びながら吟遊詩人の一族について語っていった。 吟遊詩人とは何なのか?何のために歌うのか? 父も、そのまた父親からこの詩を受け継いだ事、吟遊詩人の技術が一子相伝で他人には教えてはならない事、継承者の親の死から5年以内に次の継承者を作らねば、共鳴の力が失われ、詩に魔力が宿らなくなることをギルバートに教えていく。 だが、父の話は難しくて、幼いギルバートにはまだ理解ができなかった。 時折、あくびを噛みころしながらそわそわしだす我が子を見て、父は困ったように笑いながら、いつか母さんのようにしっかりしていて、綺麗な“運命の人”を見つけなさいと言う。 「ギルバート。お母さんはな、お父さんの運命の人だったんだよ」 父はそう話すと、思い返しながら自分の昔のことをギルバートに語った。 吟遊詩人として旅をしながら各地をまわっていた頃のこと。 お父さんはとっても人気があって、女の子からモテモテだったこと。 だけど、お母さんを初めて見て、全身にビビッと衝撃が走り、この人だ!って思ったこと。 それ以来、お母さんがお父さんにとって一番の特別であること。 半分は父の自慢話で、もう半分はお母さんの事を大好きな父の話であった。 父は再度、ギルバートもそんな“運命の人”を見つけなさいと言う。 とある日のこと― ギルバートは家族でアルモニアに来ていた。 普段住んでいる静かな森とは違い、音楽と沢山の人に溢れている街にギルバートは感動してきょろきょろと周りを見回したり、ちょこまかと動き回る。 その時、1人の男が慌てて駆け寄ってきた。 男は息を整える時間すら惜しいといった様相で、興奮交じりに話し始める。 「ハァ…ハァ…。なあ、あんたあの有名な吟遊詩人じゃないか!いつアルモニアに来たんだ?なあ、いつまでこの街にいるんだよ?そうだ!一曲弾いてくれよ!俺はあんたの歌が忘れられなくてよう…な!頼むッ!」 まくしたてるようにその男は大声で喋る。 男は息を切らしながらも、一心に自分の伝えたいことを言い放った。 どうやら男の目当ては父だったようだ。 アルモニアでは有名な吟遊詩人の一族である父に男は演奏を懇願する。 その声を聞きつけた周りの人々が集まっていき、なんだなんだとギルバート達を囲むように人だかりが出来ていった。 父は少し困った顔をして男に話す。 「悪いけど、今日はオフ!…吟遊詩人としてアルモニアに来たわけではないんだよ」 「な、なんでだようッ!頼むよ!一曲弾いてくれよ!歌を聞かせてくれよ!次はどこであんたに出会えるかもわからねぇんだ。俺はあんたが歌ってくれるまでここを動かないからな!」 男は腕を組み、口をへの字に曲げながらその場にドカっと座る。 父を見つめる視線は男の固い決意を表すかの如く絶対にあきらめないぞ!と言っているようであった。 父は更に困った表情を見せ、男をどうやって説得しようかと思案している様子だった。 「ねえ、おとうさん。このひとかわいそうだよ。ぼくも、おとうさんのうたがききたいよ。いいでしょ?うたってあげてよ。」 ギルバートは父の袖を引っ張る。 父は、まいったなあ…という顔をしながらチラッと母の顔を覗き込む。 母は苦笑していたがニッコリと片目で父にウィンクを返す。 「息子にまでこうやって頼まれたらしょうがない。今日は家族で来ているんだ。一曲だけだからね?」 「おお!ありがてえ!こっちはあんたの息子か!こりゃお利口そうだ!おじさんの目に狂いはねえっ。坊主!お前は将来、絶対に大物になるぜ!」 人だかりは更に増えていた。 どうなることかと見守っていた人々と、新たに集まってきた野次馬たち。 父が歌うことに決まると一帯はお祭りの様な状況となっていた。 父はリュートに手をかける。 やさしい音色が鳴りはじめ澄み渡る声がアルモニアの街に響く。 ギルバートにとっては聞きなれた父の歌であったが、その歌に聞き入る人々はとても幸せそうな表情をしていた。 曲が終わると、あたりは一瞬の静寂に包まれた。 だれかが手を叩くと同時に巻き起こる拍手と喝采と賞賛の嵐が父に降り注ぐ。 その光景を目にしたギルバートは胸の奥から湧き上がる高揚感を覚え、幼いながらも吟遊詩人が歌う意味を知ったような気がした。 幸せそうな人々の顔をギルバートが見渡していると、1人の少女がその視線に気づく。 少女はギルバートと目が合うとにっこりと微笑みかけるが、ギルバートは慌てて父の後ろへと隠れてしまう。 森で育った為なのか、女の子の前だと恥ずかしがって隠れてしまう我が子を見て父は少し不安を感じていた。 ――それから10年 ギルバートは成長し、父から受け継いだリュートを持ってはアルモニアへ出かけて歌を歌っていた。 「今日こそは…」 あの日見た父の姿…父の弾くリュートはみんなを幸せにしていたんだ。 ボクも吟遊詩人なんだ…やればきっとできるはずだ! 自分に言い聞かせるように心の中でギルバートは繰り返した。 ギルバートがいつもの場所で演奏をはじめると、ぽつりぽつりとどこからか観衆が集まってくる。 しかし、いつも観衆の中に女の子の姿を見かけると演奏を止め、その場を足早に去っていく。 幼い頃、ボクに微笑みかけてくれた女の子…。 ボクが吟遊詩人になってから、アルモニアで演奏を始めた頃にボクのファンだと言ってくれた女の子…。 なぜかは分からないけれど、女の子と話すのはすごく苦手で、恥ずかしくて…うまく話せなくていつも逃げてしまう。 「今日も、ダメだったなあ…父さんになんて言おうか…」 落ち込みながらトボトボと家に帰ると、出迎えてくれた父はギルバートを慰めるように言った。 「誰にだって失敗はある。そして、その失敗から学んでいくんだ。女の子と話すことが恥ずかしいことなんてこれっぽっちもない!父さんなんて…母さんに何度もフラれたんだぞ?いつかきっと、ギルバートにも“運命の人”が現れる。今はその予行練習みたいなものさ」 と父はギルバートを勇気付けてくれる。 優しい父さんは…いつもボクを応援してくれている。 だけど、父さんは昔から“運命の人”がって言うんだ。 ボクは女の子が苦手だし、“運命の人”って何だろう?母さんみたいな人なのかな? ギルバートは頭の中で、父の言葉を自分に問いかけてみる。 翌日もギルバートはアルモニアの街へ出かけ、いつもの場所で演奏をする。 今日こそは…と心に誓うが、女の子の姿を見つけるといつものように逃げ出してしまう。 ギルバートは落ち込みながらトボトボと帰路に着く。 いつもの光景のはずだったが…今日は違った。 突然の強風から木々がざわめき、砂塵が舞う。 まだ日没には早い時間なのに、蝙蝠の大群がギルバートの家の方角へ飛んでいく。 一抹の不安を感じたギルバートは足早に家へと向かった。 そして、家までたどり着いたギルバートは緊張しながらドアノブに手をかける。 いつもはギルバートの帰りを今か今かと待ってくれている父の姿がない。 不安は半ば確信へと変わっていた…。 ―父が倒れた…! ギルバートは持っていたリュートをズルリと床に落とす。 焦燥の色を見せる母は、ギルバートの姿を見つけるやいなや医者を呼びに行くと告げて街へと急ぐ。 父さん…? 父さん…やだよ…。 ベッドに静かに横たわる父は痛々しい姿をしていた。 苦しそうな呼吸と時折激しく咳き込む声は、これが簡単な病ではないことを知らせる。 「ギルバート…ギルバートはいるか?」 「父さん!目が覚めたんだね!良かった……。何か飲む?母さんがスープを作っておいてくれたんだよ。」 「ありがとう…ギルバート。お前は本当に優しい子に育ってくれたね…。父さんは…もうあんまり…長くないのかもしれない…」 「ッ!やめてよ!何言ってるの、父さん!あ、母さんはね、父さんの為に街へお医者さんを呼びに行っているよ。ほら、すぐ良くなるよ!」 今度はボクが父さんを勇気付ける番だ。 あんなに明るくて優しい父さんが、病なんかに負けるわけがないじゃないか! 「聞いておくれ…ギルバート。今からお前に大事な話をする。よく覚えておくんだよ…」 「う、うん…」 今まで見たこともない父の真面目な顔にギルバートは圧倒されていた。 最後の力を振り絞るかのように、苦痛の表情を浮かべて父は話をする……。 ――後日 父さんは闘病生活を続けていたが、母さんの献身も空しく、程なくして亡くなった。 ボクも母さんも…涙が枯れ尽くすまで泣いた。 ――父の言葉 あの日、父さんがボクにしてくれた話が今のボクを動かす。 吟遊詩人の一族のルールの事。 一子相伝の詩の事、吟遊詩人の詩や音色には共鳴の力があり魔力が宿る事。 しかし、継承者の親の死から5年以内に次の継承者を作らねば、共鳴の力が失われ詩に魔力が宿らなくなる事。 父さんは自分の死期を悟って、吟遊詩人の一族の未来をボクに託したんだ。 「ギルバート…運命の人を必ず見つけるんだ…」 うん…わかっているよ。 きっと母さんみたいな人をみつけるからね。 幼い頃から聞かされていた話が、やっと、やっと…理解できた。 ――母との別れ 母さんに旅に出ることを話した。 「そう…決めたのね」 母さんは一言そういうと話をし始めた。 「ギルバート…お母さんはね、お父さんと一緒になってからずっと本当に幸せだったわ。あなたが生まれて…すぐにいつかこの日がくると思っていたの。だって…吟遊詩人だもんね」 母さんはそのまま続けてボクが生まれる前の話をしてくれた。 「吟遊詩人は各地を旅しているでしょう?父さんが私を好きだって言ってくれても、一緒になるなんて考えられなかったわ。でも、父さんはずっとそばに居てくれた。それに、運命の人なんて言われたけど、誰にでも言っているんじゃないの?って思ったりもしていたしね…」 父さんにとっての運命の人は母さん… その後は聞いているこっちのほうが照れるような話を母さんは続けた。 「行っておいで…あなたにはきっといい人がみつかるわ」 ――そして旅立ち タイムリミットは5年!アルモニアの街で父さんが曲を披露した時の皆の幸せそうな顔。 あの光景を守るためには、ボクの運命の人を見つけなければならない。 ギルバートは沢山の人がいる場所を目指してアルモニアからイエルへと足を運ぶ。 初めて見るアルモニア以外の街。 楽器や音楽の音ではなく、商業都市ならではの喧騒にギルバートは驚きを隠せなかった。 しかし、アルモニアとは違う賑わいをみせるイエルのそんな音を心地よく感じていた。 いま見ている風景が詩となり、頭に流れるメロディを思い描きながら街を歩いていると、ギルバートは美しい街娘を見つける。 足を止めて凝視していると、街娘はギルバートに気づいて微笑みかける。 ――緊張で口の中が乾いて行くのを感じる。 それでもギルバートは自分に微笑みかける街娘へと歩んでゆく。 ――今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られる。 それでもギルバートは父の事や吟遊詩人の歌を聞いて幸せそうにする街の人々の顔を思い出しその場に踏みとどまる。 街娘の前までつくと乾いた口を開いて話しかける。 「ボクと一緒に来てほしい!」 突然のことに驚いた彼女は困ったような笑顔に変わり、ギルバートはフラれてしまう。 「ダメ、なのか……でも、初めて女の子と会話できた!」 ギルバートは内心で一人喜ぶ。 次に目に入った露店の看板娘にも声をかけるが、店主に睨まれてしまう。 数々の失敗を乗り越えながら徐々にうまく会話のコツを掴んでいく。 「ボクはやればできるじゃないか!今まで何を恐れていたんだろうか。もう、話しかけるのは怖くなくなってきたかな。ボクには時間がないんだ、急がなきゃ」 次に話しかけた女の子からは好感触を得ることができたが、お茶に誘ったところを断られてしまった。 しかし、ギルバートは落ち込む事もめげる事もなかった。 「中々かな?彼女の反応は今までになかったものだね……これは、父さんに少し近づけてきたのかもしれないな」 また、目に留まった女の子をナンパし始める。 今度は名前を聞き出すところまで成功する。 ギルバートは思い切って告白してみるが、いきなりはちょっとゴメンなさいとフラれてしまう。 しかし、ギルバートは自分に確かな手応えを感じていた。 「今回はもっといい感じだったね。そうか、もっと自然に行けばいいんだ!」 グッと拳を握り、小さくガッツポーズをして街で次々にナンパしていく。 ギルバートはイエルの街で着実にナンパの技術を磨き上げていった。 しかし、運命の人は見つからない。 ギルバートはイエルを後にし、獣境の村ヴィレスへと向かう。 獣人であるガルム族のみが住むその村を見たギルバートは感嘆する。 イエルの街にも少なからずいたガルム族が沢山いることに驚いていた。 村に漂うワイルドな雰囲気にギルバートはイエルとは違う感動を覚える。 何より、ワイルドでたくましく美しいガルムの女性達がいた。 ギルバートはイエルで学んだコツを使ってナンパを始めるが、全く相手にされない。 「なるほど…ここではもっと野性的になるのが重要なのかもしれないね」 ギルバートはその村その街に合ったナンパのスタイルがあることを覚える。 いつの間にか沢山の女性ガルムに囲まれるくらい打ち解けることができるようになった。 だが、ここでも運命の人は見つからない。 ギルバートはヴィレスを後にし、花園の街ラキラへと向かった。 大陸に住む女性の憧れとも聞く街ラキラ。 ギルバートは女性に声をかけ名前を聞こうとするが、成人していない女性には名前がないために結局うまくいかなかった。 それでも諦めずに、声をかけてはフラれることを繰り返す。 結局、運命の人は見つからなかった。 仕方がなく、ギルバートが次に向かった街は極寒都市コルキドであった。 年中氷点下の極寒の街コルキド… この街の住人はみな防寒コートを全身に着ており、外見からは性別すら判断がつきにくいが、ギルバートはこれを克服していく。 同性に声をかけて勘違いされることもあった…しかし、諦めずに声をかけ続けることで男性と女性の見分け方、更には相手の反応速度から年齢をも見抜くことが出来るようになり、ギルバートはコルキドでのナンパ術を構築していった。 だがしかし、ここでも運命の人は見つからなかった。 その後、色々な街を旅したギルバートはイエルへと戻ってくる。 そして、偶然最初に声をかけた街娘と再会する。 街娘は、ギルバートの事を覚えており、声をかけるやいなや逃げようとするが、リュートをつま弾いて引き留める。 「お嬢さん……あの時は突然すまなかった、君の可憐さについつい焦ってしまってね…どうかな?あの時のお詫びがしたいのだけど」 最初の頃とはうって変わって紳士的な態度で接する。 数々のナンパ技術を会得したギルバートはデートに誘う事に成功する。 ボクが探しているのは運命の人。 デートの終わり、別れる間際にギルバートは意を決して彼女に言葉をかける。 「君さえ良ければ、ボクの旅についてこないか?君ほど打ち解けた人は初めてさ。君こそがボクの運命の人だ!」 しかし、彼女は悲しそうな表情で言葉を返す。 「ごめんなさい。私には心に決めた人がいるの。あなたにはついて行けないわ……また、どこかで会いましょう」 彼女はそのまま走り去って行ってしまった。 一つの恋は終わり、一人その場に残されたギルバートは彼女が“運命の人”ではなかったのだと気が付いた。 「あぁ一体どこにいるのだろうか!まだ見ぬボクの“運命の人”!君に会うのが待ち遠しい…待っていてくれ!ボクは必ずキミの元にたどり着くからね!」 そう言いながらギルバートはイエルの街を後にし、気の向くまま足の向くまま渓谷を目指す。 遥か彼方に見える黒雲からは、龍の咆哮の様な雷鳴が鳴り響き、青白い光からは幾条にもなる閃光が放たれていた。 いつか…きっと出会うであろう。 しっかりしていて美しい女性…“運命の人”と必ず巡り会うことを胸に誓い、ギルバートは歩き出す。 だが、ギルバートはまだ知らない。 この旅のずっと先に…その“運命の人”が待っていることを… +高潔なる慈愛の光レティシア 商業都市イエル。 今日も旅人や商人が行き交っては物流の拠点としての賑わいを見せている。 商人は道行く人に声をかけては商売に精を出し、その声は街の至る所から聞くことができた。 日が落ち、日没を迎えるとイエルの街は別の雰囲気を醸し出す。 酒場の営業が始まる頃を見計らって、ぽつりぽつりと旅人や傭兵、冒険者などが酒を求めては酒場に集い始める。 旅人は旅の疲れを酒で癒し、ひと仕事を終えた傭兵は酒で喉を潤す。 酒場の奥では冒険者達が卓を囲みカードゲームに興じている。 イエルの街は夜になると、昼間とは違った賑わいを見せていた。 イエル中心から離れた閑静な貴族街。 ここは貴族や豪商などの特権階級や富豪が住居を構えていた。 「そーっと…気づかれないように…」 とある屋敷から闇にまぎれて動く人影があった。 2階のベランダから庭にむけて投げられたロープをつたって、その影は降りていく。 「…よいしょっと」 音をたてないように細心の注意を払いながら庭に降り立ち、きょろきょろとあたりを見渡して人の気配を確認しながら慎重に屋敷の正門を目指して忍び足で歩く。 そして、屋敷に配置されている街灯がほのかにその影を照らし出すと、そこには見事なブロンドの髪の女性の姿があった。 手には羽飾りのついた杖と大きな書物をもち、羽を意匠したきらびやかな服は、紛れもなく貴族の衣装であり、この場には似つかわしくない雰囲気を持つ。 「ふう、もう少しで…」 屋敷の庭はとても広い。 数分をかけて歩き、正門にさしかかったことで安心感ゆえになのか、ほっと小さなため息を吐いた。 音を立てないように門の鍵を開けて扉を開いていく… 「レティシア…こんな時間にどこへ行く?」 「ひゃっ!」 レティシアと呼ばれた女性は、突然自分に向けられた声に驚いては素っ頓狂な声をあげる。 この声は、まさか…いやな予感を感じながらも、レティシアが恐る恐る振り返ると案の定だった。 「お、お父様…」 今日、レティシアは屋敷を抜け出して街を出る手筈だった。 自分と同じ貴族の人間が、街の住民に悪逆非道をしているのを何とかして変えたい…その思いを胸に、レティシアは月の出ない今晩に行動を起こしていた。 「屋敷に…部屋に戻りなさい」 レティシアの父は威厳を込め、有無を言わさずにレティシアを連れ戻そうとする。 「…嫌ですっ!」 レティシアはその言葉に反抗した。 強い決心で、自分で自分の背中を押す。 そして、父に返事を返すと同時にスカートを捲り上げて正門の扉から一気に外へと駆け出した。 「レ、レティシアっ!くっ…追えっ!追うんだ!必ず連れ戻せ!」 傍らにいた数人の兵士が、下された命令を受けてレティシアの後を追う。 「…はぁっ、はぁっ」 レティシアは額に汗を滲ませながら、追っ手をまくためにイエルの街を走り回る。 「…はぁっ、はぁっ、ダメ…もっと急がないと」 タッタッタッタ……レティシアはスラムを目指していた。 スラムは迷路のような細道や雑多な建物が立ち並んでおり、身を隠すには最適な為だ。 わいわいと賑わう街の中心街からは遠く、灯りもまばらで人気のない裏通りを走り抜ける。 「おい!レティシア様の姿が見えたぞ!こっちから回り込め!」 手に剣を持った兵士の一隊がレティシアを追いかける。 「…あっ!」 裏通りを駆け抜け、スラムへたどり着く…だが、兵士の一隊がすでにスラムへの入り口を固めており、レティシアは踵(きびす)を返して元来た道へ引き返そうとする。 「…はぁっ、はぁっ、やっと追いつきましたよ!レティシア様!さぁお屋敷に戻りましょう!」 兵士の1人が息を切らしながら追いつきレティシアに観念を促す。 そして、その兵士の後ろからも兵士が現れてはジリジリと逃げ道を塞ぐようにレティシアの周囲を囲む。 「レティシア様…いい加減に聞き分けてください!さぁお屋敷に」 「嫌です!絶対に戻りません!この街のためなのです!ここは見逃してください!」 レティシアと兵士の間で押し問答がはじまる。 「お父様にはすぐに連れ戻すように命令を受けています…さぁ行きましょう」 1人の兵士がレティシアに声をかけて近寄ろうとした瞬間だった。 レティシアは素早く杖を取り出して兵士の足元へと魔法を放つ。 ボオォンッ!と音を立てて小さな爆発が起こる。 一瞬、兵士達は驚き足を止めるが、剣を抜いてレティシアに少しずつ近寄り始めた。 「レティシア様…あまり手荒な事はしたくありません。先ほどの事は無かったことにしましょう。さぁ早く」 「道を開けて下さいっ!どれだけ貴方達が止めても私はこの街を出ます!!」 「レティシア様!これ以上は!…お父様も心配されてます!どうしてもというなら力ずくでも…」 剣を構える兵士達に臆さず、レティシアは杖を強く握り兵士達へと一歩踏み出す。 「止めると言うなら覚悟してください!貴方達でも容赦しません!私達貴族が街の住民をおとしめるようなこの街を私は変えなきゃいけないんです!」 兵士であるあなた達に罪はないのは分かっているけど、ごめんなさい…私はやらなければ。 レティシアは少しためらいながら、その場で魔法の詠唱を始め、場には緊迫した空気が流れた。 だが突如として現れた1人の男がその空気を破る。 「おいおい。お前ら、エスコートの仕方も知らないのか?」 兵士の背後から男は笑みを浮かべ兵士達に声をかける。 「誰だっ!?」 振り返った兵士達は、男を見るなり驚いた表情で剣を構えた。 「き、貴様!ロイエル!なぜここに!?お前は投獄されたはずじゃ……」 ロイエル?もしかして…レティシアはロイエルという名前を知っている。 レティシアの家と並ぶ3大貴族の一角であるシュレイドにより逆賊として捕まった男の名前だ。 レティシアは兵士達がロイエルに気を取られているのを見て魔法の詠唱を解除し、隙をうかがいながら逃げ出す算段をする。 「悪いがじっとしてられる性分じゃねぇんだ。それじゃ、そのお嬢さんを放してもらうぜ?」 一瞬だった…目にも留まらぬ速さでロイエルの剣は正確に兵士達を捉えていく。 バタリと最後の兵士が倒れ、ロイエルと呼ばれた男はレティシアへ目を向ける。 レティシアは倒れた兵士達を心配そうに見つめていた。 「安心しろ、眠ってるだけだ、そのうち起きるだろ」 気絶させただけだと教えられ、助けてくれたロイエルにレティシアがお礼を言おうと口を開くが、剣を突き付けられてその言葉を遮られてしまう。 「お前、さっき街を変えたいとか言ってたな?貴族様ってのは、自分さえ良ければそれでいいんじゃねぇのか?俺のオヤジは街を変えようと、少しでも良くするために戦ってた。だから、消された。例えお前がどんだけ偉い貴族様の御令嬢でもそんなことしたらただじゃ済まねぇだろ。なぜ変えようと思う。利益のためか?」 利益?違う…私は、私はイエルの…この街の住人が大好きなのです。 ロイエルの問いにレティシアは思考を巡らすが、答えはすでに出ていた。 「貴方が私達貴族にどの様なことをされてきたか想像もつきませんが、それを知らないまま生きていくのは嫌です!知っているのに何もできないのはもっと嫌!私は、私の大好きなこの街の住民を護りたい!それ以外に理由なんていりません!たとえ私の家が地位を失うことになっても……。大好きな人達を護るためなら喜んで私は捨てましょう!」 剣を向けられていることを忘れてしまうくらい興奮している自分に少し恥ずかしさを覚えると同時に、言いたい事を正直にはっきりと言えた事に少しスッキリしていた。 そして、レティシアの言葉を聞いたロイエルは突然笑い出すと剣を降ろした。 「はははははっ!面白れぇ!でも、さっきみたいに囲まれて逃げ出せねぇようじゃ、用心棒が必要なんじゃねぇか?」 レティシアはその言葉を聞いて真剣に悩む。 確かに、まだ街を出ることすらできないのに…ロイエルが助けてくれなかったら私の旅は始まることもままならなかった。 この人にならそのあてがあるのだろうか?と考える。 「あの、ロイエルさんですよね。貴方にはその用心棒のあてがあるんですか?」 素直に尋ねたレティシアに対して胸を張って答えるロイエル。 「おいおい、目の前にいるだろう?お前は今、俺の剣の腕を見たんじゃないのか?」 ロイエルはレティシアに手を差し伸べる。 そして、レティシアは笑顔でその手をとりながら答えた。 「ぜひ!お願いします!ロイエルさん!私はレティシアと呼んでください!」 こうしてレティシアはイエルを変えるためにロイエルと共に行動することとなる。 ―― レティシア達はイエル近郊にある街へと来ていた。 今のイエルを変える足掛かりになる情報を二人で手分けして集める為に。 レティシアは情報収集を終えて酒場へ向かう。 ロイエルとは酒場で落ち合う約束をしており、約束の時間に遅れまいと急いでいた。 路地を進み、酒場までの通りに出たところで1人の傭兵がレティシアに気づき近づいてくる。 何か探している様子の傭兵に、警戒感からレティシアは身を隠す為のローブを深く被った。 「そこのお前!ロイエルという男をこの辺りで見なかったか?黒髪で妙な剣技を使う男だ」 傭兵はレティシアの前に立ちはだかると手配書をみせて尋ねる。 傭兵の言葉にレティシアは息をのみこんだ。 レティシアは深く被ったローブの中で深呼吸をして焦りを抑えてから答える。 「いえ、見たことありませんね」 そっけない返事から顔を見せないレティシアを不審に思った傭兵はフードを深く覗き込んでくる。 まずい、ばれてしまうのではないかと背筋に緊張が走る。 「あの…私急いでいるので」 その場を足早に立ち去ろうとする。 「待て」 傭兵はレティシアの進路を塞ぎ、もう一枚の手配書をみせる。 「最後にこの金髪の御令嬢を見なかったか?先ほどの男が連れ去ったのだ。コイツの身柄も同時に渡せば報酬が2倍になる」 傭兵は勘繰るような表情でレティシアを見つめる。 「見たことはありませんね……お力になれずにすみません」 レティシアはそっけない返事を繰り返し、傭兵の脇から潜りこむようにして前へ進む。 その瞬間だった…傭兵は去ろうとするレティシアのローブを掴んで強引に引っ張る。 「お前、何か隠してやがるだろう!そのフードを外して顔をよくみせてみろ!」 バッ!とフードが剥がされ、鮮やかな金髪の髪がなびく。 急いでフードを被りなおすが、男は手配書とレティシアを見比べわなわなと震えた。 「き、貴様!レティシアだな!やはり、ロイエルもこの近くにいるのか!?おい!あの男はどこにいる!」 掴みかかろうとする傭兵をかわし、レティシアは着ていたローブを投げつける。 傭兵がわずかにひるんだ瞬間を見逃さなかった。 レティシアはその場から駆け出して一目散に酒場を目指す。 「おい!見つけたぞ!こっちだ!逃がすなぁっ!」 傭兵は大声で仲間に向かって叫び、あたりは一気に喧騒に包まれた。 レティシアは町中に自分達を探す傭兵達であふれていた事に気がつく。 傭兵は走る自分の姿を見つけては、その数を増やしながら追いかけてくる。 バァンッ!酒場の扉が勢いよく開かれ、全力で走ったレティシアは肩で息を切らしながら叫んだ。 「ロイエルさん!大変です!すぐにここを出ましょう!!外に傭兵の皆さんが……あっ……えーと……」 言葉の途中で酒場中の人間の注目を自分が集めている事に気がづく。 愛想わらいでごまかそうとしているレティシアに向かってロイエルが声をかける。 「いつまで、そこに突っ立てるんだ?逃げるんだろ?というかローブはどうしたんだ?お前、目立つから着てろって言ったじゃねぇか?」 「動きづらかったので、捨てて来ました!急いで教えたかったので仕方がありません!」 ロイエルに必死に言い訳をするレティシア。 酒場を出た二人の目の前に、沢山の傭兵達が集まっていた。 「ロイエルさん!私も加勢します!」 杖を構えるレティシアの前に出るように剣を構えるロイエル。 「ったく!少しは反省しろよ!……しゃーねぇ!行くぞ!レティシア!」 ロイエルは傭兵達に向かって剣を向ける。 「テメェら!こいつは妙な剣技を使うから気をつけろよ!いいか!一人ずつじゃねぇぞ?束でかかれよっ!」 言うやロイエルを中心に周りを傭兵達が囲む…そして、一気に襲い掛かった。 傭兵達の判断は確かに間違ってはいなかった。 腕の差を冷静に判断して集団戦に持ち込む。 だが誤算は、ロイエルの剣技が傭兵達の予想をはるかに超えていたことだった。 多人数を相手に一歩も引かずに剣を振るうロイエルによって、傭兵達の旗色はどんどん悪くなっていく。 戦いは乱戦になっていき、ロイエルを護る為にレティシアが魔法の詠唱を始めた時だった。 背後からレティシアにとりつき羽交い絞めにする傭兵。 「あっ!レティシア!?」 一瞬、ロイエルはレティシアに気をとられた。 「隙ありだぁっつ!オラァッ!」 ロイエルの側面から剣が振り下ろされる。 ダアァァンッ!間一髪で剣を避け、反動から飛び蹴りを相手に放つ。 「レティシアを放しやがれっ!」 ロイエルの剣閃はレティシアを羽交い絞めにしていた傭兵だけを吹き飛ばす。 「レティシア!大丈夫か?」 「は、はい…それよりもロイエルさん…お怪我を…」 ロイエルの肩からは血が滴っていた。 「ちぃ…避けそこなったか」 「私の不注意で…すみません」 「今にはじまったことじゃねぇだろ?気にすんな。お前が無事ならそれでいい」 レティシア達はその場にいた傭兵達を一掃し、酒場の外へ出る。 応援を呼びに外へ向かった傭兵もおり、このままでは危険だと判断したためだ。 傭兵達があたりを探す中、レティシア達は荷馬車の中に身を隠し息を潜める。 やがて荷馬車が動き出し、傭兵達の声が徐々に遠ざかるのを感じて二人はホッとした。 怪我を治療するレティシアにロイエルは気になっていたことを質問する。 「そういや今更なんだが、なんでわざわざお屋敷を飛び出そうなんて思ったんだ?イエルじゃシュレイドと同じくらいデカい貴族なんだろ?お前のオヤジならどうにかなったんじゃねぇのか?」 レティシアは頭を振って答える。 「残念ですが、それはないです。父は根っからの貴族です。庶民に対して何か酷いことをするわけではないですが、庶民の身に起きていることに興味があるわけでもありません。私が、こうして何かしなきゃ…って思ったのはホントに些細なことからです」 レティシアはロイエルに語り始める。 「私は小さい頃から、ずっと本を読んでいたんです。本に出てくる冒険の話や平和な世界に憧れていました。それで、いつか外の世界を見たいと思うようになっていたんです」 自分の住むお屋敷と貴族街だけしか見たことのないレティシアにとって、外の世界への思いは募っていくばかりだった。 「一度だけ、ほんの出来心だったんですけど…どうしても外の世界が見たくなっちゃって父の目を盗んでお屋敷を抜け出したんです」 衝動を抑えられなかった。 どうしても外の世界を見たい!その気持ちはレティシアに行動を起こさせる。 お屋敷を抜け出し貴族街を駆け抜けてイエルの中心街へ向かう。 閑静な貴族街から中心街に近づくにつれて周りの騒がしさが増してくる。 はぁ…はぁ…と息を切らしながらたどり着くと中心街には市がたっていた。 見たこともないような珍しいものが所狭しと並び、興味をさらっていく。 そこでは貴族の社交界のような固い空気はなく、沢山の人が行き交い笑顔に満ちた世界が広がっていた。 「興奮しました。こんなにも素晴らしい世界があるんだなって思っちゃいました」 その日、レティシアは街中を探検していた。 だが、レティシアにとってはあまりに新鮮で刺激的であった為、夢中になりすぎて気づけば人気のない貧民街にまで来てしまっていた。 「ちょっと怖くなってきたので引き返そうとしたんです。そうしたら、貴族の兵士達がいるのを見つけて…見つからないように咄嗟に隠れました」 物陰に隠れてそっと様子を伺っていると、兵士達は乱暴に民家の扉を叩き始めた。 「住民の方が外に出てくると、兵士達はいきなり乱暴を始めたんです…」 突然の出来事に怖くて何もできなかった。 そして、貴族の兵士は住民の懐から財布を取りだすとそのままどこかに去っていった。 「住民の方は怪我をしていました。それで、私が魔法で治療したんです。ありがとうってお礼を言われて…なんでこんなひどい事をされたのか聞いてみました」 民家の住民は少し考えてから重い口を開き始める…。 「貴族の兵士は…ああやって身に覚えのない税金を取り立てに来るんだ…」 他にも店を荒らしに来る時もあれば、ただただ乱暴しにくるだけの時もある。 貴族に逆らうとどんなひどい目に合うかわからないからじっと堪えているという話を聞く。 「私、我慢できませんでした。自分と同じ貴族がこんなことをして人を苦しめているって初めて知って。急いでお屋敷に戻って、見たこと聞いたことを父に話したんです。そうしたら、庶民のことなんて貴族が気にする必要はないって言われたんです…」 あの日、お屋敷を抜け出したことを怒られた。 あの後も、父に疑問や質問を投げては庶民だからとどうしても取り合ってもらえなかった。 庶民と貴族はそんなに違うの…?それはしょうがない事なの?あの人達を見捨てて自分だけ幸せに暮らすなんて考えられない。 狭いお屋敷の中じゃ何もできない…そう考えてレティシアはお屋敷を飛び出そうとしたと語った。 揺られる馬車の中でロイエルはレティシアの話を聞き、そして口を開いた。 「そっか、今のスラムじゃぁ…レティシアの見た貴族兵の行いなんて日常茶飯事で起きてるしな。正直、俺は貴族なんてそんな奴らばっかだと思ってるぜ?けど、もしレティシアみたいな貴族が実権を握るならイエルも少しはマシになるかもな」 ロイエルは自分にも言い聞かせるように話をした。 二人は揺られる馬車の荷物の影に隠れながら、夜通しで互いの考え、互いの理想の話をする。 ――翌日 日が高く昇る頃、荷馬車はアルモニアの街に着いていた。 荷馬車の主が荷物を降ろそうと幌(ホロ)をはがすと、寝入っているレティシア達を見つける。 「お、おい!あんたら誰だ!?なんでウチの馬車に勝手に乗っているんだ!」 荷馬車の主が驚き大声を上げたことでレティシア達は目が覚める。 「ちぃっ…途中で降りるつもりだったが、俺としたことが…」 バッ!と起き、ロイエルは舌打ちをしてから何とか出し抜いて逃げようと画策する。 「レティシア!俺がひきつけるから…一気に走れ!」 ロイエルはレティシアに向かって指示を出す。 「ダメですっ!」 えっ?とロイエルはレティシアに振り向く。 レティシアは荷馬車の主に向かい申し訳なさそうに話しかける。 「すみません、ご迷惑をおかけしました。ここまで運んでいただいたのですから、少ないですが、こちらを受け取ってください」 レティシアが手渡した袋には金がぎっしりと詰まっていた。 「お、お…本当にいいのか?嬢ちゃん!?」 袋を受け取って中身を覗いた荷馬車の主は、その量に驚いては大はしゃぎで快くレティシア達を許す。 「ほー、あんなに渡して…太っ腹だなぁレティシア」 「はい!全部差し上げました!」 「え…マジかよ」 大はしゃぎをしている荷馬車の主を前にして、返せとも言えずにロイエルは1人頭をうなだれた。 アルモニアはいたって平穏であり、まだこの街では二人の顔は割れていないらしく、顔を出しても充分外を出歩ける様子だった。 イエルの現状を変えたいと飛び出したものの、具体的な行動を何も決めていない二人。 まずは情報を集めて目的を決めようとロイエルが促す。 スラムのボスが顔を利かせていた頃のイエルは平和だったんだ…それが、徐々に変わり始めたのには何か理由があるはずだ。 レティシアは頷いて、ロイエルの案に乗る。 「ロイエルさん、アルモニアは帝国に占領されているんですよね?街のあちこちに怪我をしている人がいたので…あの、私、目の前の傷ついた人たちも放って置けないです!」 アルモニアが帝国に占領されているからか、この街も相当疲弊している様子だった。 「そうだな…それなら情報収集する時間を決めるか。レティシア1人だと不安だしな、昼はレティシアに俺が用心棒として付き添うぜ」 「ロイエルさん…ありがとうございます!」 「夜になったら俺は酒場で情報集めをするか」 「はい!」 二人は相談して案を決め、昼は用心棒も兼ねてレティシアの人助けを手伝い、夜はロイエルが酒場で情報収集をすることになった。 また、路銀が尽きたこともあり、レティシアは治癒魔法で医療院の手伝いをする。 そんな形でしばらくの間、二人のアルモニア生活が始まった。 ――そして月日は経ち 拠点としている宿で今日も二人は集めた情報を報告しあう。 「どうだ?何かめぼしい情報は手に入ったか?」 「えぇと…私が治癒魔法を使って回復させた人なんですけど、今は亡き奴隷商に仕えていた元奴隷の方で…火には気をつけろ!特に赤い竜の炎には気をつけろッ!と言っていました」 「はぁ?なんだ?そのたわ言みたいな情報は…」 「え、えぇと…あ、そういえば、かつてアルモニアが誇っていた音楽隊の隊長なんですけど…その男の人、口紅はピンク色を使っているそうです。なんか男運があがるからとか…」 「おいおい…そんな情報がなんの役にたつんだ?」 「えぇと、すみません……これで全部です」 アルモニアに来てから結構な月日が経つが、イエルの現状を打破するような情報はまったく集まっていなかった。 「くっそ…こんなんじゃ、全然前に進めねぇじゃねえか!」 次第にロイエルは焦りからかイラ立ちが募り始めていく。 「レティシア、いつまでもアルモニアの人に構ってばかりいちゃ、イエルも世界も変えられねぇ。少しは集中して今後の事を考えようぜ?」 ロイエルの話は、人助けをやめて情報収集に専念しようという内容だった。 「そうですか…分かりました。あ、でも、あの…重病だったおじいさんの所には、少しだけでも様子を見に行ってもいいですか…?」 ロイエルの案に了承しつつもレティシアは重病の老人の様子だけは見に行きたいと言う。 レティシアは街で病気や怪我で床に伏せている人を見つけては、治癒魔法で癒してあげている。 癒したあとも数日に一度は様子を伺いに行くようにしていた。 だが、その重病の老人には治癒魔法が効かず、せめて会話だけでもと毎日のように老人の家に通っていたのだった。 「レティシア…」 ロイエルはハッと何かを思い出したかのように、レティシアに向かい申し訳なさそうにする。 「え?どうしたんですか?」 レティシアは驚きながらもロイエルに問い返していた。 別に情報収集をサボっているとかそういう事じゃない。 情報の集まりが悪くてイライラしていただけだ。 イエルを良くしたくて…変えたくて……このアルモニアまで来たのに、目の前の人も助けないで何がイエルも世界も変えられねえ!…だ。 「どうやら頭に血が昇っていたみたいだ。お前のいいところはそういう優しさだったな…情報が集まらないからって、八つ当たりしてすまねぇ。」 「そんな!謝らないでください。私はそんな事気にしていませんから」 「ああ、ありがとな。なんか大事な気持ちを忘れるとこだったぜ。そうだな、まだ当たってないところもあるし…もうちょっと気合入れて情報収集するか!」 「はい!頑張りましょう」 ―― 二人はせっせと情報収集を再開していた。 レティシアだけはあの老人の為に毎日少しの時間を割いては話し相手になっていた。 助けられなくても、せめて力になれることをしたかったのだ。 そんな中、ロイエルは酒場で仕入れた情報から、時勢に詳しい情報屋がアルモニアに帰ってきている事を知る。 「ロイエルさん、やりましたね!」 「ああ、少しは前進できたな。情報屋はここからそんなに遠くないところに宿をとっているらしい。早速でかけるか!」 「はい!いきましょう」 二人の毎日の情報集めが功を奏し、アルトゥーロという情報屋までたどり着くことができた。 そして、二人はひとしきり喜びを分かち合った後に情報屋がいるという宿へ向かう。 ロイエルは宿の店主にアルトゥーロという男が泊まっていないか尋ねてみる。 だが、店主には答えられないと断られてしまう。 「どうすっかな…アルトゥーロが出てくるまで待つか?」 「はい。そうしましょうか」 二人が相談をしていると、パイプを口にした男がロイエルへ近づいていく。 「おい…お前らか?俺の事を探し回っているって奴らは」 「お前、アルトゥーロか?はは、こんなすぐ会えるとはな!俺はロイエルってんだ。早速で悪いんだが情報が欲しくてな…」 ロイエルがみなまで言うより先にアルトゥーロが口を開いた。 「帰れ…」 情報屋のアルトゥーロは、ロイエルを一瞥するなり冷たく言い放つ。 「おい!何でなんだよ!」 「よく俺を見つけたなと褒めてやりたいが…俺は情報屋だぞ?情報を売って金にしているんだ。あんたらは見た感じ、金…持ってないんだろう?」 情報屋は確かにイエルの情報を持っているが、どれだけ二人が食い下がっても金が払えないなら教えられる情報はないと突っぱねられる。 「くっそ、あの野郎…足元見やがって!」 「すみません…私が荷馬車の方に路銀を全て渡してしまったばかりに」 「おいおい、過ぎたことでくよくよしてもしょうがないだろ?」 「ですが…」 「せっかく、ちょっとは前進できたんだ。あんな大金を払うのは癪だが…なんとか金を作ることを考えようぜ?」 「ロイエルさん…はい!わかりました!」 二人は大金を稼ぐ方法を相談するが、なかなかいい案が思い浮かばずにいた。 ―― 次の日、お金を稼ぐ方法を話し合いながら、レティシアは日課のお見舞いにロイエルと二人で重病の老人の家へと来ていた。 「おじいさん、こんにちは!調子はどうですか?今日は桃を持ってきましたよ」 「おお、レティシアちゃん…いつもすまないねえ」 「気にしないでください。こんなことしか力になれないので。」 レティシアは馴れた手つきで皮をむき、桃をきれいに切り分けては小皿に盛り付けていく。 「できましたよ。はい、どうぞ」 レティシアは老人に桃の盛り付けられた小皿を渡す。 「ありがとう。こんな老いぼれに優しくしてくれるなんて、ほんとうにレティシアちゃんは優しい子だよ…」 「そんな…あ、食べたらお薬の時間ですよね?お湯を沸かすので少し待っててください」 パタパタと動き回るレティシア。 ロイエルもレティシアの手伝いの為に、台所へと水差しを取りにいく。 「爺さん、帰ったぞ。…おい!なんだてめえら?」 ガチャっと開かれた扉から姿を現れたのはアルトゥーロだった。 「てめえら、あんときの…!」 アルトゥーロには二人が金策に行き詰った故の行動に見えたのだろう。 老人に薬を飲ませていたレティシアにナイフで襲い掛かる。 「レティシア!あぶねぇッ!」 だが、間一髪ロイエルの剣が間に入りナイフを受けた。 「ちっ…お前ら、ここで何をしている?返答次第じゃ生かして返さねぇぞ」 アルトゥーロが凄みをきかせて二人を睨みつける。 「アル!やめろ!この二人は客人だぞ!物騒なものをしまえ!」 重病人であるはずの老人の怒号が響き渡る。 アルトゥーロは驚いたが、素直に老人のその言葉に従った。 老人はレティシアに命を助けられた事を話し、今も毎日のように話し相手になってくれているとアルトゥーロに説明をした。 「そうか…すまなかった。まさか、お前らが爺さんの恩人だったとはな。ああ、俺は爺さんの孫さ。こうやって情報屋をしながら爺さんの病気のために金を稼いでいるんだ」 レティシア達は老人と情報屋アルトゥーロが祖父と孫の関係であることを知る。 「恩には恩で返す。爺さんの命の恩人なら情報を渡さないわけにはいかないな。よし、なんでも聞いてくれ」 「アルトゥーロさん…ありがとうございます!」 「よかったな。ワシもちょっとはレティシアちゃんに恩が返せたようだよ」 老人は微笑みながらうれしそうに話す。 「おじいさんも…ほんとにありがとう」 レティシアとロイエルは老人とアルトゥーロに感謝し、イエルの情報を求めた。 「イエルの近況について聞きたいんだ、どんなことでもいい。教えてくれ」 「ふむ、イエルか…そうだな。帝国が王都を陥落させたことは知っているよな?そのせいでイエルにも変化が起きている。なんでも…イエルの三大貴族の一つであるシュレイド家が帝国に取り入る為に賄賂を渡しているって話だ。それも莫大な金額を…その金を作るのに結構あくどいことをしているみたいだぞ?シュレイドを筆頭にその一味が勝手に税を取り立てたり、イエルの住民に暴行を働いては財産を奪ったりしているらしい」 シュレイドの名前が出た瞬間、ロイエルの顔が一瞬険しくなる。 その話の内容もスラムでは日常茶飯事に行われている事だった。 レティシアは黙ってアルトゥーロの話を聞いていた。 シュレイドの名前が出てからのロイエルはずっと難しい表情をしている。 レティシアには、その心情を推し量る事しかできなかった。 ―― 二人は老人の家を後にし、自分達の宿へと向かって歩く。 「帝国だったんですね…」 色々と情報を得たことで諸悪の根源は帝国であることを知る。 「ああ、そうだな。スラムがおかしくなったのも…スラムのボスがシュレイドに殺されたのも同じ時期だったな。」 「ロイエルさん、これからどうしましょうか?」 レティシアはロイエルに今後の事を聞いてみる。 アルトゥーロの話でシュレイドという名前が出たときに、ロイエルが見せた険しい表情をレティシアは見逃さなかった。 何か因縁があったのだろうか?レティシアは心境を見せないでいるロイエルを気にしていた。 「レティシア、帝国が全部の悪だってことはわかった。けど、俺はその片棒を担ぐようなことをしているシュレイドも許せねぇんだ…あいつの悪事は帝国に比べたら小さいかもしれねぇけど…」 シュレイドに対する己の心情をロイエルはレティシアに話す。 帝国は許せないが、シュレイドも許しがたい…ロイエルは葛藤をしていた。 「復讐しても仕方ないのは分かっているが、それでもシュレイドは許せねぇんだ!けど、あいつを打ち倒しても、傘下の貴族家が同じ事をするだけで…何も変わらないかもしれねぇけどな」 「ロイエルさん。これまで通り…まずは帝国やシュレイド家の情報を集めませんか?今悩まずに、色々分かってから決めればいいじゃないですか」 「ああ、そうだな…そうするか」 ―― 帝国やシュレイド家の情報を集めはじめて数日が経った頃、遅い晩御飯をとるために二人は酒場に来ていた。 この酒場はロイエルがよく情報収集につかっており、常連客とはすでに顔なじみであった。 酒をなみなみ注いだジョッキを片手にした常連客の男は、ロイエルの姿を見つけては話し相手がいたとばかりにロイエル達のテーブルに寄ってくる。 「よぉ…そういや聞いたかおめぇ?イエルでとんでもねぇ事件があったらしいぞ。なんだか貴族のでかい家に居た全員が、惨殺死体で発見されたと。貴族の名前は、シュ…シュレなんだっけか?」 「シュレイドか!」 ロイエルは声を上げた。 「それだ!そんな名前だったぞ!」 想像以上に食いついてくるロイエルに、おっさんはちょっと待っていろと言い残して酒場のゴミ箱からぐしゃぐしゃになった号外紙を持ってくる。 号外紙にはシュレイド家の中にいた全員が、短刀のようなもので切り刻まれた惨殺死体で発見されたとあり、さらに当主のシュレイドは自室で誰よりもひどい状態で発見されたとのことだった。 「はは…あの野郎…くたばりやがったか…」 ロイエルは少し泣きそうな顔をしながら笑い出す。 「レティシア、すまねぇが…先に宿に戻ってる。悪りぃが少し一人にしておいてくれ」 レティシアが声をかけることを戸惑っているとロイエルは足早に宿へと戻っていく。 背中姿は悲しそうな、そして何かやるせない思いをしているのだとレティシアは感じていた。 ―― 翌日の朝、レティシアはロイエルの部屋の前に来ていた。 昨夜からずっと部屋を締め切りにしているロイエルを心配してのことだった。 「あの…ロイエルさん。朝食をいただきに行きませんか?」 レティシアはコンコンとノックをしてドア越しに声をかける。 「決めたっ!レティシア!」 バンッ!とドアが開かれ、大声をあげながらロイエルが部屋から出てくる。 「きゃっ!ロ、ロイエルさん…?何を決めたんですか?」 「ああ、レティシア。的は一つだ!シュレイドはもういねえし…帝国を討てば全てが終わるはずだ!もう吹っ切れたぜ!相手はシュレイドの比じゃねえが…やってやろうぜ!」 昨日とは打って変わって元気な姿を見せるロイエルにレティシアは驚く。 シュレイドの事は吹っ切れたのだろうか?だが、“こちらのロイエルさん”のほうがいい。 そう思ったレティシアは何も聞かずにロイエルの言葉に全力で同意した。 「はい!そうしましょう!」 しかしここ最近調べた情報では、帝国の勢力はあまりに強く二人で何とかできるような状況ではない。 「帝国は強大だ…俺たちだけだと敵わないからな。まずは、帝国と戦っているっていう反帝国組織にあたってみるか?」 「そうですね。それに、イエルもアルモニアも…私は帝国の支配に苦しむ人たちをみんな解放していきたいです」 「はは、そいつは困難な道のりになりそうだな」 「はい!ずっと何とかしなきゃって思ったことが出来そうです!」 そして、まだ見ぬ帝国の支配に苦しむ人たちを開放すべく二人は反帝国組織に入団する決心を固める。 生まれも境遇も違う二人が…それぞれ思い描き、夢見た平和な世界。 形は違えども、その平和への望みは一緒だった。 帝国は巨大な存在で二人の前に立ちはだかっている。 それでも希望を胸に二人は戦い続けることを選んだ。 そして、夢見た平和な世界の実現へ向けて二人の戦いは新たな幕を開ける。
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+黒き禁忌に触れし者ハシュテッド 「ハッピーバースデー!ハシュテッド!!」 仕事明けの自室。 扉を開けた途端に耳に飛び込んできた大声に驚く。 「シャロン……?どうしたの?」 「どうした……って、今日は貴方の誕生日でしょう?」 「あぁ!そうだった……ハハ。忘れていたよ」 激務に追われる日々のせいでついつい忘れていた。 同僚である彼女もまた同じ環境にいるはずなのに、わざわざ覚えてくれていたのか。 思えば自分も彼女の誕生日のことだけは忘れたことはない。 そういうことなのだろう。 「ところで、留守の間にどうやって部屋に入ったんだい?」 「やっとこの合鍵ちゃんにも出番が回ってきただけよ!」 「あー……ずっと前に渡したっきりだったね」 「そんなことよりも、早く!ご馳走も沢山用意してあるの!」 自信あり気な面持ちのまま、テーブルまで自分の腕を引っ張っていくシャロン。 そこには、その表情を裏打ちするには十分すぎる料理の数々が並んでいた。 「凄いな……全部一人で?」 「当然!例え一流シェフであっても、今夜は私以外の人間の作ったものは口に入れさせないから」 「部隊のみんなは、いつも戦場で果敢に戦う君にもこんな一面があるってことを知らないんだね。本当に光栄なことだ」 「いい加減見え透いたお世辞はやめにしないかしら?こういう事が似合わないのはわかってるわよ……」 「アハハ!嬉しくって、ついね……」 食卓に並べられたご馳走に舌鼓を打ちながら、静かに夜は過ぎていく。 「本当に美味しかったよ。今日はありがとう。シャロン」 「デザートもあるわよ?」 再び例の微笑ましい表情を浮かべ、食器棚の影からケーキを運んできたシャロン。 そして彼女は、おもむろにロウソクをテーブルの上に並べた。 「……二十三本。ちゃんと歳の数だけ用意してくれたんだ」 「それを一本ずつケーキに刺しながら、貴方のその歳の想い出を聞かせて欲しいな」 「だから机に並べたのか……なんだか急に罰ゲームみたいになってきてないかい?」 「じゃあ、まずは生まれたばかりのハシュテッドから!」 「問答無用なんだね……」 真新しいケーキを見つめ、自分の生まれを思い返す。 「二十三年前の今日。アスピドケロンの街で、僕は司書の両親の間に生まれた」 ………… …… 「五歳。騎士団の養成学校に入った。父の勧めだったけど、運動の苦手な僕は正直気乗りしなかったな……」 ………… …… 「十三歳。団長が認めてくれて、術士隊の副隊長になった年だ。突然のことで驚いたよ」 ………… …… 「十六歳。君を初めて見た。両親の勤める図書館だった。そこに顔を出した君をずっと眺めていたのを覚えているよ。装甲士隊の隊長だった君に近づくため、それからはがむしゃらだったな……」 「初めて聞いた……私は全然気づかなかったわ……」 「それもそうだろうね。後衛の術士隊が最前線の装甲士隊の人と関わる機会なんてほとんどないし、僕も隊の人に聞いてやっと君の事を知ったんだから」 ………… …… 「十八歳。この年は――」 「私と一緒ね」 「……あぁ。そうだね。ここからは君と歩んだ人生だ。僕の人生で一番大きな転機になった年。憧れだった君の隣に立てることが、とにかく嬉しかったよ」 「私はいつも無茶する貴方が心配で仕事中も落ち着かなかったわ……」 「それはお互い様さ。この年はいろいろな事があったね。泊り掛けの遠征じゃ、二人きりでもないのにやたらとドキドキした。両親に君を紹介した時は、身構えていた僕達を心から祝福してくれたのは本当に嬉しかった」 ………… …… 「二十一歳。騎士団長に就任した君。そして、僕も併せて副団長に昇格した。倍に増えた仕事を二人でなんとか処理し続けたね……」 「えぇ……地獄だったわ……きっと貴方とじゃなければ気が滅入ってた……」 ………… …… 「二十三歳。今日。一番大切な人に誕生日を祝ってもらった。そして……僕はそのお返しに、結婚を申し込むんだ」 「…………え?」 最後の一本をケーキに差し、二十三本のロウソクの灯が部屋を包み込む。 そして、彼女の手を優しく取り、真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。 「シャロン。これからもずっと傍にいて欲しい。僕と結婚してくれるかい……?」 「…………」 「……あれ?」 絶対の自信があったわけではない。 少なくとも許否のどちらかの返事はもらえそうなものだが、予想外の沈黙。 彼女は目を見開き、驚いた表情のまま固まってしまっている。 「……勢いに任せて言ってるんじゃないでしょうね?」 「え!?そ、それは勿論!」 唐突に口を開いたシャロン。 実のところ、前々から機会は伺っていた。 タイミング的に言いやすいと思ったのは間違いないが、ただ勢いに任せてというわけではない。 だから嘘は言っていない。 「……喜んで」 口に出した途端、見る見るうちに彼女の目から涙が溢れ出る。 それは彼女が真意を述べている何よりの証拠だった。 「ほ……本当に!?」 「ここで嘘を付くほど無神経な女だと思っているの?」 「い、いや、そういうわけじゃ!ただ……その……受けてもらえた後の言葉を考えていなかったというか……いや!適当な気持ちで言ったってわけじゃなくて!あぁ、そうだった!!指輪を!!」 「ふふ……貴方らしい」 プロポーズを快く承諾してくれたシャロン。 慌てて差し出された指輪に薬指が通ると、涙を流したまま、満面の笑顔を見せてくれた。 本当に幸せな夜だった。 明日、騎士団の団長として、王都からの招集を受けていた彼女。 任務から戻ったら式を挙げようと約束した。 ――コンコンッ 「シャロン?準備はできたかい?」 翌朝、隊舎の団長室の扉をノックして中へと入る。 出発の控えるシャロンに、見送りの言葉をと思ったのだが…… 「何をしてるんだい?」 「ハシュテッド!?い、いつの間に!?!?」 シャロンが愛用の盾の裏に、熱心にナイフで何かを刻んでいるのが見えた。 声を掛けられたことでやっとこちらの存在に気付いた彼女は、慌てて盾を背中へ隠す。 「ノックはしたんだけど……?」 「そ、そうだったかしら!?」 ノックにすら気付かない程に集中していた彼女。 それだけの想いを込めて彫られたものとなると、その正体が気になるのも当然だ。 「何だい?気になるな」 「何でもないの!そ、そろそろ出発しないと!」 「あ、うん。点呼は済ませておいたよ。皆すでに待機してる」 「じゃあ、私も行くわ。任務を終えて必ず帰る……ニ、三日間だけの辛抱ね」 「待ち遠しいよ。たった数日なのに何年にも思えそうだ」 結局、何を彫っていたのかは教えてくれなかった。 彼女が帰ったら改めて聞いてみよう。 部隊の無事を祈りながら、次第に小さくなっていく彼女の背中が見えなくなるまでずっと見送り続けた。 そして、彼女は部隊共々、二度と帰ってはこなかった…… 帝国が王都を襲撃したとの知らせを受けたのは、シャロンと近衛隊が王都に向かってからすぐのことだ。 当然、団長と団員の安否を確認するため、団内でも会議の場が設けられ、上層部に王都への出兵を打診した。 しかし、状況が詳細につかめていない中、軽々に行動するのは危険だという判断により申請は棄却。 隊舎に残った騎士団員達は皆、苦虫を噛んだような顔で、ただ事態が変わることを待つほかなかった。 「離せ!頼む!行かせてくれ!!」 「副長!どうか……どうかご辛抱を!!」 「我々も想いは同じです……ですが、今は!」 「落ち着きたまえ、ハシュテッド君。君まで行方知れずなんてことになれば、騎士団の基盤そのものが揺るぎかねないんだぞ!?せめて王都からの救援要請が来るのを待つんだ!!」 「要請が無ければ誰も助けないのがこの騎士団の在り方ですか!?そんな組織ならば私はこの場で退団させていただく!」 「落ち着けと言っているだろぅ!おい!この者をしばらく牢にぶち込んでおけ!!」 上層部の面々が並ぶ席で、決定をどうしても受け入れることができなかったハシュテッドは、単身王都へと向かうことを宣言。 しかしこれを上層部が許すはずも無く、団員達の手によりその場で抑え込まれる。 命令通り、牢へと連れていかれたハシュテッドだったが、この時に牢へと彼を連れて行った団員達は、口々に言葉を残した。 申し訳ありません。 頼みます。 去り際にそう述べた彼らは、哀しさとも、悔しさとも取れない苦悩の表情で顔を歪ませていた。 腰に手をやると、いつも通り刺されたままになっている杖。 「そういうことか……」 あの場で彼らが命令に背けば、自分だけでなく騎士団そのものが処罰対象になりかねない。 申し訳ありませんとは、自分一人に全て託すことになり申し訳ないとの意。 頼みますとは、シャロンと、共に王都に出向いた団員達のことを頼むとの意。 「……ありがとう!任せてくれ!!」 街が寝静まるのを待ち、行動を起こしたハシュテッド。 治癒魔術を得意にしているとはいえ、彼ほどの術士ともなれば、ある程度の攻撃魔術を操ることも容易い。 牢を破壊し、隊舎を抜け出した彼は、一人王都へと船を向かわせたのだった。 ――翌日 単身アスピドケロンを飛び出したハシュテッド。 彼の姿は、陽の落ちた王都の中心街。 その路地裏にあった。 念のために行商人の運ぶ荷台に隠れて王都入りしたのは正解だった。 街の外からはわからなかったが、都内にかつての英華は見る影も無く、行き交う民の表情も暗い。 あちこちに戦闘の傷跡と思われる損傷。 通りのいたるところに帝国兵の監視の目。 王都は敗北したのだ。 アスピドケロンを発つ前に確認したシャロンの辞令。 彼女達が王都へ赴いたのは、要人の護衛のためだ。 護衛対象は、王都の元老院に所属する議員の一人。 彼に話を聞けば、シャロン達の行方を掴める可能性もあるが、王都が帝国に支配されてしまっては、議員が処刑されてしまっている可能性も否めない。 そうでなくても、どこかに監禁されていると考えるのが妥当か。 だが所在がわからぬ以上、まずは当人の屋敷を当たってみるしかないか。 あらかじめ調べを付けておいた屋敷を路地伝いに一周。 表の門と、裏に二名ずつ帝国兵が立っている。 幸運だ。 議員はまだ生きて、しかもここにいるようだ。 見張りの存在がそれを裏付けている。 「しかし妙だな……ん?」 屋敷の側面。 敷地を囲むようにして植えられた街路樹。 その内の一際高い一本は、屋敷を囲う柵を易々と超える高さ。 丁度いい。 既に陽の落ちた今なら目撃される心配も少ないまま、密かに中に侵入できる。 「起きてください……議員」 「……ん……んん?な!?だ、誰だきさ――」 「失礼。大声を出すのは遠慮して頂きます」 静まり返った屋敷の中。 議員の寝室へと忍び込んだハシュテッドが議員に接触する。 寝ていた自分の傍に現れた見知らぬ男を見て、声を上げようとした議員だったが、その口を塞いだハシュテッドの目を見て、抵抗の余地のない事を悟ってくれたようだ。 「こんな真似をして……何用だ?お前は誰だ?」 「お答えできません。ただ、こちらの質問に答えて頂ければ、議員の身に害が及ぶこともありません」 「……何が聞きたい?」 「先日の戦にて、議員を護衛していた者達の事です。行方をご存じなのでは?」 「彼女達の身内の者か!?彼女達には……本当に申し訳ない事をしたと思っている!」 「待ってください!どういうことです?」 「……私がしたことを知ってここへ来たのではないのか?」 「……?」 「そ、そうか……いや、全て話そう。君には知る権利がある」 議員は語る。 先の戦乱時、議員は帝国に脅され、彼らを王都へ招き入れるよう手引きをしたこと。 シャロン達はそんなこととは知らず、議員を護るべく帝国兵の群れの中へと斬り込んでいったこと。 そしてその時、黒い霧が戦場を包み込み、帝国兵ごと彼女達の姿が消えたということ。 「その後の行方は知らぬ……強要されたこととはいえ、今回の結果を招いた張本人は私だ。そんな私を護るために彼女達は……」 「黒い霧……魔術の一種か?」 「すまない……本当にすまない……!」 「やめろ!まだ彼女達が死んだとは限らない!勝手なことを言うな!!」 「あ……あぁ!その通りだ!彼女達ならきっと、きっと生き延びているだろう!!」 「……」 だが違和感を覚える。 この男の言動。 恐らく嘘は口にしていないが、何かひっかかる…… 「……貴方は帝国に監禁されているのですか?」 「その通りだ」 「では、僕がお救いしましょう。屋敷を抜け出すのです」 「な、何を!?」 「帝国がこの地を治めた今、貴方はもはや用済みだ。いつ処刑されてもおかしくない」 「し、しかし……逃げたことが知られれば即処刑だ!このまま屋敷にいれば、命だけは助かるかもしれない!」 「……確かに。ですが、やはり貴方がここにいるのはおかしい」 「何故だ?」 「言いましたよね?いくら王都の元老院議員で、協力者だったとはいえ、貴方にはもう何の力も無い。帝国にとっては無価値。なのに軟禁なんて面倒なことをする理由がない」 「それは……まだこの地における帝国の支配も完全とは言えない。反乱分子が領内に潜伏している可能性も示唆し、いざという時に人質にできると思っているのではないか?」 「……その可能性も無くはないですね。でも、僕はこう考えます。貴方は帝国と取引をし、何らかの条件を呑ませた上で彼らを手引きした。例えば……身柄の安全と帝国での地位」 「な!?とんでもない!!私は――」 「外の様子も見ましたが、屋敷内を含めてもせいぜい十人足らずの兵士しかいない。人質にするつもりなら牢に入れた方が自然だし、監視も楽だ。これではまるで……通常業務としての警備。まさにそんな感じです」 「程度の差だろう!?帝国はこれで十分だと考えているだけかもしれない!」 「ここに来た時、僕はすぐに違和感を覚えました。議員の行方を探す手がかりがあればと思って来てみれば、まさかの本人がそこにいた。しかも、お世辞にも万全とは言い難い監視体制。これで監禁されているなんて言わせませんよ?」 「だから――」 「声が大きいですよ。何故、そこまで熱くなるのですか?」 「ぐ……」 「貴方は僕が護衛について尋ねた瞬間、聞かれてもいないことまで饒舌に語りだした。懺悔と言えば聞こえはいいが、貴方はただ自分の罪が露呈することを恐れただけですよね?後でボロが出るくらいなら、いっそ帝国を手引きした事実を強要させられたことにしてしまえば追及もされない」 「……」 「僕が情を誘える人間に見えましたか?そうして信用させておき、機会を伺い帝国兵に始末させれば貴方の罪を知る者はいなくなる」 「私は……ただ……」 「本当に強要させられたのであれば同情します。誰しも命は惜しいものです。だが……お前は違う!自分だけが大切で!自分だけが全てで!自分さえ良ければそれでいい!!そんなお前は――」 「ま、待ってくれ!命だけは助けてくれ!!」 「……それは僕の仮説が正しいと認めるということでしょうか?」 「認める!だから命だけは……!そ、そうだ!私の護衛に付かないか!?」 「何のつもりです?」 「仲間を探すにも動きやすいし、情報も手に入りやすいだろう!」 「王都を裏切り、帝国に尻尾を振った人間を信用しろと?」 「な、ならば金はどうだ!?これに勝る信用もない!!」 「……貴方には感謝しなくてはならない」 「おぉ!そうだろうとも!!」 「元々、僕はお前を殺すなんて考えてはいなかった。だが、話を聞いて如何にお前が救えない人間かよくわかったよ……」 「……は?え!?」 「お前のような人間を護るために……皆が……彼女が身を危険にさらしたかと思うとどうにかなりそうだ……僕は、危うく間違いを犯すところだったよ。それを気付かせてくれてありがとう……」 具体的な情報は得られなかったが、彼女達が生きている可能性があるとわかっただけでも良しとするべきなのかもしれない。 話によれば、帝国軍もまた黒い霧の被害に巻き込まれたとの事。 となると、帝国に手を出しそうな連中が絡んでいる? 真っ先に思いつくのは今回の戦の敗残兵。 中にはどこかで再集結し、帝国に反撃する機会を伺っている者もいるはずだ。 何にせよ、帝国の傘下の者を殺めてしまった以上、このまま王都に留まり続けるのは危険。 目標を革命軍に移し、その晩の内に王都を出ることを決めた。 ―― 一年後 シャロンの行方はいくら探してもその手掛かりさえ掴むことはできなかった。 かつて、王都の敗残兵に希望を求めたものだが、所詮噂は噂。 それを頼りに夜蛍の都『ミール』までやってきたが、本当に一年もの間身を潜め、力を蓄えることなどできているのだろうか。 実際は拠点どころか、その真偽すらも確かめようがない。 それでも諦めず、まずは情報が行き交う酒場に足を運んでみている。 「うぉい!酒が足りてねぇぞ!」 「そこの嬢ちゃん!ちょっと酌してけよ!」 比較的穏やかな治安情勢にある街と記憶していたが、どんなところにもこういう連中はいるものなのか。 カウンターに腰かけ、騒いでる連中に視線を向けてみると、その制服から彼らが帝国軍所属の兵士であることが分かる。 帝都での一件で、自分はお尋ね者となっているかもしれない。 少々目障りだが、触らぬ神に祟りなしだ。 いつもならそう考えるはずだった…… 「君達。他の客に迷惑だ。少し静かにしてもらえないだろうか?」 気が付けば席を立ちあがり、男達を窘めようと声をかけていた。 「はぁああああ!?俺達に言ってんのかよ!?」 「余所者か?ここでは俺達がルールだ。わかったら店の隅でミルクでも飲んでろ」 「ははははは!そりゃいい!!」 下品な笑い。 威圧的な言葉。 何もかもが無性に癇に障る。 あの夜以来、自分の心の奥底に何かドス黒い感情が芽生え始めているような気がしてならない。 「君達が勝手に掲げた規則など子供の落書きにも劣る。僕はこの場に集まる大多数の意見を代弁しているつもりだ」 「たった一人で威勢がいいじゃねえか小僧!」 「俺たちが誰だかわかってんだろうな!」 なんと気が楽なのだろうか。 湧き上がる衝動に身を任せるだけでこんなにも心地が良い。 「……ん?」 ふと感じた鋭い視線。 関わらまいと顔を伏せている街の人間のものではない。 視線の気配を辿ると、壁際の物陰に隠れた人物に辿り着く。 「はっ!?君は!」 「あぁん?お仲間かぁ!?」 何故ここにいる。 心から探し求めた最愛の人。 「ちっ……余計なことを……!」 自分の声に反応した兵士からも注目され、やれやれといって表情を浮かべる彼女。 見間違えるはずも無い。 王都で行方をくらましたはずのシャロンがどうしてここにいる。 「そこの女!おまえもこっちに……え!?」 「はぁっ!!」 思考が定まらない自分を余所に、躊躇なく兵士へと飛びかかったシャロン。 呆気に取られた兵士の一人が吹き飛ばされる。 「自分が何してんのかわかってんのか、てめぇ!?」 残された三人の兵士が、仲間がやられたことで標的を自分から彼女へ切り替えた。 「実戦も知らない雑魚共がっ!」 瞬く間に四人の兵士を倒してのけたシャロン。 動きも間違いなく彼女のものだ。 「すげぇ!かっこいいぜ姉ちゃんっ!!」 「酒持ってこぉおおおおおおおい!」 歓声に沸くその場で自分と彼女だけが静かに互いを見つめる。 「ふん……調子の良い連中だ。おい、大丈夫か?」 「あ……え?」 (何だこの違和感は?いや、それよりも彼女が……!) 「おまえ、革命軍の関係者か?」 「え?か、革命軍……?」 (わからない……一体何が起こっている?) 「無駄骨を折ったか……」 そのまま踵を返した彼女は早々に酒場を後にしようとする。 「待ってくれ!君なんだろ!?シャロン!」 「え?なに!?」 この反応の仕方。 名前にも反応したように思える。 口調や服装は違うが、やはりシャロンであることは間違いない。 「……やっぱり君なんだね?」 また彼女の優しい笑顔を見ることができる。 そんな儚い想いは、次に返ってきた答えによりあっさりと打ち砕かれた。 「人違いだ……私はシャロンなどという名ではない」 何だこれは…… 結婚の約束までした恋人の事を忘れている? それだけではない。 自分自身のことさえも。 確かめなくては。 このまま行かせてはならない。 「いいや……間違いない……!シャロン……ずっと探していた!」 「ぐうっ……!またか……!」 一瞬、懐かしむような表情を浮かべたかのように見えたが、その途端、頭を抱えて苦しみだしたシャロン。 「シャロン!?どこか痛むのか!?今すぐ傷を……」 「近づくな!私に触れるな!!」 伸ばした手は払いのけられ、彼女は逃げるように走り出した。 「私はダリアだ!シャロンなどという女ではない!これ以上関わるな!!」 「待ってくれ!!」 ダリアとは誰の名だ? 彼女を追わなくては。 それはわかっているのに、自分が忘れられたという事実を受け入れる恐怖と不安から足が思うように動かない。 その時の自分には、遠く霞んでいく彼女の背中をただ見つめることしかできなかった。 どれ程の時間その場にへたり込んでいたのか。 彼女が生きていることは素直に嬉しい。 しかし、その希望こそが彼女の異常がもたらす絶望をより濃いものにする。 ショックによる記憶喪失? これも何かしらの魔術による影響? 他人の記憶に干渉する魔術なんて聞いたことも―― いや、ある。 あらゆる分野の本を読み漁り、知識を積み重ね続けた二十余年。 ある医療関係の文献で、治癒魔術の弊害で記憶が変異する事例があったはず。 例えば、王都から姿を消した彼女は何らかの治療を受け、結果あのような症状をきたしてしまったとすればどうだろう。 専門の研究機関でなら詳しく調査がなされたこともあるかもしれない。 「待っていてくれ、シャロン。必ず君を……」 文字通り、魔術の粋が集合体となった都、魔導都市『マーニル』 魔術を専門的に研究する機関は世界各地に数あれど、この街が揺るぎない権威を持ち続ける所以はいくつかある。 その一つが、領地の三割を占める程の敷地面接を誇るマーニル魔法学校の存在だ。 『知識』という形で考えるなら、間違いなく世界一の機関と言えるだろう。 マーニル魔法学校図書室には、五千万冊にも上る蔵書が収められており、その半数が魔術関連の書籍や文献となっている。 「ゴメンよ……」 気を失い、目の前で床に倒れている一人の女性。 この学校の教師の一人だ。 知識の宝庫とはいえ、その実態は一般人が出入りする学校。 人の記憶を変異させるような人権を無視した情報が一般公開されているはずも無い。 閲覧制限、封印指定などがなされた類のもののみを収める隔離書庫は必ず存在する。 そして読み通り、目の前にその書庫が広がっている。 この書庫を見つけるため、彼女には協力してもらった。 脅しを利かせはしたが、すんなり頼みを聞いてくれたことは有難い限りだ。 拒絶でもされていれば、口封じも考えねばならぬところ。 それにしても、ひどく怯えた様子に見えた。 そこまで怖がらせたつもりはなかったのだが。 「……すごい数だな」 図書室の最奥部。 本棚をどかすと現れた床に擬態した扉。 扉の下に続く階段を下り、三つの魔術結界を解除。 そこまでしてようやくたどり着いたこの場所は『隠された』なんて言葉が不似合いな程の広さ。 まさか閲覧禁止カテゴリに該当するものだけでもこの数とは。 恐るべしマーニル魔法学校。 端の棚からタイトルをなぞっていくと、不老不死、人体複製、死者蘇生などといった身の毛もよだつ文字が並んでいる。 暫らく進むと、治癒魔術関連のものがまとめられている棚に突き当たった。 その中に目を惹くタイトルが一つ。 「治癒魔術を応用した疑似記憶の移植実験」 ―――――――――――――――――――――――――――――― ~治癒魔術が及ぼす人体への影響~ 今日、治癒魔術は世界中の魔術師の手により日々開拓され、その真価を高めている。 その多様性は多岐に渡り、今なお各地で独自の進化を………… ………… …… ~脳への干渉による治癒~ およそ三百年前、大陸北西の孤島に居住していたとみられるグティプタラ民族が用いた呪術を元に発展した治癒魔術。 概要としては、魔力によって被術者の脳内部、記憶を司るとされる海馬に刺激を与え、良好な健康状態時の記憶を引き出し、その姿へ被術者を導くことで自己治癒能力を最大まで高めるもの。 本魔術の特筆すべき点は、被術者の内的要素によって効果を促すことにあり、治癒の他、人体破壊や記憶操作、細胞回復による若返りにも同様のメカニズムを転用できる可能性があると考察………… ………… …… ~第一期記憶操作実験記録~ 本魔術を応用し、人体の記憶操作を試みる実験を開始。 魔素により形成した疑似記憶を被験者の海馬へと流し込み、定着させる。 第一次実験 被験者ティム=ディゴリー 男性 二十七歳 ………… 第一次実験失敗 ………… 第二次実験失敗 ………… …… ~失敗要因の考察~ 全実験結果において、微かに記憶の混濁症状は見られるものの成功には至らず。 以下のいずれかの要因が考え得る。 一、形成した疑似記憶の不完全性 二、記憶を定着させる際の魔力による疑似記憶の変異又は損傷 上記要因解消のため、宝具『イマジン・カンヴァス』の使用許可を申請。 ………… …… ~第二期記憶操作実験記録~ 宝具『イマジン・カンヴァス』の具現化能力により、強い魔力耐性を持つ、完全疑似記憶を形成。 これを被験者の海馬へと流し込み、定着させる。 第一期実験の課題であった、疑似記憶の不完全性と対魔力耐性の解消を目的とするものである。 第一次実験。 被験者アンジェロ=バートン 男性 二十九歳 拒絶反応無し。 幼少期の記憶に疑似記憶と見られる痕跡を確認。 だが、その後の経過により記憶の欠落が発生。 実用には至らず。 第一次実験失敗。 ………… 第二次実験失敗。 ………… …… ~失敗要因の考察~ 疑似記憶の定着に成功。 ただし、全被験者に時間経過と共に記憶が欠落していく症状が確認された。 個体差はあるも、現時点では数年分の記憶量が限界との検証結果。 以下のいずれかの要因が考え得る。 一、脳が疑似記憶を異物と感知し、自壊作用を及ぼした 二、術式の負荷に脳が耐えられず、記憶障害を引き起こした 三、疑似記憶の容量が脳の記憶容量を超えているため、定着しきれなかった疑似記憶が自壊 上記要因解消については、術式の圧縮、効率化により一定の解消が見込まれる。 ………… …… 現段階の技術では、高精度術式の開発は不可能と断定。 協議の結果、本実験は中止。 以降、新たな術式の開発、または宝具『ソリス・メモリア』の発見まで本実験を凍結するものとする。 マーニル魔法学校所属 第十三魔術研究室 ○○○○年 前期レポート ―――――――――――――――――――――――――――――― 「…………」 暫らく呆然と立ち尽くすしかなかったハシュテッド。 シャロンは記憶喪失などではない。 操作され、改竄されたのだ。 それは事故ではなく、故意に引き起こされた。 レポートを読んだ限り、それ以外の結論が見つけられない。 だが、この実験は結局失敗し、凍結されたものとある。 他の誰かがこの実験を完成させ、シャロンの記憶を操作したか、もしくは全く別の魔術によるものということか。 念のため、他の書物も漁ってみたが、他に記憶操作に関する術の情報は得られなかった。 勿論、ここにある文献が魔術の全てではないが、アテも無く存在するかわからない魔術を探すより、ひとまずはこのレポートの可能性を検証する方を優先すべきか。 シャロンの記憶を操った何者かがこの研究を応用したと仮定すると、実験失敗の原因を突き止め、解決したことになる。 レポートの最後の考察では三つの可能性が原因の可能性として挙げられていた。 「被験者の脳が疑似記憶を異物と感知し、自壊作用を及ぼす」 これは疑似記憶が破壊されるという可能性なので否定される。 シャロンは自らをダリアと名乗っていた。 このことから疑似記憶は消滅していないことはわかる。 「術式の負荷に被験者の脳が耐えられず、障害を引き起こす」 これも同じく、正誤問わずシャロンの記憶全てに影響がおよび破壊されるというもの。 彼女は両の記憶を元に、自分の立場や考えをしっかりと形成していた。 よって否定される。 「疑似記憶の容量が脳の記憶容量を超えているため、定着しきれなかった疑似記憶が自壊」 残された可能性。 これは今のところ否定できない。 もしも疑似記憶の圧縮に成功し、脳の記憶容量の問題をクリアできたなら、記憶操作も可能か? いや、待て…… 仮に疑似記憶を植え付けられたとして、それでは正誤の記憶が同時に存在することになる。 シャロンの人格は偽の記憶で形成されていた。 では正しい記憶はどこへいった? 「まさか……消した…………違う!!」 元の記憶を全て消したりなんてしたら人は人でさえなくなる。 全ての記憶を疑似記憶で担うなんて不可能だ。 万が一、作る手段があったとして、そんな完全な設計が誰にできる? そもそもこの問題を研究者達は認識していたはず―― 「そうか……宝具『ソリス・メモリア』とは、記憶を封印することのできる宝具……!」 元の記憶の一部を封印して記憶容量を確保。 都合のいいタイミングから疑似記憶で人格を形成すれば、思い通りの人間が出来上がる。 そんな宝具があるのなら、疑似記憶の容量さえ解決できれば実験は成功する。 そして帝国よりも先にこれを手に入れ、シャロンにこの実験を施した何者かがいるんだ。 既に誰かの手にそれが渡っているとすれば、所在を突き止めて奪い取ることは難しい。 「ならば……僕がこの手で……!」 マーニルを後にし、ミールへと戻ったハシュテッド。 早速、自らの術で記憶を封印する実験を開始する。 植え付ける疑似記憶を作る必要はない。 記憶が封印できる事実さえ掴めれば、それを逆用して解放してやるだけでいい。 そうすれば元の記憶で記憶容量は圧迫され、溢れ出た疑似記憶は自壊する。 脳の構造が根本的に違う動物を使っても無意味に命を粗末にするだけだ。 やるなら人間だ。 この街に戻ったのは、消えても問題のない人間にアテがあったから。 「さぁ……僕のために、いや、シャロンのためにその命を使わせてもらうよ。無価値な君達にとってはこれ以上ない貢献と言えるだろう……」 「ちくしょう!てめぇ!!ぶっ殺してやる!!!!」 いつぞやの酒場で出会った四人の帝国兵。 「あの時、意味も無く関わってしまったのかとも思ったが、彼らはこういう形で役割を持つことになるのか……フフ……人生とはよくできたものだ……」 「なにブツブツ言ってやがる!!さっさと縄を解きやがれ!!」 「安心していい。命を取ろうというわけじゃないんだ。少しだけ協力して欲しい。ただ、それだけだ……」 「コイツ……狂ってやがる!!」 「失礼なことを言うなぁ……ほら、動かないで。手元が狂ったら大変だ」 「ひぃいいいい!」 できる。 レポートを読んで、海馬にアクセスするイメージは掴めている。 治癒魔術の応用で可能なはずだ。 「あ……あぁ…………あぁあああああああ!!」 「ん?加減が甘かったか?負荷に耐えられなかったようだ……」 「……こ……殺したのか!?」 「すまない。そんなつもりはなかったんだけど、やはり初回で成功とはいかなかった。大丈夫。昔の人は良い言葉を残してくれているだろう?失敗は成功の元さ……次は術式を変えてみよう」 「ちょ、待て!あぁ!!あ……あぁ……あぁあああああああ―― ―――― ―― 「やぁ、お腹が空いているだろう。ご飯にしよう」 四人の被検体を用い、数度の実験を重ねた。 やはり難しい試みだったが、シャロンに捧げるこの想いを誰かが汲んでくれたのかもしれない。 最後の一人。 その記憶の封印に成功した。 「ごあん?」 「そう、ご飯だよ」 彼にはおおよそ三十年分の記憶を封印する術を施した。 見た目から察するに、今の彼は二、三歳程度の年齢までの記憶しかない。 「おいしいかい?」 「ん!うまぁい!!」 闇に光明が差し込んだ。 シャロンの中には元の記憶が残っている。 彼女に会った時、僕の言葉に反応したように見えた。 あとはこの術を反転しシャロンの脳に働きかければ、記憶の封印を解くことができる。 一応翌朝まで被検体の様子を観察してから封印を解いてみよう。 そういえばこんなにも落ち着いた気持ちで眠りにつくのは何日ぶりだろうか。 「ふふ……やったぞ……僕の想いと術は宝具を超えたんだ……ふふふ……ふふふふふ……」 肉体的にも精神的にも疲れ果てていたハシュテッド。 目を閉じて数秒の内にそれらは押し寄せ、彼を眠りの奥に引きずり込んでいった。 ――翌朝 「おはよう。調子はどうだい?」 「…………」 「おや。まだ寝ているのかい?かわいそうだが、実験の続きがあるんだ」 「…………」 被検体の様子がおかしい。 生きてはいる。 起きてもいる。 しかし、自分の声に反応するどころか、虚ろな表情を浮かべたまま微動だにしない。 「まさか……!?」 慎重に彼の脳に施した魔力の痕跡を辿る。 無い。 痕跡が一切感じられない。 封印した一部の記憶ごと、全ての記憶と術が消滅している。 この結果は、記憶を封印したなら、それを維持し続けるための別の術式が必要との事実を示していた。 事象の固定や時間軸の停滞といった術式でも存在すれば可能かもしれないが、そんな人の領域を遥かに超えたものは存在しない。 だいたいそれ程の高度な魔術の負荷に、繊細な脳細胞がその負荷に耐えられるわけがない。 「あ……あぁ……そんな……!」 脳裏をよぎったシャロンの顔。 自分は失敗した。 宝具を用いれば成功していたのだろうか。 もしも自分と同じ方法でシャロンの記憶が封印されたのだとしたら、目の前で起きたことは彼女の身にも起きることになる。 ミールで別れた後、そうなっていたら…… 「シャロン!!」 アテも無く走りだした。 彼女の中に、元の記憶が生きていることを確かめなければ。 あの笑顔を取り戻せることを確かめなければ。 もう一度、君に会わなければ…… 悲痛の叫びが谷を越え、山を越え、朝焼けの街『トレイユ』を通りがかろうとした時だった。 ハシュテッドの行く手に、チカチカと瞬く光。 何かが沈んでいく夕日の光を反射しているようだ。 吸い寄せられるように光の元へ歩いていくハシュテッド。 近づくにつれ徐々にその正体が視認できるようになっていき、また、それに合わせて確かめるように早足になっていく。 「やっと見つけた……シャロン!」 光を反射していたものは大きな盾。 人違いの可能性もあったはずなのだが、それが盾だとわかった時点で何故か彼女のものだと確信していた。 「またおまえか……丁度いい。もう関わるな。おまえの探す女と私は無関係だ。それから、あのような馬鹿な真似はもうするな……それだけ忠告しておきたかった……」 「……シャロン……良かった……まだ記憶は消えていない……そうだ……確かめないと……あの日々を……あの笑顔を……僕は……」 「さらばだ……二度と会うことはないだろう……」 別れの挨拶を吐き捨て、足早に去ろうとする彼女。 だが、ハシュテッドはその手を掴んで離さなかった。 「僕だ!ハシュテッドだ!わからないのか!?」 真実を知る恐怖で心が挫けそうになる。 既に彼女の中にあったはずの元の記憶が完全に失われていたとすると、もうあの日々は二度と戻らない。 人の心に巣食う闇の深淵に触れてなお揺るがなかった想い。 それが今、生きるか死ぬかの天秤にかけられる。 「しつこい奴だ……!ここで果てたいのか!?」 「シャロン……帰って来てくれ……任務を終えて必ず帰ると約束してくれたじゃないか!」 「な……なぜ、おまえがその言葉を知っている!?」 「シャロン……本当に忘れてしまったのか……君はやはり……」 共に駆けた戦場も、手をつないで歩いた並木道も、朝まで騒ぎ明かしたハロウィンも、将来を約束したあの夜も…… 「ぐぅっ……ああっ……!!」 唯一無二の希望を賭けた訴え。 自分の言葉に、確実に彼女は反応を示している 「あぁあああああああああ!!」 「シャロン!大丈夫か!?シャロン!!」 頭を抱えて苦しむシャロン。 彼女の本来の記憶が封印に抗っている。 そう思えた。 「あぁああああああああああああ!!!!」 「うっ!?」 痛みに耐えかね暴れる彼女を抱きしめようと近づくも、いきなり顔面を殴りつけられる。 「シャ……シャロン!君は……」 「だまれぁえええええ!!もう私を乱すな!関わるなぁああ!!」 「そんな……」 「私はダリア!!貴様など知らない!!!!」 再度この場から去ろうとするシャロン。 今度こそ行かせてはならない。 「ま、待つんだ……待ってくれ……!」 伸ばした手で彼女の脚を掴み、なんとか引き留めようと足?く。 「う……うわぁあああああああ!!」 ――ガンッ 目を覚ました時、辺りには誰もおらず、夜虫の鳴き声だけが響き渡っていた。 起き上がろうと体に力を入れると、頭に鈍い痛みが走る。 どうやらシャロンに盾で殴られ気絶したらしい。 「…………」 どうにか半身だけを起こし空を見上げる。 額から血が滴ってくるのがわかるが、そんなことはもうどうでもいい。 間違いない。 やはり彼女の中には、元の記憶が生き続けている。 封印された記憶を破壊せずに解き放つためにはどうすれば…… 簡単なことだ。 宝具『ソリス・メモリア』を手に入れる。 帝国軍は、確実に記憶を封印できる宝具の情報を持っている。 「待っていてくれ、シャロン……もうすぐ救ってあげるから……」" +聖夜に咲く祝福の花アマナ 流水の都ラグーエルの詰所は、慌ただしい空気に包まれていた。 帝国軍の支配下にある街としては珍しい光景である。 こうした件は大抵、余所者か異常者が原因となり引き起こされるもので、今回の件も漏れなくその前者にあたる余所者による騒ぎのようだ。 否。 見るものによってはその両方と取れるのかもしれない。 調書を取るラグーエル兵士の前で、土下座するガルムの男。 そして、その隣で顔を引きつらせながらも頭を下げ続けるエルフの女性。 二人の言い分はチグハグとしていて、結局何が本当なのか分らない。 この手の尋問では良くある事なのだが、話を聞いていくと事件性と言うには乏しく、更には帝国に喧嘩を売ってきた模様。 今のラグーエルは帝国の介入は出来るだけ避けたい。 この二人を匿っているとでも思われたら面倒な事この上ない事案になる。 「もう!なんで付いてくるんですか!?カイザーさん!」 解放された二人は、見慣れない街を歩いていた。 行く当てと言えば、実家のあるラキラの街以外にはないのだが、帝国が進軍した今は危ないと詰所で言われてきたばかり。 途方にくれながらも今日の宿を探していると、横にあの男が並んで歩いていた。 「何を言う?我輩とアマナちゃんはすでに婚礼の約束を交わした仲ではないか?いや、今はもう夫婦であったか?」 「ふざけないでください!!いきなり変なこと言い出して!!」 事の発端は、花の都ラキラが帝国軍に襲われたことに始まる。 店だけは守ろうと、外に出している鉢などを片づけていると、帝国兵の小隊がやってきた。 その中の一人がカイザーだった。 万事休すと思われたが、あろうことかアマナに一目ぼれしたカイザーはその場でアマナに求婚。 対するアマナは、敵でもある帝国軍兵士と結婚したいはずも無くこれを拒否。 するとカイザーは周りにいた兵士達を薙ぎ倒し、アマナを抱えて逃亡したのだった。 道中、目についたラグーエルへと入ったカイザーだったが、嫌がっている様子のアマナを抱きかかえたガルムの男は当然目を引くもので、すぐさま街の兵士に不審人物として連行された。 「吾輩の気持ちに嘘偽りはないのだ!大きな船に乗ったつもりで我輩に付いてくるといい!!」 「イヤです!何を勝手な事ばかり言っているのですか!」 「ナハハハ!そう照れなくても良いのだぞ!」 「照れてなんていません!!」 出会った当初から勝手な暴走を続けるカイザー。 彼から離れたいのはやまやまだが、走ったところで彼の脚から逃げられるはずもない。 「どうしよう……ラキラのことも気になるし……」 「そうなのか?だが、先程の兵士は今のラキラは危険だと申しておったぞ?」 「それはそうですけど……う~ん……」 突然、どこからか小さな声が聞こえる。 「うぇ~ん!」 「え?今の声?」 「どうやら子供が泣いておるようだ。あちらの公園からだな」 踵を返して真っ直ぐに視線を向けるカイザー。 「よくそこまで分かりましたね……」 「我輩だからな!」 声の元へと駆けだしたアマナは、通りの傍にあった公園のベンチに座り、一人泣きじゃくる子供の姿を見つけた。 「どうしたの?大丈夫……?」 「サンタさんが!サンタさんがぁ~!!びぇえええええええ!!」 泣き喚きながらも、ポツリポツリと単語を発する子供。 それらを拾い集めて解読してみると、どうやらクリスマスなのに自分の家にはサンタが来ないことを悲しんでいるようだった。 粗方の事情を察したアマナ。 この街に限らず、帝国軍の影響で不安定な情勢にある街の多くでは貧富の差が一つの大きな問題となっており、こうした現場を目にすることも決して初めてのことではなかった。 だが、小さな子供の悲愴な表情と溢れる涙は、アマナの心を痛く絞め付ける。 「今のわたしにできることなんて……」 つい自身も目から涙が溢れそうになったところを踏み堪えるアマナ。 その様子をカイザーは見逃さなかった。 「我輩に任せるのだ!!」 「え!?ちょっと!カイザーさん!?」 それだけを口にして、アマナと子供を公園に残したまま、何処へともなく走り去っていったカイザー。 しばらくその場で待ち続けたが、終ぞ彼が戻ってくることはなかった。 陽も落ちてきた頃に子供を家へと送り届け、そのままその日の宿をラグーエルで取ったアマナ。 疲れ果てた彼女の身体には安宿のベッドさえも雲のように感じられ、横になってすぐに眠りへと誘われていった。 「アマナちゃ~~~~んは、ここかぁ!!!!」 けたたましい轟音と共に部屋の扉がけ破られ、思わず飛び起きるアマナ。 何事かと驚くアマナの前に顔を突き出したのはカイザーだった。 「カイザーさん!?一体今までどこで……じゃなくて、何やってるんですか!!」 「アマナちゃん……良い香りがするな。やはりこの香りを追ってきて正解であった!」 「な!?やめてください!よくわかりませんが恥ずかしいです!」 「そうだアマナちゃん!話を聞いてくれ!!我輩は…………くんくん……」 「匂いを嗅がないでください!!さっきお風呂に入っただけですから!!それより顔が近い!近いです!!」 「風呂か!良いな!我輩も頂くと……ではない!話を聞いてくれアマナちゃん!」 「だから近い!近い!近い!いい加減にしないと怒りますよ!!」 突然の事で話など聞ける状態ではなかったアマナだが、部屋の隅でカイザーがしょぼくれている隙に、なんとか平静を取り戻す。 「それで、お話とは?」 「そうであった!我輩とサタンをしよう!!」 「……もう一度お願いします」 「む……?我輩と一緒にサタンをしよう!アマナちゃん!」 「サンタ……ですか?」 つまりは、自分達がサンタ役となり、街中の恵まれない子ども達にプレゼントを配ろうということだった。 彼は彼で昼間に出会った子どもを見て、思うところがあったのだろう。 「それは良い考えかもしれませんが……」 「どうしたのだ!?我輩はまたアマナちゃんを困らせてしまうようなことを言ったのか!?」 「いえ。そうではありません。本当に良い考えだと思います」 「そうであろう!?」 「ですが……わたし達にはそんなお金……」 プレゼントを用意するにはどうしたって金が必要になる。 一人、二人ならばなんとかなるかもしれないが、今回の思い付きを実行するとなると、どれだけのプレゼントを用意すればよいかもわからない。 「なんだ。そんなことであるか!それなら心配は無用であるぞ?」 いぶかしむアマナを宿の外へとおもむろに連れ出すカイザー。 そこには、壊れたり古くなったために捨てられたと思われる大量のおもちゃ。 他にも布切れや木材、鉄材などが山のように積まれていた。 「どうしたんですか!?これ……」 「うむ!とりあえず使えそうな物を拾えるだけ拾ってきた!」 公園を飛び出してから今の今まで、ずっと街を駆け回っていたようだ。 ざっと目を通しただけだが、簡単な修繕を施せば立派なプレゼントになりそうなものも多い。 「これなら……できるかもしれません」 行き当たりばったりで突拍子もない行動ばかりのカイザーだが、がむしゃらに何かのために頑張る様は、確かにアマナの心を打つものがあった。 「やれるだけやってみましょう!」 「うむ!クリスマスまであと…………すぐだ!!」 「三日です。しっかりしてください!」 ――クリスマス当日。 この日のために三日間ほぼ徹夜で用意した大量のクリスマスプレゼント。 並べられた自分達の努力の結晶を目の前にし、得も言えぬ喜びが込み上げる。 「やりましたね!カイザーさん!」 「うん?あぁ、そうであるな!!」 「どうかしましたか?」 何やら落ち着きのないカイザー。 普段の彼の素行を考えれば、小躍りの一つでも披露してくれそうなものだが。 「ア、アマナちゃん……これを受け取って欲しいのだ!」 「……婚約指輪なら受け取りませんよ?」 「しまったぁああああ!!その手があった!!!!それも後で用意しよう!だが、今日の所はひとまずはこれを!」 「何ですか?」 綺麗に包装された小包を手渡されるアマナ。 少し警戒しつつ、ゆっくりとその封を開けてみる。 「……何ですか?これ」 「無論!サタンクロースの衣装だ!」 違う。 それっぽくは仕上げられているが、フリフリのミニスカートが可愛らしいぴちぴちコスチューム。 こんな破廉恥なサンタクロースを子供達の目に触れさせるわけにはいかない。 「着ませんよ!?絶対に着ませんから!!」 「何故だ!?サタンになるのであろう!!」 「だったらちゃんとしたサンタさんの服を用意してくださいよ!というか、こんなものいつの間に用意したんですか!?」 「安心して良いぞ!絶対に似合う!我輩が保証する!!」 「嫌ですってば!!!!」 その後、諦めずに食い下がるカイザーにとうとう押し切られ、嫌々ながらもそのコスチュームを着せられてしまったアマナ。 プレゼントの入った袋を抱え、いざ出発せんという今になっても彼女の表情は雪の舞う曇天と同じ色をしていた。 「これを機に、そろそろ我輩も計画的に生きようと思うのだがどうだろうか?」 「そうですね……それは良い事ですね……」 「であるな!では式はいつにする?」 「そんな予定はありません!!」 こうして、プレゼントを配る本物の可愛いサンタが現れたと、ラグーエルの街に暖かい話題が飛び込むこととなった。 コスチュームの件では頬を膨らますアマナだったが、結果的には子ども達の明るい笑顔を見られた事に満足していた。 ――そしてまた、クリスマスがやってくる 「さぁ、アマナちゃん!今年はこのイエルの街に素晴らしいサタンを呼び寄せようではないか!!」 「そんな悪魔召喚みたいなイベントではありません!サンタです!いい加減覚えてください!って……またやるんですか!?」 「当たり前であろう!我輩は思ったのだ……夫婦として協力するクリスマスは素晴らしいものだと!!」 「夫婦なんかじゃありません!!」 「またまた……そんなに照れなくても良いではないか!」 「そういう事じゃありません!!」 +蒼き浄化の紡ぎ手ミリア 「あっれ~?どこ行っちゃったんだろう、あの人……」 頭をキョロキョロと左右に振りながら、狭く、薄暗く、複雑な道を右往左往。 何故こんな薄汚い路地裏を徘徊しているかと聞かれれば、私はある人物を探していると答える。 ここは商業都市『イエル』 それが物であれ情報であれ、量と質を求めれば大陸きっての大都市だ。 帝国軍の影響もあってか、最近それも少し影が落ち始めてはいるが、それでも商いを生業とする者達にとって、この街の存在はとてつもなく大きい。 かく言う私も仕事のためにここを訪れたわけなのだが、到着した直後、裏路地に入っていったある一人の男に視線を奪われたのである。 「おや?人影発見!」 こんな場所でもやはり人はいるものだ。 何だか久々に人に会えた気がすると、どこかホッとしながら声をかけてみることにした。 「あの~、すみません。人を探しているんですけど~?」 「あん?人探し?」 「えっと、こ~~~んな大きな盾を背負ってて、銀髪で二十台半ばくらいかな?って感じの男の人なんですけど、見ませんでした?」 「…………あぁ!見た、見た!アイツか!!」 「ホントですか!?どっちの方に行ったのかわかりませんか!?」 なにやらジロジロと観察されたような気がして身構えそうになったが、せっかくの手がかりだ。 失礼な態度は慎むべきなのであろう。 「任せな。案内してやるよ。こっちだ」 「え?あ、いえ!方向を教えてくれるだけで十分ですよ!?」 前言撤回。 この先の展開が容易に想像できてしまう。 間違って付いて行きでもすれば、何をされるかわかったものではない。 向かった先に仲間の男たちが大勢いて……みたいな。 人として、女子としてもそこまで警戒心は失っていない。 「せっかく人が進んで案内してやるって言ってんだから、こういう時は素直に世話になっておくべきだと思うぜ?」 「いえいえ、そこまでしてもらうのはさすがに悪いので!あ!!あんなところに探してた人が!!ありがとうございました!おかげ様であの人を見つけることが出来ました!それでは、これで失礼します!!」 思いついた嘘を早口でそう述べた後にくるりと方向転換。 男に引き留める隙を与えないままその場を離脱しよう。 ――ドンッ! 「――わっ!?」 足早に去ろうとした私の顔面があるはずのない壁にぶつかった。 「おかしいな?探してた人なんてどこにもいねぇぞ?」 「ケケケ……甘いぜお嬢ちゃん」 ぶつかったのは壁ではなく、別の男の分厚い胸板。 得物を逃がさないように、予め仲間を背後に忍ばせておいたようである。 どうやら都会のスラム街を逞しく生き抜くならず者たちは、田舎者の私よりもよほど賢かったようだ。 「あ~……すみませんけど、私、用事があるのでこれで失礼しようかと…………」 「用事なら俺たちが聞いてやるよ。とりあえず相談料として有り金と持ち物全部出しな?」 「ケケ……隠すと身のためにならないぜ?」 この場を切り抜けるための策を必死に巡らせるが、三人の男たちに囲まれたこの状況を自分一人で打破する術などあるだろうか。 「少女一人に大の男が寄ってたかる……感心しないな」 「あぁ!?誰だ!?」 不意の言葉に、私を含めた全員が虚を突かれた瞬間だった。 「――ふげっ!?」 男の一人が遥か先の壁まで突き飛ばされる。 「抵抗せず少女を開放しろ。手加減は得意じゃないもんでな」 「な、何なんだよお前は!?」 仲間の一人を突如失い、うろたえる男たち。 その向かいで仁王立ちする別の男。 手に大きな盾を携えた銀髪の男は、先程まで私が探していた人物その人だった。 「助けてくれるの?」 「困っていたように見えたのだが、余計な世話だったか?」 「そんなことはないけど――って、それ!やっぱりそうだ!!あなた、その盾をどこで手に入れて――」 「おいっ!!いきなり手ぇ出してきといて、無視決め込んでんじゃねぇ!!」 「タダで帰れると思うなよ、この野郎!!」 ならず者二人の怒声で言葉が遮られ、彼らは胸元からナイフを取り出すと、それを銀髪の男へ向ける。 「諦めてはくれないか。仕方ないな」 「舐めんじゃねぇぞ!!」 勢い良く飛びかかるならず者。 相対する銀髪の男は、たじろぐどころか、向かってくる男たちよりも早く前へと踏み込むと、体の前に盾を構えて突進。 ナイフもろとも吹き飛ばされるならず者の片割れ。 残された一人が怯んだ隙に、間髪入れずに攻撃した銀髪の男。 こうして最後の一人も気絶させられ、銀髪の男はものの数秒で場を制して見せた。 「やれやれ……結局、荒事になってしまった」 真っ先に手を出した人間が言えた台詞か。 そう喉まで出かかったのを飲み込み、私は改めて本題へと移る。 「その盾、どうしたの?何処で手に入れたの?」 「……ただでかいだけの盾だが?」 「隠しても無駄よ。私にはわかるわ」 「……助ける相手を間違えたか」 私の言葉を受け、男の纏う雰囲気が変わる。 明らかな敵意。 そして、強まるもう一つの存在感。 男が手にする盾からは、間違いなく『呪術』の気配を感じる。 やはり勘違いではなかった。 路地裏にこの男が入るのを見た瞬間に感じた予感。 この男の盾には強力な術がかけられている。 「そこで何をしている!!」 緊迫した空気を切り裂く怒声。 路地裏に駆けこんでくる自警団らしき男たちが見えた。 巡回中に騒ぎを聞きつけたのだろう。 「っち……君にも来てもらうぞ!」 「はい?え!?わわっ!?」 私を脇に抱え上げたと思えば、凄まじい速さで駆けだす男。 男の背中越しには必死の形相で追いかけてくる自警団たちの姿。 急変した事態についていくのがやっとな状況ではあったが、私としてもあまり自警団のような組織の厄介にはなりたくなかったこともあり、自分を抱えて走り続ける男に一つの提案をしてみることにした。 「荷馬車があるの!そこに隠れればアイツらを撒けるでしょ!?」 「君は俺に協力しようと言うのか……?」 「私のためよ!まぁ、その盾にも用事はあるんだけど、お互い面倒事はゴメンでしょ!?」 「……いいだろう!」 「じゃあ、とりあえず路地裏から出て!それから中央広場へ!」 こうして私の案内の元、身を隠すための荷馬車へと向かう。 数分の間ではあったが、女とはいえ人一人と大きな盾を背負ったまま全力疾走を続ける銀髪の男。 それも、日々鍛錬しているであろう自警団の者たちに追いつかれることなくである。 彼もまた相当な鍛錬を積んでいるということなのだろう。 路地裏の一件からもそれが伺える。 「あった!あの荷馬車の荷台に!!」 「了解した!」 男は更に速度を上げ、人混みの中へ。 そうして自警団の視界を遮った後、速やかに荷台へ身を潜めた。 「くそっ!どこへ行った!?」 「散開して捜索するぞ!!」 どうやら上手く撒くことが出来たようだ。 「ふぅ……なんとか大丈夫みた――ちょっ!?」 薄布を被せた荷台の中、暗闇にも目が慣れ始めたところで隣の男に声をかけるが、私は彼の表情に戦慄を覚えた。 闇に浮かぶ鋭い眼光。 身を屈めながらも、咄嗟に動けるように構えた体勢。 盾を握る拳にも十分な力が込められているのがわかる。 思えば、彼からすれば私はただ助けただけの娘。 それが何故か自分の秘密を知っているように訴えてきたのだ。 敵か味方かはともかくとして、警戒するのは当然だろう。 「違う!違うってば!私は貴方をどうこうしたりするつもりはないの!ただ、貴方を見かけた時に、その盾が気になって……それでいてもたってもいられなくて!」 嘘偽りない言葉ではあるが、それでもやはり彼にとっては十分に警戒に値する発言だ。 彼自身がそれだけ触れられたくない事。 ひた隠しにしてきた事なのだろう。 「お願いだから警戒しないでよ!私は貴方を助けてあげたいの!その盾にかけられてる『呪術』を私は解いてあげることが出来るわ。信じて!」 変な嘘は逆効果。 そう思った私は、真の想いだけを語り続ける。 「……わかったよ。警戒は解こう」 「あ……ありがとう!」 重苦しい空気から解放され、やっと落ち着いて一息つくことが出来た。 「だが、この盾の事は放っておいてくれ。君には関係のない話だ」 「何で!?その術は貴方に悪い影響を与えるものよ!?あなた自身も分かっているはずでしょ!?」 「そこまでわかるのか……だが構わないでくれと言っている。今なら自警団の連中の目も散っているはずだ。他に用が無いなら俺はこれで失礼するよ」 取り付く島も無く立ち去ろうとする男。 それはダメだ。 私には彼と、彼の持つ盾を放っておけない理由がある。 「待って……てばぁ!!」 「な、何をする!?離すんだ!」 荷台から降りようとした男に対し、私は必死にしがみついた。 「何故そんなにも俺に関わろうとする!?俺がどうなろうと、君には何の不利益もないだろう!?」 「そういう問題じゃない!そうやって近づく人みんな拒絶、拒絶し続けてきたんでしょ!?まだ話も何も終わってないのに!!」 「くそ……いい加減に――」 ――パリン。 狭い荷台で暴れる二人。 力いっぱい自分を振りほどこうとした男が何かを踏みつけ、割ったようだ。 「え?今の音……もしかして……」 私には壊れた何かの正体の見当がすぐについた。 「ちょ、ちょっと!降りて!!早く!!!!」 「今度は何なん――おわっ!?」 私は男を引っ張っていた以上の力で今度は押した。 荷台から降りようとしていたところに、急に力が加えられ、勢い余って荷台の外へと転がり落ちる男。 「う……むぅ……こ、今度は一体何だ!?」 「あぁああああああああああああ!!」 私たちが身を潜めていたのは、行商のために私自身が店から連れてきた荷馬車。 当然、荷台なのだから、そこには荷が積まれている。 今回の仕事に必要な道具や商品たち。 そして、荷台の中で聞いた何かが割れたような軽い音。 消去法でその音の正体を探っていくと、自ずと一つの答えに辿り着く。 「あぁ……あぁ…………!」 小さな木箱の中に収められていたはずの耳飾り。 あれだけ荷台の上で暴れたのだから、その拍子で箱から零れ出たのだろう。 あしらわれていた石が粉々に砕けていた。 「それは……耳飾りか?」 ワナワナと震える私の手の上で、細かくなった石の破片がキラキラと輝いている。 それをひょっこりと上から覗き込んだ男が、まるで他人事の様な口調で呟いた。 「どうしてくれるのっ!?お得意先からの預かり物なのに!!」 「俺のせいか!?確かに踏んだのは俺かもしれないが、それも元はと言えば――」 「信じらんないっ!他人のもの壊しておいて、何よそれっ!?」 「だ、だから君が離さないから――」 「謝って!!」 「…………す、すまん。しかしだな、君も――」 「弁償して!!」 「そ……そんな高価そうな物を弁償できるだけの金は……持ち合わせていない。だが――」 「どうしてくれんのよ、これ!?」 「…………っ!!」 しかし、その時の私の声と表情には、彼を黙らせるだけの何かがあったのだろう。 そして、頭を悩ませていた私はあることを思いつき、こう口にしたのだ。 「仕方ないわ。罰として、今日一日、雑用として私の仕事を手伝いなさい!」 言われなくてもわかっている。 これはもう交渉でもなければお願いでもない。 ただの脅迫だ。 「ぐ……ぬぬ…………わかった。償いはさせてもらう」 年若い少女を想っての優しさか。 それとも勝手に背負い込んでくれた責任感か。 何にせよ、こうして行動を共にし、じっくりと男の素性と、盾の事を聞き出す機会をまんまとせしめたのである。 「私はミリア。改めてよろしくね!」 「ハウザーだ。短い付き合いになるとは思うが、少なくとも今日一日は君の手足となって職務に励もう」 「堅っ苦しいなぁ……まぁ、いいけどね!」 程無くして、イエルの商業地帯を歩く二つの人影があった。 フードですっぽりと身を隠したまま一頭の荷馬車を引き連れるその姿は何とも怪しげである。 というか私とハウザーだった。 騒ぎは収まったとはいえ、まだ辺りを自警団がうろついている可能性もあったので、素性を隠すために二人してフードで身を包むことにしたのだ。 「ここが今日のお客さんの店」 「……なんというか……怪しげな店だな」 周囲の店と比べても明らかに古く、こじんまりとしたレンガ造りの店。 看板の文字は年月と共に劣化し、原型を留めておらず、窓のカーテンは閉まったまま。 彼の感想は至極ごもっともではある。 「こらこら。気持ちはわかるけど、今の私は商人としてここを訪ねてるんだから、取引相手に失礼な事言わないの!」 「そうであったな。以後、気を付けよう。思えば我々の恰好もひどく怪しいものだしな」 「そこは気にしない!ほら、早く入るわよ!」 ――カランッ 入り口の戸を開くと、客の来訪を告げる小さな鐘が鳴る。 店内は至って普通の雑貨屋といったところ。 少なくともハウザーの眼にはそう映っていることだろう。 物珍しそうに店内を見回す彼は置いておき、早速店主と商談だ。 フードを脱ぎ、脇に抱えると、身なりを軽く整えてからレジの呼び鈴を鳴らす。 ――チリンチリンッ 「ん?いらっしゃい。何をお求めでしょう?」 「私です。いつもお世話になってます!」 「おぉ、ミリアちゃんか。例のモノを取りに来たんだね。けっこう集まったよ」 「わぁ!ありがとうございます!!」 店の奥から姿を現した初老の男性。 店主である彼と私の会話の内容が察せずにいるハウザー。 自分の背後で浮かべられている彼のポカンとした顔が容易に想像できる。 そして、その顔がすぐに曇るであろうことも。 「ところで……先月、預かった耳飾りの件なんですけど……」 「あぁ!そういえばそうだった!どうだったね?」 「実は……『解呪』には成功したんですけど……この有様で……」 私はポケットから小さな木箱を取り出した。 ハウザーに踏み砕かれ、見事に石が粉々になったあの耳飾りである。 「おぉ……これはまた見事に粉々に…………」 「本当にごめんなさい。私の不注意でこんな――」 「すまん、店主殿!ミリアは悪くない!それを壊してしまったのは俺だ!だから責任を取れと言うのなら俺がなんとかしよう!」 店主と頭を下げる私の間に割り込んできたハウザー。 確かに預かり物を壊した直接的な犯人は誰かと聞けば彼ということになるのだろうが、そもそもこんなことになった原因は私にもある。 それを承知の上で、私は彼に責任を押し付け、今日一日同伴することを要求したのだ。 彼の盾のことを何とかしたいという思惑があったとはいえ、彼の純粋さというか、責任感の強さというか、そんな彼の性分に付け込んだようで、今さらながら罪悪感に苛まれる。 「いいの、ハウザー。これは私の仕事だから、私が解決しないといけないことなの」 「しかしだな……」 「貴方はもう私に代償を支払ってるんだから、気にしなくていいって言ってるの!ちょっと外に出てて!!」 「……あぁ。わかったよ」 諭された彼は渋々と店を出て行く。 その迷いある足取りは、最後までこちらを気にする彼の心情を表しているようだった。 「ミリアちゃんのとこの従業員かい?良かったのかね?」 「彼は……そうですねぇ……私の趣味の方のお客さんってところでしょうか」 「ほほぅ……なるほどね」 タイミングを見計らっていたように口を開いた店主。 さて、ひとまず場が落ち着いたところで閑話休題。 ここからは私の本当の仕事の時間だ。 「ところで、おじさん。この耳飾りの件なのですが」 「うむ。詳しく聞かせてもらおうかな」 「はい。ここにこれをお持ちしたのにはある理由があるんです。実はこの耳飾りには――」 ――数分後。 店主と話を終えた私が店を出ると、待ってましたと言わんばかりにハウザーが駆け寄ってきた。 「ミリア!話は付いたのか!?大丈夫だったのか!?」 まるで忠犬のようだ。 そう思うと少し可愛くも見えてくる。 「もぅ……気にしなくていいって言ってるのに。大丈夫よ。何も問題なかったわ」 「しかし、あれは店主殿から何かしら頼まれていた品ではなかったのか?」 「その話も後で聞かせてあげるから、とりあえず付いてきて」 「ん?あぁ、わかった」 そうして私はハウザーを店の裏まで連れて行く。 そこにあったモノを見て、彼を連れていて本当に良かったとしみじみ思ったものだ。 「これはなんだ?」 「もちろん商品よ。これを全て表の荷馬車の荷台に積むのが貴方の仕事」 積み重なった木箱の山。 他にも、箱に詰められないような大きさの何かが布で包まれたままゴロゴロと転がっている。 全て合わせると、荷台に積み切れるか心配になる程の量だ。 「私は品のチェックをしていくから、済んだものからどんどん運んでね!よろしく!」 「よくわらんが力仕事か。それなら任せてくれ」 作業の確認が取れたところで、早速一品目。 一番手前にあった木箱の封を解くと、中には大きな壺が一つ入っていた。 私はそれに手を触れ、静かに目を閉じる。 「うん。じゃあ、これ運んでおいて」 「あぁ。わかった」 次なる一品。 丁寧に布で包装された筒状の物。 同じく封を解くと、年代物の釣り竿のようだった。 またも私はそれに手を触れ、目を閉じる。 「うん。これもよろしく」 「わかった。こんなものまで扱うのだな……」 次々と露わになっていく荷の姿を興味津々と言った様子で観察するハウザー。 何やらぶつぶつと言ってるようだが、とりあえず放置して手早くチェックを済ませよう。 こうして私たちは数時間をかけて、全ての荷の確認と積み込みを終えた。 「ふぅ……やっと終わった。ハウザーもお疲れ様!」 「この程度なら問題ないさ。ところで、いい加減聞きたいことが山積みなのだが……?」 「でしょうね。作業中も気になりますって感じがビンビン伝わってきてたわ」 「では、質問だ。店主殿から預かっていたという俺が壊してしまった耳飾りについてだ。君は店主から何か代償といったものを要求されたりしなかったのか?」 「他にも聞きたいことが沢山ありそうなもんだけど、まずそこを聞いてくる辺りが本当に真面目よね」 「やはり何かあったのか!?」 「ないわよ。あれは元々、返す必要のないものだったの」 「……ますますわからんな」 「あの耳飾りには、ある『呪術』がかけられていたの」 『呪術』 その単語を出した途端、ハウザーの表情が強張った。 彼を見かけた時から感じている盾からの気配。 やはり、盾には呪術の力が加えられていると彼が認識しているのは間違いない。 が、まだそれについて問いただすのは時期尚早のようだ。 ひとまずは周りのピースから埋めていこう。 「私はこの店の主人にその術を解くこと、つまりは『解呪』を依頼されてたってわけ。難しいようなら、破壊してくれても構わないし、返す必要もないと言われてたわ」 「その『解呪』とやらが君の仕事という訳か?」 「そっちは仕事というより趣味……というか、夢……というか……まぁ、そんなもの。私の仕事は呪術のかけられたアイテムの鑑定と販売、あとはアドバイスみたいなものかな」 「ということは、まさか……今荷台に積んだモノは全て……」 「そ。貴方が言うところの呪われたアイテムたち。この店は普通の骨董屋さんだけど、時々そういうモノを持ち込んでくるお客さんがいるから、その場合は商品を引き取ってもらっておいて、こうして時々私がまとめて買い取ってるの」 「危険ではなかったのか?」 「直接触らないように注意したから店の裏に放っておいてみたいだし、そんなに強力な術の気配は感じなかったから大丈夫なはずよ」 「君はいわゆる呪術の専門家というわけか。魔術師に会ったことは数あれど、呪術師となると君が初めてだよ」 「魔術師よりもずっと数は少ないしね。それに、世間的にはあまり受けは良くないからって隠してる人もいるみたい」 「呪術師と魔術師か……何が違うんだ?俺にはよくわからん」 「でも、呪いって聞くと良いイメージは沸かないでしょう?」 「それは……そう……だな」 複雑な表情を浮かべるハウザー。 その表情は、私たち家族を村から追い出した彼らと同じものだった。 十年以上も昔の、あの日の記憶―――――― ―――― ―― ――私がまだ幼かった頃の話。 名も無いような小さな村。 代々、呪術師の名家としてこの地に繁栄を築いていた家に私は生まれた。 両親は名の通った世界でも数少ない凄腕の呪術師。 「ミリア!?どうしたの!?また、そんなに泥だらけになって!」 「……みんなに意地悪された」 呪術について一定の知識や理解を持つ者にとって、一流の呪術師の肩書はそれだけで権威あるものとされる。 当時より、さらに少し前まで遡れば、それは一般的な認識で間違いはなかった。 しかし、年々その考え方は変わってきていた。 呪術を悪意的に用いたケースの蔓延。 すなわち、世に溢れる呪いの存在の影響だ。 情報の行き来が少ない田舎ともなれば、反応はより顕著だった。 魔術は正義。 呪術は悪。 この村では、そんな考え方こそが当たりで、正義だった。 「ごめんね、ミリア。ママとパパのお仕事のせいで辛い想いをさせてしまって……」 「大丈夫だもん。ママたちがお仕事頑張ってるの知ってるもん。わたしも頑張る……」 既に廃れかけていた過去の権威ではあったが、今も少なからず大国の大臣や貴族との取引を続けていた両親には直接手が出せない村人たち。 どうにか私たちに村から出ていってほしかった彼らは、家の壁に落書きをしたり、ごみを玄関前に捨てたりといった嫌がらせを日常的に行っており、幼く、呪術の行使がまだおぼつかない私も標的にされることが多かった。 「ミリア……我が愛娘に幸運があらんことを……」 「ママ、あったかいね……」 辛く、悲しいことがある度、母は『おまじない』だと言い、自分をぎゅっと抱きしめ、額に優しくキスをしてくれた。 母の愛と温もりが傷ついた心身に染み渡るそれは、私にとって何よりの心の支えだった。 「この村を出る。新しい土地で、家族みんな笑顔で暮らすんだ!」 屈辱的な生活に家族全員が限界を感じ始めていた頃、父が下した一つの決断だった。 今受けている仕事が片付き次第、新しい土地へと移る。 「あなた……本当にいいの?」 「私が決断することを恐れ続けている限り、ミリアはずっと苦しむことになる。これ以上、愛する娘に涙は流させないさ!」 「ママ、パパ。わたしたちお引越しするの?」 「あぁ!ミリアはどんな所がいい?海の近くが良いかな?それとも大きな街が良いかな?」 「えっとね、えっとね――」 その決断は時代と共に歴代の祖先たちがこの地に築いてきた軌跡を捨て去ることと等しいものだったが、娘の幸せを想う父の顔に後悔の念は無かったと思う。 「ミリア。少しだけ待っててね。ママたち、お仕事頑張るから!」 「一人で寂しくても泣くんじゃないぞ?おまえは強い子だからな」 「うん!!」 父が引き受けた村での最後の仕事。 それは、王都の貴族から預かったある呪いのアイテムの解呪を行うものだった。 指にはめた者に安らかなる永遠の眠りをもたらす。 そんな凄まじく強い呪術をかけられた指輪。 両親は協力してこの術式の解体に挑んだのである。 無理に術に手を加えようとすれば呪術の反動が二人に襲いかかるため、作業は慎重に進められた。 三日三晩かけて術式の解析を終え、いよいよ解呪に移ろうとした時だった。 それまで完璧な仕事をこなしていた二人だったが、疲労が溜まりきっていた二人に生まれた毛ほどの油断が取り返しのつかない悲劇を招く。 指輪の石にかけられた術とは別に、台座の指輪そのものにもう一つ術が仕込まれていた。 石の強力な術の気配に隠れた、ほんの小さな気配に気付くことができなかった二人。 不用意に術に干渉したことで発動したもう一つの呪術。 結果として、その反動は魔力の波となって家を跡形も無く吹き飛ばした。 「う……うぅ……痛いよぉ……マ……マ……パパ……?」 瓦礫の中から必死に這い出た私。 工房があった場所を探し、少しずつ家の残骸をどかしていくと、そこに両親の遺体が転がっていた。 「いやぁああああああああああああ!!」 自分を愛し、大切に育て、護ってくれていた両親を失い、共に笑い、支え合い、それまでの生涯を過ごした思い出の家を失った。 そんな私に対し、村人たちはさらに過酷な現実を突き付ける。 彼らは、一人では何もできない私をその土地から追い出し、忌み嫌う呪術師の血を村から根絶することに成功したのだ。 その時の彼らの顔は忘れたくても忘れられない。 痛々しいものを見る様なあの目。 申し訳なさそうにしつつも、どうしても嫌悪してしまうような。 まさにそんな表情だった―――――― ―――― ―― 「ミリア!」 「え!?」 「大丈夫か?顔色が悪いぞ?」 嫌なことを思い出してしまった。 そう長い時間考え込んではいないはずだが、少なくとも彼に異常を察知される程に私は酷い顔をしていたのだろう。 「あ~……うん、平気。ちょっと疲れてボーッとしちゃって!」 「どこかで少し休むか?」 「そうだね。お昼時も過ぎちゃったし、お腹ぺこぺこだよ。何か食べに行こっか」 少し気まずい雰囲気なってしまったこともあり、空気を一転させることも兼ねて、昼食にハウザーを誘った。 彼はこれを快く承諾した。 そもそも彼を助けるために行動を共にしているはずなのに、こうも気を遣わせてしまっては本末転倒である。 「ここでいいよね?」 「いや、まずいだろ」 入ろうとしたのは一般的な大衆食堂。 大きな店構えで、昼飯にはもう遅い時間帯にも関わらず、まだまだ客は大入り状態。 「ここでは人目がありすぎる。忘れていないか?俺たちは一応追われている身なんだぞ?」 「忘れてないわよ?そのためにフードを被ってるんだし」 「こんな場所でフードを被っていればむしろ目立つだろう!どちらにせよ、ここではダメだ!」 「だから大丈夫なんだって。このフードには被った人間の存在を薄くする呪術がかけられてるから平気なの。直接話かけでもしない限り、向こうに勘付かれることは……まぁ滅多にないから」 「なんだと!?」 呪術のかけられたアイテムだと聞き、慌ててフードを脱ぎ捨てようとするハウザー。 「心配しないの!別に何か起こったりはしないから!さぁ、何食べよっか!?」 「本当だな!?ちゃんと説明してもらうぞ!?」 「わかった、わかった。ご飯食べながらゆっくりとね」 強引に店内へ引っ張り込もうとする私に抵抗を続けていたハウザーだが、最終的には納得してくれた様で何よりだ。 「いっただっきまーす!」 「で、本当にこのフードの呪いは大丈夫なんだろうな?」 「いきなりね……まだ一口も食べてないんだけど……」 「気になって食事など喉も通らんのだ!さっきの話も途中で流れてしまったままだぞ!?」 「はぁ……わかったわよ」 どうにも我慢ならないらしい彼をさすがに可哀そうに思い、私は順を追って説明する。 「貴方は今このフードの『呪い』って口にしたけど、私は『呪術』がかけられてるって言ったのは覚えてる?」 「……そう……だったか?だが『呪い』と『呪術』に何の違いがある?」 「それが一般的な考えよね。最初に一つ訂正しておくけど『呪い』は『呪術』の一種であって、それ自体は比べるものではないわ」 「呪術には……『呪い』以外の術があるということか?」 「正確にはそれも違うわ。そもそも呪術師の言うところの『呪い』と、貴方たち一般人が口にする『呪い』は同じ言葉ではあるけど、その意味は似て非なるものなの」 「……う……む?」 「じゃあ、まずは魔術と呪術の違いからお勉強しましょ!」 『魔術』と『呪術』 ロジックや理に多少の違いはあれど、どちらも同じく魔法のカテゴリに含まれるものである。 『魔術』とは主に体内、外の魔素を媒介として力を行使する術のことで、攻撃、防御、治癒など、複雑な術式よりも単一効果をもたらす術構成を得意としている。 『呪術』とは意志、恨み、愛といった強烈な思念が、体内魔素と特殊反応を起こすことで異能を発現させる業のことを指し、条件指定や付与効果が複雑な術式を得意とする反面、それだけ被術者に狙いを定めるのが難しくなりがちである。 魔術を行使する者に比べ、呪術を行使することのできる者は数少ない。 その理由はいくつかあるが、最も大きな理由を二つ挙げるとするならば以下の二つの理由が挙げられるだろう。 一つ、行使難易度の高さ。 複雑な計算式を解くことを魔術と例えるなら、それに対し呪術は膨大な桁数の数字をひたすら読み上げていく行為に等しい。 学力や才能で理解するものではなく、ただひたすらに集中し、執念のような思いで念じ続けることで呪術を行使することが出来るようになる。 二つ、大きなリスク。 複雑な術式を得意とする呪術だが、素早くそれらの術を発動させることは難しく、動くモノを標的とした場合における命中率は著しる低下する。 そこで、命中率と確実性の向上を図るために多く用いられた方法が、自身と標的の間に新たに受け皿を設ける手法である。 具体的には、術士が何かしらの物体に呪術をかけ、それを触れたり干渉したりした者に影響を及ぼすといったものだ。 しかし、当然これには大きな弊害も存在した。 呪術がかけられたアイテムに、標的以外の者が干渉してしまった場合だ。 発動条件を絞ることで、ある程度の回避はできるものの、不慮の事故で無関係の者や味方が呪いの効果に巻き込まれるケースが相次ぎ、確実性の向上を図ったはずの思惑は、よりランダム性を強めた爆弾を生み出すきっかけとなってしまった。 これが大きく影響し、呪術の扱いが難しく危険な技術とされ、結果として世間から不吉なものとして忌み嫌われるようになる。 「――――と、ここまでは良いかな?」 「……あぁ。問題ない」 「絶対嘘でしょ!?つ・ま・り、難しい術をアイテムにかけて、手にした人に効果を与えるのが得意なのが呪術なんだけど、事故とかが頻発しちゃって、世間から危ないものだって思われることになっちゃったってこと!」 「最初からそのように言えば良かったではないか。わかりやすかったぞ?」 「やっぱりわかってなかった……術師以外の人に分かり易く説明するのは難しいなぁ……」 「で、さっきの『呪い』の話に繋がるわけか?」 「まぁ、そゆこと。そういった事故のせいもあって、呪術に悪いイメージがついちゃってね。いつの間にか、そうしたもの全部が『呪い』なんて呼ばれるようになったの。呪術、すなわち悪いものって捉え方がされるようになっちゃったわけ」 「しかし、呪いが悪いものであることは否定できないのではないのか?」 「残念だけど、それは間違ってないわ。ハウザーは呪いってどういう意味で考えてる?」 「そうだな……さっきの君の口ぶりを察するに、人や世界に悪影響だけを与えるものが呪いということになるか?」 「惜しい。正解は、悪意だけをもって不幸と厄災をもたらせしめようとする目的で行使される呪術。それが呪術師にとっての『呪い』よ」 ハウザーは考える。 呪術師とそうでない者における呪いの意味の相違点について。 「…………何か違うのか?」 「惜しいって言ったでしょ。争点になるのは術者が悪意をもって行使した術か否かね。悪意による術を『呪い』って呼ぶのに対して、そうでない術のことを私たちは『呪言(まじない)』って呼ぶの」 「……つまり……呪術は大きく分けて『呪い』『呪言』に分けられる?」 「正解!」 「では、例えばこのフードにかけられた術は呪術ではあるが、それは呪いではなく呪言だと?」 「そう。でも忘れないで。これは呪術師から見た場合の話。例えそれが呪いではなく、呪言であっても、呪術を知らない人間からすればそれが呪いと見えることも多いの」 「またわからなくなってきたのだが……」 「視点の違いよ。昼間に尋ねたお店のこと覚えてるでしょ?」 「その話が途中だったな。例の呪いの耳飾りの件だろう?店主殿から預かっていたという」 「おじさんの話では、あの耳飾りは亡くなった奥さんに贈ったものだったらしいんだけど、奥さんのお墓に一緒に埋めたはずなのに、いつの間にかおじさんの手元に戻ってきてたんだって」 「捨てても、捨てても戻ってくるというヤツか。作り話にもよくあるな」 「あれね……呪いなんてかかってなかったの」 「店主殿の勘違いだったということか?」 「ううん。私はおじさんから耳飾りを預かって直接鑑定したから断言できる。あれには呪術がかけられていた」 「ということは……」 「うん。耳飾りにかけられてたのは呪いじゃなくて呪言。かけたのはたぶん亡くなった奥さん」 「待ってくれ!それが呪言だったというのはまだ理解できるが、それを彼の奥方がやったのか?呪術というのは誰にでもできるものなのか?」 「具体的にどういった効果を持たせるかは専門的な知識がないと難しいわね。でも、呪術には時々こういうケースがあるの。今回の件も意図的なものじゃなかったんだと思う」 「先程、呪術は強い思念によって発現すると言っていたな?奥方が生前、何かを強く想ったことで呪術が発現したというのだな?」 魔術の素養や素質無き者達が、それでも力を得たいと心から願った結果、生み出された業こそが『呪術』の本質。 知りたい、触れたい、見たい、聞きたい、伝えたい、行きたい、護りたい、勝ちたいといった、数多の渇望の想い全ての結晶。 死に別れた夫に対し、彼女が何を願い、望んだか…… 「きっと、ずっと一緒にいたかったんだよ」 「……そんな気持ちが耳飾りに宿り、どこへいっても店主殿の元へ帰るようになった……と?」 「おじさんは気味悪がって、捨ててくれてもいいって言ってたけどね。仕方のないことかもしれないけど、悲しいことだよ」 「だから君は耳飾りの術を解いた後、店主殿の所へ再びそれを届け返したわけか」 「そこまではしない。私が知ったことをおじさんに伝えて、それをどうするかはおじさんに決めてもらったよ。おじさん、泣きながら握り締めてくれたけどね!」 「視点により呪言は呪いへと変わる、か……哀しくも人とは善としての面よりも、悪としての面に敏感で、過剰な生き物だ。見る者には悪に見えても、何かを救い、護っている。それを理解できぬことを仕方ないと割り切ることは簡単だが、それではあまりに哀れだ」 「そう思うでしょ!?だから夢なの!私の夢!!凄い呪術師だったママとパパみたいに、立派な呪術師になって、世界中のみんなに本当の呪術がどんなものかを知ってもらいたいの!!」 「良き夢だ。心からそう思う」 「うん!」 「だが、しかし……」 「ん?」 「その話を聞いてしまうと、あの耳飾りを壊してしまったことへの罪悪感が一段と重く圧し掛かってくるな……!」 「だ、大丈夫!おじさんも喜んでたし、許してくれてるよ!ほら?お肉食べよ?ね!?話のせいで冷めちゃってるけど……ま、まぁ、おいしいよ!!」 店で過ごした時間の大半が長話で消費されたものだったが、何はともあれ腹ごしらえを済ませた私たち。 こうして呪術についてある程度理解を得られたところで、そろそろ私が最も気になっていることに踏み込んでいこう。 思えばいろいろあったが、ハウザーとはそれなりに良い関係を築けているはずだ。 「……ねぇ?ハウザー」 「ん?どうした?まだ食べたりないのか?」 「違う!ちょっと真剣な空気作ろうとしてんだから察してよ!!」 「そ、そうか!すまん!で、何だ?」 「その盾のこと!貴方は嫌がるだろうけど、やっぱりどうしても気になるの……」 「この『呪い』のことか……おっと『呪言』かもしれないのだったな。すまない」 「ううん。それは呪言じゃない。近くで見ればよくわかる。呪いで間違いないよ。大きな力を得る代わりに、精神と魂を蝕む性質のものだね」 急に口が重くなるハウザー。 勢いに任せて聞いてはみたものの、やはり断られてしまうか。 「……そうだな。君だけにあれだけ語らせておいて、俺が何も教えないというのもやや不公平というか、無礼なのだろうな」 「……あれ?いいの?」 「出会った時点では得体の知れない娘だと思ったものだが、今は君を一人の人間として信用している。この場から逃げたところで、君はまた追いかけてきそうでもあるしな」 言葉の端々に問い正したい点があることは我慢しよう。 あれほどまでに拒絶一辺倒だった彼に、やっと自分の真剣さと想いが伝わったのだから。 「それでも全てを語ることはできないことは許して欲しい。君が深入りしすぎて、巻き込んでしまうことになるのは避けたいのだ」 「うん。わかった」 「…………私はある土地で隠れ里を築いていた戦闘部族の出身だ。一族は皆、戦士として生き、そして死ぬことを誇りとしていた」 ハウザーは語りだす。 自身の経歴と、盾を手にするに至った経緯について。 「ある日、俺たちの里が帝国軍に襲撃された。傭兵として戦地に赴くことも多かった俺たちは、ヤツらからすれば大陸侵略の障害になり得たのだろう。当然、皆で抵抗したが、圧倒的な戦力差の前に仲間たちは次々と倒れていった……」 帝国軍については勿論知っていた。 王都陥落の以後、もはやその存在を知らぬ者は大陸にはいない。 しかし、大規模な侵略の陰で、里を丸ごと滅ぼすような所業にまで及んでいるとは初耳だった。 恐らくはハウザーの里以外にも、こうして人知れず命を奪われている者達が数多くいるのだろう。 「俺を含む生き残りは、里にある宝物殿に籠城した。その奥には一族が代々封印し、不可侵の誇りとして護ってきた秘宝が存在していたからだ。それがこの盾だ」 「……その秘宝に呪いが?」 ――違和感というか、腑に落ちない感じだった。 「宝物殿に押し寄せた帝国軍により、俺たちは重傷を負った。これまでかと思ったよ。霞む視界に、宝物殿の祠の奥へと踏み入っていく帝国兵が見えた時だった……俺たちは最後の力を振り絞り、帝国兵達に抵抗したんだ……」 ――ハウザーの一族は、呪いのアイテムを秘宝として護っていた? 「帝国兵を突き飛ばした俺は、目の前にあった秘宝。つまりはこの盾を掴んだ。奪われまいと。必死の想いでな」 ――封印されていた理由は、それが呪われたアイテムだったから?でも…… 「その瞬間、おぞましい瘴気に呑み込まれた。いつの間にか俺だけが立っていた。一族の皆と、帝国兵の死体だけが点々と転がる、荒れ果てた里の真ん中に。ふと気が付くと、俺の手にはコイツが握られていたんだ」 ――私だから気付くことのできた疑問。 「その時だよ。これが呪われた秘宝であることを知ったのはな」 ――私だから辿り着けた真実。 「だが、気にしないでくれ。この力のおかげで俺は生き延び、一族の誇りと取り戻すために戦うことが出来るんだ。皆の復讐の念を果たすことが出来るんだ」 「……だから『解呪』は必要ない?」 「あぁ。少なくとも、誓いを果たすまではな。それを果たせずままこの身が滅ぶことがあったなら、俺もそこまでの人間だったということなのだろう……」 「そう……」 私は何も言えない。 言ってはいけない。 私だけが知り得た真実を、彼に伝えることは許さない。 「こんなところだが、十分だろうか?」 「………………」 私は口を閉ざし、堪えることしかできなかった。 「ミリア……?」 「……ごめん。私、ハウザーに出会ってすぐに呪いを解いてあげるみたいなこと言ったでしょ?あれ、すごく無神経だった。だからゴメン」 「あの時の君は何も知らなかったのだから当然だ。むしろ、人を助けようとする行動は間違ったものではないと思うぞ?」 彼は自身の心を蝕む狂気の誘いを、弱者だった己が生を掴むために、身の丈以上の力に手を伸ばした対価であるとして受け入れた。 一族の誇りを取り戻さんとする誓いの象徴として、呪いを背負うことを決めたのだ。 そんな男の信念に、昔の記憶が再び蘇る―――――― ―――― ―― ――大切なものを全て失い、村を追われた私は、生死の縁をさまよいながら海に辿り着いた。 海岸線から見渡す海の美しさは、一瞬とはいえ私に全てを忘れさせてくれた。 「おぅ!嬢ちゃん。目が覚めたか?」 「あれ……?わたし……」 「覚えてないか?あんた砂浜で倒れてたんだぜ?」 そうか。 呆然とした思考の中で、いつの間にか気を失ってしまっていたようだ。 「ここは……どこ……ですか?」 「はは!そんなに怯えなくて大丈夫だよ。ここはバルバームって村だ。しばらくゆっくりと休むといいさ」 見ず知らずの大人の男。 幼い私にとっては十二分に警戒してしまう相手ともいえるが、それでもあの村の大人たちとは違い、嫌な感じはしなかった。 その後、私は村を案内された。 海賊の村『バルバーム』 元は犯罪者やならず者が集まって作ったとの話だが、今は文字通り海賊達の根城ともなっている。 ここで勘違いして欲しくないのが、彼らは決してただの悪人というわけではないという点だ。 彼らはいわゆる義賊的な活動を続ける組織であり、多少、法に触れることもすることはあれど、それもこれも村の存在と、村人たちの生活を護るための行為だった。 近年では著しい発展を遂げ、人口も文化レベルも大陸の立派な街と肩を並べる程にまで成長していたこの村で暮らす人間の多くは、居場所を失ったり、希望を求めここへやってきた人たちだという。 そこは私にとってもまた、世間のしがらみから隔離された住み心地の良い場所だったのかもしれない。 しかし、そんなことはどうでも良かったのだ。 もはや私には生きる意味を見出すことが出来なかったから。 かといって、死ぬ勇気があるわけでもない。 私はただただ茫然と日々を過ごすだけだった。 そんな生活の中でも腹は減る。 優しい村人たちが私を気遣い、毎日食事を持ってきてくれるものだから餓死することも無かった。 起きて、食べて、ぼーっとして、食べて、寝る。 本当に何もしなかった。 「おぅ。昼飯ここに置いとくぜ?」 「…………ありがとう……ございます」 「ミリア……ちゃん……だったか?おめぇさんにどんな過去があるのかは知らねぇし、聞こうとも思わねぇけどよぉ。今こうして生きていられてんのは、たぶん誰かがおめぇさんを守ろうとした結果なんだと思うぜ?この村の連中のおかげで飯が食えているようにな」 「…………」 「俺なんかが指図する権利はねぇんだろうけどよ、そんな連中に対して、おめぇさんは何も返さなくてもいいのか?何かをしようとは思わねぇのか?それじゃ報われねぇよ……それじゃ本当に可愛そうなのは、おめぇさんじゃなくて守ろうとした連中の方さ。本当にそれでいいのか?」 「…………」 「……また明日来る。少しは考えてみてくれや」 村にいた海賊の船員が口にしたそんな言葉。 それがきっかけだった。 自分を何時も護ってくれていた両親を失ったあの日、あの時、何故自分だけが生き残ったのか。 その理由がわからなかった。 思えばあの時、崩れた家の瓦礫の下敷きになったことで、少なからずケガを負うことにはなったが、それ以上のことが無かったのは何故なのか。 両親が解呪に失敗したことで暴走した呪術の反動は、家を丸ごと吹き飛ばすほどの衝撃だったはず。 それが原因で両親は命を落とした。 では、その衝撃から自分を護ったものとは何だったのか。 幸運という言葉だけでは片付けられない疑問。 幸運……? ――我が愛娘に幸運があらんことを 母の言葉を思い出した時、私の思考は巡りだした。 両親の唯一の形見ともいえるノート。 瓦礫の中から見つけることのできた唯一の繋がり。 それを一心不乱に捲り、読み漁った。 何の事はない。 私は最後の最後まで二人に護ってもらっていたのだ。 母は『おまじない』だと言って、よく自分を抱きしめ、額に優しくキスをしてくれた。 これは父の編み出した術式で、秘術ともいえるものだった。 強力な加護を付与するもの。 邪悪な念を祓い除け、いつまでも健やかに生きて欲しいとの切なる願い。 それは『呪言』として彼女に植え付けられ『呪い』に抗う彼女の力、体質となっていた。 「…………ママ……パパ……ごめんなさい……!」 私は何をしていたのだろう。 後悔と謝罪の念。 せっかく救ってもらった命をただ浪費するだけの日々。 両親はこんな自分を護ろうとしたわけではないはずだ。 それから間も無く、私は呪術師としてバルバームで店を開いた。 そして名乗るようになる。 呪いを祓う『解呪師』の名を―――――― ―――― ―― 彼の傍で、その行く末を見届けよう。 私にはその誓いが果たされるまで、彼を支えることが出来る。 誓いが果たされ、盾の呪いが役目を終えた時、彼が肩に背負ったものを下ろしてあげることができる。 「ハウザー。私、決めた。貴方の旅の終着点で、その呪いを解くために私も貴方と一緒に行く」 「何故いきなりそうなった!?」 私の身に宿る、母の呪言。 ハウザーの身に宿る、盾の呪い。 私を護ろうとした両親と、誇りを護ろうとしたハウザー。 「私がそう決めたの!さ、そろそろ行こうか。まずはこの荷を船に乗せないといけないから、とりあえず海に向かうわよ?」 「待て!誰が同行を許した!?」 「少なくとも今日一日、貴方は私の手足でしょ?主人の言う事に逆らったりしないの!」 「それは今日一日限りの話だ!それを終えたら俺は一人で行くぞ!いいな!?」 『呪言』と『呪い』 形は違えど、どちらも護りたいとの願いの結果。 幸福と絶望の礎。 私が絶望の淵から立ち上がり、今という小さな幸せを掴んだように、彼の行きつく果てにも幸せがないと不公平だ。 呪術師でありながら、呪いが呪術の悪しき一面だと断じて諦めてしまっていた己を恥じなければいけない。 「さてさて……レイナ達が迎えに来てくれるのは何時だったかな」 「話を聞け!」 勘違いしてはいけない。 これは彼を想っての選択かと思いきや、実は私のためなのだ。 もしも彼がこの先、帝国との戦いに勝利したとしても、結局このままでは彼の死の運命は変わらない。 生ある限り呪いに蝕まれ、苦しみ続ける。 彼はそれでも良いと言うかもしれない。 目的が果たせたのなら構わないと諦めるかもしれない。 そんなのは私が許してやるもんか。 呪術はそんな悲しいものなんかじゃない。 その時こそ、私が彼に幸せを見せて、呪いを呪言に変えてやる。 彼一人が例外じゃない。 きっと似たようなことがあれば、私は同じ選択をすると思う。 それが呪言であれ、呪いであれ、大好きだった両親がそうであったように、私は呪術がもたらす幸せや喜びを世界中の人々に伝えたいのだ。 そんな呪術師であってこそ、両親に胸を張ってありがとうと言えると思うから。
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+絶凍の麗姫ヴァレアナ あの日々が無ければ、これほどの喜びは感じられなかったかもしれない。 隣を歩く父の横顔を見上げてそう思う。 時に息苦しく感じることもあったが、今となっては、自分の人生に満ち溢れていた幸せを理解することができる。 氷塞都市『コルキド』の王ヴァーンフリートの元に生まれた。 母の記憶は無い。 私の出産と同時に命を落としたらしい。 片親となった自分に待っていたのは、冷たい氷の壁に囲まれた世界の中で行われる父からの厳しい躾と教育だった。 「ヴァレアナ。いつまで起きているつもりだ。早く休め」 「は、はい!お父様……」 「何をしていた?」 「えっと……その……痣(あざ)が気になって鏡を……」 「気にする程のものか。そんなものに気を揉んで睡眠不足にでもなれば、明日の勉学にも触る。その程度のこともわからぬか?」 「はい……申し訳ありません……」 右腕にうっすらと刻まれている痣。 自分はその痣が大嫌いだった。 普段は服の袖で隠しているが、気が付いたときにはそこにあり、どこか骸骨のようにも見えるそれが不気味で堪らなかったからだ。 そして、大嫌いなものがもう一つ。 実の父、ヴァーンフリートである。 彼の厳しさは嫌というほど染み付いており、その声を聞けば体は緊張し、つい背筋が伸びる。 それだけならばよくある話。 人に言わせれば教育熱心な父。 この一言で済まされてしまうだろう。 当然、私が父を嫌う一番の理由は他にある。 ――冷酷 父をたった一つの言葉で表現するとしたら、ここまで似つかわしい言葉は他にはない。 私が生まれる以前の父の話は調べるまでもなく耳に入ってきた。 独裁政治による恐怖支配。 弟の首を自らの手で刎ねて、眉一つ動かさなかった姿を目にした城の者達。 私の出産に立ち会うことよりも政務を優先する姿勢。 母の葬儀の場でも涙一つ流さず、そのまま淡々と式を済ませた事実。 その言葉を印象付ける話は他にもいくらでもある。 父を知れば知る程、私の中での苦手意識は密かな憎悪の念へ姿を変えていき、次第に父を避けるようになっていった。 今となっては同じ城で暮らすことさえ嫌悪感を抱く。 非情な父の元に生まれたことを恨み、そのどうしようもない想いで執事に八つ当たりすることもしばしば。 しかし、そんな父から受け取ったものの中に、一つだけ喜ばしく思うものがある。 あれは私が五歳の誕生日を迎えた時の事だった…… 「お呼びですか?お父様」 「うむ。お前にこれを授ける」 差し出されたのは、まるで氷そのものが形どったかのような美しい弓だった。 「これは……誕生日……祝いですか?」 「正確にはその前の儀式だ」 その意図がわからなかった。 今になって娘のご機嫌伺いのつもりだろうか。 いぶかしむように父の顔を見上げると、いつもの冷たさのような威厳が感じられない。 無表情を装いながらも、どこか緊張した面持ちにも見えた。 ますます不審に思い、父の後ろに控える大臣達の様子を伺うと、皆どこか焦っているような、複雑な表情を浮かべている。 「さぁ。受け取れ……」 「……はい」 拭いきれない不信感。 父の思惑通りに動くことに思うところもあった。 しかし、理由はわからないが、目の前の弓に惹かれるものを感じたのは確かだった。 恐る恐る弓に手を伸ばす…… 「え!?」 「これは……!」 弓に手が触れた瞬間。 突如強烈な光を発したかと思えば、右腕に燃えるような熱を感じた。 「お、お父様……!!」 「案ずるな!」 「でも……腕が……!」 何が起こったのかわからず、慌てふためく私に対しての妙に落ち着いた父の言葉。 異変はその言葉を裏付けるように、次第に収束していった。 暫らくの静寂。 辺りの面々を見渡すと、驚きを隠せない様子の大臣達と、意表を突く満面の笑みの父。 それは私の前で父が初めて見せた笑顔だったような気がする。 そういえば、この直後くらいだっただろうか。 いつの間にか腕の痣は消えていた。 「素晴らしい腕前にございます。姫様」 「ありがとう!」 五歳の誕生日からおおよそ十年。 王家の名に恥じぬ振舞いと器量を身に着けるべく、ありとあらゆる教育と鍛錬に打ち込んできた。 それは、弓の稽古もまた同様である。 初めは慣れない弦の扱いに苦戦した。 手の至る所にマメを作っては破け、またその上にマメができ、日に日に武人の手の形ができていく。 とてもお姫様の手とは思えない代物ではあったが、その代償として、腕前は人並外れた速さで上達し、今や指南役さえも舌を巻く程となった。 「才能に溺れず、ひたむきの努力し続けた賜物でございますね」 「そんな立派なものではありません。誇れるようなものではないのです……」 その言葉を口にしてもらいたい人は他にいる。 ほんの少しでも自分を認め、優しい言葉をかけてもらうことができればという秘めた想い。 しかし、今に至るまでその想いは果たされていない。 ある日、思い立った私は父の書斎を訪れた。 いつまでもこのままではいけない。 やがては父の政務を手伝う身となる。 こんな状態のままで満足のいく成果が得られるはずも無い。 父との関係を良いものとした上で、将来を考えていきたかった。 ――コンコンッ 「誰だ?」 「ヴァレアナです。お話したいことがあります。少しお時間を頂けますでしょうか?」 「うむ……入れ」 父は思いの外すんなりと部屋へと招き入れてくれた。 「こんな時間に何だ?」 「申し訳ありません。どうしてもお父様と二人で話がしたかったのです」 「そうか……で、話とは?」 「その……」 いざとなると心が竦む。 ここにきて口籠る自分に対し、さぞ父は苛立っているだろうと、恐る恐るその顔を見上げる。 「早く話せ」 父は怒ってなどいなかった。 ただただ真剣に、まるで政務に臨むかのような表情で私の言葉を待っていた。 何故かそれが無性に嬉しく、涙と共に言葉が溢れ出た。 「お父様は……私のことをどうお思いなのでしょう……?どうしていつも冷たくするのですか?なぜ優しい言葉の一つもかけてはくださらないのですか!?私は頑張りました!お父様に認めて頂けるよう必死に努力しました!!」 「あぁ。話は聞いている。良くやっているそうだな」 「……っ!?」 まるで駄々をこねる子供。 自分自身がそう思えてしまい、急に恥ずかしくなる。 そうではない。 ここに来たのは、これまでにできてしまった父との溝を埋めるため。 「……お父様はお母様を愛していらっしゃいましたか?」 一瞬。 まじまじと見ていなければ気付くことが出来ぬほどに微かなものだったが、確かに父の身体がピクリと硬直した。 「……無論だ」 口にすると共に、緊張の気配はすぐに影を潜めた。 「お母様が私を産み、危篤になられた際には傍におられなかったと聞きました。葬儀の際も、涙一つ流さなかったと噂されています!それは本当ですか!?」 「……事実だ」 「そんな…………そんなにも政務が大事ですか?愛するはずの家族よりも優先すべきことですか?」 「それが王たる務めだからだ」 不可能だ。 父との溝は絶対に埋められない。 どうしようもなく父の考えが理解できなかった。 「話はそれだけか?済んだなら早く部屋に戻れ。まだ仕事が残っている」 「くっ……!!」 私は部屋を飛び出した。 そして泣いた。 一晩中、泣いた。 それから数日が経ったが、父とは口をきくどころか、目も合わせてはいない。 この時、自分の心は既に決まっていた。 もうこのままで良いと。 「姫様!一大事に御座います!」 「大臣?どうしました?そんなに慌てて」 「王が!ヴァーンフリート王が!!」 「お父様が何か……?」 突如、父がいなくなった。 あの父が仕事を放り出すような真似をするとは到底思えない。 だとすれば、何か事件に巻き込まれたか、国を揺るがすような一大事が…… 「いつからなのですか?」 「わかりません……少なくとも今朝、なかなかお目覚めにならないお父上にお声がけした際には既に……」 困り顔で説明する大臣。 その後ろの面々も同じ表情を浮かべている。 この時、口にこそしなかったが、私の心境は彼らとは真逆のことを考えていた。 ――あのような人、いっそのこと戻らなくても…… 大臣達には悪く思ったが、ハッキリ言って父の捜索を進んで行おうという気にはなれなかったのだ。 自分と父の関係は、それ程までに埋めようのないところまで発展している。 少なくとも私自身はそう思っていた。 「実は……ヴァーンフリート王の行方に、一つだけ心当たりが御座います」 「心当たり……それはどこですか?」 「王家の方々のみその扉を開くことのできる書斎にて御座います」 「そんなものが……」 「申した通り、王家の血を継ぐ方々にしか開けぬ扉ゆえ、我々ではそこに王のお姿があるかどうかは判りかねます。そこで、姫様にお力添えを頂けないかと参った次第にございます」 「……事情はわかりました。案内してください」 何故、自分が父の捜索を手伝おうと思ったのかと聞かれれば、興味を惹かれたということが主たる理由だろう。 心では決めたつもりでいても、まだ私はどこかで希望のようなものを探していたのかもしれない。 もしかすると、そこに自分の知らない、本当の父の姿。 それを知るための何かがあるかもしれないと。 「こちらにて御座います」 「これが……」 案内されたのは父の部屋だった。 先日ここを訪れた際には気にも留めなかったが、窓側とは逆の壁にもカーテンがかけられており、その裏に隠すようにして扉が設けられていた。 「術式により封印が施されております。定められた符丁を王家の人間が発することによってのみ、その封印を解くことができるのです」 「定められた符丁……」 符丁。 それは父が定めた合言葉。 父だけが知る秘密の言葉。 「どのような言葉かは王しか存じぬことかと。ひとまず、我らが符丁であると思しき言葉を幾らか考えておりますゆえ、姫様には順にそれらを読み上げて頂ければ、と」 「わ、わかりました……」 一体、この扉の奥には何が。 予想される符丁が羅列された紙を大臣より手渡され、一つ深呼吸を置いた後、ゆっくりと声にしていく。 「コルキド…………グラース…………三種の神器…………民を豊かに――――」 ―――――― ―――― ―― 「――――エーデルライン…………新月…………心映しの儀………………これで、全てです……」 「……どれも違ったようですな。姫様……何か他に合言葉に用いられるような言葉に心当たりは御座いませんでしょうか?」 「私がですか……?」 無理だ。 長年の間、毎日父の傍で国を支えてきた大臣達ですら答えに辿り着くことは出来なかったのだ。 いくら実の娘とはいえ、常日頃から父を嫌い、父を知ることから逃げてきた自分にわかるはずもない。 「お願い致します……」 「あ……私は……」 「…………」 私と父の関係について、大臣達とて知らぬわけではない。 頭を下げたまま微動だにしないその姿勢からもそれは伝わる。 「えっと…………」 なんとか思考を巡らせてはみるものの、何も浮かんではこない。 「やはり私には……」 「…………」 それでも固唾を飲みながら頭を下げ続ける大臣達。 彼らは、あの父にどんな理由があってそこまで尽くす気持ちになれるというのだろうか。 全て諦めたはずの自分が、今になってこんな思いをしなくてはならない理由があるのだろうか。 そう考えると、あの夜の記憶が蘇り、ジワリと涙が込み上げてくる。 「何故なのですか……!」 「姫様……?」 「私にわかるはずがありません!お父様がどのような想いで過ごしていたのか……どのようなお考えで王の役目を担っていたのか……何がしたかったかさえもわかりません!!」 「お、落ち着いてくださいませ!」 「もう嫌なのです!認められるはずの無い努力を続けることも!気持ちを押し殺してあの人の近くに居続けることも!!」 自分勝手な父への怒りと憎しみ。 何一つとして得られない無力感と悔しさ。 自身の人生で積もり積もった想いが再び溢れる。 「私がどんな気持ちで生きてきたか……お父様はこれっぽっちも考えてくださらなかった!自ら名付けてくださったという私の名さえも、もう私にとっては呪縛でしかありません……ただの一度さえ“ヴァレアナ”とは呼んでくださらなかった……!」 「姫様!それは違い――む!?なんだ!?」 突如として眩い光を発した目の前の扉。 正確には、扉に施された封印の紋様が光り輝き、間も無くして元の静けさを取り戻した。 「これは……封印が解けた!?」 「ですが……私は合言葉なんて……」 「……ヴァレアナ……だったのでは?」 「え?」 「失礼しました。姫様のお名こそが、ヴァーンフリートの王の定められた符丁だったのでは?」 「お父様が……ヴァレアナと……?」 「もはや疑いようはありませぬ。封印を解くための符丁をお決めになることができるのは王家の当主のみ。恐らくは、姫様がお生まれになってから、王が自ら姫様のお名をそのまま符丁に定められたのかと」 「なぜ……私の名前を……」 「その答えも、ここにあるのではないかと……さぁ、姫様」 促されるようにして扉に手をそっと触れると、重そうに見えるそれは意図も容易く開かれ、隠されていた部屋が皆の前に姿を現した。 高さ二メートル、広さ五メートル四方程だろうか。 思いの外、小さな部屋だった。 奥に申し訳程度に備え付けられた小さな机。 そして部屋を囲むようにして、天井の高さと同じ背の本棚がズラリと並び、そこにはびっしりと本が収められている。 王家以外の者が立ち入ることは許されぬ部屋。 そこに父の姿は無かった。 部屋の外で溜め息をつき、次の当てを議論し始める大臣達。 その時、机に置かれていた一冊の本が目に入った。 おもむろに部屋へと足を踏み入れた私は、それを手に取り適当にページを開く。 ――〇〇〇〇年〇〇月〇〇日。 父の命日が今年もやってきた。 去年からのたった一年でも国は変わるものだ。 今日も南側での貴族による直轄区反対運動の対応に追われる。 「……日記?このほとんどが!?」 几帳面に並べられた本達の数は、優に数千冊を数えるだろう。 その全てではないにしろ、膨大な数の日記の一冊一冊全てにコルキドの歩んだ歴史が事細かに記されているのかと思うと、この部屋の空気が急に重たく感じられた。 最も古く見える一冊を観察しただけでも、その年季の入りようがわかる。 恐らく、父、祖父、曾祖父、その遥かずっと昔から受け継がれてきたものなのだろう。 再び手にした日記へと目を落とす。 ――余のやり方は本当に正しいのだろうか。 ――良くしよう、正しくあろうと行動した結果、更なる軋轢を生んでしまう。 ――もしかすると、初めから器ではなかったのではないか。 ――自分の不甲斐なさに怒りを覚える。 日記を読み込むほどに聞こえてくる父の心の声。 それは威厳溢れ、国民からも恐れられるコルキドの王のものとは思えないような、ありふれた一人の人間の叫びだった。 自分がうまくやれているか。 こうすべきだったのではないか。 密かに抱えてきた苦悩、葛藤、不安。 そんな人として当たり前の弱さに対しても、このような場でしか正直になることが許されない。 『王』という記号が背負う責任。 異常な生き方こそが正常。 そんな父に対し、自分は、国民たちはどれだけ薄情で残酷な言葉をかけてきたのだろう。 ――娘が生まれた。 あれは天使だ。 世界の全てが変わった気がする。 「これは……私が生まれた日?」 日付を確認すると、確かに自分が生まれた十五年前の数字。 なぜ最も新しい日記ではなく、十五年前のものが机にあるのか。 その理由を探すためにもページをめくり続ける。 ――ヴァレアナにエーデルヴェルデを授けた。 やはり余の目に狂いはなかった。 これであれは救われる。 良かった。 本当に良かった。 本当に……―――― そのページのインクはグズグズになっており、それ以上読むことはできなかった。 『エーデルヴェルデ』 コルキド王家に伝わる『三種の神器』と呼ばれる三つの武具の一つ。 名前だけは知っている。 叩き込まれたあらゆる教育の中、歴史の勉強をした際にその名を記憶していた。 しかし、今自分の腰に携えている弓こそがエーデルヴェルデであったという事実に、少なからず動揺した。 一体、父はどんな目的で自分にこの弓を預けたのか。 本棚へと目を移し、歴史書や資料文献を探す。 やはりあった。 三種の神器に関わる書物もしっかりと棚に収められている。 埃をかぶった一段と古い本だが、つい最近開かれた痕跡がある。 その中には、エーデルヴェルデを含んだ、神器についての記述が記されていた。 神器『エーデルライン』『エーデルヴェルデ』『エーデルヴィッツ』 この三つの武具の名こそが、コルキド王家に伝わる三種の神器と呼ばれる秘宝。 それぞれ、エーデルラインは城内で代々管理。 エーデルヴェルデは結界の施された塔に封印。 エーデルヴィッツはコルキド領の氷海のどこかに沈んでおり、捜索中とのことだった。 エーデルヴィッツについての情報は詳しく掴めていないのか、それ以上の記述はなされていなかったが、エーデルライン、エーデルヴェルデについては一定の知識が得られた。 盾であるエーデルラインは手にする者の心に反応し、真に純粋な心を持たぬ者にしか扱えず、正を守護し、邪を清める特性を持っている。 弓であるエーデルヴェルデにもまた、同様に特殊な力が秘められていた。 『純粋さ』を特性とするエーデルラインと違い、エーデルヴェルデの特性は『威厳』 その威厳は絶対にして潔癖たる力。 王が王たる姿勢を示し、その心持ちと高潔さを民と共有するための力。 それは悪意や呪いさえも犯すことはできないもの。 つまりは、正を導き、邪を退ける特性である。 では、何故エーデルラインが城内で管理され、所有者に足り得る者に受け継がれてきたのに対し、所在が分かっていながらエーデルヴェルデが封印されていたのか。 それはエーデルヴェルデの所有者の選別に多大なリスクが伴うからであった。 エーデルラインは相応しい所有者にのみその力を行使することができ、相応しくない者にはただの盾としてしか機能しない。 しかし、エーデルヴェルデは相応しくない者が触れれば、その特性である威厳の前にその者も組み伏せられることになり、感情は祓われ、廃人と成り果てる諸刃の剣でもあった。 所有者の選別に際し、これは致命的な欠陥であるともいえる。 その危険性ゆえ、王家しか知らぬ古の塔に安置され、結界を張り封印されたとのことだった。 「お父様はこんなものを私に……」 再び日記を開き、ページを戻す。 必ずあるはずだ。 封印を解き、大きな危険を冒してまで自分にエーデルヴェルデを託した理由が。 ページを自分が生まれた日まで戻し、ゆっくりと父の言葉を読み解いていく。 ――娘が生まれた。 あれは天使だ。 世界の全てが変わった気がする。 ……………… ………… …… だが、その喜びは束の間、私は絶望した。 娘の右腕に刻まれた呪いの紋。 それを見た時、全てを理解した。 あの魔術師のかけた呪いは、被術者本人を呪うものではなく、その末代までの子孫達を対象とした呪いだ。 あの子の未来はそう長くはないだろう。 なんということか。 「呪いの紋……?」 それが、エーデルヴェルデを父から受け取った際に消えた、右腕の気味の悪い痣のことを指していたのだと直感した。 同時に、私も全てを理解した。 呪いにより、逃れられない死の定めにあった私。 必死に呪いを解く方法を探していた父が、最後の最後に縋った希望こそがエーデルヴェルデ。 父が独断で王家の血でしか解けぬ結界を解き、エーデルヴェルデを実の娘である自分に差し出したのだ。 己が弓の力に呑み込まれる危険もあったはずだ。 仮に父は所有者として認められたとしても、私もまた認められるとは限らない。 もし、そうなれば更に凄惨な事態に陥っていたことだろう。 恐らくは父にとっては人生最大の賭けだったはずだ。 王である自身の運命を賭けることは、コルキドの行く末さえも掛け金に乗せることに等しい。 そこまでして私を救おうとした理由は何だったのか。 もはや疑う余地も無い。 「あぁ……お父様…………!」 ただ、愛ゆえに。 知る由もなかった事実。 気付けなかった父からの愛。 十五歳の誕生日の記述までの間、政務に従事しながらも、必死に自分を救おうと奔走していた父の姿が描かれていた。 目蓋に溜まっていた涙はとうとう溢れ出し、ページの上のインクを滲ませる。 父もこうして一人、喜びの涙を零したのだろう。 それからの日記には、私のことばかりが綴られていた。 ――最近、ヴァレアナの帰りが遅い。 政務の手伝いも良いが、万が一にも悪い遊びを覚えたりせぬよう大臣に至急調整させねばなるまい。 ――大臣からヴァレアナに結婚を勧めてみてはと進言された。 余程、我の怒りを買いたいらしい。 ヴァレアナに目を付けた事は評価に値するが、あれを政治に利用するなど、どこまでもふざけた考えだ。 無論、どこぞの馬の骨とも知れん軟弱者に渡すこともあってはならぬ。 突然の事に取り乱しかけたが、よくよく考えれば何か理由があったはずだ。 もしや、先日届いた見合い話にも関係があるのだろうか。 あれは我の耳に入った時点で握り潰したため、大臣は知らぬ事実のはず。 ならば何か別の画策がここで起ころうとしているということか。 既に城内に手のものを潜ませているとは敵ながら見事な手際の良さだ。 しかし我の目を誤魔化せるものと思わぬことだ。 ヴァレアナの平穏は必ず守ってみせる。 「お父様……こんなにも私のことを……」 ――場内を寝間着のまま出歩いていたヴァレアナを注意した。 少しの間といえど、もしもあのような姿を城の男共に見られでもすれば、どんな劣情を生むか知れたものではない。 城内の秩序を守ることもまた王たる務め。 まずはヴァレアナに相応の寝間着を用意することにする。 機能性は勿論のこと、王家の娘に相応しい威厳あるものを仕立てさせなければならぬ。 「お、お父様……?」 ――昨日、少々厳しく叱り過ぎたことが原因だろうか。 ヴァレアナと口を利かなくなって三日が経過した。 素直に謝罪の言葉を口にすれば許してもらえるだろうか。 しかし、どのような言葉をかけるべきなのか分からぬ。 こんなこと、大臣達にも相談できるはずも無い。 どうすれば良いのだ。 「………………」 なぜだろう。 父の知らなかった一面を知る程に、何かが壊れていくような気がする。 ――ヴァレアナの本音を聞いた。 父親として失格だ。 民のためを想い、後ろ指を指されようとも立ち止まることをしないと誓った。 それは我にとっての光であるあの子のためにもなるはず。 なんとしても護りたかった。 だが、どうやら我は過ちを犯していたようだ。 娘との僅かなひと時さえも犠牲にした結果がこれだ。 何も知らず、理解しようともしなかった。 たった一人の最愛の娘を泣かせて何が国の王か。 もうヤメだ。 「この日は……」 自分にとってもあまり思い出したくはないあの夜の日付。 日記はそこで終わっていた。 「それではダメだと言っておるだろう!国民に気付かれでもすればパニックになるぞ!?」 「機密性を重視すれば人員が割けぬ!もしものことがあればお主、責任は取れるのだろうな!?」 部屋の外から大臣達の声が響いてきた。 どうやらこれからの対策について煮詰まっている様子。 「すみません。お待たせしました」 「おぉ、姫様!何かありましたか!?」 「残念ですが、お父様の行方に関する手がかりは何も……とりあえず、一度落ち着きましょう。熱くなった頭では良い案も浮かびません」 「そう……ですな。皆、暫し休息を取ろう。また後程、会議室に集まるということで」 「承知した」 「うむ。そうするか」 その場を解散し、父の部屋に静けさが戻っていく。 最後に部屋を後にしようと待っていた時、一人の大臣に声を掛けられた。 「姫様も少しお体を休められると良いでしょう。朝食もお取りになっておられないのに、もう昼過ぎです」 「ありがとう……そうさせてもらいます……」 「姫様?顔色が優れないようですが、何かありましたかな……?」 「……お父様の日記を読みました。後で皆にも伝えますが、どうやら先日、私がお父様とお話したことが今回の発端のようです……」 「あぁ……やはり、あの晩のことですな」 「聞いていたのですか!?」 「いえ。断じてそのような真似は。ただ、姫様がお父上の部屋を後にされるのを目にしたものですので」 「そう……でしたか。失礼しました。許してください」 「いえ。とんでもございません。ただ、そのままお父上の部屋の前を通った際、部屋の中からお父上がお泣きになられているような声をお聞きしました。姫様が去られた直後の事です」 「そんな……」 一度自室へと戻り、私は泣いた。 父の秘めていた愛を理解せず、それどころか彼を嫌い、憎んでいた自分を恥じる気持ちと、父への謝罪の念からの涙だった。 気が付くと、窓の外では陽が落ちていた。 泣き疲れ、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。 会議の予定だったが、どうやら大臣が気を利かせて起こさずにいてくれたのだろう。 落ち着きを取り戻した心に溢れる想い。 父にただ謝りたい。 できることなら、やり直したい。 そして私は淡々と旅の準備をする。 一人で父を探すための。 「どこへ行くつもりだ……?」 「え!?」 背後から突然かけられた声。 ビクッと体を震わせ、ゆっくりと部屋の扉の方を振り返る。 「お……お父様?」 「黙って城を留守にしてしまった。大臣共はさぞ慌てていたことだろうな」 父は髭を凍らせ、身体のあちこちに雪を積もらせていた。 さらには明らかに見て取れる疲れ。 何か特別な事情があったのだろうか。 「これまで一体どちらへ行かれて――」 違う。 今、かけるべきはそのような言葉ではない。 「お父様。ヴァレアナは、お父様にお伝えしなければならないことがあります」 「……聞こう」 ―――――― ―――― ―― 「むぅ!?あ、あの日記を読んだのか!?あれは人に見せるようなものでは……」 いつになく動揺する父。 例え実の娘であろうとも、他の人間の日記を勝手に読み漁るという行為は不埒なものであり、しかもそれが国を治める国王の私物となれば事はさらに重大。 自分の知らない父の本音。 それを知りたいという好奇心から取った行動の軽率さをここにきて痛感した。 「お、お父様に黙って勝手なことを……申し訳ありません……!」 「いや…………そうか……少し取り乱した。すまぬ」 「ですが、私は――」 「構わぬ。何度も口にしようとしたが……ふふ……我には向いていなかった。結果的にはこれで良かったのかもしれぬ」 「お父様……」 言葉を遮られた瞬間、怒りの声を覚悟したが、父から向けられる言葉と眼差しはとても穏やかで静かなものだった。 「ヴァレアナ。我と一緒に来てはくれぬか?我はお前との時間を取り戻したい。だが、その前に一つだけやらねばならぬことがある。お前にも手伝って欲しい」 ヴァレアナ。 なんの感慨も沸かない自身の名。 その一言だけで心に張られた氷が瞬く間に解けていく。 「…………」 「む!?や、やはり嫌と申すか……?」 「いいえ。初めてお父様の口から名を呼んでいただきました」 「あぁ……そうであったな。すまぬ」 「ふふ……喜んでお供させていただきます。私がお父様にしたことへの償いが、その程度のことで済むはずもありませんが、これからずっと、少しずつ返していこうと思います」 「……感謝する」 「はい!」 あの日々が無ければ、これほどの喜びは感じられなかったかもしれない。 隣を歩く父の横顔を見上げてそう思う。 時に息苦しく感じることもあったが、今となっては、自分の人生に満ち溢れていた幸せを理解することができる。 明けかけた夜空に物思いにふける父。 その父の手を握り、私は引っ張るようにして国の外へと歩き出した。 「そういえばお父様。まずは呪いを解いて頂いたお礼をいなくてはなりません。何か私にできることはありますか?」 「気にすることではない。あれは我の独断でしただけのこと。それにより多少国を騒がせもした。反省せねばならぬが、お前が気にすることではない」 「構いません。私にできる事なら何でもおっしゃってください」 「ん?むぅ……そうだな……」 「お父様?」 「で、では……一度だけで良い。一度だけ……『パパ』と……呼んでみてはくれぬか?」 「…………それ以外でお願いします」 「……うむ。忘れろ」 +大樹より流るる風エルミア 「反対だ!エルフなんて得体のしれないヤツ簡単に信用できるわけねぇだろ!!そんなに若い女とご一緒できるのが嬉しいかよ、クソ親父!おふくろに言いつけるぞ!?」 「突然で動揺してしまう気持ちはわからんでもない……が……ここで母ちゃんを出すのは卑怯だろが!!」 あ、どうも。 私の名前はエルミア。 ついでに種族はエルフです。 私の目の前で口論しているこの二人は、ジン君とそのパパさん。 旅の途中に森の中で出会った、同じく旅人さん親子。 ジン君を立派な戦士にするための修行の旅ってことらしいのだけど、私はパパさんに誘われるがまま旅に同行することになった。 付いて行く理由は……面白そうだったからかな。 ただ、少し遅れて顔を出したジン君が、これに猛反対しているわけで…… 「この嬢ちゃんは俺よりもずっと年上だバカ野郎!!」 「……え?マジで!?いくつだよお前!?」 まじまじとこちらを見ながら目を丸くしているジン君は可愛いけど、初対面の女性に向かって『お前』呼ばわりですか。 しかも年齢を聞いちゃいますか。 でも、これは仕方ないかな。 自分で言うのもなんだけど、この見てくれでは仕方ない。 「ん~……正確に数えられてるか分かんないけど、少なくともパパさんよりは年上ってことになるのかな」 正確な年齢は教えてあげないのだ。 というより、自分でもザックリとしか把握できていない。 エルフと人間の見た目の違いと言えば、ピンッと跳ねた耳くらいのもの。 一般的な基準に当てはめれば、私は二十歳くらいに見えているのだろう。 あらやだ。 ジン君ってば、またしてもそんなに私の身体をジロジロと…… 「マジ……これでババァかよ!?」 「バッ!?お、お姉さんはジン君よりも大人だからね……うん……それくらいのことじゃ怒らないのだ。でも、寿命の長さで言えばまだまだ少女だから、あんまり失礼なこと言わない方がいいんじゃないのかな?うん」 あ、危うく取り乱すところだった。 一回目は許してあげよう……一回はね。 有難く思うことだね。 ただし、これは親の教育に原因があるんじゃないのかと私は思う訳で。 「すまねぇな、嬢ちゃん。こいつは見た目通りのガキなもんでよ。許してやってくれ。俺がちゃんと説教しておくから」 「……ところで、パパさんはジン君に女性に対して年齢を聞いたりとかはするもんじゃないって教えてあげなかったのかな?」 「俺は教えたぞ!?こいつの物覚えが悪いだけだ!」 「嘘つけぇ!そんなこと教えられた覚えはねぇぞ!!」 「とにかくだ!新たなる旅の共の歓迎もかねて、乾杯といこうじゃないか!ちょうど晩飯の支度をしていたところだ!」 そう言いながらパパさんはあたふた。 誤魔化す気配が隠しきれてないよ。 まぁ、こんなことでいちいち目くじらを立てていては話がいつまでも進まないので、これにて一件落着としておこう。 しかし、そうは問屋が卸さないと、ジン君は吼える。 「だから、勝手に決めんなよ!!だいたい嬢ちゃんって何だよ!?中身はそんな歳じゃねぇんだろ!?」 「そりゃ嬢ちゃんにその呼び方が良いって言われたからなぁ……」 確かに、嬢ちゃんって歳じゃないことは認める。 でもでも、パパさんと会った時にそう呼ばれて、すごく懐かしくて、くすぐったくて、とにかく気に入っちゃったのだ。 いくつになっても女の子は女の子ということだね。 見た目的には問題ないわけだし、それくらい目をつむってくれても罰は当たらないと思うんだけどな。 「なんだそれ!?見栄張ってんじゃねぇぞ、ババァ!!オレはお前と一緒に旅なんか――」 一人抵抗を続けるジン君。 彼ら親子は人間で、私はエルフ。 初対面の異種族に対して、過敏に警戒することは至極当然の反応だと思う。 た・だ・し! 今何か聞こえたね。 絶対に聞き逃せない言葉が含まれてたね。 二度目だね。 許してやるのは一度目だけだ。 この世の厳しさを思い知るがいい、小僧。 喰らえ……このプリチーな拳から放たれる乙女の怒り! 「教育的指導っ!!」 「ぐぉ……お……」 「フンっだ!失礼しちゃう!!」 あ……思わず手が出てしまった。 現在、全力でみぞおちに拳をねじり込まれたジン君は地面をバッタんバッタんのたうち回っております。 続いてクネクネしながら苦しんでおります。 少し心配ではあるけれど、まぁこれも修行の一環ということで。 「ち……くしょ……オレは……認めてなんか……ねぇ――」 少しして、気味の悪い動きが止まったかと思うと、ジン君は何やら呟きながら失神してしまった。 さすがにやりすぎちゃったかな? でも、不意打ちとは言え、こんなか弱い女の子のパンチだし、たぶん大丈夫だよね。 しかしまぁ、息子を落とされた父はどう思っているのかな? 私は恐る恐るチラッとパパさんの様子を伺ってみる。 「世間を知る良い経験になる……!」 腕組み仁王立ちのパパさん! 心なしか、何故か誇らしげにも見えるよ。 流石はパパさんだね。 父親でもあり、師匠でもあるわけだ。 ジン君は良いパパさんを持って幸せだねぇ。 「ま、細かいことは気にすんなっ!こんなバカ息子だが、よろしくしてやってくれ!」 「ところで……殴った後で言っても遅いんだけど、ジン君は大丈夫だよね?」 一応、形だけでも聞いてはおかないとね。 怒りに身を任せた結果とはいえ、手をあげるのは正直悪かったとは思う次第で。 「まだガキとはいえ俺の息子。仮にも『武神』一族だぜ?」 「ぶしん……?」 パパさん曰く、流浪の村『コーク』は、大平原を点々と移動しながら生活する遊牧民が集った小さな村。 そんな生活なもんだから、移動先で魔物や野党なんかに遭遇することも珍しい話ではなく、自然と村人全員が村を護る戦士になるのだそうで。 その中でもパパさん達の一族は根っからの武闘派で、その昔『武神』と呼ばれた英雄をご先祖様に持っているとのこと。 感情が昂ると額に角が生え、とんでもない力を発揮する。 そんな話を聞かされてしまうと、嫌でも興味が湧いちゃうね。 世界どころか、この大陸にさえ私の知らないことはまだまだたくさんあるようで、旅路の続きもまだまだ捨てたもんじゃない。 とりあえず床に転がしっぱなしにしておくのも可哀想なので、ジン君の頭を膝の上に乗せながら私はそう考える。 「ふむふむ……で、ジン君にも立派な戦士になってもらうために修行の旅をしている……と」 「そういうことだ。なぁ、それよりも俺は嬢ちゃんがさっき言ってた『長命エルフ』ってのに興味があるんだが?」 そういえばそうだ。 森の中で会った旅人のパパさんと、せっかくだから交流を深めようと、いろいろ話をしようとしてたんだよね。 相手の好奇心を確実に誘う私の殺し文句「実は、私って伝説の『長命エルフ』なんだよね~!」が炸裂したところだった。 そこにジン君が登場したもんだから、有耶無耶になっちゃったままだね。 「ぶっちゃけ私も詳しく知らないんだけど、メルキスに生まれたエルフの子の中に、たまにいるらしいの。『長命エルフ』っていうすごく寿命の長いエルフが」 「ほぅほぅ……それで?」 「ん~……小難しい話は苦手だから最初から話しちゃうね?」 ―――――― ―――― ―― 「うわっ……またエルミアが一番だ……!」 「ニッヒヒー!まだまだだね、君たち!」 確か五歳くらいだったと思う。 私は極々普通の家に生まれて、同い年の友達と毎日遊んでた。 ちょっぴり元気が有り余っていたくらいで、この頃は自分がみんなと違うだなんて思ってもいなかったし、街の大人達も気付いてなかったはず。 私は子供達の中で誰よりも正確に弓を扱えて、上達するのも飛びぬけて早かった。 才能があったなんておこがましいこと言うつもりはない。 ただ、なんだかそれがすごく誇らしくて、大人に褒められるのも嬉しかったのは覚えてる。 だから弓が好きだったのかな。 「でも俺の方が背は高いもんね!!」 「そんなの関係ないじゃん!私だってすぐ伸びるんだから!!」 この頃の私の悩みは、みんなより少しだけ成長が遅かったこと。 でも、それは時間が自然と解決してくれる。 そんな風に考えていた。 私は毎日陽が暮れるまで遊び尽くした。 好奇心がくすぐられるがままにあちこち走り回り、友達がみんな疲れて家に帰った後も、一人で遊び続ける程に。 思えば、こうした成長の遅さや、有り余る体力なんかも、私がみんなとは違ったからなのかなって、今さらながら考える。 十歳……二十歳……三十歳…… 時を経るごとにみんなとの違いは目に見える様になっていった。 友達だったはずの子供達は、自分に比べてとっくにおじさん、おばさんになり、そのうち結婚して家庭を持ったりもしたけど、私はそんな気は毛ほどもなかった。 私の若いままの心と体は、忍び寄ってくるモヤモヤを振り払うように遊び続けたんだ。 「もしかしてとは思っていたけど……あなた、まさか…………」 十代後半くらいの姿で完全に成長が止まっていた私に、ある日ママは告げた。 私が伝説に語られる『長命エルフ』かもしれないと。 これは後に、メルキスで最も物知りで知られたお爺さんが話してくれた話だけど、『長命エルフ』はメルキスに生を受けたエルフ達の中に極めて稀に出現する存在で、千年以上の寿命を持つとされるエルフのことをそう呼んでいるとか。 これも後々知った話だけど、私がうすうす感じていた異変は周囲も同じように感じており、母親がこの話をしてくる頃には、もはや私は長命エルフとして皆の知るところとなっていたらしい。 長命種が生まれる確率は、数千年に一人とも言われており、文字通り伝説級の希少種だけど、過去にもこうしたエルフが実在していたことだけは確かだという話。 ただ、その生まれについては謎に包まれていて、他に有力な説も無いし、メルキスの大樹に住まう精霊の寵愛を受けたためってことになっていた。 「ふーん…………そっか、ラッキーだね!」 まるでお伽話のような話だったけど、だからと言って、何かを変えてみようとは思わなかった。 ただいつも通り、興味の赴くままに遊ぶだけ。 時を経るごとに私と周囲のズレは大きくなっていく。 でも、それを心から実感するのは、まだ先のことになるんだろうな、なんて考えた。 だから私はこれを悲観せず、幸運だと思うことにしたんだ。 寿命が長い。 それは決して悪い事ではないはずだから。 ただ、この話を聞いてからというもの、それまで当たり前に見ていた世界が、少し色褪せて見えたような気がした―――― 「――こんな感じだけど、うまく伝わったかな?」 「……あぁ、十分さ。なんというか……珍しい話を聞けたよ!ありがとう!!」 この話を誰かに聞かせる時はいつも気を付けようと考えるけど、困ったことにどうしても湿っぽくなっちゃうね。 でも実際、決定的に何かを知ってしまう前にメルキスを飛び出したから、私自身なんとも感想を言いにくいのだ。 結果、パパさんには余計に気を遣わせてしまったかもしれない。 ぎこちない笑顔を浮かべながら、わざとらしく明るく振る舞うパパさん。 パパさんは不器用だね……そして、優しいよ。 ジン君ならどういう反応をするのかな。 今度、機会があったら話してみよう。 「う…………はっ!てめぇ!このクソババァ!!よくも殴りやがったな!!」 ジン君がここで飛び起きる。 思っていたよりも早いお目覚めで。 さぞかし私の膝枕は寝心地が良かったことでしょう。 それにしても、湿っぽい空気を吹き飛ばすにはナイスタイミングだね。 その功績に免じ、聞き捨てならない単語を吐いたことは、今回だけ私の気のせいだったということにしておいてあげよう。 「こら、ジン!いい加減にお前も頭を冷やせ!嬢ちゃんがいれば色んな話が聞けるし、お前が教われることも多いはずだ。これはお前のためにもなることなんだぞ?わかるだろ?」 「教われるどころか、襲われてるっての!ちょろっと話をしただけのエルフ相手になに簡単に丸め込まれてんだよ!!」 「この嬢ちゃんなら大丈夫だ!俺の見立てに間違いはねぇ!」 「はぁ!?根拠も何もねぇじゃねぇか!!」 またもや始まってしまった親子間の激論。 しかし、パパさんや。 信用してくれるのは素直に嬉しいけど、そこまでの信頼がどの時点で生まれたのか是非聞いてみたいもんだ。 「俺は人を見る目には自信がある!母ちゃんにだって一目惚れだったが……やっぱり間違っちゃいなかった!!」 ジン君はそういうのを根拠がないって言ってるんだと思うけど。 二人の会話はいつもこうなのだろうか。 「だから――」 「もう決めたことだ!ってな訳で、嬢ちゃん!バカなこいつだが、いろいろと教えてやってくれ!」 「お……おい!!」 ジン君ってばパパさんに頭を押さえつけられちゃって可哀想に。 とはいえ、頭二つ並べて下げられてしまうと断れないかな。 というか、元々断る気はなかったんだけどね。 なんか楽しそうだし。 「しょうがないなー!ジン君がそこまで頼むなら引き受けてあげましょう!!」 「はぁ!?誰がお前みたいなババァに――ぐっふぉえ!?」 「……何か言ったかな?ジン君~??」 「く……そ…………」 このループもいい加減飽きたので、うるさい子は膝の上に寝かせておいて、話を先に進めよう。 こうして私ことエルミアは、ジン君とそのパパさんと一緒に旅をすることとなりましたとさ。 翌朝。 天気は清々しいまでの快晴。 新たな旅の始まりとしてはこれ以上ないシチュエーション。 こじんまりした馬車に揺られながら、果てしなく続く道をゆっくりと進む。 いいじゃん、いいじゃん。 御者さん役のパパさんも案外似合ってるね。 一方、その息子さんはというと…… 「ジン君はいつまで拗ねてるのかな~?」 「拗ねてねぇ!まだオレは許してないだけだ!」 馬車の荷台の隅っこで、こちらに背を向けたままブツブツと独り言を呟いているジン君。 その背中を見てしみじみ思うわけだ。 それを拗ねてるって言うんじゃないのかな、と。 一晩寝ればそれで解決、とはいかなかったね。 しかし、困った。 どうせ旅路を共にするなら、お互い楽しい方がいいと思うんだけど…… 「ねぇねぇ!どうしたら機嫌治してくれるの?どうしたら私が一緒に旅するの許してくれる?」 ここは下手に出て、ジン君の警戒網を一つずつ突破していこう。 力尽くなやり方が無駄だってことは、昨晩パパさんとジン君のやりとりを見ているから知っている。 遠回りのようだけど、これが一番確実な方法じゃないかな。 と、何やらジン君の様子がおかしい。 「な!?お、おいっ……あんまり顔近づけんなよ!!」 「んん?」 私は背中越しにジン君の顔を覗き込んだだけなんだけど…… あぁ、そういうことですか。 実年齢はひとまず置いておいて、見た目はジン君よりも少し年上のお姉さん。 顔を間近に近づけられて、恥ずかしくなっちゃったわけだ。 その証拠に耳まで真っ赤だよ。 こんなにも素直な反応をされると嬉しくなっちゃうね。 「も~!照れちゃって可愛いなぁ、ジン君は!」 「ちょっ!?やめろ、馬鹿!!」 背中から抱きついてみると、やっぱりこの反応。 こういうスキンシップが距離を縮める一つの手段として有効だとわかったところで、遠慮なくいってみようか。 「お、お前は恥ずかしくないのかよ!?男と女がそんなに……ベ、ベタベタくっつくとか……!!」 何を言い出すのやら、ジン君や。 私の年齢を考えればジン君はまだ赤子以前のレベルなわけで、おもちゃ……は少し聞こえが悪いので、小動物としておこうね。 そんな可愛らしい動物とじゃれ合うのに、恥じらっちゃう人はまずいないと思う次第である。 でも、まぁ、つい夢中になってしまったことについては少し恥じる気持ちがないでもないかな。 「だってジン君まだ子供だし?恥ずかしいとかは……ねぇ?」 「ぐ……!!」 これは少し大人気なかったかな、と反省。 距離を縮めようという目的を忘れてはいけない。 物理的に縮めても仕方ないのだ。 「ゴメン、ゴメン。からかい過ぎたよ!もうしないからさ?」 「言ったからな?もうするなよ?」 「……それはフリかな?」 「ちげぇよ!!」 「ニッヒヒー!」 「なぁ……謝りついでに、一つだけ聞いていいか?」 「お?おぉ??」 まだ完全にではないにしろ、少し心を開いてくれたのかな。 拒絶一辺倒だったジン君との会話らしい会話。 この好機は見過ごしては弓使いの名折れだね。 しっかりジン君のハートを射止めてみせるよ。 「もちろん!何が聞きたいの?何でもお姉さんに聞いてみな~?」 「じゃあさ……お前って、ホントのとこ今何歳なわけ?」 「……………………」 暫しお待ちを。 怒りをねじ伏せるのに必死なもので。 それにしても、よくよく考えてみると、こうした質問も純粋な好奇心から生まれる問い。 この際、長命エルフではあっても、やっぱり一人の女でもあるっていう私の気持ちは押し殺しますか。 興味の赴くままに、は私も信条とするところだからね。 「ふむ…………ん~??」 そうだった。 正確な歳など、もはや自分でさえ覚えていないんだった。 集まるのだ。 私の脳に刻まれし記憶達。 全ての思い出を総動員し、自分の年齢を導き出せ。 「え~っと…………たぶん……二百歳ちょっとってとこ?」 「「二百ぅうううう!?」」 ジン君の声に被さる様に御者台の方から聞こえてきたのはパパさんの声。 実はしっかりパパさんも聞いてたのね。 「まぁ、少なくともそれくらいはいってると思う。私がメルキスを旅立ったのが五、六十歳の時で、それからはずっと一人で旅してたから、誕生日を数えるのもそのうち忘れちゃってね……ニヒヒ」 「凄まじいババァじゃん……!!」 「貴様ぁああああああああ!!!!」 「ぶっふぉえぇええええ!」 あぁ……ゴメンよ、ジン君。 またしても怒りに負けてしまった私の心を許しておくれ。 というか、いい加減に学べよ。 「く……っそ…………」 何だとぅ!? 我が拳は確かにヤツの腹部を抉ったはず。 万一気絶を免れたとしても、悶絶は必至だ。 しかし、だというのに、何故ヤツは立っていられる!? 「大丈夫かい?ジン君?」 「ま……た、避けれ……なかった!」 まさか、我が拳の速度に順応しつつあるというのか!? ヤツが我の全力を垣間見たのはまだ数度。 目で追うこともできてはいないはず。 恐らくは拳が放たれる直前の殺気を本能的に察知し、体を後ろに倒しつつ、腹筋で衝撃を和らげたのだ。 流石は武神一族。 楽しませてくれるではないか…… 「ニッヒヒ……さぁ、幼き武神よ……第二幕の開演といこうか?」 「おぉ……やってやらぁああああああ!」 「アチョーッ!!」 「ぐぼぉっへぇああああああ!!」 「ハッハッハ!もうすっかり打ち解けたみたいじゃないか!その調子で旅の話でもいろいろ聞かせてやってくれよ」 そんな時、御者台から聞こえてきたのはパパさんの痛快な笑い。 いかん、そうであった。 いやいや、そうだった。 変なスイッチはオフにして、クールダウン。 ともあれ、少しはジン君との距離も縮まってきたのでは? ここはパパさんのフォローを活かし、旅の話でもって、きっちりジン君のハートを掴み取らないとね。 「ま、まだ……勝負は……!」 「はいはい。わかってるってば。今日のところは引き分けでいいよね?」 「……お、おう」 やっと大人しくなったジン君を見て思う。 遊び半分とはいえ、初めて実際に手合わせしてみたことで気付いたけど、ジン君の戦闘能力は、この年頃の子供としては群を抜いている。 パパさんによる教えや、流れる武神の血。 そういう理由もあるんだろうけど、それ以上にこの子には才能があると素直に感心した。 「じゃあ一休みがてら、エルミアお姉さんの旅のお話でもしてあげよう」 「つまんなかったら寝るからな?」 言葉半分にお昼寝体勢へと移行するジン君に、またしても込み上げてくるちょっぴり殺意。 これは誤算かな。 変な刺激の仕方をしたせいか、対抗心の方はさらに度が増している様子。 それでもゆっくり話を聞いてくれるようになっただけ、進展はしているものとしておこうか。 ではでは、まずは掴みとして、こんなお話から―――― ――あれは私がメルキスを飛び出して間もない頃。 「さてと、まずはどこへ行ってみよう……?」 辺りを見渡し、旅の行先を、というよりも進む方向を決める。 向かって右側にはどこぞの街へと続いていただろう街道。 向かって左側には視界を遮る程に木々が生い茂る大きな森。 これは考えるまでもなかったね。 「左!森でしょ!何か面白いもの出てこーい!!」 行く手を塞ぐ枝葉をひょひょいと避けながら森の奥へと駆ける。 念のため最低限の警戒はしていたけど、それは不毛に終わることになった。 残念なことに、生き物の姿一つ目撃することはなかったのだ。 私があまりに遠慮なしにドコドコ走っていたもんだから、みんな驚いて物陰に隠れてしまったのかもしれないね。 そんなことを考えはしたものの、それでも足を止めることができないくらいに、当時の私はウキウキしていた。 「なんか……面白くない……」 随分走ったと思う。 未知との出会いへの期待が裏切られたショックと、単純に体力が消耗したことも相まって、私は疲れて森の中にへたり込んだ。 そんな時、私はふと何かの気配を感じ取る。 とても静かでいて、でも力強い空気のようなもの。 私はそのままハイハイしながら、その気配の元を辿ってみることにした。 少し森を進むと、草木が途切れ、開けたところに出る。 そして…… 「わっ!?」 と、思わず声が出て、すぐに口を塞いで森の中へと急転回。 少し息を落ち着かせてから、そろ~っともう一度、その場所へ。 開けた土地の中心には、透き通った水がなんとも涼やかな美しい湖が広がる。 で、肝心なのは、その淵で気持ち良さそうに寝息を立てていた、ある生き物。 『グゴォオオ…………グゴォオオ…………』 寝息と言うには少し豪快すぎたかな。 でも、人間大のスケールで言うなら、これも寝息程度のものだよね。 だって竜だもの。 ここで私はようやく自分の勘違いに気が付いた。 何故、森の中に生き物一匹見当たらないのか。 そりゃ近くに竜なんていたら、大抵の魔物でさえ物陰に隠れちゃうって話だね。 それからどうしたかって? 勿論、近づいてみたよ。 竜なんて絵本の中でしか見たことなかったからね。 せっかくゆっくりと観察できるチャンスなのに、見逃せるはずないのである。 「おぉ……!」 『グゴォオオ…………グゴォオオ…………』 文字通り、目と鼻の先まで近づいてじっくりと観察したよ。 凶悪な牙も、ゴツゴツした鱗も、鋭い爪も。 ただ、本で想像したよりも大きな個体ではなかったね。 そういう種なのか、もしかしたら子供だったのかもしれない。 で、ここでまたしても魔が差してしまうわけだ。 記念に鱗を一枚頂こう。 さっき思わず声を上げてしまった時も、竜が起きる気配はなかったし、未知との出会いで変に高揚していたのかも。 平常心でも同じ行動を取っていたって可能性は否定しきれないけど…… 「そ~っと……そ~っと…………」 私は矢を一本取り出して、矢尻を竜の皮膚と鱗の間に慎重に刺し入れてみる。 ここでも私は一つ勘違い。 魚の鱗のように簡単に剥げると思っていた鱗が想像以上に硬い。 「む……?むむむ~……??」 『グゴォオオ…………グゴォオオ…………』 ゆっくりと矢を握る手に力を込めていくけど、竜は相変わらず深い眠りの中。 だからこそ油断したんだと思う。 『ぷすっ』 そんな音が聞こえた気がした。 『グゴォオオ……グゴッ……グルルルルルルル!!』 目を覚まし、ゆっくりと頭を起こす竜。 眼下に見えるのは私。 矢尻の先をほんの少し血でぬらした矢と、まるで金属のようにキラキラ輝く鱗を持ってます。 「ニヒヒ……ご、ごめんあそばせ……?」 『グォオオオオオオオオオオオ!!!!』 そりゃ怒るよね。 私だって気持ちよく寝てるとこを起こされたら怒るもん。 しかも鱗を剥がれてるわけだから、私で例えると……薄皮とか?髪の毛とか?そんな感じ? 「わひゃっ!?」 いきなりの頭突きを紙一重のところで回避する私。 ちなみにこれはまぐれ。 反射的に身体が飛び退いてくれただけ。 「あうっ!!」 でも、避けられたのは頭突きまで。 背中から鞭みたいに飛んできた尻尾に吹き飛ばされて、湖の中に真っ逆さま。 『グルルルル!!』 「……っ!?」 もしかして、このまま湖の中を泳いでたら助かるかな、なんて考えたけど無駄だった。 今だからわかるけど、この個体は水龍種の幼体だったわけね。 当然、水中だろうがお構いなしに飛び込んでくるし、空を舞うように泳ぎ回る。 普通はここで諦めちゃうと思うんだけど、私は違ったんだな。 すぐさま弓を取り出して、矢を引き絞った。 ここで負けて食べられでもしたら、せっかく始まったばかりの旅が一ページ目で終了なんてオチになっちゃうもん。 あとはがむしゃら。 手持ちの矢も、肉捌き用のナイフも全部使って戦って…… なんか勝っちゃいました。 仕留めることはできなかったけど、いくつかの傷を与えたところでどっかに逃げていっちゃった。 たぶん、幼体だから戦闘という行為に慣れてなくて、傷付けられることが怖かったんだね。 そう考えると、悪いことしちゃったなって気になったから、鱗はそのまま湖の中に置いてきた―――― 「――って話でした。お終い、お終い」 「…………」 話の最中、一言も発せず聞き入っていたジン君だけど、話を終えても黙りっぱなし。 自分では結構うまく話せたと思うんだけど、ダメだったかな? 「お前、一人で竜倒したのか……すげぇな……!」 「え?まぁ、倒したかと聞かれると微妙なとこだけど、なんとか勝つことはできたんじゃないかな?」 さっきまで噛み付いてきてばかりだったのに、こうも素直に褒められてしまうと照れてしまうね。 「でも……どうしようもなくアホな」 「むっ!?せっかく褒めてくれてたのに、なんでいきなりアホなのさ!?」 「寝てる竜に悪戯かますとか、ただのアホだろ!アホエルフ!!」 でしょうね。 ジン君の性格を考えれば話の論点はそこでしょうね。 むしろこの方がしっくりくるように感じ始めちゃったよ、あぁ、もう! 「はぁ……もっとマシな話ねぇのかよ?アホじゃないやつな」 「ぐ……もちろんあるよ!いくらだってあるよ!じゃあ、次は宝探しの話ね」 落ち着け私。 このままじゃジン君の中での私への評価が『アホエルフ』に決定されてしまう。 ならば、この話で評価を一変させてやろうではないか―― ――つい最近、どことも知れない遺跡に忍び込んだ日の話。 「獲物は逃がさないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「飛び入り参加だよ!エルミア!」 「「二人揃って!お宝トレ――――誰!?!?」」 「あぁ、ごめんごめん。なんだか楽しそうだったから混ざっちゃったよ」 私は遺跡の奥に何があるのか気になって忍び込んだわけなんだけど、遺跡がどういったモノか知らないまま忍び込んだものだから、いろんな仕掛けや迷路みたいな道に翻弄されまくっちゃって、最奥まで辿り着く前に飽きちゃったの。 結局、ずっとグルグルしてても仕方ないなってことで、引き返そうとしてたところだったんだけど、その帰り道で出会ったのが可愛らしい少年少女の二人組。 「つまりあれだな。お宝トレジャーズの新たなるメンバーになりたいって話だな!」 「そうなのランビー!?この人なんか困ってるみたいだったけど、新メンバーになりたがってたの!?」 「間違いないぜ、リシェル!オレの第七感がそう告げている!!」 「じゃあこれから『三人揃って』だね!!」 「エルミアの決め台詞も考えてやらないとな!!」 「え?あぁ、うん!えっと……ありがとう?あれ?いつの間に仲間になったの私??」 「一回仲間になったら離れ離れになっても仲間だって親父が言ってたぜ!昨日の敵は今日の友ってヤツだな!な、リシェル!!」 「アタシは聞いたことないけど、その通りだね、ランビー!!」 なかなか要領を得ない二人との会話だったけど、どうやら二人は『お宝トレジャーズ』っていう盗賊団……ごっこ?の最中らしく、お宝を求めて大陸中を旅しているって話だった。 で、私は何気なく聞いてみたわけさ。 「お二人さん。お宝トレジャーズはどんなお宝を探してるの?」 「え!?あー……えっと……何だっけかなぁ、リシェル?」 「え!?!?あー……あれだよ……ほら……宝石とかね」 「んん?なにやら隠し事の気配がするぞ~??」 「す、すまねぇ!こればっかりは同じお宝トレジャーズの仲間でも話すわけにはいかねぇんだ!!」 「ゴメンね!お詫びにほら!ドゲザ!!パパがいつもママにこうしたら許してもらえてた!!」 「いやいや!そこまでしなくていいから!誰にでも聞かれたくない秘密はあるもんだよ!」 「リシェル……エルミアってなんかすごく良い人だぞ?」 「ランビー……パパ達よりもカッコいいこと言ってるよ!?すごいね!」 まぁ、こんな感じですっかり気に入られてしまったわけ。 で、ここからが本編。 小さな子供達二人だけを置き去りにするのは心苦しかったし、私はその宝探しを手伝うため、遺跡の探索に付き合うことにしたの。 途中までは道もわかってたしね。 でも、その道中は私の知っているはずの道じゃなかったんだ。 あれは……地獄だったよ。 私でも気が引ける様な怪しいスイッチを見つける度に躊躇わずポチポチするし…… 回避したはずの落とし穴を覗き込んで『この下にこそ、真の道がある』とか叫び出して飛び込むし…… 坂道を追いかけてくる大岩トラップを本気で受け止めようと立ち止まるし…… その度に私は二人を抱えて、走って、跳んで、砕いたよ。 若さって怖いよね。 敵わないな、なんて思っちゃった。 「はぁ……はぁ……二人共……いつもこんなことしてるの……?」 「もちろんだぜ!だって俺達――」 「「お宝トレジャーズ!!」」 「ホントに危なくなったらパウパウが教えてくれるしな!」 「影の妖精さんも助けてくれるしね!」 「え!?じゃあ、私のしたことって無駄だったの……?」 「そんなことないぜ?今回はいつもよりずっと楽だったし、タンコブもできてない!!」 「アタシは前の遺跡で膝すりむいちゃったけど、今日はケガしてないよ!?」 「そっか……ニッヒヒ!ならもう少し頑張ってみようかな!」 私達は諦めずにメチャクチャしながら遺跡の奥へ進んでいった。 そして、遂に辿り着いたの。 最奥の部屋へ。 一本道の先に待ち構える重厚な鉄の大扉。 私一人の力ではとても開けることはできなかったけど、三人で協力してやっと扉は動いて、ゆっくりと開いていく隙間からは眩い光が差し込んで……はこなかった。 そこにあったのは宝の山……ではなく、小さな宝箱が一つだけ。 それを見た時、正直私はちょっとガッカリした。 あれだけ頑張った報酬がこれっぽっちかって。 でも、お宝トレジャーズの二人は違った。 「「うぉおおおおおおおおおおおお!!」」 「あったぞ、リシェル!お宝だぁああああ!!」 「やったね、ランビー!お宝だぁああああ!!」 「「お宝トレジャーズ!大勝利!!」」 二人は襲い掛かるみたいに宝箱に飛び付いて、それを開いた。 するとね、中にはいくつかの装飾品が入ってた。 ネックレスと、指輪と、小さな王冠。 それにどれくらいの価値があったのかはわからないけど、私は二人の喜ぶ姿を見ているだけで笑っちゃったんだ。 まるで世界一のお宝を発見したかのように踊り始めるんだもん。 「ニヒヒ……!」 「……ん?どうしたんだ、エルミア??」 「エルミアは嬉しくないの??」 「え?いやいや、嬉しいよ!?」 「ははーん……オレにはわかるぜ?」 「え?何々、ランビー!?」 「いやいやいやいや!私は別になにも――」 「分け前のことが心配なんだな?」 「なーんだ!そうだったんだ!!」 「分け前……?いや、私は別に宝物が欲しいわけじゃ――」 「ほいっ!」 変に拍子抜けしていた私の頭にランビーが乗せてくれたのは小さな王冠だった。 「わっ!?ランビー!!エルミアって王様だったの!? 「違ぇぞ、リシェル!王様は髭が生えてないといけないんだ!」 「じゃあMVPってことだね!?ヒーローインタビューしないと!」 「あぁ……オレも超頑張ったが、今日のところは負けだ!でも、次は負けないからな!!」 「アタシだって負けないからねー!!」 「次は絶対優勝するぞ………」 「「おーーーーーー!!」」 この時、気付いたんだ。 今日手に入れた一番のお宝は、どんな宝箱の中にも絶対に入ってないものだなって。 ちょっぴり泣きそうになっちゃったよ。 その後、二人とは遺跡の外に出たところで別れたんだけどね。 でもバイバイは言わなかったよ。 もう三人は仲間だからね―――― 「――だから絶対に再会して、また一緒に冒険するんだ!」 「で、その頭に乗せてる王冠が、その王冠ってわけか……」 「その通り!!」 とっておきの良い話をしてしまった。 これでジン君からの評価もうなぎ登り間違いなしだね。 「…………いや、やっぱアホじゃん」 「なんで!?!?良い話だったでしょ!?私はお姉さんとして子供達を引率しながら、見事にお宝を発見したんだよ!?最後までちゃんと二人を守り抜いたんだよ!?」 「いや、まともな姉ちゃんならそんな危ないとこに子供を連れて行くなよ。そのまま保護して街にでも届けるのが普通だろ」 「だって行きたがってたんだもん!!子供達の夢を叶えてあげたんだよ!?素晴らしいことじゃない!?」 「でも、それって盗掘ってやつだろ?悪い事じゃん」 「いやいや、だって――――あ!」 「なんだよ?」 「そういえば約束してたんだった……オレ達のことは誰にも内緒だぜって……」 「やっぱアホじゃん!!!!」 「あ~!!忘れて!!今の話は忘れてぇええええ!!!!」 私は語る。 私が見てきたいろんな世界、いろんな街、いろんな人達のこと。 ジン君はあーだこーだ言いつつも、その全てをしっかり聞いてくれていたようだった。 辛いこともたくさんあったけど、それ以上に楽しく、とても充実した日々。 今の旅のことも、幸せな思い出として誰かに聞かせる日が来るのかもしれないね。 ジン君とパパさんとの旅も今日で一カ月。 月日が流れるのは早いことで。 こういう感覚は歩んできた人生の長さや、寿命の違いがあっても変わらないものなのかな。 それが楽しいと感じる時間であればなおさらね。 「ジン!飯の前に水浴びでもしてこい!汚いままだと嬢ちゃんに嫌われちまうぞ……?」 ジン君がパパさんとの手合わせを終えて、食料を調達し終えてたら水浴びの時間。 お風呂なんて立派なもの、ちゃんとした宿にでも泊まらないと入れないからね。 なにが起こるかわからない旅の道中、お金は大事に大事にしないといけないのだ。 まだ暖かい季節だしね。 ホントは入りたいけど…… 「はぁ!?なんでオレがこんなババ――」 「んん?何を言おうとしたのかな?」 すかさずジン君の顔を覗き込むと、慌てて言葉を飲み込んだ。 別に言ってもいいんだけど、その後どうなるかを忘れちゃってるなら、思い出させてあげることもお姉さんの務めだ。 「バ……バ……バーカ!!いちいちこんなヤツのことなんて気にしてられるかよ!!」 さすがに一カ月も経つと、いくら覚えの悪い子でも学ぶものだ。 とはいえ、誤魔化しつつもしっかり悪口に持っていく辺り、まだジン君には私を拒絶する気持ちが残っているということなのか、それとも単なる照れ隠しなのか。 年頃の男の子は難しい。 「あれあれ~?いいのかなぁ?私はともかくとして、通りかかった町々の女の子達にいろいろ言われちゃうよ~?」 「ふんっ!そんな誰かもわからねぇヤツの評判なんて気になんねぇよ!」 「ふ~ん……『ねぇねぇ!ちょっとあれ見てよ!!やっだぁ……汚らしい。あんな恰好で町中うろつかれる身にもなってよね~!』とか?」 「……べ、別に気にならねぇ」 「『きっと身体を鍛える事ばっかりで頭の鍛錬はしてこなかったのね!お風呂の入り方ひとつ知らないなんて、なんて可哀そうな子なのかしら!!』とか?」 「…………」 「『うげぇ!?くっさ!ジンくっさ!!そんな体じゃ一生かかっても女の子のお相手なんてできそうにないわね!ギャハハハ!!』とか?」 「うるせぇな!オレは行かねぇなんて一言も言ってねぇだろ!?だいたい言われなくてもそろそろ行ってこようかなって考えてたところなんだよ!!」 「ふ~ん……」 ふむふむ。 異性に対する興味もすくすくと成長しているようでなにより。 単に私のニヤケ顔に対抗心を燃やしただけの可能性も捨てきれないけど、微妙に顔を赤らめていることから察するに前者だね。 これはまだまだからかい甲斐がありそうだ。 「一人で心細いなら私が一緒に入ったげよっか?」 「バ!?バカ言ってんじゃねぇよ!!」 「ニッヒヒ!かわいぃなぁ……顔真っ赤にして照れちゃって」 「ち、違ぇよ!!お前が怒らせるからだろ!?」 「そうだね~」 「ぐ……クソ……!もういい!!行ってくる!!!!」 「いってらっしゃ~い!」 「覗くんじゃねぇぞ!?」 「それはフリかな?」 「ふざけんな!!!!」 そう言って、ジン君は手ぬぐい片手に近くの河原へと向かって行くわけだけど、プンスカしてる感じがひしひしと伝わってくるその背中がまた可愛いのなんのって。 フリまで頂いたことですし、まだまだお姉さんの戯れは終わりませんのことよ。 背中が見えなくなったことを合図に、すぐさま気配を殺して、いざ、ストーキングの開始。 ジン君は果たして私の存在に気付くことができるかな? 誰かに誤解されないうちに釈明しておくと、私にとってはこれは戯れでも、ジン君にとっては修行なのだ。 果たしてジン君は、気配を絶ちながら背後をつけ狙う敵の存在に気付くことができるかどうか、というね。 決して意味もなく遊んでいるわけではない。 私の欲望を満たすためだけのものではない。 たぶんね。 とか考えてたら河原まですんなり尾行出来ちゃったわけだけど、ジン君はというと既に真っ裸で水浴びを堪能中だったり。 残念だよ、ジン君。 私は君の進化に期待していたというのに、すぐ背後の草むらに隠れている私に全く気付かないなんて、一カ月もの間てんで成長していないじゃないか。 「ったく……いつもいつも何かと絡んできやがって。どっちがガキなんだっつーの。歳だけはババァのくせに中身はてんでお子ちゃまじゃねぇか……」 ――ガサッ 「ん……?」 危ない、危ない。 突然の言葉に動揺して足が飛び出しそうになってしまった。 まさかとは思うけど、微かに気配を察知して、正確な位置を把握するために揺さぶりをかけにきてるわけじゃないよね? そうだとしたら、君を抱きしめてあげたくなるほど嬉しいよ。 ただ……それが単なる独り言だったとしたら、君は普段から私のいないところでそんなことを口走っているわけだから、絞め殺してやらないといけなくなるんだけどね。 「まぁ、ここはオレの方が大人にならないとだよな。とりあえずババァってのは止めてやるか。でも、それなら何て呼べばいいんだ?エルミアか?いや……今さら名前で呼ぶのもなんかなぁ……」 今度は逆に持ち上げてきた!? やはりこれは揺さぶりをかけにきているね!? 思わぬ成長ぶりに感激だよ…… そのまま素敵ニックネームでも付けてくれた日には、私は敗北を認めなくちゃいけないね。 「おぉ!クソエルフだ!クソエルフで十分じゃねぇ――」 「挑発に乗ってやるよ、このクソガキがぁああああ!!」 「ぐほぉえ!?」 その瞬間、私は頭が真っ白になって、気づけばジン君の背中にドロップキックをお見舞いしていた。 「ふんっだ!ちょっとは見直してあげようかな~と思ったのに、ジン君ってば――あれ?ジン君?」 「………………」 ジン君が水面に突っ伏したまま微動だにしない。 これはおかしい。 隠れていた私の気配に気付いて挑発していたのなら、その後の攻撃に対処する心構えもしていたはず。 なのに、ジン君は避けるどころか、もろに食らって、完全に意識を失い水中に…… 「って――わぁああ!?息できないじゃん!死んじゃうって!!」 私は慌ててジン君を川辺に引き上げて膝の上に寝かせる。 真っ裸のジン君を。 結局、この子は私の尾行には気づいていなかったようだ。 ジン君が真っ裸になった時点で、私が気付くべきだったね。 この子を膝枕してあげるのはこれで二度目。 一度目は、初めて会った森の中だった。 こうしてみるとよくわかる。 真っ裸のジン君を。 何一つ変わっていないように思えても、この一カ月の間に色んなところが少しずつ変化している。 髪が伸びたね。 身体中に付いた小さな傷は、古いものから順番に消えて、別のところに新しい傷ができてる。 背もちょっぴり伸びたかな? そういえば、私もママによく膝枕してもらってたっけ。 私もジン君みたいに元気いっぱいで、無鉄砲なとこがあって…… ジン君を見ていると、私が放っておけないって気持ちになってしまうように、ママも私にそんな想いを抱いていたのかな…… 「うぉ~い!飯の準備が出来たから、早く戻って来いよ~!」 「わわっ!?」 森の木々をすり抜け、遠吠えのように聞こえてくるパパさんの声に、思わず体がビクりと反応。 いつの間にかしんみりした気持ちになっちゃってたね。 いけない、いけない。 ――バチィン!! と、私は頬を叩く。 自分のじゃ痛いから、ジン君のをね。 「うぉお!?え!?な、なんだ!?」 「やっと目を覚ました!大丈夫?ジン君」 「あれ?オレは何を?確か水浴びをしていたら突然……」 「さ、さぁ。何があったかは全然知らないけど、とにかく無事でよかった!!」 「え?まぁ……そうだな」 「早くパパさんのとこに戻ろ。もうとっくに晩ご飯できてるよ!」 「おぅ。そうだな」 まだ少し痛みが残ってるのか、ジン君が背中を気にしていたようなので、私はスリスリとそこを撫でてあげる。 正直、ちょっとやりすぎちゃったかなという反省がなかったわけでもなく、これも隠れた謝罪の形として認められることを願おう。 それから、本人は気絶したショックで忘れてるだろうけど、恐らくジン君はこの場の状況を恥ずかしがるだろうと予想して、早く気付かせてあげようとそれとなく促してもあげる。 「……ねぇ、ジン君。こんな時、私がどんな反応するのが好みだったりするのかな?キャッ!とか言った方がいい?」 「ん?」 キョトンとした表情で、視線を自分の胸元へと落とすジン君。 「てめぇ!気付いてんなら早く言えよ、クソエロエルフ!」 「はい。ジン君の服」 そばに置いてあった服まで手渡してあげるアフターケア付き。 しかも、グチャグチャに脱ぎ捨ててあったものを、わざわざ綺麗に畳んであげたのだ。 ここまですれば、キック一発かましたことを差し引いてもお釣りがくるよね。 「くっそがぁああああああああ!」 顔を熟れたリンゴのように赤々と染めたジン君は、私から服を乱暴に受け取ると、そのままキャンプへと逃げるように走って行きましたとさ。 そして、その日はやってくる。 旅路は三カ月を数え、三人での行動もすっかり馴染んできた。 そんな時に通りかかった小さな村で、私たちはこんな話を聞く。 「どうか、あの翼竜を倒し、我々をお救い下され……!」 村長さんは言った。 この地の傍にある海峡付近に、翼竜の巣が存在する。 その翼竜は、長年ここ一帯の竜達を従え、群れのボスとして君臨する巨大な翼竜。 強大な力と群れの規模のせいで、迂闊に手出しもできないもんだから、その勢力はどんどん拡大しちゃって、とうとう村にまで脅威が及ぶようになってきた、と。 当然、正義感溢れるパパさんがこの話を断るはずもなく、二つ返事で翼竜討伐の依頼を引き受けることになったわけだけど、ここで一悶着起こる。 パパさんは今回の依頼の危険度を考えて、ジン君を村に残して、私と二人で翼竜討伐に向かおうとしたのだ。 これにジン君は猛反発。 今までの修行の成果を見せてやる、と意気込み、自分も同行させろと願い出る。 とはいえ、パパさんはジン君には荷が重いと判断した上で決めたわけだから、ジン君が何を言おうと聞く耳を持つはずないわけで、親子喧嘩に発展するのは必然だった。 そこで私はこんな提案をしてみる。 「私が常にジン君のそばでサポートするよ。だから、ジン君も連れて行ってあげて!」 私は見てきた。 パパさんに幾度となく打ち負かされても立ち上がり、強くなろうという一心で努力を続けてきたジン君の姿を。 たぶん、今日という日は、これまでの成果が試される一つの試練なんだろう。 そう思った。 それでもパパさんは首を縦に振ろうとはしなかったけど、なんだかそのうち私までムキになっちゃって、パパさんが根負けするまで二人でしがみつき続けた末、三人での討伐ミッションを勝ち取ったのだ。 しかし、現実は無情。 討伐目標である巨竜の力は、パパさんや私の想像を超えていた。 「なぁ……助かるんだろ?親父は平気なんだろ……?」 「…………だ、大丈夫!私、薬草取ってくるから!パパさんを見てて!!」 「わ、わかった!!」 翼竜との戦闘の際、パパさんはブレスに巻き込まれそうになったジン君を庇い、瀕死の重傷を負ってしまう。 私が持つ医術知識は経験によるもので、云わば自己流。 専門家にはとても敵わないけど、傷の程度くらいは診られる。 そして、そんな積み重ねてきた経験が警鐘を鳴らしていた。 このままじゃ助からない。 震えるジン君を落ち着かせるために口を突いた『大丈夫』という言葉。 一体何が大丈夫なのか。 いつもそうだ。 考え無しにその場のノリで突っ走り、壁にぶつかって怪我をしてからようやく過ちに気付く。 自分一人が怪我するならまだマシだ。 他の誰かを巻き込まないだけ可愛いらしい。 だけど、今回大怪我をしたのはパパさんで、ジン君の心にも大きな傷を負わせてしまった。 ジン君は私がサポートする? 結局、あの子を守ったのはパパさんだ。 守ると息巻いた挙句、私は自分の身を守ることで精一杯。 おかげ様で、ほらこの通り。 戦いを終えてもピンピンしてる。 パパとママを死なせてしまった時と同じだ―――― ――私が五十歳を迎えた頃だった。 「パパ……ママ……!」 もう歳だというのに、最後まで仕事に打ち込み続けていたパパが倒れたのが数日前のこと。 ずっとそれを一人で手伝っていたママも、追いかける様にベッドで寝たきりになってしまった。 それまで私は何をしていたのかって? ただただ遊んでた。 昔は友達だった同い年の仲間達がみんな仕事で汗を流す中、私は彼らの子供たちと友達になって、遊び呆けていた。 言い訳のように聞こえるとは思うけど、そうして夢中になっている時間だけは、年々忍び寄ってくる周囲との違いから感じる不安を忘れることができたから。 ママとパパは、それを察してくれていたから、どんなに無理をしてでも私に仕事を手伝わせようとはしなかったのかもしれない。 だからこそ、私はパパたちの看病に必死になった。 ごめんなさいを言う様に。 これまでの恩を、ほんの少しでも返せるように。 でも…… 「パパ……?パパ!?」 「ゴメンよ……エルミア…………いつまでも傍にいてやれないパパを……どうか許しておくれ…………パパ達は……オマエが……」 数カ月も経たぬうちに、パパは静かに息を引き取った。 そのショックからか、ママの体調も悪化。 日に日に衰弱し、やせ細っていくママの手を握り、私は懸命に祈り、願った。 「私にくれた長命の加護はお返しします!だから、その代わりに、同じだけの時間をママにお与えください!」 メルキスの大樹に宿るとされる精霊は、私の声に応えてくれることは無かった。 散々好き勝手生きてきた私のお願いなんて、精霊でなくたってお断りだろうね。 「よく聞いて、エルミア。アナタは長命エルフであることで、たくさんの悩みを抱えていたことでしょう……それはお母さん達には到底理解できないようなことかもしれない……でも、それを悲しいものだとは思わないで……」 「……ママ?」 「長い命を授かったことは、間違いなくアナタにとって幸運な出来事のはず……だからアナタは生きなさい。そして、他の人よりもたくさんの幸せを見つけるのよ……そうして初めて、アナタの人生は報われるから」 私はママのベッドを涙でグチャグチャに濡らしながら、その声を決して聞き逃さまいと頷いた。 「最後にアナタに苦労をかけてしまってゴメンなさい……可愛らしいアナタの姿に、ついついお母さん達は甘えてしまったの。でも、もうその心配もいらないわ……」 「ママ…………いやだよぉ……一人にしないでよぉ……!」 「お母さん達はね……アナタが笑顔でいてくれることが何より嬉しかったの……どうかいつまでも……アナタは好きな事をして、アナタらしく笑っていて……ね……………………」 「………………グスッ…………ママぁ……!」 私は翌日、メルキスを旅立った。 ママ達との約束を果たさないといけなかったから。 親が子に託す夢を叶えることが、子に出来る最大の恩返しだと理解したから。 いつまで続くかもわからない悠久の時の中で、少しでも多くの幸せを探す旅。 私はその日、初めて自分の人生を歩み始めた―――― 「――ジン君!パパさんは!?遅くなってゴメンね……」 助けなきゃ。 こんな形でジン君達の旅を終わらせてたまるもんか。 ママ達が私に夢を託したように、パパさんにもジン君へ託している夢がある。 あの子が立派な武神一族の戦士となった姿を、パパさんが見るまでは終わらせてはダメ。 今の私がそうであるように、ジン君だってその夢を叶えるために頑張っているのに。 「なかなか目当ての薬草が生えてなくて。それで――」 洞窟で私を待ってくれていたのはジン君だけだった。 一体、彼はどんな想いで私を待っていたんだろう。 初めから当てになんてされていなかったのかな。 どちらにしても、もはや意味はない。 動かなくなった父の前で呆然と項垂れる息子。 その光景は、何もかもが手遅れであることを私に悟らせた。 「…………あぁ……ゴメン……ゴメンなさい……私が……私がジン君の傍にいるって言ったのに……!私がもっとしっかりしてれば、パパさんが――」 なんて薄っぺらいんだろう。 言葉にしてみると笑いが出そうになっちゃうよ。 元々ジン君を確実に守り切れる保証があったわけじゃない。 それでも何とかなるかな、なんて考えていた今朝の私を殴り飛ばしてやりたい。 ジン君は今日、一つの大きな戦いを乗り越えて、自分の成長を実感できるはずだったのに。 明日からの修行の旅も笑いながら続けられるはずだったのに。 ジン君が思い描いていた理想を粉々に打ち砕いて、絶望の淵に叩き落としてしまったのは全部私の責任だ。 きっと許してはもらえない。 許してもらおうと思うことがおこがましい。 それほどのことを私はしてしまった。 「違う…………オレが……オレのせいだ」 「ジ、ジン君……?」 「オレが無理言って付いてこなきゃ親父は死ななかった……オレがちゃんと戦えてれば親父は死ななかった……オレがもっと強ければ親父は死ななかった……」 「そんなこと――」 「違わねぇよ……!」 「……ジン君」 「だからエルミアは悪くない……」 私のことを庇ってくれている? それとも、本当に全ての責任が自分にあると考えている? 今はたぶん、心の整理を付ける時間が必要なんだ。 「…………とりあえず。パパさんを送ってあげよ?」 パパさんの遺体は拍子抜けするほど軽く、同時に、なにより重くも感じた。 洞窟を出て、岸壁をよじ登ると、そこには気持ちの良い風が吹き抜ける原っぱが広がっていて、私は一番日当たりが良さそうな場所を選んで穴を掘る。 地中にパパさんを寝かせ、少しずつ土をかけていく間、ジン君は手伝うでもなく、止めるでもなく、ただ無言でその光景を見つめ続けていた。 「ほら……ジン君もパパさんを見送ってあげて?」 「………………」 ジン君は私の隣に座り込むと、静かな表情のまま手を合わせた。 きっとパパさんと歩んできたこれまでの人生を振り返っているのだろう。 楽しかった思い出も。 悲しかった思い出も。 でも、もう新しい思い出が生まれることは無い。 私はというと、手を合わせながらひたすら心の中で謝り続けた。 そして、誓う。 ヤツは私が殺す。 パパさんに捧げるせめてもの贖罪として。 「……これは置いていくよ……親父」 墓標代わりに積み上げられた小石の傍らに、ジン君はそっと自分のハンマーを置き、何処へともなく歩き出す。 そこで私は気が付いたんだ。 「どこに行くの?ジン君」 「…………」 肩に担いでいたのはパパさんのハンマー。 やっぱり君は決めたんだね。 昔の私がそうだったように。 「ヤツのところに行くんだね?」 「…………行かせてくれ」 「止めても行くんでしょ?分かってるつもりだから。ジン君の気持ち」 ホントは私が行くつもりだったけど、ジン君がそれを果たすと言うのだから、私はそれを見送る他ない。 その表情だけでも、復讐なんて単純な気持ちによる行動じゃないことが容易に伝わってきた。 パパさんに見せてあげるつもりなんだね。 ジン君がパパさんから託された夢を、果たしに行くんだね。 だったら私も、ジン君の決意とパパさんの夢を守るため、もう一度頑張るよ。 「傷ついたあの翼竜は巣へ逃げ帰ったんだと思う。傷が癒えるのを待つには自分の住処が一番安全で安心できるからね」 「…………エルミア?」 「相手はヤツ一体だけじゃないよ。私達がヤツと戦ってた時、他の竜が邪魔に入ってこなかったから忘れかけてたけど、ヤツは群れのボスなんだ。だから巣の周りには従えてる小型の翼竜がいるはず」 少し前ならポカンとした可愛らしい顔を見せてくれていたのに、今はすっかり戦士の顔だね。 それは私にとっても、パパさんにとってもきっと喜ぶべきことなんだと思う。 でも、微かな不安がどうしても拭えない。 もしかしたら、もう元のジン君は二度と戻ってこないんじゃないかって…… 私は、もう一度あの顔を見ることができるのかな…… 「アイツは逃げるとき、海の方に飛んでいったからね。もしかしたら海岸線に大きな洞窟でもあるのかもしれない」 「…………」 「あくまで予想だから、外れるかもしれないけど。とりあえず浜辺の方に向かってみると良いと思う」 「…………あぁ」 「無事に帰ってきてね。ジン君。待ってるから!」 海岸線に下り、浜辺をなぞるように歩いて約五百メートルのところに険しい岩壁があった。 その中腹にはポッカリと大穴が開いている。 見張り番として、小型の翼竜が数匹上空を旋回しているし、間違いない。 ばっちり予想は的中。 ヤツの巣だ。 そのちょっと手前。 私と巣の中間地点に位置する砂浜を歩くジン君の背中。 私はその小さな背中を見つめ、彼の微かな挙動さえも見逃さまいと、細心の注意を払っている。 あの子に私の存在が悟られないように。 「ゴメンよ、ジン君……」 君のことは信用している。 君はきっとパパさんとの誓いを果たしてみせるだろうし、必ず帰るという私との約束も守ってくれると信じてる。 でも、やっぱり心配なんだ。 一人で全部乗り越えてこそ、ようやくパパさんに託された夢を叶えられると思っているんだろうけど、それでも君を死なせるわけにはいかない。 危ないと思ったら私は君の前に迷わず飛び出す。 その時は、私を恨んでくれてもいいよ。 「…………」 岸壁の中腹で口を開けている大穴見上げてジン君は立ち止まる。 やっぱりダメだ。 岸壁をよじ登っている最中に見張りの竜に襲われたらひとたまりもなし、戦おうにも足を滑らせるだけで海に転落しちゃう。 でも、ジン君のハンマーじゃ砂浜からの攻撃は届かない。 ここは私が出て行くしか…… 「――って……あれ?」 私は駆け出そうと力を込めた足をすぐに引っ込めた。 ジン君が見張りの竜に攻撃しようとするわけでも、岸壁を登ろうとするわけでも、ましてや立ち止まって考えるでもなく、何故か急に岸壁の側面へと回り込むように歩き出したから。 ここからじゃ見えないけど、横穴でも見つけたのかな? 「え……嘘……?」 ジン君が岩壁に向かってハンマーを振り上げたところで私はあの子の思考を理解した。 そして、それがあまりに現実味に欠けた策であることも。 壁の厚みは数メートル? 巨竜が住処にするような洞窟なら、中にはそれだけ広大な空間があって、そんな空間を支えられるだけの岩壁をハンマー一つで貫けるわけがない。 そして次の瞬間、私は目撃する。 ジン君の底に秘められた力。 武神の力の片鱗を。 「………………ふっ!!」 ――ズドンッ!!!! 大地が一瞬揺れたことを、私の足は確かに感じた。 付近の木の奥に隠れていた鳥達が慌てて飛び出してくる中、ジン君はさも当然といった表情で、壁に突き刺さったハンマーを引き抜くと、そこにはハンマーの縁を象ったかのような綺麗な丸い穴。 それは、壁の奥深くに根付く迷路のような通路まで見事に繋がっていた。 すごいよ、ジン君。 素直にそう思うしかない。 力の全てを一点に集中して、衝撃を杭のように走らせることで生み出した貫通力。 それはハンマーを打ち込む際の力がとてつもないものであったことと、そんな力を見事に操りきった技の冴えを私に知らしめる。 パパさん。 ちゃんと見てたよね? パパさんの教えは、しっかりジン君の中で生きてるよ。 「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」 雄叫び。 巨竜と対面する恐怖に打ち勝つため? パパさんが倒れた光景を拭うため? 大丈夫。 溢れる想いの強さがひしひしと伝わってくるよ。 君はもう戦士だ。 あとは、それを証明してくるだけ。 駆け出したジン君の背が洞窟内に消えたのを確認して私は立つ。 「さてさて……じゃ、私も頑張らないと!」 まずは一本、矢を放つ。 狙いは、ジン君を追おうとした見張りの翼竜の側頭部。 続いて二本目、矢を放つ。 狙いは、仲間が打たれ、私の存在に気付いた別の見張りの心臓。 そして三本目、矢を放つ。 狙いは、標的を私に切り替えた、また別の見張りの眉間。 そりゃ、あんな盛大に轟音響かせた上に、雄叫びまであげちゃったら嫌でも気付いちゃうよね。 ジン君はボスの元に向かう侵入者。 見張りとしてはそれを黙って見過ごすわけにはいかない。 当然、追いかける。 あの子は後ろから追いかけてくるのも全部返り討ちにしながらヤツのとこまで行くつもりだったんだろうけど、それは流石に無茶が過ぎるってもんだよ。 だから、私はジン君が開けた穴の前に陣取って宣言するわけだ。 奥に進んでいったジン君に聞こえなくたって構わない。 「ジン君、こっちはエルミア姉さんに任せなさい!!外にいる見張りも、なんか入り口からワラワラ飛び出してくる……ひー、ふー、みー…………とにかくいっぱいも任せなさい!!」 たぶん巣の奥にも何体かは配下の竜がいるはずだけど、今のジン君なら問題なく倒せるよね。 そしたら残るはヤツとの決着だけ。 私はその邪魔をさせないように、死んでもここを守り抜くよ! 『ギャゥウウ!!』 「わっ!?ととっ!」 小型の翼竜とは言っても、人間やエルフとは比較にならないような力。 尻尾を振り回すだけでもこっちにとっては致命傷にもなり兼ねない攻撃になる。 直撃だけは食らわないようにと立ち回るのが精一杯。 こうも数が多いと、それも難しいんだけど、それでも逃げ出すわけにはいかない状況なわけで…… 二十匹くらいは倒したから、残りは何匹? まだまだ沢山。 でも、ボスの元に向かえない焦りと、攻撃を避け続ける私への苛立ちで、攻撃はどんどん単調になってきている。 ここまでは順調。 気を抜くな。 集中しろ。 「はぁっ!!」 『ギュォオオ……!』 ただ、一つ気がかりなのは、たんまり用意していたはずの矢はどんどん消費されて、その残りがもう心許ないってこと。 残りの竜達よりも明らかに少ない。 矢は残り十本。 今また一匹倒したから九本か。 「まぁ、やっぱりこうなっちゃうよね……!」 『ギュァアアア!!』 「ダメだよ!通してあげないっ!!」 残りの矢は八本。 いっそのこと、死骸から矢を抜いて再利用する? 堅い竜の皮膚から矢を抜いてる暇はある? 「ニッヒヒ……ちょっとくらい休ませて欲しいなぁ……!」 七本……六本…… 残り僅かとなった矢をさらに使えど、敵は減らない。 四本……二本…… 窮地へのカウントダウン。 予想していなかったわけじゃないしね。 矢がなくなったらナイフで戦えばいいだけのこと。 ナイフも折れちゃったら今度は石でも投げてみようか。 それもダメなら格闘戦? あ、またアホなこと考えてた。 『グルル……!』 お客さん、もう看板ですよ。 矢は一本たりとも残っていない。 残りの敵は……数える気にもならないね。 でも、戦い方は変わらない。 「はあっ……はぁっ…………」 朦朧としてきた意識の中、自分の動きを繰り返しシミュレート。 腰元からナイフを取り出して、しっかりと構える。 戦う距離が変わるだけ。 攻撃を避けつつ、穴に潜ろうとする竜だけを確実に仕留める。 ちゃんと構えられてるかな? もう自分がどう動いているかもあやふやだ。 ちょっと掠っただけでも大きなダメージってんだからやってられない。 『グギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』 「…………っ!?」 場を寸断するように響き渡る咆哮に私はハッとした。 まずい。 意識が途切れかかってた。 でも今の鳴き声は……洞窟の奥から? 「……え?」 その直後、私の前にズラリと並んでいた竜達が動きを止めた。 彼らは一歩後ずさり、そのまま逃げる様に飛び去って行く。 「何で…………あっ!」 辿り着いた一つの答え。 彼らがこの場を去る理由。 それはこの奥に向かう必要がなくなったから。 つまりは、付き従い、守らなければいけない群れのボスがいなくなったから。 「ジン君……勝ったんだね……!」 先の咆哮の正体が、巨竜の断末魔だったことが分かった途端に脳裏をよぎったのはジン君の顔。 そして、私の意識は深い安心と共に、泥の底へと沈んでいく―― ――コツンッ。 ん?小突かれた? 気持ちよく寝ている人の頭を叩く悪い子は誰かな? 「あ……遅かったね、ジン君。あんまり待たせるから追いかけてきちゃったよ」 「もう一回寝とくか?良かったら手を貸すぞ??」 「ニヒヒ……大丈夫だったんだね。無事に戻ってきてくれてありがとう」 「……おぅ!」 その時のジン君は、ちょっとムスッとして見える生意気な表情。 旅の途中、いつも私の近くにあったあの顔だ。 頑張った甲斐があったよ。 約束を守ってくれたんだね。 私達は身体を休めながら、これからについて話し合った。 ジン君はパパさんのことを報告するために、一度コークに帰ると言う。 ママさんに今日のことを話して、一緒にパパさんの墓参りをしたいのだそうだ。 「その後はどうするの?」 「旅を続けるに決まってるだろ?まだまだオレの修行は終わってないからな」 ゴメンね、パパさん。 今日のこと、私はどれだけ謝っても許してもらえるとは思ってない。 「そっか……強くなろうね。ジン君」 「もう親父に護ってもらわなくてもいいようにならないとな!!」 それでも、私はジン君と旅を続けたいと思うんだ。 ジン君がパパさんに託された夢はまだ途中だって言うからさ。 だから私にも、もう少し頑張らせてください。 「お~!言うようになったねぇ!じゃあ、それまで先生役として、私もまだ暫らくは一緒に旅をしてあげないとだね!」 「ずいぶんと悩みの多い旅になりそうだな……」 パパさんの夢をジン君が果たすその日まで。 「大丈夫、大丈夫!きっと悩んでいる暇なんてないくらいにたくさんの新しい出会いや発見が待ってるよ!!」 +夜を舞う死と影の闇メアリ 商業都市イエルへと続く街道。 商人や傭兵、旅人が賑わう中、黒いローブを羽織った2つの影が溶け込んでいた。 「なんでアンタみたいな子がこの組織に入れたのかしら?」 リリヴィスが怪訝そうな表情で口を開く。 2人は顔を合わせてからまだ日が浅い。 基本的には他人に干渉しないというのが組織の中で暗黙のルールとなっているが、今回の任務は長旅。 革命軍に接近し、内情の調査。 更には、帝国の情報を入手し、可能であれば殲滅せよという、今まで2人が受けてきた任務の中でも、飛び抜けて難易度の高いものといえる。 そんな任務だからこそ、互いの信頼は必須。 そのためにも、ここまでの道中、少し踏み込んだ内容の会話を続けてきた。 にも拘らず、出発時から漂うギクシャクとした空気が今なお場に満ちている。 それはメアリの心の芯にある、人から恨まれなければならないという信念とは別の所からきている。 ここまでの話の中で、互いの想い人が同一人物だと知ってしまったのだから。 いや、リリヴィスの隣を歩く少女。 メアリにとっては、リリヴィスの言う『想い人』というのとは少し違うのかもしれない。 まだ幼いメアリが、大人の男を相手取り、その者の“妻”となるとまで言う理由。 それはリリヴィスがメアリに訊ねた、組織に彼女が入った理由に絡んでくる。 「私のこの命は……あの方から頂いたから……」 ―― ―――― ―――――― 7年前 鎮魂の街ソーン。 教会が守る街という大陸では珍しい街。 穏やかな時間が流れる神聖な土地。 人々は毎日欠かさず教会を訪れ、神に祈りを捧げ、一日を感謝して過ごす。 そんな中、この地に相応しくない争いの声が響いていた。 「てめぇら!!こんな事してどうなるかわかってんのか!?」 「黙れ!人殺しのクズ野郎が!てめぇは今から神父様の裁判を受けて極刑になるんだ!最後くらい大人しくしていろ!!」 教会騎士に縛られ、連れられているのは、ある農民の男。 街の人々は、普段は口数の少ない温厚な男だったと口を揃えて言うが、彼に同情をする人間は一人としていなかった。 男の家から、彼の一人娘が瀕死の状態で助け出され、そのまま家宅捜索を行った際、地下室から妻の死体が出てきたのだから、人々から冷たい視線を投げられるのも無理はない。 瀕死の状態にあった娘の名はメアリ。 意識のない状態で教会の治療院へ運び込まれたが、無数にある身体の傷から何かしらの感染症を患っており、助かる見込みは殆どない状態だった。 術士が一昼夜彼女の治療に専念した結果、意識こそ取り戻したものの、衰弱しきった身体を回復させることは難しく、あと1、2週間も息があれば運が良い方だという見解だった。 住人はもちろん、慈悲深い教会の人間さえも、この男を許そうとはしなかった。 しかし、神父だけは違った。 「その者の娘……メアリと言ったか。どんな男であろうと父は父。彼女が目を覚ましているのならば、父の処遇をどう望むのか訊ね、神の耳に入れる必要がある。神はその声の元、男の未来を決めてくださるだろう」 一同が目を丸くした。 そんなことを聞いて、いくら酷い仕打ちを受けたとはいえ、残された唯一の肉親を罰してくれなどと口にする娘がいるだろうか。 まだ5歳の少女に、正しい判断ができるはずがない。 生まれてからというもの、一番身近にいた存在である両親に、二度と会えなくなると言われて首を縦に振る訳がないのだ。 「……いいよ……殺して。お母さんの仇を…………」 無表情のまま、少女はそう神父へと告げた。 罰を与えるべきかという質問に対し、直球でその答えが返ってくる。 5歳の少女にそうさせるほどの苦悩。 メアリの精神は、そこまで追い詰められていたのだろう。 彼女がこれまで受けてきた仕打ちを想像すると吐き気がする。 その一言によってメアリの父は極刑となり、街外れの木に吊るされた。 きっと数日もすればカラスが群がり、魂が土へと帰るだろう。 しかし、だからといってメアリの容態が回復するはずはなく、時間が経つにつれて彼女は少しずつ衰弱していった。 神父は神に祈った。 是非、力になりたいと願い出た術士たちは、可能な限りの延命を試みた。 だが、いよいよどうすることもできなくなってしまう。 メアリの現状を目にした者は、口を揃えてこう言った。 下手に生き長らえさせるより、いっそのこと楽にしてあげた方が良いのではないかと。 痛みに苦しむ少女の姿は、それ程までに凄惨たる有様だった。 自分はもうすぐ死ぬ。 彼女自身さえ、そう思っていた。 メアリが救助されてから13日目の夜。 その日は『真紫月(しんしづき)』が空に浮かぶ幻想的な夜だった。 紫色の光が窓から差し込み、メアリが横たわるベッドを怪しく照らし出す。 「はぁ……はぁ……」 身体中を休みなく襲い続ける激痛。 それ故に呼吸さえもままならない。 そんな状況の中、ただただ死を待ち続けることしかできないメアリは、この世の全てを恨んだ。 「神様なんて……いない……」 神を崇めるこの地において、幼い少女が孤独と絶望の中で導き出した答えは、悲しい現実。 もはや救いの手など存在しない。 早く楽になってしまいたい。 そう願った。 次第に、メアリは意識が遠のいていくのを感じた。 同時に、身体の感覚が徐々に消えていく。 指先から始まり、腕、足、その不思議な感覚は身体中に広がっていく。 これが死か。 既に途切れかけていた思考は、自身の身に起こっている出来事を冷静に分析する。 そして遂には、全ての感覚が失われた。 開けているはずの目に、先程まで眩しいくらいに感じていた紫色の月光は映らない。 「こんばんはお嬢さん。気分は……あぁ、それどころではないね」 耳に届く男の声。 無に帰したはずの感覚の中、男の声だけがやけに大きく響く。 だが、決して不愉快な気持ちにはならない。 それどころか、何故かとても心地よく、包み込んでくれるかのような声。 「あなたは……神様……?」 メアリは声の出処を探す。 そして、すぐにベッドの横に立つ真っ黒な影を見つけた。 男が窓とベッドの間に立ったことで、月の光が遮られていたのである。 「ごめんね。私は神などではない。君を救いたいと思った通りすがりの者だ」 顔は……よく見えない。 月明かりに浮かぶ黒いシルエットから、男が大きなハットを被っていることだけはわかる。 「私は……もう助からないから……神父様も……シスターさんもそう言ってた……」 男は消え入りそうなメアリの声を聞き届ける、そっと彼女の手を取り、優しく両の手で包む。 感覚がなかったはずの手に、何故か温もりは伝わってきた。 「もし、君がこの世界を恨んでいるのなら、その生命を私に預けて欲しい。私なら君を救うことができる」 男はゆっくりと話した。 「うらむ……?」 「君には幸せになる権利があった。それは誰もが持っている権利なんだよ。しかし、悲しいことに、世界は君の幸せを拒んだ。そのせいで、君は一人幸せになることなく、短い人生を終えようとしている。私は胸が痛い。君みたいな素敵な子に、幸せになって欲しいと思うんだ」 「しあわせ……?」 「君が幸せになることを許さなかった世界を恨むのならば、力を授けよう。君はもう一度、幸せになる権利を得る。君を不幸にした大人達の幸せを、君のものにするんだ」 「私の……幸せ……?」 「そうだよ。どうだろう?君が望まないのであれば、私はいなくなる。君が世界を恨むのならば、私は君の新しい家族となる」 思考力の失われた意識では、男の言葉を全て理解することはできなかった。 それでも、その時のメアリには、この男が一筋の光に見えた。 ――希望 それはまさに、希望だった。 「よく……わからないけど……この世界は……嫌い……」 そう言うと、真っ黒な男の影が、笑ったような気がした。 「ならば契約といこう。君の生と死を入れ替える、魂の契約を」 メアリの手を包む男の手が怪しく光り始める。 影のような闇のオーラが身体を包み込み、それが天井に達するまで部屋に立ち込めた時、そこにこの世の者とは思えない、まさに悪魔の化身のような怪物が現れた。 「我らの声を聞き給え。誓約の音を奏でし死神よ。汝は幼子の魂をその贄とし、この地に新たな狂乱の炎を灯し給え」 男は怪物に対し、呪文のような言葉で何かを告げた。 すると、それを受けた怪物はメアリの近くへと歩み寄ってきた。 不思議と恐怖心はない。 つい先程まで、自らの傍で佇んでいた“死”に比べれば、どんな見てくれであれそれは希望。 今更、何を恐れることがあろうか。 それが、存在し得なかったはずの未来さえも紡いでくれるとあらば…… ―――――― ―――― ―― 「それじゃあ何?あなたは一回死んだって言う訳なの?」 リリヴィスはメアリの話に目を丸くする。 「私もよくわからない。でも、団長がこの命をくれた。それは変わらない」 「なるほどねぇ……その歳で、どうしてそんなに人の死に慣れてるのか不思議に思ってたんだけど、まさかアンタ自身が死んでたとはねぇ……」 茶化す訳でもなく、今まで感じていた違和感の真相を知り、スッキリしたと言わんばかりに頷くリリヴィス。 「あら……私の所じゃなくて、あなたのお友達の所に団長が来ていれば、とか言い出すかと思ったけれど、そうでもないのね」 メアリは、すました顔でリリヴィスの顔色を伺う。 自分は世界を恨む異端者。 なればこそ、自分もまた恨まれなければいけない。 あれからずっと、そんなことを考えている。 だから、あえて人の恨みを買うような発言を繰り返してきたし、進んで人を不幸に陥れてきた。 団長以外の全ての人間になら恨まれても構わない。 自分の存在というものは、あの日からそういうものだから。 「そうね……もし、あの子に同じ質問をしたとしたら、きっと世界を恨んでなんかいないと答えたと思うわ。私のことですら、恨んでいなかったくらいだから。あんたみたいな絶望的な状況とは違うのよ」 いつになく真面目な顔で答えるリリヴィスに、メアリは違和感を覚えた。 このガルムは、普段はムキになって色々と言い返してくるが、この話題の時だけは、いつでも真剣に話している。 それだけ、大事な人だったのだろうと察した。 「それで、あなたのその闇の力は、その契約と関係無い訳じゃないのよね?」 「そうね……」 「あら?その秘密は教えてくれないのかしら?」 「私もそこはよく分からないから」 ―― ―――― ―――――― 怪物を目にした直後、男に連れられ、言うがままに教会を出たメアリ。 自分の足で歩けることに驚きながら、月明かりの元、紫色に光る森の中を歩いた。 この時、教会の人間が一人もいなかったことを不思議には思わなかったが、今思い返すと、やはり不自然。 男が幻術のようなものをかけていたのかもしれない。 体の痛みはもはやどこにもなく、夢の中にいるようだった。 自分ではなく、世界の方が生まれ変わったかのような感覚。 大きなハットの男は、森の奥まで来たところで足を止めた。 「では、君のパートナーを紹介したいのだが……おっと、まだ名前を聞いていなかったね」 「メアリ……」 「メアリ……良い名だ。メアリのことを守ってくれる友達のようなものだ」 「友達?」 男がパチンと指を鳴らすと、メアリの目の前に大きな化物が出現した。 先ほどベッド脇で見たものとは別の風貌。 まるで死神のような、明らかに生や死といった理からかけ離れた存在。 「君はこの友達と契約をしたんだ。彼は君の幸せを運んでくれる。仲良くしてくれるかな?」 化物は笑みを浮かべているような、こちらを睨みつけているような、なんともいえない表情をしていた。 しかし、その時もやはり恐怖は感じていなかったと思う。 普通であれば、絶叫してもおかしくない状況なのだが、信頼に値する何かを感じ取っていたのだ。 本当に不思議な感覚だった。 「これから、よろしくね」 メアリがそう発すると、化物はゆっくりと黒い霧に姿を変え、少しの間空中を漂うと、そのままメアリの手元に集まる。 それを受け止めるように手を差し出すと、霧は徐々に形を成し、やがて禍々しい弓の姿へと変化した。 「おめでとう。彼もメアリを気に入ったようだ。これからは、その弓が君を守ってくれるだろう。さぁ、こっちへおいで」 男に手を引かれるまま、長い道のりを歩く。 村の方角とは逆方向に。 躊躇はなかった。 今踏み出している足が、新たな人生へと向かう一歩だと思うと、歩を進める程に心が晴れ渡っていったから。 そして、メアリはそのまま、夜の鍵の一員となった。 唯一メアリが不安に思っていた事柄として、新たな人間関係の構築が挙げられるが、これも幸い杞憂に終わる。 団員達はまだ幼いメアリに少し驚きはしたものの、決して無下に扱うことはせず、可愛がってくれたのだ。 ハットの男、団長が指揮するこの組織で、メアリの新たな人生は幕を開ける。 ―――――― ―――― ―― イエルへと到着した2人は、ある酒場に入っていた。 リリヴィスが誰かと待ち合わせをしているらしい。 「誰と待ち合わせをしているの?」 「新入りよ。といっても、あなたよりは年上でしょうけど」 「…………」 リリヴィスはニヤニヤとしながらメアリを舐め回すように眺めている。 この女、これまでも事あるごとにメアリがまだ幼いという事実を小馬鹿にする発言を続けてきた。 メアリとっては別段気にする程のことではないのだが、こうまでしつこいと、敵対心とも呼べるその感情の出所がどこにあるのか気にかかる。 「もしかして、私が言ったことに怒っているの?」 「なんのことかしら?子供に何か言われたところで、大人は動じないの。でもね、それが恋敵なら話は別よ」 恋敵…… それはつまり、あの事だろう。 『そうねぇ~……言うならば、私の片想いかしら。なぜそんな事を聞くの?』 『私は私を助けてくれた団長に心を寄せているわ。だからこうしているのだし。私は団長の妻になりたいの』 『あはは!あなたみたいなお子様が?10年早いんじゃない?』 もちろん、メアリは冗談を言ったつもりなどない。 自分に自由を与えてくれた。 そして命を与えてくれた。 優しさをくれた。 未来をくれた。 そんな団長のためならば、その命さえも喜んで差し出せる。 それ程までに想っている相手なのだ。 あのお方が死ぬ時が来たとして、その時は自分が側に居たい。 そして、逆に自分が最期を迎える時は、あのお方に看取って頂きたい。 そんな気持ちは膨れ上がり、最終的に夢として描いた未来こそが団長の妻となった自分。 この気持ちに嘘偽りはない。 そういえば、前にこのコウモリ女も団長に救って貰ったと言っていた。 メアリと同じように、それをきっかけに団長に恋心を抱くようになったのだとしてもおかしくはないのだろう。 だからこその、恋敵なのだ。 負けたくない。 メアリはそう強く思った。 「理解したわ。でも、残念ね。私には未来がある。あなたみたいな賞味期限の切れた女には到底無理な話なんじゃない?」 「な、なんですって……!?」 当然、リリヴィスは怒る。 だが、ここは引けない。 それに、あくまで事実を言っただけ。 嫁にするのであれば、若い女の方が良いと相場は決まっている。 「あんたみたいなゾンビには不釣り合いじゃないの?あーあ、可愛そうね。死んでなければチャンスもあったでしょうに」 「あのお方は私に未来があると言ってくれた。つまりはそういうことよ」 「あははは!!子供の脳みそっていうのはどうしてこうも都合の良いようにしか解釈が出来ないのかしら?柔らかくないのはその絶壁だけにしてちょうだい。頭の中までカチンコチンだと男が寄ってこないわよ?」 「口が過ぎるわ……あなたの方こそ、その頭の中に詰まっているのは脂肪なのかしら!?」 「このガキ……大人を馬鹿にするのもいい加減にしないと痛い目を見るわよ!?」 「大人すぎてそろそろ更年期障害まで患っちゃったのかしら!?いい加減に自分を客観的に見た方がいいわよ!!」 「二人共、その辺にしておけ。周りの注目を集めているぞ」 リリヴィスとメアリがテーブル越しにバチバチと火花を散らしていると、見知らぬ女が割って入る。 そこでメアリはハッと我に返り、浮かしていた腰を再び椅子へと落ち着けた。 「ごめんなさい。迷惑をかけたわね」 「はぁ……」 大きな盾を持った白髪の女は、テーブルに盾を立て掛けると、そのまま椅子を引いてメアリ達のテーブルについた。 「あの…………あなたは……?」 メアリは不思議そうな面持ちで白髪の女を見つめるが、その向かいで、いつの間にか余裕の笑みを浮かべているリリヴィスが口を開く。 「遅かったじゃないダリア。随分待ったのよ」 「自分達の立場が分かっているのか?こんな所で騒ぎを起こしてどうする?」 ダリアと呼ばれた白髪の女性は、周りの目を気にしながら、コソコソと小声で話している。 だが、リリヴィスの声のトーンは変わらない。 「あらぁ~?女が男を取り合う喧嘩なんて、どこでだって見られる光景じゃない。大人の女ならそれくらいわかるでしょう?小声でコソコソとやってる方がよっぽど目立つものよ。あなたには分からないでしょうけど……」 そう言うと、リリヴィスは流すような視線をメアリへと送る。 本人は嫌味を言っているつもりなのだろうが、メアリにして、そんなもの分かりたくもないというのが本音。 さも気にしていないという様子で、両手で持ったコップを口元へ運ぶ。 「私にはわからないな。誰を取り合っているのか知らないが、その話は後にしてくれないか?」 「真面目なのはいいことだけど、少しは余裕を持たないと疲れちゃうわよ?まぁいいわ。今は新入りさんを立ててあげる。場所を移しましょう」 至って冷静のまま、ダリアがリリヴィスに言い聞かせると、少し気を削がれたのか、つまらなそうにリリヴィスが答えた。 直後、酒場を後にした3人は、イエルの郊外へと歩いていく。 既に日は落ち、こんな時間から街を出る者が殆どいない中、3つの影は深い闇へと溶けていった。 「それで、革命軍はどんな感じなのかしら?」 打って変わって真面目な表情になったリリヴィスが、ダリアに問いかける。 「あぁ、順調だ。既に妖精にそれとなくリリヴィスの情報も流してある。適当に酒場で傭兵の仕事をすれば、その噂を聞きつけて接触してくるだろう。」 「ふふふ……仕事が出来る子は嫌いじゃないわ。口の減らない生意気なお子様じゃなければだけど……」 「口が減らないのはあなたでしょう?そんなにベラベラと喋ってるといつか舌を噛んで死ぬわよ」 再びバチバチと散らせる火花。 もう、どうあってもこの女とは相容れない。 メアリがそう確信した瞬間だった。 「それで、本部から私に何か新たな司令は?」 「そうだったわね~。メアリに現状の革命軍の動きと内情を報告すること、そして引き続き革命軍の中で任務にあたること。それだけよ」 「2人も革命軍へ来るのではないのか?」 確認するダリアへ、メアリが答えた。 「私はあなた達の報告を本部へ通達する役目を担ってるの。隠密行動は得意だから」 「そうか。わかった。では報告をさせて貰う」 ――黒の森 「報告は以上となります」 ダリアから伝えられた内容を一言一句違わずに復唱し、報告を終わらせるメアリ。 団長は満足気な頷きを見せた後、次の司令を伝える。 「そうか。ご苦労だったな。では、引き続き、革命軍の動向を三者で追ってくれ。帝国との戦闘も激しくなってきているようだ。奴らが王都を奪還するために動く日も近いかもしれん。帝国の力を見極め、そして我々の邪魔が出来ないように潰す必要がある」 「御心のままに。死力を尽くさせて頂きます」 「戦闘が激化すれば、それだけお前達にも危険が及ぶ。くれぐれも用心するように」 「団長に救って頂いたこの身、組織のために散るならば本望です」 それを聞いた団長は椅子から立ち上がると、片膝をつきながら頭を下げるメアリにゆっくりと近寄り、その頭の優しく撫でた。 「そう悲しい事を言ってはいけない。私は皆の幸せを願っている。間違えても、その身を粗末に扱ってはいけない。いいね?」 「勿体無いお言葉……!」 メアリにとっては、この世の何よりも嬉しい、至福の極み。 団長が自分のことを気にかけてくれている。 失うに惜しい存在だと思ってくれている。 それだけで、胸がいっぱいになり、自然と涙が溢れてきた。 ――商業都市イエル 再びこの街へと戻ったメアリは、リリヴィスと落ち合うため、酒場へと向かった。 中に入ると、既にリリヴィスの姿があるが、何やら酒に酔った男に絡まれている様子。 「姉ちゃん良いねぇ~!ちょっと俺と遊ぼうやぁ~!」 「今日は用事があるからまた今度ね~。そ・れ・と・も宿を教えてくれたら人が寝静まった頃に遊びに行っちゃおうかしら?」 相変わらず下品な会話をしている。 小さなため息を一つこぼした後、メアリはリリヴィスの元へと向かった。 「別に用事は後でもいいわ。その男と遊んできたら?」 その声に振り返った男は、メアリの姿をじっと見てから舌打ちをした。 さらに、吐き捨てるように言葉を並べながら、リリヴィスを睨み付ける。 「なんだよ姉ちゃん子連れかよ!?全く……人の事からかいやがって~~。期待させるのは悪い女だぜ~」 その後、ガッカリした様子で男は違うテーブルへすたすたと歩いていく。 「やっぱり誰から見ても子どもに見えるのねぇ~」 お次はリリヴィスが楽しそうにメアリを見下ろす。 「人のことより、姉ではなくて子持ちの母として見られたことに危機感を持った方がいいんじゃない?」 が、これに屈することなく絶対零度の視線で返すメアリ。 「あんたねぇ……」 「何かしら?」 「大勢の人前で泣きべそかきたくないでしょ?今すぐ謝るって言うなら、許してあげなくもないわよ?それともこっぴどいお仕置きが必要かしら?子供を叱るのは大人の責任ですものね」 「もし仮にそうなったとしても、そんな恰好で堂々と人前に出ているあなたに比べれば、もはや恥でも何でもないわ。責任なんかを語る前に、羞恥心の一つくらいは身につけたらいかがかしら?」 酒場に居合わせた一同の視線が油となって火に注がれる。 「そりゃ、あんたみたいなツルペタスットーン!だったら恥にもなるんでしょうけど、私は違うわ。あんたが到着するまでの間、この完璧な身体で何人の男を虜にしたか教えてあげましょうか?」 「あら……あなたの脳内では盛りのついた家畜を男として数えるのね。そんなにお気に召したなら早く行ってあげればいいじゃない。きっとフゴフゴ言いながら相応のメスを待ちわびてる頃だと思うわよ?」 「おい!そりゃ俺のことを言ってんの――」 メアリがここを訪ねた際、リリヴィスに声をかけていた男が、自分が矢面に立っていることを察して、思わず声を荒げるが…… 「「あんたは黙ってろ!!」」 「は……はい…………」 もはや二人の間に割って入ることのできる者など、その場にはいなかった。 「ごめんなさい。はしたないことに、少し熱くなってしまったわ。私のことはいいから、あの家畜と楽しい時間を過ごしてきてもいいのよ?」 「何か勘違いしてるようだけど、私にとって、あんなの擦り寄ってくる有象無象の内の一匹でしかないの。小さな歩幅でちんたら歩いてるあんたを待つ間の暇つぶしをしてただけ。で?そんな底辺の男すら擦り寄ってこないあなたは一体なぁに?腐り果てた残飯ってとこかしら?」 どこまでもヒートアップしていく二人の戦い。 もはや血を見ることでしか決着はない。 一同がそう思い始めた頃、メアリがスッと視線を床に落とした。 「ちょ、ちょっと……?ここで泣くのは卑怯なんじゃないの!?」 リリヴィスの様子が一転。 慌ててメアリに駆け寄るが、すぐにキョトンとした表情を浮かべる。 「え……?あんた……何笑ってるの?」 「いいの。私は腐った残飯でもいい。だって……あのお方は……こんな私のことを…………」 頬を赤らめながら、そこまで口にしたメアリが、恥ずかしそうに手で顔を覆う。 「は……?あんた……?ちょっと、何かあったの……?あのお方と何かあったのね!?何があったのよ!?聞かせなさいよ!!」 「あぁ、あなたは知らなくてもいいの。あなたには関係ないこと。これは私とあの方の問題だから。ふふ……ふふふふ…………」 「ふ、ふ~ん……色事の『い』の字も知らないガキが、大したこと言うじゃない?」 「そういうのはいいの。これは二人だけの問題だから。二人だけのね……ふふふふ……」 「…………帰るわ!アジトに帰って直接問いただす!」 「別に私は構わないけど、時間の無駄だと思うわよ?」 「どうかしらね……私もしばらく会ってなかったから。あんたみたいなチンチクリンしか傍にいなかったのなら、あの方も嘆いていたでしょうね。私が優しく慰めてあげたら、あんたなんか宇宙の果てまで忘れ去られちゃったりして……?」 「そ、そんなことないわ……!!」 「ふふ……ま、現実ってのはいつも受け入れがたいものよ。でも、挫けちゃだめよ?女は失恋を経ることで磨きがかかってくるものなの。私としても心苦しい限りだけど、これもあなたの成長を想ってのことなのよ……?」 「ふ、ふん……あの方はあんたなんかになびいたりしない」 「私があの方に会えばわかる話。じゃ、そゆことで!遠いところご苦労様だったわね」 「ま、待ちなさい!私も……私もアジトに戻るわ!」 「あら~?さっきまでの余裕はどこにいったのかしら?わざわざ直接ショッキングなシーンを目にすることもないと思うけど?」 「逆よ!私がどれだけあの方に必要とされているか、あなたに見せつけるために一緒に戻るの!」 「まだそんなことを言える元気があるのね……ホント、口の減らないガキだこと!」 もはや指令のことなど頭の隅にも残っていない二人。 このまま決戦場が、アジトに移されるのかと思われたその時だった…… 「あ~……こほん。そろそろいいか?二人共」 「ダリア!?」 「い、いつの間に……!?」 リリヴィスとダリアを取り囲む客の中に、ダリアの姿があった。 「『家畜』の辺りからだ。ここに入る時、大きな声が聞こえたもので、様子を伺っていたのだが……そろそろ収拾がつかなくなる頃合いだと思ってな」 「丁度いいわ。あんたもアジトまで付いてくる?このガキんちょが泣き喚くシーンを一緒に見てやろうじゃない?」 「はぁ……あえて自分の痴態を晒す人間を増やそうだなんて。たしかにその頭じゃ羞恥心を詰め込む余剰スペースも無いはずね」 「いい加減にしろ、二人共。私たちが何のためにここに集まっているのかを思い出せ。それを反故にすることは、あの方への何よりの反逆。違うか?」 『反逆』 ダリアが口にしたその一言は、まさに鶴の一声。 「そ、そうね……ちょっと熱くなりすぎちゃったかもね……」 「きょ、今日はこの辺にしておきましょうか……冷静になってみたら、恥ずかしくて死にそうになってきたわ……」 一度平静を取り戻したリリヴィスとメアリは、今しがた、自分たちがどれだけ好奇の視線の真っただ中にいたのかを冷静に分析し、顔を青々と染めている。 「ヤツらが大きく動く。それに、メアリの伝言も聞きたい。一緒に来てくれ。どの道、ここでは落ち着いて話もできないだろう?」 「わかったわ……ガキの子守にも丁度飽きた頃だったしね」 「あら?あそこの家畜、あなたの忘れものじゃないの?」 「この……クソガキ……!」 「何かしら……おばさん……?」 「………………」 出口に向かうなり再び散り始める火花に、もはや溜め息一つこぼすことはないダリア。 その無表情とも言える顔に、呆れ具合が十二分に伺える。 「あ、そういえば……ダリアに付きまとってたストーカーみたいな男。あれはもういいの?」 「な!?何故、今その話が出てくる!?」 「ダリア……あなたもこのコウモリ女みたいに、あちこちで愛想振り撒いてたのね……人は見かけによらないものだわ……」 「待て!メアリまで何を言う!?あれは……その……何と言ったらいいか…………」 「「わかってる、わかってる」」 「こんな時だけ意気投合するのはやめろ!ただの人違いだ!!私はあんな男知らん!!」 「「はいはい……」」 「貴様らぁああああ!!!!」
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+信念と真紅の剛剣グラフィード ――夢を見た ゴツゴツとした屈強な男と、その背に憧れる1人の少年。 少年があおぎ見る男は少年の父親。 そして少年は……子どもの頃の俺だった。 『“正義”を全うしろ』 子どもの頃から親父に言われてきた教訓。 半ば口癖のように親父が言っていたこの言葉は、俺の生き方であり、俺という個人の根幹だった。 悪を許さず、弱者を助ける為に戦う親父の姿は、今でも俺にとっての理想だ。 そんな親父の様な立派な戦士になりたくて、親父を越える戦士になりたくて、俺はその背中を追うように街の傭兵となった。 ――夢を見た 大人でも難しいと言われている任務を終え、街の人々から称えられながら、その声に満更でもない表情の少年がいる…… 傭兵となったばかりの俺だった。 大人達は俺の事を街の自慢だと言い、皆笑顔で接してくる。 特に、向かいの家に住む幼馴染の少女は、俺の戦果を自分の事のように喜んでいた。 だが、親父に認めて貰える事はなかった。 「もっと強くならねぇと、俺には勝てねぇぞ」 親父は俺にそんな言葉を掛けるようになった。 一切褒めず、笑わない親父の顔を横目で見ては、苛立っていた。 今思えば、親父の笑った顔は記憶にない。 ――夢を見た 鎧を着込み、大剣を担ぎ、晴々とした表情で帰路に着く青年…。 傭兵の任務を終えた俺だった。 自分を鍛え続け、故郷の周りの仕事だけでは物足りなくなっていた俺は、シャムールから遠く離れた街の仕事も請けた。 ある日、目に入った仕事……人を襲うという凶暴なドラゴンの討伐依頼。 騎士団30人を返り討ちにしたという内容に、仲間たちは足をすくませていた。 俺は、今も苦しめられている人々の為、正義を全うする為に、依頼書を手に取った。 炎を吐き、鋼のような鱗を纏うその龍は、今まで戦った敵とは比べ物にならなかった。 それでも俺は、単身でドラゴンと対峙した。 親父に……俺を認めさせる為に。 悪戦苦闘の末、ドラゴンの胸元で確かな手応えを感じる。 動かなくなったドラゴンを前に、拳を握りしめて空を仰いだ。 討伐の報告を終えると、嬉し泣きする村の人々が見え、やっと親父に追いついた…強い戦士になれたと感じた。 故郷へ真っ直ぐ帰る事も出来たが、この大義を果たした事を親父に誇示する為には、土産話だけでは足りないと考え、評判の高い鍛冶屋がひしめく街「イオ」に寄る事にした。 倒したドラゴンの角から剣と鎧の作成を依頼する。 これを見せれば、さすがにあの親父も俺を認めるだろう……。 ――夢を見た 涙で顔を歪め、怒りの炎を瞳に宿した男…… “復讐”に囚われた俺がいた。 ドラゴンの依頼を終わらせた事を報告しようと家に帰ると、親父の姿はそこになかった。 机に放り投げられた雑な書き置きには、「仕事でアルモニアへ行く」とだけ書いてある。 親父はまだまだ現役の傭兵、引退なんてする気もさらさらないのだろう。 しかし、何日経過しようと帰って来ない親父に、俺は一抹の不安を感じた…。 煮え切らず、俺もアルモニアへと向かう……。 そこで待っていたのは…… 親父の訃報だった―― 非人道的な商売をしている奴隷商人が街を脅かしている事―― 仕事を終えた帰り、逃げ出した奴隷の女を親父が見つけて話しかけた事―― 女を追ってきた連中から、女を庇って親父が死んだ事―― 親父の依頼主、目撃した街の人間、元奴隷の女。 様々な人々から散り散りの情報を集めた終わった俺は、小さな丘の上に刺さった親父の剣の前で……絶望に打ちひしがれていた。 薄暗く淀んだ雲で覆われた空の下、俺は“正義”が何なのか分からない。 悔しかった、悲しかった、憎かった―― 初めて抱いた黒い衝動に身を任せ、その日の内に奴隷商人の家へ乗り込んだ。 居間にいた夫婦は、一見人の良さそうな人物に見えるだろうが、俺の目にはまるで醜い悪魔のように映った。 剣を突きつけると、夫婦揃ってガタガタと震えながら目に涙を溜めながら命乞いをする。 「どうか……どうか命だけは……!」 こいつらの言っていることが、俺にはまるで理解できない。 できる訳がない。 散々人を物のように扱い、その命を弄んだであろう人間が…… “悪”が使っていい言葉ではなかった。 そして、俺の中で何かが切れた―― 俺は夫婦を斬り殺し、屋内に火を点け、家を後にする。 今なお思い返しても、他人事のようにしか表現できない…。 正義の味方として、気高く、高潔だった……あの親父が……あの“正義”が……こんな“悪”に屈したという事が…信じられなかった……。 信じられる訳がなかった。 ――夢を見た 心もなく、ただただ魔物を狩る男の姿。 仕事に没頭する俺だった。 からっぽのまま故郷に帰ってから、それまで以上に過酷な任務に就いた。 休まず働く俺を見て、周りからは心配する声があがり、時には恐れられる事もあったが、俺は気にしなかった。 “正義”が分からない。 人の役に立つ事…? 誰かを助ける事…? 誰かを殺す事…? 殺される事…? 「なぁ、あんたの正義ってなんだったんだ…?……親父」 ――夢を見た 苦悩の表情でフラフラと歩く男の姿。 アルモニアの街を後にした俺だった。 ある日、魔物退治の依頼を受けて、俺は再びアルモニアへと足を運んだ。 仕事自体は簡単に終わった。 俺は街を出る前にある事を確かめる為、街中を散策する。 音楽が鳴り響き、活気が溢れ、人々の笑顔が溢れる。 奴隷がいない。 争いの声はない。 この街は平和だ。 あの時の行いが正しかったのだと、自分に思い込ませるには充分だった。 しかし、それも長くは続かない。 郊外に行く途中、ふいに殺気を感じた。 振り向かず、歩幅を変えず、殺気を出している“誰か”に違和感を与えない様に人気のない路地裏へと足を運ぶ。 周囲に人がいない事を確認し、誰もいない筈の空間に向けて声を出す。 「さっきから追ってきてるのは分かってる。俺は逃げねぇから、出て来いよ」 背後から足音が響いた。 出てきたのは年端もいかない少年。 槍を構え、恐ろしい程の殺気を放っている。 見覚えのない顔に名前を聞くと、少年は静かに言葉を吐く。 「……覚えているか?お前が殺し……家を焼いた……。この街の夫婦を、覚えているか…?」 「!!?」 様々な憶測が頭の中で飛び散る。 敵の槍が迫って来たことに気づかない程の動揺は、この時が最初で最後だ。 カランッ―― 空中に舞った槍が地面に落ちる音で我に返る。 俺の剣は少年の首元で止まっていた。 自分がどう動いたのか分からないが、両者の決着はついていた。 丸腰になった少年の目から、殺気が消える事はない。 こいつは…あの夫婦の……。 「……早く殺せよ。」 少年はただジッと俺を見据えて死を望む。 俺は敵を見逃した記憶はない。 だが…こいつは悪党でも魔物でもなく、親の仇を討つ為にここにいる…。 あの時の俺と同じだ―― 「早く殺せよ!」 必死に食らいつく少年と、あの時の俺が重なる。 俺は……俺は…… 「もっと強くならねぇと、俺には勝てねぇぞ…。」 思わず、親父の言葉が出た。 ガキの頃、言われると悔しくて仕方のなかった言葉だ。 親父は、どんな気持ちで俺にこの言葉を掛けていたのだろう…。 剣を下ろし、少年に背を向ける。 今は、一刻も早くこの場を去りたかった。 長い間、俺の中にあった見えない何かが、突然ハッキリと目の前に現れたという現実から逃げたかった。 俺はそのままアルモニアを後にした…。 ――夢を見た 仰向けで天井を眺めたまま、時が止まったような空間で物思いに更ける男。 これも……俺だった……。 故郷に帰ってからは自問自答の日々が続く。 傭兵仲間から集めた情報―― あの少年は「エリオット」という名前で、やはり俺が殺した奴隷商人の夫妻の息子だった。 噂では、奴隷商人は街の人間からも忌み嫌われていたらしい。 だから罪のない小さな子どもでさえも、誰も引き取ろうとはしなかったそうだ。 そんな彼を音楽隊騎士団の団長が彼を拾い、騎士団に入隊させたらしい。 最近では腕を認められて2番隊隊長に着任したとか。 あんな年端もいかない子どもが隊長……並の努力や修練だけでは決してなれない。 きっと血のにじむような努力をしたのだろう。 彼をそうさせる“モノ”は何か―― 簡単だ、両親を殺した俺への“復讐”だ。 俺があの少年に植えつけてしまったものだ。 あの少年は、俺の“罪”そのものなのだ。 復讐を果たしたことによる更なる復讐。 延々と続く負の連鎖。 俺はあの日―― 汚い商売をし、俺の親父を殺し、危険が迫ると平気で命乞いをするゴミのような人間を殺しただけだ―― ――――――――だが あいつにとっては、唯一の親だったんだ。 あいつは、あの時の俺と同じ気持ちなのだろう。 俺の復讐が一人の人間を狂わせた。 これが、はたして親父が言っていた…… 俺が望んだ…親父の言う“正義”だろうか…? ――――――――違う 正解は分からないが、間違っている事はハッキリと分かる。 だとすれば……俺は何をしたらいい……? その後、しばらくして帝国が侵略を開始した。 各地で争いが起こり、戦乱の世が広がる。 無論、故郷のシャムールも例外ではなく、帝国兵が攻め込んで来た。 街の人々が傷つき、倒れていく中、俺はただ何もしなかった。 誰かを殺せば、また誰かが恨み、そして殺しにくる。 この世の中の…“正義”とはなんなのか…。 そんな事を考えていた時、窓の外に炎が上がっていた。 とっさに外に飛び出ると、幼馴染の家が燃えていた。 炎の中に飛び込んだが…… 「大丈夫か!!?おいっ!!!――」 ――夢から覚めた 救いたいモノがある、守りたいモノがある。 敵の事情、考え、信念…それらに想いを馳せ、迷い、自分の“正義”に問いかけた上で行動したとして……それによって大切なものが守れないというのなら……。 俺は、敵にとっての“悪”になろう。 あの剣を持ち、鎧を着て、帝国と戦う事を決めた。 大陸中で暴れ回る俺は、帝国から見れば紛れもなく“悪”として映っているだろう。 それで良い。 もう俺は迷わない。 気持ちが楽になった。 親父の言う“正義”がなんだったかはもう確かめる術もない。 俺は、俺の“正義”を通す。 俺はラキラという街へ向かった。 音楽隊騎士団の2番隊が治安を守っているらしい。 そこで見たのは胸に焼き付いた顔だった。 あいつが成長している事は遠目からでも分かった。 まだ身体は小さく子どもに見えるが、その隙の無さ。 戦士としての気迫が目に見えた。 どうやら俺は、とんでもないモノを生み出してしまったらしい。 「グラフィードさんですね?少しお時間を頂けませんか?」 俺に気付き、話しかけてきた少年は落ち着いている。 あの時の俺とは違う。 ただの衝動ではなく、今のこいつは強い信念を持っている。 人気のない所まで移動して俺は剣を抜いた。 少年は静かに俺を見つめる。 「仇が打ちてぇのは分かるが、俺に勝てるようになったのか?」 「あの時の僕とは違います。あなたを倒す為に、僕は強くなりました」 少年は驚くほど落ち着き、一切視線を動かさない。 背後であんな爆発音がしても……だ。 中心街から煙が上がり、黒い光が空を包む。 ラキラに帝国兵が攻め入り、魔物を出して暴れ回る。 シャムールに帝国兵が攻め込んだあの日が蘇る中、俺は剣を下ろし、少年に声を掛ける。 「悪ぃな。急用が入っちまった。俺は帝国のヤツらに好きにさせたくねぇ。お前はここで待っててもいいし、俺を後ろから襲ってもいい。お前の好きにしろ」 鋭く睨み続ける少年に背を向ける。 あの頃の俺だったらどうした? 想像も出来ねぇ。 こいつはどうするだろうか? 答えはこいつの“正義”が知っている。 俺みたいに、その場の感情だけで動かなきゃそれでいい。 向かってくるなら、全力で“敵”になってやるよ。 俺は振り返らずに、背後の“正義”に向かって言葉を吐く。 「ただし、後悔ねぇようにな」 +絶凍の王ヴァーンフリート ――氷塞都市コルキド 大陸の北に位置するこの土地は、標高の高い山岳地帯になっている。 辺りを白に染める雪は決してとける事はない。 初めて訪れる者は到底人の住める土地ではないと考えるだろう。 山をいくつも越すと、一際大きな尾根が姿を現す。 その雄大さから霊峰とも言われる巨大な山は、頂上に古の塔があると噂があったが、辿り着ける者は誰一人としていなかった。 その山の麓(ふもと)に、巨大な氷の壁がそびえる。 他を寄せ付ける事を許さないとばかりに冷気を出すその氷壁の中央には、巨大な門が構えられている。 巨大な門を開けると目に飛び込んでくるのは、その周りの風景からは想像も出来ない文明のある街並。 生命を拒絶するような山々の中心に、突如として現れる活気のある都。 初めて訪れた者は、例外なく目を疑い、その光景に感動するだろう。 門を潜り抜け街の中央アーチを潜ると、目の前に立派な王宮が姿を現す。 装飾の行き届いた豪華な王宮に建てられた旗は、この都市がただの街ではなく独立した国家なのだと主張していた。 険しい道程から他の国の者が踏み入れる事は殆どなく、自国内で生活の基盤を完全に構築している為、良くも悪くも鎖国的な国。 代々この国を治めてきた王族であるグラース家に、転機が訪れていた。 「エルグラウル様……!!意識をしっかりしてください……エルグラウル様!!」 38代目の王は、天蓋付きのベッドに横になり、最後の時を迎えようとしていた。 周りには、必死に治療を行っている術士、祈りを続ける大臣、そして王の子である3人の若者、更には王妃……。 エルグラウルを囲むそうそうたる面々は皆一様に、険しい表情を見せていた。 「親父…死ぬなよ!まだ早いだろ!!」 三男のカインフリートは父の手を握り、声を荒げる。 「よせ、カイン。もう無理だろう。術士もよくやった。楽にさせてやろう」 カインフリートの肩を掴む次男であるメイルフリートは、エルグラウルの死を受け入れているようだった。 だが、カインフリートは諦められる訳がない。 「メイル兄さんは親父が死んでも良いって言うのかよ!?ヴァーン兄さんもなんとか言ってくれよ!!」 カインフリートは目に涙を溜めながら吐き捨てる。 長男のヴァーンフリートは、その様子を後ろからただ黙って見ているだけだった。 「くそっ!!みんな親父の事なんてどうでも良いっていうのかよ!ちくしょう!!」 「カインフリート様……残念ですが……」 術士がカインフリートに声を掛ける。 それは、エルグラウルの心臓が止まり、もうどうする事もできないという意味だった。 「そんな……親父!!!親父ぃいいいいいい!!!」 カインフリートの悲痛な叫びが王宮内に響き渡った。 コルキドの街の全ての窓に、黒い布が掛けられた。 活気ある商店街も、騎士団の宿舎も、民は皆仕事に手を付けず喪に服す。 王族が亡くなったコルキドの伝統的な風景。 盛大な葬儀が行われ、集まった国民は一人ずつ王の棺がある祭壇に花を添えていく。 この極寒の地に咲く花の種類は少なく、唯一この季節に咲く雪のように白い花を一輪ずつ持っていた。 真っ白に染まった祭壇は、この国の王の権威を知らしめる。 「カイン、少しいいか?」 祭壇の横で涙を拭うカインフリートに、メイルフリートがそっと声を掛ける。 「メイル兄さん……やめてくれ……今は話したくないんだ……」 「そう言わずに聞け。大切な話だ。お前は、ヴァーン兄さんが王になる事をどう思うんだ?」 「ヴァーン兄さんが……?」 カインフリートは、言葉の意味を理解する事が難しかった。 メイルフリートは続ける。 「そうだ。ヴァーン兄さんが王となれば、この国が今後どうなっていくか分からない。あんなに何を考えているか分からない男が王になってお前は安心できるのか?」 「それは……」 「このまま行けば、王位の第一候補である長男のヴァーン兄さんが王となる。しかし、俺は許せない。あんな男に国を任せられない。ヴァーンよりは俺かお前の方が相応しいと思わないか?」 「…………。」 メイルフリートは淡々と話し続ける。 王となる人間によってコルキドの未来が変わっていく。 そんな事はカインフリートも解っていた。 だからと言って、自分が王になるなんて考える事すら出来ない。 「いいか、良く聞け。俺達が阻止するんだ」 ――数日後 ヴァーンフリートは王宮の書室で国の歴史を調べていた。 これまで、この国でどんな事があり、どのような政策が行われていたのか。 古い記録は無くなっている部分も多く全貌は分からなかった。 それでも一つでも多くを知ろうとしていた。 父、エルグラウルの行った政策はコルキドの騎士団の強化。 軍を強くする事で他国に威勢を誇示する。 それが国を豊かにするのか…ヴァーンフリートは疑問に思っていた。 確かに軍事力がある国であるならば、戦乱に巻き込まれたとしても自国が不利になる事はないだろう。 しかし、それにより民が豊かになるのかという疑問を幼い頃から持ち続けていた。 ―――― そもそも騎士団とはどのような者の集まりなのかを知ろうと、騎士団への入隊を志願した事があった。 大臣達は王族が騎士団に入るなど許されないと口を尖らせたが、ヴァーンフリートは自身の力を付けたいとエルグラウルに申し出て許しを得た。 騎士団で剣の稽古をしたヴァーンフリートは、鍛錬を重ねながら“力とは何か”を考えていた。 ある日、コルキドから少し離れた領地内の村に魔物が目撃されているという情報が入り、騎士団に討伐命令が出た。 しかしヴァーンフリートの出陣は許されない。 あくまでも自分は王族であり、仲間だと思っていた騎士団の面々も本当の仲間ではなかった。 王族は民と同じ目線に立つことすら許されない。 それがこの国の実情だった。 それでも、剣を持ち、稽古を続けたのは、“力とは何か”を知りたいからだ。 数日が立ち、玉座に大臣が慌てて入っていくのを見かける。 何事かと思い、玉座の扉の前で聞き耳を立てると、魔物の討伐に向かった部隊が帰って来ないという事だった。 しかし、外は吹雪に包まれており、とても援軍を送れるような状態ではなかった事から、明日の朝に天候が回復したら援軍を送るようにと父の声が聞こえてくる。 少しの間だったが、共に身体を鍛えていた仲間が危険に晒されているかもしれない。 ヴァーンフリートはその場を後にした。 数メートル前の視界もない猛烈な吹雪の中、必死に歩を進める。 雪の中につけられた足跡は、すぐ後ろで吹雪にかき消されていくような状態だったが、それでも騎士団の仲間を守る為ならばと歯を食いしばり進み続けた。 王宮の外はこんなに過酷な環境である事も知らなかった。 自分が腹だたしい。 普段民がどのような思いをしてコルキドで生活をしているのか、やはり王宮の中にいては分らない事が多いのだとこの時に悟った。 魔物が出現したという報告の村に辿りついた頃には、すっかり夜も更けていた。 昼間よりは吹雪は落ち着いた事で視界は良くなり、うっすらと軒並みが見える。 その時、目を疑った。 人の影が空中に浮いているのだ。 目を凝らして見ると、本当に人間が空中に浮いている。 その格好は騎士団の物だった。 それも一人ではない……何人もだ。 急いで近付き、下から見上げると、何か紐のような物で背中辺りを吊るされている。 よく見ると、家の屋根と屋根を繋いだロープが巻きつけられているようだった。 「今降ろしてやる!!」 声を上げるが、返事はなく、微動だにしない騎士は頭や肩に雪が積もっていく。 剣を構えて力を入れると吊るされているロープを切る事に成功した。 「大丈夫か!?おい!!」 首元を触るが、生者の温度ではない。 一人ずつ確かめてみるが、皆同じように死んでいる。 全滅―― コルキドの騎士団が、少数だったとは言え、どんな敵にやられたのだろうか。 確か報告があったのは魔物だった筈。 魔物がこんな見せしめの処刑のような事をする訳がない。 相手は……人間か……または…… ふと、村の人達の姿が見えない事に気が付いて辺りを捜索する。 民家の戸を片っ端から開けていくが、人の姿はない。 最後に村長の家だろうか、大きな納屋のある家を当たるが、ここにも人の気配はない。 「どこかに連れ去られたか……」 その時、納屋の方から物音がしたのを聞き逃さなかった。 納屋へ向かい、戸を開けると村人達が身体を寄せ合って怯えている。 「大丈夫か!?」 村人達は、助けが来た事に安堵しているようだったが、すぐにその顔色が変わる。 「後ろに!!あいつらが!!」 ヴァーンフリートが振り向くと、そこには魔術師のような格好をした集団が納屋の入り口を固めていた。 「誰だ貴様は……あの騎士共を降ろしたのは貴様か……?」 怒り。 そんな簡単な言葉では言い表せない感情に支配されるヴァーンフリート。 「なるほど。仲間を殺したのはお前達か……」 「余計な真似をしおって…。貴様は一人か?見たところコルキドの騎士団ではないようだが?……まぁいい。どの道死ぬ運命……」 魔術師はそこまでしか言葉を出すことができなかった。 ヴァーンフリートの剣が魔術師の喉元を捉えて、辺りに鮮血が飛び散る。 「貴様!!」 周りの魔術師が一斉に構える。 ヴァーンフリートは魔術師から剣を抜くと血を振り払う。 「言葉を交す価値もなさそうだな」 村人達はその光景に目を疑った。 コルキドの騎士団が束になっても勝てなかった謎の集団を、たった一人で次々と薙ぎ払っていくのだから。 「貴様は……何者だ……!!」 最後の一人になった魔術師は後ろに倒れこむと、目の前に歩いてくるヴァーンフリートに対して両手を上げて敵意がない事を示す。 「こちらの台詞だ。お前達は何者だ?答えろ」 剣を喉元につきつけるヴァーンフリート。 「それを言えば助けてくれるのか?」 ヴァーンフリートは冷たい殺気を放ちながら魔術師を見下ろす。 「愚問だな」 「ならば……せめてもの贈り物をしてやろう!!!」 魔術士は突然手の平からとてつもない瘴気を放つ。 「ぐっ……!!」 必死に顔を抑えるヴァーンフリート。 何か魔法を打たれたかと思い必死に構えるが、何も起こらない。 ゆっくりと手を下ろし、魔術師を再度見下ろす。 「何をした?答えろ」 「…………」 魔術師は手を前に出したままピクリとも動かない。 「答えろ!!」 力の限り蹴りつけると、魔術師はそのまま後ろに倒れこんだ。 不可解に思ったヴァーンフリートは魔術師の胸ぐらを掴み持ち上げると、目から血を流して死んでいる。 そして、そのまま足から砂のように溶け出した魔術師は、服のみが残り完全に消えてしまった。 「不快だ……」 魔術師の服を捨て、剣を降ろしたヴァーンフリート。 身体になにか異常がないか探るが、特に何もおかしな所はないようだ。 ふと後ろを振り向くと、村人達が怯えた様子でヴァーンフリートを見ていた。 「怪我をしている者はいるか?」 村人は顔を見合わせると、表情から除々に不安が消えていく。 村長だろうか、老人が一人声を上げる。 「ありがとうございます!私達はここに集められて…魔物に襲われていると救難信号を出せと言われまして……何人かは既に殺されてしまいましたが……ここにいる者は全員無事です」 「そうか。遅れてすまなかったな。王の代わりに謝罪しよう」 そういうと、納屋を後にするヴァーンフリート。 「お待ち下さい!貴方様は……」 その場を去ろうとすると一人の女性が呼び止めた。 ヴァーンフリートは一瞬立ち止まると、少しだけ考えてから返事をする。 「コルキドの騎士団に世話になった者だ。悪いが、表の騎士達に布をかけてやってくれるか?あのままでは、凍えてしまう」 王族などと知られたら何があるか分らない。 そのまま納屋を出ると、騎士の遺体を並べ、一つ頷いてから村を後にした。 コルキドに戻ると、王宮の入り口で大臣が慌てふためいている。 きっとヴァーンフリートの事を探しているのだろう。 頭を掻きながら、これから起こるであろう面倒事を想像して嫌気がさした。 「ヴァーンフリート様!!こんな時間まで……今までどちらに行かれておったのですか!?その鎧は……まさかあの村に行った訳ではありませんな!?ヴァーンフリート様!?私の話を聞いて下さい!どちらに行かれるのですか!?ヴァーンフリート様!!」 大臣を通りすぎたヴァーンフリートは、歩みを進めながら一言だけ返す。 「散歩をしていただけだ。何事もない」 ―――― 書室に少しだけ風が抜けた気がして、ふと我に返る。 あの時、確かに騎士団は強くなければいけないと考えた。 それでも、父エルグラウルが強化した騎士団は、あの魔術師達に殺されていた。 それは何故か……簡単だ。 兵を集める為に国の男達を徴兵したものの、その年齢は14,5歳。 つまり、あの時の自分よりも若い連中が無理矢理騎士団に入れられていた。 そんな事では騎士団の強さに直結はしない。 国を豊かにするのであれば、父のやり方は間違っている。 ヴァーンフリートは一つ決断をして自分の手を見つめた。 自分がこの国を変えなければいけない。 明日は王の任命式……自分に何が出来るのかを考えていた時だった。 「ヴァーン兄さん!!ちょっと来てくれ!!大変なんだ!!」 書室に飛び込んできたのは次男のメイルフリートだった。 「メイルフリート。騒がしいぞ。何事だ?」 「カインの奴が!カインの奴が!!」 ただ事では無さそうな表情から、何か嫌な予感がする。 「どうした?」 「いいから来てくれ!大変なんだ!!」 メイルフリートに急かされて付いて行くと、王宮の東側に向かっているようだ。 そこには、昔罪人や捕虜を捉えておく牢獄があった。 「メイルフリート。こんな所に何があるというのだ」 「いいから来てくれって!!」 一向に話を聞かないメイルフリートに苛立ちを覚えながらも、足を進める。 そして、一つの鉄のドアの前に辿り着いた。 「この中だ。入って中を見てくれ!」 言われるままドアを開けると、カインフリートが倒れている。 「カインフリート!!どうした!?その傷は……!?」 腹部からは血が流れているように見える。 ピクリとも動かないカインフリートを抱きかかえる。 まだ少し温かいが、息をしていない。 胸から腹部にかけて、切り傷だろうか…剣をうけたような跡が続き、大量の血が流れている。 「おい!しっかりしろ!!カインフリート!!何があった!?」 その時、入ってきた鉄のドアがガタンと閉まる音が牢獄に響き渡る。 カチャっと鍵が掛けられる音と共に、タッタッタと足音が遠のいていく。 「罠か……何を企んでいるのだメイルフリート……」 カインフリートを抱きかかえるが、もう心臓も動いていない。 弟を失い、絶望に打ちひしがれていると、複数の足音が聞こえてくる。 そしてメイルフリートの声が聞こえてきた。 「この中にヴァーンがいる!確かめてみてくれ!俺は見たんだよ!ヴァーンがカインを殺したんだ!」 少ししてから鍵が開く音がすると、鉄の擦れる音を響かせながらゆっくりとドアが開いた。 ドアの向こうには、大臣と兵士が何人か、更に後ろにはメイルフリートが見える。 「カインフリート様!!」 兵士は部屋の中に入ると剣を抜いてヴァーンフリートを取り囲んだ。 「ヴァーンフリート様!すぐにご投降下さい!」 「メイルフリート……お前は…………」 メイルフリートは声を荒げる。 「何をしている!!早くヴァーンを捕らえろ!」 「はっ!!」 兵士はヴァーンの身柄を押さえて手錠を掛けて連れて行く。 すれ違い様に術士が牢獄の中に入り、必死に魔法でカインフリートを治療し始めた。 「カインフリート様!!カインフリート様!!」 ドアを抜けると、メイルフリートが一瞬ニヤリと笑い、ヴァーンフリートの顔を見ていた。 兵士に連れて行かれる中、ヴァーンフリートはメイルフリートの画策を想像していた。 自室に連れてこられたヴァーンフリートは、椅子に座らされる。 兵士は後から入ってきた大臣に質問を投げた。 「本当にヴァーンフリート様の自室で宜しいのでしょうか………」 「構わん。今は牢に捕える事など出来ん。時期を考えろ」 ため息を吐きながら目の前に来た大臣は、険しい表情で話し始めた。 「ヴァーンフリート様……何があったかお話頂けますでしょうか」 「何を言っても証拠はない。好きに考えろ」 大臣は驚いていた。 きっと何か理由があるのだろうと踏んでいたようだ。 状況から考えるに、メイルフリートの画策をある程度想像しているのかもしれない。 ヴァーンフリートは、ジッと大臣を見据えたまま言葉を続けた。 「他に用がないのであれば、出て行って貰おう」 「て、手錠は外させて頂きます。明日はエルグラウル様の跡を継ぐ王の就任式。エルグラウル様が亡くなられた今、コルキドの民に余計な不安を煽る事は出来ませんので……よくお休みになられてください」 そう言うと、手錠を外すように兵に言い渡す。 兵士は戸惑っているようだが、渋々とヴァーンフリートの手錠を外した。 「では、明日またお呼びさせて頂きます。大変失礼ですが、本日の事もありますので、部屋の鍵を外から掛けさせて頂きますが宜しいですね?」 「好きにしろ」 ヴァーンフリートは一切表情を変えずに大臣が部屋を出るのをただじっと待った。 扉に鍵が掛かる音が聞こえると、自分の胸についたカインフリートの血を見て一つ息を吐いた。 「カインフリート……我が弟よ……すまない……」 翌日、玉座には国の重役が集まっていた。 ヴァーンフリートが玉座に入ると、既にメイルフリートが中央に立っている。 横に並ぶと、メイルフリートは驚いた様子だった。 「ヴァーン!!何故貴様がここに……!!」 王の椅子をジッと見たままヴァーンフリートは答えた。 「静かにしろ。亡きエルグラウル王の魂がまだそこにある」 メイルフリートは軽く舌打ちをした後、前に向き直る。 落ち着きがない様子を見ると、今日、ここに立つのは自分だけだと思っていたようだ。 大臣も揃い、一つ鐘が鳴らされると司祭が声を上げる。 「よくぞお集まり頂きました。これよりエルグラウル様の跡継ぎ、王の任命を行います。……と、その前に、皆様にお伝えしなければならない……残念な知らせがございます。エルグラウル様の三男、カインフリート様が……昨晩何者かに暗殺されました」 集まった皆が一様に驚きの表情を見せ、辺りはどよめきに包まれた。 ただ一人、ヴァーンフリートを除いて。 「皆様、ご静粛に。コルキドの王にご就任頂くのは、規定通りご長男のヴァーンフリート様となる事に変わりはございません。これより、就任式を………」 メイルフリートは声を荒げながら発言する。 「待ってくれ!皆聞いてくれ!俺は見たんだ!昨日、カインを殺したのはヴァーンだ!そこの大臣に聞いてくれ!彼も証人だ!」 また城内がどよめく。 しかし、ヴァーンフリートは一切動かずに玉座を見据えていた。 一人の長老が口を開く。 「大臣……それは本当かね?」 大臣は少し焦った様子で言葉を返す。 「えぇ……確かにカインフリート様が倒れている所に、ヴァーンフリート様が居合わせたのは見かけました。しかし、犯行の瞬間は見てはおりませぬ」 メイルフリートが割って入る。 「大臣!!あの状況でどうやってヴァーン以外の人間がカインを殺したというのだ!?何故ヴァーンはあんな所にいたのだ!?よく考えてみるのだ!殺したのはヴァーン以外にあり得ないだろう!!そして、ヴァーンは口を開かない!これが、何よりの証拠ではないのか!?」 場内の視線は一気にヴァーンフリートに注がれる。 ヴァーンフリートは相変わらず微動だにしない。 長老はヴァーンフリートに問いかける。 「今の話は本当なのですか?ヴァーンフリート様……」 ヴァーンフリートは少しだけ肩を動かした。 次の瞬間―――― 腰から剣を抜き、メイルフリートの首を跳ね飛ばした。 「うわぁあああああ!!!」 場内に悲鳴が響き渡るが、その声にも剣を向けてかき消した。 「静まれ!!!!」 沈黙が流れる。 長い長い沈黙の後、ヴァーンフリートは剣を降ろした。 「我が王となる。異論ある者は前に出ろ」 静まり返った場内に反対の声は出ない。 王には王族の者しかなる事ができない仕来りから、残ったヴァーンフリートが王となる他はなかった。 悲惨な状況に息を飲み、その場に居た誰もがヴァーンフリートに恐怖を覚えた。 そして、ヴァーンフリートはコルキドの王となった。 新たな王の就任祭の最中、民の間ではヴァーンフリートの噂で持ち切りになる。 王になる事を阻止しようとした弟を殺した、冷酷な王が誕生したと。 皆、その話を聞いては背筋を冷やし、コルキドの未来を心配していた。 ヴァーンフリートが王となってから数ヶ月。 今日も玉座に大臣が呼び出されていた。 「ヴァーンフリート王、お呼びでしょうか」 「うむ……。コルキドの騎士団の維持の資料に目を通していたのだが、この費用を見積もった者を連れて来い」 「か、畏まりました」 王となってから見えて来たものは、杜撰な国の体制だった。 上流の人間になるほど、水面下で国民の金を横領し、自らの懐を温めていた。 民に厳しい税金を科せ、国が発展していない実情が見えてくる。 役職に関わらず、国の害となっている者をあぶり出しては強制労働を強いた。 違法な酒や武器を売る、街の裏を仕切る組織のアジトに騎士団を送り込み皆殺しにした。 ただでさえ冷酷だと噂されていた所に、更に何枚も重ねるようにヴァーンフリートの噂が流れてくる。 国民はヴァーンフリートを怯えるようになるが、この政策を初めてから国は少しずつ豊かになっていった。 治安は良くなり、税金は下がる、更には公共の施設が充実して、民の暮らしは安定していった。 しかし悪い噂が邪魔をしているせいか、ヴァーンフリートの功績だとは思える者は少ない。 半年に一度の国王演説の日。 王宮のバルコニーに立ち街を見下ろすヴァーンフリートは、この国の事だけを考えていた。 「本日はよく集まった。コルキドの民よ。我はこの国を、民を豊かにする。何か言いたい事がある者は、我の元に直接申し出ろ。以上だ」 そのスピーチはあまりにも短かった。 一切表情を変えずに言い切ったヴァーンフリートは、背を向けて王宮の中に戻っていく。 前代未聞の冷徹な王として、近隣の街にも噂は広がった。 噂には尾ひれがつき、気に入らない人間は斬り捨てる冷酷な王などと呼ばれている。 国が豊かになっているという事に気付きはしているものの、その噂の為に王を支持する人間は少なかった。 ある日、大臣がいつもと違う様子で王に話しかける。 「ヴァーンフリート王。直々に謁見したいという者が来ているのですが、如何なさいますか」 基本的には王への直談判などは許されていない国であったが、王はスピーチで直接話をしろと言っていた。 それでも、今までこの冷酷と名高いヴァーンフリートに対して直接物を言うような国民は現れていない。 「うむ……玉座へ通せ」 王は立ち上がると私室から玉座へと向かった。 場内は緊張に包まれる。 もし、失礼があればその人間はすぐに殺されてもおかしくはないだろう。 まさにこの場所で、メイルフリートが殺される瞬間を見たのならば恐怖するのは当たり前だった。 大臣が傍にひれ伏した。 「王、準備が整ったようなので、客人をお呼びしても宜しいでしょうか」 「構わぬ」 王の声を聞いて兵士が扉を開ける。 そこには、老人と女性が立っていた。 「入れ。王にくれぐれも失礼のないように」 兵士が脇に立つと、老人と女性は王の眼前でひれ伏した。 「この度は、謁見をお許し頂き真にありがとうございます」 「面をあげろ。要件を話してみろ」 「はい」 老人と女性が顔を上げると、どこかで見覚えがあった。 「お前達は……確かあの村の……」 「やはり……貴方様でしたか…ヴァーンフリート王……!」 女性は目に涙を浮かべている。 2人はあの吹雪の夜に出向いた村の村民だった。 老人は、横の女性にあまり興奮するなという合図で、手のひらを上下に振ってから話し始める。 「本題の前に、私めがここに来た経緯をお話しても宜しいでしょうか?」 「うむ……」 「この数ヶ月、村には物資が以前よりも届くようになりまして、新しい王に感謝をしておりました。それで…先日のスピーチを聴きに村から足を運ばせて頂いたのですが……」 黙って聞いていた女性が口を挟む。 「あの方は吹雪の夜に村を救ってくれた騎士様だって私が話したんです。おじいちゃんは目があまり良くなくて、王様のお顔は良く見えないから分らないって言うんですけど、私は絶対そうだって思って……ですね……」 女性は興奮気味に話し続けたが、その口の聞き方に兵士や大臣が睨みを利かせているのを感じ取って勢いが尻すぼみしていく。 「すみません、村の出ですので、口の聞き方がなっておらず…」 ヴァーンフリートは表情を変えずにジッと2人を見据える。 「良い。続けろ」 女性の顔がパァっと明るくなった。 「ありがとうございます!それで、あの時のお礼をまともに言えていなくて…それで……その……」 老人が変わって話を続ける。 「この子の両親は、あの日魔術師達に逆らったとして殺されておるのです。絶望の淵から救ってくれた王様に恩返しがしたいと言い出しまして……お側にいたいと申しておりまして……その……」 「なるほどな……」 ヴァーンフリートは一つ頷くと女性の目を見る。 その真っ直ぐな瞳は、嘘をついているようにも、裏があるようにもとても見えなかった。 しかし、大臣が口を挟む。 「横から失礼します。もし今の話が全て本当だったとして、コルキド領の端の田舎者が王に仕えたいというのは、いやはや…これも前代未聞の珍事となってしまいま……」 「大臣。この者達は我に話をしに来ている。余計な口を挟むな」 王は大臣を睨みつける。 「し、失礼しました」 ヴァーンフリートは女性に向き直る。 「そうだな……我はこの国を治める王として、世継ぎを残さなければならない。仕えるというならば、我の妃になるか?」 場内が静かにどよめく。 大臣も言った通り、庶民の村の出身者を王宮に仕えさせるのは勿論の事、王妃にするなど前代未聞どころの騒ぎではない。 女性は少し間を置いてから言葉を返す。 「私が……王妃様に……ですか……?」 「も、申し訳ございません、コラ!王のご冗談を真に受けるな!」 老人も慌てた様子を見せるが、王は至極真剣な目で答える。 「冗談等ではない。我は真面目に問うている」 女性の顔が更に明るくなった。 「ほ、本当ですか!?私で良ければ…是非!!」 流石に大臣もこれ以上は黙っていられなかった。 「お待ち下さいヴァーンフリート王……このような事はもっと時間を掛けてお決めになられた方が……」 「このような立場、更に民には恐れられているのだろう?縁談など好き好んで持ちかけては来ないだろう。それとも大臣には他に宛てがあるのか?」 「い、いえ……」 「ならば決する」 自分の命は永遠ではない。 いつ父のように病に倒れるかも分らない。 自分の思想を国に残す為にも、世継ぎは必ず必要だ。 ヴァーンフリートは国の為、彼女を王妃にする事を決めた。 婚礼は国を上げて盛大に行われる予定だったが、ヴァ―ンフリートの意向により王宮内でひっそりと取り行われた。 民は、心の底から2人を祝福してはいない事は、ヴァーンフリートも知っている。 形式上で国の資産を無駄にするくらいならば、もっと民の為に使う事を選んだ。 そんなヴァーンフリートの真意を知っている者は王妃以外にはいないだろう。 冷酷な王の心が、少しずつ溶けていく。 程なくして、王妃が身籠ったと知らせが入った。 大臣は王の機嫌が良くなるであろうと、王に知らせにその私室へと向かう。 ノックしてからドアを開けると、王は書物を眺めながら頭を抱えているようだった。 「ヴァーンフリート王……ご報告ですが、王妃様がご懐妊なさったと知らせが入りました」 「ほう……そうか」 王は書物に目を向けたまま、険しい表情のままだった。 王の喜ぶ顔が見られると期待した大臣は、肩を落としてその場を後にする。 ヴァーンフリートが入念に目を通しているのは、ガルヴァンド帝国からの信書だった。 コルキドの更に北に位置する小国の帝国は、唯一コルキドと密にやり取りをしている国だった。 しかし最近になり、軍事力を上げようと見受けられる帝国に対して、ヴァーンフリートは何か引っ掛かりを覚えていた。 月日が経ち、王妃の出産予定まで半月程となった。 その夜、ヴァーンフリートが私室で書物を漁っていると、慌ただしい様子の兵士が報告に来る。 「ヴァ、ヴァーンフリート王!報告します!エーデルラインが淡い光を放ち始めました」 「なんだと?それは真か?」 「はい!しかとこの目で確認いたしました」 「そうか……それでは心映しの儀の準備をするよう司祭に伝えるのだ」 コルキドに伝わる三種の神器の一つ、神器エーデルライン。 この氷の盾から、適合者が生まれたという知らせが入った。 国の大事な行事である心映しの儀。 ヴァーンフリートは王妃の出産予定が、その月の新月だという事を再度確認する。 それは心映しの儀と同じ日であった。 大臣を呼び出し、王妃にそれを伝えるように言うと、ヴァーンフリート自らも心映しの儀の準備へと取り掛かった。 ――そして、新月の日 心映しの儀は恙無く(つつがなく)進行していたはずだった。 問題は、盾が今までにない反応をしてしまった事だ。 歴史上、あり得ない自体に、司祭や大臣は頭を悩ませている。 ヴァーンフリートは王妃の事が頭に過ぎったが、今は国の大事な行事。 コルキドの新たな盾は、この国に絶対に必要なものだった。 王宮内の一室で行われた協議は数時間に及んだ。 結果、正式にエーデルラインの継承者は決まり、皆ホッと胸を撫で下ろした。 全ての行事が終わると、術士が扉の外で待っていた。 「ヴァーンフリート王!大変でございます!王妃様が………!!」 その顔色から、何か良くない事が起きている事を直感する。 扉を出ると、王宮の長い廊下を全力で走った。 王妃のいる部屋の前に立つと、赤子の泣き声が聞こえた。 「産まれたのか……」 そっと扉に手をかけて中に入る。 「王様!!こちらへ……!!」 術士が手を引いて連れて行く先……そこには顔に白い布が掛けられた人の姿があった。 「そんな…………」 出産時に母体が傷つき亡くなる確率は、この時代決して低くはなかった。 しかし、まさかそんな事が自分の妃に起こるなどと、考える事をしていなかった。 その場に崩れ落ちるヴァーンフリート。 人前で、涙を見せるのはこの時が初めてだった。 声を出して……ただ泣けるだけ……泣いた。 そこに助産師が赤子を抱いて近寄ってくる。 王は、その手の中の赤子を見る前に、涙を拭った。 「王……元気な女の子です……」 助産師は、王に降りかかる不幸を前に、なんと声を出せば、王の怒りに触れないかと考えているようだ。 ヴァーンフリートは、泣くのを止めて子を抱える。 「お前は……我に残された……最後の希望だ……」 王は、噛みしめるように言いながら、よく眠る赤子の顔をまじまじと見つめる。 「名は………そうだな……ヴァレアナ……。そうだ……お前の名はヴァレアナ」 氷の国の冷酷な王は、赤子の小さな手を指で摘みながら誓いを立てた。 「このヴァーンフリート。何があろうと、お前だけは離さない」 +義侠の令嬢シャンティ 「えーっと……ほ、本日付で……皆さんに合流させてもら、させていただきます……シャンティだ、です!よ、よろしくねっ!」 大陸の西に位置する砂漠の町『ジール』 帝国軍と対立しつつ、町や周囲の遺跡を管理、整備することを目的とした町の自警団に、今日、新たなメンバーが加わることとなった。 (あぁああああああ……なんだよ「よろしくねっ!」って……あんなに練習したのに……!) 「あっはっはっはっは!そんなに緊張しなくてもいいぜ、お嬢ちゃん!俺はデューンってんだ!よろしくな!」 「歓迎するよ。シャンティさん。僕はドゥーナです」 「おぉ?あ……よ、よろしくお願いします!」 シャンティの緊張とは裏腹に、温かく新入りを歓迎する自警団のメンバー。 その様子を受け、シャンティ自身も少しホッとする。 だが、入口のドアが開き、新たに入ってきた男により、その緊張は更に増すことになる。 「お!おはようございます、団長!」 「お疲れ様です。シャフールさん」 団員達が口々に挨拶をする若い男。 自警団の団長シャフールだ。 「お、おはようございます!」 「……おはよう」 団員に続けといわんばかりに、少し上擦った声で挨拶をしてみるシャンティだが、返答の声はとてもか細い、そして感情の薄いものだった。 「気にすんな!団長はもともと、ああいう人だからな!怒ってるわけじゃねえから安心していいんだぜ?」 「ふふ。むしろ、声に出して挨拶をする方が珍しいくらいだよ。ご機嫌なのかな?」 シャンティが落ち込むことを危惧した団員達がフォローに入ったが、今の彼女の心には、そんなもの必要ない程の喜びが満ち溢れていた。 もちろん、言葉にしてかけてもらえた挨拶に対してもだが、それ以上に「この人と一緒に戦える」ということへの喜びだった。 シャンティは既に彼を知っている―― ――数日前 「怯むな!迎え撃て!ガルヴァンドの威光を知らしめるのだぁ!」 「「うぉおおおおおおおおお!」」 ジール近郊に点在する古代遺跡。 そのうちの一つ。 宝物の眠る神殿広場にて、帝国軍と盗賊団による戦闘が繰り広げられていた。 宝を狙ってやってきた帝国軍と、遺跡を徘徊していた盗賊団が鉢合わせした結果、発生した戦闘だった。 「ちっ……お頭ぁ!ぞくぞく湧いてきますぜぇ!」 「わかってらぁ!おい、シャンティ!何人か連れて右側から回り込めぇ!」 「あいよっ!」 開戦時は数人同士の小競り合い程度のものだったが、互いが増援を呼び、今となっては数十人規模の戦闘へと発展していた。 そんな戦場の最中、場に似つかわしくない少女が一人。 シャンティの姿があった。 「てめぇら!ついてきなっ!」 「任せな、お嬢!」 シャンティは頭領の言葉に応え、団員を五人ほど連れて広場の脇道へと入る。 「上から岩を落としてペシャンコにしてやるぜっ!」 「おぉ!過激だぜ、お嬢!」 均衡した状況を打開すべく、トラップを作動させるために別行動を取った一行だが、その直後、戦場の様子は一変する。 「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」 「な!?今のは……お前ら!あとは任せるぞ!!」 響き渡る魔物の怒号。 嫌な予感を察知したシャンティは、その場を部下に任せて、先の広場に戻る。 「一体何が――って、おいおい……ちくしょう……!」 「シュルルルルル……!」 広場に戻った彼女の目に映ったのは、全長十数メートルはあろうかという巨大な蛇の魔物と、まさに睨まれた蛙のように動けずにいる盗賊団の面々。 「か、隠れてくだせぇ、お嬢!!」 戻ってきたシャンティの姿に、とっさに声を出してしまう団員。 その声をきっかけに、魔物は盗賊団に襲い掛かった。 「ぎゃあああああああああ!」 「くそったれがぁあああああああああ!」 帝国軍が召喚した魔物は、たった一匹で戦況を塗り替えていく。 「てめぇ……アタシの家族に……何してんだぁあああああ!!」 仲間の危機を救うべく飛び出そうとしたシャンティだったが、その頭上を影が飛び越えた。 「えっ?」 「……」 颯爽と蛇の前へと躍り出た男。 男は無言のまま目を閉じ、手にする杖に力を込めている。 「あぁん?誰だこいつは!?」 「お頭ぁ!こいつ、ジール自警団の団長シャフールですぜっ!」 「自警団だぁ?何するつもりだ……?」 突如現れたシャフールを警戒するように見守っていた魔物だが、ただ目の前に仁王立ちするだけの彼に対し、すぐに攻撃態勢へと移行する。 「シャアアアアアアアアアア!!」 やられる。 シャンティが予感した瞬間、シャフールは目をカッと見開き、呼応するように杖が眩しく輝いた。 「シャアアア!?」 周囲の砂が巻き上げられるようにして魔物を包み込み、瞬く間に球状に押し固めていく。 そこにかけられているであろう凄まじい圧力により、魔物は圧迫され、その塊は見る見るうちに岩のように硬度を増す。 「な、何だとぉ!?」 これほどの術士の登場を想定していなかった帝国軍の兵士達に動揺が走る。 「今だぁああああ!押し返せぇえええええええええ!」 頭領の怒声が号令となり、傷つきながらも立ち上る団員達は、帝国兵へと襲い掛かる。 「てっ、撤退だぁああ!退けぇええええええ!!」 流れるように戦線は押し切られ、あえなく退散していく帝国軍。 その間、シャンティはシャフールの姿から目を離すことができなかった。 彼女は不思議と自身の鼓動が強くなっていくのを感じる。 シャフールの周囲に溢れる魔素がそうさせているのか、彼女の目には、その姿がとてもキラキラと輝いて映った。 「…………っ!」 だが、強大な力を持つ魔物を、長時間たった一人で拘束し続けるには、シャフール一人の魔力では無理があった。 拘束していた岩には裂け目が走り、その隙間を突いた魔物は、尾を鞭のようにしならせて彼を打つ。 「……ぐはっ!」 重量と遠心力により、とてつもない威力となった攻撃をその身に受けたシャフールは、軽々と吹き飛ばされ、硬い石壁へと叩きつけられた。 撤退していく帝国兵たちを追撃していた盗賊団は、すぐさま踵を返して魔物を討ちに戻るも、辿り着くまでにかかる時間はシャフールが噛み殺されるのには十分すぎるものだった。 「ちっ!間に合わねぇ!」 パックリと大きな口を開け、魔物が今まさにシャフールに食らいつこうとした時―― 「おらぁああああ!どこ見てんだ、てめぇえええ!」 突如、下顎を叩き斬られた魔物。 それをやってのけたのは、自分の身の丈ほどもある大剣を振るうシャンティだった。 「シャアアアア!!」 「これで終わりだ、ノロマぁああああああ!」 返す刃で魔物の首元を華麗に斬り飛ばす。 シャフールの術で弱っていたとはいえ、巨大な魔物を見事に倒したシャンティの姿に、一同は息を呑んだ。 「見たかお前ら!アタシだってなぁ――うおっ!」 鼻高々にポーズを決めようとした彼女だが、その背中にドンッと重たくのしかかる何か。 「……」 「お、おい!大丈夫か、お前!?」 戦場に飛び込んだシャフール。 恐らくは攻撃を受けた直後に気を失っていたのだろう。 力なくうなだれた彼の身は、そのままシャンティの背に預けられる形となっていた。 彼を抱きかかえるようにしながら、どうしていいかわからずに立ち尽くすシャンティ。 「うわぁ……」 すぐ傍に見える眠るシャフールの顔。 彼女が感じる心臓の鼓動の高鳴りは、戦闘による高揚とは明らかに違うもの。 「……え!?嘘だろ!?これってもしかして……!」 彼女の心は、新たな感情の芽吹きを予感した―― ――遺跡での戦闘直後 「……う……んん」 「うぉ!?えっと、えっと!」 傷だらけの姿となり、気絶していたシャフールを床に寝かせ、治療を行っていたシャンティ。 シャフールが目を覚ましそうになった途端、なぜだが無性に逃げないといけない衝動に駆られ、彼女は部屋の外へと飛び出す。 そこで、たまたま様子を見に来た頭領、つまりは彼女の父に出くわした。 「何やってんだ?お前」 「あっ!お、親父!あいつが目を覚ましたぜ!」 「……そうか。ちょっくら話を付けてくる……お前は外に出てな」 「はぁ!?なんでだよ!アタシが治療してやったってのに――」 バタンッ! と勢いよく閉められたドアの音にシャンティの声は遮られた。 「ちょっ!?クソ親父め!」 部屋を閉め出されたシャンティは、そっとドアに近づき、中の声に聞き耳を立てる。 盗賊団の頭領である父と、それを助けたジール自警団の団長シャフール。 いけないことだとは思いつつも、二人が何を話すのか、気になって仕方がなかった。 「気が付いたか。ここは俺たちのアジトよ」 「……」 「ふん。噂通り無口な野郎だ……」 「……」 「まぁ、それならそれでいい。手短に済ませられそうで何よりだ。おめぇさん、何で俺たちを助けた?」 「……帝国軍は敵だ」 「そりゃ違いねぇが、自警団のあんた達にとっちゃ、俺ら盗賊も敵なんじゃねぇのか?」 「……君達のことは知っている」 「けっ……ただの英雄ごっこって訳でもなさそうだな」 シャンティの父が率いる一団は、盗賊団と名乗りつつも、その行いは義賊的なものだった。 帝国軍の物資を奪っては貧しい村々に恵んだり、武器を奪って戦争の妨害をしたりと、その行動は多岐に渡る。 そして、今回戦場となった遺跡は、この盗賊団にとっての故郷であり、家でもあった。 表立っては知られていないはずの情報だが、自警団のシャフールは確かにそれを知っているようだった。 「……我々と協力を」 「あぁ?俺らと手を組もうってのか?」 話を聞いているシャンティには良い話に思える。 今回のような大規模戦闘が続けば、歴戦のならず者達とはいえ、いずれは消耗し、圧倒的な物量と兵力の前に屈してしまう。 立ち向かうためには大きな力、より多くの同志が必要だ。 「断る!」 「……何故?」 「うるせぇ。話は終わりだ。もう歩けるだろ?助けてもらったことには礼を言うが、こっちも借りは返したつもりだぜ……」 急かすようにシャフールを帰らせる父。 諦めたシャフールが部屋から出てくるのを感じたシャンティは、慌てて物陰へと身を隠す。 シャフールがアジトを去ったのを確認し、部屋へと殴りこむように飛び込んだシャンティは声を荒げた。 「何でだ、親父ぃ!自警団と協力すれば、アタシらだってもっと楽に仕事ができる!」 「けっ……やっぱ盗み聞きしてやがったのか」 やれやれと言わんばかりの顔を娘へと向ける父。 「詳しく知らないだろうが、俺たちは……病気、家の問題、いろんな事情を抱えて町から追われた、見捨てられた連中の集まりだ」 父は静かに語り出した。 「だが、自警団の連中は違う。人々から求められ、称えられる、そりゃもう眩しい存在さ。そんな奴らの隣に、俺たちの居場所なんてねぇのさ。手を取り合ったところで、俺たちがどんな目で見られるかわかりきってる……」 「そ、そんなことやってみないとわからねぇだろ!?」 「何よりなぁ、少しいい顔されたからって、俺が真っ先に手を取りに行くなんてことやっちゃいけねぇのさ。それが頭領としての、家族であるアイツらを守る家主としての責任だ。これは娘のおめぇの言葉でも曲げられねぇ!」 「でも、このままアタシ達だけで帝国を敵に回し続けることがヤバいってことくらいわかってんだろ!?せっかく協力しようって言ってくれる人がいたんだ!手を取り合うのがそんなに悪いことなのかよ!」 「……悪かねぇさ。ただ、それは今回じゃなかった。アイツらじゃなかったってだけの話だ」 「いつだよ!?そんな日、いつ来るんだよ!?誰となら組めるんだよ!?」 「……さぁな」 「なんだよそれ……情けねぇ!アタシは親父とは違う!アタシは諦めねぇからな!!」 「あぁ?今日はやけに食い下がるじゃねぇか。いつもはすぐに拗ねて逃げ出すってのによぉ」 ギクリとした。 いつも簡単に父に説き伏せられてしまうはずなのに、今日に限ってはいつもと違う。 絶対に諦めたくないという気持ちが沸々と湧いてくる。 何故だろう。 素直に自分の心を問いただし、言葉を選ぶ。 「そ、そりゃあ……せっかくの機会だし……別に悪いヤツじゃなさそうだし……」 「おい……おいおい!ちょっと待て!てめぇ、あのシャフールって野郎に惚れたんじゃねぇだろうな!?」 「……は?」 父の言葉により、その感情の正体を悟るシャンティ。 「いやいやいやいや!あ、あれだけの力持ってるんだし、せっかくシャフールさんの方から声かけてもらったんだぜ?そんな簡単に無下にすんのも悪いんじゃないかなってちょっと思っただけだよ!」 (そうだよ!!ちょっと助けられて、助けてをやったくらいで、簡単にヒョイヒョイ惚れてたまるかよ!!) 「シャフールさんだぁ……!?とりあえずシャフールの野郎は死刑決定だ!おめぇの目の前でぶっ殺して諦めつけさせてやる!」 「はぁ!?ざけんなよクソ親父!その前にアタシがおめぇをぶっ殺す!!」 「上等じゃねぇか、ついこの前まで寝小便たれてた小娘が!一度でも俺に勝てたことがあったかよ、あぁ?」 「ぜっっっってぇブッ殺す!娘に向かって気色悪ぃこと抜かしてんじゃねえぞクソバカ親父!!」 ――――― ――― ―― ― 一晩中続けられた決闘さながらの親子喧嘩。 いつの間にか騒ぎを聞きつけた団員達もその場に集まり、決着の様子を見守っていた。 「うぉおおおおおお!お嬢の勝ちだ!!」 「とうとう、お頭をぶっ飛ばした!流石だ、お嬢!」 「ふんっ!世話になったなクソ親父!この想いはアタシだけのもんだ!やりたいようにやってやる!」 「ぐぅ……あぁ、畜生め。どこへでも行けってんだ、じゃじゃ馬娘が!」 父に真っ向から挑み、初めて勝利したシャンティ。 気持ちと共に力まで一緒に沸いてくるのをハッキリと感じる。 「あぁ……お嬢!どうかお元気で!!」 「あんな男のところに俺たちのお嬢が……うぅ……くぅうう……」 「ちげぇよ!!親父もおめぇらも勝手なこと言いやがって!!」 (そんなに言われると変に意識しちまうじゃねぇかよ!くっそ!まだだ!まだ完全には落ちてねぇぞ……!) 「……うっ……うぅ……」 「あ……へへっ……湿っぽくなっちまうじゃねぇか。じゃ、アタシ行くよ……体、気を付けろよ」 「まったく……変なところだけ母親によく似てやがる……自分が本気で決めた道なんだ。てめぇ、中途半端なことすんじゃねぇぞ?」 「おぅ!」 その日、シャンティは家である盗賊団を抜け、ジールへと一人で走り出した。 揺れる想いを胸に秘めながら。 「で、なんでゴミ拾いなんかしなきゃなんねぇんだよ……?」 団員達との顔合わせを無事に済ませ、遂に始まったシャンティの新しい日常。 彼女にとっての初の任務は遺跡の安全確認と整備。 だが、その内容は遺跡周辺の清掃だった。 いきなり帝国軍とドンパチなんてことにはならないにしろ、要人の護衛、魔物の討伐、そんないかにもな任務を想像していた彼女にとって、こういった任務には魅力を感じられずにいた。 「おーい!調子はどうだいお嬢ちゃん?」 完全に気を抜いていたシャンティの元へ、デューンとドゥーナが不意を突くようにやってきた。 「うぉ!?あ、えっと、なかなか大変な任務ですね!」 (あっぶねぇ……また素が出てたぜ……) 盗賊団の頭領の娘であるシャンティは、同盟の誘いを断った父とは違う生き方を選んだ。 それは、シャンティが一個人として自警団に加わり、シャフールと共に戦う道。 そのため、あまりおおっぴらには素性を明かせないのである。 「はっはっは!これくらいの任務ならまだまだ軽いもんだぞ!」 「ほらシャンティちゃん。手が止まってるよ。遺跡周辺の環境整備も立派な任務です」 「そりゃ、そうかもだけど……」 「さては、魔物がババーン!とか、野盗をズドドーン!みたいなのを期待してたか?」 「そう!それそれ!魔物!!野盗!!」 「ふふ。それは心強い。そういった任務もないわけでもないよ。毎回ではこっちの身が持たないけどね」 「ほほう……?」 その言葉に強く好奇心が刺激され、楽しみが増えたと口元がにやけるシャンティ。 「実際のところ、盗賊まがいのことをする連中もいてね。貴重な遺跡の中を荒らしまわる乱暴な――」 「アイツらはそんなことしねぇよ!!」 瞬間、浮かんできた親父の、アイツらの顔。 皆を馬鹿にされたかと思うと、どうしても我慢できなかった。 思わず大声で怒鳴ってしまったシャンティに、驚いたまま動けずにいるデューンとドゥーナ。 「……お、お嬢ちゃん??」 「あ……その……昔、盗賊団に知り合いがいて、すごく良くしてもらったことがあるっていうか……あはは……」 (あ……つい……やっちまった…………) 「そうだったんだね。ゴメン。その知り合いの人や盗賊団の事を悪く言ったわけじゃないんだ。どんな境遇であれ、君の言うような良い人もたくさんいるのは知っているよ」 「でもなぁ、中には悪い奴らだっていやがるのさ……そういう奴らをやっつけるのも俺達の仕事の一つってわけだ!はっはっは!」 「……そ、そうだよな!アタシも!アタシも……大きい声出してゴメン……なさい……!」 「いやぁ、ビックリしたぜ?熱くなった途端に性格が変わったみたいによぉ」 「え?あ、あー……そ、そういえば、シャフールさんのお姿が見えないようなー?」 (そ、そう!これはこの場を誤魔化してるだけで、決してシャフールさんの事が気になって仕方ないわけじゃねぇ……!) 「団長ならさっきパンパンになったゴミ袋を三つも抱えてゴミ捨て場の方へ歩いて行ったぜ」 「たまには気を抜いてくれてもいいんだけど……我々も負けていられないよ!」 「は、はい!頑張ります!」 (団長っていっても、椅子で踏ん反り返ったりしてるわけじゃねぇんだな……) ――翌日 「今日はこの遺跡の調査だ。まだ探索しきれていない箇所も多いから、慎重にな!」 「わかりました!」 (懐かしいぜ、この遺跡。ガキの頃によく遊び場にしてたっけ) 「えっと……今回調査する予定の場所はこの辺りだね」 未完成の内部地図を広げながら、ドゥーンが調査予定の箇所を指し示す。 「あー……そこなら完全に崩落してて、中にはネズミ一匹入れねぇよ?」 ヒョコッと地図を覗き込んだシャンティが指摘する。 「え?シャンティちゃんここに来たことがあるの?町の指定危険区域だよ!?」 「え!?あ、えっと……なんか、そんな予感がするなー!なんて!おほほほほ!」 (そうなのかよ!親父達とよく来てたから、安全な場所だと思ってたぜ……!) 「はっはっは!さては、奥の方は面倒だから、適当に埋めてさぼろうって魂胆か?策士だねぇ!」 「あ、あちゃー!ばれちゃったかぁ!おほほほほほ!」 (何とか誤魔化せたか!?マジでちょっと気を付けねぇと……) 「…………」 ――さらに翌日 「報告があったのはこの辺りだね。デザートホーンリザードの群れが発生してるって話だけど」 「なんか恐そうですねー!」 (そうだよ!チマチマした任務じゃなくてこういうのを待ってたんだよ!いかにも骨のありそうな響きの獲物じゃねぇか!) 「はっはっは!まあけっこうでかいしな。一般人からすりゃ恐いもんだろうぜ!」 「……来るぞ」 何かを察知したシャフールの声に反応する一同。 期待に目を輝かせるシャンティの目の前に、無数のトカゲが地中から姿を現した。 「さぁて、おでましだぁ!」 「シャンティちゃん。無理はしないようにね!デューイ。君もあまり油断しすぎないように!」 体長は1~2mほどで、角ばった鎧のような皮膚を纏っている。 よくよくその姿を観察するシャンティだが、それはどこか見慣れた形をしていた。 「え?あれ?こいつら……ツノヘビじゃん」 「ツノヘビ??」 「アタシらのところではそう呼んでたぜ。じっくりと焼いて塩を一振り……これがたまんねぇんだよなぁ……なぁ!?」 (くっそぉ!もっと強そうな魔物を想像してたってのに!でも、これはこれでおいしいか……?) 振り向きざまに、満面の笑みで微笑みかけたシャンティの前に並んでいたのは、ポカンとした表情のまま立ち尽くす自警団の三人。 「……あれ?食わないの……?」 「すまねぇ……食えるなんて聞いたことなかったもんでつい……」 「え……?あ……村の風習というか、珍味的なものというか……あはは」 (おいおい、普通は食わねえのか!?親父がこの辺りの名物だって言ってたのに…あ、アタシ騙されたのか!?あのクソ親父ぃ!!) 「…………」 「なんともワイルドな生活をしていたようだね……あれ?どうかしましたか?団長」 「……いや」 ―― 一カ月後 毎日欠かさず自警団に顔を出し、任務をこなし続けたシャンティは、一人前の自警団員としての存在を団内に示し、その信用と評価を高めていった。 ここは自警団指令部が本部を置く兵舎。 ……ィ―― ――あれ……?誰かに呼ばれたような…… ……ティ―― ――シャフールさんの声……?あぁ……あなたの声がこんなに近くに聞こえます…… ……ンティ―― ――いや、近いですよシャフールさん……ダメですってばぁ…… シャンティ―― ――いやいやいやいやいやいや近い近い近い近い近い近いって!! 「―――――――ッ!……って……ふぁ?」 気が付くと、そこにはいつもの指令室の風景。 どうやらまた仕事中に寝てしまっていたようだ。 寝ぼける頭をポリポリと掻きながら、ゆっくりと身を起こす。 「ふぁあ……!」 (それにしても、あんな夢まで見ちまうなんて……やっぱり……) 「……起きたか?」 「あ、シャフールさん。わたし、また寝ちゃったみたい……ふぉおおおおおお!?」 目覚めて間も無いというのに、瞬間的にシャンティの脳は覚醒。 その様子をシャフールに見られていたことにやっと気が付く。 乙女として、シャフールの前で粗相がないかを急いで分析。 「えっと……えっと……」 (寝癖は……問題なし!服装も……乱れてないな!よだれは……垂れてないぞ!寝言は……わからん!いびきは……わ、わからん!クマは……よし、いないな!え?クマは?) 足を掴まれ、ぷらぷらとシャフールの手にぶら下がる愛用抱き枕ならぬ、抱きぐるみのクマ。 「あぁああ!シャ、シャフールさん、それ、それはですね……えっとですね……!」 「……」 「そ、そう!これは、知り合いの子にプレゼントとして用意したものでして!」 自分に似合わないものだと決め込んでいるシャンティは、クマの存在の説明をしようと必死に理由を探す。 そんな姿に、彼の顔がわずかに微笑んだように見えた気がした。 「……可愛いクマだ」 「え……?あ、あぁ!ありがとうございます!!」 (いやいや!勘違いすんなよ!?クマだから!可愛いのはクマだから!!) 「……今日は休んでいい」 「え?」 「……疲れもたまっているな。丁度、今日祭りがあるから、顔を出してみるのもいいだろう」 一カ月足らずとはいえ、ずっとシャフールを見続けてきた彼女。 その言葉は、事務的な内容だったが、彼女にとっては初めてかけられた思いやりの言葉。 「あ……」 普段はほとんど言葉を口にしないシャフールの気持ちに、呆然と立ち尽くすシャンティ。 「……?」 「い、いえっ!なんでも……なんでもありません……!」 嬉しい。 感情の波に呑まれそうになる彼女。 「……あの、シャフールさん。その……仕事が終わってからでいいんで、ちょっと、ほんのちょっと、一緒にお祭りどうですか?」 彼女同様、休暇を取らず働き続けていたのはシャフールもまた同じだった。 頂戴した思いやりの感謝に対し、自分にも何かできないかと思うと、自然と口が動いていた。 「あれ?今アタシなに言いました!?わ、忘れてくださいっ!!」 (ボケーっとなに口走ってんだバカ野郎!うわわわわ!顔から火が出そうだっ!) 「……わかった」 「え?」 「……なるべく遅くならないようにしよう」 「ほ、本当ですか!?じゃ、じゃあ、中央広場の噴水の辺りで待ってますんで!」 「……わかった」 「で、では、失礼しますっ!」 (やった!よくわかんないけど、やった!!シャフールさんとお祭り!くぅううううう……なんか燃えてきたぜちくしょおおお!) 淡い恋心を抱く乙女の勝負が幕を開ける。 毎年この時期に三日間かけて盛大に行われる『星見祭』 一年の中で、夜空に浮かぶ星々が最も綺麗に見られるとのことから名付けられたこの祭り。 マーニルの星詠みが足を運ぶことも多いと言われ、遠方からも多くの観光客が集まり、大変な賑わいをみせる。 また、ロマンチックな星空を堪能しようと、夜には恋人連れで溢れ返ることでも有名である。 自室に戻っても特にやることのなかったシャンティは、指令室から直接祭りへと赴いていた。 「くんくん……このうまそうな匂い……たまんねぇ!はははっ!」 休日の開放感と祭りの空気は、普段から口調にも気を付けて団員と接する彼女にとって、またとないストレス発散の助けとなった。 「ちょいとそこのお嬢ちゃん!」 「え?アタシか?」 シャンティに声をかけたのは、女性ものの衣服を扱った小さな露店商だった。 「そうそう!あんた、今夜のデートに備えて、いろいろと用意しなきゃいけないものもあるんじゃないかい!?」 「な!?デ、デートなんかじゃねぇよ!ただ、ちょっと一緒に息抜きでもと思ってだな……」 「そうかい、そうかい!で、こんなのどうだい?」 シャンティの話を聞き流しながら、自信満々に商品を売り込んでくる女主人。 それは伝統的な衣装をモチーフに、細かな装飾が施されたなんとも美しい一品。 こういったものにはあまり関心を持ってこなかったシャンティですら、つい目を奪われてしまう。 「お……おぉ……!あー……いや、でもやっぱりアタシにはこういうのは……」 「何言ってんだい!男ってのは普段とのギャップってのに弱いもんさ!こういう時こそ自分をアピールする大チャンスだよ!?」 「……や、やっぱり女の子らしい恰好した方が……その……男ってのは喜ぶもんなのか?」 引き込まれるように女主人との間合いを詰めていくシャンティ。 「もちろんさ!可愛い女が嫌いな男なんていないよ!あいつらみんな単純なんだから!」 「そ、そうなのか?」 「もしこの服がご入用ってんなら、特別にこの髪飾りとネックレスも付けようじゃないか!」 「なんだって!?そりゃ随分と太っ腹だな!」 「で、どうするね?このチャンスを逃したら、その男が他の女のとこにいっちまうかも――」 バンッ! と勢いよく店のカウンターを叩いたシャンティ。 「買った……!」 今月受け取った給料の半分以上を一気に放出することになるにも関わらず、その目に迷いはなかった。 そのまま服を着せてもらい、商人の計らいで髪型までセットしてもらったシャンティ。 「へへっ!やっぱちょっと恥ずかしいな……!」 「よしっ!最後の仕上げだよ!」 店の奥から何かを持ってきた女主人。 それをシャンティの首元に近づけ、シュッと一吹きする。 「お?なんかいい匂い……」 「わたしが旦那を落とした時に使った香水だよ!サービスしといてやる!」 「何から何までありがてぇ……!恩に着るぜっ!おばちゃんっ!」 「こういうときは嘘でも『お姉さん』って言うもんだよ!あんたも負けんじゃないよ!」 「おぅ!サンキューな!」 あとはシャフールを待つだけ。 徐々に落ち始めた陽を眺めながら、それを胸にしまい込むように心をたぎらせていく。 勝負まであと数時間。 軽く出店を回りながら、雰囲気を満喫するシャンティ。 盗賊団として生きてきた彼女にとって、町をあげての祭りごとに参加するこの機会は、大きな衝撃だった。 まるで未知との遭遇ともいえる様々な発見や体験に胸躍らせる。 「くぅううう!楽しいなぁ!アイツらもいつか参加できるようになる日が来るかなぁ……」 ふと盗賊団にいた頃の思い出が頭をよぎり、つい感傷的になってしまう。 「大変だぁあああああああああああああ!」 だが、そんな彼女の複雑な気持ちを吹き飛ばすように響き渡った悲鳴。 はっと我に返ったシャンティは、騒ぎの中心を探して駆け出す。 「助けてくれぇええええええええ!」 町の中央広場。 最も人混みで溢れる場所で事件は起こっていた。 「何ごとだってんだ!?」 町の自警団の一員として、顔が売れ始めていたシャンティ。 駆け付けた彼女を見つけた町の人間が事情を説明しにくる。 「見世物屋の檻から魔物が逃げ出したんだ!」 「はぁ!?なんでそんな危ねぇもん町中に連れてきてんだよ!」 「安全管理は万全だとかで、町の役人を黙らせたらしい!」 「やべぇな……獲物なんか持ってきてねぇぞ!」 シャンティは、休暇中に、それも祭りの最中を、無粋なものをぶら下げたまま歩くのもいただけないと、愛用の大剣を指令室に置いてきていた。 視認できる魔物は三体。 そこまで脅威となる個体はいないようだが、いくら何でも素手で戦える相手ではない。 シャンティは周囲をくまなく見渡して、武器にできそうなものを急いで探す。 「いやぁあああああああああ!」 しかし、それも間に合わず、魔物の一体が観光客に今まさに襲い掛かろうとしていた。 「ちっくしょう!」 その身一つで飛び込み、魔物に体当たりをかましたシャンティ。 「こっちだ雑魚共!アタシが全員ぶちのめしてやるよぉおお!」 魔物たちの目の前で手を広げ、あえて注目を集めるように大声を上げた。 「ありゃ自警団の……シャンティちゃんじゃねぇか?」 「あぁ、間違いねぇ!でも、武器も持たずにいくらなんでも無茶だぜ!」 「他の自警団の連中は何をやっている!?」 その光景を目にした人々が口々に騒ぐ。 (団員はみんな別任務中で、駆けつけるまでにまだかかる!でも、手を借りようにも祭りの警備は雇われの素人ども……へへ……アタシがやるしかねぇじゃねぇか!) 眼前に立ちふさがるシャンティを前に、三体の魔物達は一斉に襲い掛かる。 鋭い爪や牙から繰り出される攻撃をギリギリのところでかわしながら、攻撃を加えていく。 しかし、いくら彼女が戦闘慣れしているとはいえ、素手での打撃が魔物に対して効果があるとはいえなかった。 「くそっ!」 次第に疲れが出始める。 それに相反してますます殺気立つ魔物達。 このままでは結果は目に見えていた。 「あ……あんな子が一人で戦ってるんだ!俺たちだって!」 「そ、そうだ!皆で戦えば!」 戦況を見かねた観衆の中からそんな声が聞こえ始める。 「素人が手を出すんじゃねぇ!さっさと逃げりゃいいんだよっ!」 シャンティはすかさずそれを怒声で制止する。 が、そんな周りに気を取られたほんの一瞬の隙が、攻撃をかわす判断を一瞬遅らせた。 「うっ……!」 華奢な身体に強烈な爪の斬撃を受けたシャンティは、軽々と打ち上げられ、追撃の体当たりを食らう。 「ぐ……いってぇ……さすがにやべぇなこりゃ……」 もはや立ち上がるのがやっとに見える。 シャンティ自身も自分の限界を感じ始めていた。 「お嬢ちゃん!これ使いなっ!!」 絶体絶命の窮地の中、耳に入った聞き覚えのあるその声に反応するシャンティ。 声の主は何かを彼女の頭上に投げ入れる。 「ありがてぇぜ!『お姉さん』!!」 声の主はシャンティの服を見繕った露天商の女主人だった。 跳び上がり、しっかりと受け取めたシャンティは、それを強く握り締める。 「おぉ!こりゃぁ……!」 「クソ鍛冶師の旦那が仕上げた奇跡の一品さね!とっとと片付けちまいなっ!」 受け取ったのは身の丈ほどの大剣。 愛用の剣に近いそれを、軽く素振りをして感触を確かめる。 自分の剣よりも少し細身だが、その分軽くて振りやすく、手にも良く馴染む。 「こんなもんまで扱ってんのかよ!まったくなんて物騒な服屋……でも、いい仕事だっ!」 獲物を手にしたシャンティを前に、魔物達は警戒を強め、その様子を鋭く観察する。 「よぉ……よくも好き放題やってくれたなぁ……ぶちのめしてやるよぉおおおおおおおおお!」 鬼神の如し暴れっぷりだった。 瞬時に間合いを詰めて先頭の魔物の首を刎ね落とす。 反射的に後ろに跳んだ残り二頭のうち、一頭の首元をすかさず掴み、そのまま撫で斬り。 残された最後一頭は恐怖に駆られたのか、その場から逃げ出そうとする。 そこへすかさず追撃するように放たれた斬撃。 シャンティの一振りが生んだ風圧に風の魔力を纏わせ、必殺の一撃となったそれは、意図も容易く魔物を両断した。 瞬く間に三頭の魔物を討伐し、剣についた血を掃い、そのままそれを肩にトンッと背負う。 彼女は、観衆の呆気に取られた様子に気が付くと。 「もう大丈夫だぜ!気合入れて祭りを盛り上げてくれよなっ!」 向けられた笑顔でのブイサインを見た途端、声を失っていた観衆達が今日一番の歓声を上げた。 「「おぉおおおおおおおおおお!!」」 「よくやったなお嬢ちゃん!今日の祭りは今までで最高の祭りになるぜ!」 「助けてくれてありがとうございました!この恩は決して忘れません!本当にありがとう!」 褒められることに不慣れなシャンティにとって、方々からかけられる感謝の言葉はとてもくすぐったく、照れくさく感じられた。 「お、おぅ……へへ……へへへ……」 (ここはいいところだぜ。アタシだって認めてもらえたんだ。親父たちもいつかきっと認めてもらえるような、そんな世界にアタシが変えてやるんだ……!) 喜びに沸く広場。 皆が酒をあおり、踊り狂う熱狂の中、そこから一つだけ逃げるように去っていく人影をシャンティは見逃さなかった。 「おっと、最後の仕事が残ってたみたいだな……」 「よぉ……もうお帰りか?祭りは満喫できたかよ?」 背後からのシャンティの声に、ビクッと肩を鳴らして立ち止まる人影。 「てめぇだな?魔物をわざと逃がしやがったのは」 人影の正体は見世物屋の店主。 「な、なんのことかね?」 「おいおい……この状況でアタシを前に、言い逃れできるつもりでいるんなら舐めてくれたもんだよなぁ?」 ドンッと剣を地面に突き立て、殺気を含んだ睨みを利かせる。 「檻は壊れてなかった。どう考えても変だろ?誰かが鍵を外さねぇとあんなことにはならねぇ」 「……わ、わかった!全部話す!だから命だけは助けてくれ!!」 あの戦闘を目撃してからでは無理もない。 下手な真似をすれば、命を取られると理解した男は、饒舌に語りだす。 わざと魔物を解き放ち、事件を起こしたこと。 目的は、祭りをめちゃくちゃにすることで自警団の信用を失墜させることにあったこと。 自警団がなくなれば、遺跡荒らしの障害は減り、仕事がずっと楽になるという事。 「で、誰に雇われたんだ、てめぇ?」 「南に新しくできた盗賊団だ!その頭領とは古い付き合いで、いい話があると持ち掛けられて……」 「なるほどなぁ……掟もルールも知らねぇクズ共が……!」 「全部しゃべったんだ!み、見逃してはくれないか……?金が欲しいならそれもくれてやる!だから、な!?」 「お?そっかそっか……安心したぜ!」 「あ……あぁ!任せてくれ!金庫番にも顔が利くからな!いくらでも用意してやれるぞ!」 「いやぁ……てめぇが、脅されたり、騙されたりしてこんなことしたんだったらどうしようかと思ったけどよぉ……思った通りのクズなおかげで、躊躇なくぶっ飛ばせるぜ!」 「ひ……!」 「その薄汚ぇ性根、叩き直してやるよぉ!!」 その後、気を失った犯人を警備兵へと引き渡したシャンティ。 「前のアタシだったらマジでぶっ殺してたな……丸くなったもんだぜ……はぁ……」 落ち込んだ様子で広場へと戻る彼女。 その足取りはとても重かった。 せっかく用意した服は戦闘でボロボロ。 整えたはずの髪もボサボサ。 「……へへ……こんな格好じゃあシャフールさんに会いになんて行けねぇな」 祭りには戻らずに、そのまま裏道を抜けて町はずれまでやってきたシャンティ。 何気なく外壁の上によじ登り、一人、黄昏た表情を浮かべる。 「やっぱ性に合ってなかったんだよ……まぁ、祭りは無事だったんだし、よかったよかった……」 自然と涙が込み上げてくる。 いろんな感情が押し寄せ、彼女の心を絞め付ける。 「……シャンティ」 そんなシャンティの不意を突くように足元から名前を呼ばれた。 慌てて目に浮かんだ涙をぬぐい、壁の下を見下ろす。 「シャ、シャフールさん……何でここに……?」 「……待ち合わせ場所に姿がなかった」 「あ、あぁああ!アタシ、何も言わずに約束破っちゃって!」 「……構わない」 そう言うと、シャフールも壁の上まで飛び上り、シャンティの隣に腰を掛けた。 「え!?シャフールさん!?」 (うわっ!?なんだ、なんだ!?な、何か話さないと!ごめんなさい?お疲れ様でした?あぁあああああ!わかんねぇ!わかんねぇよもう!!) 「……話は聞いた。頑張ったな」 シャフールから静かに、そして優しくかけられた声。 シャンティの心を絞め付けていた縄がそっと解けていく。 「……はい……頑張りました」 「……綺麗な星空だ」 「……はい……とっても綺麗です」 暖かな何かに心を包まれながら、そっと見上げた星空。 星は滲んでよく見えなかったが、きっと今まで見たどんな空よりも美しく輝いていたことだろう。 +血を欲す魔剣少女エレノア 切り立った断崖の海岸線。 分厚く黒みがかった雲が空を覆い、鳥は低空を飛んでいる。 海は荒れ、波がネズミ返しのようになった断崖に激しく打ち付けていた。 試練を課せられた一人の少女を送り出すには、最悪な天候になるだろう。 その少女が、エレノアでなければの話だが。 『終端の岬』にある城を背に、エレノアは歩を進めていた。 遂に、自分の使命を成し遂げられる日が来るのだ。 王の為に、この命を捧げる事ができる。 この日をどれだけ待ち望んだか……。 魔物の魂を集め始めてから10年は経っている。 この血を汚す……それは王の完全な復活に必要不可欠なもの。 この世で唯一絶対の王を……。 最強の王を……。 愛している方を……。 魔剣を見つめながら想いを馳せる。 自然と笑みが溢れてくる。 「こんなに素敵な事があって……良いのでしょうか……」 ポツリと呟くと、魔剣に一滴の雫がついた。 ついに降りだした雨は、除々に勢いをつけながらその音を大きくしていく。 髪も服も濡れていくが、エレノアは足を止める事はない。 寧ろ、その足取りは軽くなっているようだった。 「天もこの日を待ち望んでいたようね……フフフ……アハハ……」 笑いが止まらない。 こんなに楽しい事が世界にあっていいのだろうか? そんな疑問すら湧く程の幸福感。 あの城に生まれ、あの王の元に育ち、今まで生きてきた事。 こんなに素晴らしい人生を送れる人など、この世には自分だけだろう。 王の為に、自分の力を全て出し切る。 足が勝手に動き出し、いつの間にか走っていた。 今日、王を復活させる為の器となる。 雨は更に強くなり、嵐となる。 風が吹き荒れて、打ち付ける波は更にその力を増す。 そして、遠くに翼を広げた翼竜の影がエレノアの目に入った。 「あいつらね……ウェルミス……会いたかった……!!」 絶対に見失わないように目を見開き、雨が目に入ろうと構うことなく全速力でその影に向かう。 そこはウェルミスの巣。 大陸に数種確認はされているが巣を知っている者は少ない。 翼を広げ、仲間に合図でも送っているのだろうか、耳につく鳴き声を上げている。 「さぁ……楽しもうね……!!!」 エレノアは視界の中央にウェルミスを置いたまま、魔剣を投げつける。 魔剣は宙を舞いながら、ウェルミスを捕えた。 しかし、一撃では傷つける事すら出来ていないようだ。 エレノアの殺気を感じ取ったウェルミスは、咆哮をしてから急降下をして襲いかかってくる。 「くっ……!!」 間一髪、横に飛んで直撃はしなかったものの、左腕に痛みを感じる。 二の腕に爪が当たったのか、三本の引っかき傷で服は裂け血が滲んでいる。 それを見たエレノアはまた目の色を変える。 「よくも……よくも……王に貰った大事な服を!!!!!」 濡れた髪の奥で目を見開き、ウェルミスに怒りをぶつけた。 魔剣に魔力を送ると、魔剣の紋章が赤く光る。 そしてウェルミスに向けて飛んでいった魔剣は、ひとつ前の攻撃とは比べ物にならない程の威力を持ち、その翼を貫通した。 「ギィイイイ!!!」 叫びながら落ちていくウェルミスに、更に魔剣を操って追撃をいれる。 何度も何度も宙に浮いては地に落ちたウェルミスを叩きつける魔剣。 「ほらっ!?楽しいでしょう!!?」 最後のトドメとばかりに魔剣を振り下ろす。 ウェルミスは抵抗せず、魔剣が突き刺さった。 既に絶命しているようだ。 魔剣はウェルミスの血を吸い上げて赤く光り、その魂を集める。 「王の為にその命を使うのだから、あなたも幸せでしょう?」 エレノアはその様子を見ながら笑っている。 次の瞬間、後方から殺気を感じて前に飛び出した。 振り返ると、羽を広げる翼竜の影が3つ。 そしてその奥に、見たこともない大きさの翼竜が見える。 「フフフ……いいわ……まとめて相手してあげる……!!」 迷う事なく、エレノアはウェルミスの群れに突っ込んでいく。 勝算など考えてもいない。 ただ、目の前の敵を殺す……その事だけに集中していた。 「全員……まとめて殺してあげる!!!!!」 狂気に満ちたその目を作るのは、王への愛情。 鼓動が高まる。 エレノアに呼応するように、魔剣は宙を舞う。 1体……2体…… ウェルミスの猛撃を耐えながら魔剣を振り回す。 今まで、どんな敵にも負けてこなかった。 それこそが、王への愛の証明。 この戦いに勝利すれば、その全てが報われる。 王は自分を受け入れて、完全な復活を遂げるのだ。 地上で誰にも負ける事のない力を手に入れ、この世に君臨する。 そんな夢のような光景を作る事に貢献する……。 誰にも出来ない……自分だけにそれが出来る……。 だから…………。 「貴様等……命を差し出せ……!!!!」 エレノアはその場に倒れこむ。 体中傷だらけになり、服は血だらけになっている。 殆どの魔力を使い果たし、魔剣を操る事もできない。 巨大な翼竜に挑むも、その強大な力には及ばなかった。 しかし、エレノアは何故自分が動けないのか分からない。 今までに経験した事のない状況の中、ぼんやりと敵を見つめていた。 「なんで……立てないの……??」 額から出た血が入り霞んでいるが、目は見える。 口を動かす事は出来ないが、喉から声も出る。 それなのに、身体を動かす事が出来ない……戦えない……。 王の……復活が……できない…………。 翼竜は咆哮すると、空に舞い、嵐に負けず羽ばたく。 空が一瞬光ったかと思うと、雷鳴が轟いた。 翼竜は口元に光を放ちながら何かを溜めている。 それを見届ければ、エレノアは死ぬだろう。 しかし、もはや指一本動かす事が出来ない。 開いたままの目から、涙が溢れてくる。 「王よ…………申し訳…………ございま…………」 「エレノアァアアア!!!!」 王の声が聞こえた気がした。 それは、幼い頃の記憶を呼び起こしたものだったのだろうか。 はたまた、自分が作り出した幻聴なのか。 なんであれ、最後の最後に王の声が聞こえた事に嬉しくなった。 響く轟音。 大地が揺れる。 これが死の直前なのかと、エレノアは考える。 しかし目に飛び込んできたのは、黒いオーラに包まれた深紅の矢だった。 王の側近である、ダズールから聞いた事があった。 王の絶対的なヴァンパイアの力。 血を凝縮して放たれる矢は、全てを貫く。 その言葉の通り、翼竜の身体を貫き地面に突き刺さった矢は、闇のオーラを放出させている。 「やはり……王は……最強の……」 「王!!」 飛び起きると、そこは見慣れた城の自室だった。 ベッドで上半身を起こしている自分……。 外から差し込んだ朝日は、部屋の中に窓の形を作り出す。 いつもの朝だった。 ベッドから降りようと身体を捻ると痛みを感じた。 足には無数の傷がついている。 つまり、ウェルミスとの戦いは夢ではない。 私は、あの後、どうなったの? どうやってここに戻ってきたの……? 魔剣は……? ベッドの横に立て掛けられた魔剣。 しかし、何か違和感がある。 毎日手入れを欠かさない魔剣。 汚れているのは、あの戦いの後だからかもしれない。 それでも、こんな角度で立てかけた事は今まで一度もない。 「私以外の誰かが魔剣をここに運んだの……?」 魔剣を手に取り、思考を走らせる。 その時、ほのかに匂いを感じた。 これは……血の匂い……? 魔剣にウェルミスの血がついているのかと思ったが、これは魔物の血の匂いではない。 自分の服に血がついているのではないかと見てみるが、それも違うようだ。 段々頭がハッキリしてくる。 結局あの後の事は分からない……。 ダズ爺ならば、何か知っている筈……。 痛みはもうない。 正確にはあるのかもしれないが、エレノアにそれを認知する事はできなかった。 自室を出て、廊下を見渡す。 いつもと変わらない城の景色。 「ダズ爺?どこ?」 声を上げてみるが、ダズールの返事はない。 城の中を探す事にする。 「ダズ爺?ここ?」 ダズールの私室、調理場、書庫、倉庫……。 次々と城の中のドアを開けて行くが、ダズールの姿はない。 ダズールがこの時間に城を出る事はない。 どこに行ったのだろうか……。 あとは、王のいる玉座を残すのみとなった。 玉座には王もいるだろう。 王ならば何か知っているかもしれない。 エレノアは決心し、普段は決して入る事のない玉座へと向かう。 「王よ……謁見をお許し頂けませんでしょうか……」 扉の前で緊張しながら王の返事を待つ。 しかし、求めた返事は返って来ない。 「王……ご不在なのでしょうか……」 この扉を開けてもいいのだろうか。 まだ幼かった頃は、王がどれほど尊い存在なのかも分からずに、この扉を開いては王に会いにいっていた。 しかし、それがどれほど愚かな行為だったか……今考えると顔から火が出そうになる。 それでも、今の状況を解決出来るならと、意を決して扉に手を掛けた。 「勝手ながら……失礼します……」 ギィという音を立てて視界に玉座が広がる。 王の姿はない。 「王……どちらに……王……!!」 中に入り、辺りを見渡す。 ふと、燭台にあるロウソクが今にも燃え尽きようとしているのが目に入った。 この大きさのロウソクならば一晩は持つだろう。 つまり、前日の夜には玉座に王がいたという事だ。 もしどこかに行ってしまったとしても、まだそう遠くには……。 エレノアは振り返り、走りだそうとする。 何か、この城に嫌な空気が流れているような感じがする。 王は……王はどこに……。 「エレノア。何をしている?」 走りだそうと前傾姿勢になり一歩踏み出した所で、開けっぱなしだった扉の奥に王の姿がある。 ドキっとして、とっさに立ち止まるエレノア。 目の前に、王がいらっしゃる……。 何から話せばいいの? 「えっと…その……ダズ爺……を探しているのですが……見当たらなくて……玉座に来ているかと考えまして……」 まずは勝手に玉座に入った理由を話す。 王の怒りを買う訳にはいかない。 ディヴァイルベルトは少し考えたような表情をした後、一言口にする。 「丁度良い。私からも話があるのだ」 ディヴァイルベルトはゆっくりと玉座に入り、扉を閉めるとエレノアの横を通りすぎて椅子へと腰を降ろした。 エレノアはスカートの裾を広げて王の前に膝をつく。 「なんなりとお申し付けください」 「いや、命令などではない。少し話をしたいと思ってな」 今まで、王からエレノアに話をしたいなどと言う事はなかった。 故に、エレノアは震える。 その言葉だけで感動をしていた。 王が、自分に言葉をくれる。 それは……どれほど幸せな事だろう。 しかし、ハッと気が付いて溢れる幸福感を押しつぶす。 私はウェルミスの討伐に失敗しているのだとしたら、王はお怒りになっているかもしれない。 このタイミングでの話というのは、むしろその可能性の方が高いだろう。 手に汗が滲む。 王は落ち着いたトーンで一つの質問をぶつける。 「どうだ?身体は大丈夫か?」 質問の真意がわからない。 エレノアはただ聞かれたままの答えを出すしかなかった。 「はい……。この通り、すぐにでも魔物の魂を集めにいけます」 「そ、そうか……。それは良かったな」 「良かった……?」 つまり、王は自分を心配している。 やはり、確かめなくてはならない。 「王……一つ私からもお聞きしても宜しいでしょうか」 「なんだ?」 ゴクリと喉を鳴らす。 エレノアの全身に緊張が走っていた。 「私は……ウェルミスの討伐に失敗したのでしょうか?」 「そうだな……。エレノアには随分と無理をさせたようだ。すまなかった」 エレノアは即座に頭を床にこすりつける。 「とんでもございません!!私が至らない故に、王にご心配をかけただけでなく任務も失敗し、王のご計画に多大なご迷惑をかけてしまいました!!!」 出せる限りの声を出した。 涙が溢れる。 私は王を失望させてしまった。 私は……。 私は…………。 「いや、いいのだ…!いいのだ……!エレノア……!」 王は手の平をエレノアに向けて少し焦っている。 しかし、床から額を離そうとしないエレノアに王の様子は見えていない。 「申し訳ございません!!不甲斐ないばかりに……!!!」 泣きわめくエレノア。 ディヴァイルベルトは、小さくため息を吐いた。 「エレノアよ。顔をあげろ。お前に相談があるのだ」 その言葉を聞いて、額を床につけたまま目を開いた。 王からの相談……。 嫌な予感しかしない……。 「エレノア……。魔剣を置き、普通の生活をする気はないか?」 エレノアは地が崩れ落ちるような感覚に見舞われる。 王は……自分を見捨てようとしている……。 「なぜですか……!?私がウェルミスの討伐に失敗したからでしょうか!?教えてください!もしそうであれば、すぐに力をつけて、必ずや魂を持ってきますので……!!!!」 顔を上げ、すがるように王に懇願する。 ディヴァイルベルトは首を振る。 「いや、そ、そういう事ではないのだ……。先も言ったように、エレノアに負荷をかけすぎたのは私の方だ。誤解するな……」 「ならば!!何故魔剣を置けなどと言うのですか!?私には話が見えません!!ダズ爺はどこに行ったのですか!?いなくなった事と何か関係があるのでしょうか!?お願いします!教えて頂けませんでしょうか!」 「…………。」 ディヴァイルベルトは何も答えない。 ただ、落ち着きがないように見える。 「王……!!お答えください!!」 「う、うううるさい!!ダズールは今朝城を出て行った!何も知らん!」 王の様子が何かおかしい。 こんな王は今まで見たことがない。 「王……どうなされたのですか……?すごい汗をかいていらっしゃいますが……どこかお体が悪いのですか……?」 心配するエレノアを余所に、咳払いをするディヴァイルベルト。 「ゴホン!ゴホン!!大丈夫だ……!あ、いや、少し風邪気味かもしれんな……いや、今はそんな話はどうでもいいのだ!!私はエレノアに魔剣を置かないかと話しているのだぞ!!私の話を逸らすでない!」 「申し訳ございません。ですが……あっ…………」 ウェルミスの討伐の失敗。 魔剣を置かないかという打診。 ダズールの失踪。 今の王の態度。 全てが繋がった一つの仮説。 全てに説明がつく仮説は、仮説では留める事ができない。 王は真実を話していない。 私はウェルミスの討伐に失敗した。 王の完全な復活の為に必要な器となる事ができなかった。 私に失望した王が、他の方法を探すのは当たり前だ。 ダズ爺から聞いたことがあった。 王の復活には人間の邪悪な血が不可欠。 だから私は魔剣に血を集め、この身体に魂を集め続けた。 その私が使いものにならないと考えたなら……必要な物は……。 新しい器―― ダズ爺は朝出かけたと話している。 つまり、新しい人間を探しに行ったのだろう。 王の使者として、王の完全な復活を願うならば、早くから行動する事も納得がいく。 私に魔剣を置けと言うのは、次の人間に魔剣を持たせる為。 それを私に教えない為に、王は嘘をついている。 いや……王に嘘をつかせているのは………私だ。 泣いている場合ではない。 文句を言っている場合ではない。 今出来る事を、やらなければならない。 他でもない、最愛の王の為に。 エレノアは笑顔を作った。 「ご安心ください」 ディヴァイルベルトは嬉しそうにしながらエレノアを見る。 「何っ!?魔剣を置いてくれるのだな!?」 「いいえ、ダズールを探しに旅へ出ます。そして王にご満足頂けるように、より多くの魂を集めてきます。新しい器など必要ない事を証明してみせます!私が必ずや、王の完全な復活を成し遂げて見せます!」 満面の笑みを浮かべるエレノア。 王を心配させる訳にはいかない。 自分が必ず成し遂げる。 王に安心してもらえるように。 「えっ……?ちょっと待てエレノア……今ダズールがなんだって?お前……何か勘違いを……」 エレノアは背を向けて魔剣を背負い玉座を後にする。 「待てエレノア!新しい器とは何の話をしているのだ!!待つのだエレノア……エレノア……!!!」 王をこれ以上お待たせする事はできない。 ならば一刻も早く、この身体に流れる血を汚さなければ……。 魂を集め……そして王の生け贄となる。 今までずっと待ち続けたこの大義を失う訳にはいかない。 もはや、ディヴァイルベルトの声はエレノアの耳には届いていなかった。 ディヴァイルベルトは一人玉座で頭を抱える。 これ以上何を言っても、エレノアを止める手立てはないだろう。 「エレノア……私はどうすれば良いのだ……」 古城を吹き抜ける海風は、いつになく暖かい。 断崖の岩陰に揺れる赤い蕾は、そっと花を開こうとしていた。 ――数日後 コレーズ村を抜けて、商業都市イエルへとやってきたエレノアは目を丸くしていた。 活気溢れる人々、目の回る様な規模の街並み。 生まれてから、ダズールとディヴァイルベルト以外の人と接した事はなかった為、新しい世界に飛んできたような感覚を覚える。 これだけの人がいるならばダズールもこの街にいるに違いない。 何の当てもなく歩いていると、後から声を掛けられた。 「お嬢さん!そこのごっつい大剣背負ったお嬢さんだよ!」 振り向くと、大柄の男が手を振っていた。 「私?」 顔に指をさすと、ウンウンと頷く男。 「珍しい剣だなって思ってよ!ここら辺じゃ見ない代物だ。イオの鍛冶屋に仕立ててもらったのか?」 近付いてきたかと思うと、大剣をまじまじと見つめる男。 「これは王に頂いたものよ」 笑顔で魔剣を抱きしめるようにするエレノア。 男は不思議そうな顔をしている。 「王?王ってのは……どこぞの王だ……?まぁいいや、もう少し見せ……」 男は魔剣に手を伸ばすのをエレノアは見過ごさなかった。 「触るな!!!!」 周囲の人々は時間が止まったようにエレノアに視線を向けた。 男は驚き、三歩ほど後退る。 エレノアは殺すように男を睨みつけて、歯をギリギリと鳴らす。 「悪かった!ごめんごめん!大切な剣なんだな!悪気はなかったんだ!許してくれよ!」 エレノアは表情を緩める。 「分かったならいいの。二度と触ろうとしない事ね」 その笑顔を見て、周りの人々の時間が動き出した。 男はホッとした様子で緊張を解く。 「よっぽど大事な代物なんだな。傭兵かなんかか?」 「傭兵?違うわ。私は王の復活の為の器なの」 「器?なんか不思議なお嬢さんだな……はっはっは」 楽しそうに笑う男だったが、次の質問でその表情は氷付く。 「私は魂を集めたいのだけど、どこかいい場所を知らない?」 「た、魂!?なんだ……恐ろしいお嬢さんだな……」 「そう、魔物の魂。教えてくれないかしら?」 真剣な表情のエレノアを見て、どうやら脅かしている雰囲気ではないと考える男。 まだ歳は16、7に見える少女が抱えているものが何かは分からないが、あまり関わらない方が良さそうだ。 「ま、魔物の情報なら、酒場に行けば傭兵向けの仕事を紹介して貰えるぞ。魔物関連の仕事も見つかると思うぞ……」 「サカバ?っていうのはどこにあるの?」 「あんた、酒場も知らないのか?えっと、ほら、あそこにビールの看板が見えるか?」 「ビール?」 「おいおい……まじか……」 男は頭を掻きながら、彼女がよほどの田舎から来ているのだと考える。 それならば多少おかしな発言にも納得が出来た。 「わかった。これも何かの縁だ。連れてってやるよ。こう見えて、俺も傭兵の端くれだからな!」 男はエレノアを酒場まで連れていく。 酒場には壁一面に張り紙がしてあり、そこに様々な依頼が書かれていた。 「ほら、こん中から好きな依頼を選べ。文字は読めるか?」 魔物を狩る事だけを教えられていたエレノアは、簡単な数字などは分かるが、それ以上の事はわからない。 「魔物の依頼はどれ?」 男は仕方ないかという顔をしながら、依頼書を見繕う。 「これと、これと……これは無理だな……」 男が視線を外した依頼書に、エレノアは食いつく。 「何が無理なの?」 「そりゃ……あんたがどれだけ強いか分からないが、近くにある魔物の巣を取っ払って欲しいって依頼だ。数は1匹や2匹じゃねぇのさ。傭兵団がチームを組んでやるような……おい!ちょっと待て待て待て!」 笑顔でその依頼書を壁から剥がして手に取るエレノア。 そのまま酒場の奥へ歩いていく。 男は肩を掴んで止めようとするが、エレノアが振り向いた事で背負っている魔剣が目の前に現れ、慌てて手を引いた。 「あぁ……もう仕方ねぇな……」 頭をガリガリと掻いた後、エレノアを追いかける。 酒場の奥のカウンターにいる女性に依頼書を渡す。 「この魔物の魂を頂きたいの。場所を教えて貰えないかしら?」 「魂……?まぁいいわ……えーと、えっ!?この依頼?申し訳ないけど、こういう危険な依頼は単独での受注は出来ない規則になってるの。それに、地理も分からないような人には無理よ。悪いね」 エレノアは振り返り、追いついた男に話しかける。 「地理ならこの人が詳しいわ。私達はチームなの。それならいいでしょう?」 「えっ!?ちょっと待て!お前、俺もいくのか……!?」 カウンター越しの女性は、エレノアの後ろの男を見ると穏やかな表情になる。 「あぁ、なんだヤンギの仲間だったの?見ない顔だと思ったけど、それなら納得。ヤンギ、人は集まってるの?大丈夫なのね?」 ヤンギというのはどうやらこの男の名らしい。 「えっと……俺はそんな……」 どもるヤンギにエレノアが割って入る。 「大丈夫よ。なんの問題もないわ」 「おーい!ちょっと手が足りねぇんだ来てくれ!」 厨房の方から男の声が聞こえてきた。 カウンターの女性は依頼書を手に奥に歩いて行く。 「それじゃあ登録しておくから。ヤンギ、準備は念入りにね」 背中越しに手を振りながら、女性は歩いていった。 「なぁ、お嬢さん本気なのか?こんなヤマなかなか……」 心配そうなヤンギに、笑顔で返すエレノア。 「あなたは来なくても大丈夫よ。私一人で行くから。助かったわ。場所だけ教えてくれる?」 「待てって……お嬢さんがどれだけ強いかは知らんが、一人じゃ絶対無理だ。どうしても行くってんなら、俺と、俺の仲間も同行させろ。このまま死なれたら寝覚めが悪ぃ……。出発はいつにする?」 「私は今から行くつもりよ」 「待て!待てって!何がなんでも夜はだめだ!視界が悪いし、良い事が一つもねぇ……」 「闇の力が沸いてくるのに……」 「駄目だ駄目だ!2日後の朝にしよう!俺の仲間もしっかり集めさせて貰う!それまで絶対場所は教えない!」 エレノアは残念そうな顔をするが、仕方ないとため息を吐く。 「それでいいわ……」 ――2日後 エレノアのいる宿に入り、階段を登る。 これから始まる大仕事。 緊張しながらドアをノックした。 「エレノア。起きてるか?そろそろ行くぞ」 ドアが開いたと思えば、笑顔で魔剣を抱えるエレノアが目に飛び込む。 無一文だったこのお嬢さんの宿代も出してやった。 ここまでしてやる恩義もないのだが、何か放っておけない自分が嫌になる。 イエルの街からカルム方面に口を開ける東門には、既に何人かの傭兵が集まっていた。 皆武器を持ち、鎧を着こみ、まさしく傭兵と言う集団。 「皆、遅くなった。このお嬢さんが話をしたエレノアだ。よろしくしてやってくれ」 エレノアに視線が集まる。 「本当にただのお嬢ちゃんに見えるが……大丈夫なのか?」 「おいヤンギ!お前の頼みっつーから来てやったが、俺はこんな女の為に働くのか!?」 ヤンギは笑顔でその声に答える。 「まぁまぁ……みんな言いたい事はあるだろうけど、ここは一つ俺の顔を立ててくれよ……なっ!エレノアの取り分は当面の生活費だけでいいらしい。あとの報酬は俺達の山分けだ。当分は遊んで暮らせるな!はっはっは!」 その話を聞いて顔を明るくする者はその場にいない。 皆、報酬の額と依頼内容の難しさは比例する事を知っている。 魔物の巣の大掃除。 全員が生きて帰れる保証なんてない。 「みなさん、よろしくお願いします」 素直に頭を下げるエレノア。 命を賭けて手伝ってくれる仲間には丁寧に接してくれと言った事を守っているようだった。 抜けている所はあるが、しっかりと話せば良い奴なのかもしれない。 「ちっ……くれぐれも俺達の邪魔にならねぇようにな」 傭兵の男達は立ち上がる。 「それじゃあ、出発といこうか。場所はカルムに向かう道中の北、山岳地帯だ」 昼過ぎ。 一行は山の麓(ふもと)で作戦を立てていた。 目的地である『魔物の巣』とされる洞窟の中が、どの程度の広さなのかは分からない。 基本陣形、緊急事態の対処方などの確認が行われている。 そんな中、エレノアは魔物の気配を感じ取りウズウズしていた。 王の為、出来るだけ多く魂を集める。 そして、一日でも早く王の完全なる復活を……。 「よし、それじゃあ行くか!!みんな頼んだぞ!!」 ヤンギは剣を掲げて士気をあげる。 道中では文句ばかりだった男も、この瞬間には戦士の表情になっていた。 そして、一行は洞窟の中へと足を踏み入れる。 「くっそぉお!!どんだけいやがるんだ!!」 洞窟の中は魔物の巣と言われるだけあり、おびただしい数の魔物が巣食っている。 少しずつ進んではいるものの、足場は悪く、タイマツの灯りで得ている視界も広くはない。 闇の中から次々と出てくる魔物に苦戦していた。 「おい!なんだあれ!?」 傭兵の一人が声を上げた。 男が指す方向を見ると、暗闇の中に赤い光が浮かぶ。 巨大な四足獣の瞳だと認識出来た時、タイマツを持っていた術士が吹き飛ばされる。 「うわぁああああ!!!」 「おい!大丈夫か!?どうした!?」 一瞬で全てが闇に包まれる。 「ぐぁあああああ!!!」 術士の叫び声が洞窟の中に響き渡る。 この闇の中では、何が起こっているのか分からない。 ヤンギは声を上げる。 「退却だ!一旦引くぞ!!退却だ!!」 「わかった!俺が道を作る!」 弓を持った男が魔力で灯した火矢を次々と壁に放ち視界を確保した。 一行は急いで洞窟の出口に向かう。 何人かは付いて来ていないかもしれない。 それでも、これ以上戦い続ける事は死を意味していた。 ヤンギの目に光が入る。 洞窟の出口だ。 「みんなもう少しだ!!」 洞窟の外に走り抜ける。 ゼェゼェと息を切らしながら、周りを確かめる。 「みんないるか!?」 傷ついた術士を抱えたヤンギは、周りを確認する。 1、2、3、4、5………。 「おい、あの女がいねぇぞ!」 一人の傭兵が叫ぶ。 ヤンギも辺りを確認するが、エレノアの姿がない。 「くそっ!」 「だから言ったんだ!あんな腕も分からねぇ女は足手まといだって俺は忠告した筈だぜ!?」 ヤンギは術士に薬草をかじらせながら考える。 (ここで見捨た方が……くそっ!そんなの寝覚めが悪ぃなんてもんじゃねぇぞ!) ヤンギは立ち上がる。 「新しいタイマツをくれ!俺は一人でも行く!無理強いはしねぇ!来る奴だけ付いてきてくれ!」 一同は息を飲む。 皆、少なからずヤンギに恩がある者ばかりだった。 仲間想いで、人柄のいいヤンギだからこそ、2日という短い期間でこれだけの戦力が集まっている。 そのヤンギが命を賭けて戦おうとしているのを前に、逃げ出そうとは思えない。 それこそ、戦士の恥だろう。 「ヤンギ、俺は行くぞ」 口に押し込められた薬草で意識を取り戻していた術士は、なんとか治癒魔法を自身に使用して起き上がってくる。 「俺もいく」 「ここに来て臆病風に吹かれるやつは傭兵じゃねぇよ」 次々に立ち上がる男達。 ヤンギはそれを見て、ニヤっと笑った。 「お前らホント最高だな」 新しいタイマツを持ち、洞窟の中に入っていく一同。 エレノアはまだ生きているだろうか。 もし息があったとして、助け出せる可能性は五分と五分という所だろう。 それでも、放っておく事はできない。 一同は慎重に進んでいくが、何か、様子がおかしい。 「なぁ、ヤンギ……俺達こんなに魔物倒したか……?」 足元に続く魔物の亡骸。 確かに先ほど戦った魔物達だったが、その数が多い。 そして不可解な事に、これだけの魔物が倒れているのに、血の匂いがしないのだ。 「どうなってやがる……」 驚くほど静まり返った洞窟の中を、少しずつ進んでいく。 洞窟の天井から水滴が落ちる音だけが響き渡る。 「おい……こいつは……」 目の前に現れたのは大きな四足獣の亡骸。 先ほどヤンギが退却の指示を出した場所だ。 無数の斬撃を受けたのだろうか、大きな斬り傷が至る所についていた。 しかし、そのどこからも血は出ていない。 「エレノアは……どこだ……?」 魔物の死体は更に奥の方まで続いている。 皆一様に息を呑み、最大限の注意を払いながら歩みを進めた。 「おい、この声……」 耳をすませると、遠くから女の笑い声が聞こえる。 「エレノア……なのか……??」 一行は歩幅を大きくしながら奥を目指す。 足元にはまだ魔物の死体が続いている。 これだけの魔物を、エレノアがたった一人で殺したとでもいうのだろうか。 誰しもがそう思っていたが、声には出せない。 そんな事が出来る人間ならば、王国直属の騎士にでもなれるだろう。 エレノアがそこまでの力を持っているなんて到底思えない。 しかし、状況を考えてみれば……それ以外に考えられ…… 「アハハハハハ!!!楽しいでしょう!?」 声はすぐ近く。 その角を曲がった所から聞こえる。 「みんな……行くぞ……!」 ヤンギの声に一同は頷く。 身体を前に出してタイマツを掲げる。 傭兵達は後に続き、各々の武器を構えた。 「エレ……ノア……!?」 目の前の光景を疑った。 空中を踊るように舞う大剣。 その下で楽しそうに剣を操るエレノア。 大剣は無数の魔物を的確に捉え、もの凄い勢いで殲滅していく。 それは、戦いではなく、虐殺と言った方が近いだろう。 「うわっ……うわぁ!!」 傭兵の一人が腰を抜かして尻もちをつく。 積み重なった魔物の死体から血を吸い出す魔剣を見れば、無理もないだろう。 倒れた魔物の傷口から出続ける血液は空中へ溢れ、魔剣へと引き寄せられていた。 ヴァンパイアの魔剣。 血を求め、奪った魂を使用者に宿す。 イエルで傭兵をやっていれば、酒場で一度くらいはこの噂を聞いたことがあるだろう。 誰もがただのお伽話……作り話だと思っていた。 この瞬間までは。 「ヴァ……ヴァンパイア……!!化物……」 その声に気がついたエレノアはゆっくりと振り返る。 「あら、あなた達、逃げたんじゃなかったの?」 その声を聞いて、その場にいた全員が身震いをする。 「なぁ……ヤンギ……あのお嬢さん……どうしちまったんだ?」 返り血を舐めながら、笑顔で近付いてくるエレノア。 「どうしたの?そんなに怖い顔して……」 ヤンギは厳しい視線を送り続けていた。 「お前は……ヴァンパイアなのか!?」 エレノアの表情が曇る。 「その物言いは何?あなた達、まさか王を敵視しているの?」 やはり……。 ヴァンパイアといえば人間を襲う存在。 ここ最近は聞かないが、数十年前には人間に被害を出し続けたという。 なんでも聖騎士がその命を犠牲に封印したとか……。 「お前……その剣は王に頂いたと言っていたな……?魂を集めるとはどういう事だ!?目的を話して貰おうか!!」 緊張が走る中、エレノアは楽しそうに話す。 「私は王の完全な復活に貢献したいだけよ?」 王の完全な復活……。 人々に甚大な被害を出したとされるヴァンパイア王を、この女が復活させようとしている。 「なるほどな……それでヤンギを騙したって訳か」 「騙した?人聞きが悪いわね……。私はただ……」 ヤンギは口を挟む。 「もういい。俺の責任だ。俺が止める!!」 タイマツを置き、剣を握る。 相手は女だと油断していられない。 一瞬でケリをつける……。 「お嬢さんに恨みはねぇが……見過ごす訳にはいかねぇな!!!」 言葉と同時に全力で踏み込んだ。 エレノアは笑顔に戻る。 「そう……それじゃあ…………」 「 全員……私が殺してあげる 」 数分後―― 洞窟の中には、エレノアの笑い声だけが響いていた。
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異世界に連れてこられた人間(参加者)たち 参加者は異世界については何も知らない 異世界には恐ろしい怪物、モンスターなどが住み着いていて 参加者を攻撃してくる、彼らは持っている武器でモンスターに立ち向かい 参加者は様々な方法で生きていき 現実世界に帰ろうとする という設定です 参加者は絶対に 『参加者へ』と異世界の大まかな事が書かれた紙と『参加者・敵リスト』を持っています その他、パン×7個・拳銃2丁(弾、一丁に付き3発)・地図・方位磁石・ライト・不思議な紙が入ったカバンが支給されます 『参加者』さまへと書かれた紙には 現実世界へ戻る方法は参加者同士で戦い最後に生き残った者が出られると書いています ストーリーは流れに乗って行く感じです ストーリの成功条件は ストーリのラスボスを倒す (ラスボスを倒した場合、現時点で生きている参加者全員が現実世界へ帰れます) 参加者全員で戦い、最後まで生き残る 失敗条件は 参加者全員が何らかのことで死ぬ事です
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+太陽の姫君リリア=ラキラ 会場中が静かに息を呑んで見守る。 見世物屋が主催した自由参加型の闘技イベントの最中、いよいよ決勝戦となった時に突如として舞台へと舞い降りた人影。 アクシデントともいえる出来事に、どう反応すれば良いのかわからない。 「え、え~っと……」 舞台を囲む観客同様、審判を務める司会進行役さえも動けずにいる。 乱入者など、こういったイベントでは最高に盛り上がる要素の一つだ。 しかし、その人物というのがあまりにも場違いで、不似合いで、歪な…… 「おい!ふざけんじゃねぇぞガキ!」 「何しに来たぁ?まさか俺達の邪魔をしようって訳じゃねぇだろうなぁ?」 戸惑う場を制するように声を張り上げたのは、この場における主人公達であったはずの二人。 雌雄を分かつ激戦を勝ち抜いた者だけが立つことの許される舞台に土足で上がり込んだ上、あろうことか場内の視線と期待を一身に集める不届き者がいるのだ。 当然、おもしろくない。 「誰がガキですって!?このワタシが誰か分かっててそんな口利いているのかしら!?」 不届き者は全く尻込みせず、それどころか逆に声高々と宣告をする。 「ワタシはリリア=ラキラよ!その目で直接拝められることがどれだけ有り難いかおわかりね!?わかったら、さっさと崇め奉りなさい!」 「ラキラ……!?」 その言葉に反応を示し、周囲がざわつく。 皆の脳裏に浮かぶある人物の顔。 この街、花園の都ラキラの最高機関であるところの聖花教会。 その最高権威者の大司教を務める『グラティオ=ラキラ』その人である。 帝国軍の支配下にありながらも、国民から絶大な支持を得続ける教会。 無理に手を出せば、反乱どころか、ラキラの街そのものを失う事態にもなりかねない程の影響力を持つため、帝国軍とて迂闊に動けずいるのが現状だ。 元々、色とりどりの花が咲き乱れる美しい光景が特徴の街。 その景観が今なお守られているのも教会あってのことと言えるだろう。 つまり、この街における『ラキラ』の名はそれほどの意味を持っていた。 「待て!こんな娘がラキラ家にいるなんて聞いた事ねぇぞ!」 「何よっ!このワタシの言うことが信じられないって言うの!?なんて不遜な奴らなのかしら……っていうか、またガキって言ったわね!?」 信じろと言う方が無理だ。 綺麗なドレスに如何にもな装飾。 見てくれこそ貴族や聖家令嬢のそれだが、言葉遣い、そして今の行動そのものがあまりにも伴っていない。 「許さないわよ……ワタシが許さないと決めたんだから!」 「本気かよ!?ケガじゃすまねぇかもしれないぜ……?」 「我が身の心配をしなさいっ!太陽の力を浴びて、浄化されるどころか、焼き尽くされちゃったって知らないんだから!!」 天高く跳び上がるリリア。 剣を振り上げたその姿に後光が刺す。 決して背にする太陽から受けるものではない。 リリアの身体からその怒りを具現化したように迸(ほとばし)っている。 「何だこりゃ……!?」 「逃げろぉおおおお!」 「逃がすわけないでしょスカタン!大人しくオシオキを受けなさぁあああい!!」 ――ドゴォオオオン! 天から降り注ぐ陽光の一線と見紛う瞬き。 振り下ろされた剣は舞台を撃ち、見事一撃のもとに割断した。 「フフ~ン!どれだけ畏れ多い事をしたか理解できたかしら?早くこの姫の前に跪きなさい!!」 舞台の瓦礫に埋もれながら目を回している参加者と司会者。 唖然とした表情で開いた口が塞がらない観客達。 静まり返る会場の真ん中で鼻高々にふんぞりかえるリリア。 「あれ?ちょっと!歓声はどうしたのよ!?」 「姫様~!探しましたぞ!!」 「何をなさっているのですか!?急ぎお戻りください!!」 そんなリリアに駆け寄ってくる数人の男達。 ラキラ家に仕える近衛騎士、要はリリアの親衛隊である。 「良いとこに来たわ、アナタ達!この者達の代わりにワタシを褒め称えなさい!」 「それよりもお早く!お父上がお探しですぞ!!」 「はぁ?え!?ちょ、何するのよ……お、おぉ?良いわねこれ!って、どこ行くのよ!?ワタシの命令を聞きなさい!こらぁ!!」 親衛隊は、玉座をあしらった神輿にリリアを座らせると、その場を逃げるように走り去っていった。 この時の観客の一人は、後の調査にて、まさに嵐が通り過ぎたようだったと語っている。 「アナタたち……許さないから……後で覚えてなさいよ!!」 「ど、どうかご容赦を……!」 無理矢理連れてこられたのは、聖花教会の隣に門を構えるラキラ家の屋敷。 その当主であるグラティオ大司教の部屋だった。 「苦労をかけたな……下がって良いぞ」 「はっ!」 親衛隊を下がらせたグラティオは、大きなため息をつく。 「はぁ……式典の準備の隙を狙い屋敷を抜け出すとは……何をしているのだ」 「ワタシは自由が欲しいの!ず~っと屋敷に閉じ込められて……そのうえ退屈な式に出るなんて面倒くさいもの!!」 「花授式はこの街にとって、ラキラ家にとってもとても大切な式典だ。説明しただろう?」 『花授式』 ここラキラで毎年行われる由緒ある式典。 その年に満十二歳を迎える子供達は、皆この式典に出席し、それぞれ花を冠した名前を授けられる。 遥か昔、ラキラという名の太陽の力を持つ魔女がこの地を蘇らせた時から始まったと言われる伝統だ。 その花は、この街で生まれ、成人を迎えた証であり、生涯を通し自身の名とする。 そして、名となった花を一輪、身に着けて生きていくという掟。 拒めば、神聖なる教えに背いたとされ罰せられるという厳しいものではあるが、街の人間は誰しもが神に賜る大切なものとして感謝している。 故に、この街を訪れる旅人は、風に乗り旅をする花、タンポポの綿毛をモチーフとしたゲストアクセサリが一時的に貸与される。 「そんなこと知らないもんっ!どうせわたしは花の名前もらえないんだし!!」 「ラキラ家は代々街を束ねる一族として、人々に花を授けるお役目を担っている。己達に花を授けることは禁止されていることも説明したはずだ」 「だったらワタシが式典に出る必要なんてないじゃない!ボケーっと座ってるだけなんて何の意味があるっていうの?」 「今年で十二を迎えるお前もまたこの街の成人。一族の跡取りとして、街の皆に紹介する必要があるのだ」 「む~……」 「お嬢様……ここはどうか。主様もお困りになられていることですし……」 「ワタシに指図するなんていい度胸ね、クランク!」 グラティオの後ろに控えていた下男が口を開いた。 リリアの護衛兼教育係として、父グラティオが外の街から雇い入れたクランクという男。 「そういうわけでは……」 「とにかく式には出てもらう。家の事を思えば、お前もわからぬわけではあるまい?」 「う~……じゃあ、その代わり!チョコレートパフェを用意しなさい!さっき街の出店で見かけたんだけど、こ~んなに大きいの!!あれが食べたいわ!!」 「はぁ……わかった。用意させよう」 嫌々ながらも家の事情を持ち出されては仕方ない。 誇りある一族の名に傷をつけたいとは思わない。 それどころか、早く一人前のラキラ家の人間になって父のように日の当たる舞台に立ちたいとは思っているのだ。 ついでにパフェの約束まで取り付けたリリアは、喜々として部屋を後にし、そのまま式典用のドレスに着替える為に自室へ戻った。 「苦労をかけるな。クランク」 「いえ……とんでもございません」 ラキラ家の人間、大司教の娘という立場もあり、リリアは自由に外を出歩くことを許されておらず、その束縛に嫌気がさしていることは十分に父にも伝わっていた。 「あのお転婆っぷりはどうにかならないものだろうか。何か策を打たねば……」 ――数日後。 無事に式典も終え、屋敷の中で暇をつぶす日々。 そろそろ普通の遊びでは我慢できそうにない。 「ふっふ~ん♪ふっふふ~ん♪」 そう思いたったリリアが、ご機嫌に鼻歌を歌いながら作っているもの。 それは部屋中のカーテンをかき集めて編んだロープ。 「で~きた!さてさて……」 窓を全開にし、お手製のロープをベッドの足に結び付け、そのまま窓の外へと放り投げる。 誰がどう見ても脱走の準備だ。 ――コンコンッ 「おぉ!?来た来た……♪」 恐らくクランクだろう。 部屋の扉をノックする音。 「んしょ……んっしょ……」 リリアは天井の板を外し、天井裏へと身を隠す。 部屋に自分の姿は無く、この現場の有様。 見れば間違いなく脱走したものと思い、慌てて父に知らせるだろう。 だが、自分はそんな悪いことはしていない。 勘違いで騒ぎを起こしたクランクが大目玉を食らうといった算段だ。 ――コンコンッ! 「どうぞ~♪」 天井から頭だけを出してノックに応え、すぐに引っ込めて天板を閉める。 「失礼します……」 部屋に入ってきた。 ここまでは計画通り。 (あれ!?聞いたことの無い声……) 「ん……お嬢様?どこにいらっしゃるのです?」 もぬけの殻となった部屋を見回し、リリアを探す人物。 (誰?クランクじゃない……知らない女の人……) 見知らぬ人物を警戒しつつ、天井裏から様子を伺う。 「……そこかぁ!!」 部屋に転がっていたカゴを拾うと、そのままこちらへ投げつけてきた。 ぶつかったカゴによって天板は外れ、足場を失ったリリアの身体が宙に投げ出される。 ――ドスンッ! 「い……イタタタ。わ、ワタシの偽装はカンペキだったのに…どうしてっ?なんでわかったの!?アンタ……一体何者なのよっ!?」 鋭い眼光に、赤いメッシュの入った綺麗な長髪。 まだ昼だというのに、手にする槍のような棒にはランプを吊るしている。 クランク以外に余所の街の人間は知らないが、これは普通なのだろうか。 黙っていても伝わってくる豪胆さ。 そして何より、その強さを示す威圧感。 直感がこの女は危険だと告げている。 「はじめまして、お嬢様。ヴィーネルと申します。今日から、お嬢様の護衛兼教育係を承っております。どうぞよろしくお願いいたします」 うやうやしく頭を下げ、ヴィーネルと名乗る女。 「はぁあ!?ちょっと待ちなさいよ!新しいってどういう意味!?ワタシ聞いてないわよ!?クランクは!?」 「クランク?あぁ、前任の指南役の。さて、私は詳しく伺っておりません」 「ななな……き、来なさい!お父様のところへ行くわよ!!」 ヴィーネルからの返答を聞く間もなく部屋を出るリリア。 がに股歩きでズンズンと音を鳴らすように父の部屋へと向かう。 部屋に近づくにつれ、何やら騒がしい声が聞こえてきた。 「お父様!?リリアよ!一体、どういうことか――」 「どういうことか説明して頂きたい!!」 「ふぇ?」 無遠慮に部屋に上がり込むと、机越しに父に詰め寄るクランクの姿。 廊下まで聞こえていた騒ぎは彼によるものだったのか。 「私は聞いておりませぬ!素性もよく分からぬ余所者をお嬢様に近づけるなど!」 どうやらクランクも新しい指南役については何も聞かされていなかったらしい。 ここは流れに乗っておこう。 「そうよ!何の相談も無くこんな事決めるなんて!クランクにだってひどいんじゃない!?」 「お、お嬢様……そんなにも私の事を……!!」 それは違う。 決してクランクに同情したのではなく、彼は何かと顎で使いやすいため、リリア的には新しい指南役など御免なだけだ。 「落ち着けお前たち。急な事で混乱するのはわかる。それについては私の独断で行ったことだ。すまない」 「し、しかし……」 「だが、決断は変わらない。そこにいるヴィーネルをリリアの新たな指南役とし、護衛と教育を担当してもらう!」 「こ、この女が一体何だというのです!?長年ラキラ家に仕えてきた私がどれほど……!」 「クランク。お前には本当に感謝している。リリアの担当からは外れてもらうが、これからも我が一族のため、その力を振るって欲しい!」 「それは……勿論でございますが……」 「ちょっとクランク!?押されてるわよ!食い下がりなさい!!」 「コホン。話は済んだようですね。クランク殿には挨拶が遅れておりました。この度、貴殿の後任を務めさせて頂くヴィーネルです。どうぞお見知りおきを」 「貴様……!」 「それにしてもグラティオ殿。貴方様がおっしゃった『教育の為ならば多少の無茶は問題ない』との言葉の意味、得心がいきました。確かにこれは少々骨が折れそうだ……」 話しに割って入ったヴィーネルが、何故かリリアを見下ろすようにしながら笑みを浮かべている。 「……お、お父様?何かこの女、すごく偉そうなんだけど?」 「私がこの目で見て、その腕を見込み、直接頼んだ。お前の困った性格をこの際、叩き直してもらおうと思う。ヴィーネルもそのようにな」 「心得ております」 「……マジ?ちょっと何とかしなさいよクランク!!」 「私は――」 「お前たちが何を言おうとも私の心は変わらぬ!」 「そ、そんな……」 こうして現れた新たな指南役。 クランクは最後まで抵抗していたようだが、やはり父の言葉には逆らえなかったようだ。 相変わらず使えない男である。 「お嬢様。起きてください」 「……えぇ~もう朝……なの?もう……少しだけ……むにゃむにゃ……」 「起きろと言ったのが聞こえなかったか……?」 「!?」 突如として身を襲う殺気で眠気が吹き飛ぶ。 跳び上がったリリアに満足げな笑みを見せ、朝の挨拶を交わす。 「おはようございます。お嬢様」 「お……おはよう……」 朝食を済ませ一息ついていると、彼女に剣の鍛錬を勧められた。 「……そうね!ヴィーネル、早速手解きをお願いできるかしら?」 こんな女、逆に打ち負かして追い返してやる。 どす黒い感情を胸に抱きつつ、スキップしながら庭へと向かう。 「随分とご機嫌ですね。お嬢様」 「んん?まぁ、クランクはこの手の事はあんまり得意じゃなかったから少し楽しみではあるわね♪」 「お父上から伺っております。お嬢様が御幼少の折にひどい目にあわされたクランク殿は、それ以来、剣の鍛錬を付けることを避けていたとか」 「ワタシ悪くないわよ!?クランクが悪いの!!」 幼少の頃の記憶が蘇る。 物心付いてすぐに始められた英才教育。 大司教の父と、家の名に泥を塗るわけにはいかないという思いで必死に励んだ。 五歳を迎えた頃に父が連れてきた指南役の男。 それがクランクだった。 彼からは剣も教わることとなったが、それは子供相手にもまるで容赦ない極めて厳しいものだった。 そして、毎日のように続けられ、ついに耐えきれず怒りが爆発。 怒りをきっかけに『太陽の力』が発現した自分は、クランクをボコボコにし、その目元に消えない傷をつけてしまった。 「太陽の力……はしたないとは承知の上で申し上げると、興味があります……」 「まさか、鍛錬なのに本気で戦えって言いたいの……?」 「ええ。遠慮なく打ち込んできてください!」 「クランクみたいなおっきな傷がついちゃっても知らないわよ?」 「問題ありません」 「本当にいいのね?責任持てないわよ?」 「はい。どうぞ」 「……そこまで言うなら」 (何考えてんのよ、この女!もう知らないからね……どうなってもワタシは知らないから!) 庭へと降り、静かに精神を研ぎ澄ますリリア。 カッと目を見開いた途端、体から溢れる眩い光。 リリア自身が太陽になったかのような、それ程までの存在感。 「いくわよっ!!」 「来いっ!!」 槍を構えたヴィーネルの口調が変わった。 その口元は小さく笑みを浮かべている。 「ワタシを舐めたことをあの世で後悔することね!出会ってすぐにバイバイなんて寂しいけれど、これも貴女から言い出した事だから仕方ないの!自分の発言には責任を持たないといけない………… ―――――― ―――― ―― 「私の予想よりもずっと凄まじいものでした……お見事です」 「そ、そうでしょう!これこそラキラ家の姫の力よ!思い知ったかしら!?」 全力で戦うこと数時間。 終ぞヴィーネルに一撃すら当てることはできなかった。 それでも面目を保とうと虚勢を張るが、足のかくつきが収まらない。 リリアの用いる『太陽の力』は、このラキラの街の生まれに由来する。 力を使い、ただの荒野だったこの地を恵まれた今の姿に変えた魔女。 その家系はラキラの名を脈々と受け継ぎ、今のラキラ家の繁栄を築く。 リリアは歴代の血族の中でも特に色濃くその血を継いでおり、初代ラキラが用いた太陽の力を行使することができた。 これには父も、またそれを知る他の家の者も大いに喜んだ。 自分が褒められることは嬉しかったが、この力が原因で今の束縛された暮らしがあるのもまた事実。 祝福でもあり、同時に呪いでもある。 リリアにとって太陽の力とはそういうもの。 が、今問題なのは、その力を使っても手も足も出ない女が目の前にいることだ。 「なるほど…。そうしてもてはやされ続けた結果が、今のこの性格か……」 「ん?何か言った?」 「いえ。ブローチが随分とお似合いだと思いまして」 リリアの腰に光るブローチを指し、微笑む彼女。 「あぁ、お父様が花の名前の代わりに贈ってくれたものよ。太陽を意味する花らしいわ。ヒメヒマワリっていう珍しい花らしいのだけど、本物は見たことないの……」 「この街の人間は皆、花の名前を持つのでしたね。出身はわかりませんが、花の名を持つ人間には何度か会ったことがあります」 「ラキラ家以外の人間はね…ワタシも素敵なお花の名前が欲しかったわ……」 「リリア様も素敵なお名前かと。そうだ……街の花屋に行ってみましょう。ヒメヒマワリを見る事もできるかもしれませんよ?」 「ダメよ……お父様に外出するの禁止されてるから……」 「ご安心を。お父上から、世間を学ばせるため、私が同伴するなら外出を許すとのお言葉を頂いております」 「うそ!?ホントに!?」 「ええ。完全な自由とまではいきませんが、少しはお嬢様の気も晴れる――」 「何やってるのよ、ヴィーネル!早く行くわよ!!」 話しを終える前に、既に屋敷の門で足踏みしながらヴィーネルを待つリリア。 それを見たヴィーネルは、大きくため息をつきながら眉をピクピクさせていた。 街を出歩くということはリリアにとってまたとない喜びだった。 当初の目的であった花屋に辿り着くまでの間、露店を横切ろうとする度に一軒一軒その前で立ち止まり、座り込んでは目を輝かせる。 「残念でしたね。ヒメヒマワリの花はこの地方では滅多に見られないそうで、店に並ぶことはまずないそうです……」 「それもそのはずよね!」 「失礼ながら、落ち込むものとばかり……」 「ワタシを象徴する花なのよ!?その辺の雑草に混じって咲いてる花と一緒なはずないじゃない!下々の者が手に入れることだって許されるはずがないわ!」 「……お嬢様。私はお父上からお嬢様の教育も承っております。なので、今後はそういった発言は控えていただくようお願いしたいのですが?」 「そういうって、どういう??」 「そこからか……」 「ところで……ヴィーネル?」 「はい?何でしょう?」 「なぜアイツらまで付いてきてるのかしら?てっきりヴィーネルと二人だと思っていたのだけど?」 「あぁ……あれは……」 チラッと二人の後方、数十メートルの辺りへと目をやるヴィーネル。 雑踏の中や店の影、植込み裏など、様々なところに見覚えのある顔。 リリアの親衛隊の面々だ。 「私は聞いておりません。恐らく、彼らが独断で行動しているものかと」 「なーんだ。お父様の差し金じゃないのね。それにしてもバレバレなのよ!せめて変装するとか工夫しなさいっての!あとでオシオキね!」 「これも偏にお嬢様の身を案じての事かと」 「ワタシだって花授式を終えて成人になったんだから、いつまでも子ども扱いしないで欲しいものだわ!」 「では、まず私に認めさせてみては?そうすれば、私からお父上にリリア様の独り立ちをご相談してみましょう」 「そうなると……ワタシ一人でも外を出歩けるかも?」 「ですね」 「それよ!わかったわ、ヴィーネル!明日にもワタシが立派な一人前であると認めさせてあげるわ!!」 「はい。期待しております」 ――翌日 「てやぁあああ!」 「甘いです」 「まだまだぁあああ!!」 「はい。まだまだ」 「このぉおおおおお!!」 「次は頑張ってください」 剣の鍛錬でヴィーネルを打ち負かす。 そうすれば、少なくとも護衛がなくとも問題ないという点では一人前。 昨晩、自分がヴィーネルに勝つ姿を想像するだけでニヤニヤが止まらず、なかなか眠れなかったものだが、今晩は悪夢にうなされ眠れなくなりそうだ。 全力での打ち込みは流され、連撃は躱され、不意打ちは弾かれ、最後の策の罠も見破られた。 ヴィーネルの実力は初めて会った時に理解したつもりだったが、底を見せていないのか、余裕しゃくしゃくといった様子。 「む~!!ちょっとヴィーネル!大人気ないわよ!せめて気付かれないようギリギリの戦いを演じるくらいのことしてもいいんじゃない!?」 「それではためになりませんので。私は一人前の騎士としても立派になっていただきたいと」 「ぐ……ぬぬぬぬぬ……」 「そういえば、今朝も私が起こしに行くまで、ずっとお休みでしたね?」 「そ、それが何よ?昨日はちょっと寝つきが悪くて……」 「剣の道もそうですが、お父上や私の言う一人前とは、人としてしっかり自立することを指します。正直、朝も一人で起きられないようでは……ふっ……」 「えぇえええ!?ちょっとぉ!今鼻で笑ったでしょ!?」 「申し訳ありません。こういった言葉遣いや振舞いは慣れていないもので、つい……」 「ぐぬぬ……見てなさいよ!!明日こそは思い知らせてやるんだから!!」 ――さらに翌日 「ん……朝か……」 朝日の気配で目を覚ましたヴィーネル。 身なりを整え、支度を済まると、今日もリリアを起こすために彼女の部屋へと向かう。 自室の扉を開き、廊下に出ようとすると…… 「おはよう、ヴィーネル!いえ、おそようかしら?」 「……何を?」 途中、眠たくて死にそうな気持を堪え、一晩中ヴィーネルの部屋の前で仁王立ちし続けたリリア。 「ワタシがあなたの命を狙う刺客だったなら、寝込みを何度襲うことができたのかしらね?途中までは数えていたのだけれど、あまりに多すぎるから気を失いかけて忘れてしまったわ!」 「ほう……では試してみるとするか。刺客様の力とやらを……」 「え……?ちょっと、ヴィーネル?寝ぼけてるの??」 放つ殺気は本物。 槍を握る彼女の手にどんどん力が込められていくのがわかる。 「さっさと顔を洗ってきやがれ!!今日はとことんしごいてやるから、そのつもりでなぁあああ!!」 「ひ~~ん!ゴメンなさい!ゴメンなさい!!」 ヴィーネルが屋敷で働くようになって一カ月の月日が経った。 相変わらず厳しい教育が続けられており、未だ一人前だとは認めてもらえないリリア。 それでも少しずつ進歩はしていた。 「う!?」 「あ!当たった!!」 「これは流石に驚いた……いえ、お見事です。お嬢様」 「やった!やったぁ!!あぁ……でも、まだちょっと剣先がかすっただけなのよね……」 「いいえ。正直に申しますと、ここまで成長するのもまだ先の事だと思っていました。特に最近は格段に腕を上げられています」 「フフーン!これでも剣に関しては皆から“天才”と呼ばれていたのよ?」 「確かに。一端の兵士と比べても遜色ありません。あくまでこの場において、ですが」 「ん?どういう意味なの??」 「今はまだ気になさらなくても良いと思いますよ」 「ふ~ん……」 実は、近頃のリリアの急成長には理由があった。 ヴィーネルの目を盗んでは剣の鍛錬に励んでいたのである。 親衛隊に周囲を見張らせ、誰にも知られないように気を払いながら行われる秘密の特訓。 「はぁ!えいっ!やっ!!」 こんな努力をした経験はなかった。 自由という目的もあるが、日々自分が成長している実感を得られることは非常に楽しい。 事実、今日はヴィーネル相手に一本とは言わないまでも、一矢報いることができた。 「えーーーいっ!ふっふっふ……もう少し、もう少しであのヴィーネルを一泡吹かせることができるわ……!」 「ひ、姫様!」 「何よ!?今いいところだから邪魔しないでよねっ!」 見張り番を言いつけておいた親衛隊の一人が血相を変えてリリアの元へ駆け寄ってくる。 「く、曲者です!お逃げくださいっ!!」 「なんですって!?」 「ちょっと邪魔するぜ……」 周囲の草むらから姿を現した如何にもといった風貌な男達。 「な、何よ……コイツら……!」 「ここは私が時間を稼ぎます!急ぎ、ヴィーネル殿に!!」 「ほ、他の親衛隊はどうしたのよ!?」 「皆やられました!不意を突かれてしまい…申し訳ありません!」 「ちょっとぉ!?あんなどこの誰かもわからない連中にやられるなんて、ワタシの親衛隊として恥ずかしくないのかしら!?」 「め、面目次第もありません……!」 「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇぞ!」 「姫様に触れることは私が許さ――ぐっはぁ!」 「ふざけんじゃないわよ!一発で負けてんじゃないの!!」 「お嬢ちゃんも静かにしような!」 「わ!?ちょ、ちょっと!誰がワタシに触れていいって言ったのよ!?離しなさ――むぐぅ!?」 隙を突かれ、背後から羽交い絞めにされたリリア。 そのまま麻袋を被せられ、視界と自由を奪われる。 「よし、とっとと退くぞ!」 騒ぎを聞きつけられる前に早々とその場を退散する一団。 ものの数分での出来事だった。 捕縛されたリリアはすぐに暴れることの無意味さに気付き、しばらくどこかへと大人しく運ばれた。 これから自分はいったいどうなるのだろう。 悪い想像ばかりが脳裏をよぎり、涙ぐんでしまう。 ――ドサッ! 乱暴に地べたへと落とされた。 そう時間は経っていないことを考えると、せいぜい街外れかその近郊といったところか。 「ぷはぁ……!アンタ達!こんなことして、お父様に知られたらどうなるかわかってるんでしょうね!?」 麻袋から出された途端に噛み付くような勢いで威嚇する。 「相変わらず威勢の良い娘だ……」 窓も無い、無機質な石に囲まれた部屋。 十畳程の広さのその真ん中に座らされる自分。 その目の前で椅子に座りながらこちらを眺める覆面を被った男。 明らかに他の者達と風体が異なる。 「アナタが頭目ね!こんなバカな真似はやめて今すぐワタシを開放しなさい!そうすれば特別に死罪だけは容赦してあげるわよっ!」 (それにしてもこの男の声、どこかで聞いたような……) 「安心しろ。すぐに解放してやる。ただ、少しだけ協力してもらえるとありがたい」 「何をさせるつもり……?」 「おい……」 「へいっ!」 顎で配下に何かを指示した頭目と思われる男。 指示を受けた男はナイフを手に、ゆっくりと近づいてくる。 「甘いのよ!!」 「なに!?ぐわぁ!」 怯むこともせず、すかさず男を叩き伏せたリリア。 幼少の頃から受けてきた様々な教育とヴィーネルによる鍛錬。 今のリリアは剣に頼らずとも、普通の男一人を相手取ることくらいは難なくやってのける。 そのまま落ちたナイフを拾い上げ、頭目へと切っ先を向ける。 「このリリア=ラキラ!アンタ達みたいな有象無象にやられるほど落ちぶれてはいないわ!!」 「仕方ない。勘違いお姫様を少し教育してやるか……」 動じる様子も無いまま椅子から立ち上がる頭目。 腰に下げている直刀を抜き、リリアの前へと歩み出る。 「覚悟なさいっ!!はぁああああ!!」 ―――――― ―――― ―― 「何だと!?リリアが……!?」 一方、ラキラ家の屋敷では意識を取り戻した親衛隊により、リリアが誘拐されたことがヴィーネルとグラティオに知らされていた。 「すぐに救出に向かいます!親衛隊は街で聞き込みを!少しでも情報を集めろ!」 「「はっ!!」」 もしもリリアの命が目的ならその場で済ませればよいだけの事。 となると、何か目的があってリリアを誘拐した。 子供とはいえ人一人を抱えたまま街をうろつくのは目立つ。 なるべく人目を避けながら、それでいて見つかりにくい場所へ身を隠すとしたら…… 思考を巡らせるヴィーネル。 かつて所属していたレッドピース自警団。 そこで解決したいくつもの誘拐事件の経験と、今の状況を照らし合わせていく。 まずヴィーネルが目を付けたのは地下水路だった。 一般人が立ち入ることはしない上、街外へ出ずとも良いため、門まで走ってその様子を目撃される危険も無い。 ちょうど都合の良さそうな水路の入口を見つけると、その入り口であるものを見つけた。 「当たりか……!」 拾い上げたそれはヒメヒマワリのブローチ。 リリアが腰に付けていたものだ。 ご丁寧なことに、複数の荒々しい足跡が奥へと続いている。 「……仕方ないな」 一瞬、何かを考えたヴィーネル。 万全を期すなら親衛隊と呼び集めるべきだが、犯人の目的がわからぬ以上、一刻を争う事態となる可能性もある。 ヴィーネルが下した判断は、そのまま単身での突入だった。 その頃、犯人達のアジトでは、その頭目とリリアによる戦闘が続いていた。 「おや?ご自慢の太陽の力はどうしたのかな?」 「はぁ……はぁ……なんで!?」 ナイフという慣れない武器。 相対する敵とのリーチの違い。 鍛錬による疲れ。 いつになく疲弊している要因ならいくつか考えられるが、太陽の力を使うことができないのは何故だ。 「ワタシに何かしたわね!?」 「いいや。俺達はまだ何もしていない」 「嘘よ!だったらなんで!?」 「勘違いもここに極まれりだな。教えてやるよ、お姫様。アンタは実戦ってものを知らなさすぎる」 「実戦……?」 「鍛錬の相手をしてくれてる指南役が、本気で姫様に危険が及ぶような攻撃をしたか?そういえば街の闘技大会にも出たんだったか?それも所詮は見世物。命を取り合う実戦とはまるで違う」 言われてみればそうだ。 この男が放つ攻撃は、ヴィーネルのものとは比べられない程に遅く、甘い。 それなのに、一撃一撃がガリガリと精神を削りとっていく。 込められた殺気、殺し合いの場に立つ者の気迫。 そういったものを自分はあまりに知らない。 「ほらよっ!」 「あっ!」 自分の無知さ加減を痛感していた隙を突かれた。 ナイフを打ち払われ、胸元に突き付けられる刃。 太陽の力を発動するには集中した意識と気合が必要。 初めて体験する本物の勝負の中でそれを発揮するには未熟過ぎたのだ。 ―― 一端の兵士と比べても遜色ありません。あくまでこの場において 「ヴィーネルが言ってた言葉の意味が分かったわ……」 「何の事だ?まぁいい。さっさと用事を済ませようか……」 「きゃっ……!」 突き付けられていた刃が返され、二の腕を軽く斬られる。 ポタポタと滴る血。 男はそれを手巾でサッ拭うと、おもむろに配下へと手渡した。 「例の場所へ届けろ」 「了解……」 それが何を意味するのかは分からないが、自分の血が目的であったことだけは理解できた。 「あん?何だてめ――ぐっほぁああああ!」 リリアの血を受け取り、扉から出て行ったはずの男が部屋へと飛び込んできた。 否、吹き飛ばされてきたのか。 その胸には強烈な一撃を受けた痕跡が深々と残っている。 「お嬢様。お一人で外出する許可はまだ与えていないはずですが?困ったものですね……お迎えに上がりました」 「ヴィーネル!!」 「貴様……!何故ここがわかった!?」 「あん?そういうことか……」 頭目の男を一瞥し、何かを納得した様子のヴィーネル。 「いつもいつも邪魔しやがってぇええええ!!」 大声で吠えつつ、ヴィーネルへと突進する。 敵の増援を目にしたからといって、ここまで動揺するものだろうか。 明らかに冷静さを欠いている。 「お嬢様の手前申し訳ないが、種明かしといこぅか……!」 次の瞬間に見た光景を一生忘れることは無いだろう。 突き出された剣先を紙一重で躱しながら一歩前へ。 盾で男の腕元を叩き上げ、手にした剣が宙に舞う。 さらに一歩踏み込みつつ体を捻り一回転。 その勢いを乗せ、背中越しに槍の横っ腹で一撃。 「……かっ!!」 呻き声すら上げることもできずに意識を刈り取られる男。 そのあまりの衝撃に、彼の顔を隠していた覆面が外れる。 「やはりな……」 目元に見て取れる大きな傷跡。 さらには聞き覚えのあった声。 もはや他人の空似では片付けられない。 「クランク……」 「わざわざ危険の大きい屋敷への侵入。にも拘わらず、私がお嬢様の傍にいないタイミングを見計らっての犯行。身内から情報が洩れていることは疑いようがありませんでした」 「……」 「ご安心を。殺してはいません。色々と聞かなくてはならないこともあるので」 「ううん。そうじゃないの……それよりも、遅いわよ!姫であるワタシをこんな薄汚いところに放置して!!」 「……これでも全速力で駆け付けたのですが?」 「ふん!まあいいわ!持ってきてるんでしょうね!?」 「勿論です」 手を差し伸べたリリアに対し、ヴィーネルは背中に背負った棒状の包みを手渡す。 「さすがね!褒めて遣わすわ!!」 包みを乱暴に剥ぎ取ると、その中からは愛用の剣が姿を見せる。 「さて、残党はおおよそ二十といったところですが……参加なさいますか?」 「当たり前でしょ!畏れ多くも、このワタシに断りも無く触れたのよ?許しておけるはずがないじゃない!!」 「でしょうね……」 恐らく彼女は実践に不慣れな自分を心配しているのだろう。 だがもう先程のような失態は見せない。 心に焼き付いて離れないあの姿に憧れ、自分も近づきたいと思ってしまったから。 「姫様ぁああ!!ヴィーネル殿ぉおおお!!」 「我ら親衛隊も参上いたしました!!」 水路の入口から親衛隊の声が響いてきた。 「今頃遅いのよ!さっきは何の役にも立たなかったんだからね!少しは挽回して、明日の陽の目を見られるように励みなさい!!」 「「はっ!!」」 「いつまでくっちゃべってんだぁ!!」 「まとめてやっちまえ!」 こうして開始された乱戦。 敵味方入り混じる戦場は、リリアの何よりの経験となった。 「ぐっはぁああ!」 「うっほぁああああ!」 「だから何で親衛隊のアナタ達が敵より先にやられるのよ!オシオキ百万倍だからぁ!!」 「お嬢様……私の後ろへ!」 「平気よ!!私だって太陽の力を受け継いだ姫なのよ!?こんなところで躓くわけにはいかないの。貴方に一人前と認めさせるためにもね!」 「……はい。存分にお振るいください!」 その晩、街中に張り巡らされた人気のないはずの水路には、溢れんばかりの光が走った。 石畳の隙間から溢れた瞬きは天へと昇り、まるで咲き誇る大輪のように空を照らし出したという。 一人残らず一団を捕らえ、親衛隊とヴィーネルと共に屋敷へと凱旋する頃には明け方になっていた。 父、大司教グラティオの前に頭目クランクを突き出し、事の顛末を吐かせる。 その時のヴィーネルの顔は正直思い出したくはない。 「話さなくていい……だが、もしも話したくなったらいつでも口を開け……」 最初は黙秘に徹していたクランクだが、槍を構えたヴィーネルが発したこの一言により面白いほど簡単に全てを吐き散らした。 実は帝国の指示により太陽の力について調べていたクランク。 彼は、影響力の強い大司教相手に強攻手段の取りにくかった帝国が用意したスパイだった。 力を濃く受け継いだリリアの事を知り、その血液からなんらかのヒントを掴めると踏んでいたクランクだったが、機会を伺う内に予期せぬヴィーネルの出現。 指南役の座を奪われた彼がリリアの血を入手する機会は激減。 帝国からの強い催促もあり、今回の犯行に及んだという。 「元はと言えば、私がこの男の素性を掴めていなかったことが原因だ……すまなかった。リリア、ヴィーネル」 リリアの指南役として努めてきてくれた人物。 裏にそのような顔があったとはいえ、それ以外にも、ラキラ家のために何年もの間尽くしてくれた。 父の表情からはその無念さが痛いほど伝わってくる。 そして、それは自分もまた同じだった。 事件から一夜明け、いつものように目を覚ましたヴィーネルがリリアを起こすために部屋へと向かう。 最近、自ら起きられるようになってきていたリリアだったが、昨晩の疲れのこともある。 ゆっくりと寝かせてやろうとも考えたようだが、心を鬼にしてドアをノックした。 「お嬢様?もう起きられていますか?」 返事がない。 それほどに眠り込んでいるのかと思い、ドアを開けると、ベッドの上にリリアの姿は無かった。 「まさか……!?」 昨晩の光景を思い出したヴィーネルを不安が襲う。 慌てて屋敷を飛び出した彼女だったが、途中、庭に座り込む小さな人影を視界の端に捉えた。 「……お嬢様?」 庭先に装備を広げ、懸命に手入れをしている。 その真剣な面持ちは、出会った頃の幼さの残るそれとは一線を画すものだった。 「あ!おはよう、ヴィーネル!鍛錬の前に済ませておこうと思って!」 「そうでしたか……そういえば、私もまだでした」 「あら~?ワタシは今終わったけど、ヴィーネルはまだ手入れもしてなかったの~?」 「ふふ……そんなに鍛錬を楽しみにされては、気合を入れざるを得ませんね」 「え……いや、ちょっとした冗談よ?ね?かわいい冗談!てへっ♪」 「覚悟しろよ……?」 「きゃ~~っ!!ゴメンなさい~!!」 もし、近い将来一人前と認めてもらえたなら、ヴィーネルを旅に誘ってみたい思う。 とりあえずは太陽を追いかけてみよう。 きっとその先は、まだまだ私の知らない人や物で溢れているはずだから―― +お宝トレジャーズリシェル 王都から西に進み険しい山岳地帯を抜けると、鉄で石を打つ音が聞こえてくる。 男達は鉱石を積んだ一輪車を押しながら、石作りの精錬所へと運んでいく。 村の女性が働く精錬所では、それぞれの鉱石毎に仕分けされた原石から余分な部分を切り落とす作業が続けられていた。 鉱石を所定の場所に降ろした鉱夫は1杯の水で喉を潤すと、空になった一輪車を押して巨大な鉱山の入り口へと戻っていく。 銅や鉄、更には通貨に使われる金まで掘る事ができる鉱山は、大陸で使われる金属の8割と言われている。 鉱山の正面口と言われる巨大な入り口の周りには、出稼ぎに来た鉱夫の宿舎や、鉱石を買い付けに来る行商人の為の宿、鉱夫の憩いの場となっている酒場が立ち並ぶ。 永住を決めた鉱夫は家を建て、鉱山近辺に生活の基盤を持った。 鉱山というよりも一つの村として機能している事から、鉱山の名のまま“ガライア村”と呼ばれている。 村の中には、今日も名物悪ガキコンビの声が響き渡る。 「リシェル!今日もお宝探しに行こうぜ!」 ガライアで生まれた少年ランビーは、幼なじみの家の前で大声を出す。 窓が開くと、まだ眠そうなリシェルが顔を出している。 「おはよ~ランビ~!あとパウパウも!」 肩に載せた鉱山穴モグラのパウパウは、リシェルの頬を舐めていた。 ランビーは手招きしながらリシェルを急かす。 「早く!作戦会議に遅れるとトレジャーズ失格だぞ!」 「えっ!それはダメだよ!絶対ダメ!すぐ行くから待ってー!!」 リシェルは窓から姿を消し、バタバタと音を立てながら玄関を飛び出して来くると、ピタっと止まり敬礼をする。 「リシェル!到着しました!」 ランビーはニッと笑い、リシェルの手を引いて鉱山にある秘密基地へと走っていく。 リシェルの両親は窓越しに、“村の名物悪ガキコンビ”と言われている2人を呆れた表情で見送った。 鉱山の中に入った2人は低い姿勢を保ち、子どもの身長でしか通り抜ける事が出来ない横穴を進んでいく。 横穴を抜けた先には、何十年も使っていない様子の小さな部屋があった。 正規の入り口は落盤で埋もれ、この抜け穴からしか部屋に入る事は出来ない。 天井に吊り下がっているランプに火を付けるランビーは、机の上に広げられた鉱山の地図を見ながら今日はどこに行こうか悩んでいた。 「リシェル!今日はどこを探検する!?」 リシェルは両手を頭の上に乗せて左右にユラユラ揺れている。 「う~~~ん。お宝がある場所は……お宝の匂いがする所じゃないかな!?」 「それだ!でかしたぞリシェル!」 二人は机に飛びついて、地図に顔を近づけてクンクンと嗅ぎ始めた。 長い歴史の中で、アリの巣のように複雑に掘り進められたガライア鉱山の全貌を把握している者は誰一人としていない。 過去に鉱石を掘り尽くした、または落盤等の危険性を危惧して閉鎖された坑道には看板が建てられ、それ以降入る者はいなくなる。 数百年の時と共に忘れられた坑道は最新の地図には記されておらず、ランビーとリシェルが見つけた古い地図は2人にとって宝の地図のようだった。 「クンクン……おっ!リシェル!ここだ!ここからお宝の匂いがする!」 「どれどれ??…クンクン…ホントだランビー!すごい!すごい!ここに行こうよ!」 ランビーとリシェルは目を輝かせて、出発の準備を始めた。 「ハンカチよし!地図も持った!万全だな!」 「ランプも持ったよ!あと非常用のお菓子でしょ!パウパウもいるし……完璧だね!」 「それじゃあ、いくぜ!?」 いつもの出発の合図が始まる。 「獲物は逃さないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「2人揃って!お宝トレジャーズ!出発!」 声を揃えた2人は、ハイタッチをしてから鉱山の奥地へと進み始めた。 人の踏み入らない鉱山の中には、鉱石に含まれる魔素を求めた魔物が巣食っている事も珍しくない。 大人でさえ複数人でなければ危険と言われている廃坑道の中を、ランプ一つで進んでいく2人。 以前坑道の中で見つけた弓と長剣を手にした2人には、怖いものなどある訳がなかった。 「ランビー!なんかいるよ!ほらあそこ!」 「なんだこいつ!?魔物!?よーし!お宝トレジャーズ!戦闘準備だー!」 「よーし!いくよー!!」 ランビーとリシェルは、とても子どもだとは思えない身のこなしで魔物を撃退していく。 物心ついた頃から遊び場として坑道の中に入っていた2人にとって、日常茶飯事になっていた魔物との戦いは最早お手の物だった。 「いくぜ!これで決める!ランビーアターーーック!!!」 魔物にトドメを刺したランビーは、息を切らす事もなく笑顔でリシェルに向き直る。 「お宝トレジャーズ!最強!」 その笑顔にリシェルも∨サインで返す。 「さっすがアタシ達!お宝トレジャーズの前に敵はないね!」 武器を腰に戻して更に奥へと進む中、ランビーはいつになく真剣な表情を見せてリシェルに問いかける。 「なぁ、リシェル……ちょっといいか?」 「なぁにランビー?」 「さっきの魔物と戦ってる時に思ったんだけどさ……」 ランビーは立ち止まり腕を組んで考えこむような素振りを見せ、言葉を続ける。 「やっぱり、リシェルにはまだ足らないものがあると思うんだよ」 「足りないもの?……お宝?」 リシェルはいつもと違うランビーを覗き込みながら考える。 しかし、ランビーは目を閉じたまま首を振った。 「違うんだ……確かにお宝も欲しいけど……もっと大事な物が……リシェルには足らないんだ……」 「ランビー……教えて!アタシに足りないものって何!?」 ランビーは目を開き、リシェルを指差した。 「ずばり!必殺技の名前だ!!」 「!!!!」 リシェルは稲妻に打たれたような驚きの表情を見せる。 「ランビー!!たしかにそうだね!どうしよう!格好いい必殺技の名前がないよ!」 「だろ!?さっき戦ってて思ったんだ……強い敵と死闘を繰り広げたなら、最後は超格好いい必殺技でトドメを刺すもんだろ!?」 うんうん、とリシェルは頷く。 「そうだねランビー!!」 「格好いい必殺技の名前がなかったら……リシェルはただの村人A……良くて元気な少女になっちまう!」 「大変だよランビー!どうしよう!!」 リシェルはランビーの肩を掴み、必死な表情で訴える。 「格好いい必殺技の名前ってどうやったら思いつくの!?全然思いつかないよ!」 ランビーはニッと笑って手を軽く前に出し、人差し指を天井へ向ける。 「フッフッフ……リシェル安心しろ!本で読んだんだ!好きなカタカナを沢山繋げれば、必殺技の名前になるらしいぜ!」 リシェルの顔が晴れ渡っていく。 「そうなの!!?すごい!!それじゃ……えっと……」 リシェルは額に手を乗せて考える素振りを見せ、次の瞬間両手を打ってからランビーを指差す。 「ウルトラミラクルスーパー!!ってどう!?」 「…………すげぇ……格好いいぜリシェル!!なんかすげぇ強そうだし!」 ランビーは拳を握りしめて感動する。 「でしょ!!閃いちゃった!!」 「リシェルは才能の塊だぜ!」 「もう一個あるよ!!ビーフミートソーセージ!!!」 「そっちも良いな!!リシェル天才!!さすがお宝トレジャーズ!パウパウもそう思うよな!?」 リシェルの肩から飛び降りたパウパウは、リシェルの周りをグルグルと楽しそうに周った。 人には決して懐かないと言われている鉱山穴モグラ。 鉱夫達は、時々人前に現れるモグラに手を出す事はない。 普段、一切鳴く事はなく暗い穴の中で生活している動物だが、地震などの天災が起こる前には一斉に鳴き声を上げて鉱夫達に知らせる事から、鉱山の守り神と呼ばれている。 幼い頃、風邪で寝込んでいたリシェルは、見舞いに来たランビーに何か欲しい物はないかと尋ねられた。 「アタシは、モグラちゃんが欲しい……」 次の日、ランビーは鉱山穴モグラの子どもを抱きかかえてリシェルに渡した。 リシェルはそのモグラを“パウパウ”と名付け、大切に育てる。 何度も部屋に穴を開けて逃げ出そうとするパウパウだったが、リシェルは怒ることもなく根気よく付き合い続けた。 その結果心を開いたパウパウは、リシェルの肩に乗って毎日を過ごすようになる。 リシェルからすればパウパウは大切な友達だったが、始めてパウパウを見る鉱夫達はその光景に目を疑った。 人とは住み分けを行い、決して歩み寄る事はないと思っていた動物を肩に乗せている少女を見れば無理もない。 「リシェル!これ見ろ!お宝だぞ!!」 坑道を進むランビーとリシェルの前に、鉄の金具がついた木の箱が現れた。 長年放置されていたのであろうか、半分が土に埋もれている。 「ランビー!!早く開けてみようよ!」 硬い蓋を無理やりこじ開けると、中からは大量のピッケルが出てくる。 昔の鉱夫が使っていた物だろうが、ランビーとリシェルには輝くお宝に見えた。 「これは……ものすごいお宝だよランビー!!」 「あぁ!!リシェル!ついに見つけたな!きっと伝説の鉱夫が使ってた極上のお宝だ!!箱ごと持って帰ろうぜ!」 「わかった!!!お宝ゲットだぁーーー!!」 周りの土を掘り起こして退けた後、箱の両側に立った二人は掛け声をかける。 「いくぞーリシェル!!せーーーのっ!!!」 「ラ…ランビー……重いいぃいいいい!!」 「せ……せっかく見つけたお宝だ!このまま手ぶらでなんか帰れないだろ!お宝トレジャーズの根性を見せてやろうぜ!」 中腰になりながら、足場の悪い坑道を戻る2人。 坑道は奥に行くにつれ地中になっている為、帰り道は決まって上り坂だった。 「ハァハァ…リシェル…こういうの……荷が重いって言うんだよな……!?」 「ゼェゼェ……ランビー!物知り博士………だね!!」 やっとの思いで鉱山の入り口に辿り着いた2人は、箱を地面に降ろして倒れ込んだ。 「ゼェ……ゼェ…やった…やったな…リシェル……」 「ハァ……ハァ…やったね…ランビー……」 すでに日は落ちて、村の建物には明かりが灯っていた。 大の字になったランビーは、父親の顔を想像して起き上がった。 「やばい!早く家に帰らないと父ちゃんにぶち殺される!」 「でも、ランビーお宝はどうするの!?」 「え……どうしよう…秘密基地に持ってく時間は……」 その瞬間、二人は眩しさに目を細める。 誰かが松明を持って近づいてきていた。 「お前ら…悪ガキコンビじゃねぇか!?こんな時間に…何やってんだ?」 鉱夫の男は、泥だらけの2人を見て驚いた様子だ。 「アタシ達はお宝トレジャーズ!悪ガキなんかじゃないもん!」 「はいはい分かった分かった。あんま遅くまでブラブラするんじゃない……ん?お前らその箱なんだ?」 箱に気がついた鉱夫は興味を持って手で触れようとする。 ランビーは飛び上がって箱の前に両手を広げ、鉱夫を近づけさせないようにブロックした。 「これは俺たちのお宝だ!触るんじゃねぇ!」 「おっと…そりゃ悪かったな。無理矢理奪ったりなんかしねぇよ。そんなにすげぇお宝なら、ちょっと見せてくれないか?」 鉱夫は眉を八の字にしながら笑い、敵意がない事を示すように手のひらを前に出す。 「見せるだけだからな!」 ランビーは厳しい視線を男に投げながら、箱の蓋を開ける。 「どうだ!!すげぇお宝だろ!?」 鉱夫は箱いっぱいに詰まったピッケルを見ると目を丸くする。 「こいつは……お前らすげぇもん持って帰ってきたなぁ…。まだまだ使えそうじゃねぇか」 リシェルはその言葉を聞いて怒り出す。 「当たり前でしょ!伝説のお宝なんだよ!?」 鉱夫は少し悩んでから、ランビーとリシェルを見下ろした。 「頼みがあるんだが……うちの組合で採掘用の道具が足りてねぇんだ。そこでお宝トレジャーズのお二人様に相談なんだが、そのお宝を譲ってくれやしねぇか?」 ランビーとリシェルは目を合わせた後、鉱夫に厳しい視線をぶつける。 「あのな!これはすげぇお宝なんだって言ってるだろ!?」 「そうだよ!アタシ達がこれを手に入れるのにどれだけ苦労したと思ってるの!?」 鉱夫はぐいぐいと迫ってくる2人に後ずさりをする。 「いや、聞いてくれ!もちろんただとは言わねぇ……」 その言葉を聞いてランビーとリシェルは立ち止まる。 「ほう…面白いじゃねぇか。この伝説のお宝に見合うような代物を用意するっていうのか!?」 「それだけの物が用意できるなら、考えてあげなくもないよ。用意できれば…だけどね!」 鉱夫は2人の真剣な表情を見て、一か八かの賭けに出た。 「俺の嫁は、今家で伝説のシチューを作ってる。あの勇者バレルでさえ、このシチューを食うことは出来なかった。それを、お前らにご馳走してやらんこともないぞ。ど、どうだ……?」 一時の沈黙が流れた後、ランビーとリシェルは声を揃えた。 「そこまで言うなら仕方ないな!!」 鉱夫は胸を撫で下ろし、大量のピッケルが入った箱を抱え、ランビーとリシェルを家に招待した。 ごく一般的な家庭で出される“伝説のシチュー”を堪能した2人は、鉱夫に手を振り家路につく。 「伝説のシチューはやっぱりすごかったぜ!またなー!!」 その後、ランビーが父親にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。 ―――数週間後 今日も秘密基地で作戦を立てるランビーとリシェル。 地図に記された坑道はあらかた足を運んでしまい、どこに行こうかと悩んでいた。 「ねぇランビー!!これみて!!」 よじ登った本棚から降りてきたリシェルは、一枚の紙をランビーに見せる。 「なんだこれ??坑道の封鎖報告???」 日付が書かれた部分には数百年前の年号が使われており、更には坑道の場所を記しているであろう番号が書かれている。 その内容は、現在発掘を進めている坑道があまりにも危険だと判断した為、坑道を封鎖するというものだった。 目を通したランビーは、いまいち内容を理解していない様子だったが、楽しそうにはしゃぎだす。 「これは……お宝の匂いがプンプンしないか?…リシェル!!」 「そうだねランビー!絶対秘密のお宝があるよ!」 「まずは、この暗号を解かないといけないな。えっと、この“坑道J-475”ってなんだ?」 リシェルは机の上に広げてある地図に指を置く。 「ここにも暗号が書いてあるよ!」 各坑道には、場所を示す番号が振られており、封鎖報告書に記された番号は封鎖された坑道の番号だという事に辿りついた2人は、必死に“J-475”を探す。 しかし、いくら探せど、地図上にそんな番号は存在せず、早くも迷宮入りとなりそうな空気が漂っていた。 「う~~~ん……ランビー。この地図には乗ってないんじゃないかなぁ?」 ランビーは地図を遠目から眺めながら、何か策はないかと考えている。 「あっ!!!リシェル!!地図の上にランプ置いちゃだめだろ!」 「わっ!ごめんランビー!地図燃えちゃう!?大火事!?」 急いでランプを持ち上げたリシェルは、地図の様子を見る。 「ぎゃーー!!ランビー!!!真っ赤っ赤だよぉおお!地図から血が出たぁああああ!!」 ランプが置いてあった場所には、赤いドロドロとした物がついている。 「うわああああ!!なんだこれ!!この地図生きてるのか!!?」 ガクガクと震えるランビーとリシェルは、ふと辺りに漂う匂いに気がついた。 「ん?これなんの匂いだ?」 「え?……なにこれ!?なんか変な匂い…なんだっけこの匂い?」 ほのかに部屋に香る匂いを記憶の中から呼び起こすリシェル。 なんだかその匂いを嗅ぐと眠たくなってくる気がする。 そう、いつもこの匂いがするのはベッドの中。 パウパウに「おやすみ」を言った後、この匂いが漂って、まぶたがだんだん重く…… 「あっ!!ロウソクの匂いだ!」 「ロウソク?何言ってんだリシェル。ロウソクなんてこの部屋にないぜ!?ランプは油だし……あれ?」 その時、ランビーの目に入ってきたのは、地図に記された赤い印だった。 「もしかして、この印ってロウソクでできてんのか!?」 リシェルはハッと気が付き手を打つ。 「わかったよランビー!机の上でロウソクを付ける時は、誕生日のケーキしかあり得ない!!きっと誰かが誕生日で、ここで誕生会をやってたんだよ!」 「なるほどな……それでこんなにアチコチにロウソクが……え!?ケーキ何個あったんだ!?」 「すっごい大きなケーキで200歳くらいの誕生日をしてたのかもしれないね……」 「200歳って化物じゃんか!あの伝説の、魔法学校の学長がここにいたっていうのか!?」 ランビーは、溶けた赤いロウをマジマジと見ながら身震いする。 「怖ぇええ……あれ?……おいリシェル!!ここ見てみろ!」 溶けたロウの下には、今まで行ったことのない坑道の入り口が現れた。 その下には“坑道L-115”の表記もある。 余計な憶測で遠回りしていた2人だったが、ついに核心に迫っていた。 「リシェル!ランプ貸してくれ!!」 「ん?ランプ?……はい!」 何をするつもりなのか解らないリシェルは、不思議に思いながらランビーにランプを渡す。 ランビーはランプの蓋を開けると、そこら辺に落ちていたスプーンを火に直接当てて熱し始めた。 「よし、こんなもんか?」 熱々になったスプーンを地図に近づけるランビー。 「ランビー!?どうしたの!?」 ランビーは地図の至る所にあるロウに、スプーンを押し当てる。 「きたきたきたぁああー!!!リシェル見てみろ!!」 言われた通りに、ランビーの指す場所を見てみると、地図上にあの番号が浮き上がった。 “J-475” 「すごいランビー!!やっぱりこれはお宝が隠された地図だったんだね!」 「あぁ、時間が掛かったけど、俺達はついに見つけたんだ!」 大喜びする2人に釣られて、肩に乗ったパウパウも飛び跳ねていた。 冒険の準備を整えた2人は、いつもよりも念入りに持ち物の最終確認をする。 大事件が待ち受けている事を分かっているかのように……。 地図が示した坑道までやってきたランビーとリシェルは、その入口に違和感を覚える。 「なぁリシェル…本当にここか?」 坑道には今までのように看板が立てられておらず、鉄の扉が設置されていた。 扉には頑丈な鎖と鍵が掛けられ、何やら文字が刻まれたプレートが貼り付けられている。 しかし、その文字は年月が経っているせいか、殆ど読むことはできない。 「なんだこれ……お宝の匂いがバッチバチするぜ!!」 「きっと中はすーーーんごいお宝がギッチギチだね!」 ランビーとリシェルは笑顔で目を合わせると、同時に口を開く。 「で、どうやってこれ開けるんだ?(開けるの?)」 ひと時の沈黙の後に、リシェルが口を開く。 「よーし!パウパウ!穴を掘って向こう側に行って鍵を開けて、鎖を切ってこの扉をなんとかしてきて!」 パウパウは目をパチクリさせながら首を傾げている。 リシェルは頬を膨らます。 「パウパウ!もう!この奥には伝説のカレーがあるかもしれないんだよ!?」 ランビーがその言葉を聞いて飛びつく。 「リシェル!それは本当か!?俺も掘るぜ!!!」 扉の下を必死に掘るランビーとリシェル。 老朽化した扉はミシミシと音を立て始めた。 「うわわわあああ!!!」 ズシンと音を立てて扉が奥側に倒れると、200年間眠っていた坑道が現れた。 「ランビー!やったね!これで奥に進めるよ!」 リシェルは嬉しそうに目を輝かせる。 「びっくりしたぁ……よっしゃ、進もうぜ!」 その直後だった。 「ランビー……アタシなんか上手く歩けないよ……」 「どうしたんだリシェル!?どこか怪我したのか?」 「違うの、足がグラグラしてね、歩き辛いの!」 「え?そういえばさっきから揺れて……」 坑道全体が揺れていた。 先ほどの鉄の扉の衝撃のせいだろうか、もろくなった地盤にヒビが走った。 ヒビは一気に蜂の巣状に広がると、2人の足元が崩壊していく。 「うわああああああああ!!!!」 2人は瓦礫と共に深い闇の中に落ちていった。 「おいリシェル!大丈夫か!?リシェル!」 目を覚ますと、ランビーが心配そうな顔で肩を揺らしていた。 「もう朝~?おはよ~ランビ~~。パウパウもおはよう~」 胸の上から必死に顔を舐めるパウパウ。 「違うよリシェル!今は朝じゃなくて、俺達落っこちちゃったんだぞ!」 「え?……あーーーー!!!お宝はあった!?」 飛び起きるリシェルに、ランビーは笑顔で返す。 「良かった。その様子じゃ無事っぽいな!お宝探しにいこうぜ!ほらあそこ見てみろよ!ここにお宝ありますって書いてあるみたいだろ!?」 ランビーが指す方向を見ると、何やら怪しい祭壇が見える。 2人が落ちてきたこの場所は、広い空洞のような大きな空間だった。 とても坑道の中とは思えない広さに、人間が鉱石採取の為に掘った穴ではない事が解る。 ひんやりと冷たい空気が流れ、風が通り抜けているようだ。 その広い空間にポツリとある石造りの祭壇。 まるで冒険者の本に出てくる伝説の秘宝が眠る秘密の祭壇。 ランビーとリシェルが求めるお宝が眠っていても不思議はない。 「それじゃあ、いくぜ!?」 抑えきれないワクワクを胸に、気合を入れ直す。 「獲物は逃さないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「2人揃って!お宝トレジャー……」 声を揃えている所で、リシェルが突然叫び出した。 「うわぁあああああ!!!ランビーーーー!!!!!」 「どうしたリシェル!!」 リシェルは泣きそうな顔をする。 「お…お財布忘れた……。お宝が有料だったらどうしよう……」 ランビーは笑顔で返す。 「大丈夫だぜリシェル!お金を持ってなくても、お皿を洗えば許してくれるぞ!!」 「そっか!ランビー冴えてるね!!」 祭壇へ近付いていくランビーとリシェル。 階段を登ると、その中央には漆黒の闇を纏う長剣と、真っ赤に燃えるような赤い弓が置かれている。 「うぉおおおお!!」 「やったねランビー!!」 「お宝だぁあああ!!!」 歓喜の声を上げる2人は早速そのお宝を手にしてみる。 2つの武器を手に、天高く掲げた。 「お宝トレジャーズ!!優勝!!」 「ちょっと待ってランビー!お皿は洗わなくていいのかな!?」 「あっ!!そうだった……でも洗うお皿がないぞ!?」 「どどどどうしよう!!!あっ!変わりに、これを置いとけばバレないんじゃないかな!?」 「おっ!冴えてるなリシェル!!そうしよう!」 今まで使い古した木の弓と鉄の剣を祭壇に起き、両手を合わせて祈る2人。 「どうか、これでご勘弁を……」 その時だった。 祭壇はゴゴゴと音を立てながら揺れ始め、パラパラと埃が小石が振ってくる。 「やばい!やっぱダメだったか!?」 焦る2人は立っているのがやっとで、逃げ出す事も出来ない。 しばらくすると、祭壇の下から黒い影が伸びた。 「なんだなんだ!?」 周りを包み込んだ黒い影は、更に天井まで伸びると、2人が置いた弓と剣に降り注ぐ。 「うわあああああ!!」 ドーーンと音が響き渡り、衝撃が走る。 顔を腕で抑えて耐え凌いだ2人は、目の前に現れた“それ”に目を疑った。 「なんだ…これ……ま、魔神……!?」 漆黒の鉱石を身にまとった巨大な人型の石の塊。 その姿は、これまでに見てきた何よりも“ヤバイ”オーラが漂っている。 「ランビー……どうしよう……」 「謝って許してくれるかな…こいつ……」 2人を見下ろす魔神は、有無を言わさずに襲いかかってきた。 「うわあああああ!!!」 なんとか魔神の一撃を交す2人。 「ごめんなさい!怒らないでよ!お皿がないから洗えないの!!」 「リシェル!危ない!!」 間髪入れずに次の攻撃を繰り出す魔神。 リシェルに当たるギリギリのところでランビーは魔神の攻撃を弾き返す。 「リシェル!どうする!?逃げられるか!?」 心配するランビーを余所に、リシェルは武器を構える。 「ランビー!ダメだよ!!アタシ達はお宝トレジャーズ!お金がないなら、強奪すればいいんだよ!!」 「頭いいなリシェル!」 後ろに飛んだ2人は決めポーズと共に魔神に向かい声を荒げた。 「獲物は逃さないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「2人揃って!お宝トレジャー……」 ゴォオオオオオオ!!! ポーズの途中で魔神は走り向かってきたと思いきや、その巨大な拳で2人を叩き潰そうとする。 間一髪横に飛び、攻撃を避けた2人は顔に影を落として肩を震わせる。 「ランビー……やっちゃったね……」 「あぁ……あいつは……やっちゃいけない事をやっちまった…」 2人は同時に魔神に顔を向ける。 その表情は怒りに満ち溢れていた。 「お前のママは、ヒーローの決め台詞中に攻撃するなって教えてくれなかったのか!!?」 「ランビー!あいつは悪党の中の悪党だね!極悪ブ道だね!」 「あぁ!甘すぎるぜ!」 パウパウもリシェルの肩に乗りながら、魔神を威嚇する。 そして、二手に別れた2人は左右から魔神に攻撃を開始する。 「ゴーゴーゴー!!!」 弓と剣の連撃に魔神は怯む。 ランビーとリシェルに迷いはなく、ただ魔神を討つ事に集中していた。 その力は、祭壇の武器の効果なのか、それとも先天的に才能があるのかは解らない。 強大な敵に臆することなく立ち向かい、その時は訪れる。 「今だ!リシェル!!決めようぜ!!」 「OKランビー!行くよ!!」 魔神が怯んだ瞬間を見過ごさず、その一瞬の隙に全力の攻撃を叩き込む。 「ランビーアターーーック!!!」 「ビーフミートソーセージ!!!」 2人の攻撃は魔神に直撃して、漆黒の鉱石が砕けた。 ゴォオオオオオオ…… その巨体を足で支える事が出来ず、崩れ落ちる魔神。 物凄い音と振動が辺りに広がる。 ドォオオオオオン!!! 魔神は砕け散り、バラバラの岩となった。 「やったぜ!ミッションクリア!!」 「やったねランビー!」 「お宝トレジャーズ!大勝利!!」 喜んでいる2人をよそに、岩の隙間から小さな影がスッと天井の方に登っていく。 「なんだ!?」 目を凝らして見ると、青い羽根のようなものをパタパタと羽ばたかせ、黒く長い尻尾をユラユラとさせる“何か”が見える。 2人は、空に浮かぶ凧のようにフワフワと左右に揺れながら飛んでいく“何か”を目で追っている。 「ランビー!あの子!かわいい!!」 リシェルはランビーの肩を叩く。 「あいつも欲しいのかリシェル!?パウパウがいるじゃんか!」 ランビーはまた上を見上げて、空を飛ぶ謎の生物を見つめる。 「まぁ…リシェルがそう言うなら、せっかくだし捕まえるか!」 「やったー!」 ランビーは鞄から長いロープを引っ張り出して、先端に輪をつくり、グルグルと回しながら狙いを定める。 「逃げるなよぉ……そこだぁああああ!!!」 思いっきり振りぬかれて飛んでいくロープは、その生物の尻尾を捉えると輪がギュッと締まった。 バタバタと逃げようとする謎の生物を、力任せに引っ張り続けるランビー。 「ランビーがんばれがんばれ~!」 クネクネと踊りながら応援するリシェル。 「うぉおおお!!」 少しずつ近付いてくる謎の生物は、それでも尚パタパタと羽根を動かして左右に揺れる。 しかし、縄が完全に尻尾の棘のような物に絡まって逃げる事は許されない。 5m……3m……1m…… 「よっしゃー!ゲットぉおおおお!!」 ついに謎の生物を捕まえたランビーは、バタバタと暴れる謎の生物をガッシリと両手で抱きしめる。 「なんだろ~この子……かわいい!!妖精かな?真っ黒な妖精さんなの!?」 黒い肌と、青い羽根が生えたその生物をマジマジと観察し始めるリシェル。 「妖精か……でも妖精はもっと肌色だから、影の妖精なんじゃないのか?」 「影の妖精さん!?今日からランビーと一緒だよ!挨拶は~?」 リシェルの声に暴れるのを止めた妖精は、ランビーの顔を見ているようだ。 「おぅ!よろしくな!影の妖精さん!!!」 ランビーは満面の笑みを向ける。 その瞬間だった。 影の妖精の目が怪しく光ったかと思うと、ランビーの身体は突然浮き始める。 「うわああああああ!!」 そのまま、影の妖精の身体に吸い込まれ始めたランビー。 既に、ランビーの頭がすっぽりと影の妖精の身体の中に入ってしまっている。 「ランビー!!ちょっとダメぇえええ!!」 必死にランビーの足を抱えて、ひっぱり出そうとするリシェル。 それでも、少しずつランビーは影の妖精に吸い込まれてしまう。 「ランビー!!ランビー!!」 リシェルの努力虚しく、ランビーの上半身は全て影の妖精の身体に入ってしまった。 「ランビーを返してよぉおおお!!」 涙を浮かべながらリシェルは引っ張り続ける。 一瞬、吸い込まれる力が抜けたような気がした。 その瞬間、リシェルも引っ張る力を抜いてしまう。 しかし、その直後に物凄い勢いでランビーは吸い込まれる。 リシェルは、すぐにランビーの足を掴み直すが、リシェルの体ごと持って行かれてしまい、ついにはリシェルも影の妖精の身体に入り込んでしまう。 それでもランビーの足だけは掴み続けて必死に叫んだ。 「ランビーィイイイイイイ!!!」 祭壇に静寂が訪れた。 ―――リシェルは目を覚ました そこはあの祭壇のある空洞。 何が起こったのか解らない。 ただ、何か違和感がある。 「あれ……アタシ………」 ふと顔を上げると、見慣れた顔が目の前にある。 その表情は、不安と驚きの色で溢れていた。 「ラ…ランビー……?」 ランビーは自分の身体をベタベタと触り、異常がないかを確かめる。 「と、とりあえず、身体は問題ないみたい……うわああああ!!」 突然尻もちをつくリシェル。 目の前には影の妖精がいた。 「お前!まだいたのかよ!」 「ど、どうしよう……」 リシェルにぴったりとくっついている影の妖精は、フワフワと浮いている。 特に危害を加えるつもりもなさそうだった。 その時、リシェルとランビーは、耳を疑った。 「フィ~~~~~~~~!!!」 あの、天災が起こる時にしか鳴かないという鉱山穴モグラのパウパウが、鳴いている。 「う、うわあああああああああ!!!」 リシェルとランビーは絶叫を上げる。 「ランビー!どうしよう!!!」 「どうしようって言われても俺もわかんないよ!!」 リシェルとランビーは大混乱に陥る。 2人でああでもないこうでもないと話をする。 「どうにかしないとまずいだろ!」 「でも!このままここにいたらお腹空いて死んじゃうよ!」 「どうやって出るんだよ!!」 「そんなの分かんないよ!ロープは……」 「あ!まだ影の妖精についてるじゃん!」 影の妖精からロープを外し、落ちてきた穴へと投げる。 何かに引っかかったロープに、体重を掛けても平気な事を確認する。 「リシェル!!俺が先に登るから、OKって言ったらこのロープに捕まってくれよ!」 「わかった!気をつけてね!もし落ちても、アタシがファインプレイでナイスキャッチする!!」 それを聞くと、スルスルとロープを登っていく。 「OK!リシェル!捕まって!俺が引き上げるから!」 必死にロープに掴まり、少しずつ上へと上がっていく。 落ちた穴まで登り切ると、2人は鉄の扉の上に倒れこんだ。 「はぁ…はぁ…戻ってこれた……」 「と、とりあえず、秘密基地に帰ろう……」 元来た道を慎重に進む。 しかし、その足取りは重たい。 肩に乗るパウパウと、フワフワ付いてくる影の妖精。 2人と2匹は、鉱山の入り口近くの秘密基地に辿り着いた。 「リシェル!色々あったけど、無事にお宝を手に入れて戻ってこれたな!」 「うん!そうだねランビー!ついでにかわいい影の妖精もゲットしてきちゃったし!」 「問題は………」 2人はお互いを見ながら、頭を悩ませる。 きっと誰も信じない。 だから、2人は約束をする。 「リシェルわかったか?」 「うん、大丈夫だよ!秘密の約束だね!」 2人はお互いの小指を交差させて約束を交す。 今日あった事は、絶対に誰にも話さない。 バレてしまうような事もしない。 今まで通り、普通に過ごす。 「あぁ!2人だけの、秘密の約束だ!」 きっと誰も信じない。 リシェルとランビーでさえ、まだ夢ではないかと考えている。 誰であろうと、信じられる訳がなかった。 +炎纏の王国騎士ロラン 「これを受け取った時点で、お前達は聖王国騎士だ。その名に恥じないよう、精進しろよ」 レミエール聖王国騎士団、団長アルドは、訓練兵の2人に真新しい鎧を手渡しながら激励を飛ばす。 「ありがとうございます」 ロランは軽く会釈をすると、両手で鎧を受け取る。 これで、父の居た騎士団に所属する事ができた。 ひとつ大きな目標を達成したという充実感が胸に広がり、自然と鎧を触る手に力が入る。 ――数年前 父の大きな背中を追いかける為に、レミエール王国の騎士訓練兵として志願したロラン。 片手剣と盾を持つ軽戦士隊を選択したのも、目標である父と同じ条件にする事で、自分自身にプレッシャーを与える為だった。 日々の訓練だけでは飽き足らず、自主的にトレーニングを積むことで成績をあげ続け、軽戦士隊の筆頭訓練兵となる。 しかし、訓練兵全体で言えば上には上がいる。 その頂点にいつもいるのは、遊撃士隊の筆頭訓練兵のセシル。 その弓の技術は現役の王国騎士を凌ぐとも噂され、正式に騎士となる頃には聖王国騎士に配属される事が約束されていると言われていた。 彼女を抜かなければ、聖王国騎士になる事は難しい。 筆頭訓練兵の中で成績1位の者だけが選ばれる栄誉、聖王国騎士への切符をロランが手にするには、更に努力をする必要があった。 ただ身体を鍛え、技を磨くだけでは足りないと考え、軽戦士隊以外の隊の役割や、戦場での指揮、策略などを本で学ぶようになる。 そして迎えた模擬戦闘試験の日。 ロランは小隊の隊長として、作戦を説明していた。 「みんな良く聞いてくれ。まずはランサーが前で注意を引いて、その隙に俺がAの地点まで走り抜ける。ランサーのフォローを、クレリックにしてもらう。上の標的はアーチャーが落としてくれ。俺がAの地点に辿り着いたら――」 今までは各々が状況を判断して全力を尽くそうと、士気をあげる事だけを意識していたが、より効率的に動く為に予め考えた作戦を共有していく。 ロランの小隊は頷きながら話に耳を向けていた。 「俺が考えた作戦は以上だ。何か質問は?」 「もしCの地点に目標がなかったらどうするんだ?」 「その時は声を出してみんなに教えてくれ。残る地点はDとGだけになるから――」 ワンマンとならないように、そして最善を尽くせるように人からも意見を取り入れる。 慣れないながらも、今できる準備を全て整えた。 こうして出来上がった小隊の作戦。 そして、その時が訪れる。 「そこまで!」 戦場を模した平原に指導官の声が響き渡る。 ロランの立てた作戦の通り、それぞれが最善を尽くして目標の撃破を達成した。 確かな手応えを感じていたロランは、仲間と顔を合わせ静かに拳を上げる。 「やったなロラン!いい感じだったぜ!」 「あぁ。皆が頑張ってくれたからな」 「もしかしたら、セシルの小隊にも勝てるかもしれないぞ?」 「その為に努力したんだ。俺達は勝たなければいけない」 笑顔で喜ぶチームメイトに、真剣な表情で言葉を返すロラン。 その視線の先には、模擬戦闘試験最終組の小隊。 リーダーのセシルは気を引き締めている様子だった。 試験が行われる平原から少し離れた高台の丘まで歩くと、セシル小隊の試験風景を見下ろす。 目に飛び込んできたのは、遊撃士でありながらも自ら動き周り、的確に目標を破壊していくセシルだった。 チームメイトとの連携が取れているとはお世辞でも言い難い。 しかし、セシルが率先して行動する事で、他の者も攻撃的に戦場を制圧していく。 ロランの小隊とは正反対の作戦。 確かな技量と絶対なる自信がなければ、こんな作戦を押し通す指揮官はいないだろう。 にも拘わらず、そのやり方でトップを取り続けているセシルは、それだけ優秀という事だ。 全ての模擬戦闘試験が終わり、指導官がその結果を読み上げる。 皆緊張した様子でその声に耳を傾けた。 「では、まずは1位、得点93。ロラン小隊」 「嘘でしょ!?」 信じられない様子のセシルが声を上げた。 集まった訓練兵はざわざわとどよめく。 「静かに。2位は得点91。セシル小隊」 それを聞いて力が抜けた様子のセシルは視線を地に落とす。 ロランはチームメイトと顔を見合わせてニっと歯を見せた。 努力が実を結んだ瞬間。 グッと拳を握り、喜びを確かめる。 これで聖王国騎士という目標に大きく近付いた。 残された課題はこの順位の継続。 それが出来れば――。 「ちょっとアンタ!」 宿舎への帰り道、突然背後から声が飛んでくる。 振り向くと、眉を逆ハの字に釣り上げたセシルが立っていた。 「セシルか。なんか用か?」 「何すましてるの!?一時的にとは言え、アタシを抜いて訓練兵の1位になったのよ!?もう少し喜んだらどうなの!?」 セシルと2人で会話をするのはこの時が初めてだった。 元々ロラン自身が積極的に人と会話をするタイプの人間ではなかったというのもあるが、軽戦士隊と遊撃士隊は模擬戦闘試験で同じチームに配属されなければ顔を合わす事も少ない。 突然絡んできたという事は、首位を取られたという事がよほど悔しいのだろう。 「いや……俺は喜んでるけど……そう見えないかな……はは」 無理矢理笑顔を作りながら、彼女の怒りを買わないように返事をする。 敵は作らないに越したことはない。 「全然そんな風に見えないわよ!……まぁいいわ!今日はたまたま調子が悪かっただけなんだから……次は絶対にアタシが1位になるから、覚悟しておきなさい!」 そこまで言うと、ロランの横を通り過ぎて宿舎に向かい走り去った。 「なんだよ……」 更に話したとしても、火に油を注ぐだけだろう。 プライドの高そうな彼女の事だ、必ず次の試験には対策を講じてくる。 彼女に抜き返されないように自分を更に高めようと気を引き締めた。 ―――――― ―――― ―― 「それで、お前達の最初の任務なんだが、まずは3日後の朝に王都の民間人に新しい聖王国騎士のお披露目がある。これに参加してもらう」 「了解しました!」 鎧を受け取ったロランとセシルは、敬礼をしながらアルドの目を真っ直ぐ見つめる。 「2人共、あんま堅くなるな。国王や大臣の前ではビシっとする事も大事だが、俺には敬語も敬礼も必要ない。命を預ける仲間なんだぞ?上下関係ってのは俺の隊には必要ねぇんだよ!はっはっは!」 「了解!アルド団長」 憧れのアルド団長の意志を尊重して、多少無理をしながらも合わせるロラン。 セシルもそれに続く。 「りょ、了解」 「それにしても、2人共優秀らしいじゃねぇか。指導官から聞いたぞ?良いライバルなんだってな!」 セシルが声を荒らげる。 「そ、そんなんじゃないです!」 「じゃあなんでお前達は同時に入隊できたんだ?毎年トップの成績の者しかこの隊には入ってこれない筈だったろ」 「それは……アタシ達にはわかりません……」 あの模擬戦闘試験の後、同じように何度も試験は行われ、ロランは1位を取り続けた。 聖王国騎士になる為に努力をし続けた結果、セシルに順位を抜き返される事なくここまで辿り着く。 しかし、呼び出されたのはロランとセシル。 なぜ2人が聖王国騎士となれたのか、2人には告げられずにここまできた。 「まぁ、2人で気合い入れろって事だな!」 「はい、父に負けない騎士になる為に、精一杯頑張ります」 「ほぅ?確かにお前の親父さんは素晴らしい騎士だった。俺も憧れたもんさ」 「自慢の父です」 「はっはっは!そりゃそうだな!」 「アンタそんな話一度も聞いた事ないけど……」 セシルが横から口を挟み、横目でロランを睨んでいる。 「言ったことなかったか?」 「なるほどね。アンタの底抜けな忍耐はそこから来てるって事か」 セシルには自主的なトレーニングをしている事は話していない。 何故彼女がそんな事を言うのか、ロランには分からなかった。 「悪ぃ、長話になっちまったな!ちょっとこの後用事があるから、これからよろしくな!」 アルドが2人の肩を叩いた。 「はい!よろしくお願いします!」 ロランとセシルの声が揃う。 「そういう堅苦しいのはなしって言っただろ?俺の隊に入ったんだから、俺のルールを守れよ」 アルド団長は笑いながら二人を見る。 「よ、よろしく……」 「あぁ、これからよろしく」
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+射抜き獲る眼光エルネ 港町マリーヴィア。 青い海に面したこの街は、大陸外の国とも盛んに貿易が行われている。 一年中潮風が吹き抜ける為、背の高い建物は港に作られた灯台くらいだった。 その灯台の一番上から、マリーヴィアの問題児は今日も弓を構える。 「可愛い女の子はどこかニャ~~?」 額に手をかざし、街を歩く小さな影を物色する。 膝を曲げてしゃがみ込み、長いマフラーをヒラヒラと風になびかせながら、前傾姿勢でクネクネ尻尾を揺らす。 突然何かに気が付き、目を閉じてクンクンと鼻を鳴らした。 「ニャニャッ!」 急に目を見開いたかと思うと、大きな弓を構えて狙いを定め、商店街を抜けた先の坂道を歩く一つの影に全神経を集中させる。 瞬間、その弓から風をまとった矢が放たれ、小さな影に向けて一直線に飛んで行く。 距離や潮風、高低差までも全て計算された矢は、確実に小さな影を捕らえている。 買い物から家に向かっていた少女は、その身に何が起こったか分からなかった。 突風が吹いたかと思うと、目の前の地面に矢が突き刺さる。 先端に鉄の金具がついた茶色くて細長い革の…まるでベルトが千切れたような物が、矢尻に付いていた。 少女はふと、坂道に通り抜ける風を全身で感じる。 自分の足元に目をやり、その身に何が起こったかを理解した。 「キャアーーーー!!!」 少女の悲鳴がマリーヴィアに響き渡る。 近くにいた人々は、とっさに少女に駆け寄り着ていた上着を脱いで被せると、険しい表情で辺りを見渡す。 「エルネーーー!!出てきなさい!!今日という今日は!!」 マリーヴィアの女性たちは、毎日のように続くエルネの悪戯に業を煮やしていた。 灯台の先端からその姿を眺めていたエルネは、尻尾をくねらせながらその様子を眺める。 「ニョホホーーー!絶景だニャーーーー!!」 縦長の瞳孔をハート型にしながらひっくり返り、足をバタバタさせながら歓喜するエルネ。 悪質な事に、旋風を纏った矢は巻き込んだ服を木っ端微塵に切り裂き、元の形に戻す事は不可能。 身体は傷つけずに服のみを射抜く、エルネの弓の精度は日々研ぎ澄まされ、その射程圏は1kmを越えていた。 「女の子の裸が見たい」という強すぎる願望は、エルネの技術を歯止めなく向上させていく。 その日も朝から、エルネは灯台に登り獲物を探していた。 マリーヴィアの領主の家に入っていく女性は、エルネの求めた絶世の美女。 エルネは鼻息を荒くして弓を構えながら、その女性が顔を出すのを今か今かと待ちわびる。 昼になり、夕日が落ち、月が空の真ん中まで到達した頃、領主の家の2階の窓に明かりが灯った。 その窓に美女が出てくるや否やエルネは弓を放つ。 夜目が利くエルネにとっては、昼も夜も変わらない。 「生まれたままの姿にニャるニャーーーー!!ムッホーー!!!!これはまた!脱いでもすごいニャーーーー!!!」 鼻血を出しながら後ろに倒れるエルネ。 何時間もの間、限界まで精神を集中し続けた事により溜まった疲労は、一瞬で幸せの頂点となり解き放たれる。 その場に倒れこみ、達成感を全身で感じつつ泥のように眠る。 「この世の春だニャ……」 朝になり目を覚ますと、エルネは屈強な兵士達に取り囲まれていた。 「なんなのニャお前ら!!ちょっと、いきなり何なのニャ!ヤメるニャよーーーー!!」 身動きが取れないよう何重もの縄が身体に巻かれ、エルネはどこかへ連れていかれる。 見えてきたのは街の高台にある大きな屋敷、そこは領主の家だった。 兵士達は足を止める。 「領主様!問題児を捕らえて参りました!」 扉が開かれると、そこにはエルネを見下ろす領主の姿があった。 領主の背後には大広間が広がっている。 大広間の突き当りには階段があり、広く大きな壁には若い頃の領主が描かれた絵画が掛けられているが、無残にもその額には見覚えのある矢が突き刺さっていた。 更に絵画の裏の壁にヒビが入り、その亀裂は絵画の外にまでくっきりと見えている。 「君が噂のエルネ君か。随分と派手に暴れ回っているようだね」 領主は淡々とした口調で話す。 その表情は笑顔だったが、瞳の奥のグラグラと煮えたぎる怒りはエルネにも感じ取る事ができた。 「君のせいで、大事な絵が台無しだよ。どう責任をとってくれるのかな?」 エルネ嫌な汗を流しながら笑顔を取り繕う。 「ニャハハハ……いやぁ、領主さん、最近シワが増えてきてるし、そろそろあの絵も…描き直した方がいいんじゃないかニャ~~ニャんて……」 領主の額に無数の血管が浮かび上がる。 「余計なお世話だ!!今まで見過ごしてきたが…今日という今日は許さん!!」 「ニャ~んだ!見過ごしてきたって事は、領主さんも、やっぱりかわいい女の子の裸が好きなんニャねー!」 「黙れ!!そんな事があるものか!!」 ふぅふぅと鼻息を荒くしていた領主だが、これ以上挑発に乗るのは威厳に関わると考え、一つ咳払いをして落ち着いたトーンへと戻る。 「ゴホン……。君の故郷は確かヴィレスだったね…。本日付けでマリーヴィアでの住民権は剥奪。変わりにこれをエルネ君にプレゼントしよう」 領主が手を前に出し、エルネの顔の前に一枚の紙が開かれる。 紙の一番上には『退去強制令書』と記述されていた。 「これは何なのニャ?えーっと、なになに…マリーヴィアで数々の問題を起こすエルネに対し、だすなまこくへの…きょうせい……?読めないニャ!!」 首を傾げるエルネに、領主は嬉しそうに話す。 「出生国への強制送還。君は問題を起こし、この街を追い出されるのだよ。そして、生まれたヴィレスでそれ相応の処罰が待っているだろうね」 エルネの故郷、“獣境の村ヴィレス”は獣人であるガルム族の村であり、ガルムの王によって統治されていた。 ガルム族は、元々人間との間に確執があったが、長い歴史の中で交友関係を結び、今では共存できている。 しかし、村の外でガルムが問題を起こせば、交友関係に亀裂が入る可能性を考え、罪を犯した者には厳しい処罰が待っていた。 普段は脳天気なエルネも、目の前の紙に書かれている意味を理解して青ざめる。 「ま、ままま待ってくれニャ!エ、エルネはこれから真面目になるのニャ!もう絶対女の子を脱がしたりしないのニャ!素敵な領主さんなら、分かってくれるニャよね!?」 「あぁ、分かるとも。君は更生するようなお利口さんではない事くらいね。連れていけ!!」 横にいた兵士はエルネを担ぐと屋敷を出ていく。 「コラ!離すニャ!エルネはこの街が好きニャの!!ヴィレスには帰りたくないニャーーー!!」 手を組んで見送る領主は高笑いを抑える事ができない。 「はっはっはー!ヴィレスで楽しい余生を過ごしたまえ!」 「ニャんだとーーー!!このムッツリエロじじいーーー!!覚えてニャよーーーー!!」 ――数日後 馬車から降ろされたエルネは目を開ける。 鼻をクンクンとさせて、久し振りの故郷の匂いを嗅いで懐かしさに浸っていたが、兵士に身体を起こされて正座をさせられる。 眼前には、ヴィレスの王が腕を組み悠然と佇む。 周囲には屈強なガルム族の男達がエルネを取り囲み、エルネは緊張する。 マリーヴィアの兵士から『退去強制令書』を受け取った王は、一通り目を通し口を開く。 「なるほど、後はこちらに任せてくれ。この者が手を掛けさせてすまなかった。領主にも宜しく伝えてくれ」 兵士はその場を後にし、王はエルネを見下ろした。 「ニャははは…王さま…お久しぶりだニャ……」 苦笑いをするエルネに王は静かに答える。 「エルネよ。随分と人様に迷惑を掛けたと聞く。覚悟はできているな」 エルネはビクッと全身を毛羽立たせる。 「ニャッ…!そ、それは……」 『退去強制令書』を爪で指しながら、王はエルネの言葉を遮る。 「お前が犯した罪は深い…だが、ここに記された事が本当であるならば、まずはその弓の腕を見せてみよ」 「ど、どうかそれだけは………ニャ?」 予想した言葉とは違う内容に戸惑うエルネに、王は睨みつける。 「できぬのか?」 「や、やるニャ!弓なら誰にも負けニャいニャ!」 周りにいたガルム族の男達は、急な展開にザワつく。 しかし、王が決めた事であれば、彼らも行く末を見守る他なかった。 ヴィレスの北にある海にやってきた一同は、小さな一隻の船を確認しようと目を細める。 潮風の強い海岸線で縛られていた縄を解かれたエルネは、海の上の船を目で追っていた。 海へ出た船は沖へ沖へと進み、海岸からは小さな点のようにしか見えない。 王が手をあげると船は帆をたたみ、波の強い沖合でユラユラと揺れながら停泊した。 帆柱の先端には、片手用の盾が一つ。 「エルネよ。あの盾を射抜いてみよ」 船でさえ点に見える距離で、その場にいる誰しもが無理難題だと思っていた。 エルネは鋭い目で船を睨みながら鼻をクンクンと鳴らす。 「わかったのニャー」 なんとも軽い返事に一同は拍子抜けする。 見物に来ていた村の住人たちは、エルネと船を交互に見てその時を待った。 エルネは弓を引き集中する。 次の瞬間、エルネは横に飛んだかと思うと叫び声が辺りに響き渡る。 「キャーーーーー!!!」 住民は何が起こったかと辺りを見渡すと、観戦していた女性のガルムの服のベルトが射抜かれ裸を隠している。 更に、悲鳴はあちこちから聞こえる。 エルネは小刻みにジャンプをしながら、次々に見物人の女性の服を剥がしていった。 「そこまでだ!!その者を捕らえろ!!」 悲鳴の中、王の声が響き、屈強なガルム族の男衆がエルネを捕えた。 「何なのニャ―!!痛いニャー!!」 エルネに近付く王は、エルネを見下ろした。 ガルムの兵は、エルネに槍を構える。 「貴様!王のご慈悲をなんだと考える!!お前のような者はこの場で死ね!!」 「待つのニャーーー!!ちょっとした冗談だニャーー!!」 足をバタバタさせるエルネに、王が口を開く。 「止めろ、そこまでだ」 王の顔を見るガルムの兵。 王は手の平を兵に向けて、『止めろ』という合図を送りながら、海の方角を見ていた。 目線の先を見ると、海の上に浮かんでいた船がこちらに近付いてきている。 「痛いニャー!!離すニャー!!!」 尚も暴れているエルネに耳を貸す者はおらず、ただ船が戻ってくるのを待った。 船が海岸に辿り着き、乗っていた男のガルムが走ってくる。 「王……これを……」 彼の手には、7個の穴が空いた盾があった。 王はそれを見て、裸にされた女性の数を確認する。 「なるほど。確かに問題児だな」 王は、取り押さえられジタバタと動いているエルネの方に向き直る。 「エルネよ。お前にはこの村の治安維持部隊として働いて貰う。仕事を全うすれば今までの罪は不問とする」 それだけ言うと、王はマントをひるがえし村へと戻っていく。 エルネは嬉しそうに、兵の槍を跳ね除けて飛び起きる。 「本当ニャ!?本当にホントだニャ!?」 周囲の者はどよめき、跳ねまわるエルネを見ていた。 「やったニャーーーー!!」 服を脱がされた7人の女性はエルネを睨みつけるが、エルネはそれに笑顔で返す。 「なかなかいい物持ってるニャね~~ニヒヒヒ!!」 エルネはガルム族の兵団宿舎に暮らすこととなった。 治安維持部隊とは、ヴィレスの周りに生息する魔物を討伐して安全を確保したり、住民に被害を与える族の始末、更には要請があれば他の街にまで赴いて仕事をこなす兵団だった。 基本的には2人一組で行動し、エルネは第18小隊として配属された。 ツーマンセルを組むことになった相棒は、白い翼を持った白鳥のガルム『シエロ』。 まだ若い青年だが、エルネとは真逆の性格だった。 「えーっと、白い羽に銀髪の男…あ!エルネの相棒ってお前ニャ?エルネは弓なら誰にも負けないニャ!これからよろしくニャー!」 シエロは脳天気そうなエルネに対して厳しい目線を送る。 「お前がマリーヴィアから送られてきた問題児か。チィッ…なんで俺がこんな奴と…。くれぐれも俺の邪魔だけはするな」 シエロは舌打ちをしながらその場を去ろうとする。 「待つニャ!エルネは何をすればいいのニャ!?」 振り返ったシエロは、更に厳しい言葉を吐き捨てる。 「俺の邪魔だけはするなと、今言った筈だが?」 エルネはそんなシエロにお構いなしに質問攻めをする。 「なんでニャ?折角ニャんだから仲良くやろうニャ!あ、名前はなんていうのニャ?どんな女の子が好みなのニャ!?」 苛立つシエロは剣を抜き、エルネの顔の前に突き出した。 「何度も同じ事を言わせるな。俺の邪魔をしなければそれでいいと言っているのだ」 エルネは動じずに、剣をひらりと交わし、シエロの耳元で楽しそうに喋る。 「でも~~?女の子の裸には興味あるニャよね~?」 シエロはとっさに後ろに下がり剣を構える。 「うるさい!!貴様はなんなのだ!!何故王はこんなバカを……」 「エルネの弓の腕を見込んでくれたニャ!ちゃんと働かないと、エルネは王さまに怒られるニャよ!」 シエロはため息を吐き、剣を鞘に収めた。 「俺は貴様のような奴が嫌いだ。俺の家系が何代も掛けて築いた他種族との交流を…無下に扱うクズが…」 背を向けて宿舎を出て行くシエロ。 エルネは急いで支度をしてその後をついていく。 「おい!鳥!置いていくニャ!エルネも行くニャー!!」 行商人が行き来する街道を歩くシエロの後を追いながら、エルネは暇そうに尻尾をブラブラさせていた。 「鳥~~。エルネは疲れたニャ~。こんな何もない所をずっと歩いてどうするのニャ~~?」 シエロはエルネの言葉に耳を貸さない。 「はぁ…つまらニャい奴だニャ~~。どうせなら可愛い女の子と組みたかったニャ~~……ニャ??」 ふと何かに気がついたエルネは、立ち止まり鼻をクンクンと鳴らす。 「なにかニャ?この匂い。おい!鳥!ちょっと待つニャ!」 シエロは様子が変わったエルネの方を向くが、その顔は相変わらず険しい。 「うるさい奴だ…なんだ?」 エルネは西の方に指を向け、興奮気味に喋る。 「あっちの方から女の子の匂いがするニャ!!」 シエロはため息を吐き、エルネを無視して歩を進めだす。 「最後まで聞くニャ!魔物の匂いも一緒ニャ!きっと女の子が襲われているニャよ!!」 「何だと!?それを先に言えバカ猫!どこだ!?」 エルネは構って貰えた事に嬉しがりながらも、詳細な情報を伝える。 「あの山を越えた向こうに、川が流れてるニャ。そこからもう少し先に行った所ニャね」 シエロは目を丸くしていた。 どれだけ遠くの匂いを嗅ぎ分けているのか、それが本当なのか分からないが、もし本当だった場合は見過ごす事はできない。 できるだけ早く走る2人。 エルネに案内されるまま、シエロは後を追った。 現地に到着すると、エルネの言っていた事は全てが本当だった。 道に迷っていた行商人の一団は、魔物の群れに襲われていた。 幸い、連れ添っていた傭兵が退治までは至らないが、食い止める事はできていた。 魔物の群れに飛び込むシエロ。 「許す訳にはいかないっ!」 とてつもない連撃を浴びせ、魔物を次々に消し去っていく。 エルネは高い木に登りシエロの背後に周り込む魔物を射抜こうとするが、シエロはそんな状況をものともせずに一人暴れ回る。 魔物の群れは劣勢となり、1体、また1体と逃げていく。 「逃がすか!」 シエロがものすごいスピードで逃げる敵の背後に迫る。 魔物はバタバタと倒れ、シエロの背中についた白い羽がその場に舞った。 「罪を自覚しろ…後悔はあの世でするんだな」 エルネは魔物が粗方片付いたのを確認して、木から飛び降りシエロに近付く。 「鳥!一人で気合入れすぎニャ!エルネの分もちゃんととっておいて欲しいのニャ!」 行商人の一団は、シエロに感謝の言葉を述べ、深く頭を下げながら泣いて喜んでいた。 行商人を送り届けている道中、シエロは真っ直ぐ前を見ながら後ろを歩くエルネに話しかける。 「ただのバカかと思っていたが、少しは使えるようだな」 エルネはその声に、頭の上に両手を組んで満更でもなさそうな表情を見せる。 「世界中の女の子はエルネが守るのニャ!ニャハハハハ!これからもエルネを頼ると良いニャよー!」 「調子に乗るなバカ猫。お前の評価はマイナス1000から、マイナス999になった程度だ」 エルネは頬を膨らましながらギャーギャーと白い翼の背中に文句を言うが、シエロはそれ以上言葉を発しない。 無事にヴィレスに辿り着いた2人は、今回の件を報告した。 ――月日は流れる 「可愛い女の子はいニャいかな~~」 ヴィレスの高台で指を加えながら座り込むエルネの元に、シエロが声を掛ける。 「バカ猫。油を売っている場合じゃない。緊急招集だ。今すぐ降りてこい」 「何だニャ?今日は朝からうるさいニャ~~」 王都に帝国が攻め入ってから、隣国のソーンには帝国軍が駐留していた。 ヴィレスの王は、王都が陥落した事を知り、ヴィレスの兵を玉座へ集めた。 「皆、集まったな。帝国軍が各地を侵略している事は皆も承知だろう。王国の協定に加盟している村として、付近の偵察の任を治安維持部隊に任せたい。ヴィレスのガルムの誇りを忘れるな」 険しい顔で王を見つめるガルムの兵達は、武器を高く掲げ声を張り上げた。 鎮魂の街ソーン。 王都から一番近い街は、帝国軍の姿で溢れていた。 王都を陥落させた帝国の本隊は王都にいるが、拠点となっていたこの街にもまだ兵を置いているようだ。 第18小隊のシエロとエルネは、ソーンへと続く街道を目立たないように進んでいた。 「ニャ~~。偵察ならエルネだけで充分ニャのに、なんで鳥と一緒に歩かニャきゃいけニャいのニャ~??」 不満げなエルネにシエロは舌を打つ。 「チィッ…少しは静かに出来ないのか…。この部隊はツーマンセルでの行動が絶対だ。破る事などできない。もし許されるのだとしたら、お前のようなバカと俺が一緒にいる訳がない…」 「ニャにおー!!それはこっちの台詞だニャ!脳みそ全部鉄でできてる鳥と一緒ニャのかニャー!頭も身体も…柔らかい方がいいに決まってるニャ!」 「無駄口はその辺にしておけ。任務中だ。」 「鳥から言ってきたんニャろーーー!!あんまりエルネをバカにしてると、その内その羽に穴開けるニャよ!?」 「やれるもんならやってみろ……ん?」 シエロは街道に刻まれた複数の足跡を見つける。 まだ新しい複数の足跡を目で追った後にエルネを見る。 「バカ猫。この先に敵の匂いはないか?」 エルネは鼻をクンクンと鳴らせると、突然飛び上がる。 「ニョホーーー!!この匂いは!!素敵な女の子ニャ!!!鳥、エルネは急用が出来たニャ!お先に失礼ニャーーー!!」 エルネは横の林の中に姿を消していく。 「待てバカ猫!!貴様ぁああああ!!」 一人取り残されたシエロは、眉間に血管を浮き上がらせながらエルネの消えた方向を見ていたが、一人でも任務を遂行しようと前に歩き始める。 やがて、シエロの前方に数人の人影が現れる。 身を隠しながら近付いていくと、黒の鎧に身を纏った帝国の兵士が5人、ソーンへ向かい歩いている。 全員頭をすっぽりと覆うヘルムを着用し、ガッチリとした鉄の鎧を着ているが、5人程度ならばなんとかなるとシエロは突っ込む。 急襲で1人を倒し、剣を抜いた2人目も即座に戦闘不能にする。 残り3人の帝国兵は顔を見合わせて、その中の一人が何やら詠唱を始める。 止めようとするが、槍を持った鎧の兵士が前に立ち塞がる。 「お前は多少やるようだな。だが、罪人には死あるのみだ」 シエロは槍をギリギリで交わすとその鎧と鎧の隙間に剣を通し、槍の兵士も倒しきる。 しかし、奥で詠唱していた兵がその準備を終えたらしく、真下に魔法陣が現れた。 とっさに距離を取るシエロの前に、見たこともない魔物が召喚される。 「なんだ…こいつらは…」 跳びかかってくる謎の魔物と交戦するシエロ。 魔物はそこまで強くはないが、倒しても倒しても召喚される魔物に体力を奪われていく。 ついには魔物に突進を貰い、剣を落としてしまう。 「畜生…!」 迫り来る魔物に死を覚悟するシエロ。 その時、遠くから声が聞こえる。 「ひっぺがしてやるニャーーーーー!!!」 瞬間、風を纏った矢が魔物に当たり、魔物は吹き飛んでいく。 その一瞬の隙を見逃さずに剣を拾ったシエロは、残り2人の帝国兵に向かう。 しかし、シエロは足を止めた。 帝国兵の1人は弓で貫かれて倒れており、魔物を召喚していた一人の姿が見えず、目の前には裸を隠している女性の姿があった。 女性の周囲にはバラバラになった鎧が散らばっており、目の前で屈んでいる女性が魔物を召喚していた帝国兵だと分かる。 「絶景ニャ~~~!!あれ、鳥?こんなとこで何してるニャ?」 駆け寄ってきたエルネにシエロは集中を解いて怒り出す。 「バカ猫……貴様どこへ行っていた!!」 エルネは不思議そうに首を傾けて答える。 「どこって、可愛い女の子の匂いがしたから…ちょっと寄り道してただけニャよ。あぁ、鳥もエルネが脱がせた女の子を見に来たのかニャ?」 シエロの怒りは限界に達する。 「そんな訳があるか!!こいつらは帝国兵だ。俺は一人で戦っていた……そんな中で貴様は何をしていたのだ!!」 「ん~~?でもそれニャら結果オーライニャね。エルネが全部倒したニャよ!鳥より優秀だニャ~~~!ニャハハ!!っていうか、エルネ達は偵察を頼まれてたんニャから、勝手に戦うのは命令違反にニャらないのかニャ~~??」 「ぐっ……。貴様言わせておけば……!今回の事は全て俺から報告する。帰るぞ!」 「ニャにを偉そうに…エルネが助けてあげニャかったら、鳥は今頃焼き鳥だったニャよ?」 「誰が焼き鳥だ!!脳天国バカが…真面目に仕事をしろ!」 「ニャにおおおおお!!アヒルよりはエルネの方が役にたったニャよ!」 「だぁ…れぇ…がぁ……アヒルだぁあああああ!!」 ヴィレスに戻り報告をした2人は、命令違反によって仲良く謹慎処分となり、数日間は宿舎の掃除をしていた。 床を磨きながら屈辱に耐えるシエロの背中に声が掛けられる。 「鳥~~!もう掃除は終わりでいいって言われたニャよーー!!」 「バカ猫……それ以上騒ぐな…!」 「でも、帝国と戦う為に、はん…ていこく…そしき…?なんだっけニャ……。とにかく、エルネと鳥が行くことになったのニャ!」 「くそ……何故お前とまた一緒に……」 シエロはため息を吐く。 「はぁ…。まぁ…このままよりはいいか…。くれぐれも俺の邪魔はするなよ」 「はいはいニャーー!」 ヴィレスを出た2人は道中喧嘩をしながらも、妖精に案内されながらイエルへと向かった。 +蒼き幻想の探索者レイルス 雲一つない青空と、それを映す海。 水平線を挟んで続く、果てしない青の世界。 その中に、ふと黒い点がポツンと浮いているのが分かる。 近づいてみれば、それはいくつもの点の集合体であることがわかり、さらに近づくと、それが巨大な艦隊であることがわかった。 「司令。海賊の確保を完了しました」 「うむ。ご苦労」 艦隊の先頭を進む、一際大きな艦の甲板上。 そこに複数の人影が見える。 「任務もこれで完了だな。港へ帰投するぞ」 「了解。各艦に伝達します」 受けた指示を艦隊全体へと伝えるため、その場を後にする乗員らしき男。 届けられた書簡に目を通し、帰投指示を出したのは司令と呼ばれた初老の男である。 部下がその場を去ったことで、甲板に残った人影は二つ。 一つは司令である初老の男。 もう一つは、二人のやり取りをただ静かに聞いていた少年のものだった。 「今日も大活躍だったね。父さん」 「おぉとも!なんてったって俺の艦隊だからな!!いずれはお前の物になるかもしれんのだったか?レイルス」 「そうさ!父さんの跡は僕が継ぐ。そして、僕が『黒鉄の艦隊』の司令官になるんだ!」 「ならもっともっと勉強しないとな。知識だけじゃないぞ?いろんなものを見て、触れて、自分のものにしていくんだ」 「わかってるよ!きっといつか、海中都市だって見つけてみせるんだ!」 「ははは!まだ諦めてなかったのか?ありゃただのお伽話だ。実物を見た者は誰もいやしない。そもそも実在するかどうかもわからんものを見つけるってのは、それはそれは大変なことなんだぞ?」 笑う父に向かい、少年は至極真剣な表情で反論する。 「そんなもの無いって決めちゃうのは簡単さ。でも、誰も見たことがないってことは、無いと証明されたわけじゃない!だったら僕は可能性の小さい方に賭けてみたいと思うよ。それが何にせよ、初の発見者はいつも存在してたんだから!」 「ま、お伽話ってのは事実を元に作られた話も多い。俺もあれば面白いと思うぞ?それを見つけるのがお前だったなら、もっと面白いな!」 「うん!任せてよ!」 レイルスと呼ばれた少年。 年の頃は十と少しといったところだろうか。 その割には受け応えや立ち振る舞いがしっかりとしている。 それもそのはず。 艦隊司令である父を持ち、その姿に憧れた少年。 常に父の後ろを歩き、同じ景色を見て、様々の経験を経ながら成長していく毎日。 同年代の子らと比べ、彼がこれまでの人生の中で得てきた経験と知識は、質も量もまるで次元が異なる。 「おはよう、父さん。今日は艦には乗らないんだっけ?」 「あぁ。王都から呼び出しがかかっている。最近、海で悪さする輩が増えてきてるからな。恐らくその辺についての話だろう。城の中に入れてやれるかはわからんが、お前も付いて来るか?」 「いいや。僕は艦隊の哨戒任務に付いて行くよ。王様には僕が司令になったら会えるようになるしね!」 「相変わらず口はだけはとっくに一人前だな……俺がいないからって、艦の奴らの足を引っ張るんじゃないぞ?」 「わかってるよ!僕が何回乗ってきたか知ってるでしょ?やるべきことも、やっちゃいけないことも覚えたよ!」 「簡単にそう言えちまうところが不安なんだが……まぁいい、しっかりやるんだぞ!」 「了解しました!司令!へへっ!」 港町『マリーヴィア』には、大陸に点在する他の街や港とは決定的に異なる点がいくつかある。 まず、一つ目。 同じく貿易が盛んなことで有名な流水の都『ラグーエル』は、行き交う物量でこそマリーヴィアを上回るものの、それはあくまで一般市民に出回る日用品や食料が主であり、マリーヴィアで取り扱う品々とはジャンルが異なるのだ。 理由は明白である。 ここは王都に最も近い港町ということもあり、レミエール国王から多大な援助を受けている。 その援助とは、金銭のみならず、様々な特権の事をも指し、その中に武器貿易を認めるとの条項があるからだ。 続いて二つ目。 孤高の島国『アルジア』との直接貿易を唯一許されていること。 基本的に外交を遮断している謎の多い島国のため、大陸の平和を担う王都としても慎重に目を光らせるべき土地ではあるが、その技術と文化の独自性は極めて高く、それらが反映された品々はどれも奇抜で、興味をそそられるものなのだ。 当然、希少価値については言わずもがなで、そうした商品に目を付けた商人がわんさかと訪れ、賑やかな声をあげている。 最後に、レイルスの父が預かる『黒鉄の艦隊』の存在だ。 マリーヴィア開港当初、ここに目を付けたのがレイルスの祖父である。 しがない一商人に過ぎなかった彼は、マリーヴィアの領主と交渉し、貿易港としての機能を大きくすることを提案。 町興しのために自身も尽力することを条件に、彼の提案は受け入れられた。 それから彼は、類まれなる商才を発揮し、ボロ船一隻のみを所持する小さな貿易会社を、瞬く間に巨大貨物船が連なる巨大貿易会社へと成長させ、さらには、他の貿易会社をも取り仕切る貿易組合の長となり、マリーヴィア一の功労者として語られることとなる。 彼が生んだ貿易による利益は、マリーヴィアの成長だけに留まらず、王都の発展にも多大な貢献を果たした。 しかし、それを機に彼は突如代表の座を引退。 実の息子に跡を引き継いだのだった。 次代の代表となったのはレイルスの父である。 港が大きくなり、多くの船が出入りするようになれば、海賊が目をつけたり、魔物による事故が目に見えて増えていた。 そこで、海上の保安とマリーヴィアを訪れる商船を守る為、彼は父から引き継いだ権力と資金を用いて、会社の貨物船団を軍用に改装し、軍艦数隻からなる小規模の艦隊を設立する。 丁度その頃、陸上の軍備拡張に力を入れるあまり人手が足らず、海上整備が後手後手になっていた王国軍は、彼の動向を知るや、それを支援した。 そうして、いつしか人々は彼らを「黒鉄の艦隊」と呼ぶようになる。 そんな父だからこそ、レイルスは自分もそうなりたいと憧れた。 「レイルス?今日は司令が乗艦しないんだろ?一人で乗ってもいいのかい?」 「こんにちは!父の許しは貰ってます。迷惑はかけませんので!」 「ははは!君なら大丈夫だろう。司令もきっと安心して送り出してくれたんだろう」 「どうでしょう。そんな風には見えませんでしたが……」 既に港には出航準備を済ませた艦が並んでいる。 レイルスはいつも通り旗艦へと搭乗し、出航の時を待った。 任務はいつもと変わらぬ近海の哨戒。 貿易船を海の脅威から守るためのものだが、戦闘が起こることは滅多にない。 艦隊設立当初はそうした事も多々あったようだが、艦隊の名が知れ渡るにつれ、ここ一帯での被害は少なくなった。 数年前から艦に乗せてもらえるようになったレイルスも、戦闘を体験したことは数えるほどしかない。 この日も、何事も無い平和な海を巡回して帰投するだけ。 そう、当たり前のように信じていた。 「よし!出航だ!!司令がいないからといって気を抜くんじゃないぞ!!」 違うのは、いつもならそこにいる父がいない。 ただ、それだけのはずだった―― ――港を出航してから数刻が経過。 黒鉄の艦隊は、マリーヴィア沖数十キロの地点で波に遊ばれていた。 「一体何が起こった!?状況を報告しろ!!」 「わかりません!!突然、海が荒れて……!!」 それは突然だった。 穏やかだったはずの海面が、白く染まり始めたかと思いきや、嵐の真っただ中にいるかのような激しい揺れが艦隊を襲う。 「レイルス!?無事か!?」 「大丈夫です!何があったんですか!?」 甲板上でいつもと変わらぬ景色を楽しんでいたレイルスは、突然の揺れに際し、艦から振り落とされまいと必死に手すりにしがみ付いていた。 視界には、荒れ狂う海を余所に、海鳥たちが呑気に舞い踊る至って平穏な空。 彼にはそれがかえって不気味に思えた。 「俺達にもまだわからない!とにかく艦内に避難する!今からそっちに行くから、それまで頑張るんだぞ!!」 「わ、わかりました……!」 艦内から飛び出してきた乗員は、腰にロープを巻き付けながら、仲間と共にレイルス救出の準備を急いでいる。 いくら精神的に大人びているとはいえ、レイルスはまだ子供。 その小さな体にいつ限界が訪れ、波にさらわれてしまうかわかったものではない。 そんな不安が乗員たちの心を急き立てる。 「まだか!?急げ!!」 「もう終わる!!これで……よし!いけるぞ!!」 「レイルス!すぐに助けるから――!!」 激しい焦りの中にあっても、ミスなく迅速に救出準備を整えた乗員たち。 厳しい教えと訓練を耐え抜いてきた彼らだからこそ、これだけの早さで事を済ませることができた。 だが、それでも間に合わなかった。 乗員の視線の先には既にレイルスの姿は無く、ガランとした甲板だけが吹き荒れる潮に晒されていた。 「う……ぶはっ!ふ、艦に……!!」 一方、甲板から投げ出され、荒れ狂う海に引きずり込まれようとしていたレイルス。 少し耐えていれば必ず助けが来る。 そう信じ、彼は艦の傍に寄ろうと必死に手足を動かしている。 「くそ……な、何で……!?」 しかし、そんな彼の努力を嘲笑うかのように、無情にも自然の力は彼を艦隊から引き離していく。 当然、力いっぱいもがき抵抗するが、ギリギリ頭を海面から出すのがやっとだった。 「はぁ……ぶ――っはぁ!はぁっ!!」 みるみるうちに体力が奪われていく虚脱感。 抗いようのない絶望感。 脳裏によぎる死の予感。 様々なものが波と共に彼を呑みこもうと襲い掛かり、悲痛に顔が歪む。 「はぁ……はぁ…………も、もう…………ダメ――」 たった一人、小さな体で自然の力に抗い続けたレイルス。 だが、最後まで願い続けた救援の望みも叶わぬまま、ついには力尽き、彼の姿は海の中へと消え入く。 ――あぁ……僕はこんなところで死ぬのか…… ――父さんの跡を継ぐことも……海中都市を見つけることもできないまま…… ――悔しいなぁ………… 海底へと沈みゆく最中。 朦朧とする意識の中で、これまでの自身の人生をゆっくりと振り返り、憂い、悔やむ。 短い時ではあったものの、その濃さは決して薄いものではなかっただろう。 だが、結局のところ、自身が本当に果たしたかったことを何一つ果たすことが出来なかったことを思えば、すんなりと受け入れられる結末ではない。 それでも受け入れるしかなかった。 抗う力など既に残されているはずもない。 もう何もできない。 ――あれは……? 潮の流れに揉まれながら、水中をたゆたうのみとなったレイルスのぼやけた視界に何かが映り込んだ気がした。 ――本当にあったんだ………… 海底で淡く輝く光の群れ。 その中には、建造物のようなものが確かに見て取れる。 否、建物ではない。 そこには街が存在した。 目を凝らすと、その街をまるまる包み込む巨大な水泡がドーム状に広がっているのが分かる。 まさに幻想世界。 レイルスがお伽話の中に見た『海中都市』そのものだった。 そして、もう一つ。 ――女……の子……? 海中都市に被さる様にして、大きくなっていく何か。 こちらに近づいてくるそれは、女の子のように見えた。 それはまるで女神のように美しい女の子。 綺麗な金色の髪を波になびかせながら、必死にこちらに手を伸ばそうとしている。 その光景は、まるで夢の中にいるような―― ―――――― ―――― ―― 「……ん……んん?」 閉じた目の隙間から差し込んでくる眩い光。 ゆっくりと目を開けると、そこは見慣れない一室。 「ここは……?」 キョロキョロと視線を動かすと、自分がベッドの上で横になっていることがわかる。 「あれ……僕……生きてる…………」 ぼんやりとした頭が少しずつ覚醒していく。 ゆっくりと体を起こす。 綺麗に片付けられた小さな部屋。 窓の外に見える風景は、いつものマリーヴィアの街並み。 「ん?もう立ち上がって大丈夫なのかね?」 振り返ると、ノックも無しに開かれたドアの傍らに老人が立っている。 恰好から察するに、術士のようだ。 「えぇと……体は大丈夫みたいです……ここは、診療所ですか?」 「あぁ、そうだよ。無事でなによりだ。君の知り合いも皆心配していた」 「知り合い……?」 「黒鉄の艦隊の皆さんだよ。彼らが海に浮いていた君たちを救助して連れ帰ったんだ。幸いだったよ。彼らの応急処置がなければ助からなかったかもしれない」 「そうでしたか……後でお礼を言わないと――ん?君『たち』っていうのは、僕以外にも海に投げ出された人がいたんですか?」 「君のとこの乗員ではないみたいだが、もう一人、同じところに浮いていた女の子がいたと聞いている」 「女の子……!?」 鮮明に蘇る記憶。 金髪の女神。 「その子はどこに!?」 レイルスは飛び付くように老人の肩を掴んだ。 「う……う~ん……実は、ここに運び込まれる予定だったんだが、直前に目を覚まして、どこかへ逃げ去ってしまったらしいんだ」 「僕……行かないと!!」 「レイルス君!?待ちたまえ!!まだしばらくは安静に――」 老人の制止を振り切り、診療所を飛び出すレイルス。 夢ではなかった。 海中都市のことも。 女神のような女の子のことも。 聞きたいことがある。 話がしたい。 とにかく会わなくてはならない。 そう思うと、じっとなどしていられなかった。 「あの!!僕と一緒に助けられた女の子はどこに!?」 「レイルス!?もう回復したのか!?」 診療所で眠っているはずのレイルスを目の前にして、港でがん首そろえて目を丸くする艦隊の乗員達。 「本当に良かった……お前にもしものことがあったら司令にも顔向けできないところだったよ……」 「そ、それよりも、女の子は!?」 「え?あぁ……あの子なら、目を覚ましてすぐにどこかへ逃げてしまったんだ。俺たちも追いかけたんだが、とんでもなく足が速くてね……辺りを探したが見つけられなかった。知り合いなのか?どうして一緒に海に浮いていたんだ?」 「えっと……あ、後で説明します!僕、あの子を探さないと!」 「レイルス!?」 その後、一晩中駆けまわって彼女の行方を捜したレイルスだったが、その行方を掴むことは叶わなかった。 彼女が走り去ったという方向を闇雲に探したが、情報はゼロ。 海中都市の人間ならば、どのようにしてあの場所に戻るのだろうか。 色々な可能性を考えては、手当たり次第に聞き込みをしたが、これっぽっちの成果も得られなかった。 まさか自力で泳いで帰ったのではないか。 そんな途方もない発想に一縷の望みを託そうともしたが、その真偽を確かめる術があるわけもない。 日が暮れた頃、街外れで膝を抱えていたレイルスを艦隊の乗員が保護した。 ただでさえ衰弱していた体に鞭打ったため、ろくに歩くことさえできなくなっていたのだ。 大きな背に抱えられ、家へと帰る途中、レイルスは艦から投げ出されたときの話を男達に打ち明ける。 海中都市のこと。 金髪の女神のこと。 乗員の男はレイルスをなだめる様に話を聞いてくれてはいたが、その内容を信じてはくれなかったようだ。 レイルスの願望。 伝説の海中都市を見つけるという夢が、文字通り夢となって現れたのではないか。 そして、たまたま助けてくれた少女もが、その夢に出てきたのではないか。 レイルスを知る人間であればあるほど、そう考えるのは自然なのかもしれない。 もはや彼女と再会できる望みは絶望的といえよう。 いっそのこと、彼らが言うように夢だったんだと諦め、忘れ去ってしまおうともした。 しかし、それはもうできない。 彼はもう気付いてしまっていた。 自身の心に刻み込まれた彼女の顔と、密かな想いに。 ――それから、数年の月日が流れた。 「到着しましたよ、お客さん。あれがラキラの街さ!」 「おぉ……なんて美しいんだ……!」 マリーヴィアから遥か南西。 そこに、乗合馬車から降り立ち、花園の都『ラキラ』を微笑みながら仰ぎ見るレイルスの姿があった。 元々年齢以上に大人びた言動の彼ではあるが、その雰囲気は幾重にも増して頼もしいものとなり、立派な好青年へと成長している。 無論、それは時間経過によるものだけではない。 あの日、あの海難事故以来、彼は一つの夢を胸に秘めたまま日々を邁進した。 幼い頃から信じ続けていた海中都市へと再び辿り着く。 そして、自分を助けてくれた金髪の女神にもう一度会いたい。 そんな想いを目標にして生きてきた。 彼はあれから誰にも海中都市と金髪の女神について話すことをしなかった。 なぜなら、否定されたくなかったから。 なぜなら、現実であることを信じ続けていたかったから。 だから、それを果たすための努力を怠ることは無かった。 艦隊司令の父の跡を継ぐための勉強を続け、その技術と知識を瞬く間に吸収。 備え持っていた、何でも器用にこなす才能も相まってか、その成長速度には父さえも舌を巻いた。 父は自らの後継者に、実子であるレイルスを指名。 若すぎる次期司令の推薦には戸惑いの声こそ少なくなかったが、関係者の中に反対しようと声を上げる者は一人としていなかった。 さらには、あれから何度も一人で海図を睨みつけ、海中都市の場所に目星を付けてみたり、あの少女がどのようにして姿を消したのかを自分なりに考えられるだけ考えていた。 これらについてはなんの成果も得られていないが、それでも諦めないのは、レイルスの想いがそれだけ強いからだろう。 「今日、ここを訪れるってことは『花授式』の見物かい?」 「はい。ラキラの歴史が始まって以来続く伝統だと聞いています」 「ラキラの人間は皆、花の名前を自分の名前にします。花授式は、子供たちがその花を大司教様から授かる大切な行事なんですよ」 「大陸各地で様々な土地を見てきましたが、その中でも特に珍しい文化の一つですね。興味深いです」 「綺麗でいい街さ!式以外にも見どころが沢山ありますよ。良い旅になるよう祈ってます!」 「ありがとう。また利用させてもらいます!」 「どうも!」 御者とわずかながらの言葉を交わし、ラキラ近郊の街道に一人残されたレイルス。 花の香りで包まれた街の外観を楽しむと、思い出したように荷物を手に取り、市街へと歩き出す。 この時よりおよそ一年前、マリーヴィアにて父から基本的な教育を一通り叩き込まれた彼は、将来のため、見識を広めることを目的とした旅をするように言い渡された。 海中都市然り、珍しい文化や体験に興味を持つ彼にとって、その言いつけは極めて有意義かつ嬉しいものであった。 あくまでも勉強の一環。 それは彼自身も当然理解しているが、それでも心の内から湧き上がる高揚感を抑え込むことが出来ない。 「では、これを。この街にいる間は、そのアクセサリーを常に身につけるようにしてください」 「わかりました」 ラキラに到着したレイルスは、手早く門で手続きをし、街に入る許可を得る。 渡されたのはタンポポの綿毛をモチーフとした、ゲストアクセサリー。 風に乗り旅をする花を、そのまま旅人に例えたものだ。 「しまった……少しゆっくりしすぎたか?」 ラキラの門を潜ると、そこに殆ど人影は無かった。 ぐずる子供の手を引きながら、街の奥へと急ぐ親子が見える。 間も無く――否、既に花授式は始まっているようだ。 レイルスもまた駆け足でその後を付いて行った。 「何をやっているんだ僕は……この式を見逃してしまったら、今日という日を選んでここに来た意味が無くなるというのに……!」 式典は毎年行われている伝統行事ではあるが、物心ついた大勢の子供たちが、生涯の名を一斉に授かるというその珍しい光景は、毎年多くの人出で賑わい、大陸内でも有名な式典の一つに数えられているという。 これを逃してしまえば、次はいつ見られるかわからない。 式典会場である教会まで辿り着いたレイルスは、ゆっくりと入口の大扉を開き、式典の邪魔にならないよう音を殺しながら中へと入るが―― 「お父様!この女とラキラの剣聖、どちらがその名を取るに相応しいか決闘をさせましょう!!」 突然、甲高い声が会場を包み込む。 「な、何だ……?決闘……?」 会場に到着したばかりのレイルスは、思いもしていなかった状況に面を食らう。 「リリア……何を言っているそんな事は……」 「ワタシは構いまセンヨ!」 「しかし……」 「面白いじゃないですか。構いません。その勝負、受けましょう」 「ローズ!!いけません!そんな事は……!」 「そのチビちゃんが私に勝てたら名をあげる。私に負けたらその花の名になる。それのどこが悪いというの?それとも何?私が負けるとでも?」 何やら数人の関係者が壇上で揉めているようだ。 観客の影に隠れる形となってしまい、その様子を目視することはできないが、その会話の内容からおおまかな流れを察する。 式典参加者の一人が欲しがる花の名は、既に誰かの名となっており、その花の名を賭けて決闘をするか否やの綱引き中。 そんなところだろう、とレイルスは考える。 「決まりね!さぁ、皆の者、準備をなさい!闘技大会を開いている会場を使うのよ!今すぐよ!」 再びあの甲高い声。 会場の警備にあたっている兵士たちは、困惑しつつもそそくさと観覧客の誘導準備に入っている。 声の印象ではまだ幼い少女といったところだろうか。 しかし、兵士たちの対応を鑑みると、よほどの発言力を持っている人物のようだ。 「皆様、聞いての通りです。式典は一度中断させて頂きます」 所変わって闘技場。 式典会場にいた観覧客のほぼ全てが流されるまま順々にここへ移動してきている。 かくいうレイルスもまた、その流れに身を任せてここまできてしまっているわけなのだが…… 「決闘だというのに、物好きな人が多いな……ここではこれが普通なのか?」 周囲を見渡しても、誰一人として神妙な面持ちの者などいない。 皆が一様にワクワクするといった気持ちを堪えきれずにいるようだ。 その時だった。 観客が一斉に沸き起こり、その視線が会場の中心へと注がれる。 「出てきたぞ!剣聖だ!!」 「剣聖にケンカを売るなんて身の程知らずにも程があるぜ……」 剣を腰に差した凛とした雰囲気を漂わせる女性。 自信に満ち溢れ、決闘相手の登場を待ち構える堂々たる出で立ちは、素人にも強者である風格を感じさせる。 「すみません。『剣聖』とは一体何なのでしょう?良かったら教えてくれませんか?」 「んあ?何だ、坊主。余所者か?」 「ええ。花授式の観光に来ていたのですが、急にこんなことになってしまって……」 隣に座っていた地元の人間らしい男に、レイルスが胸のタンポポのアクセサリーを見せながら声をかけてみると、男は饒舌に語ってくれた。 「剣聖ってのは、いわばラキラの騎士みたいなもんだよ。花の剣聖ローズの名前は代々剣聖だけが継いできた、とんでもなく名誉ある名前でな?戦があれば先陣切って剣を振るう!まさに正義の味方なのさ!!」 「つまり、花授式でその『ローズ』の名前を欲しがった子供が剣聖の決闘相手を名乗り出たと?」 「ん~……まぁ言い出したのは本人じゃないんだが、結果的にはそういうことになっちまうかな。他の名前が良いなんて駄々をこねる子はたま~にいるんだが、それがローズの名前である以上、ワガママなんて可愛い言葉じゃ片付けられねぇのさ。剣聖の名はラキラの象徴でもあるからな」 「なるほど……よくわかりました。ありがとうございます」 「お?言ってる傍から出てきたぜ?剣聖の名を欲しがった身の程知らずの登場だ!!」 男に促され、再び視線を会場の真ん中へと向けるレイルス。 果たしてどんな子供なのか。 笑いごとではないのかもしれないが、街の外の人間である自分にとっては結局のところ他人事。 興味はあるが、それを素直に楽しんで良いものか疑問を感じながらも、新たに登場した人影の姿に目を凝らす。 「……は?」 次の瞬間、レイルスは言葉を失った。 見惚れる程美しい金色の長髪。 愛らしさを残しつつも整った容姿。 それは、あの日、海中都市と共にレイルスの心に刻み込まれた金色の髪の女神の姿。 否、正確には、彼女をそのまま成長させた姿だった。 「……何で……あの子がこんなところに…………!?」 途切れ行く意識の中で、数瞬だけ目にした顔。 しかも、それから数年の月日が経過している。 同じ人物であっても、それなりの変化はしているはず。 それが子供ともなれば、より成長は著しいものである。 それでもレイルスは、その少女が脳裏に焼き付いたあの女神であることを確信した。 「俺が1本を取ったとみなした方を勝者とする。問題なければ両者前へ」 審判の声で、剣聖と金髪の女神が向かい合い、剣を構える。 「ま、待ってくれ!その子は――」 「よし、始め!!」 審判の男が開始の合図を告げた途端、どっと沸き上がる歓声にレイルスの声はかき消された。 「ダメだ!どいてくれ!!お願いだ!!」 決闘の展開になど見向きもせず、観客をかき分けながら彼女の元へと向かうレイルス。 彼女たちが手にしているのは模擬戦や訓練で使われる木製の剣。 それでも相手が剣聖ともなれば、軽い怪我程度では済まないかもしれない。 ましてや、剣聖の名を欲した愚か者への制裁ともなれば尚更だ。 「その勝負!少し待ってくれ!!」 客席の最前列を飛び越えたレイルスは、審判に訴えかけようと舞台傍まで駆け寄る。 「I must not fall」 「……え?」 耳に飛び込んできた聞き慣れない言葉。 客席からではまず聞きとれなかっただろう。 しかし、それ以上に驚いたのは舞台上に広がっていた光景。 仰向けに転がる剣聖と、その喉元に剣の切っ先を突き付ける金髪の女神の姿。 「そこまで!勝者は挑戦者!!」 再び湧き上がる歓声。 死闘を演じたであろう舞台上の剣士二人だけが、時間が止まったかのように静止していた。 レイルスは息を呑み、その様子にただただ見惚れてしまった。 暫しの沈黙の後、未だ鳴り止まぬ歓声の中で、あの少女がハッと我に返る。 「あ…………」 今か今かと待ちわびた時であったにもかかわらず、そんな彼の気持ちを知らぬ少女は、わずかな隙さえも許さぬまま反対側の客席へと駆けて行ってしまう。 「ちょっと!?君――うわっ!?」 追いかけようとしたレイルスだが、ニューヒーローの登場を祝福しようと舞台に押し寄せる観客たちに阻まれ、前に進むことができない。 少女はそのまま人混みの中へと埋もれていき、とうとうそのまま見失ってしまった。 「まずい……このままじゃ……!!」 必死に人混みを押しのけ、足を前へと進めるレイルス。 ここで諦められるはずがない。 ずっと願い続けた夢が叶うかもしれないのだから。 「どいてくだ……さい!お願いします!道を……道を開けてください!!」 人を押しのけても、また人。 何度阻まれようとも前へ。 もう既に彼女がどこにいるかはわからない。 それでも前へ。 やがては人の姿が減っていき、身動きを取ることも難しかった密集地帯を抜ける。 レイルスはすぐに周囲を見回して、あの金髪を探す。 ――見つけた!あの子だ! 「おーーーーーーい!!」 喉から絞り出した精一杯の声をある一点へと飛ばす。 その一点を歩いていた二つの人影が、声に反応して振り返る。 一つは堂々たる体躯の大男。 そして、もう一つは見紛う事なき金髪の女神。 絶え絶えの息を落ち着けることもせず、そのまま二人の元へと駆け寄ると、言葉を選びながら少女に問う。 「変な事を聞くかもしれないけど……君はもしかして、海中都市を知っているんじゃないか!?」 レイルスの様子に戸惑いながらも、少し考え、思い出したように目を見張る少女。 「アナタ!!あの時、溺れてた人デスカ!?」 やはり間違いではなかった。 何年も信じ続け、再び出会える時を夢見て努力してきた。 言わないといけないことが沢山ある。 「やっぱり!!君が……僕を助けてくれた――」 そこまで口にし、思い直すようにして頭を抱えるレイルス。 まずは落ち着こう。 いきなり本題に入るべきじゃない。 しかし、こんな状況がいきなりやってくるなんて想定外だ。 「アナタ……大丈夫デスカ……?」 「ごめん……えっと、その、あぁそうだ!まずは、その……自己紹介をしよう。僕はレイルス。マリーヴィアの護衛艦隊に勤めているんだ。えっと君の名前は……ローズになったんだよね?さっきの試合を見させて貰ったんだ!感動したよ!おめでとう!!」 「えっと……ありがとう……じゃなくてデスネ……エェ!?!?」 「え!?な、何を驚いているんだい?」 「アナタが……あの時の…………!!」 「そ、そうだよ?君にありがとうと言いたかったんだ!君のおかげで僕は助かったんだろう?あれからすぐに逃げてしまったと聞いて心配してたんだ。でも、何でこんなところに――」 「アナタのせいデス!!」 突然耳を裂くうな声が響く。 「…………え?」 叫び声と共に、刺すように向けられるキッと吊り上がった視線。 その怒りを露わにした表情を見た途端、何かに亀裂が入る音がした。 「アナタのせいデス!アナタが全部悪いデス!!アナタの……アナタのせいでワタシは!!」 「ま、待ってくれ!何の事だい!?」 夢が叶った喜び。 再会できた幸せ。 そんなキラキラとした想いがガラガラと音を立てて崩れていく。 「アナタのせいで、ワタシはポートレアに帰れなくなったデス!」 「ポートレア……?海中都市のことかい?帰れなくなったって一体どういう――」 「アナタがあそこにいなければ、ワタシはこんなことにならずに済みマシタ!パパとママと離れ離れになることもなかったデス!」 こんなはずではなかった。 気恥ずかしさを感じながら楽しく語り合い、仲良くなって、それから…… 「ちょっと待って!もっとわかるように説明してくれ!何が何だかわからないよ!!」 「うるさいデス!どうしてくれるんデスカ!?ワタシをポートレアに帰してくだサイ!」 これは何だろう。 やっとの想いで夢が叶ったかと思えば、喚き散らされた。 本当に、この目の前の娘こそが自分のこれまでの人生を賭けて再会を願った少女本人なのだろうか。 自分が淡い想いを抱いた、あの美しい金髪の女神なのだろうか。 喜びは困惑に染まり、そして怒りへと変わりつつあった。 キンキンと耳に響く彼女の声がレイルスを苛立たせていく。 「君は故郷に帰りたいんだね?だったら、僕が力になろうじゃないか!責任は取るさ!僕はもうすぐ艦隊司令官になるんだ!そうすればきっと君を海中都市に戻すこともできる!」 「今すぐデス!早く責任とってくだサイ!ママとパパに会いたいデス!!」 「い、今すぐだなんて……それに、海中都市に辿り着くための方法も調べないと……だから説明してくれ!一方的に喚かれてもわからないと言っているんだ!!」 「なんで怒るんデスカ!?怒るのはワタシデス!」 「怒ってない!ただ、このままじゃ話が進まないだろう!?」 「アナタなんか助けるんじゃなかったデス!!」 「な!?ぼ、僕は助けてくれなんて言った覚えはないぞ!?助けるかどうかは君が選んだんだろう!?その後どうかなるかなんて、君自身が一番わかってたんじゃないのか!?」 「……っ!?」 感情任せの言葉とはいえ、それは言ってはならない言葉だった。 「ち、違う……それでも勿論助けてくれたことに感謝したいんだ!できるなら君の力にもなりたいと思っている!だから――」 「Shut up!!Just shut up!! もういいデス!!アナタなんて知らないデス!!」 「あ…………」 連れの男の手を引いて、駆けていく彼女の背中を前に、呆然と立ち尽くすレイルス。 彼女の力になりたい。 それは本当だ。 だが、今の彼はあくまで艦隊司令官になる予定の男。 ただそれだけ。 何の力を持っているわけでも、彼女を故郷に帰す術を知るわけでもない。 必至に大切にしてきた夢を壊された悲しみ。 それをその場で抑え込むには、まだ彼は若すぎた。 レイルスはこの直後、ラキラの街を後にした。 ローズと喧嘩別れした形のままで―― ―― 五年後。 レイルスは港町マリーヴィアに戻り、父の跡を継いで艦隊司令となっていた。 その面持ちは、去っていくローズを呆然と見送った時のそれではなく、むしろその時より無表情にも見える。 しかし、それは表面上の話。 その胸の内は、当時とは比較にならない程の熱を宿している。 彼は悔いていた。 あの日、あの場で、故郷に帰りたい想いを吐露したローズを助ける力がなかったことを。 自身の無力さと、未熟さを。 それでも諦めはしなかった。 剣聖となったローズと共に歩むに相応しい男になり、いつか必ず故郷の海中都市に帰してみせる、と。 来るかもわからない再会の日にて、今度こそ夢を果たすと。 その決意は、彼を更なる努力へと仕向けた。 司令官として必要な戦略的、戦術的知識及び技能を学んだ。 艦隊運用に必要な統率力と判断力を身に着けた。 海上気象学、船舶知識といった航海に必要な知識を勉強した。 自らが前に立ち、彼女を守れるよう、アスピドケロンで弓を覚えた。 そう。 全ては彼女のために。 「レイルス司令。報告します。先日捕縛した不審船の乗組員を尋問したところ、奴らは商船から奪い取った武器を海賊に横流ししていたようで……今後の処遇について、どうかご判断を」 「ご苦労。やはりそうか。その男には僕からも話を聞こう」 「了解しました」 レイルスはひとつ息を吐くと、椅子に腰掛ける。 自由気ままに生きられるのなら苦労はしない。 だが、今の自分たちには力があり、立場があり、守るべきものがある。 そのことを思うレイルスの気持ちは、艦に乗る者全員が理解していた。 「失礼します!司令!!」 「今度はどうした?」 「王都より伝令が!!帝国が……ガルヴァンド帝国が……王都を占拠しました……!」 「何だと!?」 大陸の歴史が大きく動いた瞬間だった。 ガルヴァンド帝国といえば北の小国。 そんな所があのレミエールを陥落させたなど、到底考える事ができない。 この事態はあまりにも異常すぎた。 「ありえない!一体何があった!?戦力差は歴然だったはず……!内部工作?それとも特殊な兵器か?くそっ……もっと情報はないのか……!」 彼が机をガンと殴りつけた丁度その時、指令室の戸が開いた。 「レイルス!いるか!?」 「父さん!?どうしたの!?」 「王都の話を聞いた。こんな形になっちまったのは残念だが、お前に渡さないといけないものがあってな」 「渡すもの?そんなことより今は――」 「まぁ、聞け。港に新しい艦を停泊させてある。あれはお前の力になってくれるはずだ」 「艦?」 「本来ならお前の司令就任一周年を祝ってやるつもりで用意してたんだがな。不幸中の幸いってやつだ。昔のコネを使って、ガリギアの職人たちに頼み込んで造ってもらった、とっておきだ!」 電磁都市『ガリギア』 魔導と対を成す科学や機械を製造、研究している都市。 独自性と機能性に優れる反面、未知なる不安要素も多いとして王国により危険視された過去を持つが、今ではその監視から逃れるために王都とは絶縁し、技術の粋を結集した研究を続ける独立都市である。 「ガリギアって……そんなもの、王都に知られたら大変なことになるんじゃないのか!?」 「俺たちは王都の所属でもなければ、軍属でもない。それに、それくらいの勝手が許されるだけの働きはしてやったつもりだぜ?」 「そうか……でも、なんでこんな時に?」 「領主からお達しだ。艦を全て出航させろとの事だ」 「それは……逃げろってことかい?」 王都が陥落したとなると、次に攻め入られるのはここマリーヴィアである可能性は高い。 無暗に戦うことを避けるべきなのは理解できるが、町の人々を置いて逃げろとはどういう事だろうか。 「お前の気持ちは分かる。しかし、あの小国がどうやって王都を落としたのか皆目検討がつかん。だからこそ、ここは一度、戦力を外に出して町は完全な降伏状態にする。王都が手も足も出なかったんなら、俺達がどうこうできるとは考え辛い。敵の手の内がハッキリするまでの間、艦隊という戦力を無傷で隠すって訳だ」 意味は理解できる。 正しい選択だとも思う。 しかし、レイルスの胸中には、これから町に降りかかるであろう惨状が鮮明に思い描かれ、素直に首を縦に振ることが出来ない。 「お前の考えている事は分かる。だが安心しろ。俺が残る。町の奴らを置いて逃げるわけにはいかないからな」 「な、何を言ってるんだ!?だったら僕だって逃げるわけにはいかないだろ!?」 「お前は逃げるわけじゃねぇだろ?もう何の力も持ってない俺とは違う。お前ならわかってるはずだ」 「……情報と戦力を整えて、勝つための好機を待つ」 「そうだ!」 「それが黒鉄の艦隊司令である……僕の使命……そう言いたいんだろう?」 「そうだ!!頼んだぞ、レイルス!いつか必ずこの町を――いや、この大陸を救ってくれ!」 父のこの表情。 信頼した人間に仕事を任せる時の顔。 本当に自分にそんな事が出来るのだろうか。 不安はある。 しかし、もう自分は黒鉄の艦隊の司令官なのだ。 「あぁ……わかってるよ、父さん!」 「うむ!それでこそ我が息子だ!」 期待に答えられるかどうか。 そんな不安を持つようではいけない。 今後は、どのように進むか、自分で舵を取るしかない。 「じゃあ……僕も港に急ぐよ……どうか無事で……!」 「お前に心配されるようになるとはな。安心しろ。こっちはこっちでなんとかやるさ」 「……ありがとう!」 レイルスは涙を堪え、指令室を後にする。 振り向きたい気持ちを必死に押し殺しながら。 そして、その気持ちは彼の父もまた同様だったはずだ。 「あ!司令!お待ちしてました!!」 父から話が通っているのだろう。 錨を上げて帆を張る艦の前で、仲間達がレイルスを出迎えた。 「全艦、出航準備はできているのか!?」 「問題ありません!それから、こいつも!」 「これが父さんの言っていた……!」 「えぇ。ガリギア製の特注戦艦らしいですね。先程、お父上から操船マニュアルを預かりました。潜水機能まで備えているとかなんとか……」 見慣れた艦の横につける異型の艦。 サイズは一般的な戦艦の半分程度。 丸みを帯びた独特なフォルム。 艦首下部に配置されたガラス張りの艦橋と、上部に設置された砲塔。 さらに、艦尾に取り付けられた巨大な風車。 その姿は、あまりにもレイルスの知る戦艦のそれとはかけ離れていた。 「もう操船はできるのか?」 「はい!まだ完全ではありませんが、通常航行であれば問題ありません!」 「よし!全艦隊に伝達。順次出航だ!」 それから数刻も経たぬ間に帝国はマリーヴィアへと侵攻。 からくも黒鉄の艦隊は、マリーヴィア沖に脱出することに成功した。 「司令……」 「王都の陥落が事実ならば、最大の脅威がいなくなった帝国は武力行使を推し進めるだろう。我々は戦わねばならない。マリーヴィアのみならず、あらゆる市民の平和を守るために!」 「我々は司令の命令のまま行動するのみです!艦に乗ることを決めた時から覚悟はできています!」 「ありがとう……!」 この時をもって、黒鉄の艦隊はマリーヴィアの護衛艦隊としての役割を放棄した。 しかし、それはまだ敗北ではない。 彼の率いる艦隊は、これより海上の反帝国勢力として、不当に支配される人々救出のために戦う道を進むことになったのである。 マリーヴィア脱出から数えて早一カ月。 黒鉄の艦隊は帝国軍の海上戦力を相手に厳しい戦いを強いられていた。 日に日に激化する戦闘の最中、その被害が皆無などという結果になるはずはなく、乗員たちの心身と共に、艦隊もまた着実に消耗していた。 「レイルス司令。そろそろどこかで補給を受けなければ……海上での艦の整備にも限界があります」 「まずは近くの町に補給隊を出し、同時にラグーエルに整備受け入れの要請を出そう。最寄りの町で、補給が可能な所はどこだ?」 「ここからですと……ラキラが適当かと思われます」 「ラキラ……か……」 苦い思い出がレイルスの心を締め付ける。 同時に、彼女との再会への期待が込み上げてきた気がした。 「よし……ラキラの街道沿いの岸に向かう。護衛は不要だ。足はこの艦が一番早い。各艦は西の海域へ移動し、待機するよう伝達。補給完了後、合流してラグーエルへと向かう」 「了解しました」 レイルスの乗る艦は艦隊を離れ、単艦にてラキラの方角へと舵を取った。 「念のため姿を隠しながらラキラへ近づく。三分後に潜航だ。艦内に伝達」 「了解しました。各員、潜航用意!!潜航予定は三分後!!潜航用意急げ!!」 いくら大陸に名を馳せた護衛艦隊とはいえ、彼らの艦隊だけで帝国の全海上戦力を相手に戦うことは不可能である。 だが、今日まで可能な限り被害を抑えつつも帝国と渡り合ってこれたのは、偏にこの最新鋭艦の能力あってのことだった。 唯一無二ともいえる潜水能力。 従来の戦艦を遥かに凌ぐ航行速度と、旋回性。 独自の発射機構を持つ巨大砲塔による長距離砲撃。 レイルスはこの艦の性能を存分に活かすことで、なんとか戦い続けていた。 「司令……間も無くラキラの街道沿いです」 「周囲の警戒も怠るな?付近に帝国の偵察部隊が伏せている可能性もある」 「了解しま――し、司令!!ラキラの街から、黒煙が上がっています!!」 「何っ!?帝国か!?」 「まだ遠すぎて詳細は確認できませんが、戦闘によるものである可能性が高いかと思われます!」 王都とマリーヴィアが帝国に占拠されてからまだ一カ月。 各地の内情整理さえまだ終わってはいないはずのタイミング。 もし、ラキラに攻め込んだのが帝国であるとすれば、いくら何でも早すぎる動き。 ――ローズ!! 脳裏をよぎったローズの姿。 今の彼女はラキラの花の剣聖。 戦争にでもなれば、最前線で剣を取る身。 今すぐに駆け付けなければ、最悪彼女とは二度と会えないかもしれない。 「……っ!!」 しかし、レイルスは歯を食いしばるのみだった。 「司令?動きますか?」 「………………」 あくまでローズの件は自分一人の問題。 関係のない部下まで巻き込むわけにはいかない。 しかも、敵の正体が帝国であるとは断言できず、その部隊の規模も分からない。 この場から救援に向かえる人間は自分を含めても十数人。 どう考えても無謀。 「………………く……そ……!!」 ならばいっそのこと、自分一人でラキラへと向かうかとも考えるが、艦隊と、艦に乗る者たちの命を預かる司令という人間が使命を放棄して勝手な行動を取って良いわけもない。 「司令。ご命令を!」 「まずは……状況の確認。詳細が把握できるまで各員待機だ」 握り締めた拳からは血が滲む感覚。 レイルスはギリギリのところで、司令としての職務を全うする。 「司令。本当にそのような命令でよろしいのですか?」 「……は?」 しかし、部下から帰ってきた返事の言葉は、命令に対する承服ではなかった。 「お顔を見ればわかりますよ?」 「助けに行きたいんでしょう?友人……いや、恋人ですか!?」 「マジかよ!?いや、でも司令も年頃の男だからなぁ!」 「あれか?旅の途中で知り合った名家のご令嬢……とか?」 艦内が異様な雰囲気に包まれていく。 「待て!お前たちは何を言って――」 「いいんですか?本当に」 「俺たちは司令の命令に従うのみです。言ったでしょう?」 「むしろここで『行け』と言ってくれないと幻滅ですよ?」 「お前たち……」 いつも冷静に、正しい判断を下すことに徹してきた優秀な司令。 部下達は、そんなレイルスだからこそ、今すぐに飛び出していきたいという想いを察することが出来た。 かつて彼らが見たとこがない程に苦悩に塗れた表情をしていたのだろう。 「僕は司令官失格だな……」 「でも、男としては合格ですよ?」 「ばーか!まだ女って決まってねぇだろ?」 「はは……女の子だよ。金髪で、とても綺麗な子さ」 「「おぉおおおおおおおおおおおお!!」」 「急ぎ上陸部隊を編成!装備をまとめ、一分以内に出撃だ!当然、僕も出る!」 「「了解ー!!」」 ―― 一刻後。ラキラ正門前。 「これは何のつもりかしら!ワタシが誰か理解して邪魔してるんでしょーね!貴方たち!この不届き者たちをたっぷりこらしめてやりなさい!!」 「こちらも少々立て込んでいますので、ご自分でお願いします」 「ちょっとぉ!ワタシの言うことが聞けないって言うの!!」 「今ちょっと無理デス!戦ってる真っ最中デス!」 「ワタシだって戦ってるわよ!も~!!次から次から次から次へと鬱陶しいわね!!」 正門前で、円を描く様に布陣された帝国軍の兵士たち。 その数は優に百を超える。 彼ら一人一人の手を見ると、それぞれに剣が握られ、その切っ先は円の中心へと向けられていた。 「どうなっている……!相手はたったの三人だぞ!?」 「しかし……とんでもない強さで……!」 「そんなこと見ればわかるわ!数で押し切れ!!どうせ今の威勢も長くは続かん!!」 部隊を指揮する男が檄を飛ばす。 それも無理もないだろう。 地べたに力無く転がる兵士たちの数を数えれば、どれだけその三人相手に手こずっているのかがよくわかる。 「ふぅー……数が多すぎる……剣聖!お前は無事か?」 「大丈夫デス!でも、このままじゃ……!」 「え?ちょっとヴィーネル?ヤバいの?けっこうヤバいの!?」 「やっと理解していただけましたか?」 「ワ、ワタシももっと頑張ればいいんでしょ!そうね!ラキラの姫たるこのワタシが困っている民を救うことは当然だものね!!」 「とはいえ、流石に苦しいか……!」 ここまでの戦況は互角。 どちらも押し切ることができずに、押し問答を続けている状態。 しかし、このまま時間が経過すれば、三人の疲弊は限界に達し、圧倒的な数に押し込まれることは目に見えていた。 そんな戦場から少し離れた丘の上に仁王立つ新たな人影。 その後ろには十数人の男たちが並ぶ。 レイルスである。 「これはどんな状況だ……?」 「帝国兵。総数およそ百。他勢力と交戦中のようですね……」 現場に到着したばかりのレイルスは目を凝らし、戦況を分析。 情報の収集を開始する。 「ワタシに逆らうからこうなるのよ!いいからさっさとそこをどきなさい!これは命令よ!!」 どこか聞き覚えのある様な一番大きな声を張り上げている一際小さな人影。 小奇麗なドレスに、頭にちょこんと乗せた王冠が目を引く。 剣と盾を携えてはいるが、倒した敵を見下ろしながら威張り倒している様は、とてもじゃないが剣士には見えない。 「ひ!?ま、待て――ぎゃああああ!」 「お嬢様……ここは戦場です。時と場合を考えてください」 最も果敢に前に出て、目につく敵を次々と斬り伏せる人影が少女をいさめる。 あれだけの動きを繰り出したのにも関わらず、息一つ切らすこともしていない。 黒い戦闘服に身を包み、盾と槍を構え直す姿は、歴戦の戦士を思わせる風格である。 「倒しても倒してもキリがないデース!!」 彼女の背後にもう一つ人影があったことを見逃していた。 そのあまりの速さは目で追うことすら至難な程。 動きを止め、呼吸を整えている隙にその姿を確認する。 そして、レイルスはその正体がローズであることを認識した。 「ローズ!?まさか……たった三人であの数を相手にしているというのか!?」 「三人!?無茶です!!司令!早く救出しなければ!!」 「殲滅は無理だが、一点突破なら望みはある。敵の背後から陣形に穴を開け、そこから三人を脱出させるぞ!」 「了解しました!」 レイルスの指揮で慌ただしく布陣を整える部隊。 艦から持ち出してきた銃を全員に構えさせ、レイルス自身も弓に矢を番える。 「僕の矢に合わせて続け!目標は帝国軍背面だ!」 「「了解!!」」 「いくぞ!!」 レイルスが声を発すると共に、魔素が込められた矢が放たれる。 矢は流星のように瞬き、直後、帝国陣営の一部を吹き飛ばした。 「な、何だ!?」 「敵の増援です!後方から――ぐぁっ!?」 爆発を合図に、着弾点めがけて弾丸の雨が降り注ぐ。 「撃ち続けろ!このまま脱出路を確保する!!」 突然の奇襲に際し、帝国陣営は混乱。 手が出せない距離から攻撃を仕掛けてくるレイルス達に対し、ただただ慌てふためくばかり。 「どうしたデスカ!?」 「わからんが陣形が崩れた!今の内に突破するぞ!!」 戦況の変化を見逃さなかった三人。 緩んだ包囲網の隙間を突き崩し、一気に突破を試みる。 「司令!残弾わずかです!!」 「構わない!全て撃ち尽くせ!!」 徐々に壁が崩れ、包囲されていた三人の姿が近づいてくる。 「援軍か!?ありがたい!!」 「なかなかやるじゃない!後で褒美を取らせてあげるわ!」 前後から挟撃される形となった者達は、己の命惜しさに剣を投げ捨て逃げ惑う。 他の者達は包囲網を崩すまいと足を踏み出そうとするが、勢いに乗った三人の鬼神の如し暴れように委縮してしまい動けない。 「道を開けるデース!!」 ローズの放つ一閃が、とうとう最後の壁を取り払い、道を切り開く。 「ローズ!!」 「え!?なんでアナタが!?」 開かれた道の先から自身の名を呼ぶ声。 その声に反応したローズが、援軍の正体がレイルスであることを知る。 「そのまま走れ!!」 彼の声に従い、三人はレイルスたちの元へと駆け抜ける。 「撤退するぞ!全員艦まで辿り着け!!」 「「了解!」」 三人の突破を見届けたレイルスは、すぐさま部隊に撤退指示を出し、最後の一手に手を掛ける。 逃亡者を逃がすまいと、我に返った帝国兵たちが押し寄せてくる中、丘の上でただ一人弓を構え続けるレイルス。 助け出した三人と部下たちがその背中からどんどん離れていくというのに、その表情は極めて冷静なものだった。 「待つデス!?あの人は!?」 「司令は大丈夫です!信じてください!!」 たまらず振り返ったローズを制止し、そのまま歩を進めるよう促すレイルスの部下。 ローズは足を止めないまま、レイルスの姿を見つめる。 その時、レイルスが残った最後の矢を放った。 『ドォオオオオオオオオオオン!』 轟音と共に、レイルスの前方の草原が爆炎をあげる。 追撃を振り払うために前もって設置しておいた爆薬を矢で射抜いたのだ。 そんなものがあるとは露とも思っていない追撃兵たちは爆炎に巻き込まれて四散する。 後続の兵士たちは立ち昇る粉塵と黒煙のせいでレイルスの姿を見失い、この隙にレイルスもローズ達の後を追いかけた。 ラキラから脱出し、レイルスの艦の上で洋上を仰ぐ一行。 「全員無事でなによりだ。僕はレイルス。今は黒鉄の艦隊を指揮して、帝国と戦っている。これから僕らは他の場所で待つ同志たちと合流するのだが、それまでは途中で降ろすことが難しい。申し訳ないが、しばらく付き合ってくれ」 見慣れない洋上の景色を静かに楽しんでいた三人にレイルスが声をかける。 「アンタが私たちを助けてくれた者たちの頭か。お互い聞きたいことも多いとは思うが、まずは礼を言わせてくれ」 「礼には及ばない。僕が助けたいと思ったから助けただけだ。ところで、君たちは……?」 「私たちが誰かも知らずに助けたというのか?ははははっ!なかなか変わった趣味をしているな。私はヴィーネル。ラキラ家で指南役を勤めている。いや……勤めていた……になるか」 場が少し落ち着いたところで、ヴィーネルからラキラでの出来事を全て聞いた。 突然の襲撃で、ラキラが帝国の支配下に落ちてしまったこと。 街の大司教が、娘のリリアを帝国の手から逃がすため、ヴィーネルに彼女を連れて逃げるよう依頼したこと。 このままでは永遠に故郷に帰ることが出来なくなることを予感したローズが、たまたまその場に居合わせ、共にラキラ脱出を実行するために協力関係となったこと。 「ちょっと、ヴィーネル!このワタシを差し置いて話を進めるなんて、ずいぶんと偉くなったじゃない?」 「こちらはラキラ家のご令嬢。リリア様だ。私が指南を担当していたお相手でもある」 「ヴィーネル!!だから勝手に話を進めないでって言ってるじゃない!!聞こえなかったのかしら!?」 「はい。そうですね。あぁ、こちらは大丈夫だ。剣聖の知り合いなのだろう?先程、彼女の名を呼んでいたな。どういった関係かは知らないが、邪魔はしない」 「ちょっと!邪魔って何よ!?屋敷を出たからって調子に乗りすぎてるんじゃないの!?そんなにお仕置きされたいのかしら!?」 「ほう……お嬢様が私をお仕置きですか……良いでしょう。ちょっとあちらで話しましょうか」 「え……嘘!?ちょっと待って!ごめんなさい!もう言わない!!もう言わないから!!ヴィーネルぅううううう!!」 リリアを引きずり、その場を離れるヴィーネル。 言わずもがな、レイルスとローズを二人きりにしてやろうという計らいである。 「え……えっと……無事でよかったよ……ローズ」 いざとなると上手く言葉が出てこない。 「何で……助けてくれたんデスカ?」 「何でって……君を助けたいと思ったから……」 「ワタシは前にアナタに酷いこと言いました。アナタなんてもう知らないデスって……」 「あぁ……そんなこともあったね……」 以前会った時と比べ、ローズが随分としおらしい。 突然の再会でのとまどいや、助けられた恩や、過去の発言の申し訳なさ。 様々な感情が彼女の心を揺らしているのだろう。 「僕も、君に酷いことを言った。危険を承知でせっかく僕を助けてくれたのに、そんな君の気持ちを踏みにじってしまった。本当にすまない」 「え!?あ……ワタシも……ごめんなさいデス」 「今ならわかるよ。どんなに危なくても、誰かを助けなくちゃって気持ち。改めて君の行動に感謝したい。ありがとう」 「ワ。ワタシも……ありがとうデス。助けてくれて」 「それで……なんだが……君を故郷に帰すために、僕に協力させてくれないか?」 「え……?」 「海中都市……ポートレアと言ったか?協力させてくれなんて言ったけど、僕は未だにそれがどこにあるのかわからない。しかも、今は帝国との戦いの真っ最中だ。そんな中で君にできることなんてほとんどないかもしれない。それでも僕は、最大限君の力になりたいと思っているんだ」 「…………」 ローズは無言のままうつむくのみ。 「ダメかい?」 「………………本当に……本当に……ポートレアに帰れマスカ?」 「今すぐにとは言えないけど、いつか絶対に!僕を信じてくれないか?」 「…………わかったデス!レイルスを信じマス!」 顔を上げたローズの目元には光る涙が浮かんでいた。 この時の彼女の顔は、レイルスが心の底から欲した顔。 自分に向けてくれることを夢にまで見た、愛しい女神の笑顔だった。 「ローズ……!」 彼女の肩を抱き寄せようと、レイルスが手を伸ばす。 「これでおあいこデスネ!」 「……っ!?」 しかし、くるんと踵を返したローズにかわされ、その手は空を切る。 「ワタシが一回レイルスを助けて、レイルスも一回ワタシを助けてくれました。そして、ワタシが一回レイルスにごめんなさいして、レイルスもワタシに一回ごめんなさいしました。これでレイルスとワタシは友達デス!」 「……友達……あ、あぁ……うん。そうだね……」 「レイルスはワタシをポートレアに帰すために頑張ってくれマス。だから、ワタシもレイルスを手伝ってあげマス!」 「え!?」 「レイルス帝国と戦ってマス。だから、私も一緒に戦って、レイルスのお手伝いするデス!」 「いや、そんなことは頼んで――」 「あー……でも、帝国は元々ワタシにとっても敵デス。これじゃお手伝いにならないデスネ……」 「いいんだよ。そんなこと。僕が君の力になりたいだけなんだ」 「えー!でも、それじゃワタシが一回負けてるみたいデス!」 「いや、勝ち負けとかじゃなくて――」 「うん!じゃあ、ポートレアにワタシを帰してくれたら、その時にワタシがお礼にレイルスのお願いを何でも一つ聞いてあげマス!」 「…………何でも?」 「何でもデース!」 甲板上の真ん中で、空を仰ぎながらクルクルと踊り出すローズ。 微笑ましい光景ではあるのだが、レイルスの心中はかつてない程に動揺していた。 「なん……でも……いや、待て!落ち着け!僕は何を馬鹿なことを考えて――」 「お前も苦労するな……」 「な!?いつの間に!?」 いつからか背後に立たれていたヴィーネルに声を掛けられる。 その気配を微塵も感じ取ることが出来なかったレイルス。 「ひとまずこれからの予定を聞いておこうと思ったのだが、邪魔をしたか?」 「いや、それは構わない。ところで、なぜ気配を絶って?まさかとは思うが、今の話を聞いていたのか?」 「あー……いや、盗み聞きするつもりはなかったのだが……甲板が思いのほか狭くてな……つい……聞こえてしまった。気配を殺すのは癖みたいなものだ。許してくれ。だが、安心してくれて良い。お嬢様は向こうでお昼寝中だ」 「…………僕としたことが!」 「まぁ、短い付き合いだ。あまり気にするな。岸に着いたら、ひとまず私はお嬢様を連れて故郷のミールに向かうつもりでいる。そっちはローズとこのまま行動を共にすることになったのだろう?」 「まぁ……そういうことになるな」 綺麗な金髪に透ける夕日。 眩しいくらいの笑顔。 改めて彼女への想いを実感する。 愛する人の傍で、その人のために努力できる幸せ。 つい頬が緩んでいないか気になり、自分の頬を撫でてしまう。 これからの航海の事を思いながら、レイルスは暫らくローズの様子を眺め続けていた…… 「こういったことの心得は私もあまり多いとは言えんが……脈はあると思うぞ?」 「ほっといてくれ……!」 +戦飢なる鷹の眼イザドラ コルキドより南方、ガライア村から数里の地点。 人里から少し離れ、静かで雄大な自然に囲まれるその場所に、辺りの景観をぶち壊す派手で巨大な屋敷がそびえ立つ。 主の名はゲメイン。 元は一介の商人だったが、周辺を治める領主の腰巾着として奔走し、苦難の末に下級貴族の位を授かるに至った野心家である。 「ゲメイン様。お客様がお見えです」 「うむ。通せ」 執事から報告を受け、自らの書斎に客人を招き入れるゲメイン。 聞けばその者は元軍属で、自分の部隊をまるまる私兵として受け入れる人物を探しているとのこと。 既に十分な数の私兵を抱えていたゲメインではあるが、戦闘の元プロを、それも集団で手に入れることができるまたとない機会。 この話を受けた時から、ゲメインは今日という日を心待ちにしていた。 彼はそれだけの理由を抱えていた。 「失礼いたします」 軽いノックと共に書斎のドアが開かれ、豪勢な椅子に踏ん反り返るゲメインが刺すような視線を向ける。 その時だった。 「――ひっ!?」 扉の向こうから現れたその人物と視線が合った瞬間のことだ。 ゲメインは心臓を貫かれるような、そんな殺気を感じ、本能的に身体が硬直してしまう。 「お初にお目にかかります。ゲメイン卿。お約束をさせて頂いておりました、私イザドラと申します。はて……如何なさいましたか?顔色があまりよくないようですが……」 「……え?」 頭を下げつつ挨拶の言葉を述べたその人物。 その後、気分を尋ねられたことでゲメインはハッと我に返る。 手も足も普通に動く。 気のせいだったのだろうか。 「あぁ……何でもない。少し驚いただけだ」 「驚く……ですか?」 「話には聞いていたが、まさか本当に女だとはな」 色白の肌に整った容姿。 淑女らしい振舞いと品位さえ感じられる。 だが、少し目線を動かすと、その端々に散りばめられた普通ではない要素が目を引く。 右目には眼帯。 はみ出し伸びる傷跡が、眼帯の下の目が既に目としての役割を果たせない状態にあることを嫌でもわからせる。 それに、この服装は高官用の軍服だろうか。 おかげで纏う空気が一般人のそれとは根本から異なる。 「信じられますまいが、これでも部隊長を務めておりました。女の身には風当たりの厳しい世界ですが、正当に私の能力を評価してくださる酔狂な方もいるものです。おかげで、軍を離れても慕ってくれる大切な部下たちとも出会えました」 「確かに。男は利よりも誇りを重んじる愚かな生き物だ。儂を含めてな」 (元軍人だと聞いていた手前、礼儀礼節も理解せぬ粗暴な輩かと覚悟していたが、随分と社交的ではないか。これも一つのビジネスなのだから、ある程度の猫を被ることは当然としても、部下からは厚い信頼を寄せられているようだ。この女もなかなか捨てたものではない……) 「フフ……ご冗談を。たった一代で貴族の地位を築き上げた商売人ともあろうお方が、プライドになど値は付けますまい」 この言葉にゲメインが微かに眉をしかめる。 貴族となる以前、商人として財を成していたゲメインは、野望のためにあくどい商売を手広く営んでいたため、近辺の住人までならず、顧客として相対したほとんどの者から恨みを買っており、その中には同じく貴族も含まれていた。 イザドラが当時のゲメインの生業を知るということは、必然的に彼に敵が多いこともまた知っていることになる。 「ふん……儂のことを随分と調べ上げているようだ」 「どうかお気を悪くしないでいただきたい。我々としても雇用主についての情報はできる限り把握しておきたいのです」 「軍人らしいな……いや、構わん。むしろ当然だ。それくらい慎重で冷静でなければ雇う側としても困る」 「ご理解感謝いたします」 「それでも儂を雇用主に選んだのは、自分たちなら問題なく対処できるという自信の表れと取っていいのだな?」 「…………」 イザドラは答えない。 ただ、口元を卑しそうに歪ませただけ。 (ふん……戦闘狂め。そうまでして戦う相手が欲しいか。だが、使えなくはない……) 「まぁ、腕の立つ兵の獲得はこちらとしても願ったり叶ったりだ。最後に貴様たちの経歴を話してもらう。こちらも事前に調べさせはしたが、念のためにな」 「承知しました。では、我々の部隊が設立された時の話からいたしましょう……」 国王を元首とする君主制国家コルキド。 その国が保有する戦力は、かつての大国レミエール王国に匹敵せんとまでいわれ、数でこそ王国に劣るものの、厳しい環境と訓練により培われた精神力と肉体は、極めて高い兵士としての質を誇る。 中でもイザドラが引き連れている一団は、王の勅令により設立された第一特殊戦術部隊に所属していた面々だった。 それはありとあらゆる戦闘訓練を潜り抜けた戦闘のエキスパートたちで編成され、隊長イザドラの指揮の元、絶対勝利を掴み取るために作られた特別部隊である。 しかし、ガルヴァンド帝国との同盟を経て、帝国が王都を滅ぼしたことを機に国内の情勢が大きく変化する。 帝国に恐怖したコルキドの上層部は、帝国に言われるがままの傀儡(かいらい)と化し、実質的支配下に置かれることとなった。 間も無く、コルキドにおける全ての部隊は強制解散させられ、イザドラたちはそのまま国外追放となったという。 イザドラはこれらの情報を微塵の躊躇もなく淡々と語った。 国家機密に当たるはずの情報さえも包み隠さず。 「……いくら国に捨てられたとはいえ、かつては忠誠を誓った国家の内政情報まで惜しげもなく語るとはな」 「既に決別した国……それに、今のコルキドは忠を尽くすに値にしない。ただそれだけのことです。それとも、情報そのものをお疑いでしょうか?」 この時、ゲメインがイザドラに感じたのは、哀しみではなく、静かな怒りだった。 (本心か否か……儂をただ試しているのか……まぁ、この際何でも構わん。元コルキドのエリート集団ともなれば、戦力としては貴重この上ない。信用に足るかどうかは後々知っていけばよい。今はメリットの方が遥かに大きいだろう……) 「よかろう。君たちを正式に我が屋敷の私兵として雇い入れることとする」 「荒事くらいにしか使えぬ我々ですが、国に捨てられて尚も居場所があるとは……私が口にするのもなんですが、随分と物騒な世の中になったものです。心より感謝しますよ。ゲメイン卿」 こうしてゲメインは、イザドラを含む約二十名の元兵士たちを丸々私兵として雇い入れた。 その際に交わした契約内容は大別して三つ。 一つ。 報酬は出来高払い。 ただし、衣食住は保証され、その他にも装備の調達、任務や演習にかかるものなど、私兵団を運用する上で必要となる経費についてはゲメインの承認を受けた後に支払われることとする。 二つ。 私兵団の統括指揮、育成など、戦闘に関わる全ての要素における方針決定はイザドラが行うものとする。 ただし、行動実行前には予めゲメインへ報告し、その可否を問うこととするが、緊急時においてはその限りではない。 団員には元々ゲメインが持っていた私兵も含まれており、イザドラは新規団員と合わせ、その全員を束ねる私兵団団長としての役職が与えられる。 三つ。 以上の契約に違反した場合、ゲメインはイザドラを含む全ての私兵を対象に禁固等の罰則、または解雇を強いる権限を有する。 これらは雇用主であるゲメインが思い通りにイザドラを操れるように交わしたゲメイン有利な契約。 だが、雇用主有利になることが自然とはいえ、元軍人の部隊長ともなれば、それなりにプライドもあるだろう。 何らかの交渉があると踏んでいたゲメインだが、そんな予想とは裏腹に、イザドラはこれら契約条項を快諾した。 (一体何を考えている?部下たちを守るためならプライドなど二の次、三の次ということか?わからん……儂はまだこの女の本性をあまりに知らなすぎる……) ゲメインにとっては都合の良い流れではあるが、やや肩透かしを食らった気分になり、少し顔を曇らせる。 「では、現時刻をもって任務を開始いたします」 「やけに急くではないか……」 「一息つくにも、まずはそれが可能な環境かどうかを確かめてからでなくては落ち着くこともできますまい」 「なるほど。気構えからして儂らとは違うな」 このやり取りだけ見ても、彼女の綿密さ、慎重さといった要素は十分に伝わってくる。 それだけに、契約内容を快諾した点の不自然さが異様に際立つ。 「では、まず屋敷内の全ての武装を見せて頂けますか?アンティークや飾剣も全てです。それから私兵団用に用意されている施設も視察しておきたい。その後、ゲメイン卿が契約している私兵を全て庭に召集するようお願いします」 「は……?今すぐにか!?」 「戦力、状況の把握。団員同士の顔合わせと指揮系統の確認。この程度は当然でしょう。私は貴殿をお守りすることを約束しなくてはならない。これはそのために必要な措置です」 (途端に威勢が良くなったではないか……なんとも面倒な。まぁ、今はこれくらい許してやるか。しばらくはその手前をとくと拝見させてもらおう) 「いいだろう……だが、全てとなるとそれなりに時間がかかることになるが、構わんな?」 「致し方ないでしょうな。我々の常識は、貴殿らとはだいぶ異なるようです。差し当たっては、施設の視察から参りましょうか。その間に武装を揃えておくよう手配をお願いいたします」 「わかった…………」 そして、ゲメインは徐々に知ることとなる。 戦争屋、否、イザドラという人間が、決して自身の考えの枠内に収まるような存在ではないことを。 「何だこれは……何なのだこれは!?」 「おはようございます。ゲメイン卿。いかがなさいましたか?」 イザドラと契約を結んだ翌日の朝。 起床し、私室から出てきたばかりのゲメインとイザドラが廊下で向かい合う。 「あやつらは貴様の部下だろう!?あれは何をしているのだ!?」 ゲメインが窓の外を指差すと、そこにはイザドラの部下たちが屋敷周囲の外壁をハンマーで打ち壊している姿があった。 さらに、撤去された外壁部に新たに極太の鉄柱を次々と打ち込んでいる。 「昨日お話した通りですよ。屋敷を拠点とした防衛戦において、今の環境はあまりにも戦闘に不向きであると申しました。なので、まずは外壁をより強固に、より高く作り直しているまでです」 「ここの環境が防衛に不向きであるとは聞いた!今後は防衛力を強化していくともな。だから儂は貴様に訴えに応じて武器やら何やら手配したのだぞ?だが、屋敷に手を加えるなどとは一言も聞いていない!!」 「申し訳ありませんが、今は全ての目的、内容を事細かに説明している時間などないのです。貴殿はあまりに無知で、無防備でいらっしゃる。全ては貴殿と、貴殿の私産を守るためです。どうかご理解いただきたい」 (この期に及んでまだ儂のためなどと言い張るか……!) 「だが、屋敷も儂の私産であることに変わりはない。それを許可なく破壊することが許されるとでも……!?」 「可能であれば、屋敷に手を加えることは避けたかったのですが、外壁の外はゲメイン卿の私有地ではありませんので領主殿の了承が必要となります。また、外壁の内側に新たに壁を設けた場合、レンガ造りの旧外壁を足場にして、敵勢が外壁を乗り越えてくる可能性があります。よって、これが最速、かつ最善の策だと判断し、実行したまでです」 「だが――」 「繰り返しますが……これも貴殿と、貴殿の私産を守るため……ただ、そのためにです」 途端にイザドラの纏う空気が変わった気がした。 その眼光は、昨日ゲメインが彼女を初めて目にした時に感じた殺気のような圧を孕んでいる。 (儂は……とんでもないモノを身近に引き入れてしまったのではないか……?) 「ぬ……ぬぅ……良かろう。だが……今後、このような作業を行う際には儂にも報告するように……よいな?」 「承知しました。ご理解感謝いたします……」 その後もイザドラ主導による屋敷の改築は続く。 全ての部屋の扉は金属製のものに交換され、備え付けの窓の外には鉄格子を設置。 さらに、床下、天井も鉄板で補強された。 続いて、広大な隠し地下室と、かつての倍以上もある武器保管庫の増築。 外壁の四隅には監視塔が建てられた。 こうして生まれ変わったゲメインの新たな屋敷は、さながら要塞の体を成していた。 「とりあえず環境の改善はこれで完了したといえるでしょう。いかがですかな?」 「……これが貴族の屋敷たる姿か?これではまるで、儂が常日頃から命を狙われ、しかもそれを恐れているようではないか……!」 要塞と言われればまだ聞こえはいい。 が、ゲメインにはまるで自分を収監する刑務所のように見えた。 口調を荒げぬよう抑えてはいるが、その怒りはイザドラにも確実に伝わっているはずだ。 「我々の認識では、そうなる可能性も決して低いものではないと捉えております。だからこそゲメイン卿も多くの私兵を雇い入れ、あげく我々のような者とまで契約したのでは?」 「それはわかっておる!だが、ここまでする必要があったのかと聞いておるのだ!」 「恐れは恥ではありません。危険を承知の上で最善の対策を講じない方がよほど滑稽です。勇敢であることと無謀であることを一緒くたにしてはいけません。古の教えを妄信して死を誇りとする愚か者は騎士だけで十分ですよ」 騎士を愚か者と吐いて捨てるイザドラ。 淡々とした言葉ではあったが、彼女の『死』に対する認識は騎士のそれに比べ、戦場に立たない者にとってはよほど納得ができるものだった。 死は尊ぶより先に恐れるべきもの。 本来それは、生を謳歌する人間が失ってはならない価値観。 「……言わんとすることはわかった。だが、これだけは確認しておく。この所業は本当に儂のためであったと、そう言い切れるか?」 (人間とは雇い主のためにここまで尽くせるものなのか?心から信用に足ると判断し、全てを捧げると誓わせるだけのものを儂はこやつに与えていない。ならば他に何かがあるのだ。確かに感じる、この不安と恐怖。それがこやつの中には潜んでおる……) ゲメインはこうまで言葉を尽くすイザドラの、その奥に潜む何かが気にかかって仕方がなかった。 「勿論です。貴殿は今や我々の雇い主であると共に、忠を尽くすべき王なのですから」 「また歯が浮くような台詞を……良いだろう。今は信用してやる」 「…………」 イザドラは、口元を歪ませ、再びあの不敵な笑みを見せつけた。 イザドラがゲメインの屋敷に来てから二週間が経過した。 ――コンコンッ 「ゲメイン卿。またです」 ゲメインの書斎のドアがノックされ、ドア越しにイザドラの声がゲメインの耳に入る。 「……またか。いつものように処理しておけ。何かわかったら報告するように」 「承知しました」 ドアが開けられることのないまま会話は終わり、廊下からイザドラの気配が消える。 『また』 この言葉は屋敷に近づく不審人物のことを指していた。 イザドラたちが屋敷に来てからというもの、数えること五人。 恐らくは今回も屋敷が急に様変わりしたことを不審に思っての偵察といったところだろう。 というのも、素性と目的に関しては、これまでの四人の不審人物全員の調べは付いている。 イザドラの率いる私兵団は、こうした不審人物が屋敷に近づく前に察知し、屋敷に近寄らせることすらせずに身柄を抑えていた。 その後に行われるのは厳しい尋問。 初めは皆一様に口をつぐんでいたものだが、さして時間もかからぬ間に口を割り、最後には助けを求めて泣き叫ぶばかり。 そうした者たちの背景は、決まって金で雇われた諜報員だった。 雇い主は近隣の貴族。 ゲメインを快く思わない者たちである。 今になってわかる自分の危うさ。 一部の者たちから反感を買っていることは無論承知の上。 だが、ここまで直接的な行動に出る者がいようとは考えてもいなかった。 堅牢な屋敷はそうした敵から身を守るだけでなく、おびき寄せる餌としても機能し、これまで把握しきれていなかった敵の姿を日に日に浮き彫りにしていく。 「さて、どうするか……」 ゲメインは静まり返った書斎で一人考える。 (これもあやつの狙い通りという訳か……ヤツの狂気は大きな危険を孕んだ爆弾ともいえるが、あの優秀さはもはや疑う余地はない。何とか完全に懐柔することはできないものか……) その直後のことだった。 既に陽はとっくに沈んでいるというのに、庭から大勢の人の気配を感じ、ゲメインが窓を覗く。 「くそぅ!今度は何をしている!!」 そこには、装備を整えた私兵団の面々が隊列を組んで待機していた。 ――コンコンッ 「ゲメイン卿。ご報告が」 「入れ!」 「失礼します」 再びノックされたドア。 今度はそれが開かれ、イザドラが部屋へと入る。 「あれは何の真似だ?」 「これより近辺に巣食う山賊、またはそれに類する対象を全て掃討して参ります」 「山賊だとぉ……?」 突拍子もない単語の登場に、不機嫌面だったゲメインの表情が困惑の色に染まる。 「はい。先程捉えたネズミがアジトの情報を吐きました。どうやら敵は金で山賊を雇っていた模様です」 「……儂の命を狙ってか?」 「そのようです。遅かれ早かれこうした事態になっていたのでしょうが、我々が防御を固めたことを受けて、それが完全になる前に急ぎ強硬手段に出たというところでしょう。ですが、敵方は不運でしたな。我々のような存在をゲメイン卿が握っていることまでは知らなかったようで……ゲメイン卿にとっては幸運だったとも言えますか……」 「……儂を殺すために雇われたのが貴様らでなくて良かったと言わせたいのか?」 ゲメインがイザドラに対し不信感を持ち始めているのを察した上での発言なのか。 それとも単にからかっているだけなのか。 どちらにせよゲメインにとっては面白くもない。 「まさか。我々を雇おうなどと考える酔狂な御仁もそう多くはいますまい」 「……まぁよい。儂とて貴様らの力は認めておるつもりだ。山賊たちの件、方法は任せる。直ちに排除しろ」 「……ククッ……変わられましたな。平和ボケしていた頭もようやく切り替わったようで安心しました」 「そのやり方を見ていれば嫌でも変わるわ」 「何よりです……ヤツらに聞いてみるとしましょう。自分の命が、果たして受け取った金に見合うものだったかどうか。私の部下の半数を置いて行きます。通常の警護であれば十分事足りるでしょう。それでは……」 部屋を出て行くイザドラの背を見ながらゲメインは思う。 (爆弾であることは百も承知。だが、所詮は駒。道具に過ぎぬ。ならば儂が使い潰してやる。ヤツらに呑まれないだけの狂気をもってして……) イザドラたちが屋敷に戻ったのは、翌日の昼前のことだった。 所詮は素人相手。 てっきり手早く片付けて戻ってくるかと思っていたゲメインは、イザドラの報告を楽しみにしながら待っていた。 「ふん……たかがごろつき集団を処分するのに、どれだけ時間をかけておるのやら。でかい口を叩いていた割に、その実たいしたことはなかったという訳か……」 ――コンコンッ 「ゲメイン卿。今、戻りました。任務のご報告を」 「入りたまえ」 ドア越しに聞こえたイザドラの声はいつも通り淡々としたもの。 「随分と遅かったではないか。そんなにも手こずる相手だったということか?」 (健気に平常心を装ってはいるが、どんな醜態を聞かせてくれることやら……) 「これはこれは……気を揉ませてしまったようで申し訳ございません。昨晩捉えた一味の者はおおまかにしか組織人数を把握していなかったため、確認作業に少々手間取りました……」 「ほう?詳しく聞かせてもらおう」 「では、作戦の第一段階から……」 イザドラのやり方は徹底した掃討戦だった。 闇夜に乗じての奇襲に始まり、慌ててアジトから顔を出してきた賊を狙撃。 自分たちが囲まれていることを察し、アジトに立てこもったところを最新の高性能爆弾で集中爆撃。 崩壊したアジトに向けて一斉射を加えた後、隊を分散させて息のある者がいないかを念入りに捜索。 続いて、周辺三キロ圏内を捜索。 アジト外に出ていた賊を駆逐した。 「たかが賊相手にそこまでしたのか……!?」 「実戦とは程遠い作業染みた戦闘ではありましたが、久方ぶりの演習と思えば悪くはなかったでしょう。このところ屋敷の改築のせいで鈍っておりましたので、そうした意味では手頃でした」 「演習だと!?あの爆薬がいくらしたのか知っているのか!?」 「さぁ……詳細な値段までは。ですが、良い物でしたよ。流石はガリギア製。あれをまた同量補充していただきたい」 「なん……だと……!?」 屋敷に来てからというもの、屋敷の改装費を手始めに、装備の充実や補充など、何かと金を使いまくるイザドラ。 ゲメインは自身の資金力を誇示し、イザドラたちの信用を得るためにも、当初はこれらに応じ、財産の多くを支出していた。 この爆薬というのもその一つで、これだけでも大きな屋敷を数件は建てられる程の大枚をはたいていた。 全てはイザドラたちを飼い慣らし、誰も逆らえぬ程の地位を築き上げるため。 (つけあがりよってこの狂人め!餌代と思って甘くしたのは間違いだった!!こんなにも軽々しく……!!) ゲメインの顔が怒りで赤々と染まり始めるが、イザドラは微塵も気にかけることなく続ける。 「話を戻しましょうか。実は、件の山賊ですが、全滅していない可能性が僅かながら残っています」 「ふざけるな!!多大な損失を被ったうえに、任務を途中で放棄してきたというのか!?」 「戦闘後、生き残っていた者に尋問してもみましたが、こやつらも同様。賊のハッキリとした人数を把握しておりませんでした。近隣の街に物資調達に出ている者などがいた場合、討ち漏らしていることになります」 「で!?どうする気だ!?!?」 「勿論、その場合を考慮し、アジトの付近に数名の部下を潜伏させております。もし生き残りが戻ってきた場合はこれで対処できるでしょう。ですが、これも絶対ではありません。そこで、雇い主である貴族邸に一個分隊を派遣しました。許可を頂ければ直ちに処理いたします」 怒りで赤く染まっていたゲメインの顔が一変し、今度はみるみるうちに青ざめていく。 「ま……待て!貴族を手にかけるつもりか!?」 「ご自身の命を狙った輩ですよ?放置すれば、再び命を狙われる危険もあるでしょう」 「だが、貴族を討ったとなれば他の貴族からの大規模な調査も免れまい!儂の指示であることが発覚すれば、貴様らとてタダではすまんぞ!?」 「…………任務に発つ際に『変わられた』と言いましたが、これはどうやら私の勘違いだったようです。貴方は何も理解していない。命のやり取りとはどういうものなのかを。良いでしょう。部下には警告だけさせて引き上げさせます」 「あぁ。それで――」 「ただし!」 ゲメインの言葉を遮ったイザドラが豹変。 今まで見え隠れしていた本性が、完全に顔を出した瞬間だった。 「今回だけだ。今後、同じことがあれば我々は容赦なくそれを叩き潰す。戦闘と戦争は違う。その点をわかっていない以上、我々の指示には従ってもらう他ない。まさかとは思うが、我々の飼い主にでもなったつもりだったか?それは違う。あくまで金銭と紙切れによる契約で結ばれた協力関係にあるだけだ。そこには命を賭けるに値する価値も忠義も存在しない」 「だ、だが、その契約では主導権は儂にあったはずだ!」 「平時においてはそうだ。だが、緊急時における取り決めがあったはずだぞ?最も熱り立つべき本人が今さら怖気づいている。あまつさえ敵に温情をかけろと?これが緊急時でなくて何だ?いいか。これ以上、我々の領分を穢すようならば、我々も対応を考えなければならん……余り踏み込んでくれるなよ?」 「う…………」 (何がこの女にここまでさせるのだ……儂は間違っていた……関わるべきではなかったのだ……!) 「返事が聞こえんぞ……?」 「わ、わかった……!」 雇い主としての沽券などに構っている場合ではない。 命の危険さえも感じ取ったゲメイン。 結局、金にがめつく、プライドだけが高い成り上がり貴族の老人に、そもそも首を横に振る権利などありはしなかったのである。 「では、事後処理が残っておりますので、これで失礼します」 「あ、あぁ……」 契約という結びつきを飛び越え、生物としての上下関係が確定された瞬間だった。 それがきっかけだった。 この日を境にイザドラは変わる。 なんだかんだあっても、基本的にはゲメインに尽くす形に徹していた彼女だったが、一度見せた本性がますます際立ってくるようになったのだ。 演習と称して周辺の野盗や山賊を率先的に狩り、それに伴う費用についてはこれまで以上に無心してくる。 費用と称し、隠れて蓄えでも作っているのではないだろうかとさえ思わせる。 その狂気と金遣いは、もはや一人の成金貴族の手に負える範疇を大きく超えていた。 「帝国軍の正規兵装備だと!?そんなもの手に入れる伝手がどこにある!?」 「探してください。我々には必要なのです」 「大体そんなもの何に使うつもりだ!?余計なことをして目を付けられでもすれば――」 「一方的に王都を陥落せしめた連中ですよ?今後どのような動きに出るか知れたものではありません。もしもの際、貴殿をお守りするためにも、なるべく正確に戦力を把握しておく必要があります。あくまでも、貴殿をお守りするために、ね……」 「無茶だ!こんなもの――」 「できない、と……?」 「う……じ、時間をくれ……出来る限りのことはしてみよう……」 「よろしくお願いしましたよ?」 それでも何とか自身の被害を留めようとゲメインも試みるが、一度決まってしまった上下関係を覆すことは叶わず、イザドラの圧に押され、毎度毎度首を縦に振らされる。 極め付けは、私兵団内の変化だった。 イザドラの傍若無人な言動と団長としてのカリスマ性は、元々ゲメインが飼っていた私兵を次々と惹き付ける結果となり、ゲメインが気付いた時には、もはや彼の言葉に耳を傾けようという者さえもいなくなっていた。 ゲメインがイザドラと契約を結んで三カ月。 この時点で、ゲメイン邸はゲメインを傀儡とするイザドラが代表を務める小さな君主国家と成り果てる。 「ガリギア製の最新鋭機関銃と……防弾装甲……確かに。これで屋敷の守りもより盤石なものとなるでしょう。どうかご安心を。ゲメイン卿」 相も変わらず金と装備を無心し続けるイザドラ。 これまでにゲメインが調達させられた武装の量は、数十人の団員にあてがうにしても、とても装備しきれる量ではない。 一個中隊が丸々完全武装できるほどのもの。 「……それは……なによりだ」 (こやつ……戦争でも始める気なのか……?) 「これから試射に向かいますが、同行されますか?」 「……結構。また山賊でも狩る気か?」 「いえ。もうこの辺りに山賊などおりませんので。ただの動作確認ですよ」 「そうか……」 毎週のように演習に赴き、その相手として山賊、盗賊、それらを殲滅。 イザドラたちが全滅させた組織は三つ以上。 さすがに噂も立ち、誰も寄り付かなくなるはずである。 「ところで……先日、山賊を雇ってゲメイン卿のお命を狙った貴族を覚えておられますか?」 「あぁ……無論だ」 「確か名前は……失礼。失念してしまいました。まぁ、すぐにこの世から退場願う身です。覚えていても意味はないでしょうが」 「まさか……」 「屋敷付近に配置していた監視より報告がありました。何やら良からぬ連中が屋敷に出入りしていると。既に一度警告はした。奇跡的に免れた死を、さも当然であると勘違いでもしたのだろうな。貴族だから殺されぬだろうと……舐められたものだ……!」 「だが――」 「我々の尻尾を掴ませんよう、偽装工作は徹底する。それで問題なかろう?」 「…………」 イザドラが部屋を出て、私兵団を連れ出撃するまでの間、ゲメインは何も言うことはなかった。 自分では止められないことを知っているから。 否、あの眼をした彼女を止められる者などいないことを知っているから。 「どうしてこうなってしまった……儂はどうすべきなのだ……この期に及んで契約を破棄しようものなら、どんな手段に出るかわかったものではない……関わってしまった以上、後戻りもできん……だが、このままではヤツらに食い潰されるか、最後には共倒れになるだけだ……どちらにしても破滅……ならば――」 書斎で頭を抱えるゲメインが漏らす。 どう飼い慣らそうか。 どう使い潰そうか。 そんな立場も今や逆転。 じわりじわりと心を蝕んでいく恐怖。 もはや耐えられない。 そして彼は、引かされた貧乏くじをどう処理するのかを決める。 「おい!馬を用意しろ!!」 ゲメインは書斎を飛び出し、執事を呼びつける。 「お待ちください、ゲメイン卿。イザドラ団長より、不用意な外出は控えさせるよう厳命されております」 執事より先にゲメインの元に駆けつけたのは、私兵団員の一人。 イザドラが監視と警護のために残していった者だろう。 「知ったことか!貴様らご自慢の団長様が何をしようとしているのか知らんわけでもあるまい!儂は万が一のために周辺貴族に根回しをする。この所業が誰かに知られれば、困るのは儂だけではない。貴様らとて同じだろう!」 「団長の作戦通りであれば、その危険性は非常に低いかと――」 「最善を尽くすことに不満があるか!?これはあやつの言葉でもあるのだぞ!わかったらそこをどけ!!」 ゲメインは団員の制止を無理やり退け、馬車へと乗り込む。 「急ぎオグール卿の屋敷へ迎え!」 ゲメインの屋敷から西に数里。 霧がかる辺境の地にオグールの屋敷は存在した。 廃墟となった古城を屋敷に改装したその建物は、得も言えぬ不気味さが漂っている。 「ゲメインだ。突然、約束もなしに失礼なのは承知しておるが、オグール卿と急ぎ話がしたい。取り次いでもらえるか?」 「……かしこまりました。客間にご案内いたします」 「助かる」 アポなしであるにも関わらず、門でゲメインを出迎えた執事と思わしき男は、すんなりと屋敷の中へと馬車を通す。 彼らにとってはこうした例は日常茶飯事なのだろう。 オグールが生業とするのは人材紹介事業。 奴隷、商人、執事、メイド、貴族などなど、職や階級に捉われないコネクションを多方面に持つ人物である。 中には急を要する顧客も多い。 そして、これは貴族間では有名な話だが、彼は暗殺者や傭兵などの、荒事を専門とする連中への橋渡しも請け負っていた。 「お待たせして申し訳ない。お目にかかるのは初めてですな。ゲメイン卿」 客間で待っていたゲメインの前に現れたオグール。 異常なまでに笑顔を強調する表情。 この男も普通ではない。 「突然押しかけた無礼をお詫びする。だが、背に腹は代えられぬ事情があって参った次第」 「なるほど。ビジネスのお話ですな?」 「御察しの通りだ。前置きは省こう。急ぎ始末したい連中がいる」 「ふむふむ……では、標的の詳細をご存じの限りお聞かせ願いますかな?」 ゲメインがここを訪れた理由。 それはイザドラたちを始末するため、それができるだけの者たちに渡りをつけるためである。 待つも流されるも果ては地獄。 最後に自身が生き残る可能性を見出した先、その方法がイザドラたちの抹殺だった。 屋敷を出る際、それらしい目的をでっち上げて彼女の部下を跳ね除けたが、ゲメインにとって、今この時はイザドラの監視が緩まった絶好の機会なのである。 「始末して欲しいのは、儂が抱えている私兵団の連中だ……」 「ほう……なんとも珍妙なお話で」 ゲメインは語った。 イザドラたちの過去、戦力、行動理念、自分が知る限りの全ての情報を。 「そういうことでしたか。最近、私が商品にしていた山賊共と連絡がつかなくなっていたので、調査をさせていたのですが……消息はつかめず、見つかったのは跡形もなく破壊されたアジトだけ。犯人の手がかりになりそうなものは何一つない……」 「面目ない……儂ではもうヤツらを止めることはできんのだ!」 怒りを買ってしまったかと思い、慌てるゲメイン。 だが、オグールはニコニコとした表情を崩すことなく続ける。 「いえいえ。むしろ感心しているのです。それだけ派手に動けば痕跡の一つくらいは残るものですが、彼らを消したのが貴殿の話す私兵団の仕事だったとなると、その実力はもはや疑いようもありませんな。むしろ興味が湧いてきました。その私兵団の方々に。実に欲しいものです……が、恐らく交渉は不意に終わるでしょう」 「だろうな……交渉に乗ったフリをして、逆に喰らいにくるような連中だ」 「わかりました。貴殿の望みを叶えるだけの駒を用意しましょう。ただし、紹介料と彼らへの報酬。安くはありませんぞ?今回は相手が相手ですので」 「わかっておる……いくらでも出すさ。破滅と天秤にかければ、安いものだ!」 「では、手配が済みましたら、後日ご連絡させていただきます」 「感謝する」 これでダメなら諦めるしかない。 藁にも縋る思いで、ゲメインがかけた大勝負。 「ふぅ……」 会談を終えたゲメインは急ぎ屋敷へと戻り、書斎にて大きく息をつく。 ――コンコンッ 「ゲメイン卿。今、戻りました。ご報告を」 直後、部屋の扉がノックされた。 作戦終了の報告に訪れたイザドラである。 「うむ……入れ」 部屋に彼女を招き入れるゲメインは平静を装う。 彼女の部下の制止を振り切ってオグールと接見した。 相手や目的までは知られていないとしても、屋敷を出た行動そのものがイザドラにとって快くは思えない行為だろう。 「おや?お疲れのようですね。ゲメイン卿……?」 静かで、冷たく、這い寄るようなイザドラの声に、冷汗が噴き出る。 「疲れもする。まさかこんなことになるとは思っておらんかったからな」 「我々が行動を開始した後、ゲメイン卿が護衛も連れずに屋敷を発たれたと報告を受けました。そこまで急いでどちらへ……?」 作戦の報告よりも優先してゲメインの動向を探るイザドラ。 不信感を隠すつもりはまるでないのだろう。 だが、ゲメインとて今さら退く気は毛頭ない。 「屋敷を発つ際、貴様の部下に伝えたはずだ。貴族を討つならば、根回しが必要となる。少しでも身の潔白を証明してくれる人間を増やしておくことは当然の対応だ」 「ほほう……ゲメイン卿の話にそこまで耳を傾けてくれる御仁がおられたとは……」 「あまり儂を舐めるな?そうした繋がりは時間をかけ作ってきた。今日話し合いを持ったオグール卿は、広く顔の利く人間だ。その伝手を借りたまでのこと」 「なるほど……これは余計な詮索でした。では、万が一の心配もこれでなくなったということですね?」 「不満か?自分たちの力に全て任せてもらえなかったことが。それとも、儂が思い通りに動かなかったことか?」 「まさか……そうでなくては私としてもやりがいがない。次はどのような面白い事が起きるのか……楽しみで堪りませんな……」 「ふん……!」 (つくづく狂人……どこまで掴んでいるのか知らんが、儂は決めたのだ。今に目にものみせてくれる!) 彼女の眼に宿る光は怒りではなかった。 もっと異質な、禍々しく狂気に染まった淀んだ光。 ――数日後 ゲメインは周辺貴族が集う会議の場に召集されていた。 議題は先日討たれた貴族に関する周知と今後の対応について。 「――というわけで、犯行は物取りを目的とした賊の仕業と思われるが、厳重な警備を掻い潜っての犯行だ。皆も警戒を怠らぬようお願いしたい」 「賊の特定に繋がるような手がかりは何かないのですかな?」 「今のところはない。目撃者はおろか、屋敷には生き残りすらおらぬ状態だったと聞く」 「おぉ……なんと惨い……」 「屋敷にあった金目の物は全て奪われていた。こうした事実から、賊は手練れ、それも大規模な組織ではないかと推測される」 「そういえば、周辺の山賊たちが姿を消したとの噂も聞いておりますな。それと何か関係があるのでは?」 「現時点では何とも言えんな……」 領主を筆頭に、白熱した議論を交わす周辺貴族たち。 だが、その内容は具体性をまるで欠いており、それはゲメインの手の者による犯行だとは知られていないことを意味する。 というのに、ゲメインの顔色は優れない。 「……ゲメイン卿は何かご存じありませんかな?聞けば、屋敷の警備に大変力を入れておられるそうで」 やはり来た。 イザドラ独自の判断で行った事とはいえ、あれだけ大規模な屋敷の改装。 嫌でも噂は立つ。 それに加え、直後にこんな事件が起きては疑惑の目が向けられるのも当然だ。 「最近、屋敷付近で数度に渡って怪しい人物が目撃されておりましてな。先程お話に出た山賊の件もそうですが、何やら物騒な気配を感じたので、自衛手段を取ったまでのことです」 「それにしても度が過ぎるのでは?まるで刑務所のようだったとも聞いてますぞ?」 「はは……お恥ずかしながら臆病な性格なものでして。これまでは見栄を張っておりましたが、居た堪れなくなり、気づけばあのように不格好な屋敷に成り果ててしまった次第です」 何とか疑惑の念を晴らそうと、ゲメインは饒舌に語る。 「ですが――」 「まぁ、良いではありませんか。私も身の回りでそうした事があれば不安で堪らない気持ちは同じ。皆さんもそうでしょう?」 「それは……まぁ…………」 「ここでゲメイン卿を責めるのはお門違いというものです。彼とてそんなことをすればどういう目に遭うかよく理解しているはずですよ」 ここでオグールが、追及の憂き目に遭うゲメインのフォローに入る。 この場にいる者の中で、本件の犯人がイザドラたちであることを知るのは彼女たちの雇い主であるゲメインと、その所業を全て聞かされているオグールの二名のみ。 それでもオグールがゲメインを庇うのは、既に契約がある段階まで進み、引き下がれない状況にまで来ているということ。 「オグール卿の言う通りだな。ところで、貴殿はとても顔が広い。そうした連中の心当たりはないか?」 「情報が少なすぎますな。山賊、盗賊、あるいは傭兵団など、それが可能と思われる者たちはいくらでも存在します。そうした組織を全てしらみつぶしに調査するというのは、いささか我々の力の適うところではありますまい」 「確かに……だが、可能性がないわけでもない。できる限りで構わん。調べてみてくれ」 「承りました。事件解決のためにも、全力を尽くすことをお約束いたしましょう」 「うむ。頼んだぞ。では、この辺で一度休憩を挟むとしよう」 次の話題に入る前に休憩が入る。 会議が始まって半日近くぶっ通しだったのだから無理もない。 さすがに議場の椅子に座る面々にも疲れが見える。 「外の風にでも当たりに行きませぬか?ゲメイン卿」 椅子に深く腰掛け、溜め息をつくゲメインに話しかけたのは、先日取引を持ち掛けたオグールだった。 「オグール卿……それは良い。気分転換にもなる。だが……」 (今二人で行動するのはまずいのではないか……周辺警備にはイザドラも参加している……) 「ご安心を。彼女たちには屋敷の外周警備を担当してもらっていますので、気にする必要はありますまい」 周囲を気にするゲメインの耳元で囁くオグール。 それを聞き、ゲメインの口元が微かに緩んだ。 「では、参ろうか」 「ええ。是非是非」 二人は他愛のない話をしながら、階段を下りていく。 だが、これはカモフラージュ。 この場で二人っきりになることを所望したオグールの真意を当然ゲメインも察している。 「こちらへ……」 「うむ」 ゲメインが案内されたのはテラスではなく、一階の外れにある小さな部屋。 部屋の前には見慣れぬ男が立っているが、風体から察するに屋敷の執事などではない。 鍛え上げられた分厚い胸板だけを見てもそれがよくわかる。 「ゲメイン卿をお連れした」 「ご苦労様です、オグール卿。どうぞ……団長も心待ちにしてましたよ」 (やはりここで請負人の紹介を済ませてしまおうということだな。再びオグール卿の屋敷に足を運ぶことになるのは危険だと思っていたが、今日の会議は絶好の目くらましになっているわけだ。最も焦らなくてはならん儂にとって絶好の好機とは……皮肉なものだ) 薄暗い部屋の中に通されると、目の前には簡素な椅子が用意されており、その向かい側には筋骨隆々の大男が一人、いやらしい笑みを浮かべながらゲメインたちを待っていた。 ふとその隣を見ると、あまりにも場に似つかわしくない幼い少女が直立不動で立っている。 頭に乗せた大きな耳は彼女がガルムであることを告げており、希薄な表情も相まって、まるで精巧な人形のように見える。 彼女も大男の関係者だろうか。 「紹介しましょう。ゲメイン卿。こちらは傭兵団『戦場の狩人』のディーノ団長と、その部下のルゥ殿です」 「面倒な挨拶は省こうや、オグールの旦那。時間がないのはお互い様だろう?」 「そうですな。では、あとは当人たち同士でのお話ということで」 そう述べたオグールは、ゲメインと傭兵二人を部屋に残して退出していく。 あまりゲメインと揃って行動することは避けた方が良いとの計らいだろう。 「というわけだ。お初にお目にかかるぜ、ゲメインの旦那。紹介に預かった『戦場の狩人』で団長を張ってるディーノだ。こっちの小さいのは気にしなくていい」 「儂がゲメインだ。この場にいるということは、仕事を請け負ってもらえるものと捉えてよいのだろうか?」 (傭兵団『戦場の狩人』といえば、戦ごとに疎い我々貴族でさえ聞き及ぶ名だ。戦場で最も相手にしたくない傭兵団の一つで、相対した者たちは彼らを狩人と称して恐れたことからその名が付いたという……この者たちであれば、確かにあやつらを討ち取ることも叶うやもしれぬ) 「勿論、喜んでお受けしよう……!」 気持ちのいい二つ返事。 だが、それだけに気にかかる。 「失礼を承知の上で聞くが、報酬目当てか?オグール卿から話は聞いているとは思うが、相手は一筋縄ではいかぬ相手だぞ?それをここまで快諾するその理由が知りたい」 「そりゃ金は大事だ。傭兵団も酔狂だけで戦してるわけじゃねぇからな。だが、今回に関して言えば……理由はその『相手』だ」 「相手……?」 「オグールの旦那から話を聞いた瞬間に予感した……そして、さっき本人を直に見て確信したよ。遠目でも十分だった。ありゃ間違いなく『鷹の眼』だ……!」 「鷹の……眼?」 ゲメインにとっては初めて聞く言葉だった。 イザドラ本人から自己紹介を受けた時にも、そんな言葉は出てこなかった。 「まぁ、あんたら貴族が知らねぇのも無理はねぇな。戦場に生きるヤツらの一種の噂みたいなもんさ。曰く、数里先から獲物の眉間を撃ち抜く腕前。その眼に捉えられた者は逃げる術を持たない」 「確かによく弓を背負ってはいたが……」 「それだけじゃねぇよ?鷹の眼はかつてのコルキド軍精鋭部隊の隊長を張っていてな。そいつらと戦った敵は例外なくこの世から消え去っている。徹底的に、跡形も残さずだ……」 「特殊部隊の隊長を務めていたとは聞いた……だが、それだけでは鷹の眼と断定することはできないのではないか?直接会ったことがあるわけでもないのだろう?」 「あの眼と纏う空気だよ……命をやり取りしてきた俺らみたいなのにはわかるんだ……あれとやり合えるんだぜ?それだけでもこの仕事には価値がある!」 「自分たちなら負けるはずがないと……?」 「それを証明してやるのさ!ヤツの伝説に俺らが終止符を打ってやる!鷹とうちの猟犬……どちらが強いかの生存競争だ……!!」 ディーノが静かに吠えた時、隣のルゥが小さく頷いたような気がした。 「確かに儂らにはわからぬ世界だ……では、任せて良いのだな?」 「おっと……報酬は勿論別に頂くぜ?俺らは安くねぇが、成功報酬で構わねぇ!」 (見た目に反して抜け目のない……だが、ヤツを排除できるならもはや金になど糸目はつけん……これは儂とヤツとの戦争なのだ!) 「いいだろう。儂は結果だけを求める……!」 ディーノはゲメインに屋敷の警備体制や人員の数、装備の詳細などを確認。 それに対し、ゲメインは知り得る限りの情報を包み隠さずディーノに打ち明けた。 私兵団から隔離されているゲメインとはいえ、主だった武装の手配などはほとんどゲメインを通して行われたもの。 警備体制の詳細はともかくとして、戦力的な分析はほぼ完全に的を射ていると言っても過言ではなかった。 「少しでもヒントになればと思って聞いてはみたが、こりゃ想像以上だな。ここまで完璧に戦力が把握できたなら、負けた方が恥ってもんだ……よし!決行は今夜だ!時間はあまり空けたくねぇ。勘付かれる恐れもあるし、これ以上武装を強化されるのも面倒だ!」 「勝てるのか!?」 「あぁ!気を揉むのも今日限りさ。明日からは思う存分羽を伸ばせることだろうぜ!」 「そうか……そうか!フフ……フフフフ!!では、頼んだぞ。儂は会議場に戻る。オグール卿がそれらしい気を利かせてはくれているだろうが、思った以上に時間がかかってしまった」 「あぁ。オグールの旦那にもよろしくな!」 この後、会議場に戻ったゲメイン。 案の定、オグールの機転により、ゲメインは腹を下したということになっていたため、他の者からの追及はなく、警備たちの者たちにゲメインの不在が知れることもなかった。 そして、一日かけた会議は終了する。 それだけかけて出た結論はというと、引き続き本件の調査は続行されるということと、解決まで周囲の異常には気を配るようにとの注意のみ。 追及の手が消えることはなかったものの、こうも具体性にかける結論に導いたあたり、イザドラたちの手腕もたいしたものである。 そんな呑気なことを考えながら帰路に着くゲメイン。 道中、馬車の中で、向かい合うイザドラと言葉を交わす。 「どうやら他の者たちに尻尾は掴まれていないようだ。流石だな」 「お褒めに預かり光栄です。ゲメイン卿こそ、よほど心配なされていたのでしょうな。ようやく安心されたご様子で……」 「あぁ……やっと肩の荷が下ろせそうだ……」 「ククッ……まだ解決していないというのに、気の早いことです」 「フフ……まぁ、それもそうだな」 (こやつのことだ……何かしら察知している点もあるのだろうが、もう遅い。既に作戦は動いている……) 残すは、今夜の作戦開始をただ待つのみである。 屋敷に戻った後、ゲメインは書斎に閉じこもり、来たるべき時を待った。 「フ……フフ…………いかんな……笑いがこらえきれぬ……」 間も無く全てが終わる。 憎たらしいあの顔を見ることも、必死に金を工面する必要もなくなる。 そう考えただけで、緩む口元が抑えられない。 ――コンコンッ そして、書斎のドアがノックされた。 「ゲメイン卿。またです」 「そうか……今度はどこの手の者だ……いつものように処理しておけ」 「承知しました。ですが、今回のはこれまでの輩と少々異なる連中のようです」 「……ほぅ?」 「手練れです。少々荒れるやもしれませんので、ゲメイン卿は決して外に出ないようお願いします……」 「貴様に手練れと言わせるか……どこの手の者だ?」 「今のところは不明です。が、どうやら傭兵のようですな。雇い主については蹴散らした後に尋ねてみるとしましょう……」 「……わかった……手早く……な……」 イザドラの気配がドアの向こうから消えて間もなく、戦闘によるものと思われる爆発音が庭の方向から小さく響いてきた。 『戦場の狩人』と『鷹の眼』の戦争が開始された合図である。 「……フ……フフ……フフフフフ……ハッハッハッハッハッハ!これで終わりだ、イザドラ!二度と会うこともないだろう!!地獄の淵で精々悔やむことだ!!ハーハッハッハッハッハ!!!!」 堪えきれなくなった笑いを盛大にぶちまけながら、ゲメインは一人、静まり返った書斎の天井を仰いだ。 戦闘による騒音を飛び越え、イザドラの耳に届かせんばかりに。 ただひたすら笑い続けた。 開戦から一刻は経過しただろうか。 時計の短針が天辺を指す頃になると、あれほど騒がしかった音もほとんど聞こえなくなった。 笑い疲れたゲメインはというと、項垂れるように椅子に座ったまま動くことをしない。 消えゆく音と、イザドラの命を重ね感傷に浸っている。 ――コンコンッ 再びドアが叩かれ、作戦成功の報せを待っていたゲメインの体がビクリと揺れる。 「…………」 だが、ドアの向こうからは誰の声も聞こえてこない。 「…………だ、誰だ?」 たまらずゲメインが応答を求めると、ぼそりと呟く声が微かに聞こえてきた。 「ボク……ルゥ……」 「ルゥ……だと?」 「マスターから報告……勝利……作戦終了」 「お……おぉ……おぉ!そうか!!勝ったか!!」 自身をルゥと名乗りつつも、ゲメインは彼女の声を聞いたことがなかった。 普段のゲメインであれば警戒し、廊下に立つ人物が敵ではないことを確信するまでドアを開くことも躊躇っただろう。 だが、それは彼が待ちに待った勝利の報告。 喜びのあまり、彼は自ら反射的にドアを開け放つ。 「わっ……ビックリした……」 ドアを開き、視線を下に動かすと、チョコンと廊下に立つルゥの姿。 驚いたと言いつつ、相変わらずの無表情はさほど変わっていないように見える。 「お、おぉ……すまんな!つい取り乱してしまった」 「報酬……受け取りに来た……」 「そうか、そうか!成功報酬の約束だったな!今、金庫を開けるから少し待っておれ」 踵を返し、喜々として金庫の前まで向かうゲメイン。 金庫のダイヤルを回しながら、ゲメインはふと思う。 (思えば何故ディーノは彼女を一人で寄越したのだ?報酬額もハッキリとは決めていなかったはず。そうした話をするのであれば、団長である彼がここを訪れるのが当然であろう……) 「ところで……ディーノ殿はどちら――がっ!?」 振り向こうとしたゲメインの胸部に走る激痛。 わなわなと震えながら、視線を胸元へと向けると、そこには背後から自身の体を貫く小さな手。 「な……何を…………!?」 尚も振り返ろうとするゲメインだったが、体を貫いた手が一気に引き抜かれ、その衝撃で床に仰向けとなって転がる。 「がふっ……が……あぁ…………はぁ……はぁ……」 自身の身に何が起こったのかを理解した時には、呼吸すらもままならない状態。 霞んでいく視界でなんとか捉えられたのは、淡々と部屋を後にしていくルゥの姿。 その右手は色鮮やかな赤に染まっている。 そして、彼女が部屋を出ようとした直前、ルゥは一旦そこで立ち止まり、廊下に向かって少し視線を上げた。 「マスター……任務完了しました……」 「よくやった、ルゥ。覚えておけ?あれが我々に牙を剥いた者の末路だ。この先、ああいったものを山ほど見ることになる」 「ボク……頑張る……マスターのため」 「あぁ……期待しているぞ……」 ドアの影に隠れて、その人物の姿は確認できないが、ゲメインはその声を確かに知っていた。 静かで、冷たく、這い寄るような女の声。 「イ……ザ…………ド………………」 その人物の名を最後まで呟くよりも早く、ゲメインの意識は闇へと沈んでいった――
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+お宝トレジャーズランビー ガライア鉱山。 王都から西に位置するここは、他種多様の金属が採掘され、その量は大陸で生産される金属の実に八割を占めるとも言われている。 険しい山々に囲まれた環境にありながら、出稼ぎに来た鉱夫や、鉱石の買い付けに訪れる商人など、多くの人々が集うそこは、いつしか『ガライア村』と呼ばれた。 採掘される鉱石の他にもう一つ、ここで名物とされているもの。 ガライア村の名物悪ガキコンビ。 『お宝トレジャーズ』と名乗るランビーとリシェル。 彼らは、この坑道の中でも最も古い区域に秘密基地を作り、そこを拠点に毎日活動している。 その部屋の机に広げられていた一枚の巨大坑図。 彼らが活動を開始する最も大きなきっかけとなったもの。 そこには、最新の地図には記されておらず、落盤等の危険もあるために、封鎖区域とされている箇所が記されている。 今を生きる者達が知らぬ世界。 それは何よりも彼らの好奇心と冒険心を刺激した。 今、そんな彼らの姿は、ガライア鉱山の坑道奥深く、さらにその地下深くにあった…… 「う、ん……ここは……?」 気が付くと薄暗い洞窟。 体を起こしたランビーの頭に、パラパラと降りかかる土埃。 「そうだ……足場が崩れて……」 頭上の大穴を見上げながら、何が起こったのかを思い出す。 封鎖区域へ今日も足を運んでいた二人。 坑図に記されていた\"J-475\"という場所にお宝があると睨んだ彼らは、封鎖扉を突破し、坑道の奥に進んだところで崩落に遭い、地下深くに落ちてしまったのだ。 「リ、リシェル!?パウパウ!?!?」 共に活動する仲間の姿が無いことに気が付く。 ただでさえ薄暗い上、未だ治まっていない土埃のせいでとにかく視界が悪い。 「どこだ!?リシェル!パウパウ!!」 手探りで仲間の行方を探すその指先に、柔らかな何かが触れた。 「あ……パウパウ?大丈夫か!?」 パウパウと呼ばれたそれは、意識を取り戻すと、すぐさま差し出された手を伝って肩へと駆け上った。 その生き物は、人には懐くことはないと言われる鉱山穴モグラ。 昔、風邪で寝込んでいたリシェルに見舞いとして贈ったものだ。 モグラを『パウパウ』と名付け、日々を共にしたリシェル。 当時はランビーからもリシェルからも逃げようとしていたパウパウだったが、根気よく付き合い続けたリシェルに徐々に心を開いていき、今ではランビーも含め、仲良し三人組みだ。 「パウパウ。リシェルがどこにいるかわかんないか……?」 パウパウの嗅覚ならば恐らくリシェルの行方を掴むことが可能。 元気良く頷いたパウパウは、颯爽とランビーの肩から飛び降り、そのままトコトコと駆けていく。 「見つけたのか!?さすがだぜ、パウパウ!!」 目も慣れ始め、土埃もようやく治まってきたおかげで、先程よりは視界が確保できる。 十歩程歩くと、倒れている人影の上で飛び跳ねているパウパウが見えた。 「リシェル!無事なの――な、なんだありゃぁ?」 パウパウ達の背後に一際開けた空間。 その中央にポツンとそびえ立つナニか。 石造りのそれは、絵本の物語に出てくる祭壇を思い出させる。 「っと、驚いてる場合じゃなかった!おいリシェル!大丈夫か!?リシェル!」 人影を抱き起し、肩を揺らして呼びかける。 長い髪に、左右の大きな三つ編みが特徴的な女の子。 間違いないリシェルだ。 見た限り、ケガも無い様子。 「もう朝~?おはよ~ランビ~。パウパウもおはよう~」 目を覚ました。 パウパウは彼女の顔を舐め回して喜びを表現する。 「違うよリシェル!今は朝じゃなくて、俺達落っこちちゃったんだぞ!」 「え?……あーーーー!!お宝はあった!?」 普段と変わらないリシェルの様子に、ランビーも改めて胸を撫で下ろす。 「良かった。その様子じゃ無事っぽいな!お宝探しにいこうぜ!ほらあそこ見てみろよ!ここにお宝ありますって書いてあるみたいだろ!?」 腕を引っ張り上げるようにしてリシェルを立たせると、彼女の背後に見える祭壇らしきモノを指さす。 「それじゃあ、いくぜ!?」 「うん!!」 「獲物は逃がさないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「「二人揃って!お宝トレジャー……」」 「うわぁああああああ!!ランビーーーー!!!!」 最後の決めポーズに差し掛かった辺りで、リシェルが止めに入った。 「どうした、リシェル!?」 驚いてリシェルへ顔を向けると、なにやら目に涙を浮かべ、泣きそうな顔をしている。 「お…お財布忘れた……お宝が有料だったらどうしよう……」 「大丈夫だぜリシェル!お金を持ってなくても、お皿を洗えば許してくれるぞ!!」 「そっか!ランビー冴えてるね!!」 周りから見れば馬鹿らしく思えるかもしれない話。 だが、まだ幼い二人はいつでも全力で喜び、悩み、世界を楽しんでいる。 「ランビー……伝説のカレー屋さんじゃなかったね」 「あぁ……これは……」 目的のお宝を見事に発見した二人。 その宝は、彼らが想像していたものとは違っていたが、むしろそれ以上に歓喜の心を呼び起こすモノ。 「うぉおおおお!!」 ランビーが掲げたのは長剣。 細身で、柄から刃先にかけて全てが赤みがかった黒に染まっており、不思議な、そして少し不気味な装飾がほどこされている。 「やったね、ランビー!!」 リシェルが掲げたのは弓。 やや歪な形と装飾だが、それ自体が燃え盛る炎を象ったような、今もまさに燃えているかのように煌々と輝いて見える。 「「お宝トレジャーズ!!優勝!!」」 まるで、夢を馳せた物語の主人公になったかのような気分。 手にした長剣を眺めていると、ついつい笑みが溢れてくる。 リシェルは何かを撃ちたくて仕方ないのか、ウズウズした様子で引き絞った矢の先をあちらこちらへ向けている。 やはり、その顔はランビーと同じようにだらしなくニヤけっぱなしである。 「あ!待って、ランビー!お皿は洗わなくていいのかな!?」 「あっ!!そうだった……でも、洗うお皿がないぞ!?」 ニヤけ面が一変、あたふたと慌て始める二人。 「どどどどうしよう!!!あっ!変わりに、これを置いとけばバレないんじゃないかな!?」 「おっ!冴えてるなリシェル!!そうしよう!」 それは、二人が今まで散々使い古してきた鉄の剣と木の弓。 果たしてこれが宝の代償として受け入れられるのかどうかと、お古の剣をまじまじと見つめている顔が引きつっていく。 探検家が、発見した財宝のお代を置いていくのかは怪しいところではあるが、これ程見事な宝と呼べる宝を手に入れることは、未熟な二人にとってはどこか気が引けてしまうことで、それはもともとの持ち主と、訪れた幸運に対する感謝の証なのだろう。 「どうか、これでご勘弁を……」 二人は剣と弓が納めてあった台座に自分達の武器を置き、プルプルと震えながら両手を合わせて祈りを捧げた。 ――ゴゴゴッ…… 祈りに応えるように揺れ始めた坑道。 「やばい!やっぱりダメだったか!?」 その場から逃げようと、走り出そうとした二人だが、徐々に強まる揺れで足元はおぼつかない。 さらに、二人の立つ祭壇らしき場所を包むように地下から這い出してきた黒い影。 「なんだ、なんだ!?」 「うわぁああああああ!!」 天井にさえ届くかという高さまで伸びた影は、そこから一気に急降下。 ――ドーン!! 祭壇は木っ端微塵に吹き飛ばされ、坑道の外にまで響くかと思う程の轟音と共に『ヤツ』は現れた。 「なんだ…これ……ま、魔人……!?」 祭壇に用いられていた漆黒の鉱石が、巨大な人型を成して二人の前に立ちはだかっている。 これまで探検の道中で倒していたような小さな魔物とは明らかに異質なオーラ。 直感が“ヤバイ”と危険信号を発しているが、足がすくむ。 魔人はおもむろに腕を振り上げたかと思いきや、そのまま動けない二人に向けて振り下ろす。 「「うわぁああああ!!!」」 これまで積んできた戦闘の経験が活きたのか。 頭で考える前に、二人の体はそれを回避した。 「リシェル!どうする!?逃げられるか!?」 「ランビー!ダメだよ!!アタシ達はお宝トレジャーズ!お金がないなら、強奪すればいいんだよ!!」 「頭いいな、リシェル!!」 力の差は歴然に思える。 それでも手に入れたお宝を手離すまいと自分を奮い立たせる。 後ろに飛んだ2人は決めポーズと共に魔人に向かい声を荒げた。 「獲物は逃さないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「「2人揃って!お宝トレジャー……」」 ――ゴォオオオオ!! 悠長にポーズを決める隙なんて与えてはもらえるはずもない。 振り回される魔人の拳を、またしても間一髪のところでかわした。 「ランビー……やっちゃったね……」 「あぁ……あいつは……やっちゃいけない事をやっちまった…」 それがきっかけだった。 言葉ではいきり立っていても、どこか怯えが感じられたそれまでの表情は完全に消え去る。 魔人を睨み付けるようにして見上げた二人の顔には、許しがたい程の怒りの表情が満ち満ちている。 「お前のママは、ヒーローの決め台詞中に攻撃するなって教えてくれなかったのか!?」 魔人の拳を的確にかわしながら足元へと詰め寄るランビー。 「ランビー!あいつは悪党の中の悪党だね!極悪ブ道だね!」 リシェルの放った閃光のような矢は、ランビーに気を取られている魔人の顔面を穿つ。 「あぁ!甘すぎるぜ!」 衝撃でバランスを崩した魔人。 その足を払うようにしてランビーが斬り付けると、そのまま魔人は尻餅を付くように倒れ込んだ。 「おぉぉおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらぁ!」 立ち上がろうと地に付く魔人の手。 そのことごとくを斬り払って魔人を立ち上がらせないランビーに対し、リシェルは合わせるように魔人の土手っ腹めがけて矢の雨を降らし続ける。 「てやっ!それっ!えいっ!このっ!このっ!!このっ!!!!」 新たに得た武器の力なのか、それとも才能が開花したのか、見事なコンビネーションで魔人を圧倒する二人。 一方的に攻撃を受け続けた魔人の身体に亀裂が入り始める。 「今だ!リシェル!!決めようぜ!!」 「OKランビー!行くよ!!」 「ランビーアターーーーック!!!!」 「ビーフミートソーセージッ!!!!」 止めに放たれた二人の全力の一撃。 如何に強靭な体を持つ魔人とて、今のお宝トレジャーズを前にしては、文字通り砕け散る他なかった。 ――ゴォオオオオオオ………… 粉砕され、ただの岩と成り果てていく魔人。 改めてポーズを決め、勝利の雄叫びを上げる二人。 「「お宝トレジャーズ!大勝利!!」」 はしゃぎ回る二人。 その時、岩の隙間から影がスッと天井の方に登っていくのを視線が捕らえた。 「なんだ!?」 青い羽根のようなものをパタパタと羽ばたかせ、黒く長い尻尾をユラユラとさせる生き物のような“何か”の姿。 「ランビー!あの子!かわいい!!」 リシェルは興奮してランビーの肩をバンバンと叩く。 「あいつも欲しいのかリシェル!?パウパウがいるじゃんか!」 しかし、ランビーとて、見知らぬものに対する好奇心はリシェルに引けを取らない。 「まぁ…リシェルがそう言うなら、せっかくだし捕まえるか!」 「やったー!」 鞄から長いロープを引っ張り出すと、その先端に輪をつくり、グルグルと回しながら狙いを定める。 「逃げるなよぉ……そこだぁ!」 投げられたロープは、見事“何か”の尻尾を捉えた。 逃げようとバタバタ暴れる謎の生物を、力任せに引っ張り込む。 「ランビー!がんばれ~!がんばれ~!!」 必死の形相のランビーの横で、手を頭上で振り、クネクネと踊りながら声援を送るリシェル。 「よっしゃー!ゲットぉおおおお!!」 数分にわたる格闘の末、なんとか謎の生物を捕まえたランビー。 暴れ続けるそれをガッシリと両手で抱きしめ、逃がさない。 「なんだろ~この子……かわいい!!妖精かな?真っ黒な妖精さんなの!?」 「妖精か……でも妖精はもっと肌色だから、影の妖精なんじゃないのか?」 「影の妖精さん!?今日からランビーと一緒だよ!挨拶は~?」 リシェルに語りかけられた影の妖精は、少し警戒を解いたのか、暴れるのをやめた。 「おぅ!よろしくな!影の妖精さん!!!」 ランビーも満面の笑みを向け、安心させようと試みる。 ――その時、あの事件が起こった。 妖精の目が怪しく光ったかと思うと、突然ランビーの身体は宙に浮き、あろうことか、そのまま飲み込まれるように影の妖精の身体の中へと沈んでいく。 「うわああああああ!!」 おぞましい感覚に身体は強張り、力が入らない。 瞬く間に頭まで飲まれ、視界が失われる。 途切れていく意識の中、リシェルが自分の手を掴んだような気がした…… ――あれ……俺、影の妖精に飲み込まれて…… どれ程の時間が経ったのか。 視界に映る天井は、先ほど魔人と戦っていた時のそれと同じ。 「よっと……え!?」 体を起こすと、目の前に寝ているのは自分。 正確には俺と同じ姿をした人影。 いや、自分の声に違和感を覚える。 とても聞き慣れた、でも自分のものではない声。 ふと脳裏をよぎる予感。 その真意を確かめるために自分の身体に視線を落とす。 「嘘だろ……!?」 自分よりも白い肌。 細い腕と足。 わずかに膨らみを感じる胸元。 耳元をくすぐるように洗う髪。 フリフリとした服。 「リ、リシェル!?おい!リシェル!?!?」 取り乱しながらリシェルの名を叫び、傍に横たわる自身の身体へと駆け寄る。 「あれ……アタシ…………ラ、ランビー……?」 ぼんやりとした自分の顔。 毎朝、鏡越しに見ている自分の顔が、自分の意思とは違う動きをしている様を見るのは酷く気味が悪い。 意識を取り戻したばかりで、まだこの状況が把握できていないようだった。 「リシェル!?リシェルなんだな!?!?」 「……え?」 「と、とりあえず、身体は問題ないみたい……うわぁ!!」 目の前を通り過ぎる影。 フワフワと周りを旋回するように浮いているのは例の影の妖精。 先程と違い、逃げる様子も無ければ、特に危害を加えるつもりも無さそうだ。 「お前!まだいたのかよ!」 「ど、どうしよう……」 「フィ~~~~~~~~!!!」 「パウパウ!?」 良かった。 ランビーの肩に駆け上ってきたパウパウが鳴き声を上げた。 特にケガも異常も無く、無事なようだった。 否、それよりも今は、天災が起こる時に大声で鳴くという鉱山穴モグラのパウパウが鳴いているこの状況を何とかする事が先決。 「ランビー!どうしよう!!!」 人生で最も混乱していた最中に降りかかったさらなる厄災。 何が起こるかはわからないが、少なくともここにいるのは危険。 坑道から脱出する方法を必死に考えるが、全くまとまらない。 「どうにかしないとまずいだろ!どうやって出るんだよ!!」 「そんなの分かんないよ!ロープは……」 「あ!まだ影の妖精についてるじゃん!」 気楽な面持ちでフワフワと飛び続けている影の妖精からロープを引っぺがす。 ここに落ちてきた場所まで急いで戻ると、そのまま天井の穴に向けてロープを投げ入れる。 運良く岩にでも引っかかったのか、ロープに体重を掛けても平気な事を確認する。 「リシェル!!俺が先に登るから、OKって言ったらこのロープに捕まってくれよ!」 「わかった!気をつけてね!もし落ちても、アタシがファインプレイでナイスキャッチする!!」 スルスルとロープを登っていくランビー。 上までよじ登ると、すぐさま穴の中のリシェルへと呼びかける。 「OK!リシェル!捕まって!俺が引き上げるから!」 ロープにしがみ付いたリシェルを目で確認。 それを力いっぱい引っ張り上げる。 「……ぬ……おっも!」 自分の身体がこんなに重いものだとは知らなかった。 リシェルの身体だから筋力が足りないのだろうか。 「ランビー!頑張って!」 「ちょ……今はクネクネするな、リシェル!!」 なんとか穴の上まで登り切った二人。 「はぁ……はぁ……戻ってこれたね…………」 「ぜぇ……ぜぇ……と、とりあえず……秘密基地に帰ろう……」 道中、パウパウの姿はリシェルの肩の上にあった。 体が入れ替わっても、どちらがリシェルであるかをしっかりと認識できているのだろう。 「パウパウが鳴いたけど、何も起きなかったね!」 「“大変なこと”が起こる時にしか鳴かないって聞いたのにな!」 “大変なこと” てっきり、地震や崩落のような災害のことだとばかり思っていたが、お宝トレジャーズは今まさに“大変なこと”を抱えている。 まさかパウパウはランビー達の身に起こっている異常に気が付いて鳴き声をあげたのではないだろうか。 「なあ、リシェル。これからどうする?」 秘密基地に帰り着いたところで、珍しく神妙な面持ちで切り出すランビー。 「大丈夫!その子は絶対に責任を持って飼うから!」 「パウパウもいるのに、こいつまで飼うのか!?」 「でも、なんだかランビーに懐いてるみたい……って、えぇえええええ!?ランビー!?なんでアタシの恰好してるの!?」 「そうだよ!!そっちの話をするつもりなんだった!!」 「あれ?ってことは……あれ!?アタシがランビーになっちゃったの!?」 「気付くの遅いぞ!?!?」 「えぇえええ!?どうしよう!ママ達にばれたら絶対に怒られちゃう……」 「あぁ……俺も父ちゃんに108回はぶち殺される……」 お宝を手に入れるまでは良かった。 だが、まさかこんなことになるなんて想像もつかなかった。 心配そうにリシェルを見上げるパウパウ。 身体は違っても、それがリシェルであることを理解しているのだろう。 「そうだ!!この子に食べられちゃったせいで入れ替わっちゃったんだったら、もう一回食べてもらえば元に戻れるよ!!」 「お……おぉおおおお!!そうだよ!絶対そうだ!!やっぱ天才だぜ、リシェル!!」 バッと影の妖精に視線をロックオン。 ビクッと体を震わせた妖精は、じりじりと間を詰め寄ってくる二人から後退る。 「口か!?口から飛び込むのか!?あれ?口がないぞ……!?」 「タックル!?思いっきりタックルしてみる!?」 「手みたいなので抑えてるところ、あれ口なんじゃないか?」 「そっか!妖精さ~ん、おててどけてよ~!」 「大丈夫だよ……きっとおいしいぜ……俺達……」 「ほら、ア~ンだよ!!パクッといっちゃおうよ……」 …………………… 結果的に、二人が妖精の中に入ることはできなかった。 試行錯誤してみたものの、妖精の中に入れそうな雰囲気は無い。 「リシェル!色々あったけど、無事にお宝を手に入れて戻ってこれたな!」 「うん!そうだねランビー!ついでにかわいい影の妖精もゲットしてきちゃったし!」 結局、抱え込んだ問題の重圧に耐えきれなくなったランビーとリシェル。 二人は空元気を振りまきながら、お互いを励まし合う。 「とりあえずさ!今日の所はうちに帰ろう!」 「そうだね!お腹も空いてきたし!」 「問題は……」 「わかってる!アタシがランビーのフリして、ランビーの家に帰るんだよね!」 「そうだ!俺はリシェルのフリをして、リシェルの家に帰る!」 「言葉遣いも気を付けないとね!」 「そうだな!ア、アタシはうまくやってみせ……るよ?」 「お、俺も、頑張る……ぜ?」 そして、今日の活動を終えた二人は帰路へ着く。 村までの道すがらは、お互いの話し方をひたすら練習し合った。 他にも、家での行動や習慣。 とにかく考え付く限りの偽装を施した。 「リシェル、わかったか?」 「うん、大丈夫だよ!秘密の約束だね!」 今日の事は絶対に二人だけの秘密。 交差させた小指に誓い合ってから別れた。 「い……いくぜ……!」 毎日のように見続けてきたリシェルの家。 今日のランビーの目には、やたらと大きく、威圧的に映る。 「た、ただいま~~~!」 「遅い!またこんなに泥だらけになって……ご飯の前にさっさとお風呂入ってきちゃいなさい!」 「は、はい……」 (いつもニコニコで優しいリシェルの母ちゃん……怒るとこんなに恐いのか……) 「と、その前に……何、それ?」 リシェルの母が指さす先には、フワフワと浮かぶ影の妖精の姿。 「この子は新しいお友達でね、影の妖精さんだよ!かわいいでしょおおお!?」 「あなたパウパウを飼う時も勝手に……あら?そういえばパウパウはどうしたのよ?」 「今日はランビーのとこに泊まるんだって!!晩ご飯がシチューなんだよ!?パウパウいいな~……」 (打ち合わせ通り!思ったより楽勝だな!!) 「あらそう……残念ながら我が家はカレーよ。食べたくなければいいのよ?」 「カレー!?まじ……本当に!?やったぁあああ!お風呂行ってくるーー!!」 とりあえず、帰ってすぐにバレるようなことはなかった。 姿がリシェルそのものなのだから、当然と言えばそうなのかもしれないが、やはり経験したことのない緊張がある。 なるべく挙動を減らしてリシェルの両親に違和感を与えないように気を付けなければ。 「風呂場は、確かここ……洗濯物は、このカゴの中……」 (あぶねぇ!カレーに釣られてボロがでちまうとこだった!) 何度となく遊びに来ているこの家は、もはや自分にとっては第二の家のようなものだ。 間取りについては打ち合わせがなくても、お互い問題ない。 が、リシェルの体となったランビーには、予想すらしていない数多くの試練がこの先に待っていた。 「むむ……な、なんだこれ!洗いにくっ!!か、絡まる……!!」 頭一つ洗うにも苦戦する有様。 周囲にさえ気を付けていれば良いという考えが如何に甘かったかを思い知らされていく。 「リシェル?いつまで入ってるの?早くしなさいよ。着替え置いておくからね!」 「え!?う、うん!ありがと!」 さっさと出た方が賢明のようだ。 まだ毛先まで洗い終えてない状態で頭からザッパーンと湯をかぶり、ブルブルと頭を振って水分を吹き飛ばす。 「着替えはこれか……わ!パンツちっさ!!」 着たことも無い女性用の衣服は、むず痒く、全然落ち着かない。 「おう、リシェル!早くしねぇと、おまえの分のカレーも全部食っちまうぞ?」 「えぇえええええ!?ダメダメダメダメ!!」 「さ、ご飯にしましょ!」 既に食卓についていたリシェルの父がリシェル、もといランビーを急かす。 向かった卓上には、美味しそうなカレーが並んでおり、空きっ腹を猛烈に刺激した。 「いただきまーーーーす!」 「今日の収穫はそいつか?」 「うん!影の妖精さんだよ!新しいお友達なの!」 「相変わらず変なのに好かれるヤツだなおまえも……」 「危ない子じゃなければいいけど……あんまり心配かけるようなことはしないようにね?」 「う、うん!大丈夫!」 (封鎖区域に入ったどころか……こんなことになってるなんて、口が裂けても言えねぇ……) 「ランビーがいるんだから大丈夫だろ?あいつもガキとはいえ男だからな!リシェルをしっかり守ってくれるさ!」 「へへへ……いやいや……それほどでも……」 「ん?なんでオマエが照れてんだ?」 「あ……お、同じお宝トレジャーズの仲間だもん!仲間の喜びは、みんなの喜びなんだよ!!」 (な、なかなかやるぜ……リシェルの父ちゃん。策士だな……) 会話が弾むとどうしてもボロが出そうになる。 今日は早いとこ寝た方が良い。 「アタシもう寝るね!今日はたくさん冒険して疲れちゃった!」 「なんだ、珍しいな……毎晩夜更かしして怒られてるオマエが」 「う、うん!たまにはね!じゃあ、おやすみなさいーーー!!」 「……なんだぁ?」 逃げるようにして、リシェルの部屋へと飛び込んだランビーは、真っ直ぐにベッドの上へと倒れ込む。 「あぁ……疲れた…………」 仰向けに転がると、楽しそうに浮いている影の妖精。 そういえばこの妖精には食事は必要ないのだろうか。 あんなにもおいしいカレーだったのに。 リシェルもご飯を食べ終えただろうか。 ボロを出していなければいいが。 もし、このまま二人の体が戻らなかったらずっとこんな生活を続けるのだろうか。 様々な考えが頭をグルグルと回る。 頭を支えるいつもと違う枕の感触。 こんな状態で寝る事なんてできるのだろうか。 そんな思考とは裏腹に、体の疲労は限界を迎えていたのか、意識はすぐに虚ろになっていった…… ――翌朝 「よしっ!いく……ぞ?」 小鳥のさえずりが聞こえ始めた頃、いつものように目を覚ましたランビーが跳ね起きる。 「そうか……今はリシェルなんだった」 これが夢であったのならどれほど良かったか。 目覚めた直後に重たく圧し掛かってくる不安。 「いやっ!諦めるな!とりあえずはリシェルと合流だ!!」 寝間着を脱ぎ捨て、いつもの見慣れたお宝トレジャーズ仕様の服に袖を通し、鏡の前で仁王立ち。 「……ん?何か足りない?おお!リボン、リボン!」 結び方なんてわからない。 それでもとりあえず胸元に結んでみる。 「……あれ?まだなんか違う……あ、三つ編み!」 こればかっりは適当に結んでどうにかなるものでもない。 「わ!珍しい……もう起きたの?リシェル」 「あ……ママ」 「いつも言ってるでしょう?リボンはしっかり結びなさい。落としちゃっても知らないわよ?」 そう言うと、ランビーの前で腰を落とし、慣れた手つきでリボンを結びなおしてくれた。 「ほら。三つ編みをやってあげるから」 ちゃちゃっと綺麗な三つ編みを紡いでいく。 なんだかくすぐったい。 「気を付けて行ってくるのよ!」 「……うん!!行ってきます!!」 温かい笑顔は、自分ではなくリシェルへと向けられたもの。 そう思うと、この人を騙しているのだと、すごくバツの悪い気持ちになってくる。 早く元に戻らないと。 家を飛び出したランビーは、自分の家へと駆け出した。 「リシェ……じゃなかった!ランビ~!!起きて~!」 自分の家の前で、まだ寝ているであろうリシェルを起こそうと大声を上げる。 「リシェル?今日は起こしにきてくれたのね!」 その声に最初に反応したのはランビーの母。 いつもは起こす側のランビーが起こされる異常に驚きを隠せないようだ。 「う、うん!今日は大事な約束があるの!」 「そうかい。あの子、寝坊だけはしない子なんだけど、どうしたんだろうね……」 「き、きっと疲れてるんだよ!昨日は大冒険だったから!」 「おはよ~ランビ~!あ、影の妖精さんもおはよ~!」 「はぁ?何言ってんだいあんたは。ランビーは自分だろうに」 「き、きっと寝ぼけてるんだよ!ランビ~、しっかりして~!早く冒険に行くよ~!ランビ~!!」 「あ、あぁあ!よ、よしっ!今行くぜ、リシェル!」 「……?」 ダメだ。 長居をしてはきっとリシェルはボロを出す。 早いとこ連れ出さないと。 「待たせたな!リシェル!行こうぜっ!」 「うんっ!」 家を出てきたリシェルを連れたランビーは、そそくさと秘密基地へと向かい、早速作戦会議を開いた。 「まずは、じょーきょーおーこくだ!リシェル!」 「え!?そんな国があるの!?」 「あれ?じょーきょーほーこくか!?と、とりあえず、昨日の家での感じを発表するぞ!!」 「なるほど!!発表会って意味だね!?」 「俺たちの体が入れ替わっちゃったことは、まだ誰にも気づかれてない!!」 「うん!!ランビーのママたちにもバレてないよ!!打ち合わせ通りに頑張ったからね!!あ、ランビーのママのシチューすっごく美味しかった!!」 「だろ!?リシェルの母ちゃんのカレーも絶品だったぞ!!」 「え~!うちカレーだったの!?食べたかったよ~~!!」 「まあ、それはいったん置いておこう!他に気になることはなかったか!?」 「そういえばランビー、スカートちゃんと履いてるんだね!」 「え?だっていつもと違う格好だとバレちゃうかもだろ!?リシェルもしっかり俺のズボン履いてるじゃんか!」 「だってランビーの家にスカートなかったんだもん!」 「あっても履くなよ!バレちゃうだろ!」 「それからね、ランビーのパンツはズボンみたいで何だかスースーするよ!」 「それは俺も予想外だったぜ……リシェルのパンツはキツキツでなんか動きにくいな!」 「そんなことないよ~~~!!」 「ともかくだ!早いとこ元の体に戻らないといろいろと不便だ!」 「そうだね!でも、昨日は何回やっても影の妖精さんの中には入れなかったよ?」 「ああ……そこが問題だ。だから次は、じょーほーしゅーしゅーをするぞ、リシェル!!」 「えっと、えっと……いろいろ調べるってことだね!?」 「古より伝わりし言葉なのに、よく知ってたなリシェル!その通りだ!!」 「ってことは……昨日のとこにまた行くんだね!」 「何かヒントがあるとしたら、たぶんあそこだ!」 「うんっ!!」 「獲物は逃がさないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「二人揃って!お宝トレジャーズ!出発!」 意気揚々と出発したお宝トレジャーズ。 坑道を抜け、倒れた封鎖扉を超え、二人が落下した穴までの道を再び歩く。 「よぉし!俺が先に降りる」 「それってつまり、ランビーの体を使ってるアタシが先に降りたほうがいいってことなのかな?」 「いいや!ここは……あ、でも……これはリシェルの体なわけだよな……ん?」 「ランビーはもちろんランビーだけどアタシでもあるわけでしょ?ってことはアタシもランビーだけどもちろんリシェルでもあるわけでしょ?」 「すげぇな!何言ってんのかわかんねぇ!!」 「わかんないね!じゃあ一緒に飛び降りよう!!」 「そうだな!それならややこしくない!じゃあ三つ数えて飛び込むぞ!!」 「うんっ!じゃあいくよ~?」 「「いち……にの……」」 「さんっ!」 一足先に飛び込んだのはリシェル。 「ちょ!?リシェル!?さん……はいっ!!だろ!?!?」 「えぇええええ!!ランビィィィ…………――――」 瞬く間に闇の中に消えていったリシェルの姿。 「あわわ!!待てってば、リシェルゥゥゥ……――――」 慌てて後を追いかけるようにランビーも穴へと飛び込んだ。 「――――……ゥゥゥウウウウ!」 ――ドスンッ! 「ぐえっ!?!?」 「え!?うわぁあ!?リシェル!大丈夫か!?!?」 落下地点にいたリシェルを押しつぶす形で着地したランビー。 「……い、いろいろ……口から……出そうだった……」 「飛び出してないな!?大丈夫そうだな!?あ、これって……俺の体がリシェルを守ったってことなのか!?」 「そ、そうだね、ランビー……守ってくれて……ありが……と!」 リシェルが落ち着くのを待って、再び祭壇の空間に足を踏み入れた二人。 二人の体が戻るためのヒントは果たしてここにあるのだろうか。 「もう、あの魔人さんはいないよね?」 「あぁ!それは大丈夫みたいだ!」 「でもここ、剣と弓が置いてあっただけで、何もないよ?」 「他にアテもないしな~……ん?どうした?オマエ」 頭を悩ませる二人。 そんな時、彼らを導くように、部屋の端の方へとフワフワ飛んでいく影の妖精。 「おい!待てよー!」 壁際まで来たところで、影の妖精は足を止めた。 「あれ??何か書いてあるよ!?!?」 遠目ではわからなかったが、埃を被った壁には、うっすらと絵が描かれているように見える。 「すー…………ふぅううううう!!」 思い切り息を吸い込んだランビー。 そのまま壁に向かって息を吹きかけると、激しく埃を巻き上げながら、徐々に描かれている絵が全貌を表し始める。 なんとか埃を取り払い、絵をまじまじと観察する。 「あ!これってもしかして…………」 「あぁ!間違いないぜ!!」 そこに描かれていたもの。 二人の人物が影の妖精に飲み込まれ、体が入れ替わる様子。 そして、大陸の果てで、二つの人物が黒い炎を手に入れて喜んでいる。 「この黒い火を手に入れろってことなのかなぁ??」 「…………」 「ん?ランビー?」 「リシェル。俺は決めたぞ!」 「うん??」 ――翌日 まだ誰も目覚めていないような早朝。 ランビー、リシェル、パウパウ、影の妖精の二人と二匹は、人知れず村の入口に立っていた。 「ママ達、心配しないかな?」 「そうだなぁ……でも、前に読んだ絵本に書いてたぜ?別れは人を成長させるってな!」 「ホントに!?じゃあ明日になったら大人になってるかな!?」 「もちろんだぜ、リシェル!おまえも明日から、ボンッ!ボンッ!キュッ!キュッだ!!」 「うん!ここからがアタシ達の本当の冒険だね!!」 「あぁ!すぐに元の体に戻って村に帰ってくる!!すげぇ冒険者になって帰ってきた俺達を見たら、母ちゃんたちも驚くぜ!!」 「お宝トレジャーズの名を大陸中に響き渡らせよう!!」 「すげぇなそれ!それなら母ちゃんたちも心配しないぜ!!」 「あ、でもね、アタシはランビーの体のままでも別にいいよ?なんか、動きやすいし!」 「こらっ!それは俺の体だろ!!一生スカートも履けないぜ!?」 「ん?履いたらダメなの?」 「持ち主の俺が許さん!!」 「そうだ!伝説のカレー屋さんも見つかるかな!?」 「確かに!!世界は広いんだ……きっとどこかにあるぜ!!ビーフコロッケは付けてもらえるかな!?」 「え!?ずるい!じゃあアタシはソーセージ!!」 「それもいいな!それじゃあ、いくぜ!?」 「ちょっと待ってランビー!」 「なんだ、リシェル!?」 「そういえばね、ランビーの家では、晩ご飯に出てきたソーセージのことをウインナーって呼んでたの。何が違うの?」 「おいおい、リシェル。自分の必殺技にも使ってる言葉だろ?それくらい知らないと必殺技の使い手として認められないぞ?」 「えぇえええ!そんな……大変だよランビー!ソーセージとウインナーって何が違うの!?教えてよ!!」 「そりゃあ…………た、確か、ウインナーってのがファーストネームで、ソーセージってのはラストネームだ!!」 「そうだったんだ!アタシ、にょ~んとしてるのがウインナーで、シュッとしてるのがソーセージだと思ってた!!じゃあフランクフルトは??」 「……ミ、ミドルネームだ!」 「ウインナー・フランクフルト・ソーセージさん??」 「お、おう……たぶんな……」 「すごいよランビー!ランビーは物知りだね!」 「じゃあ、気を取り直していくぜ!?」 「うん!!」 「獲物は逃さないぜ!ランビー!」 「全部いただくよ!リシェル!」 「「二人揃って!お宝トレジャーズ!出発!!!!」」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 母ちゃん、父ちゃん、ママ、パパへ とつぜんですが、俺たちお宝トレジャーズは大陸を旅することにしました。 理由は聞かないでください。 いつか絶対に帰ります。 パウパウと妖精さんの世話もサボりません。 お勉強も頑張ります。 好き嫌いもしません。 だから探さないでください。 帰ったら母ちゃんのシチューが食べたいです。 生卵は三つでお願いします。 アタシはママのカレーが食べたいです。 ウインナー・フランクフルト・ソーセージさんをたくさん入れてください。 父ちゃんに負けないアツイ男になって帰ってきます。 パパに負けない丈夫な女になって帰ってきます。 お宝もいっぱい持って帰ってくるので、新しい秘密基地を作るの手伝ってください。 お姫様ベッドとだいりいしのお風呂も付けてください。 お返しに、我が家をお城にするのを手伝います。 ママとパパの銅像も作ります。 だから心配しないでください。 できたらたまにお手紙書きます。 ランビー、リシェルより ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ +星射必中の麗弓リオーネ -1ページ目- リオーネおじょう様。 ラグーエルのぼうえき全体をかんりするウィース家のごれいじょうです。 わたしは本日から、おじょう様の「しつじ」としてはたらくことになりました。 これから、ぜん力でがんばります。 -220ページ目- だんな様はおじょう様をでき愛しています。 先日、おじょう様が街の兵たいさんの弓を見て「私も習いたい」とお話すると、遠くイエルから弓の先生をお呼びになりました。 おじょう様には自由に生きてやりたいことはとことんやらせる。 だんな様の教育方針はかたよってはいますが、おじょう様はとても楽しそうにお過ごしになっているので、すばらしいお父さんなんだと思います。 -758ページ目- ラグーエルの治安の向上にはもっと街に灯りが必要だと旦那様が話していたのを聞きつけたようです。 お嬢様は突然、「ミールのランプが欲しい」とおっしゃられて、今は馬車に揺られております。 ミールのランプには魔力が込められているという噂話を先ほど嬉しそうにお話しておりました。 長旅に少しお疲れでしょうか…よく眠られております。 お嬢様はいつでも信念をお持ちになり、誰よりも先に行動なされます。 私はお嬢様がお望みとあらば、その願いを叶えて差し上げたいのです。 ミールまではあと2日。 このまま、何事もなければそれでいいのです。 何事もなければ。 -1211ページ目- 市民からの評判も高いウィース家。 海賊や山賊の情報を手に入れては傭兵を雇い問題を解決する、街を愛する、由緒正しい家系。 本日も海賊を討伐したと報告が御座いました。 お嬢様もお喜びになっているようです。 私はウィース家の執事として、リオーネお嬢様の身の回りのお世話をする事に誇りを持っております。 「何があってもお嬢様をお守りする」 この屋敷に務める時に旦那様と交わした約束が、私の信念と言っても過言では御座いません。 -1897ページ目- 本日、お嬢様はアスピドケロンの弓の大会に出場されました。 大会で初の女性、しかも最年少の記録を出し優勝。 さすがでございます。 応援に駆けつけた旦那様と、泣いて喜んでしまいました。 後日、改めて無礼を謝らなければ……。 ラグーエルに戻る船の中でお嬢様は将来の夢の話をされました。 「お父さんのような優しくて力のある人間になりたい」 素晴らしい夢に、私は感動を覚えました。 -4338ページ目- 最近、ラグーエルの商船が何度も海賊に襲われている事に、旦那様が頭を悩ませているようです。 本日、傭兵を雇い、海賊退治を命じたとか。 お嬢様は私がお出しした紅茶が口に合わなかったのか、部屋に閉じこもったままお食事も取られません。 マーニル産の紅茶のように、香りの強いものは今後控えた方が良さそうです。 -4346ページ目- 旦那様が雇った傭兵はニセの商船を作り、海賊に襲われている海域へと赴いたようですが、海賊は現れず、失敗に終わったとのことでした。 難しい顔をされている旦那様に掛ける言葉が見つかりません。 お嬢様は数日前から自室に篭もったままです。 この話が耳に入っていなければ良いのですが……。 -4348ページ目- 本日、お嬢様から私にお話がありました。 「一緒に商船に潜り込もう」と……。 どうやらこの話を知っていたようです。 大反対をしたのですが……お嬢様は聞く耳を持ちませんでした。 お一人で行かせる訳にはいきません。 明日、商船に乗り、海賊が出るのを待つ事にします。 どんな事があろうと必ず私がお嬢様をお守りいたします。 -4349ページ目- 間もなく海賊が出ると言われている海域です。 お嬢様からは、着いたら起こしてくれと頼まれておりますが、時が過ぎるのを待ち、明日の朝ラグーエルへ戻りましょう。 文句は言われるでしょうが、お嬢様の安全が一番です。 このまま、何事もなければそれでいいのです。 何事もなければ。 -4350ページ目- さて、どこから記せば良いでしょうか。 まだ私自身、混乱が収まりません。 敵の船が見えてから、船内は慌ただしい雰囲気になりました。 お休みになられていたお嬢様も起きてしまい、海賊が出た事を悟られました。 お嬢様を船底に近い物置へ案内してから、決して出ないようにとお伝えし、私一人で海賊と戦う事を決めました。 甲板で敵の船を睨みつけていると、見張り台から声がしました。 何事かと見上げると、見張りの男が半分落ちかけていて、弓を構えたお嬢様がおりました。 そのまま、海賊に向けて弓を放つお嬢様を、止める時間は私に御座いませんでした。 上空へ放たれた矢は雲の中で魔法陣を作り、その魔法陣から無数の矢が船に降り注ぐと、更に巨大な閃光が、船体を貫きました。 大会で拝見した大技は更に強大になり、私は目を丸くしました。 敵船はそのまま海へと沈み、バラバラになった木片だけが浮いておりました。 商人たちはとても喜んでおりましたが、私は気が気ではありませんでした。 お嬢様にお怪我がなかった事に喜ぶべきなのでしょうか。 海賊を打ち負かし、ラグーエルを救ったお嬢様でしたが、旦那様になんとご報告をすれば良いか……。 -4351ページ目- ラグーエルに戻り、1日が経ちましたが、私は激しい後悔の念に押し潰されています。 お嬢様が沈めた船は…… 現在ラグーエルを支配下に置く帝国軍の船でした。 帝国は船を沈めた犯人を血眼になり探しているとの事。 私がお嬢様を止めてさえいればこんな事にはならなかったのに、なんという事をしてしまったのでしょうか。 お嬢様にこの話が届けばさぞ悲しまれる事でしょう。 旦那様にお嬢様の事は黙って、私がこの事件の主犯だとすれば、私は帝国に差し出され、お嬢様は無事で済むでしょうか……。 それでもウィース家の名に泥を塗ってしまうとは思いますが…。 今から準備をして、明朝、旦那様にご報告に行きます。 この日記も今日で最後になる事でしょう。 -4352ページ目- なんという事でしょうか…。 この日記がお嬢様の部屋にありました。 昨日のページが開かれたままで…。 お嬢様は屋敷の中におりません。 どこへ行ってしまわれたのか……。 全て私の責任で御座います……。 -4353ページ目- ふと思いたった嫌な想像は、どうしてこうも当たってしまうのでしょうか。 お嬢様の行きそうな場所を片っ端から走り回りました。 ふと頭に過ぎったのは、ラグーエルの地下水路にある反帝国軍のアジト。 帝国と戦う事を決めたのなら、お嬢様はこの門を叩くかもしれません。 踏み入ると、お嬢様が入隊の交渉をしている真っ最中でした。 屋敷に戻るようにお話をしましたが、やはり聞く耳は持って貰えませんでした。 しかも、反帝国軍の頭首の男から「ここを知られてただで帰す訳にはいかない」と、退路まで塞がれてしまいました。 槍や剣を突き立てる兵士達に、私も短剣を持ち構えた所、頭首の男は少し驚いた様子でしたが、直ぐに顔を変えて、「その男も一緒だというなら入隊を認める」と言い放ちました。 お嬢様はしてやったりという顔。 そのまま反帝国軍への入隊を許可されてしまいました。 -4354ページ目- 旦那様に事の経緯を説明しました。 大変心配されているご様子でしたが、少し考えた後、お嬢様を任せると私の肩を叩かれました。 「自由に生きて、やりたいことはとことんやらせる」 その信念は今も変わらないと…。 お嬢様と共に行動する事を、ウィース家の…お嬢様の執事として最後まで職務を全うしろとのお達しを受けました。 あのお方には頭が上がりません。 「何があってもお嬢様をお守りする」 この人生、最後までお嬢様に捧げる事を、ここに誓わせて頂きます。 -ウィース家執事 レスターの日記- +天衣の雷弓カグラ 真紫月(しんしづき)の夜。 そのヴァンパイアは、男が力なく倒れるのを見届けると、何やら詠唱を始める。 目の前の男は立ち上がり、何事もなかったかのようにヴァンパイアの前から立ち去った。 「もう少しだ姉さん……!俺が絶対――」 紫に光る月は、不気味に村を見下ろしていた。 ――――花園の都ラキラから伸びる街道 「うるさい!!付いてくるなと言うのが聞こえないのか……!!」 ポロンとハープリュート鳴らしながら、懲りた様子もなく笑顔を向けてくる男。 「大丈夫だよ!君と生きていく事を決めたんだ!だから一緒に旅をしようじゃないか!」 「くどい……。耳障りなキリギリスが!!」 この蝿のような男が最初に話しかけていたのは、背後にあるラキラの街中だ。 突然、“運命の人”等と訳のわからない事を言い始めたかと思えば、何を言っても離れようとせずにここまで着いてきてしまった。 「そろそろ教えてくれないか?この辺ぴな街道の先に何があると言うんだい?」 「藻に話す程私は暇じゃない。帰れ」 彼が疑問に思うのも当たり前だろう。 この街道を進み、更に南西に進んだ先にあるエナン村の存在を知る者は少ない。 現にラキラの住人に話を聞いて回っていたが、その知名度はかなり低かった。 大陸でも数少ないヴァンパイアがいると噂があるその村の調査が目的だと言っても、この男は馬鹿にするだけだろう。 学者であったカグラの父。 人間、エルフ族、ガルム族、龍人族、魔物と、様々な生き物を研究していた父が、本物に出会えずにいたただ一つの人種、ヴァンパイア。 その概念は様々な書物で確認する事が出来たが、その殆どは姿を消しており、現在ではその姿を見たものはおろか、存在を否定する者まで現れた。 30年前、“終端の岬”に居たとされるヴァンパイア王が封印されたことに、その脅威は世界から無くなったと言われていた。 しかしここ数ヶ月、ヴァンパイアがまた現れたという噂がカグラの耳に届く。 詳しく追っていくと、一つの小さな村に情報が集束していった。 『普段人が出歩かない真紫月の夜に不気味な音が聞こえたらしい』 『いい歳の筈なのに、外見が変わらない若い男がいるらしい』 明確な目撃情報ではないにせよ、書物に記されているヴァンパイアの特徴に合致する話は、これまで何の情報も得られなかったカグラにとって、調査に踏み切る十分な動機になり得た。 亡き父の跡を継ぐという名目もあるにはあるが、この時彼女の大半を占めていたのは“知りたい”という知識欲だった。 「ここか……」 小さな柵で囲まれた長閑(のどか)な村に辿り着いた。 ここがエナン村。 足を踏み入れようとしたその時、甲高い声が飛んできた。 「おーい!そこの方~~!!」 声の方向に目をやると、こちらに手を振りながら近付いてくる小柄な人影が見える。 白い布を重ねたような服装は、ラキラの街で見たそれとも少し違う独特な雰囲気。 上下左右に揺れる布の隙間からかわいらしいオヘソが見え隠れしていて、健康的な印象を受ける。 艶のある綺麗な栗色の髪をなびかせながら、カグラ達の元までやってくると満面の笑みで喋りだした。 「観光ですか?こんな辺ぴな村によくおこし頂きました!私はこの村のガイドをしております!長旅でさぞお疲れでしょう!どうぞこちらへ~~!」 ガイドと名乗る人物は、左手を村の奥へ差し出す。 「あの角にあるのが私の家です!奥に見える離れで荷物を下ろして疲れを癒やして下さいね~~!中で簡単な入村の手続きだけお願いします!」 ガイドの指した方向には、一見ただの民家に見える平屋の建物が見えた。 そのまま中へと案内され、言われるがまま椅子に座る。 机の上に名簿のようなノートが開かれている。 どうやら入村者の記録らしい。 日付を注意深く見ると、2ヶ月に1、2人のペースで誰かしらが訪れている事が分かる。 (この中に、ヴァンパイアの情報を外に出した人間がいると考えて間違いなさそうだな) カグラは名簿からこれ以上探れる情報は無さそうだと、顔を上げて辺りを見渡す。 ふと、暖炉の前に背中を丸めて車椅子に座る老人が目に止まった。 こちらに背を向けたままカグラ達に一切興味を持っていないように見える。 「あ、あの人は私の唯一の家族なんですけど、ちょっと喉が悪くて話す事ができないんです」 カグラの視線に気が付いたのだろうか、ガイドが笑顔で老人の元に走っていく。 車椅子の取手に手をかけると、老人をこちらに向けた。 「久しぶりのお客さんですね。今日から2、3日ご滞在予定のようですよ」 ガイドは優しく老人の耳元で話す。 背格好から推測するに、老人は女性だろうか。 手入れの行き届いた長い髪は後ろに整えられていて、ガイドが良く世話をしている事が伺える。 「今日はちょっと具合が良くないみたいで……すみません。ごめんね。無理させちゃったかな?戻りましょうね」 ガイドは車椅子を押してまた暖炉の前に動かした。 「それではこちらに記入をお願いします!」 ペンを渡されて、名簿のようなノートが改めてカグラの前に差し出された。 上に習って名前を記入して、横の男にペンとノートを回す。 「君はカグラっていう名前なんだね!素敵な名前だ!マリーヴィアから来たのかい?」 男は、ノートに記入したカグラの情報を見ながら目を輝かせていた。 “どちらからお越しになりましたか?”という項目に書いた、母と住んでいた街。 一人置いてきてしまった母の顔を浮かべる。 たまには手紙でも送ろうかと考えていると、ガイドが話しかけてきた。 「お二人とも記入頂いたようですね」 机の上に目を落とすと、ノートに記入したカグラの筆跡の下に、隣の男の情報が並んでいる。 名はギルバートというらしい。 「では、ご宿泊頂く離れにご案内致しますね!」 ――ガイドの家:離れ ガイドが一通りの説明をしてから立ち去ると、ギルバートが口を開く。 「それで、この村に何をしに来たんだい?」 (ここまで着いてきてしまったのなら仕方ない、どうせならこの村の調査を手伝わせるか……) 何かを諦めたようにカグラはひとつため息を吐く。 「私はこの村から出ているヴァンパイアの噂の調査をする為にここまできた」 30年程前まで、大陸の南東、イエル付近に位置するコレーズ村で騒がれていた事件。 当時、コレーズ村の人間が次々と失踪し、その主犯は村の近くに古城を構えるヴァンパイアであった。 事件の真相を掴んだのはソーンから派遣された聖騎士で、その聖騎士はヴァンパイアの封印に成功したと聞く。 それから長い年月をかけて、ヴァンパイアの起こしていた事件は徐々に風化していた。 「ここ最近、ヴァンパイアの噂が再び浮上してきた。一節によるとヴァンパイアが復活し、どこかに潜伏しているらしい」 「なるほど……」 ギルバートから先程までの笑顔が消える。 「ヴァンパイアの特徴は聞いた事があるか?」 「確か……ヴァンパイアは生き物の生き血を吸う。それから魂を操る事ができるとか……。あと、ヴァンパイアには性別がなく、人間で言えば男性……?そう言えば、真紫月の夜にその力は高まる……寿命が凄く長いっていうのも聞いた事がある」 意外にもこの男はある程度の知識があるようだった。 「魂を操るというのは噂が生んだ誤認だ。実際は血を吸った者を支配下に置くことが出来るらしい。ヴァンパイアの支配下に置かれた人間は、自由に操る事が出来る上に、情報の共有までできるそうだ。それと、性別がない訳ではなく、男性しかヴァンパイアにはならない。ヴァンパイアの家系に女性が生まれた場合は普通の人間と変わらないそうだ」 「それは……知らなかった」 「いや、お前は比較的知っているほうだ」 「僕は流離いの吟遊詩人。旅を続けながら様々な街の人から話を聞いていると、色々な情報が舞い込んでくるのさ~♪」 「……なら話が早い。このエナン村でヴァンパイアの情報と酷似する噂が流れてきた。ヴァンパイアが潜伏している可能性が高い。私は、ヴァンパイアという生き物を調べる為にこの村にきた」 「ふむふむ。なら、僕に手伝える事はあるかい?」 打診しようとした事を自分から口に出したギルバートに少し驚いた。 「まずは村人への聞き込みだ。直接その話題には振れないようにしながら、ヴァンパイアの尻尾を掴む。できるか?」 「勿論!愛する人の為だったらなんだってするよ!」 急にトーンを上げて立ち上がるギルバートを睨みつけるカグラ。 「調子に乗るなよ……。お前に気を許した訳ではないからな」 「えへへ!さっきまではろく話してくれなかったのに、沢山お話ができた!これは恋の前進だ~♪」 「……このスズムシが!!」 ――――村の中 帽子にぽっかりと空いた真新しい穴の隙間から、空を見上げるギルバート。 太陽の位置から、恐らくあと数刻で日は沈むだろう。 カグラと共に調査をする事になったからには、上手く話を聞き出して良い情報を手に入れる。 それが出来れば、彼女の自分の評価が上がる筈だ。 焦る思いを落ち着かせる為に一度深呼吸をしてから、気を引き締めて足を踏み出す。 ガイドの家から道沿いに進むと、民家が並ぶ住宅地に出た。 しかし道には人影がなく、閑散としている。 小さな村なのだから仕方ないのかもしれないが、住人は何をしているのだろうか。 ふと、家と家の間に細い路地が何本か出ているのを見つけた。 路地を進むと、住宅地の裏手には畑が広がっており、畑仕事をしている住民の影がポツリポツリと見える。 「やぁ!こんにちは!何を作っているんだい?」 あくまでも自然に、この村に旅の途中で立ち寄った旅人として話しかけていく。 今までずっと吟遊詩人としての旅をしてきたのだから、今まで通りやれば問題はないはず。 カボチャを作っている男(35歳前後) 『変わった事?そんなもんないよ。この村は平和だ。今までもこれからもずっとそうさ』 村の周囲の柵の補強をしている男(50歳前後) 『なんだ?見ねぇ顔だな。見りゃ分かるだろ。今俺は忙しいんだ』 麦の収穫をしていた女性(40歳前半) 『最近うち旦那が、肩凝りが辛いってうるさくて、毎日マッサージさせられてるのよ』 薪を割っていた男(50歳前後) 『最近この村には子どもが少なくなった。若い連中がどんどん出稼ぎに出ちまうんだ』 庭で酒を飲む男(30歳後半) 『そこのお嬢ちゃん可愛いな!マリーヴィアってのは美人が多いのかい?兄ちゃんの恋人か?はっはっは!』 農作業から帰ろうとしていた男(40歳前半) 『あそこ家の犬、最近夜になると吠えてうるさいんだよ……』 会話の中でヴァンパイアに繋がるかもしれないと思った証言を記したメモに、上から目を通していく。 もしこの村に本当にヴァンパイアが潜伏しているのだとしたら、この中にヒントがある筈だ。 カグラは何かを考えるように顎に手を当てていた。 彼女は彼女なりに情報を整理しているのだろう。 メモを読み返し終わると、ふと自分の影が西日に照らされて長く伸びている事に気が付いた。 農作業をしていた住民達も家に帰ろうとしている。 そろそろ戻ろうとメモをポケットに入れて引き返そうとすると、村の外れの一軒家に向かい、大男が歩いているのが目に入る。 何やらキョロキョロと周りを見ている大男は、何かを警戒しているようにも見えた。 (話を聞いてみるか……) 大男を今日の最後の調査対象としようと考えて、小走りで近づいていくギルバート。 荒々しいヒゲを顎につけた大男がギルバートに気がつくと、睨みつけるような目が見えた。 「こんにちは……いや、こんばんは?もうご帰宅かな?」 ギルバートが大男に話しかけるや否や、大声で怒鳴り散らした。 「なんだてめぇら!?よそ者は早く村から出て行け!」 肌にビリビリと痛みを感じるような怒りを込められた気がした。 大男はそのまま自分の家であろう民家に入ると、バタンと大きな音を立ててドアを閉めた。 「なんだアイツ……」 村に来てから、多少はよそ者を煙たがる人はいたものの、こんなに敵意をむき出しにされたのは初めてだ。 首を傾げながら少しばかり大男の入っていった家を眺めた。 家自体は特に変わった様子はないが、その家の周りには真新しい塀が建てられており、家をぐるりと一周している。 何かから家を守るように建てられた塀は、今まで見てきたエナン村の民家にはない特徴だった。 家の近くに2階建ての離れがある。 この村では家の敷地内に離れのある家が珍しくないらしい。 少し気にしつつも、メモに残し、その場を後にした。 ――――ガイドの家:離れ 離れに戻ると、夜がやってくる。 今日の成果のメモにまた目を通していると、玄関のドアをノックする音が聞こえた。 ギルバートがドアを開けると、食事を乗せた盆を持ったガイドが笑顔を見せる。 「お食事はこれで以上になります!」 机の上に何品もの料理を並べ終えると、ガイドは笑顔を向けた。 「すごく豪華だな……。これを全部一人で作ったのか?」 「お二人が私の家から出た後から、ずっとキッチンで下準備していましたからね!久しぶりのお客様なので、ちょっと張り切り過ぎちゃいましたかね?」 「あまり構わなくてもいいのだが……」 「そんな事言わずに!せっかく作ってくれたんだ!ありがたく頂くとしようよ!」 「そうだな」 食事が終わってからも、カグラはギルバートのメモを見ながら考え込んでいた。 すると急に何かに気が付いたように顔を上げると、ふっと口元を緩める。 「噂を追ってこんな村まで来たが、どうやら当たりを引いたようだな」 ――――深夜 「姉さん!あと少し待ってろ!俺が必ず数を揃えてやる!!」 夜の帳が下がり、静まり返った村の中に、暗躍する2つの影が浮かんでいた。 ――――調査2日目 その日も2人で村人の聞き込みを続けるカグラとギルバート。 村人の間でも2人の事は噂されているようで、『お前達か』と言われる事もあった。 小さなエナンの村であればコミュニティが強く、何かあればすぐに広まるのだろう。 2人は村で唯一の商店街にやってきた。 商店街と言っても、村人同士がやりとりする小さな店が数件あるだけで、1時間もしない間に全ての商品に目を通す事の出来る小じんまりとしたもの。 家具店や文具店の後、衣服を売っている店に入った。 中に店員の姿は見えず、店内は静まり返っている。 ただ、それは殆どの店がそんな状態で、店内の奥に向かって声を出さない限り店員は出てこなかった。 長閑な村の商店街なんてそんなものなのかもしれない。 「おい、少し向こうへ行っていろ」 カグラが急にギルバートに指示を出した。 「どうしたんだい?いきなり……」 「新しい下着を調達するんだ。分かったらさっさと行け」 ギルバートを店の外に追い出すと、早速商品を見て回る。 これだけ小さな店なのだから、消去法で選ばざるを得ないかと覚悟していたが、思ったよりも豊富な種類を取り揃えていた。 ふと、窓の外に大きな影が近づいてくる。 大柄な体型に顎に生やしたヒゲ。 昨日最後に話しかけた、あの怪しい大男だった。 咄嗟に近くの試着室に身を隠す。 幸いな事にしっかりと足元まで長いカーテンが伸びているので、閉まっている事を不審に思わなければバレる事はないだろう。 大きな音を立てて入り口のドアが開いた。 乱暴な足音を立てながら店内を物色しているであろう大男。 もしかすると自分を探しているのではないかと、カグラの頬に汗が流れる。 注意深く物音を聞いていると、カグラが身を潜めている試着室から少し離れた所で、乱暴な足音はピタっと止まった。 「うーむ……これか……?」 何か悩んでいるようなうねり声が聞こえてくるので、そっとカーテンに隙間を作って店内の様子を覗いてみると、大男は先程カグラが見ていた女性物の下着コーナーで腕を組んでいる。 (あんな大男が……女性物の下着……?) 少ししてから、大男は頭をガリガリと掻いた後、いくつかの下着を手に取り店の奥へと歩いていった。 「おい!爺さん!これを売ってくれ!!」 店内に荒々しい声が響き渡る。 少ししてから、店の奥から杖を付く音が聞こえてくると、大男とは対象的に弱々しい老人の声が聞こえてきた。 「おや……珍しいのぉ……」 「いいから早く勘定しろ!いくらだ!?」 何やら少しやり取りをした後、硬貨がジャラジャラと置かれる音がした後、また大きな足音が聞こえてくる。 大男がカグラの視界に入ると、大きな紙袋を抱えていた。 (あれだけの買い物をしていったのか?) 大男が店の外へと出てから少し時間を開けて、カグラは試着室のカーテンをそっと開いた。 店の老人は既に奥へと行ってしまったようで店内に人の気配はない。 大男が物色していた下着コーナーを見てみると、つい先程まで並んでいた商品が殆ど姿を消しており、残っているのは色気のない紺や茶の下着。 (あの男が買い占めていったという事か……?) カグラは顎に手を当ててしばらく考えていたが、これは確かめる必要があると横の棚に置かれたハンカチを手に取ると、店の奥のカウンターで店員を呼び出した。 しばらくすると、また杖の音が聞こえてきて、シワシワになった老人が出てきた。 会計をしながら、カグラは老人に尋ねる。 「つかぬことを伺うが、先程買い物をした男は妻がいるのか?」 その時、老人の目が一瞬動いたような気がした。 「いやぁ……よく知らんな……。どうしてだい?」 「いや、少し気になっただけだ。ありがとう」 会計を済ませると、カグラは急ぎ足で店を出た。 商店街の外で待っていたギルバートを見つけると、人気のない路地裏に連れていく。 「おい、さっきの大男に見つかっていないだろうな?」 「あぁ、大事な君がどうにかされちゃうんじゃないかと思ってハラハラしたよ……。大丈夫だったかい?」 カグラは考える。 (あの大男は何かおかしい。あの余裕のなさ……。何故家を塀で囲む?何かを隠す為?何を隠している?女性物の下着を購入したという事は男の家に男以外の何者かがいると考えていいのか……。何故店の店主は大男の事を知らない?こんな小さな村なのだ。どこの家に誰が住んでいて家族構成がどうなっているか程度分かるだろう。という事は……店主も嘘をついている……?) 確証はないが、ヴァンパイアに何か関係があるかもしれない。 「ギルバート。あの男の家を調べるぞ」 ――――村の中 2人は慎重に道を選びながら大男の家を目指していた。 道中、あの男に見つかれば何をされるか分かったものじゃない。 仮にあの男がヴァンパイアだとしたら、血を吸われて支配されてしまうのだから。 頭に叩き込んだ村の地図を頼りに、出来るだけ人気のない道を選択しながら大男の家に近づく。 家を囲む塀が見える位置まで来ると、遠目から様子を伺う。 家は静まり返っていた。 離れの様子も昨日と変わらずに沈黙を守っている。 2人は家の様子を静かに監視し続けた。 ――――その頃 「悪いな姉さん……随分と待たせた!だが聞いてくれ!今から、最後の一人を支配する!これで帝国のバカ共に頼まれた人数になる!そしたら……姉さんも!!」 男は少し震えながら、その時を待った。 ――――夕暮れ時 今まで沈黙を守っていた大男の家に動きがあった。 離れの2階の窓に明かりが灯ったのだ。 息を飲むギルバート。 (あの男は中にいたのか……?) カーテンの隙間から女性の顔が覗き込んだ。 (まずい……!) 咄嗟に身を隠す。 物陰から顔を少しだけ出して、見つからないように観察しているとカーテンがその姿を隠した。 (あの女性は誰だろう……。大男が購入した下着は、あの女性の物だったという事か?) その時、カグラが声を掛けてきた。 「もう少しここから様子を見ていろ。私は少し他を当たる」 カグラはそのまま、音を立てずにその場から離れると、夕日の中に消えていった。 ギルバートは言われた事も忘れたように、きょとんとカグラの後ろ姿を眺めていた。 するとその時、塀のある家の方角から叫び声が飛んでくる。 「てめぇ!!何してんだ!!」 急いで視線を戻すと、大男の家の前で2人の人影が見える。 大男が、誰かを後ろから羽交い締めにしているようだ。 (あれは!?何が起きてるんだ!?) 羽交い締めにされているのは、見覚えのある顔。 「やめてください!!」 (あれは……ガイド……!?) 大男はガイドをがっちりと捕まえて家の中に引きずり込もうとしている。 「何をするんですか!?」 「うるせぇ!!てめぇこっちに来やがれ!!」 そのまま大男の家の中に連れ去られ、家のドアがバタンと音を立てて閉まった。 (まずい……!これはまずい……!!) ギルバートはカグラの去った方向を見るが、その影は見えない。 タッチの差で事が起こってしまった。 しかし、あの状況は絶対に見過ごすわけにはいかない。 意を決したギルバートは立ち上がり、大男の家に突入する。 ドアの前に立つと、渾身の力を込めて思い切りドアを蹴破った。 「そこまでだ!!やめろっ!!」 目の前に飛び込んできた光景は、大男がガイドを押し倒して殴りかかろうとしている所だった。 大男が振り返りギルバートの顔を見ると、物凄い剣幕で罵声を浴びせた。 「邪魔するんじゃねぇ!!これで全て終わりにするんだ!」 苦しそうなガイドの顔が見えて、一刻を争うと直感したギルバートは魔法を詠唱する。 強い風が具現化していく。 そして衝撃派を伴った風は大男へと真っ直ぐに飛んでいった。 大男は為す術なく吹き飛ばされる。 大きな音を立てながら壁に激突するが、すぐに立ち上がり怒りの矛先をギルバートに向けた。 「てめぇ!!何しやがる!!」 鬼の形相の男は立ち上がるとギルバートに掴みかかる。 回復魔法を得意とするギルバートには、この強靭な大男を一撃でどうにかする事は出来なかったようだ。 「まずい!!」 咄嗟に構えるギルバートに男の拳が振り上げられる。 それと同時に、男の口が動いた。 「てめぇらもこいつの仲間なんだろ!!よそ者共が!!」 (仲間……?) ギルバートは、何か、その言葉に引っかかった。 次の瞬間、顔の右側に強烈な衝撃が走り、ギルバートの視界が揺れる。 男の拳が襲ってきたのだと理解した時には、次の一撃が振り下ろされようとしていた。 (なんだよこいつ……!) 必死に抵抗しようとするが、華奢なギルバートの腕力ではどうする事もできない。 次の衝撃に備えて目をギュッと瞑る。 その時、ある声がその場を制圧した。 「静まれ!!」 その声をよく知っているギルバートですらゾクっとする寒気を背中に感じた。 どこかに行っていたカグラがどうやら戻ってきたらしい。 カグラの声で、暴れていた大男も動きを止めた。 「てめぇも仲間か!!」 大男はカグラを睨みつけ、ギリギリと歯を食いしばる。 対象的に、カグラは落ち着いた様子で口を切った。 「聞いてくれ!僕は今この目で襲いかかっているのを見たんだ!こいつがヴァンパイアだ!」 カグラは真剣な表情で一つ頷いた。 「あぁ、お前に言われなくても分かっている」 大男はその声を聞くと、急に牙を抜かれたように静まり返る。 (カグラ……君は何か証拠を掴んだのか……?この男がヴァンパイアだという証拠を……) ギルバートは、痛む顔を抑えながら、立ち上がった。 カグラは弓を構える。 その矢の先は、ギルバートの予想していない方向を向いていた。 「全部話して貰おうか?ガイド……いや、ヴァンパイア」 ギルバートは、大男とガイドを何度か往復するように視線を泳がせる。 ガイドは、黙ってカグラを見つめていた。 カグラは言葉を続ける。 「言っていなかったが……お前は気が付いているだろう。私達がこの村にヴァンパイアの調査に来ている事を」 ギルバートにはガイドの顔が少し歪んだように見えた。 「私達は村人に聞き込み調査をした。村の住人に最近この村で気になった事を聞いていた程度だが……ある男が本来持ち得ない情報を出してきたんだ」 「持ち得ない……情報……?」 思わずギルバートが口を挟んだ。 「ギルバートは覚えているか?『マリーヴィアってのは美人が多いのかい?』と言われたのを」 ギルバートは急いでポケットの中からメモを出す。 確かに昨日の調査の中で聞いた話。 庭で酒を飲む男(30歳後半) 『そこのお嬢ちゃん可愛いな!マリーヴィアってのは美人が多いのかい?兄ちゃんの恋人か?はっはっは!』 しかし、これはカグラと自分が恋人に見られたという事が嬉しくて思わず書いた事。 いったいそれがどうしたというのだろうか。 「あぁ、たしかにそう言っていた酔っぱらいがいたけど……」 カグラはギルバートに確かめる。 いや、正確にはガイドに確かめるように言った。 「何故、あの男は私がマリーヴィアから来たと知っていた?」 「あっ――」 ギルバートもさすがに気が付いた。 その情報はこの家に来た時に記入した、あの名簿に記入したっきり誰にも話していない。 それを知っているのは、この家にいる者……。 ガイドがその声に重ねるように口を挟む。 「待ってください!私が村の人に教えたんです!今マリーヴィアとアルモニアからのお客さんが来ているって――」 今度はギルバートが口を挟んだ。 「それは出来ないよ。何故ならあの日、夕食の料理を広げた君はこう言っていた。『お二人が私の家から出た後から、ずっとキッチンで下準備していました』と。どうやったらキッチンに篭っている人が、外にいる村人に教えられるのかな?」 ガイドは黙ってギルバートを睨みつける。 カグラがその答えを出した。 「ヴァンパイアの支配。思ったよりも自由に操る事が出来るみたいだな」 「違います!何故そうなるのですか!?」 ガイドは取り乱したように声を荒らげる。 それを聞いて、今まで黙って聞いていた大男が口を開いた。 「いい加減吐きやがれ!考えれば半年前、てめぇがこの村に来てから、村の人間がどんどんおかしくなっていくのを俺は見ていた!遂に俺の妹にまで手を出そうとしやがって!!ただじゃおかねぇぞ!!」 (この村に来てから……?じゃあガイドは……) 家の中に沈黙が広がる。 (この大男は自分の妹を守っていたのか……?だから家にあんな塀を……?妹を離れに閉じ込めて、下着まで買ってきていた……?) 黙って何も言わないガイドを、カグラが更に追い詰めていく。 「私はその大男が店で女性用の下着を買う所を見ていた。お前はそれに気づかずに、私達をここに近づけない為に店の主に嘘を付かせたようだが……それが命取りだったな」 その言葉を聞いたガイドは、この場に自分の味方がいない事も、言い逃れが出来ない事も悟ったのだろうか。 静かにぽつりぽつりと言葉を床に落としていく。 「もうすぐだったんだ……姉さんの病気を治せたんだ……あと一人で……約束の人数だったんだ……」 (姉さん……?) カグラは冷たい目で崩れ落ちたガイドを見下ろしていた。 「あの老婆か……」 (っ……!?) ガイドの家で背中を丸めていた老婆。 確か、喉を悪くして喋れないと言っていた覚えがある。 あの老婆がこのガイドの姉というのはどういう事だろう。 あまりにも外見の離れた2人が姉弟だとはとても思えないが、本当にこのガイドがヴァンパイアならば、長寿という話が現実という事になる。 「俺は……姉さんともっと暮らしたかっただけだ。でも姉さんは病に侵されてしまった。なんとか病気を治す手を探したんだ。そしたらあいつら……帝国の奴らが話し掛けてきた……!エナン村の人間を操って帝国に差し出せば、宝具って奴で姉さんの病気を治してくれるって……だから俺は……この村に移り住んで少しずつ村人を帝国の奴らに渡した……」 ガイドは涙を流している。 「お前達の言う通り……この村の住人は殆ど俺の支配下だ……。あと一人で約束の人数だったんだ……」 そこまで話すと、ガイドは急に静かになった。 丸めた肩を震わせている。 泣いているのだろうか……いや、笑っている。 「ぅ……うぅ……く……くっく……あはははは!!!!」 突然起き上がり、高笑いを始める男。 その目は血走り、狂気に踊っていた。 「だからお前らは終わりなんだよ!!全員支配してやるから!!大人しくしやがれ!!この力が見たいんだろう!?これがヴァンパイアの力だ!」 ガイドの男がそう叫ぶと、外から雄叫びのような声が聞こえ始めた。 声と声が重なり合うその轟音は、地が揺れているように錯覚する程だ。 「な、なんだ!?」 ギルバートは辺りを見渡す。 その目に飛び込んできたのは、窓の外に群がる村人。 農具やハサミなどの武器を持ち、次から次に塀を乗り越えて家を取り囲みにきていた。 「う、うわぁあああ!!」 あまりにも驚いて尻もちを付く。 (これだけの村人が既に支配下に置かれていたというのか……?) 狂気に満ちた人々の顔をよく見ると、昨日カグラと話を聞いた村の住人達もちらほらと見える。 その中に、あの酔っ払っていた男の姿もあった。 大男は拳を握り構える。 「くそっ!こいつ!!べらべら喋ったのは時間稼ぎだったか!」 ――バリン! 窓を割り、入り口のドアを吹き飛ばして襲ってくる村人達。 ギルバートは、そのあまりにも恐ろしい姿に身を竦めた。 「やっと正体を表したな……ヴァンパイア……!」 カグラはそっと目を閉じて、その場からピクリとも動かない。 ガイドは狂気に満ちた目で笑いながら、両腕を広げた。 「何調子に乗ってやがる!てめぇはここで終わりなんだよ!!かかれ!!我が眷属共!!」 多勢に無勢。 この狭い屋内でこれだけの人数と戦える訳がない……。 (こんな所で……終わるのか……?) そう思った時だった。 「ヴァンパイア風情が……調子に乗りすぎだ。誇り高き龍人族の力を見せてやろう――」 龍人族―― ギルバートは聞き覚えがあった。 大陸の外に住まうとされる、世にも珍しい龍の血を引く一族。 (え……まさか、彼女が……?) カグラはその瞳を開けた―――― 家の中が一瞬暗くなったかと思うと、そこには到底この世のものだとは思えない光景が広がっている。 神々しい……その姿を見たものは誰しもがそう思うだろう。 現れたのは、巨大な龍。 その身体の中央付近に、カグラの姿が映る。 「な、なんだっていうんだ!!お前は!!」 ガイドの男は、目を見開いている。 「力の差を見よ……招雷!!」 カグラの声が響くと、窓の外に閃光が走る。 それはあまりにも一瞬の事だった。 激しい稲妻が家の周りに轟音を立てながら落ちたかと思うと、支配された村人はバタバタと倒れていく。 「うわああああ!!」 あまりに激しいその音に、頭を抱えて身悶えるヴァンパイア。 全てが、終わった瞬間だった。 ――――数刻後 正気を取り戻した村人達に押さえつけられたヴァンパイアは、尚もバタバタと暴れている。 「もう少しだったんだ!もう少しで、バカな村人共を帝国に引き渡せた!てめぇらのせいで姉さんは……!」 カグラはふっと息を吐くと、ヴァンパイアに背を向けて外へと出て行く。 しかし、少ししてからすぐに戻ってきた。 その手で車椅子を押しながら。 車椅子の上で背中を丸めた老婆が、カグラの手によってヴァンパイアの横に運ばれる。 ヴァンパイアは、目を見開いてカグラに罵声を浴びせる。 「てめぇ!!姉さんをどうするつもりだ!?ふざけんじゃねぇぞ!ぶっ殺すぞ!!」 暴れ回るヴァンパイアをカグラは見下ろす。 「お前は気付いていないのか……?」 ヴァンパイアは尚も食って掛かる。 「何が言いてえんだ!!」 カグラは冷たい目線を向けながら、ゆっくりと話し始めた。 「先程、お前の家を調べさせて貰った。お前がこの家に近付いているのが見えたのでな。探るには丁度いいと思ったんだ」 (あの時、カグラはガイドが大男の家に来ている事に気が付いていたのか……) ギルバートは息を飲んでカグラの言葉に耳を向ける。 「この女性……お前の姉は……もう死んでいるだろう……」 うなだれた老婆の顔をゆっくりとあげるカグラ。 その様子から、死後2、3日は経過しているかもしれない。 「う、嘘だ……!!嘘だ!!!姉さん――!!!」 取り押さえていた村人を跳ね除けて実の姉に縋り寄るヴァンパイア。 本当に死んでいる事に気が付いていなかったのだろう。 その様子を見てひとつため息を吐いた。 「先程、お前が話した内容が本当であれば、もう帝国との取引もする必要がない。帝国に村人を差し出した所で、お前が得られるものはもう何もないのだから」 その瞬間、ヴァンパイアは泣き崩れる。 「姉さん!!!!!ちくしょう!!!姉さん!!!!」 最後にカグラが小さな声でボソっとこぼした言葉を、ギルバートは聞き逃さなかった。 「……ヴァンパイアも、涙を流すのだな」 ――――ラキラへの街道 今回の事件を通じて、ヴァンパイアについてかなり新しい情報が入った。 血を吸った者を支配するというのは、どのような感覚なのだろうか。 そんな事を考えていると、後ろからうるさい声が飛んでくる。 「ちょっと!待ってくれよぉお~~~」 ギルバートはやはり着いてきてしまったらしい。 彼もあの村にこれ以上留まる理由はないのだから、当然の事なのかもしれないが……。 「いやぁ!君がまさかあの龍人族だったなんて驚いたよ!君を一目見た時からただものじゃないって思ってたけど、僕の目に狂いはなかったみたいだねぇ~~♪」 まったく……うるさい……。 何故こんな男に付け回されなければならないのかと、ため息を吐く。 「それにしても、あのヴァンパイアはちょっと可愛そうだったね。大切な人と過ごしたいっていうあの人の願いで事件を起こしたんだろう?村人を支配したっていうのは悪い事だけど、僕は少し彼に同情してしまうなぁ~」 確かに……。 それはそうなのかもしれない。 家族と別れる辛さは、自分も良く知っている。 ただ、その運命に抗う事が出来るとしたら、自分はどうしていただろうか。 「ギルバート。奴の言っていた帝国というのは、本当にヴァンパイアの姉の病気を治せたと思うか?」 「う~ん、帝国は各地から宝具を集めているらしいから、もしかしたら中にはそんな力を持った宝具があっても不思議ではないかな?現に、見たこともない魔物を召喚して操るなんていう事をしてるんだから、今更何をしても驚かないかなぁ……」 なるほど……。 また一つ、興味深い事ができた。 この事件も結局は裏で帝国が動いていた。 やはり、放おっておく訳にはいかない。 「ここでお別れだギルバート」 カグラは振り返り、ギルバートの顔を直視する。 「…………」 これまでにギルバートを遠ざけるように言っていた言葉とは明らかに違う空気を彼も感じ取ったのだろう。 いつものように調子に乗ったような態度はなく、彼もしっかりとカグラの顔を見つめている。 こんなに長い時間、ギルバートと目線を合わせているのは初めての事だった。 「私は帝国を討つことに決めた。これから反帝国勢力を探す事にする。お前は平和に唄でも歌って生きていろ。対した力も持たないお前には荷が重い」 ここまで言って尚も食い下がるギルバート。 「僕なら大丈夫だ!吟遊詩人の旅は危険な事も沢山あった!僕はその旅を続けてきたんだ!」 「くどい……!ダメなものはダメだ。どれだけ危険か分らないのだぞ?お前の身を案じての事だと理解しろ……」 弓を向けるカグラ。 それでもギルバートは、真っ直ぐカグラの目を見ていた。 そして、少し考えてから真剣な表情で口を開く。 「君には伝えていなかったけれど、僕は今……ある反帝国組織に属している」 「なに……?」 ギルバートから出た思わぬ言葉に、柄にもなく間抜けな表情をしてしまった。 しかし、彼の目は嘘を言っている様子ではない。 「君を紹介するよ。最近帝国の黒印の七騎士の一人も打ち倒した組織だ。帝国に対抗できる勢力の中でも、最も力があるのは間違いない」 確かに、帝国の猛者が一人倒されたと噂がある。 ギルバートがその組織にいるというのか? 「僕が知っている小隊のリーダーは、あの帝国の魔物に対抗する冥界の力を使うんだ。君も興味があるんじゃないか?」 冥界の力。 それは確かに興味深い。 「僕だって男だ。君が何をしたいのかまだ良くは分からないけど、それでも僕は君の力になりたい!危険なのは今も変わらない。君と一緒に行動するかどうかの違いだけになるから――」 「はぁ……わかったわかった……私の負けだ……」 ギルバートに満遍の笑みが広がる。 「それじゃあ!!」 「私をお前の所属している組織に紹介しろ」 こんな男との旅は正直ごめんだが、他の者がいる組織に入れば、2人きりという訳でもないだろう。 それに、邪魔な帝国を黙らせるには、この男の話に乗るのが一番の近道だと結論が出てしまったのだから仕方がない。 「僕を認めてくれたんだね!やった!!君はやはり僕の見込んだ最高の女性だよ~♪その素敵な瞳に僕はいつも吸い込まれて――」 「……調子に乗るなよ……アマガエルが!!」 +悠久の吸血王ディヴァイルベルト コレーズ村から南東の山岳地帯を抜けると、潮に削られた断崖が数kmに渡り続いている。 その終端は岬となっており、潮風に作られた霧が周囲をぼかす。 霧の中に怪しく聳え(そびえ)立つ古城に、数十年振りの訪問者の姿があった。 この城の主であるヴァンパイアに、剣を向ける一人の聖騎士は声を荒げる。 「忌々しきヴァンパイアよ!正義の元、貴様を斬る!」 赤い絨毯の敷かれた先の一段高い位置にある椅子に座り、肘をついたディヴァイルベルトは鼻で笑う。 「フンッ…私が何をしたと言うのだ?」 「貴様が働いた狼藉に、どれ程の人々が苦しめられたと思っているのだ!?」 「知った事か。お前ら人間も家畜を喰らうであろう?その家畜に餌を与え、飼育しているではないか」 「貴様のしている虐殺とは訳が違う!」 「何を言っているのだ…。魔物に人の魂を食わせ飼育しているだけだぞ?お前らのしている事と何が違うというのだ?」 「もし同じであったとしても、人の魂を無下に扱う者を許すわけにはいかない!」 「くだらん……。これ以上は時間の無駄だな。どちらか正しいか、解らせてやろう」 両者は相容れる事なく、決戦が始まる。 ゆっくりと椅子から立ち上がったディヴァイルベルトは、その右手に邪悪な血を集結させて矢を作り出す。 聖騎士も剣を構え覚悟を決めた。 「下等な人間がヴァンパイアに逆らうなど、その愚かさを地獄で悔やむが良い!!」 凝縮された闇の力を弓から放出するディヴァイルベルト。 矢は一瞬で聖騎士の眼前へと解き放たれる。 ガキンッ!と音が響き、十字の大剣で矢を払いのけた聖騎士は一気に距離を詰める。 「例え愚かであろうと、人間には護るべきものがあるのだ!!!」 「ぐっ!小癪な!!」 互いに一歩も譲らず、拮抗した戦いは長時間に及び、両者共にボロボロになっていく。 突然、城の中にゴーンという大きな鐘の音が響いた。 0時を告げる城の鐘は、嵐を呼び、雷鳴が轟く。 「そろそろ終焉だ。ここまで戦った事に敬意を払い、その魂を儀式の贄としてやろう!」 ディヴァイルベルトは拳を握りしめて力を入れると闇の力が彼の周囲を包み、直後に肩から降ろされたマントは禍々しい翼へと変貌を遂げる。 「なにっ!」 聖騎士は飛び立つディヴァイルベルトを目で追いながら、剣を構え最後の力を振り絞る。 「さぁ、この私の一部となれる事を誇りに思え!!」 空中で翼を広げたディヴァイルベルトは、身体に纏った闇の力を右手に集結させ、凝縮された血の矛を聖騎士に向かい撃ちぬいた。 その絶対的な力の前に、聖騎士は為す術無く撃ち抜かれる。 瞬間、聖騎士は不思議な感覚に襲われた。 全身に流れる寒気と、圧倒的な脱力感。 剣を握っている事すら許されず、手から離れた大剣は赤い絨毯の上に落ちてゴトッと鈍い音を立てた。 青白くなった聖騎士は、その場に膝を着く。 周りを覆っている血の霧が除々に形を変え、コウモリの姿となって聖騎士に襲いかかった。 「ぐぉおおおおお!!!」 コウモリの大群は聖騎士の身体を覆い、赤い球体の塊に姿を変える。 ディヴァイルベルトは絨毯の上に降り立つと、手の平を顔の前に差し出した。 「その魂を我が物に!!!」 ディヴァイルベルトが手の平をぐっと握り締める。 赤い球体は圧縮され、直径数cmの大きさになったかと思うと大爆発を起こした。 倒れこむ聖騎士を前に、勝ち誇るディヴァイルベルト。 「フフフハハハハハ!!!私に逆らうとこうなるのだ!!」 しかし、何やら様子がおかしい。 聖騎士の身体が光ったかと思うと、部屋のあちこちから眩い光がディヴァイルベルトに向かって差し込む。 「な…なんだこれは!!!」 必死に腕で光を遮ろうとするが、その光は除々に強さを増した。 最後の力で顔を上げた聖騎士は、ディヴァイルベルトが光に包み込まれたのをその目で確かめる。 「言ったであろう……人間には……護るべきものが……ある………のだ……」 聖騎士は激しい戦いの最中、部屋中に結界を貼る仕掛けを用意していた。 その結界を発動させる為に必要なものは、自らの魂。 ソーンの街を出る時に、神父に言われた言葉が頭をよぎる。 (聖騎士の結界は絶対に使ってはならぬ。生きて帰る事を約束してくれるな) 「すまない……じいさん……。約束は…守れなかった…が…人の未来は……繋いだ…ぞ……」 聖騎士を眩い光が包むと、その身体から部屋の天井に光の柱が伸びて、部屋全体が聖の結界に覆われた。 「くそぉおおおお!!!この私がぁああああああ!!!!」 ディヴァイルベルトは光の中に消えて行く。 そして、聖騎士の亡骸は大きな水晶へと変わり、城は沈黙に包まれた。 ――数日後 コレーズ村からの獣道に、小汚いローブを纏った中年の男が杖をついて歩いていた。 魔物の魂を集めに遠方へ出向いていたディヴァイルベルトの従者ダズールは、その成果をヴァンパイア王へ見せる為に急ぎ足で城に入る。 普段よりも上質な魂が手に入った事により、きっと王に褒めて貰える。 左足を引き擦りながら、玉座への扉を軽快にノックした。 「我が主!ダズールが戻りましたぞ!上質な魂を持って参りました故、謁見をお許しください!」 いくら待っても返事がない事に違和感を覚えたダズールは、扉をそっと開けて中の様子を伺う。 見慣れた玉座の異変に気が付いて慌てて中に飛び込んだ。 「王よ!!どうなされたのですか!?この玉座の有様は……っ!?なんだこの水晶は…!まさか…聖騎士の…結界…!?」 ダズールには思い当たる節があった。 その昔、人間と激しい領土争いをしたヴァンパイアは、突如現れた聖騎士によってその戦力の大半を失った。 ヴァンパイアは皆、水晶に閉じ込められ、その水晶はコルキドの冷たい海に投げ込まれたという。 永遠の時をその中で過ごすという、地獄よりも悲惨な最後を遂げた…。 「王は……封印されてしまったというのか……」 膝を落とし、絨毯を拳で殴りつけるダズール。 「このダズールがいない間に…!!人間め……!人間め……!!」 涙を流し悔しがるダズール。 彼にとって唯一絶対の支配者が、この世からいなくなってしまったという事実を、受け止めるには時間が必要だった。 しかし、目の前の水晶を見て、彼はハッと気がついた。 「王は…ただ…封印されただけだ…!!!」 水晶を抱きかかえ、決意を固める。 この封印を解き、必ず王を取り戻す。 どんなに時間が掛かろうとも、どんな困難が待ち受けていようとも…。 必ず王を復活させる! ――それから30年の月日が流れた 「王よ…大変お待たせ致しました…」 右手で杖を付きながら、ろくに動かす事の出来ない左手で暗黒の結晶を抱え、玉座に辿り着いたダズール。 王が封印されたあの日から各地を巡り、聖騎士の結界を解く鍵を探し続けた。 教会騎士がいる鎮魂の街ソーンに辿り着き、その街の古書を漁って聖騎士の結界についての文献を見つけた。 そして、文献に記された結界を解く為に必要な魔道具の最後の一つを手に入れ、ついに王を解き放つ全てが整った。 「ミヒライアンガスルデアムエスト……」 古書を手に、記された呪文を唱えるダズール。 丁度その時、0時を告げる鐘が城内に響き渡る。 あの日と同じように、外では雷鳴が轟いていた。 玉座は闇の霧が立ち込めて、徐々に渦を巻きながら天井を覆い尽くす雲となる。 「……ディムスウェリミアカスタルスノア…闇を司る精霊達よ!!忌々しい結界を解き放ち給え!!!」 ダズールが右手を広げ、暗黒の雲に最後の呪文を捧げると、漆黒の稲妻が玉座の結晶を貫いた。 そのあまりもの衝撃にダズールは部屋の隅へと吹き飛ばされる。 「ぬぉおおお!!」 壁に叩きつけられたダズールは、地震のような揺れを感じて身を小さくする。 除々に揺れは収まり、結晶に顔を向けると闇の霧が立ち込める。 何が起こっているか解らない。 直後、部屋に響いた声にダズールは言葉を失う。 「フハハハハ!!!忌々しい聖騎士めが!!私は復活したぞ!!」 30年もの間…待ち望んだ声……。 ダズールは感動に包まれていた。 「ご無事ですか!?王よ!!」 王の元に左足を引き釣りながら駆け寄るダズール。 その顔を見たディヴァイルベルトは、すぐさま構える。 「誰だ貴様!!」 「っ……!!」 ダズールはビクッとして立ち止まる。 そうか、王は封印されていた間、この世界から隔離されていたのだ…。 王の記憶に30年前の私の顔しかなければ…解らないのも当然だろう。 「王よ…お忘れですか…?年老いてしまいましたが、このダズールの声をお忘れですか……?」 「何っ!?貴様…ダズール…?本当か……?私はどれだけの間……この水晶に閉じ込められていたのだ!?」 王は砕け散った水晶を睨みつける。 「大変申し訳御座いません。結界を解く手筈を整えるのに…30年を費やしてしまいました…」 「30年だと!?あの聖騎士…!!私は30年もの間、暗闇の世界に閉じ込められていたというのか!!!この屈辱………!!!ぬぉおおお!!……っ!!?」 ディヴァイルベルトは水晶の破片に手を向けて力を込めたが、突然様子がおかしくなる。 王は自分の手を見つめながらワナワナと肩を震わせている。 「どうかなさいましたか!?王よ……」 「ふざけおってぇえええええ!!!」 王は突然、目の前の水晶を蹴り抜いた。 水晶は激しく音を立てながら転がり部屋の隅に飛んで行く。 「力が足りぬ…力が…」 長い間封印されていた事で、王としての力はあるものの、30年前と比べるとその力の多くが失われていた。 「ダズールよ…私の為にもう一働きするのだ」 怒りに支配された王は、突然ダズールに顔を向ける。 「はっ!このダズールにお任せください!何をお望みで!?」 王はフッと笑い、自分の手の平を見つめながら話す。 「力を取り戻すには、邪悪な血が必要だ」 「…っ!生け贄のご用意でございますか!?」 ダズールは記憶を呼び覚ます。 数十年前、王が力を求めた際に人間の邪悪な血を欲した事。 生け贄にするのは怨念を抱えた女性。 その手で幾多の命を奪い汚れた血を持った女性は、王の力をより強固なものにする。 「今までのような生け贄では駄目だ…もっと、もっと凄まじい……暗黒の怨念が漂うような血が必要なのだ…!」 ダズールは閃く。 「それでしたら、時間はかかりますが、良い手が御座います」 「ほぉ…述べてみよ」 ――数日後 コレーズ村の民は、慌ただしく森の中を捜索していた。 その先頭には農家の夫婦が目に涙を溜めながら、何かを叫んでいる。 「どこにいったの!?お願いだから出てきて!!!」 2人の間に生まれたばかりの待望の第一子。 夜の間に忽然と姿を消した娘を必死に探していた。 夫婦と親しい間柄の人々も捜索に協力するが、行方の糸口すら見つからない現状に皆表情は険しい。 “夜の鍵”の仕業かもしれないという噂は、夫婦の耳に入らないように密かに囁かれていた。 「アー!…ア~~!」 ダズールの髭を掴んでは引っ張る赤子を見ながら、王は満足気な顔をしていた。 「その赤子が我の生け贄となる娘か。ダズールよ、良くやった」 「お褒めに預かり、光栄に御座います」 純度の高い邪悪な血を作るには、世界を何も知らない赤子に殺戮を覚えさせるのが一番だとダズールは考えた。 この娘が王の完全なる復活に必要な鍵となる。 これから時間を掛けて教育し、最終的に王の生け贄とする。 最初はこの気長な計画に反対されたが、汚れた血を数集めるよりも確実な方法だと打診して納得させたからには、この娘を育てるのに全力を注がなくてはならない。 ダズールはこの計画が生涯最後の大仕事だと気を引き締める。 掛け替えのない我が主の為…。 ダズールはディヴァイルベルトに多大な恩義があった。 生まれつき左半身が不自由なダズールは仕事にもありつけずに、コレーズ村の村人から後ろ指を差されていた。 ある日、食料を探しに森に入ると、魔物の群れに遭遇する。 逃げ惑っていると古城に辿り着いた。 無我夢中で古城の中に逃げ込んだダズールをディヴァイルベルトが迎える。 すぐに出て行けと言われたが、外の魔物に食い殺されると必死に訴えた。 知ったことかと言い放たれるが、藁をも縋る思いで必死に懇願する。 「助けてくれたら、この人生をあんたに捧げる!頼むから助けてくれ!」 「ほぅ…その言葉…嘘はないな?」 ニタっと笑った後、門の外に溢れる魔物を一掃するヴァンパイア王。 私は、その強大な力を目の当たりにして自分が逃げる事ができないと悟ったと同時に、自分にはない圧倒的な力に惚れ込んだ。 それから数十年間、言葉の通り王に人生を捧げる従者として、忠実に、誠実に日々を過ごしてきた。 赤子を包んでいた布を剥ぎ取り、その手首にナイフを当てる。 「よく覚えておけ。お前はこの魔剣と共に生きていくのだぞ」 台座の上には禍々しい暗黒の大剣が置かれている。 大剣の上に寝かされた赤子の右手から、ナイフを伝った鮮血が大剣の鍔についた宝石に当たる。 すると、黒い大剣の刀身に赤い術式が浮かび上がり、赤子を包み込む。 泣き叫ぶ赤子の声に腹を立てたディヴァイルベルトの声が聞こえてきた。 「ダズールよ!!すぐに黙らせろ!!」 「魔剣の契約をしている最中でして…もうしばしお待ちを!!」 大剣についた宝石が赤く光りだし、赤子の右手の傷を照らし出した。 「クックク…これで完璧だ!!」 ダズールは赤子を抱えて王の元に行く。 「先ほどはお耳汚し失礼いたしました。魔剣との契約が完了致しました。どうぞご確認を」 ダズールは赤子の右手首に刻まれた紋章を王に見せた。 王は頷きながら、満足気な表情で端的に言い放つ。 「そうか…。では教育は任せたぞ」 「それで…王に、呼び名を決めて頂きたいと思いまして…」 王は眉間にシワを寄せてダズールを睨む。 「呼び名だと?」 「は、はい!こ、この者は王の生け贄となる運命。その名を王に決めて頂くのが良いかと……」 「フンッ……まぁ良いだろう。顔を向けろ」 赤子の顔を品定める王の次の声を、ダズールは待った。 「エレノア……そやつの名はエレノアとする」 「畏まりました。良い名でございます」 こうして、エレノアの教育が始まった。 ダズールはエレノアを大切に育てあげる。 初めての子育てに悪戦苦闘するが、エレノアはすくすくと成長していった。 ――数年が経過する 「王様!見てください見てください!ダズ爺が新しい服を用意してくれました!どうですか!?」 4歳になったエレノアは、クルクルと回りながら真新しい服を嬉しそうにディヴァイルベルトに見せる。 「はぁ……うるさい……ダズール!!こいつをなんとかしろ!!」 飛んできたダズールは、エレノアを右手で抱える。 「大変申し訳御座いません!!エレノア何をしている!こっちへきなさい!」 「ちょっとダズ爺離してよぉ!今王様とお話してたでしょー!!」 足をバタバタさせて玉座から連れ出されるエレノアに、王はため息を吐いた。 「エレノア!!何度言えば解るのだ!王に軽々しく口を利くのはやめろ!」 「なんでよー!ふんっ!ダズ爺嫌い!」 エレノアは頬を膨らませてプイっと横を向く。 生け贄としての育成を賛同して貰えたものの、いつ王を怒らせてもおかしくないような言動をするエレノアに冷や冷やさせられる。 ダズールはエレノアの肩に手を置いて口酸っぱく教えてきた事を再度伝える。 「良いか!?お前は王の物なのだ!その命を王の為に使う為にここにいるのだ!もしも王の……」 エレノアは口を尖らせながら、その言葉を続ける。 「怒りを買って使命を成し遂げられなくなったら、どうするつもりだ…でしょ!?わかってるよ!でも、私は王様とお話したいの!」 (何故こうも私を困らせるのか…。育て方を間違えたのか!?少し甘やかしすぎか!?どうすれば良いのだ!) 彼女の頭の中がどうなっているのかと怒りを覚えるダズールは、必死に改善策はないかと頭を抱える。 もう少し成長をすれば、きっと王を尊敬し、王の為に尽くせるような子になるだろう。 そう考えなければ、やっていけない…。 気が付くと目の前にいたはずのエレノアの姿がない。 「まさかっ!」 城の方を見ると、怒りに満ちた声が聞こえてくる。 「ダズーーーールーーーー!!!」 王の表情を想像して顔を青くするダズールは、足を引き擦りながら玉座へと向かった。 ――数ヶ月後 そろそろ頃合いと見たダズールは自室にエレノアを呼び出した。 目の前に置かれた魔剣を見て、エレノアは目を光らせる。 「わぁ!ダズ爺!これが私の剣なの!?」 「そうだ。持ってみろ」 エレノアの身長よりも大きな刀身の剣を持とうとするが、あまりもの重たさに尻もちをついてしまう。 「ダズ爺!むりぃ!!」 「無理ではない。お前の剣だ。これで魔物を狩り、魂を集めなければならない」 困った顔をしているエレノアを見て、葉っぱをかけてみる事にした。 「もし、これを自由に使えるようになれば、王もお褒めになるかもしれないぞ?」 エレノアの顔がパァっと明るくなる。 「本当!?ねぇ!ダズ爺!?それ本当!?」 「あぁ、本当だとも。毎日それを持ち歩いて使いこなせるように頑張るのだな」 エレノアは剣を無理矢理持ち上げる。 これでいい。 早く魂を集められるようになるのだ。 そして、邪悪な血をその身に宿せ。 ――魔剣を与えてから2年後 「ダズ爺!今日は魔物を3匹も倒してきたよ!ほらほら!」 リザードマンの首を嬉しそうに持ってくるエレノア。 よしよし、よく成長している。 最初は不安だったが、余計な心配だったようだ。 走っていくエレノアを見て、ハッと気がつくダズールは急いで後を追いかけた。 玉座の前に辿り着くと悪い予感は的中しているようで、扉の奥からエレノアの声が聞こえてくる。 慌てて扉を開けて玉座に立ち入る。 王の前にリザードマンの首を並べ、楽しそうにしているエレノアの姿が目に飛び込んだ。 「申し訳御座いません!すぐに連れ出しますから!」 王は片肘を付いてダズールを見た後、エレノアに向き直る。 「なんだ?騒々しい…。良くやったなエレノアよ。褒めて遣わす」 ダズールは違和感を覚えた。 王は…何故あのような態度を…? 確かに、まだ幼い少女があれだけの魔物を狩ったというのは、想定よりも早く生け贄として完成するかもしれない。 それでも、ディヴァイルベルトの様子にどこか引っかかる。 「し、失礼しました。エレノア、今日はもう早く部屋に戻れ」 「もう!ダズ爺はうるさいな!わかったよ!王様!失礼します!」 スカートの横を手で広げて一例すると、エレノアはダズールの横を通り玉座を後にした。 ダズールは横目でエレノアを見送った後、王に近付く。 「王よ、申し訳御座いません。まだ教育が足りないようで…」 「そんな事は良い。早くその魔物の首を片付けろ」 王は普段のトーンでダズールに背を向けた。 怒っていなかった王に少しホッとしたものの、ダズールの違和感は更に膨れ上がった。 少し前まであれ程毛嫌いしていたエレノアに、普通に接しているのは何故だ…。 リザードマンの首を焼却炉に投げ込みながら、ダズールは考え続ける。 この時に感じた違和感を放置した事を、後にどれだけ後悔するかをダズールは知らない。 ――更に数年後 「ダズ爺。行ってくるわね」 今日も大剣を背負ったエレノアは出かけていく。 以前は引き摺るように持っていた大剣も、成長したエレノアは軽々と持ち上げた。 細い腕から常に一定の魔力を発し続けて、足りない筋力を補っている。 紫のウェーブ掛かった長い髪をなびかせる出で立ちから、魔剣を持っていなければお淑やかな女性に見えるだろう。 生意気な口を聞くこともなくなり魔物を狩る事に従事するエレノアを見て、ダズールは胸を撫で下ろしていた。 どうなる事かと思っていたが…今では素直に魂を集めている。 今までの苦労が報われ始めたという事だろうか。 断崖の城を眺めながら感慨深くなるダズール。 そういえばもうすぐ王の食事の時間だという事を思い出し、急いで城へと戻る。 食卓で全ての用意を整え、玉座の扉をノックした。 「王よ。お食事の準備が整いました」 ………。 おかしい。 いつもならばすぐに返事があるはずなのに、いくら待てども王の声は聞こえてこない。 「王?」 恐る恐る扉を開けると、そこには王の姿はなかった。 「王よ!どちらにおいでですか!?」 城内に虚しく響き渡るダズールの声に返事はない。 今まで王は何も告げずに城を留守にした事はなかった。 何か猛烈に嫌な予感がダズールを支配する。 「ま、まさか…また聖騎士が……」 ダズールは足を引き摺り、城を後にする。 もし連れ去られたとして、場所など検討もつかない。 エレノアにも協力させて王を捜索しよう。 そう思い立ち、エレノアが狩りをしている森の中へ入っていく。 「これは…魔剣の傷口!まだ新しいな…こっちか!」 木々に刻まれた薙ぎ払った跡を頼りに、ダズールは森の奥へと進んでいく。 この間にも、王は苦しんでいるかもしれない。 とにかく、一刻も早くエレノアを見つけ出し、王の捜索に協力させなければ。 木々を掻き分けて森を進む。 不自由な身体と老体には険しい道のりだったが、王を思えばなんという事はなかった。 今はなんとしてでも王を助けたい。 その一心で、疲労や痛みなどは感じる事はなかった。 「グォオオオ!!」 魔物の声がこだまする。 それとほぼ同時に、激しい揺れを感じた。 エレノアが戦っているに違いない。 ダズールは確信して、声の方向へと向かう。 森の奥に魔物の影が見えた。 「エレノ……ぐっ!!」 エレノアを呼ぼうとした直後に、口に何かが当たり喋る事ができなくなる。 何が起きたのか、認識するのに少し時間が掛かった。 何者かの手が、口を抑えている。 次の瞬間に後ろから何かに掴まれ、ダズールの身体は宙へ浮き高い木の枝の上に降り立つ。 「………!」 必死に声を出そうとすると、頭の上から聞き慣れた声が響いてきた。 「ダズール……今良い所なのだ。興を削ぐような事は許さん」 ダズールが少し落ち着いた所で、口を抑えていた手はゆっくりと外された。 「王よ……!こんな所で……!」 「馬鹿者。でかい声を出すな」 王に睨みを効かされて口紡ぐ。 ダズールが黙ったのを確認すると、王は戦闘音が鳴り響く方向に顔を向ける。 王の目線を追うと、エレノアが5体の魔物に囲まれながら必死に戦っていた。 「王…こんな所で何をしておられるのですか…?」 王の耳に届く程度の小声で話しかける。 「フンッ……私の生け贄がしっかりと働いているのか確かめているだけだ。何か問題でもあるのか?」 王はエレノアから目を離さずに返事をする。 「エレノアの事はこのダズールにお任せ頂ければ大丈夫でございます。主不在では城も悲しみましょう…。お出かけになるのであれば私めに一言……」 王はダズールの言葉を遮る。 「ゴチャゴチャと煩い。私が何をしようと勝手であろう」 これ以上は何を言っても仕方ないと悟ったダズールは、王と共にエレノアの様子を見続けていた。 エレノアはあちこちから出てくる魔物を魔剣でなぎ払い、その魂を集め続ける。 「あなたの全部を頂くわ!!」 その姿に目を疑った。 エレノアの手から空中に解き放たれた魔剣は、踊るように魔物を薙ぎ払う。 その意志で魔剣を操りながら高らかに笑う姿には、恐怖すら覚えた。 「あははははは!」 最後の1体が倒れ、魔物の軍勢を倒しきったエレノアは、まだ手を止めない。 動かなくなった魔物を切り裂いては、その血を浴びる。 ディヴァイルベルトはその様子を見ると、背を向けてその場を去ろうとする。 「王よ…どちらへ……」 「お前が戻れと言ったのだろう?私は城へ戻る」 どこか不機嫌にも見える王は、立ち止まりもせずそのまま歩き続ける。 ダズールは王の姿が見えなくなったのを確認すると、エレノアの元に駆け寄る。 「エレノア!何をしておるのだ!?」 手を止めて振り向くエレノアは返り血で真っ赤に染まっている。 「ダズ爺…こんな所までやってきてどうしたの?」 エレノアについた返り血がどんどん消えていく。 どうやら、魔剣がその血を吸い取っているようだった。 地面にも広がった鮮血すら、まるで生き物のように動き魔剣に吸い込まれていく。 その光景を見て、言葉を飲み込んだ。 きっとこの娘は、魔剣に血を吸わせてその力を増大している。 魔剣と契約しているエレノアにもその力が伝わっているようだ。 「ダズ爺?」 再度呼びかけるエレノアの言葉でハッと我に返る。 「いや、か、帰りが遅かったから様子を見に来ただけだ」 「そんなにドロドロになる程、急いで来たというの?」 自分の足元に目を向けると、膝まで泥だらけになったズボンが見える。 「う、うるさい!無事ならば…それで良いのだ。あまり遅くならないように帰るのだぞ」 エレノアに背を向けて、城へ帰る事にした。 道中、ダズールは王の言葉と行動について考える。 エレノアは着々と生け贄になる為の器として成長している。 しかし、王は何故あのような事をしていたのだ? 今までどんな事があろうと、他人に興味を持った事などないようなお方が、様子を見に来た? そんな事がある訳がない! 人間なんて虫けらを見るかのように接する王が、いくら完全な復活の為とは言え、コソコソと様子を見るような事があるものか! これは直接確かめる他ない…。 城へと辿り着いたダズールはその足で玉座へと向かう。 いつも通りノックをするが、その手にはまだ迷いがあった。 これまで王を疑った事など一度足りてない。 しかし、この疑心が真であれば、あれ程望んだ王の完全なる復活が危ぶまれる。 「入れ」 扉を開けて少しばかり中に入るとその場で立ち止まるダズール。 その様子に王は不信がる。 「どうした?そんな所で立ち止まって」 「申し訳御座いません。この通り汚れておりまして…玉座に泥を塗る訳には…」 「ならば着替えてから来れば良いだろう?何を寝ぼけておるのだ」 ダズールは喉をゴクリと鳴らして本題へ入ろうとする。 「至急、確認したい事が御座いまして……」 王はムっとした表情を見せたが、そんな事を気にしていられる状況ではない。 「私の気のせいならば良いのですが、王は……」 震える手をなんとか抑える。 「王はまだ、エレノアを生け贄とする事に賛成しておりますでしょうか…?」 王の様子を伺い、その反応を見極める。 「あ、当たり前であろう。何を言っておるのだ」 王は目を合わせようとしない。 やはり…嫌な予感は的中していた。 あり得ない筈だった…ヴァンパイアが人間に対して…。 愛着を持つなど……。 「それであれば宜しいのです。いえ、私の勘違いならばそれに越したことはありません」 できるだけ落ち着いて、それを確かめるのだ。 「私は王に力を取り戻して欲しいと心から願っております。それ故に、したこともない子育てをして生け贄となる器を作りました」 「それは解っている。何を今更……」 「でしたら……!!エレノアにウェルミスの討伐に行かせる事にも反対はございませんね?」 ウェルミスは、城のある断崖を西に進む所に生息する翼竜。 その魂は非常に強大な力を宿しているという言い伝えがあり、邪悪な血を作る為の最終段階として考えていたものだった。 しかし、簡単に倒せるような相手でない事は百も承知。 エレノアを失い兼ねないこの打診を、受け入れないのであれば、間違いなく王は人間に毒されている。 以前の王であれば、二つ返事でウェルミスの巣へ行かせていただろうが…。 「ならぬ。まだ時期が早過ぎるであろう」 何故、あの崇高な王がこんな事になってしまったのか…。 「エレノアの力は本日その目で見てきた筈です。もう充分かと」 偉大なる王の復活を妨げるのは…あの人間の娘だとでもいうのだろうか…。 「ならぬと言っているであろう!危険すぎる!!」 そのお心を確かめ、軸が曲がっているのであれば、私が元に戻して差し上げましょう。 「まさかとは思いますが…王よ…。あの娘に愛着を沸かせてはおりませんでしょうな!?」 ダズールはハッキリと言い切った。 「そんな事があるものか!!!!私を誰だと思っているのだ!!」 ダン!と椅子の肘掛けを殴りつける王に、ダズールは一瞬怯む。 しかし、ここで折れてはこの話に決着を付ける事はできない。 「それならば宜しいのです。今のエレノアであれば、ウェルミスの討伐程度やってのけるでしょう。エレノアの力の見極めができぬ程、王の目は腐っておりますまい」 「ぐっ……」 挑戦的な態度を取っても、王は怒り狂う事はない。 これで王のお考えは明白。 やはり、あの王に“情”という感情が沸いている。 このままではきっと生け贄にする事もできない…私の最後の望みが絶たれてしまう。 ――翌日 ウェルミスの巣へ向かうエレノアの背中を見送った。 これで良いのだ。 あの力があればエレノアはウェルミスでも仕留めてくるだろう。 城の中でエレノアの帰りを待っていると、嵐がやってくる。 素晴らしい…天もこの日を待ち望んでいたようだ。 雷鳴が轟き、外が一瞬光ったかと思うと、光の中に小さな影が見えた。 ダズールはそれを見逃さなかった。 「王!!!!どこに行かれるのですか!!!?」 きっとその声は届かないだろう。 翼を広げ、羽ばたく王の後ろ姿を見て膝を落とす。 「なぜ……なぜ……!」 王を見張っておくべきだった。 この行動が予想できない事はなかったはずだ…。 自分の甘さを悔やみ、涙を流すダズール。 外は、ダズールの心情を表すような大粒の雨が窓を叩きつけていた。 数時間後、城の正面口が開く音がした。 ダズールが様子を見に行くと、エレノアを抱えた王が城内に入ってきていた。 足跡がくっきりと絨毯につく程ずぶ濡れとなった王は、エレノアの部屋へ向かう。 「王よ!!!何故エレノアを……!」 ダズールを横目で見た王は、歩みを止めずに進み続ける。 「エレノアはまだウェルミスには勝てなかったようだ。大切な生け贄を無下に殺す訳にもいかぬからな……」 そんな筈はない。 もし万が一勝てなかったとしても、その情報が王の耳に入る訳がない。 ダズールは王の背中に向かい右手を伸ばすが、体制を崩して倒れこんでしまう。 それでも、王に右手を向け続け、遠く離れていくその背中を掴もうとする。 「王……なぜですか……」 その言葉は王には届かない。 ――その夜 エレノアの部屋の前に立つダズールは、覚悟を決めていた。 もうこれ以上、おかしくなる王を見ている事はできない。 王に力を取り戻して貰うには、もうこの方法しかない。 ランプの火がユラユラと揺れる中、腰に隠したナタを今一度確かめてから、そっとドアを開ける。 ぐっすりと眠っているエレノアを確認し、ランプを枕元の台座に置いた。 入ってきたドアにダズールの影が怪しく伸びる。 例え死体であろうと、今でも生け贄として使えるだろう。 もし充分でなかったとしても、王の力になる事は明白。 これ以上、王が狂ってしまう前に、その命を王に捧げるのだ。 右手でナタを持ち、確実に首を刈り取るように狙いを定める。 「これも王の為なのだ…死ね…エレノア!!」 ベッドのシーツに鮮血が飛び散った。 これで目的が達成された。 そう……。 これで王は………完全な………。 ダズールは床に倒れこむ。 その胸は深い闇の力が宿った深紅の矢で貫かれていた。 ダズールはもう息もする事ができない。 それでも、天井に向き直り、最後の一言を必死に吐く。 「王よ……なぜ……こんな……人間を………」 ランプの明かりが映し出したのは王の影。 その表情は、初めて王に会ったあの日と同じように、冷たく厳しい眼差しで見下ろしている。 最後の力を振り絞り、心から復活を願った王に向って手を伸ばした。 「王……私は……王の……」 ダンッ!という鈍い音と共に、ダズールの視界はグルグル周る。 その異様な光景に吐き気がした。 ベッドの側で横たわる頭のない男。 自分が持って来たナタを持った王。 頭のない男の首元に、そのナタは振り下ろされていた。 最後に聞こえたのは、人生を捧げると約束をした男の声だった。 「今までご苦労だったな…ダズール………」 +静寂を破る戯弓リオーネ 「お嬢様、おはようございます。本日ですが、旦那様がラグーエルの有力者会議に参加されますので、屋敷は午後から……」 そこまで言い終わると、リオーネの姿を見たレスターは言葉を失い、口を開けたまま呆然と立ち尽くす。 「あら?レスター……なんて工夫のない普通のお召し物ですの?まさか……貴方……執事のコスプレなどと言うつもりではないでしょうね!?」 とはいえリオーネのこの衣装。 ドレスと呼ぶにもいささか露出が多すぎる気がしてならない……妖艶さと無邪気さの入り混じったなんとも言い換え難いデザイン。 目のやり場に困りながらも、順調に成長しているお嬢様の姿に安心を覚えると同時に、この格好で街の外に出る気なのだろうかと様々な考えを頭の中で駆け巡らせるレスター。 更には聞きなれない単語から、リオーネが何を求めているのかを汲み取ることができない。 「お嬢様……コスプレと申しますと……??」 それを聞いてリオーネはガックリと肩を落とす。 「レスター……そんな事も知らないの!?コスプレとは巷で仮装をする事らしいですわ!!大陸の外の街では、街中がコスプレをするイベントをハロウィンと言うそうよ!」 レスターはリオーネの嬉しそうに話す姿を見て、何から言うべきか悩んでいた。 「そ、そのハロウィンをなぜお嬢様が……?」 「決まっているでしょ!諸外国の流行をいち早く取り入れるのも淑女の嗜みですわ!今年からは、この屋敷でもハロウィンをする事に決めましたの!」 この格好で屋敷の外に出る訳ではなさそうだと分かり、レスターは胸を撫で下ろす。 相も変わらず、唐突な提案に巻き込まれる運命にあるのは、他でもないこのお嬢様の執事の仕事だ。 色々な事に挑戦するのは良い事なのだろうが……。 レスターはひとつため息を吐いて、覚悟を決めて口を開く。 「それで……私はどうすれば良いのでしょうか?」 「愚問ですわね!」 リオーネの目が光ったのを見て、レスターは胸に手を当ててからリオーネの意向を察した。 「仮装……で御座いますね。ですが、どのような仮装をすれば良いものなのでしょうか?」 レスターの困った表情を見て、リオーネは笑顔を作る。 「私に任せておきなさい!」 ウィース家の主であり、リオーネの実父であるレオナルドの書斎の前に立つ2人。 「お嬢様……本当に行くのですか……?」 「当たり前でしょう?今更怖気づいたの?」 「そ、そういう訳ではないのですが……」 「では行きますわよ!打ち合わせ通りに思いっきりですわ!」 「かしこまりました」 勢い良く書斎のドアを開けるレスター。 リオーネは影に隠れてその時を待つ。 「グオオオオオオオアアアアア!!!」 「うわあああああ!!な、なんだ貴様!?衛兵!!衛兵!!!」 部屋に突然飛び込んだレスター。 頭には玩具のナイフが刺さり、右から左へと貫通している。 冷静に見ればレスターだと認識できるだろうが、大声を出しながら迫りくるゾンビを直視することはできないだろう。 たっぷりと血ノリを付けたシャツを見れば、大の大人でも驚くのは当然だった。 「た、助けてくれぇええええ!!!」 父のなんとも間抜けな驚き様に、リオーネは笑い声を必死に抑える。 そろそろ頃合いだと、書斎に突入するリオーネ。 「そこまでよ!!悪霊退散!!」 部屋に飛び込んだリオーネが手を掲げると、レスターは圧巻の演技で浄化されていく。 「アァアアアアア…………」 苦しそうに手を上げながら床に倒れ込むレスター。 リオーネは頭を抱えて部屋の隅で何が起きているのか分かっていないであろうレオナルドに対し、決め台詞とネタばらしに掛かる。 「トリック・オア・トリート!!お父様!おとなしくお菓子を用意して下さるかしら?さもなくば、私達のいたずらはエスカレートするばかりですわよ!?」 ――― ―― ― レスターは頭にナイフを差したまま紅茶を入れ、今日の戦果に当たるショートケーキにフォークを入れるリオーネを見つめる。 「お嬢様……、やはり旦那様はこの“ハロウィン”の文化をご存知ありませんでしたね……」 リオーネはケーキを口に運びながら、納得のいかない表情を浮かべる。 「おかしいですわねぇ……。お父様も外の船から色々な情報を持っているはずですのに」 「やはり、まだこの大陸では知名度が低いイベントですから……仕方ないかと思いますが……」 あの後、絶句するレオナルドに土下座をしながらレスターが説明しなければ、今頃どうなっていたか分らない。 「レスターには迷惑をかけてしまったわね。次はこうならないように計画を立てましょう」 レスターはドキッとしたように肩を上げる。 「お、お嬢様……次と申しますと……」 「クリスマスのプレゼントドッキリ大作戦よ!!」 レスターはひとつ間を置いてから、フッと息を吐いた。 「畏まりました。次は、旦那様に素敵な笑顔を届けられるように、とびきりの作戦を立てましょうか」
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+灼嵐に舞う金眼の大鷲ミルヴァ 「わぁ……ありがとう、グラフィードさん!」 そう。 この日、ボクは十歳の誕生日を迎えたんだ。 父さんの友人のグラフィードさんから贈られた品を頭上に掲げ、父さん譲りの金色の瞳を輝かせるボク。 「グラフィードよ。今日来てくれたことには感謝するが……息子の誕生日祝いが生肉というのは、どうなんだ?その……一般的に」 「仕方ねぇだろ……祝いの品なんて真面目に考えたこともなかったんだからよぉ……俺なら喜ぶぜ?」 「ふふ。ミルヴァも嬉しいわよね?今晩の夕食はあなたの大好きなハンバーグにでもしようかしら」 「だろ?たんまり肉食って、もっと男らしい身体にならねぇとな。今のままじゃ線が細すぎるぜ?」 ボクの頭を、グラフィードさんがワシワシとぶっきらぼうな手つきで撫でまわしている。 男にしては軟弱で気弱、体つきもほっそりしていたことから、昔から女の子に間違われることが多く、そのことがボクのコンプレックスだった。 その桃色の髪からもわかるように、きっとボクは母さん似だったんだと思う。 だからこそ、かつてシャムール義勇兵団で遊撃隊の隊長を務めていた父さんや、傭兵として名を売っていたグラフィードさんのような屈強で、いかにもな男らしい人に憧れた。 いつか、この人たちみたいに強い男となって、誰かを守れるような人になりたいと。 そう、強く思った―― ――……ヴァ?ミルヴァ?もぅ……いつまで寝てるの? 「ん…………あれ……?」 「やっと起きたのね。さ、今日の鍛錬の時間よ」 夢……? また、昔のことを思い出してしまった。 「あ……ご、ごめんなさい、おじさん!急いで支度します!!」 「やぁねぇ……おじさんじゃなくて、お姉さんって呼びなさいってば。何度言ったら覚えてくれるのかしら?」 ボクの目の前で、口を尖らせながらお尻を振っているこの人は、ジョセフィーヌおじさん。 母さんの実のお兄さん。 つまりはボクの叔父にあたる人で、それ故にボクは彼のことを『おじさん』と呼ぶ。 ただ、そう呼ばれるのをなぜか嫌い、自分を『お姉さん』と呼ばせようとするのだけど、こんなにも逞しい身体を持っているのに、あえて女の人のように呼んで欲しいだなんて、理解に苦しむばかりだ。 「さ、とりあえず眠気覚ましに一発かかってらっしゃい」 いつも特訓の相手をしてもらっている屯所の中庭に着くと、早速と言わんばかりに斧を構えるおじさん。 「はい!」 ボクは手にする短弓に矢を番えると、おじさんに向かって引き絞り…… 放つ。 「ん~……ダメダメ。そんなんじゃアタシのハートは射貫けないわよっ!」 自分の胸を目がけて飛んでくる矢を、人差し指と中指のみを使って、意図も容易く受け止めるおじさん。 そうなることは知っている。 だから、それはただの目くらまし。 矢を受け止めることに集中した隙を突いて、ボクは彼の頭上へと飛び上がり、続けざまに三発の矢を放つ。 「はあっ!!」 この角度と手数なら、一本くらいは…… 「数打ちゃ当たるで引っかかるのは尻の軽い女だけ……アタシを落とそうと思うなら、それじゃ甘いわね」 「うわぁ!?」 彼が手にする斧をグルンと振り回すと、生じた風圧で矢が全て巻き上げられ、ボクの身体まで空高く押し上げた。 経験したことの無いような高さに、恐怖で身体が凍り付き、着地体制を整えられないまま落下したボクは、地に勢いよく叩きつけられることとなる。 「うっぐ!痛たたた……!」 「六十点ってとこね。アプローチの仕方は悪くなかったのに、最後のキメがダメダメよ。いける!と思ったのなら、一撃で相手を落とすつもりで攻めなさい。保険を掛けるような真似してウジウジしてたら、一発一発が軽くなって、簡単にいなされてしまう。今みたいにね」 「うぅ……うまくいったと思ったのに…………」 渾身の出来と思ったはずの攻撃でさえ、文字通り子ども扱い。 それもそのはず。 この人はここ楽都『アルモニア』が保有する最高戦力であるところのアルモニア音楽騎士団の団長を務める方なのだから。 そして、そんな凄い人がボクの師匠でもあることは、とても幸運なことだと思う。 「ま、相手がアタシじゃなくて、そこいらの三下だったなら今のでも十分なんでしょうけど、あなたが辿り着きたい場所はそんな低いところじゃないはずよね?」 「……はい!」 おじさんの指導を受け始めたのが一年ほど前。 ボクは、自分の弱さが原因で父さんと母さんを亡くし、生まれ故郷であるシャムールの街まで失った。 思い出したくもない記憶。 危うくボク自身も命を落とすところだったけど、そこをおじさんに助けられ、今のボクがある。 こんな小さな命だけど、それを立派に守ってくれたおじさん。 でも、おじさんはその日のことを心から悔やんだ。 妹であるボクの母さんと、友であったボクの父さんを救うことができなかったのは、まだ自分に強さが足りなかったからだと。 それはボクも同じ気持ち。 心から悔しく思う。 あの時、ただ震えて泣きすがることしかできなかった弱さを。 父さんと母さんを見送る葬儀の場で、ボクとおじさんは誓った。 強くなって、いつか必ず、シャムールの街を取り戻すと。 「さ、もう休憩も十分でしょ?もう一回戦……いくわよ?」 「はい!お願いします!!」 こんなに強いおじさんでさえ、自身の強さはまだ足りないと思ったんだ。 だったらボクは、もっともっと努力をしなくちゃいけない。 「やぁっ!」 「こらこら……また動きが雑になってるわよ?熱くなると一心不乱になっちゃうのは悪い癖ね。初々しいのは嫌いじゃないけど」 強く。 「てやぁああああ!」 「ちょっと、聞いてるの?ミルヴァ?」 もっと強く。 「はぁああああああああ!!」 「ちょ、タンマ!落ち着きなさい!!」 せめて、彼と同等の位まで駆け上がって、一緒に更なる上を目指せるように! 「これで……どうだぁああああ!!」 「ちょっ――待てって……言ってんだろぉがぁああああ!!」 「う……はぁ!?」 鉄のように堅いおじさんの腕の筋肉の感触。 それが凄まじい衝撃となって首元を襲ったところで、ボクは我に返った。 「……っは!?大丈夫!?!?ミルヴァ!!!!」 「う……ごほっ…………!」 おじさんがボクの元へ駆け寄ってくるのが見える。 そこで、ボクが彼の一撃で何メートルも吹っ飛ばされていた事実を知った。 「やだぁ、もう!アタシとしたことが思わず本気でがっついちゃった……傷は付いてないでしょうね!?特に顔は乙女の命なんだからね!?ほら、ちゃんと見せなさい!!」 「だ、大丈夫です……それにボク、男ですし」 あれ? 今、おじさん『本気』って言ったような…… 「あら……そうだったわ。アタシが嫉妬しちゃうくらい綺麗な顔立ちだから、たまにうっかり忘れちゃうのよね……ごめんなさい」 思えばこの一年。 この人に全力を出させた試しなんてなかった。 いつも簡単にあしらわれてばかりで、一撃も入れたことはない。 そんなおじさんが、ボクに本気を出してくれた? 「ど、どうでしたか!?ボクの攻撃!?ちょっとがむしゃらみたいになっちゃいましたけど、ボクなりにけっこう頑張れたかなって思うんですけど!!」 「えぇ。そりゃもう、めちゃくちゃだったわ……でも、攻めの要所要所には確かにアタシのハートを揺さぶるものがあった。大したものよ?基本がしっかり染みついてきてる証拠ね。安心なさい。あんたは成長してるわ!」 「そ……そっかぁ……!!」 込み上げる喜びに、ボクは両手をギュッと握り締めた。 ボクは近づけている。 この人のいる高さまで。 「あんた、これだけ吹っ飛ばされておいて、よくめげないわね……ホント、そういうところはアギラとそっくりだわ」 「……父さんと?」 「昔、あいつを殴り飛ばしたことがあってね。そしたらあいつはすぐに立ち上がって、涼し気な台詞を吐いてたわ……プ!膝はこっちが笑っちゃうくらいカックンカックンしてたんだけどね!ンフフフフフフ!!」 「そっか……ボクも父さんみたいに…………!」 「それと、さっきみたいに夢中になると、後先考えずに行動しちゃうところはアタシの妹譲りね。あ~あ……面倒なところばっかり引き継いじゃって……あんたこれから大変よぉ?」 「母さん……父さん…………」 「さ、今日はこれくらいにしときましょ。なんてったって……今日は昼から可愛い新人ちゃんたちの入隊式があるのよ!あんたも見ていきなさい!いい子がいたらチェックしといて、後でアタシに教えること。いいわね!?」 「はい!」 今日は、自分が確実に強くなれていると実感することができた。 もっともっと頑張ろう。 誰かを守れる強い男になれるまで。 誓いを果たせるだけの強さを手に入れるまで。 同日、午後。 アルモニア音楽騎士団屯所のメインホールには、数多くの人々が足を運んでいた。 これより行われるのは今期の新規団員入隊式。 格式高く、長き伝統を持つアルモニア音楽騎士団への入団志願者数は年々増加傾向にあるという話は前におじさんから聞いていたけど、これほどのものとは思わなかった。 新たに団員となる人たちと、その親族といった関係者。 式を執り行う現団員と街の有権者たち。 ざっと見まわしただけでも、五百人以上の人々が、所狭しとホール内にうごめいている。 「す、すごい数ですね……」 ホールの舞台の裏手袖から会場を見渡し、その光景につい息を呑んでしまう。 その隣で、挨拶の言葉が綴られた原稿を優々と眺めているおじさんは、あっけらかんとした口調で話す。 「他の騎士団では厳しいふるいにかけたりして、有望そうな子だけ拾うとこもあるらしいけど、うちは基本来るもの拒まずなの。だから、自然と入団者も多くなるのよ」 「えっと……その……実際、団員としては大丈夫なんですか?なんというか……思ったよりも厳しくて辞めちゃったりとか……」 「勿論、そういう子も多いわよ。でも、こういう仕事だもの。基本的には心も身体も強くなくちゃやっていけない。そういう資質を見極めるためには、訓練や試験じゃなくて、実際の現場で見定めることが必要になるってアタシは思ってるわけ。ん!?ヤダ!あの子いいじゃな~い?将来有望ね……!」 「遅いか早いかの違いってことですか?」 「そうね。それに、たまにいるのよ。最初は見向きもされないような雛だったけど、メキメキと頭角を現して、すごい才能を発揮する子ってのが。そういう子が入団試験で埋もれてしまうのはもったいないってもんでしょ?ちなみに、あそこに座ってるあの子もそんな一人よ」 そう言って、舞台上を指差すおじさん。 ボクはその指し示す方向を見て、すぐにそれがどの人物を指しているのかを察した。 「え……?あれって……こ、子供じゃないですか!!」 そこは、現アルモニア音楽騎士団の各隊長が並んで座る長机。 その一番端に、ボクよりも若そうな子供が堂々と座っていることに目を疑う。 「そ。入団からわずか数年。若干十二歳にして二番隊隊長に就任。しかし、その実力は団内の誰しもが認める天才。その名も……エリオットちゃんよ!!」 「じ、十二歳……!?」 十二歳といえば、まだボクがシャムールで何不自由なくのんびりと暮らしていた頃。 その実力は隊長どころか、父さんの狩りに付き添い、少し弓を教えてもらっていただけの、ひよっこ以前の次期。 「あの子は……ちょっと訳ありで、アタシが騎士団に推薦したようなもんなんだけど、それでも普通の騎士団の試験だったら落とされてたでしょうね。ついでに言っちゃうと、あんたもその口よ」 「そ、そうですか…………」 「だから気落ちする必要はないんだってば!あくまでもそれは出発点が他の人より少し離れたところにあっただけで、そこからどこまで進んでいるかは自分次第なの。事実、あのエリオットは想像を絶するくらいの経験と努力の末にあそこに座っているのよ?」 「十二歳で隊長になるような天才でも……」 「そう。だからあなたも頑張りなさい!アタシと一緒にシャムールの街を取り戻すんでしょ?」 ボクには、そう言いながら舞台上に歩いて行ったおじさんの背中がすごく遠くに思えた。 少しでも近づけたなんて思ってしまったことが今は恥ずかしい。 遥か遠くの場所に立つ隊長たちの、まだ先に彼は立っている。 でも、諦めない。 おじさんも言っていた。 出発点が遠くとも、どこまで進んでいけるかは自分次第だと。 必ず追いつきます。 だから、もう少し待っていてください。 「やっと終わったわ……たくさんかわいい子が来てくれるのは嬉しいけど、それだけ式も長くなっちゃうのが悩みどころよね……」 ひとしきり式の様子を見学し、いち早く稽古場に戻ったボクが弓の調整をしていると、おじさんが戻ってきた。 「あ、お疲れ様です!おじさん!」 「こら。お姉さんでしょ?いい子にしてたら素敵なサプライズをプレゼントしてあげようと思ったけど、やめちゃおうかしらぁ?」 「サプライズ……ですか……?」 「ほら、この子よ。さっき話したミルヴァ。軽く挨拶してあげなさいな」 「団長……先程も言いましたけど、僕はまだ仕事が残っているのですが?」 聞き覚えのない声。 その主が、おじさんの大きな背中の影から歩み出て、ボクの前に立つ。 「あ……あなたは…………」 「初めまして。アルモニア音楽騎士団二番隊隊長を務めているエリオットです。団長がどうしても顔を見せたい人物がいると無理やり連れてこられたのですが……あなたがそうなのでしょうか?」 「あ、えっと……そ、そうみたいです。は、初めまして!ミルヴァです!よろしくお願いします!」 「刺激になると思って、連れてきてみちゃった!どう?ミルヴァ」 「え、えっと……突然過ぎて、何を話していいのか……」 おじさんの意地悪…… ボクが人見知りなのを知っててやってるんだから、もう! 「ところで……確か、ミルヴァさんは団長の甥であると聞いたはずですが……団長、この方は……?」 「ふふ……ふふふふははははは!でしょ!?いたいけな少女が困ってるように見えたでしょ!?でも、ざ~んねん!この子には立派な男の証がついてるのよぉ~!でも、そこがいいの!わかる?わかるかしら!?」 「また団長にからかわれたわけですね……その気持ちについても、わかりたくはありません……」 「あ……ははは……なんか、すみません……ボクのせいで混乱させてしまったみたいで……でも、おじさんの言う通りボクは男ですので、そういうことでよろしくお願いします」 「あ、いえ。あなたが気にすることではありません。団長の親族の方とあれば、僕にとってもあなたは大切な方です。騎士団員一同、団長とあなたを全力でお守りしますので、どうかご安心を」 「えぇ!?いや、そうじゃなくて……!えっと……ボクは騎士団の人間でもないですし――」 「騎士が民の命を守るために戦うことは当然のことです」 「だから、そうじゃなくて!ボクも……ボクも、誰かを守れるような人になりたくて、おじさんに稽古してもらってて……だから、ボクを守るよりも、もっと他の人を守ってあげてください!」 「んふ……んふふ…………」 一体、何が楽しいのか。 おじさんはボクらの様子をニヤニヤと笑みを浮かべながら目を細めて眺めるばかり。 「団長が直々に鍛錬を……?」 「まぁね。もう一年くらいになるかしら。そういえばあなたが入団して間もない頃、よくアタシや団員連中が相手をしていたわね。エリオット。昔を思い出すかしら?」 「えぇ。まぁ、そうですね……」 「そこでエリオットちゃんにお願いがあるんだけど、聞いてくれるかしら?」 「ボクにミルヴァさんの相手をしろというお話ですか?」 「流石に察しがいいわね。ミルヴァが使うのは短弓。斧使いのアタシとは相性が良いとされているけど、実戦となるとそうはいかないわ。相手がどんな武器を使ってくるかはその時次第だし、人であるとも限らない。そろそろいろんな相手と戦う経験を積んでもいい頃だと思うの」 「ぼ、ボクがエリオットさんの相手ですか!?っていうか、おじさんと相性が良いなんてとんでもない!!まだまだ軽くあしらわれてるのに!」 「それはまだあなたが色々と経験不足だから。それに、一人の相手に練習を続けるのは基礎を学ぶ分には問題ないけど、相手を知りすぎてしまう分、癖が付くの。それはこの先のことを考えてもあまり良くはないわ」 「そ、そんなぁ……」 やっとの思いでおじさんの動きに慣れてきたと思ったのに、それを攻略する前に新しい相手。 しかも、天才とまで言われたエリオットさんが相手だなんて…… 「団長のお考えは正しいと思いますし、僕としても協力してあげたいとは思います。ですが、僕にも仕事があります。ミルヴァさんに都合を合わせることは難しいと思いますが……」 「手が空いた時だけでいいわ。なんだったら、あなたからエリオットちゃんを見かける度に襲っちゃってもいいのよ?ミルヴァ?」 「そんな強引な!?エリオットさんだって忙しいって今――」 「これもあなたが強くなるため。言ってる意味、わかるわね?」 「おじさん…………」 そうだ。 こうでもしないと、ボクはいつまでたってもひよっこのまま。 おじさんやエリオットさんに追いつくことなんてできやしない。 「わ、わかりました……ボク、やってみます!エリオットさん!どうかお願いします!!」 「ミルヴァさん!?」 「決まりね。それとも、デスクワークばかりでプニっちゃったお腹じゃ不安かしら?エリオット」 「……そうまで言われては引けませんね。わかりました。ミルヴァさん。いつでもかかってきてくれて構いません。僕は全力でその全てを打ち払います!」 「……はい!」 「いいわねぇ、若いって……食べちゃいたいわぁ…………」 それから、ボクは隊舎内でエリオットさんの姿を見かける度に勝負を仕掛けた。 「エリオットさん!勝負です!!」 「またいきなりですね……でも、いちいち声をかける必要なんてありませんよ?実戦ではそれが当たり前ですから」 それくらいのことはボクでもわかってる。 相手は自分より年下ながら隊長に抜擢された天才。 でも、だからこそ正面切って勝てるくらいまで強くなりたい。 「エリオットさん!勝負です!!」 「相変わらず真面目ですね……あなたは!!」 せめて一撃。 少しずつでも近づいてみせる。 「エリオットさん!勝負です!!」 「またですか……見た目よりもしつこい性格ですね……」 何度弾き返されたって、諦めない。 せっかくおじさんがボクのためにこんな機会を用意してくれたんだから。 全てはボクと一緒に誓ったあの約束のため。 「おじさん!また負けました!!」 「またやったの!?これで何度目よ!?」 「今日はまだ二回です。通算では三十二回目になります」 「で……あの子の鼻は明かせたかしら?」 「全然、歯が立ちません!!」 「はっきり言ってくれるわね。今日で丁度一カ月。あんた悔しくない――わけないわよね……」 「…………グスッ!」 死ぬほど悔しい。 こんな思いは初めてだ。 いくら隊長だからって。 いくら天才だからって。 相手はボクよりも年下。 あの手この手で攻めてみても、ボクの矢は一本たりともかすることもしない。 「はぁ……どうせ、また力任せに突っ込んでるんでしょ。あの子はアタシより器用だし、速さにしてもアタシより上なのよ?同じやり方が通用するはずないじゃなぁい!」 「でも……他にやり方が…………」 「……まぁ、だいぶ基礎はできてきてるし、そろそろ次のステップに進みましょうか」 「必殺技ですか!?」 「こら!調子に乗らないの!必殺技だなんて、それこそ実戦を何度も経ることで見つけて、磨き上げていくもんなの!」 「じゃあ……」 「魔素の取り扱いね」 「魔素……魔術のことですか?」 「あなたの父さんも使ってたでしょう?確か、アギラは風の魔素を扱うのが得意だったわね」 「はい!矢の軌道を変えたり、速くしたり……いろいろやってました!」 「まずはあんたのタイプを知って、そこから開発ね。魔素をある程度扱えるようになれば、戦略の幅も広がるし、単純に攻撃力も上がるわ。もちろん扱い方を間違えれば自分自身が大火傷する羽目になるけど、ちゃんと練習すれば大丈夫。やってみる?」 「はい!!それで強くなれるなら!!!!」 一カ月。 エリオットさんに返り討ちにされ続けた時間。 そして、また一カ月。 エリオットさんに勝つために、強くなるために魔素の修行に励んだ時間。 「お久しぶりです。エリオットさん……」 「最近、姿をお見掛けしなかったので、奇襲を狙っているものとばかり考えていましたが……その様子を見る限り、僕の予想は外れたようですね」 「はい。あなたに勝つため、特訓してきました!今日のボクを、今までのボクとは思わないでください!」 「一度たりともあなたを侮ったり、手を抜いたことはありません。それが騎士として、男としての礼儀だとわきまえているので。今日とてそれは変わりません」 「ありがとうございます…………いきますっ!!」 「来いっ!!」 ボクは思い切り地を蹴って、エリオットさん目がけて真っ直ぐに突っ込んだ。 エリオットさんの視線が針のように突き刺さる。 その眼光に、油断は微塵もない。 これまで通り、言葉通り、全力の天才騎士。 でも、ボクは変わった。 「はっ!!」 「――っ!?これは!?」 エリオットさんが手にする槍の間合いに入る直前、ボクは彼の頭上を飛び越えるように宙を舞う。 その背に、炎の翼をはばたかせて。 ボクには炎の魔素を扱う適性があった。 おじさんはボクの眼を見て、ボクらしいと笑っていた。 理由を聞くことはしなかったけど、ただただボクは嬉しかった。 炎の魔素は、おじさんが操る属性の魔素でもあったから。 「魔素を扱えたのか!?」 驚きの言葉とは裏腹に、体勢を崩すことなく頭上目がけて槍を突き出してくるエリオットさん。 これも予想通り。 「ぐっ!?」 だけど、狙いは確かに逸れ、刃先はボクの脇をかすめていく。 燃え散る火の粉と炎の翼のせいで、ボクの姿を一瞬見失ったからこそのミス。 「ここだっ!!」 いつか聞いた、おじさんの言葉。 『隙を突けたのなら、一撃で相手を仕留めるつもりで攻撃するようにしなさい』 それを今、噛み締めながら実行する。 「ちっ……させるかっ!!」 「はぁああああ!!」 母さんから授かった髪の色や体つき。 父さんから授かった瞳の色や弓の扱い。 そして、おじさんに授かった炎の魔素と教え。 皆の愛を注がれて、今のボクがここにいる。 ボクを信じ、育ててくれた人たちの気持ちに応えるためにも、今こそ一矢報いて見せる! 「勝てなかった……」 結論から言うと、エリオットさんに勝つことはできなかった。 必殺を意識して放とうとした一撃だったけど、矢から手を離す直前、エリオットさんの身を案じてしまったことで行動が遅れ、ギリギリのところで矢は盾に弾かれてしまったのだ。 その後はいつも通りがむしゃらに戦ってみたけど、結局良いとこまでいけたのはその一発だけ。 魔素の扱いを多少身につけたことで、エリオットさんも以前よりやりにくそうには戦ってはいたけど、まだ実力の差は大きかったということなのだろう。 「はぁ…………」 泥だらけになったボクは、そのまま屯所の風呂へ足を運んだ。 こうして暖かい湯に浸かっていると、悔しい思いばかりが頭に浮かんでくる。 「もう出ようかな……」 ――ガラガラッ! 「「あ……!」」 大浴場の扉を開いたところで、エリオットさんと鉢合わせした。 なんだか、気まずいような、くすぐったいような気持ちになる。 あれだけの大見えを切って挑んで、結局手も足も出ずに負けたのだから、それも当然か。 「ど、どうも!ボクはもう出ますので――」 「し、失礼しましたぁああああ!!」 ボクを見るなり、脱衣所を通り越して廊下まで走り去って行ったエリオットさん。 顔を合わせにくいのは僕も同じ気持ちだけど、さすがにこの反応は傷つく…… 「あ、あれ?やっぱり……ミルヴァさん?」 と、思いきや、すぐに戻ってきたエリオットさんだが、まだ廊下から脱衣所に足を踏み入れようともしない。 「は、はい……先ほどはどうも……」 「…………なんだ……そういうことでしたか」 「はい??」 彼曰く、女子用の浴場と間違えて入ってしまったものと思ったらしい。 それは、裸のボクが女性に見えたということなんだろうけど、この手の勘違いはもはや慣れっこ。 何度も顔を合わせているとはいえ、場所と恰好がこうも違えば、随分とモノは変わって見えるものだから。 「すみませんでした……僕としたことが、早合点を……」 「いえ……なんというか……これまでもこういう所に来ると、たまにあったので……はは……」 エリオットさんも勝負の最中、汗をかいたので、さっぱりしに来たとのこと。 自分で言うのもなんだが、結果はともかくとして、激闘と呼べるものだったと思う。 そして、その相手であった彼と、今背中を流し合っていると考えたら、少し笑えてくる。 「そんなに気を落とすことはないと思います。本当にいい勝負でしたから。僕が敗れてもおかしくはありませんでした」 「うぅ……負かされた人に言われても嬉しくないです……」 勝者に慰めの言葉をかけられながら、背中を流してもらう。 この歳にして、なかなかできない経験をしている気がする。 「まだあなたは戦術も魔素の扱いも発展途上です。それは僕にしてもそうですが、それでもあなたよりは多少経験が長い。その長さが今回の勝敗を分けたのでしょう」 「エリオットさん程の人でも、自分はまだまだだって思ったりするんですか?おじさんもそんなことを言ってましたけど、ボクには想像もできません。それだけの実力がボクにあったとして、同じことが言えるかどうか……」 「あまり誇れる内容でもないので、今は詳しくは話しませんが、僕にも目的というか……目標みたいなものがあります。それを果たせるようになるまでは、まだまだ道半ばだと思っていますので」 「そう……だったんですね……あんまり軽々しく言える事じゃありませんけど、なんとなくわかる気がします。ボクにも大事な約束がありますから」 「はは……あなたの姿を見ていればわかります。そうですか……いつか語り合ってみたいですね。共に目的が果たせた時に」 「はい……!」 ――ガラガラガラガラッ! 「エリオットちゃんとミルヴァちゃんがお風呂場で全身洗いっこしてるって話はホント!?」 「だ、団長!?!?」 「キャァアアアアアアアア!!なによ、なによ!美少年が二人して泡まみれで濡れ濡れでキャッキャウフフなんてマジで眼福ものじゃない!!うぉい!誰かカメラ持ってこいやぁああああ!!カメラァアアアア!!」 「ぼ、ボクはこれで失礼しますので、あとはミルヴァさんとごゆっくり――」 「逃がさないわよぉおおおお!」 「うわぁああああ!?」 「エリオットさん!?」 いつになくハイテンションなおじさんがエリオットさんの手を引いてそのまま浴場でダンスしている。 今日はめずらしい経験が多い日だなぁ。 「いつもアタシが風呂に入る時間を避けてるエリオットちゃんと浴場で遭遇!しかもミルヴァまで!!とりあえず、アタシの背中を流してもらいましょうか!?その後はサウナへゴーよ!!蒸し暑い小さな個室でハァハァと吐息を漏らしながら、あの日あの時の思い出を語らうの!!そうね、少なくとも三時間……いや、五時間は付き合ってもらうわよ!!!!」 「う……!?こうなったら……!!」 「あぁああああああああああああああああ!?!?」 途端、大浴場内に電流がほとばしる。 エリオットさんが発生させたであろうそれは、彼の身体から飛び散る飛沫を通じておじさんの身体を直撃。 けたたましい悲鳴と共に、屈強な肉体をブルブルと震わせるおじさんだったけど…… 「あぁ……!いいわ、これ!電撃マッサージなんて、なんだか流行りそうな響きじゃない?」 「ミ、ミルヴァさん!お願いします!!何とかしてください!!」 ケロッとしているおじさんの顔を見て、エリオットさんの顔が見たこともない表情に変わる。 恐怖や焦りを隠すこともせず、心から救援を望むその声に、ボクは無意識のうちに駆け出していた。 「お、おじさん!エリオットさんを離してくださ――」 ――ツルンッ! 「え?」 「「あ!」」 それからの記憶は無い。 気付けばボクはおじさんの膝の上で眠っていた。 話によると、石鹸で足を滑らせたボクは床に頭をぶつけ、そのまま気を失ってしまったらしい。 エリオットさんはというと、まるで何かに怯えた様子で、その時のことを頑なに語ろうとはしなかった。 翌日、二番隊を率いて任務のためにラキラの街へと発って行ったエリオットさんの背中は、相変わらず委縮したように小さく、ボクは彼の身に何があったのか気になったけど、聞いてはいけないような、そんな気がした。 そして、ボクが初めて戦士として戦場に立つ日は、突然やってきた。 エリオットさんがラキラの街に向かってから三日。 その日は朝から、おじさんを始めとした騎士団の上層部が作戦会議室を占有し、長時間何かを話し合っていた。 「急ぐのよ!非番で手が足りないところは他の隊から補充を手配して!!」 そして、部屋の扉が勢いよく開け放たれたかと思うと、おじさんの声が廊下の端まで鳴り響く。 「何があったんですか?おじさん」 「ミルヴァ……あんたは気にしなくていいの。ただ、ちょっと急がないといけないことがあっただけよ」 ボクに優しく声をかけるおじさんの顔は、その声とは裏腹に、とても静かな怒りで満ち満ちている。 ボクは知っている。 おじさんがこういう顔をするときは、決まって大切な誰かのことを強く想っている時。 特に、騎士団の仲間のことを想っている時。 「……エリオットさんに、何かあったんですね?」 確信はない。 でも、タイミング的にそれしかないと思い、彼の名前がボクの口を衝いた。 「いい?ミルヴァ。これは騎士団内だけの機密情報なの。わかるでしょ?」 「そんなこと言わないでくださいっ!!」 「ミ、ミルヴァ……!」 「おじさんだって知ってるはずです!ボクは団員じゃないけど、エリオットさんにはすごくお世話になったし、それに……もう友達なんです!仲間なんです!仲間は家族なんですよね!?おじさん前に言ってましたよね!?」 「……誤魔化せないものね。そりゃ、この一年ずっと一緒にいたんですものね」 「やっぱりそうなんですね!?」 「ええ。二番隊が向かったラキラの街を…………帝国軍が襲撃しようとしているわ」 「帝国軍……!!」 その名を聞いた瞬間、ボクの心の内から、今まで感じたことがない程の怒りが溢れてきて、同時に、火に包まれた街の記憶が蘇る。 傷つきながら、一人強大な敵と戦う父さんの姿。 血を流しながら倒れ伏す母さんの姿。 涙を流しながら、怒りに打ち震えるおじさんの姿。 帝国軍。 他でもないシャムールの街を攻め落とした憎き敵の名。 魔物の襲撃に便乗し、思い出に溢れた故郷を、そして父さんと母さんを奪った誓いを果たすべき相手の名。 「……ミルヴァ、落ち着きなさい」 「あ……」 呆然と立ち尽くしていたボクの肩に手を置き、心配そうな表情のおじさん。 「元々エリオットたちは、帝国軍の侵略を阻止する防衛任務の援軍としてラキラに向かったの。ただ、帝国軍について、嫌な噂が聞こえてきてね……念のため、アタシたちも援軍に向かうことになったわ。正直、間に合うかどうか微妙だけど……あんたはアタシとエリオットのことを信じて、ここで待っていてちょうだい」 今まで見たことも無い程に悲痛に歪むおじさんの表情。 ただ、それはエリオットさんを思うがためのものだけではない気がした。 それもそのはず。 ボクの母さんはおじさんの妹で、父さんは親友だった。 おじさんにとってもまた、帝国軍は怨敵なのだ。 「ぼ、ボクも連れて行ってください!!」 「ミルヴァ…………」 今までも、ボクがおじさんの任務に同行をせがむことはあった。 自分の力を試したかった。 少しでもおじさんの役に立ちたかった。 でも、おじさんはボクのお願いを聞いてくれることはなかった。 そもそも正規の騎士団員ではないボクを、騎士団の任務に同行させることは規則に反したものであり、同時に、おじさんはボクが傷つくことを無性に避けようとしていたから。 ただ、今回は違う。 騎士団員を家族のように想うおじさんと同じく、ボクにとってもエリオットさんは恩人であり、友であり、かけがえのない人。 それに、ボクがおじさんと共に誓ったあの日の約束。 それを果たすための一歩を踏み出す時が来たのだと、ボクは胸に手を当てて確信する。 「……いいわ。一緒に来なさい。いつまでもアタシの手の中で守られるわけにもいかないものね」 「おじさん……!!」 「羽ばたく時が来たわよ、ミルヴァ!あんたの力、アタシに見せてみなさい!」 「はいっ!!」 ラキラの街までは、どんなに馬を急がせても五日はかかる。 既に動き出している帝国軍は、それよりも早く到着するだろう。 ボクたちの救出作戦が間に合うかどうかは、ラキラの街で戦うエリオットさんたち次第。 どうか……どうか間に合って!! 「――っ!やはり遅かった……!!」 五日後、ラキラの街を目前に控えたボクらの視界に、天高く立ち上る黒煙が見えてくる。 「お、おじさん……エリオットさんは……!!」 「大丈夫よ!あの子を信じなさい!!」 目の前の光景は、言葉にするのも躊躇われるほど悲惨で悲しいものだった。 街の外に広がる美しい花畑は無惨に踏み荒らされ、一部は火に焼かれて灰に。 高い外壁が囲う街の至る所から、戦闘による煙があがっている。 聞こえてくるのは怒声、悲鳴といった、耳を覆いたくなるような声ばかり。 「あれね……!」 おじさんの目線の先。 そこに街の外縁に陣を敷く帝国軍の姿があった。 「陣形を展開!ここに本陣を置くわ!」 団長の号令を受け、無数の騎馬の隊列が、一つの生き物のように速やかに形を変える。 「リーベルト、バートン!ラキラ突入の二番隊救出部隊を編成!一個小隊を編成完了次第、行動開始!」 「「はっ!!」」 おじさんは流れるような指示で部下のリーダー格二人に指示を出し、部隊を二分する。 片や街の外で帝国軍と睨み合う本隊と、ラキラ内部で救出任務にあたる分隊だ。 ただ、ボクは一つだけ気がかりだった。 「おじさん……その……エリオットさんたちだけじゃなく……!」 街で煙が上がっているのは、既に街の内部に帝国軍が侵入し、戦闘が行われている何よりの証拠。 そこには二番隊の皆だけでなく、同じくラキラの街を守ろうと戦う人や、恐怖に震えながら逃げ惑う住民たちが多く存在するはず。 でも、おじさんは救出部隊を『二番隊救出部隊』と強調した。 まるで、任務の目的が二番隊の救出のみを指しているように。 「ミルヴァ……あんたの気持ちはわかるわ。アタシだって全員を助けられるならそうしたい。でもね、アタシたちもまた彼らと同じく人間なの。できることには限界がある。それを理解せずに、多くのモノを抱えてしまえば、結局、全てが不意に終わってしまうこともあるのよ……!」 おじさんは、ボクの気持ちを全て汲んだ上で、そう言葉にした。 唇を強く噛みしめ、眉をひそめながら。 「ご、ごめんなさい…………!」 まさに断腸の想いだったことだろう。 それなのに、ボクはそんなおじさんに鞭を打つことを口にした。 少し考えればわかること。 あの優しいおじさんが、助けを求める人々を目の前に、ただ座することの意味を。 ボクはおじさんに謝罪すると同時に、自分の弱さを再び呪った。 「団長!部隊の編成が完了!これより二番隊救出に向かいます!」 「頼んだわよ!外のことはアタシたちに任せて、必ず救い出して来なさい!!」 「はっ!!」 今しがた指示を受け、救出部隊を編成していたリーベルトさんたちがラキラの街へ向け、馬を走らせていく。 お願いします。 どうか間に合って! 「しばらくは様子見ね。気を抜いちゃダメよ?あそこで待機している帝国本隊が動けば、アタシたちが対応することになる。絶対に目を離さないように気をつけなさい」 「わかりました……!」 本隊の陣頭で、ラキラの外縁部を見つめるおじさん。 刺すような視線は、街の外に陣を敷く帝国兵たちを捉えたまま微動だにしない。 ラキラの街には、東西南北に備えられた大きな門が四つある。 その内、帝国が陣を築いているのは北の正門前。 おじさんは、そこから最も近い東門前に本陣を構え、あえて帝国に姿を晒している。 それが牽制であることはボクにも理解できた。 門外で睨み合いをすることで、彼らの意識をこちらに釘付けにする狙いだ。 そうなると、帝国軍は街内での侵略作戦を推し進めるための援軍を向かわせることはできない。 本陣が手薄になれば、こちらから仕掛けてくるかもしれないと考え、迂闊に動くことができないからだ。 同時に、それはこちらの街内での救出作戦が遂行しやすくなることも意味している。 こちらも第一目標はあくまでも二番隊の救出。 だから、こちらから動くことはない。 つまり、このまま街の外は膠着状態に入る。 おじさんも間違いなくそう睨んでいる。 「――は!?嘘でしょ……何でよ!?」 だけど、そんな思惑は大きく外れることとなる…… 「迎撃態勢!突っ込んでくるわよ!!」 街の外で陣を敷いていた帝国兵たちは隊列を組み、なんとこちらに向かって進撃してきたのだ。 「お、おじさん……帝国軍が……!」 「安心なさい。まだ大丈夫よ」 予想に反した動きを取り始めた帝国軍だったけど、おじさんは冷静なままだった。 敵方は数十人程の小隊規模。 対してこちらは、部隊を二分したとはいえ、未だ百名を数える。 おじさんの号令により、迎撃態勢を整える騎士団員たちにも、まだ余裕が伺える。 大丈夫。 その通りだ。 「…………おかしい……何でそんな無謀な突撃を?」 でも、帝国が徐々にこちらとの距離を詰めていくにつれ、おじさんの表情がゆっくりと困惑に染まっていく。 これにはボクも同意見だった。 ここでどちらかの本陣が大きな打撃を受けることになれば、均衡は崩れ、どちらかが壊滅、もしくは撤退するまで続けられる掃討戦になる。 彼ら帝国兵たちの胸に、どんな誇りや意志があるのかは知らないけど、そのことがわからないわけではないはず。 それなのに、なぜ彼らは足を止めようとしないのか。 次の瞬間、ボクらの渦巻く思考は怪しい光によって寸断された。 『ゴァアアアアアアアアアアアアアア!!』 「あ……あれは…………!?」 アルモニア音楽騎士団の本陣に突撃してくる帝国兵たちの一部が手を前に掲げたかと思うと、その手先が眩く光り輝き、光の中からヤツらは現れた。 紫色に光る鉱石のような鱗に包まれた皮膚。 大木のような太い尾と、陽光を遮る二枚の巨大な翼。 ボクはそれを知っていた。 「なんで……なんであの竜がこんなところに……!?」 再び脳裏をよぎるあの日の光景。 傷つきながらも、父さんがたった一人で立ち向かったヤツの姿。 間違いない。 あの日、シャムールの街を襲った魔物。 ヤツらの襲撃が原因で、シャムールの騎士団は帝国の攻撃に対応が間に合わず、結果として敗北。 シャムールの街は失われることになった。 そんな魔物が、たった今、ボクの目の前で帝国兵の手によって召喚された? 「おじさん…………」 「えぇ……ミルヴァ。ようやくわかったわ。どうして、あの日シャムールの街中にあれが突然現れたのか。どうして、その出現を予期していたように帝国軍の侵攻が開始されたのか……」 シャムールを失うことになった原因と、その実行犯。 別々だと思っていた二つの畏怖の対象が、一つの敵として、おじさんとボクの頭の中で混ざり合っていく。 「「帝国軍っ……!!」」 突如出現した巨大な魔物の姿にうろたえる団員たちの前で、二人して目を見開き、心に怒りの火が灯る。 「貴様らぁああああああああああああ!!」 誰よりも早く駆けだしたのは、おじさんだった。 「やぁああああああああ!!」 毛ほども躊躇することなく、ボクもそれに続く。 ――カッ!! 再度瞬くあの光。 帝国兵が、彼らを迎え撃つために走り出したボクらを見て、新たに魔物を召喚する。 それでもボクらが止まることはもうない。 「くたばれやぁああああああああああああ!」 召喚され、視界を得た時には、もう目の前まで迫っていたおじさんの剣撃。 魔物はそれに反応することすらも許さないまま、一方的な衝撃に晒される。 『グゴッ……ォオオオオオオ!?』 「はぁっ!!」 天に舞ったボクは、無抵抗のまま地に伏した魔物の顔面めがけ、これ以上ないほどの力を込めて一撃を見舞う。 『ガッ!?…………ォオオオオ…………!』 ボクの着地と同時に、力無く動くことをやめた竜型の魔物。 これで一匹。 残りも全て倒してやる! 「「おぉおおおおおおおお!!」」 ボクとおじさんの突撃から、数瞬遅れて戦列に加わる団員たち。 ラキラの街外は乱戦模様の戦場へと変わった。 「ふんっ!!おらぁああああ!!」 おじさんは吼え、目の前の敵をことごとく切り伏せていく。 「やっ!!はぁっ!!!!」 ボクも負けじと弓を引き絞り、矢を放つ。 気付けば、帝国軍の戦力は既に大部分が機能を失い、撤退を始めていた。 「このっ!!このっ!!!!」 「がっ!?」 「た、助けて――ぎゃぁああああ!!」 戦意を失い、背を向け逃げ惑う帝国兵に向かって、なおも矢を射続けるボク。 今の彼らがそうしているように、生きたいと願っていた人々の命を、彼らは多く奪い去った。 それなのに、いざ自分たちが同じ状況に陥ると、命乞いまでし始める始末。 ボクにはそれがたまらなく許せなかった。 自分たちがしたことの報いを受けろ。 お前たちが殺してきた罪のない人たちの恨みを思い知れ。 一本。 また一本。 ボクは矢を番えるたびにそう念じ、弦を引き絞る手を離した。 「ミルヴァ!!」 「――はっ!?」 強く腕を引かれたことで、ボクは我に返る。 「お、おじさん……」 「もう十分よ。これ以上はあなたの心が傷を負うことになる」 荒くなった息を整えながら、ボクはゆっくりと思考を取り戻していく。 ふと、自分の手を見ると、指先を弦で切ったのか、右手は血まみれになっていた。 こうして帝国軍を退けたボクたちは、再び本陣を構え、彼らの動向に気を払った。 幸いだったのは、その後帝国軍がこちらに仕掛けてくることはなかったこと。 もしも彼らが第二陣、三陣と、ボクたちを執拗に攻撃し続けてくるようなことになっていれば、ボクは同じように戦い続けることはできなかったと思う。 初めて戦場という場所に立ち、どす黒い感情に身を任せて戦った経験は、これ以上ない恐怖と辛さをボクの心に深く刻み込んだ。 「アタシはあんたをできることなら戦いに参加させたくはなかったわ……あんたの何かが変わってしまう気がしたから。どう?一つ戦いを終えてみて……何を思った?」 「ボクは……」 正直、もう二度と御免だとも思った。 戦いに勝利したとしても、こんなにも辛く、悲しい思いをすることになるのなら、と。 でも、おじさんやエリオットさんは、もっと悲惨な戦いをいくつも乗り越え、今を生きている。 例え自分や相手を傷つけても、その手で守れる命が沢山ある。 それを糧にして彼らは懸命に戦っている。 ボクもそうならないといけない。 そうしないと、おじさんとの誓いも果たすことはできない。 だからこそ、胸を張らなければいけない。 「大丈夫です。ボクも、おじさんたちみたいに強くなりたいと思います……!」 「そう……やっぱりあんたは強いわね。その心根の強さは、まさしくアギラから受け継いだものよ」 その時のおじさんの顔は、今までのどんな顔よりも静かで、優しいものだった。 「救出部隊、ラキラの街より只今帰還しました!」 丁度、そのタイミングで本陣へ帰ってきた救出部隊。 ボクらが帝国軍の本隊を足止めしていたこともあり、救出部隊の皆は一人として欠けることは無かったという。 でも、救出部隊に連れられ、足を引きずりながら歩く二番隊の騎士たちの顔を先頭から順番に見て、ボクはあることに気が付いた。 「エリオットさんが……いない?」 「隊長は……戦闘中に消息を絶って、今もその所在が不明のままです……」 おじさんの元を訪れた二番隊の隊員が、顔を伏したまま報告を口にする。 「そんな…………!」 「エリオット……一体どこで油売ってんのよ……!」 その言葉は、おじさんがエリオットの生存を信じているからこそのもの。 ボクもその気持ちは同じだ。 でも、帝国は既に再度態勢を整えつつある状況。 街内にもまだ別動隊がうろついてもいるはず。 撤退か、待機か。 おじさんが判断を迫られる。 その時だった―― 「団長!ラキラ東門よりこちらに向かってくる人影有り!!」 その声を聴いた面々の顔が緊張でこわばる。 「あれは……エ、エリオット隊長!傭兵らしき男と一緒です!」 エリオットさんの名に、喜びに沸く一同。 「――っ!?その背後から帝国兵!二人を追ってきている模様!」 「救援に向かいなさい!あの子を死なせるんじゃないわよ!」 「「はっ!!」」 おじさんの声を受け、馬に乗っていた騎士数人が二人の救出へと走る。 「隊長!ご無事ですか!?」 「お前たち……!」 エリオットさんの救出に走った面々と、その後方で陣を構えたまま鬼の形相で睨みつけてくるおじさん。 それを見て、追ってきていた帝国兵たちの足は止まり、すごすごと門の中へと引き下がっていくのが見えた。 「命、拾っちまったな……」 「そのようですね……」 救護班の元に運ばれていくエリオットさんの無事を心から喜び、涙で視界をにじませていたために、ボクは気づけなかった。 その隣。 彼に肩を貸し、共にラキラから逃げ延びてきた傭兵の正体に。 「おい、お前……ミルヴァか……?」 「え?」 自らも傷ついていながら、その足でエリオットさんを救護班まで運んでくれた傭兵に声をかけられ、ボクはハッとする。 その声には聞き覚えがあった。 遠く懐かしい日によく聞いた、低くて野太い声。 「グラフィード……さん?」 「なんでお前がこんなとこに……」 「良かった……グラフィードさん!あの日からずっと会えずにいたから……生きてたんですね!!」 父さんの友であり、幼い頃、よくボクの世話をしてくれていた、ボクにとってもう一人のおじさんとも言える人。 ボクはその胸へと飛び込み、彼の命がまだこの世界にあったことを確かめ、その有り難さを噛み締める。 「痛っ……つぅ……………!」 「あ!ご、ごめんなさい!つい……!」 「いや、大丈夫だ……これくらい掠り傷だからな」 ボクを受け止めた衝撃で、グラフィードさんの顔が歪んだ。 でも、すぐに笑顔に変わり、改めてこの人の温かさを思い出す。 幼い頃、抱き上げてもらった時に感じた力強い胸板も昔と変わらない。 「それよりも、ミルヴァ。お前はこんなところで何を――」 「一人の戦士としてここまで来たのよ。仲間を助けるためにね」 「あんたは……」 遅れてボクらの元までやってきたおじさんが声をかける。 「確か、ジョセフィーヌだったな?あんたにミルヴァを預けたのは正しかったのかどうか、気になってはいたんだが……どうだ?」 「彼は立派に成長しているわ。アギラにも負けないような、誰かを守れる立派な騎士になりつつある」 「そうか……俺の目も節穴じゃなかったらしい……」 「エリオットの治療が済んだら、あんたも診てもらいなさいな。その掠り傷とやらをね……?」 「はは……んじゃ、有り難くそうさせてもらうよ」 「グラフィードさんは……これからどうするんですか?」 「俺はこれからも傭兵として、あちこち顔を出すつもりだ。お前ともゆっくり話はしたいが、先に挨拶してやらねぇといけない奴がいる……悪いが、数年越しの大事な客だ」 「そう……ですか…………」 そう口にしたグラフィードさんは、少し思いつめたような、何かを決意したような、そんな表情をしているように見えたのは、ボクの気のせいだったんだろうか。 ただ、その客というのが、エリオットさんのことを指しているのであろうことはなんとなくわかった。 二人の間に、どんな過去があるのかは知らないけど、きっと大切な何かがあるんだ。 そのまま彼は、エリオットさんが運び込まれた救護班のところへ歩きながら、こう続けた。 「ま、戦場を渡ってりゃそのうちまた会える。その時、立派になったお前の姿を見ることを楽しみにしてるぜ?」 「……はい!」 もう少しゆっくりと彼と話していたい気持ちはあったけど、彼もこう言っていた。 『そのうちまた会える』 これは、共に戦場に立つ一人の戦士として、少しはボクを認めてくれたということ。 そう思いたい。 彼やおじさんが認めていた、ボクの父さんのように。 今日は多くのことを経験し、学んだ。 そして、これからもそれは続く。 これから激化するであろう戦乱の世を予感しながら、この景色を目に焼き付けると共に、今一度誓いを立てる。 シャムールの街を取り戻す。 「おじさん。ボク、もっともっと強くなります!まだ父さんや、おじさんや、エリオットさんにも、グラフィードさんにも追い付けていないけど、いつか絶対、皆に追いついてみせますから!」 「あんたならなれるわ……待っててあげる。でも、あんまりもたもたするんじゃないわよ?エリオットはともかく、アタシたちはもう若くないんだからね?」 「はい!」 「そこっ!!否定するところでしょ!!それから、最近すごく自然に『おじさん』って呼んでるけど、アタシは許したわけじゃないから!?ツケは全部アルモニアに帰ってから払ってもらうつもりだから、覚悟しておきなさぁい!」 「……は、はい。お姉さん」 +理を廻す歯車ヒューズ・ガリギア 「ヒューズさん、コーヒーをお持ちしました」 「あぁ、置いといてくれ」 研究室の入り口に目を向けることなく、ヒューズは設計図にペンを走らせる。 部屋に入ってきた助手は、彼の真剣な表情を見て何かを察し、湯気の立つカップを音を立てないよう静かに置いた。 ヒューズが現在手がけているのは、半永久的に自立稼働し続ける機械兵器。 この研究がうまくいけば、今まで成し得なかったことが実現するだろう。 感情という不確定要素を持ち合わせておらず、どんなに無慈悲であろうとも、どんなに無茶であろうとも、ただただ命令に忠実。 そんな兵士が大量生産されれば、大陸のパワーバランスは一気に傾くことになる。 今までこの研究を成功させた者がいない理由として、魔素をエネルギーに変換する機械のコアとなる部分の摩耗が激しく、長期的な運用が難しいとされていたからだった。 しかし、光の魔素が結合、そして反射させる際に生まれる屈折の圧力エネルギーを利用することで、ソリッドステート状態のコアの開発を成功させた。 つまりは、従来ネックになっていた“機械は動き続けることで消耗し壊れる”という機械の根本にある欠陥を一つ解決してしまったのだ。 光の屈折エネルギーを抽出するにあたり、必要不可欠となったのが絶魔状態の空間の確保。 この絶魔空間というものは、ガリギアの技術者ならば概念として幼い頃から触れてくるものだが、その実現に達した者はいない。 全く魔素のない空間を作り出すということは、空気中に漂う魔素を全て排除した後、外気からの干渉を一切許してはならない、または常に魔素を取り除いた空気を入れ替え続けなければならない。 これまでも理論上では実現可能という論文がいくつも世に出回ったが、反対に未来永劫実現不可能という内容の論文も世の中から一定の評価を得ているのだから、一流の科学者の中でも自らの答えを持っている者は少ない。 その雲を掴むような発明を、ヒューズは成し遂げた。 それこそが、“発明の父ガリギア”と呼ばれている由緒ある血筋が、ただの噂や伝説ではないという証明となるだろう。 「ふぅ、しばし休憩しよう。脳に糖分が足りてない」 糖分がどうのこうのよりも、ここ3日間眠らずに作業し続けている方が余程問題なのではないかと助手は呆れそうになるが、その気持ちは胸の中に留めることにする。 彼はこういう人間なのだ。 それはこの開発本部研究棟、通称“時計塔”に配属されてから毎日のように思い知らされてきた。 「ラキラの砂糖菓子がありますので、召し上がって下さい」 「あぁ、そうさせて貰うよ」 眉間を指で押さえながら、深刻そうな表情を浮かべるヒューズ。 「それと、少しは休んで下さいね」 「あぁ、そうさせて貰うよ」 いつもの反応に肩を落としながらも、彼らしいと笑ってしまいそうになる。 しかし、伝えなければいけないことを思い出し、気を引き締め直した。 「ヒューズさん、少しお話してもいいですか?帝国から新たな要求がありまして……」 「またか。要件は?」 ヒューズは顔色一つ変えずにコーヒーを一口啜り、受け皿にカップを戻しながら椅子に腰掛けた。 「先日に続き、帝国軍への軍事融資の件です」 「……」 1年程前、突然ガリギア中に警報が鳴り響いた。 正門の防衛システムが何者かに破壊され、周辺にはむせ返るような焦げた鉄の匂いが立ち込める。 幸い、死者は出なかったものの、数年をかけ科学者達が作り上げた要塞のような壁が破壊されてしまったのだから、只事ではない。 少数の帝国軍兵士が、夥しい数の魔物を手懐けて街の中に入って来る。 “反抗の意志がなければ危害を加えるつもりはない” 黒髪で黒い剣を持ったリーダーのような男は、不安そうな住人達に向けてそう告げた。 しかし、彼の言葉に安堵する者は少ない。 言葉の裏にあるものは『降伏』。 そして『支配』であった。 あの日から、少数の帝国兵が街に常駐し、事ある毎に様々な要求をしてくるようになった。 無論、帝国にいい顔をしようと考える者などおらず、街から排除しようとする者達さえ現れたが、そんな声は理不尽な力の前に太刀打ち出来ず、ただ消えていくのが必然だ。 ヒューズもそのことは知っている。 街の最高責任者なのだから、当然と言えば当然のこと。 だが、感心が薄いのか、帝国に対して他人事のような態度を取ることが多い。 現に、帝国が攻め入ってきた際にも『その程度の要求なら飲んでも良い。それよりも、正門の修繕に相応しい技術者を集めて、設計書を早急に作るよう手配してくれ。設計の段階で僕も目を通す』などと、帝国兵が街を襲ったという事実よりも、長年使い込んできた正門を作り直すというプロジェクトに目を輝かせているように見えた。 助手は、住民の暮らしに気を揉む領主のような役回りより、その方がよほど彼らしいと頷きながら、街の方針を周知し、正門の改修チームを編成した。 その方針に口を出す者も多少いたが、それよりも街の発展、更には技術の発展のためにと多くの科学者が携わり、僅か9ヶ月という短い期間で新たな防衛システムを組み込んだ正門が作り上げられたのだった。 しかし、正門が出来た途端に目標を失った技術者達は、帝国への不満を露わにし始めている。 どんよりと淀んだ空気をその肌でひしひしと感じていた助手は、ヒューズへ打診する機会を伺っていた。 「以前、要求のあった新型の魔導装置ですが、ザクセン砦というメルキスの北側にある施設に配備して欲しいとのことです」 「わかった。では手配してくれ」 ヒューズにすれば、それは気にするまでもない些細なことなのかもしれない。 しかし助手には懸念があった。 悪い言い方をしてしまえば、深く考えず、ただ帝国の言いなりになっているだけなのではないだろうか、と。 「あの、ヒューズさん……私から言うのもなんですが、本当にこれでいいのでしょうか?」 「ん?なにか問題点でも?」 「その……このまま帝国の要求を飲み続けるのは、個人的になのですが、技術者の士気を下げるのではないかと思うのです……我々には信念があるはずです。プライドもあります。原点魔素の基礎方程式も分からないような連中に大きな顔をさせておくのは、このガリギアの科学者のためにならないように思うのですが――」 ヒューズは助手の話を聞き終わる前に結論に達する。 「マーニルに勝利を譲ると言うのか?」 「えっ?そんなことは……どうしてそうなるのでしょうか……」 幼い頃から話を飛ばして結論から話す癖があった。 ヒューズの父を知る人間の前でこの癖を出してしまうと、親子だなと言われてしまうので、極力治したいとの自覚はあるが、『少し思考すれば、自ずと答えにたどり着きそうなものだ』と頭の隅で考えてしまうと、どうにも素直に歩み寄る気持ちにはなれない。 しかし、それはそれ、これはこれ。 相手に自分の意思とプロセスが伝わらなければ、この会話すら無意味なものになる。 それどころか、諦めてしまえば、相手がより理解できる人間へと成長するチャンスを奪ってしまうことにすらなり得る。 ならば、分かり易く噛み砕いて説明をすることはむしろ害となるだろう。 「今君が言ったように、我々には信念がある。マーニルの術士が扱う魔法よりも、我々の科学が優れていることを証明する。そのために誰もがこの街の勝利を確信できるような素晴らしい魔法科学を発明するのだ。この街の総戦力を持ってすれば、帝国兵を街から追い出すくらいのことはできるだろう。しかし、それではマーニル側の人間に今の我々の手の内を明かすことになってしまう。そうなればこの街の勝利は遠ざかるどころか、我々の長い歴史に最悪の形で終止符を打つこととなるかもしれない。全くナンセンスだよ」 そんな言葉は冷たいトーンで淡々と吐かれたが、その芯には燃え盛るような闘争心が確かにある。 代々ガリギアの血に受け継がれてきた宿命。 それこそがこの地に街を築いた先祖の魂であり、決して負けることが許されない戦争。 マーニル、ガリギア。 互いに相容れることなく、双方が最高の魔法科学の名を冠するために続けてきた長い争い。 時には血を流し、時には長い沈黙を続けてきた。 助手もその歴史は知っている。 科学研究所では、子供の頃から耳が痛い程この話を聞かされてきた。 しかし、実際には長い冷戦状態に入ってから久しく、本当に争っているのかも分からない。 ガリギアにいる科学者は戦争に興味をなくし、既にマーニルとの関係は過去のものだとされているようにも見える。 現に、魔法に勝つために、などと熱を上げている者など、この街にはいない。 この男、ヒューズ・ガリギアを除けば。 助手は小さなため息を床の上に落とすと、ヒューズの機嫌を損ねないように慎重に切り出した。 「それはもちろんそうかもしれませんが……えっと、少し変な話をするかもしれませんが、その戦争はここ百年くらい冷戦状態ですよね?私達は授業で学びましたが、戦争と言われてもピンとこないというか……」 「言いたいことは解る。既にガリギアの科学者の闘争心がマーニルではなく、肩を並べている科学者に向けられていることは重々承知の上だ。そして、今の状態を招いたのが僕や父、祖父だということも理解している。しかし、これは祖父が出した結論なのだよ」 そう。 ヒューズの祖父、アンペル・ガリギア。 彼こそが、マーニルとガリギア間の争いを今の状態に持ち込んだ張本人と言っても過言ではない。 長い歴史の中で、マーニルの魔術師がガリギアに攻め込んだことはほぼないと言っていい。 例外として、少数の過激派がガリギアの門にありったけの魔法を叩き込んだり、ある氷魔法の使い手が街中に紛れ込み、テロを働いたことはあったが、どれもこれも歴史に語られる大戦に比べれば、事件とさえされないような小さなもの。 では、マーニル軍は何故、ガリギアへと本腰を入れて攻め入ることをしないのか。 その答えは、当時アンペルが提案した戦法にあった。 今までガリギアがマーニルを打ち破ることが出来なかったのは、ガリギアの長所を活かしきれなかったことに起因する。 長所とは、ガリギアの門にも配備されている自動で動く迎撃装置の存在。 それらは目的、規模、基礎原理などで幾重にも渡って種を枝分かれさせ、今では数千種にも及ぶと言われており、今なお科学者各々が日々開発に熱中しているため、もはや正確な数を数えることは難しい。 この力を持ってすれば、いかに強大な魔法を操るマーニル側の術者とて苦戦は必至。 しかし、そんな力を人の力を介さずに発動しようとすれば、自ずと兵器本体は肥大化。 動力のことも考えれば持ち運べる物はかなり限られ、遠くマーニルの地まで移動させるとなると、性能にも大きな制限がついてしまう。 そこで、アンペルは装置群の力を最大限に生かせるガリギアに留まり、専守防衛の構えでマーニル軍を迎え撃つ戦法を提唱した。 だが、ここからがアンペルの誤算。 マーニルの魔術師は、待てど暮らせどガリギアの街に出兵してこなった。 わざわざ相手が有利な土地で戦う必要はない。 至極当然の考えだが、プライドが高く、自分たちの魔法に絶対の自信を持っているマーニルの人間ならば、それでも躍起になって攻めてくるはず。 そんな当てが外れたのだ。 これこそが、百年にも及ぶ冷戦状態が続くきっかけとなる。 「だから僕は思うんだ。このままではいけないと。百年待ち続けてもあちら側から攻めてこないのであれば、我々から攻める以外に勝利する方法はないとね。攻めてこないのであればね……」 助手には、話しながらヒューズの表情が僅かながら変化したように思えた。 「それは確かにそうかもしれませんが……もしかしたら、マーニルの魔術師達ももう忘れているかもしれませんよ?戦争のことも、勝ち負けのことも。もしそうだとすれば……」 「忘れておる訳がないであろう!」 突如、どこからともなく飛んできた甲高い声。 まだ声変わりもしていない小さな子供のような……。 しかしその落ち着いた雰囲気が幼さを否定する。 「だれですか!?」 助手は声の出処を探す。 ここはガリギアの中枢、時計塔。 幾重にも張り巡らされた電磁ドアが外部からの侵入者を許さないことで知られている。 その最上層ともなれば、文字通りねずみ一匹通さない、大陸内外でも最高のセキュリティと言えるだろう。 助手は辺りを見渡すが、侵入者の影を見つけることはできない。 目線をヒューズに戻すと、彼は椅子に座ったまま落ち着いた様子でコーヒーを啜っている。 「ヒュ、ヒューズさん!?」 「落ち着いてくれ。ついにその時が来たということだろう……ここまでどんな手を使って入り込んだのかは本人に聞いてみればいい。いや、正確には時計塔に穴を開けたあの光の正体か。聞きたいことは魔素の種類よりも多いが、まずは目的を聞こうか」 コーヒーカップを皿に戻し、返答を待つ。 時計塔の最上層に何者かが入り込んだことなど、歴史上初の事件であることは間違いない。 それ程のことを成す人物。 そしてここに用事がある人物。 そして“あれ程”の魔法を扱う人物。 ヒューズの中に答えは出ていた。 「なぁ、マーニル」 「えぇ!?」 助手は驚きのあまり、思わず大声を上げてしまう。 そんな状況でも、ヒューズは依然として落ち着いていた。 「相変わらずせっかちな奴じゃのぉ……まぁ、そんな所もガリギアの血というやつなのかもしれんが……」 「えっ!?」 助手は更に大きく驚いた。 今度は声の方向が分かったのはいいものの、それは頭の上、天井の方向だった。 見上げると、フワフワと大きな紺色のローブを靡かせながら、大きな帽子を抑えた少女がフワフワと落ちてきている。 落下速度は遅く、まるで何か透明なエレベーターのようなものに乗っているのではないかと錯覚してしまう程。 その異常な光景に目を奪われ、その場から動くことができない。 よく見ると、少女の周りには光の魔素が大量に集まり、キラキラと輝いているように見える。 それはこの科学都市でなければ、神やらその類に見えてもおかしくないだろう。 そのまま低速で地に足を付けると、少女は杖でトンッと床を鳴らした。 大きくてヘンテコな帽子から伸びる桃色掛かった白髪、天球のような形をした金色の杖。 教科書に記された因縁の相手の特徴のまま。 「ル、ルティア・マーニル!!!??」 青ざめた顔で腰を抜かし、バランスを失った助手は目の前の机に思わず手をついた。 中央に足のあるテーブルは大きく傾き、激しい音をたてながら上に置かれていたカップがバラバラになっていく。 目の前にいるのが生ける伝説のような人物なのだから、登場の仕方にこそ目を瞑ることができても、こちらはそうはいかない。 ――800年間、名前の変わらない魔法学校の学長 そんなおとぎ話のような噂。 現代科学においては不可能とされている不老不死。 歴史の中で何人もの科学者がそんな装置を作ろうとしているが、良くても冷凍保存したネズミの蘇生を成功させた程度。 人間のコールドスリープ、ましてや不老不死など到底不可能と言われる技術。 そんなものを作れる人間がいたとすれば、マーニルとガリギアの戦争をも一瞬で終わらせられる程の、最高の科学として未来永劫讃え続けられるだろう。 しかし、この噂話は大陸の住人であれば誰しもが聞いたことがある程に有名な話。 もちろん、伝説は伝説でしかなく、実在はしないと口にする者も多いが、その伝説が目の前にいるのだから、もはや信じる意外の選択肢はない。 「調子はどうじゃ?新しい研究は進んでおるか?」 助手のことなど全く気にせず、ヒューズに話しかける少女。 ヒューズは眉をしかめることもなく、涼しい顔で対応する。 「初対面の相手に、まるで友人のように話し掛けてくるのだな。敵である我々の研究施設に不法侵入。こちらの質問は無視。更には研究の進捗を報告しろとなると、心良く言葉を交わそうとする者はいないと思うのだが?それが君の国での礼儀作法なのか?」 少女は楽しそうに研究室を歩き回りながら、ヒューズの話を聞いているのか聞いていないのか、部屋の中にあるもの手当たり次第に物色しているようだ。 「ドアから入って正面に何もないスペース。少し進んだ所に休憩用のテーブル。そして左側に本棚。それから作業机があり、広げられているのは大きな設計図。ふふふ……やはりガリギアの血が濃いのじゃな」 一通り部屋を見回ったと思うと、ヒューズの方へくるりと顔を向ける。 「な、何をしにきたんですか!?あなたは……ルティア……ルティア・マーニルですよね!?ヒューズさんを狙ってきたんですか!?えっと……今警備を呼びます!!」 助手は慌てながらバタバタとうまく動かせない足を必死に前に出しながら出口へと向かう。 しかし、その足をヒューズの言葉によって止められた。 「まぁ、待ってくれないか。彼女は何やら話をしに来たようだ。君はまず倒したテーブルを元に戻して、割れたカップを拾うこと。そして新しいコーヒーを2杯持ってきてくれ。彼女を……彼女を僕の客として扱うように。他の者には他言無用で頼む」 「えっ……!そんなのわからないじゃないですか!マーニルとは長い戦争をしてきたってさっきも言っていましたよね!?私だって知らない訳じゃありません!そんな相手が急に部屋に入って来たんですよ!?安全だなんて言い切れる訳が――」 「問題ない。もしこの魔法使いが僕の命を狙ってきたのならば、部屋に侵入した時点で僕を攻撃していただろう。金属で組み上げられたこの研究室の天井に音もなく穴を開ける魔法を扱えるのならば、僕を殺傷することは十二分に可能だったはず。このコーヒーの表面に彼女の姿が映ってから喋りだすまでの時間でそれをしなかったということは、彼女の目的は他にある。そうだろう?」 少女はどこか狡猾さを含んだ笑顔を見せながら、ゆっくりと首を縦に振る。 「そうじゃな。お主がそんなにも丁寧に助手に説明ができる奴じゃとは、驚きを隠せんな」 「僕を知ったような口を叩くのだな。これで言うのは二度目だが、初対面だろう?」 「ふふふ……そうじゃな。“お主とは”初対面で間違いない」 何か含んだ言い方に聞こえたが、いちいち突っ込む気にもならないヒューズ。 今までのやり取りで、この少女の一言一句に質問をしていては、いつまでたっても確信に迫れないと考えが至っていた。 少女はポカンとしている助手に向けて笑顔を向ける。 「驚かして悪かったの。お主らの大事な“ガリギア”に何かしようとは思っておらぬから安心するのじゃ」 「そういうことだ。僕の客として扱ってくれ」 助手はヒューズがどうしてそこまでこの少女を信じられるのかと頭を悩ませながら、倒れたテーブルを元の位置に戻し、割れたカップを拾うと部屋を出ていった。 「さて、本題に入ろうかのう。ワシがここに来た理由じゃったな。どこから話せば良いかのぉ……」 「前置きはいらない。単刀直入に頼む」 「ふふふ……そうじゃな。ではそうさせて貰うとするかの」 少女はそう言うと、テーブルを挟んでヒューズの前に座った。 「ワシがマーニル魔法学校の学長ルティアじゃ。お主とある賭けをしたいと思っておる」 「賭け?」 「どちらが早く帝国軍を滅ぼせるか。互いの技術をぶつけてみる気はないかのぉ?」 ヒューズが想像していた内容よりも、随分とまた突拍子もない打診に困惑する。 色々と想像しては破綻し続ける仮設の山で、頭の中が埋まった。 「ガリギアとマーニルはここ数百年、戦争を繰り返してきた。その事実を知っているのか?」 「そうじゃな。知らぬわけがないじゃろう」 彼女からその言葉が出るということは、本当に800年以上生きているとでも言うのだろうか。 「帝国の戦力は、お前たち魔術師だけでは手に負えない程の相手なのか?」 「どうじゃろうな。やってみんことにはわからんが、王都レミエールを堕としたんじゃ。一筋縄でいく相手ではないじゃろうな」 「何故、帝国を敵視する?」 「敵視というよりも、この大陸を支配して何をしようとしておるのか、何故王都を潰せるまでの力を急につけたのか、そこに興味があるというのが本音じゃな。お主もそうじゃろう?」 確かに、小国である筈のガルヴァンドが、一夜で王都を陥落させたと報告を受けた時には耳を疑った。 この街に攻めてきた時に従えていた魔物。 あの魔物達をどのようにしてコントロールしているのか―― 「興味がないとは言わない。だが、我々の争いに決着を付けるためとはいえ、わざわざ帝国とまで戦争をするなどと……あえて回りくどい方法を望む理由が理解できない」 「ふむ……そうじゃのぅ……」 それまでは筋書き通りに話していたかのようにテンポ良く返ってきていた言葉が止まる。 彼女は天井を、いや、その上の空を見上げているような、そんな目をしていた。 時間にして数秒。 しかし、その間に思考していることにこそ、ルティア・マーニルという人間の本質があるのではないだろうかと、ヒューズは次の言葉に身構えた。 「元々ワシは人が争うことを嫌っておる。それは今でも変わらん。しかし、ある男は違ったのじゃ。争うことで、技術を発展させようとしておった。争えば争う程、技術が発展すると」 それには一理ある。 闘争心がもたらす相乗効果。 好敵手という存在が人を飛躍的に成長させる様に、戦争は技術力を飛躍的に進化させる。 しかし―― 「争いが必要なのであれば、我々ガリギアとマーニルの直接対決でも叶えられることだ。その方がどちらに軍配が上がったかも分かりやすい」 「先程も言ったように、帝国は今や大陸の脅威となっておる。ワシらが戦い、消耗したところで、帝国が本腰を入れて大陸全土を滅ぼしに掛かってきたらどうするのじゃ?敵の敵は味方と言う言葉があるじゃろう?」 ヒューズは椅子の背もたれにもたれ掛かりながら、しばし思考する時間を取る。 この少女の言葉には、何か裏があるような、そんな気配を感じるのだ。 そして、結論は出た。 「やはり……断らせて貰う」 「何っ!?なぜじゃ!?互いの研究の成果を帝国にぶつけて競おうというだけじゃぞ!?帝国軍を常駐させているガリギアにも利はあるはずじゃろう!助手も言っておったではないか!」 この女……いつから話を盗み聞きしていたのだろうか。 「理由は簡単だ。君を信用することができない」 「なんじゃと!?」 ヒューズは厳しい視線を少女に向ける。 「先程、君はルティア・マーニルだと名乗った。僕も君がこの部屋に入ってくる時はそう確信があったのだが、顔を見てからというもの否定的な要素が多すぎる。君はあのルティアではない」 「……何が信じられないというのじゃ」 「噂では、君はマーニルの街ができた頃から生きている。だが、君はどこからどう見ても幼すぎる。化物のような年齢であれば、染色体からなる遺伝子や、それが作り出す細胞に劣化が生じるはず。噂が本当であれば、僕はてっきり身体を機械化しているのだろうと想像していたが、その様子もない。君が800年以上の時を生きてきたなど、まるで少女の夢物語。君はルティア・マーニルを騙る他人。そんなどこの輩と知れない者と協力し、帝国に対して宣戦布告するなど……受け入れられる人間がいるのか疑問だな」 それは思想ではなく、状況からの推察で導き出した理屈。 しかし、目の前の少女は依然として不敵な笑みを浮かべている。 この年齢で、ここまでの振舞いができているところを見ると、何かしら特殊な教育や訓練を受けているのだろうか。 一考の余地はあるが、それでもここで受けるべきではない。 それがヒューズの出した解答。 少女は、大きな法衣を翻し、ヒューズに背を向けた。 「少し予定が狂ってしまったのぉ。筋書き通りに進まんのは昔と同じという訳か……」 「諦めがついたならば、大事になる前に帰って貰えるか。君が僕の期待していたような人物ではないとなると、僕が君を匿う必要もなければ、これ以上話をする時間さえ惜しい」 少女は何か思い直したようにひとつ頷くと、首を回して横目でヒューズを見る。 「やはり、何も知らないのじゃな。お主達らしい……ガリギアの技術で人をこんな身体にしておいてからに……」 最後の方はギリギリ聞き取れるかどうかの小さな呟き。 しかし、その声はなんとかヒューズの耳に届いていた。 「おい、今のはどういう意味だ?」 少女はまた背を向ける。 大きな帽子でその表情は一切分からない。 「今日は諦めるとするかの。お邪魔したぞっと……」 そう言い終わるや否や、少女の身体は光に包まれる。 質量を持つ程に圧縮した眩い光の魔素に少女が足を乗せると、そのまま空中へと浮かびだす。 マーニルの魔術師は、自身の体内で術式を構築し、魔素を操ることが出来ると聞くが、これ程までに高度な術式を脳内で組むことができるとでも言うのだろうか。 機械に組み込もうと思えば、文字にして数十万行の式を組み込む必要があるだろう。 「待て!!僕の質問に答えろ!!」 少女を包んだ光は急激に高度を上げ、入ってきた時に開けた穴へと消えていく。 「おい!!くそ……!」 光は穴から空へと飛び去り、研究室には静寂だけが残った。 それから数日間、ヒューズは進めていた研究を止め、資料館にこもって過去のレポートや書物を読み漁っていた。 「ガリギアの技術で人をこんな身体にして……あれは一体どういう意味だ?本当にあの少女がルティア・マーニルだとすれば、不老不死の身体は我々ガリギアの技術の成果ということなのか……?」 この街の歴史を遡る。 膨大な量の資料。 800年にもこの街の歴史となれば、それもその筈。 『不老』『蘇生術』『時間走行』 それらしい言葉を片っ端から漁っていくが、不老不死という答えには到底たどり着けない。 それどころか、研究の失敗、断念、打ち切りという、スタートラインにすら立てていない文献の数々。 やはり、全てはお伽話。 ルティア・マーニルは実在せず、あの少女がその名を騙っているだけ、という仮説は覆らない。 800年以上生き続ける人間など、存在する筈が―― 「待てよ……!!僕は何故こんなに単純なことに気が付かなかったんだ……」 至極簡単な話。 もし、不老不死などという技術が確立しているのであれば、ガリギアに住む人間がそれを知らないということはあり得ない。 それが倫理観に反するという理由で闇に葬られていたとしても、何かしら痕跡は残る。 仮に、それを何者かが隠蔽したとしても、当時の記録に残されるはずの空白や矛盾が存在するはずなのだ。 歴史の改竄、抹消とはそういうもの。 しかし、どの歴史年表や資料にもそれが皆無である事実は、その技術の存在はこの街、科学都市ガリギアの歴史上の出来事ではないことを指している。 そもそも、ルティア・マーニルが本当に800年以上生きているのであれば、その時間はこの街が紡いできた歴史の長さと重なる。 それだけでも、必死にこの街の歴史を洗っていた作業が如何に無駄であったのかを思い知らせてくれる。 こんなにも簡単なことを何故見落としていたのか……。 「僕としたことが……滑稽だな……」 身長の倍以上はある本棚に背中を預けると、額に手の甲を当て、ため息を付く。 「ふぅ…………」 「あの……ヒューズさん、お疲れでしたらお休みになった方が良いのではないでしょうか?もう丸4日は横になっていませんよね?」 聞きなれた声が耳に届く。 「君か……。そうだな……そうさせてもらおうか」 フラフラと歩くヒューズの肩を、助手が支える。 「もう!無理しすぎですよ?」 「頼みがある……僕が休んでいる間に、この街の一番古い文献を集めておいて貰えないか?街が作られた経緯が知りたい」 「わかりました。任せて下さい!……でも、そんなことなら授業で習いましたよ?機械が好きな人達が集まって研究都市を作った。そのリーダーとなったのが初代のコイル・ガリギアさんですよね」 「その話を詳しく調べ……たいんだ……」 「でも意外ですねぇ……ヒューズさんが歴史を学びたいなんて!魔素と回路くらいしか興味がないと思っていました!」 「…………」 「あ、すみません、失言でしたね。悪気はない――」 「…………スー……スー……」 「寝ちゃいましたか。もう、せめてベッドまで歩いてからにしてくれたらいいのに……」 ヒューズが目を覚ますと、そこは研究室のベッドだった。 深い眠りについていたのか、少し頭がボーっとする。 上半身を起こし、辺りを見渡すと、机の上に助手が運んだであろう資料が積まれていた。 彼は無意識にその中の一冊を手に取ると、静かに頁をめくりはじめた。 「ちょっとヒューズさん!?ヒューズさん!?」 読んでいる本の文字が左右にブレる。 どうやら誰かが肩を揺さぶっているようだ。 「君か……どうしたんだ?」 「どうしたんだじゃないですよ!どれだけ呼んだと思ってるんですか!聞こえてましたよね?」 「呼んでいた?僕をか?」 「もう!!食事を用意しましたから、食べて下さいね!」 「あ、あぁ……」 どれほど没頭していたのだろうか。 横のテーブルには、暖かそうなスープが湯気を立て、隣にはふわふわとしたパンが並んでいた。 「絶対食べて下さいね!」 頬を膨らませた助手が部屋から出ていくと、ヒューズは椅子の背もたれに体重を預けて天井を見る。 「オウルホロウ……か……」 古い歴史書に記された記録。 伝えられている通り、この街が出来た当時のリーダーはコイル・ガリギア。 しかし、どこか不自然なことがある。 65回目の街の設立記念日にコイル・ガリギアは死去している。 だが、『享年67』という記述があったのだ。 両の数字をどちらも真実とするなら、コイルがリーダーとなった時点での年齢は2才。 いくら天才といえど、歩き始めたばかりの子供をリーダーにするとは思えない。 となると、今ガリギアの街に伝えられている歴史は間違っていることになる。 しかし、誰が何のために歴史の改竄をしたのかという疑問は現状の資料からは読み取れなかった。 そして、核心に迫る情報がまた一つ。 科学都市ガリギアを創設する前身の街。 魔導研究都市『オウルホロウ』の存在。 その場所は記されていなかったが、ある情報から位置を特定することができた。 ――マーニル派との抗争が続いていた頃、装置が誤作動を起こした ――魔素が枯渇し、土地を移動せざるを得なかった 端々に散らばった情報ではあるものの、これが意味するは何かしらの実験が失敗して大惨事となったということだろう。 そして、その結果街から魔素が無くなり人が住める状態ではなくなった。 大陸で一箇所、魔法都市マーニルと科学都市ガリギアの中間にある不思議な土地。 『絶魔地帯』 基本的に立ち入りが禁止されているが、そこには人工物があるという。 遺跡調査の兵団が何度か立ち入ったようだが、魔素がない状況で魔法も機械も動かすことはできず、その中心地へ辿り着いたという話は聞いたことがない。 そして注目しなければならないのが、このオウルホロウの事故がおよそ800年前だということと、オウルホロウにはマーニル派とガリギア派という人種が住んでいたということ。 今では考えられないマーニルとガリギアの共存。 そこでは一体何が行われていたのだろうか。 もし、あの少女が本当にルティア・マーニルだったとして、かつてオウルホロウに住んでいたのだとすれば、ガリギアの技術に触れる機会もあったかもしれない。 だとするならば―― 「確かめる必要があるな……」 ――2日後 「それでは出発するとしようか」 「はい。私が運転しますね」 船に乗り、科学都市ガリギアのある島から大陸本島へ。 そこから自走車に乗り、絶魔地帯へとハンドルをきるヒューズの助手。 この最新型であれば、僅か半日程度で目的地へと辿り着けるだろう。 「しかし助手席に助手が乗っていないっていうのは何かおかしいですね~あはは」 ヒューズの耳に助手の言葉は届かない。 頭の中は、あの少女との会話でいっぱいになっていた。 (元々ワシは人が争うことを嫌っておる。それは今でも変わらん。しかし、ある男は違ったのじゃ。争うことで、技術を発展させようとしておった。争えば争う程、技術が発展すると) (やはり、何も知らないのじゃな。お主達らしい……。ガリギアの技術で人をこんな身体にしておいてからに……) オウルホロウでも、マーニルとガリギアは技術を高め合い、そして争った。 その結果、ルティア・マーニルは不老不死に。 それは、ガリギアの技術が原因で…… 「何がなんだか……さっぱりわからんな……」 ヒューズは慣れない陽の光を遮るために手首を額に乗せる。 「いや、ただの冗談ですよ!まさかヒューズさんに運転させる訳にはいかないですから」 「何の話だ?」 「え……いえ……なんでもないです」 慣れない揺れに身を預けながら、東へ東へと進んでいく。 日が傾きかけた頃、明らかに周りの空気が変わった。 「車を止めてくれ。これ以上進めば魔素がなくなり帰りは徒歩になるぞ」 「わかりました」 絶魔地帯まで数kmという所で、最低限の荷物を肩に掛け歩き始める。 濃い霧が立ち込め、この先には生き物がいないということが直感できるような、まるであの世の入り口のような場所。 思わず、足を止めたくなるのも無理はない。 「この先が……絶魔地帯か……」 「不思議ですね。霧が出ているのに水の魔素がないなんて……」 「そうだな」 魔術師は魔素を自らの感覚で捕えることができるらしい。 その魔素を集めて魔法を放つのが魔法使いという人種だ。 科学者が作る機械は、魔素を集める、または魔素を充填する装置を使って魔素を集めるため、扱う者には特別な資質や訓練も必要ない。 それこそが、人の暮らしを豊かにする科学なのだ。 そんな科学者でさえ、違和感を感じずにはいられない。 魔素がない空間というのは、それ程までに常軌を逸していた。 「ん……?霧が晴れた……?」 つい先程まで、数歩先の視界も確保できないほど濃い霧が続いていたのだが、急にその霧が晴れている。 「何という光景なのだ……」 思わずヒューズが目を疑ったのも無理はない。 後ろを振り向けば、先程まで歩いてきた濃い霧の壁。 その壁は空を覆い、ドーム上に空間を作っている。 そして、その中心には建物がいくつも見える。 これだけ年月が経っているというのに、荒廃もしていないということは、雨風に晒されることがないのだろうか。 太陽は出ているはずなのに薄暗く、物音が何ひとつない。 「これが……オウルホロウか……」 2人は街の中へと足を踏み入れる。 「800年前の街なんて想像もできなかったですけど、思ったよりも近代的なんですね」 緩やかな坂道を登りながら助手が話し掛ける。 街の至る所に回路に使うケーブルが張り巡らされているので、躓かないように身長に足を上げていた。 「金属で出来た建造物が見受けられるな。しかし、鉄ではない何かだ……全てが分厚く、加工に苦労しそうだな。きっと圧延する技術がなかったのだろう」 「回路を乗せる基盤を作るのも大変そうですね。あと重くなりそうです」 「ここまでぶ厚い金属を加工する技術が既に確立されていたということでもある。それにしても、このケーブルは何だ?」 地面に張り巡らされたケーブルを目で追うと、決まってどこかの施設に繋がっている。 もしかしたら、これで魔素や電気、あるいはそれに類する何かを送っているのかもしれない。 しかし、ケーブルがこうもむき出しになっていては、歩行するのに邪魔で仕方がない。 地下に収納するなどという技術がまだなかったのか、それとも収納する手間を惜しんで突貫で作業したためか。 「ん?あの建物は……入ってみるぞ」 一際太いケーブルが伸びる先。 そこには、所狭しと並ぶ大きな建物の中でも、一際背の高い建物があった。 今となっては見かけないレトロな機械が無数に取り付けられた塀が、その建物を守るように囲んでいる。 どうやらケーブルはこの中に続いているようだ。 「研究施設ですかね?ここだけ機械の量が……」 塀を回り込むように入り口を探す。 取り付けられた機械の中には水晶体がついたものもあるようだ。 これらは、現在ガリギアの街を守っている門に取り付けられた自動迎撃システムと同じようなものなのだろう。 今も昔も考えることは変わらない。 根本の思想は当時、既に構築されていたということになる。 革新的な技術改革が進んでいないことを恥じるか、今の技術の根本を当時作り上げた技術者達を褒めるか、複雑な所だ。 「枝は別れ、延び、何かを実らせようとも、根の成長は止まったままということか。これを開発した先人達が嘆いているような気がする」 「なんの話ですか?」 助手は不思議そうな顔を向けてくるが、今は余計なエネルギーを使いたくはない。 ただでさえ魔素がない状況で、ただ歩いているだけでも身体への負担が普段の比ではないのだ。 「あ、塀が途切れています。中に入れそうですよ」 「これは……」 助手が言うように、確かに大きな門が口を開けていた。 しかし、何か様子がおかしい。 門は門としてあるのだが、そこには何重にも付け足されたようなバリケードが設置されている。 そしてその中央は、入り口として開いているというよりも、何かによって破壊されていた。 「高熱によって焼かれているな……街が機能していた頃のものか」 バリケードの切れ目は鉄が黒く変形しており、よく見ると焼き切られていることが分かる。 鉄を構成している元魔素が風の魔素と反応して爆発的なエネルギーを発生させる。 鉄が燃焼するという事実は、鉄を扱う者にすれば比較的一般的な知識だが、これだけ巨大な鉄の塊を燃焼させるエネルギーを想像すれば嫌な汗が噴き出してくる。 現代における最大出力レベルの炎吐機が使われていたのか、難しいと言われている光の魔素を操ることが既に出来ていたのか定かではないが、オウルホロウにおける争いでは、こうしたものが当たり前のように使われていたということだ。 以前、ガリギアがマーニルの街に攻め込んだ際にも、様々な兵器が用いられたが、あくまでも降伏を促すための威嚇射撃をする程度の運用だった。 それが街中で堂々と発射されていたとなると、どれだけの犠牲者を出したのか。 そして、この現象を再現しようとすると必ず魔素が必要となる。 つまりは、絶魔地帯となる前の出来事であると、簡単に推測することができた。 更にはこの塀に取り付けられた迎撃システム。 今ガリギアにあるものと比べると随分大きいが、目標を定め、鉛の弾を射出する装置だろう。 こんなものが人に当たれば、運が良くても重症。 多くの場合は即死だろう。 この街で具体的に何が起こっていたのかは分からないが、日常的に戦闘行為が横行していて、沢山の血を流されていたことだけは間違いない。 焼かれたバリケードを抜けて中へ入ると、いくつもの建物が並んでいる。 所々に見える横断幕。 『打倒マーニル!』『ガリギアに勝利を!』『科学が正義!』 資料にあった、マーニル派とガリギア派の裏が取れた。 やはり、この街で両者は争っていた。 我々の戦争の発端は、ここにこそあるのかもしれない。 正面には大きな掲示板のような物があり、近づいてみるとこの施設の地図が記されていた。 地図の一番上には『オウルホロウ科学研究所』と大きな文字が目を引く。 ガリギアの前身である施設がここだとすれば、あの少女が言っていた謎に近づけるかもしれない。 保証はないが、期待するくらいならばバチは当たらないだろう。 地図で見る限り、施設の敷地はかなりの広さ。 一つ一つじっくりと見聞してみたいが、これら全てを周ることは叶わない。 ここにいられる時間は有限なのだ。 「文字は変わらないのですね。800年という歴史を経ても同じということは、この文字は殆ど完成されていると言ってもいいのではないでしょうか」 「確かにそうかもな。ん?これは……」 地図のほぼ中央に位置する大きな建物。 その名を見た助手とヒューズは目を丸くする。 「開発本部研究棟!?ガリギアの時計塔の正式名称と同じじゃないですか!」 「ここからの名残でそう命名されているのかもしれないな」 2人は迷うことなく開発本部研究棟へと足を運ぶ。 見えてきた建物は周囲の建造物と比較しても一際大きく、階層こそ高くないものの最上階付近には大きな時計が堂々と敷地を見下ろしている。 「真昼間か……」 「えっ?何がですか?」 「魔素が無ければあの時計も動かないだろう。これだけ大きな施設だ。故障したままにしておくことも考え辛い」 「んー??……あっ!なるほど。事故が起こって魔素が無くなった瞬間に時計が止まったということですね。確かにそうですね!」 時計の文字盤に記されている構成は現代のものと変わらない。 ということは、時刻も同じように示しているだろう。 針の指す時刻は太陽が登りきった昼過ぎ。 つまり、人が活動している時間帯だ。 「ふむ……」 何かしらの天変地異によるものか。 それとも人為的なミス、または意図的に引き起こされたものか。 絶魔地帯が作られたと原因を究明するためには、まだピースが足りない。 だが、少しずつ核心に迫っているような、そんな気がする。 この施設には、何かがある。 そんな“非科学的な予感”。 「柄にもないな……絶魔地帯で精神もやられているのか……?」 「ん?どうかしました?」 頭を抑えるヒューズの顔色を伺うように助手が覗き込む。 「いや、何でもない。進もう」 「あっ!待ってくださいよ~!」 研究棟の中に入ると、棟内の地図が壁に張られていた。 「第01、第02研究室!!本当に時計塔と同じですね!」 各部屋に振られた番号。 これは今の時計塔と同じように振られている。 「これは面白いですね!本当に私達の祖先がここに居たんだって証明されているような、そんな気がします!……ん?」 確かに、ここまでくれば助手の言う通りなのだろう。 機械に囲まれた塀、建物の名前、ガリギア派の人間の痕跡、そして今回の部屋の名前。 何世代前の者かは分からないが、ガリギアの名を持つ人間が800年前にここに立っていたとしても何らおかしくはない。 「ヒューズさん!これ見て下さい!第38研究室がありますよ!」 「何っ!?」 『第38研究室』 唯一、時計塔にはない研究室の番号。 それは部屋数が足らない訳ではなく、理由は分らないが38番は欠番となっているのだ。 噂では、かなりの頻度で目にするが修正が面倒なエラーコードが「38」だからという説や、以前はあったが自殺者が何人も出て誰にも見つけることが出来ないように細工をされているから等、オカルトのような話がいくつもある。 真意を確かめることも出来ないので、面白がっている人間がいるという程度だ。 しかし、ここに『第38研究室』があるというのは引っ掛かる事案であることも確か。 「行ってみるか……」 「まるで、何かが私達を吸い寄せているような気がします!」 確かに、ここに来てから何かがおかしい。 魔素がないことで身体に何かしらの異常を来していることも考えられるが、今まで感じたことのない何か……。 まるで、誘い込まれているような、そんな空気すら感じるのだ。 「……非科学的だ」 何かを振り払うように頭を横に振り、自分の気を確かめる。 ここに長く居座るのは危険だ。 「先を急ぐぞ」 「はい!」 「本当にありましたね」 目的地は地図上と同じ位置にしっかりと存在した。 地図上に存在するのであれば、それは当然の成り行き。 だが、いわく付きの『第38研究室』という部屋に限っては、疑う気持ちが多少生まれるのも仕方がないといえよう。 「入るぞ」 扉は元々機械仕掛けで開閉するタイプのようだったが、都合が良いことに開け放たれている。 「これは……」 部屋に入るなり、視界に飛び込んでくる大きな機械。 中央にはカプセルのような物があり、大の大人がすっぽりと入れるくらいの空間がある。 太いケーブルが部屋の外からこの装置に繋がっていた。 「どうやら街に張り巡らされたケーブルは、この装置のためのようですね」 助手が興味津々という顔で装置に近づいていく。 「その装置は僕が調査しよう。君は他に目ぼしい物がないか探してみてくれ」 「わかりました」 多少残念そうにしている助手だったが、ヒューズの声にすんなりと頷く。 機械のことはヒューズに任せた方が手っ取り早い上に確実。 彼女も優秀な人材には違いないが、相手がヒューズであれば比べるまでもない。 ヒューズが調査を初めて一刻程で、この装置の大体の概要が掴めてきた。 どうやらこれは生命体の治癒のために作られたようだ。 多少形式は違うが、やろうとしていることは理解出来る。 端々に見たことのない回路が組まれているが、作成者の意図が手に取るように分かるのだ。 どうやら、大量の魔素を用いて、対象の細胞を再生する装置。 そこまでは頷ける内容だ。 しかしここからがヒューズの頭を悩ませるようになる。 単に治癒を施す装置であるならば、そこまで多量の魔素は必要とせず、街中にケーブルを張り巡らせる手間も不要。 だとすれば、何か別の目的がある筈だ。 頭に思い浮かぶのは、命を失った者を生き返らせる、人体蘇生。 そしてもうひとつ。 「不老不死……」 あり得ない。 現在においてもそんな技術は開発されていない。 到底不可能なのだ。 ガリギアの資料館でも、それは確かめた。 否定出来る材料の数は、1つの自走車に使われているビスの数よりも多い。 しかし、それでは説明が出来ない。 これ程までに大掛かりな装置を作る理由。 そして、その仮説は、全てを繋げてしまう。 これだけの装置であれば、ケーブルを張り巡らせた範囲の魔素を一点に凝縮することができる。 そして、それにより引き起こされるのは、ここ一点を除く絶魔空間。 この装置が、今のオウルホロウの状況を作り出した原因となったとすれば説明がついてしまう。 そして、800年という時を生きているルティア・マーニル。 『ガリギアの技術で人をこんな身体にしておいてからに……』 もし、もし仮にだ――。 この装置で不老不死が実現できたとする。 そして、ルティア・マーニルに使用したとしよう。 オウルホロウの魔素は枯渇し、絶魔地帯となった。 とても人が住める環境ではない。 ならば移住が必要だ。 オウルホロウにはガリギア派とマーニル派という勢力があった。 そして、その2つが分断し、新たな街を築いたとしよう。 「……………………いや、あり得ないな」 ヒューズは座り込み、装置のガラスに頭を預ける。 熱でもあるのではないだろうか。 そう思える程に、その仮説を否定出来る材料がある。 マーニル派とガリギア派は争っていた。 そう、争っていたのだ。 もし仮に、不老不死を実現させる装置を完成させたとして、敵軍の長にそれを使用する意図は何か。 不老不死となることを、ある種の罰、つまり終身刑のようなものだと考えたとしよう。 哲学者が良く口にしているように、無限の命とは、決して幸福なものとは限らないのかもしれない。 だが、実際に不老不死になった人間が、そう口にした例があるわけではない。 多くの場合、それは人が憧れる夢物語の一つ。 そう、これがもし不老不死を実現する装置であるならば、人類にとっての夢の装置。 その開発に成功したのであれば、敵勢力に使用するはずがない。 しかも、代償として街一つを潰すことは予見していたはず。 気軽に扱える代物でもない。 では、マーニル軍がその存在を知り、装置を勝手に使用したとするならどうか。 あり得ない話ではない。 それ程までに魅力的な力なのだ。 だが、それもすぐに否定できてしまう。 あの魔術師が機械の力を信じるだろうか。 長い時を経て尚も機械を信じようとしない連中だ。 当時はその傾向もより顕著なものだったはず。 魔術と科学は成果がもたらす結果こそ似通ったものだが、根本からして決して交わることがないもの。 ならばどのようにしてルティア・マーニルがこの装置を使用したというのか。 「ヒューズさん!見つけました!本当にありましたよ!なんで解ったんですか!?その装置にヒントがあったんですか?」 助手が部屋の隅から声を上げている。 「悪いが静かにしてくれないか?一体何の話をしているのか想像もつかないが、今僕は考え事をしているんだ」 「それは……申し訳ありません。でもヒューズさんが言った通り、揺り籠の床下に収納スペースみたいなのがあったんです!」 「『揺り籠』?君……絶魔地帯で頭がおかしくなっているのではないか?僕は……まぁ、独り言を口走ったかもしれないが、そんなことは一言も言っていないはずだぞ?」 「えぇ!?何言ってるんですか!?確かにヒューズさんの声でしたよ?もう良いからちょっと来て下さい!」 そう言ったかと思えば助手はヒューズの元に駆け寄り、腕をぐいぐいと引っ張りはじめる。 「一体何だと言うのだ……」 仕方なく腰を上げ、助手に引っ張られるままに歩きだす。 視線の先にはベッドが置かれ、その横に赤子用の揺り籠が設置されていた。 「そう言えば……」 ふと、あの少女の言葉を思い出す。 『ドアから入って正面に何もないスペース。少し進んだ所に休憩用のテーブル。そして左側に本棚。それから作業机があり、上には大きな設計図。ふふふ……やはりガリギアの血は濃いのじゃな』 装置にばかり気を取られ、全く気付かなかった。 改めて見回した部屋は、レイアウトがヒューズの研究室に酷似している。 「なんだ……いったい……」 「ほら、見てください!もう!どうしちゃったんですか!?これが探していた物じゃないんですか?」 助手に促されて視界を戻すと、足元にぽっかりと大きな空間がある。 床から50cm程だろうか、正方形に切り取られたような空間には、何かが保管されていた。 「板で隠してあったんです。その上に揺り籠がありました」 「意図的に隠していたのか……?」 「もう!ヒューズさんが教えてくれたんじゃないですか!『揺り籠の下を調べてくれ』って」 そんな記憶は一切ない。 それどころか、揺り籠の存在など知っている訳がないのだ。 もし仮に、自分の研究室と酷似したこの部屋を、何かと錯覚したとしても、ヒューズの研究室に揺り籠など置いていない。 この収納スペースにしてもそうだ。 「何がどうなっているんだ……」 「難しい顔してないで中身を見てみましょうよ。取り出してみますね」 助手はその場に屈むと、床に空いた穴に向けて手を伸ばす。 「よっと……これは、トロフィー……?でしょうか?」 その手には高さ30cm程の金色に輝く模型。 歯車と杖を模したような造形は、芸術品としても一定の評価を得られるだろう。 土台には、何か文字が刻まれている。 「第72回……魔法技巧祭……最優秀賞……」 「あ!もう一個同じような物がありますよ。はい!」 助手から同じ形の像が手渡される。 「第73回……魔法技巧祭……最優秀賞……」 魔法技巧祭。 その名の通りの内容だとすれば、魔法に関する技術を競い合う大会のようなものだろうか。 「賞状もありましたよ!えっと……レンズ……ガリギア…………って、ヒューズさんの親戚ですか?」 これが800年前の物だとすれば、親戚というよりは先祖と呼んだ方が相応しい。 助手から手渡された羊皮紙には、確かにその名前が記載されていた。 「最優秀賞。レンズ・ガリギア殿。あなたは魔法技巧委員会主催の第72回、魔法技巧祭において頭書の成績を収め……」 「うわぁあああああ!!!ヒューズさん……!!これっ!!これ見て下さいっ!!」 突然、足元の収納スペースの中で助手が叫び声を上げた。 ため息を漏らしつつ、そろそろ引き上げる準備でもしなければ、と頭の隅で考える。 しかし、助手が顔を青くしながら差し出してきた物を見て、思わず叫んだ気持ちが理解できてしまった。 「……!!!!」 それは小さな写真立て。 普段であれば、まず800年前に写真が存在したという事実と、その技術力の高さに感心を寄せるところなのだが、そうした思考を全て吹き飛ばす程の衝撃が走る。 写真に写っていたのは、一人の見知らぬ男。 そして、今しがた手に取ったトロフィーと賞状に酷似した物を挟んで、男の右側に立っている一人の少女。 「ル……ルティア・マーニル……本当に…………」 時計塔を訪れたあの魔術師。 大きな帽子から伸びる桃色掛かった白髪、天球のような形をした金色の杖。 先日、ヒューズの研究室を訪れ、ルティア・マーニルを名乗ったあの少女の姿が、そのままの形で、今手にしている写真の中に写っていた。 ―― ―――― ―――――― 助手とともに科学都市ガリギアに戻ったヒューズは、長い時間を考察にあてていた。 思考の海の中に散らばった大量の情報と推察を整理していく。 こうした作業の際、ヒューズはいつもメモ書きなどせず、全て頭の中だけで完結させてきたが、ここ数日の出来事や発見は明らかな情報過多。 足りないピースを想像で埋めていくことは、困難を極めた。 まず、800年前に撮られた写真の中に、ルティア・マーニルを確認したこと。 他人の空似、または血族などの可能性を残しつつも、ひとまず本人だと見てまず間違いないだろう。 次に、ルティア・マーニルがどのようにして不老不死の身体を手に入れたのか。 オウルホロウ科学研究所に作られた装置で実現したのだろうと推測される。 しかし、何故、どのようにして敵対関係にあったマーニルに使うことになったのかは不明。 あの地が絶魔地帯となった理由。 例の装置を使用したことが原因である可能性は極めて高い。 人為的に絶魔地帯を生成してしまう程の危険な技術だが、その記録が残っていないということは、突発的な事故であった可能性もある。 そうでもなければ、あえてあんな街のど真ん中で起動する筈がない。 現に、絶魔地帯となった街は人が住める状態に非ず、住人は避難しているのだから。 しかし、そうせざるを得なかった何かしら理由があったとしたらどうか。 例えば、オウルホロウを崩壊させることが目的だった……とか。 オウルホロウの中には、マーニル派とガリギア派という2つの派閥があった。 両者は相容れず、互いに今よりも壮絶な争いを続けていたことも事実のようだ。 その争いの発端。 オウルホロウの街中に落ちていた雑誌の記事には、技術の盗用があったと書かれていた。 内容を掻い摘むと、第75回魔法技巧祭において、光の魔素を使用した演目が決勝で披露されたらしい。 しかし、この頃はまだ光の魔素は発見されていなかったため、それは全く新しい技術だった。 にも関わらず、オウルホロウ魔法学園所属のルティア・マーニルと、オウルホロウ科学研究所所属のレンズ・ガリギアの両名が、それぞれ光の魔素を用いた演目を行った。 これにより、どちらかが相手の技術を盗用したのではないかという騒動が両陣営間で巻き起こる。 ルティア・マーニルの発言について。 『元々ワシは人が争うことを嫌っておる。それは今でも変わらん。しかし、ある男は違ったのじゃ。争うことで、技術を発展させようとしておった。争えば争う程、技術が発展すると』 抗争の火種と、この発言を鑑みれば、マーニル派、ガリギア派のどちらかが争いを激化させたか、または発端を作ったということになる。 だとすれば、真実を知るはずのルティア・マーニルは、何故争いを止めようとしなかったのか。 または、止めようとしたが止めることが出来なかったのか。 そして、彼女は現ガリギアの長である自分に、帝国をどちらが先に潰せるかで技術を競おうと打診してきた。 その理由は……。 結局、これ以上は考えても分らない。 走り書いたメモ帳は、既に真っ黒に染まっている。 「当事者に事情を聞くのが一番の近道……か……」 ヒューズは立ち上がる。 「君、荷物を纏めてくれ。魔法都市マーニルへ行くぞ」 「えっ!?ちょっとヒューズさん本気ですか!?今から行くって言うんですか!?」 ひっくり返りそうになっている助手の横を通り抜けて、最新式の機械を装備し始めるヒューズ。 「戦闘になるかもしれない。しかし、僕は確かめねばならない」 助手は、こんなヒューズの顔を見たことがなかった。 好奇心ではなく、使命のために動いているような、そんな表情。 「わかりました。半永久エネルギー生成装置の試作品も持っていきますか?」 「あぁ、テストには丁度良いかもしれないな」 「何が丁度良いのじゃ!土産ならまだしも、物騒な武器を抱えおって……お主も過激派なのかのぉ!?」 研究室にこだまする声。 「手間が省けて助かる。旅は苦手でね」 ヒューズは肩に背負った弓を台座に戻し、マントを翻す。 「マーニル。そっちから来てくれるとは好都合だ」 またも部屋の上方に現れた影に言葉を掛けた。 不敵な笑みを見せる少女、ルティア・マーニル。 その名に嘘偽りはなかった。 だからこそ、聞かなければならないことがある。 「まずは、お主のようなインドア派がわざわざワシを訪ねようとしていた理由を聞こうかのぉ」 床に足をつけたルティアは部屋の椅子に腰掛けた。 ヒューズも、人生の中で最も長い時間過ごしているであろうデスクの椅子に深く座る。 助手は、何故か緊張感が感じられない二人の様子に困惑しつつ、2人分のコーヒーを淹れるために退出した。 「オウルホロウの科学研究所である装置を見つけた。あれを動かしたのは誰だ?」 「ほぅ……そこまで調べておるのか。先程のインドア派というのは訂正しなければならないようじゃな」 「質問には答えてもらえるのか?」 ルティアはどこか遠くを見るような、そんな目をした。 「お主と同じガリギアの人間。ワシの友人じゃ……」 「ならば、次の質問だ。何故、その友人とやらは装置を君に使用した?オウルホロウ中の魔素を集めて、君をそのような身体にした理由が知りたい」 ピリっとした空気が流れた。 ルティアは少し驚いた様子だったがすぐに笑みを作り、足を組み直す。 「流石はガリギアの科学者じゃな。ワシはあれを見ても理解することなどできんかった」 普段であれば、質問以外の返答をされれば話す気も失せてしまうのだが、何故か今はルティアの言葉を黙って聞いてしまう。 「真意はワシにも良く分からん。お主ら科学者の考えは、正直理解に苦しむものがある」 「なら君が見て体験したことを教えてくれ」 「ふふふ……800年も前のことじゃ。もう忘れてしもうた」 そんな時間を生きた経験があるわけもないので否定しようのない感覚だが、釈然としない。 ならば…… 「人の脳は記憶を呼び出すトリガーがあると言われている。何らかのきっかけで忘れていたことを思い出した経験はあるだろう?これを見て、何か思い出さないか?」 テーブルの上に置いたのは、あの研究所で見つけた物。 ルティア・マーニルと、レンズ・ガリギアであろう男が写った写真。 「これは……!!お主、これをどこで見つけたのじゃ!?」 「先程も言っただろう。オウルホロウの科学研究所だ。装置が置かれた部屋に、隠すように保管されていた」 「…………」 ルティアの顔から笑みが消えた。 写真を見つめたまま、完全に動かなくなっている。 こうして見ると、本当にただの少女に見える。 その瞳が、次第に潤み出し、溢れそうになった所で帽子の鍔で顔を隠す。 「何か思い出したか?この男はレンズ・ガリギアという男なのか?君とはどんな関係がある?話してくれ」 ルティアは、ヒューズから見えないように目元を拭うと、おもむろに立ち上がり、背を向ける。 「すまんな。やはり何も思い出せん。ワシが気付いた時には既にこうなっておったのじゃ。……それだけじゃ」 その言葉は果たして真実だろうか。 こうも堅く口を閉ざすからには、よほど知られたくないか、知らせるわけにはいかない理由があるということ。 「そろそろ、ワシがここを訪ねた目的の話に入って良いかの?過去の話よりも未来の話をしようではないか」 結局何も分らない。 しかし、これ以上平行線を辿るよりは有意義かもしれない。 「いいだろう」 「賭けの話をしたことを覚えているかのぉ?」 そう言いながらくるりと回って顔を見せる。 先程見えていた涙は綺麗に消えており、その変わりにあの不敵な笑みが張り付いていた。 「どちらが早く帝国軍を滅ぼせるか。互いの技術を競い合うという話か?」 「そうじゃ。その賭けの内容を話していなかったと思ってのぉ」 前進しているのか、振り出しに戻ったのか。 何にせよ、結局はあの提案を取り下げる気はないようだ。 「お主の……ガリギアの技術が勝てば、それがトリガーとなって昔のことを思い出せるかもしれん。ワシの知る全てを話してやろう」 「くっ……!!」 やはり隠しているだけ。 ルティアは鮮明に記憶している。 800年前の真実は、今のヒューズにとって、魔術師から差し出されるものの中では、勝利の次に欲っするもの。 仮にルティアがあの装置についても詳しく知っていたとすれば、不老不死という技術さえも手に入るかもしれない。 ヒューズは、自分自身に冷静になれと言い聞かせ、ひとつ間を置いてからルティアの目を見る。 「…………それで?君達マーニル軍が勝った場合は何を要求する気だ?土地か?この心臓か?」 「ふふふ……魔術師を何だと思うておるのじゃ?悪魔とでも言うつもりかのぉ?」 「悪魔など想像上の生き物だ。そんな非科学的なものは信ずるに値しない」 「そのカタさは相変わらずじゃのぉ……概念の話でも良いではないか」 少し間を置いた。 また、どこか遠くに目線を浮かべるルティア。 何を思っているのか、どこを見ているのか。 「ワシが勝ったら、お主はワシと魔法科学の研究をするのじゃ」 「……………………なんだって?」 「言葉の通りじゃ。お主の科学とワシの魔法、互いの知識を最大限に活用して究極の魔法科学を研究したいのじゃ」 何がどうなってその要求になるのか。 ガリギアを潰すつもりなのか、はたまた統合を図っているのか。 だが、それではどちらにせよ土地を奪われ、ガリギアの民の人権は失われるに等しい。 「この土地を渡すことはできないし、民を降伏させることもさせない。マーニルの傘下に下ることを選ぶくらいなら、喜んで死を選ぶ者さえいるだろう。それがガリギアの科学者だ。そんな約束、僕がするとでも――」 「あぁ、すまんな。一つ前提が違っておる。これはあくまでも個人の話。ワシとお主、2人だけの話じゃ」 「なっ!?たった……たった2人で帝国と戦おうと言うのか!?」 「そうじゃが……何か問題があるのかのぉ?ん?お主、さては自信がないのじゃろ?」 顔を近づけてくるルティア。 王都を制圧した帝国と、たった二人だけで戦う。 本気で言っているのだろうか。 「そんな馬鹿な話があるか。負け戦にも程がある」 「それはどうかのぉ?ワシら魔術師は日々技を磨き、お主らも技術を高めておる。そうした成果が、帝国にとっての脅威となることに疑いは持つまい?じゃが、マーニル軍とガリギア軍の大部隊が同じ戦場に居合わせれば、何がきっかけとなって互いを潰し合うか知れたものではない。じゃから、ワシら2人だけなのじゃ」 部分的に肯定はできる。 しかし…… 「無論、技術の進歩は魔術師に負けていない。君がどれ程長く生きていようが、僕が不利である理由にもならない。僕の今の力とて、長年の研究や技術を受け継いできたが故に成り立っている。だが、そういう話ではない。そこまでして危険に飛び込む必要性がどこにある?命懸けで世直しの真似事をしたところで、技術は――」 「技術は、争いの上で向上する。それはガリギアの言葉なのじゃ。その言葉をワシは長い間避けてきた。しかし、無為に時間だけが過ぎていった。ワシはお主達を信じることにしたのじゃ。信じているからこそ、争いの中に身を投じてみようと思うたのじゃ」 なぜか、その言葉には理屈ではない何か別の説得力があった。 そこまでしてルティア・マーニルが得たいもの。 争いのない世界…… それとも本当に、究極の魔法科学を欲しているとでも言うのか。 「そんなことは聞いていない!リスクというものを――!!」 その時、視界が一気にぼやけていく。 まるで透明度の低いガラスが目の前に重ねられていくように。 「くっ……!なんだ……!!」 目を必死に擦るヒューズ。 しかし、何をしても視界が戻る事はない。 立っている事もままならないような混乱。 バランスを保つ為に壁に手を付こうと、精一杯腕を伸ばすが、そこにあるはずの壁に当たらない。 「何がどうなって……」 次に目を開けると、そこには全く別の世界が広がっていた。 暗い。 夜だろうか。 窓の外には星が見える。 ここはどこだろう。 横には、少女がいる。 僕はこの少女を知っている。 ルティア・マーニル。 確か、さっきまで話をしていて…… 横には少年がいる。 僕はこの子も知っている。 レンズ・ガリギア。 あの写真に写っていた…… 「……のぉ、レンズ。いつか、一緒に研究ができたらいいの」 少女が喋る。 僕は何をすることもできない。 「そうだな。いつか2人で、最強の魔法科学を完成させよう!!それで世界をアッと言わせるんだ!」 なぜ、争っている2人がそんな約束を……? 争いがない……? そうか、この時はまだ―― 気がつくと、ヒューズの研究室に戻っていた。 何か、とても長い夢を見ていたような、そんな気分がした。 目の前のルティアは、眉をハの字に曲げながらこちらを凝視している。 今のは夢……? 夢ではない……そう直感できるのだ。 魔術師の幻影でも、ホログラフでもない。 現実……? 「聞いておるのかガリギア?」 「最強の……魔法科学を……完成……?」 「……っ!!!お主!!何故その言葉を知っているのじゃ!?」 あのルティアが取り乱している。 ヒューズの両肩を掴み、激しく揺らしてくる。 その時、テーブルの上に置かれた写真立てが床に落ち、ヒューズの足元に転がってきた。 ルティアが開けた穴があるものの、風もなく、ましてや写真立てが落ちるような衝撃がテーブルにあった訳ではない。 上に置かれたコーヒーの表面が全く揺れていないのがその証拠。 足元に落ちた写真の中の少年が、自分の事を見ているような、そんな気がする。 非科学的だ。 笑えてくる程に。 死者の魂など、存在しないことは科学者に言わせれば常識。 それを君は覆してくるというのか? レンズ・ガリギア……。 「マーニル。僕は君の賭けに乗ることにした。ガリギアの技術は魔術師の比ではないことを証明してみせよう」 ヒューズの肩を掴んだままのルティアは、手の力を抜いてぽかんとした表情を浮かべた。 それはそうだろう。 ほんの数秒か、数十秒の間に、意見を180度変えたのだから。 「何故じゃ?何故そんな急に……」 視線をあちこちに泳がせているルティア。 混乱するのも仕方がないだろう。 ヒューズはどう返答をすべきか悩んでいた。 その理屈は、理屈と呼べないほどに、非科学的なのだから。 足元に落ちた写真が目に入ったのか、何かハッと気が付いたように顔をあげる。 「まさか……!!さっきの言葉は――!!」 ルティアはそこまで言うと、言葉を失う。 そのまま視線をゆっくりと上空に上げる。 ヒューズは、何も言うことができぬまま、ただその様子を見守っている。 そして、ルティアはぽつりと呟いた。 「本当に約束を守っておったのか……真面目すぎるにも程があろうに……」 ひと雫の涙が、ルティアの頬を伝う。 「レンズ……」